神皇正統記巻一

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).3.11日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「神皇正統記巻一」を確認しておくことにする。神皇正統記(じんのうしょうとうき)は、 作者/北畠親房で、 1339(曆応2、延元4年?)年、南北朝時代に公卿の北畠親房が、幼帝の後村上ごむらかみ天皇のために、吉野朝廷(いわゆる南朝)の正統性を述べた歴史書。1343(興国4)年修訂。神代から後村上天皇の即位までが、天皇の代毎に記される六巻よりなる。なかでも後醍醐天皇についての記述が一番多い。 神武じんむ天皇以来皇位が正しい理に従って継承し来ったという皇位継承論と、南朝こそが正統だとする南朝正統論が論述されている。 史的著述の間に、哲学・倫理・宗教思想と並んで著者の政治観が織り込まれている。後代の歴史書である大日本史、読史余論、日本外史などに大きな影響を与えた。 「Wikisource 神皇正統記」を下敷きとする。

 2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).3.11日 れんだいこ拝


【神皇正統記巻一】
 大日本おほやまとハ(者)神国かみのくに也。天祖あまつみおやはじめてもとゐをひらき、日神ひのかみながくとうへ給ふ。国のみこの事あり。異朝いてうにはそのたぐひなし。これ故に神国ふ也。神代かみよには豊葦原千五百秋瑞穂とよあしはらのちいほのあきのみづほの国とふ。天地開闢てんちかいびやくよりこのあり。天祖あまつみおや 国常立尊くにのとこたちのみこと陽神陰神をがみめがみに授け給いしみことのりにきこえたり。天照太神あまてらすおほみかみ天孫あめみまの尊にまししにも、この名あれば、根本なりとはしりぬべし。

 又は
大八州国おほやしまのくにふ。これは陽神陰神、この国を給いしが、やつしまなりしによってけられたり。又は耶麻土やまとふ。これは大八州おほやしま中国なかつくにの名也。第八にあたるたび、天御虚空豊秋津根別あめのみそらとよあきづねわけと云う神を給ふ。これを大日本豊秋津州おほやまととよあきづしまとなづく。今は四十八ヶ国にわかてり。中州なかつくにたりし上に、神武じんむ天皇、東征より代々よよ皇都くわうと也。よりてその名をとりて、ほかの七州をもすべて耶麻土と云うなるべし。もろこしにも、 しうの国よりいでたりしかば、天下を周とよりおこりたれば、海内かいだいを漢と名づけしが如し。

 
耶麻土やまとと云へることは 山迹やまあとと云う也。昔、天地あめつちわかれてでいのうるほひいまだかわかず、山をのみ往来としてそのあとおほかりければ山迹やまあとふ。るひは古語に居住をふ。山に居住せしによりて 山止やまとなりとも云へり。大日本とも大倭ともことは、この国に漢字はりて後、国の名を書くに字をば大日本とてしかも耶麻土やまとと読ませたるなり。大日孁をほひるめのしろしめす御国なれば、その義をもとれるか、はた日のいづる所に近ければしか云へるか。義はかゝれども字のまゝ日のもとゝは読まず。耶麻土とくんぜり。我国の漢字を訓ずること多く如此かくのごとし。自ずからもとなどいへるは文字もんじによれるなり。国の名とせるにあらず。〔裏書云うらがきにいふ。日のもとゝよめる哥、万葉[に]ふ。いざこども はや日のもとへ おほともの みつのはま松 まちこひぬらん〕 又古いにしへより大日本とももしは大の字をくはへず、日本ともかけり。しまの名を大日本豊秋津といふ。

 
懿徳いとく孝霊かうれい孝元かうげん等の御おくりな皆な大日本の字あり。垂仁すゐにん天皇の御むすめ大日本姫やまとひめふ。これ皆な大の字あり。天神あまつかみ饒速日尊にぎのはやひのみことあめ磐船いはふねに乗り大虚おほぞらをかけりて「虚空見日本そらみつやまとの国」との。神武の御名神日本磐余彦かみやまといはれびこと号したてまつる。孝安かうあん日本足やまとたらし開化かいくわわか日本ともがう)し、景行天皇の御子小碓をうす皇子みこ日本武やまとたけの尊となづけ奉る。これは大をざるなり。彼此かれこれくやまとゝよませたれど大日孁おほひるめの義をとらば、おほやまとゝ よみてもかなふべきか。そののち漢土かんどより字書じしよへける時、倭とてこの国の名にたるを、領納りやうなふして、又この字を耶麻土と訓じて、日本のに大を加へても又のぞきても訓に通用しけり。

 漢土より
けゝる事は、昔この国の人はじめて 彼土かのどにいたれりしに、「なんぢが国の名をばいかゞふ」と問けるを、「吾国わがくには」と云うをきゝて、と名づけたりとみゆ。漢書に、「楽浪らくらう彼土かのどの東北に楽浪らくらう郡あり。海中に倭人わじんあり。百余国をわかてり」とふ。もし前漢の時すでにつうじけるか。一書いつしよには、の代よりすでにともみゆ。しもにしるせり。後漢書に、「大倭だいわ王は耶麻たいきよす」とみえたり。〈耶麻堆は山となり〉。これはもしすでにこの国の 使人しじん本国ほんごくの例により大倭と称するによりてかくしるせるか。

 〈
神功じんぐう皇后新羅しらぎ百済くだら高麗かうらいをしたがへ給いしは後漢の末ざまにあたれり。即ち漢地にも通ぜられたりと たれば、文字もて伝はれるか。一説には の時より 書籍しよじやくとも云う。大倭と云うことは異朝にも領納して書伝しよでんにのせたれば、この国にのみほめてしようするにあらず。〈異朝に大漢だいかん大唐だいたうなど云うはおほきなりと称するこゝろなり〉。唐書高宗かうそう咸亨かんかう年中に倭国の使つかひ始めてあらためて日本にほんと号す。その国東にあり。日の出所いづるところふ」とのせたり。この事我国の古記にはたしかならず。推古すゐこ天皇の御時、もろこしの隋朝ずゐてうより使ありて書をおくれりしに、倭皇わくわうとかく。聖徳太子自らりて、返牒へんでふ給いしには、「東天皇敬白西皇帝」とありき。かの国よりは倭とたれど、返牒には日本とも倭とものせられず。これより上代かみつよには牒ありともみえざる也。唐の咸亨のころ天智てんぢの御代にあたりたれば、まことにはくだりころより日本とて送られけるにや。

 又この国をば
秋津州あきづしまといふ。神武天皇国のかたちをめぐらしのぞみ給いて、「蜻蛉あきづ臀舐となめの如くあるかな」との給いしより、この名ありきとぞ。しかれど、神代かみよ豊秋津根とよあきづねと云う名あれば、神武にはじめざるにや。此外このほかもあまた名あり。細戈くはしほこ千足ちたるの国とも、磯輪上しわかみ秀真ほつまの国とも、玉垣たまかき内国うちつくにともいへり。又扶桑ふさう国と云う名もあるか。「東海の中に扶桑の木あり。日の出所いづるところなり」とみえたり。日本も東にあれば、よそへていへるか。この国にかの木ありと云う事きこえねば、たしかなる名にはあらざるべし。内典ないてん須弥しゆみと云う山あり。この山をめぐりてなな)つ金山こんせんあり。その中間は皆な香水海かうすゐかいなり。金山の四大海しだいかいあり。この海中に四大州あり。州ごとに又ふた中州ちゆうしうあり。南州をば 贍部せんぶと云う。又、閻浮提えんぶだいとふ。ことばのてん也。これはうゑきの名なり。南州の中心に阿耨達あのくたつと云う山あり。山頂やまのいただきに池あり。阿耨達こゝには無熱ぶねつふ。外書げしよ崑崘こんろんといへるは即ちこの山なり。池のかたはらこの樹あり。めぐり由旬ゆじゆん)、百由旬なり 。一由旬とは四十里也。六尺を一歩いちぶとす。三百六十歩を一とす。この里をもちて由旬をはかるべし。この樹、州の中心にありて最も高し。よりて州の名とす。

 阿耨達
あのくたつ
山の南は大雪山だいせつせん、北は葱嶺そうれいなり。葱嶺の北は胡国ここく、雪山の南は五天竺ごてんぢく、東北によりては震旦しんだん国、西北にあたりては波斯はし国也。この贍部せんぶ州は縱横じうわう七千由旬、里をもちてかぞふれば二十八万里。東海より西海にいたるまで九万里。南海より北海にいたるまで又九万里。天竺は正中たゞなかによれり。よ[つ]て贍部の中国ちゆうごくとす也。地のめぐり又九万里。震旦ひろしと云へども五天にならぶれば一辺いちへんの小国なり。

 日本は
彼土かのどをはなれて海中にあり。北嶺ほくれい伝教大師でんげうだいし南都なんと護命僧正ごみやうそうじやう中州ちゆうしう也としるされたり。しからば南州と東州との なかなる遮摩羅しやもらと云う州なるべきにや。華厳経けごんきやうに「東北の海中に山あり。 金剛山こんがうせんふ」とあるは大倭やまとの金剛山の事也とぞ。さればこの国は天竺よりも震旦よりも東北の大海の中にあり。別州にして神明しんめいの皇統をへ給へる国也。世界の中なれば、天地開闢の初めはいづくもかはるべきならねど、三国の説おのおのことなり。天竺の説には、世の始まりを劫初こふしよと云ふ。こうじやうぢゆうくう四(よ)あり。各二十の増減あり。一増一減を一小劫とふ。二十の増減を一中劫とふ。四十劫をはせて一大劫と云う〉。光音くわうおん天衆てんじゆ、空中に金色こんじきの雲をおこし、梵天ぼんてん偏布へんぷす。大雨だいうをふらす。風輪ふうりんの上につもりて水輪すゐりんとなる。増長ぞうちやうして天上にいたれり。又大風ありてあわ吹立ふきたてて空中になげおく。即大梵天の宮殿となる。その水次第に退下たいげしよく界の諸宮殿乃至ないし須弥山・四大州・鉄囲山てちゐせんをなす。かくて万億の世界同時になる。これを成劫じやうこふと云う也。この万億の世界を三千大千世界といふなり。光音の天衆下生げしやうして次第に住す。これを住劫ぢゆうこふふ。

 この住劫の間に二十の増減あるべしとぞ。その初めには人の身
光明くわうみやうとほく照して飛行自在ひぎやうじざい也。歓喜くわんぎちてじきとす。男女なんによさうなし。後に地より甘泉かんせん涌出ゆしゆつす。あぢはひ酥密そみつの如し。或るいは地味ちみとも云う。これをなめて味着みちやくを生ず。よりて神通じんづうを失ひ、 光明くわうみやうもきえて、世間大おほきにくらくなる。衆生しゆじやうむくいしからしめければ、黒風海をにちぐわち二輪を漂出へうしゆつす。須弥の半腹におきて四天下てんげを照さしむ。これより始めて昼夜ちうや晦朔くわいさく春秋しゆんじうあり。地味にふけりしより顔色がんしよくもかじけおとろへき。

 地味又うせて
林藤りんどうと云う物あり。或るいは地皮とも云う。衆生又じきとす。林藤又うせて自然じねん秔稲かうたうあり。もろもろ美味びみをそなへたり。あしたにかればゆふべじゆくす。この稲米たうまいじきせしによりて、身に残穢ざんえいできぬ。これ故に始めて二道にだうあり。男女の相おのおの別にして、つひに婬欲いんよくのわざをなす。夫婦ふうふとなづけ舎宅しやたくかまへて、共にすみき。光音の諸天、のち下生げしやうする者、女人によにん胎中たいちゆうにいりて胎生たいしやうの衆生となる。そののち秔稲しやうぜず。衆生うれへなげきて、おのおのさかひをわかち、 田種でんしゆほどこしうゑて食とす。他人の田種をさへうばひぬすむ者出来いできて互にうちあらそふ。これを決する人なかりしかば、衆ともにはからひて一人ひとり平等王びやうどうわうなづけ刹帝利せつていりと云う。田主でんしゆと云う心なり。

 その始めの王を民主王と号しき。十ぜん正法しやうぼふをおこなひて国ををさめしかば、人民にんみん)これ敬愛きやうあいす。閻浮提の天下てんげ豊楽安穏ぶらくあんをんにして病患びやうげん及び大寒熱あることなし。寿命じゆみやうきはめしく无量歳むりやうざいなりき。民主の子孫相続して久く君たりしが、やうやく正法もおとろへしより寿命もげんじて八万四千歳にいたる。身のたけ八丈はちぢやうなり。そのあひだに王ありて転輪果報くわはう具足せり。づ天より金輪宝こんりんほう飛び降(くだ)て王の前に現在す。王ことあれば、このりん転行てんぎやうして諸々の小王せうわう皆なむかへて拝す。あへてたがふ者なし。四大州にあるじたり。

 又
ざうしゆ玉女ぎよくによ居士こじ主兵しゆひやう等のたからあり。この七宝成就じやうじゆするを金輪王となづく。次々ごんどうてちの転輪王あり。福力不同ふくりきふどうによりて果報も次第におとれる也。寿量じゆりやうも百年に一年を減じ、身のたけも同く一尺をてけり。百二十歳にあたれりし時、釈迦仏しやかぶつ 。或るいは百才[の]時ともふ。これより先に三仏さんぶつき。十歳に至らんころほひに小三さいと云うことあるべし。人種じんしゆほとほとつきてたゞ一万人をあます。そのひと善をて、又寿命も増し、果報もすゝみて二万歳にいたらん時、鉄輪王いでなん一州を領すべし。四万歳の時、銅輪王出て東・南二州を領す。六万歳の時、銀輪ごんりん王出て東・西・南三州を領し、八万四千歳の時金輪王出て四天下をとう領す。そのむくい)、かみるが如し。かの時又げんにむかひて弥勒仏みろくぶついで給うべし。八万才の時とも云う。この後十八けの減増あるべし。かくて大火災と云うことおこりて、色界しきかい初禅梵天しよぜんぼんてんまでやけぬ。三千大千世界同時に滅尽めつじんする、これを壊劫ゑこふふ。かくて世界虚空黒穴こくうこくけつのごとくなるを空劫とふ。かくのすること七けの火災をへて大水災あり。このたびは第二禅まです。七々の火・七々の水災をへて大風災ありて第三禅まで壊す。これを大の三災と云也。

 第四禅。
已上いじやう内外ないげ過患くわげんあることなし。この四禅のに五天あり。凡夫の住所、ひとつは浄居天じやうごてんとて証果しようくわ聖者しやうじや住処ぢゆうしよ也。この浄居をすぎて摩醯首羅まけいしゆら天王の宮殿あり。大自在天だいじざいてんとも云う。色界しきかい最頂さいちやうして大千世界を統領す。その天のひろさかの世界にわたれり。下天げてんも広狭に不同ふどうあり。初禅の梵天は一四いちし天下のひろさなり。この上に無色界の天あり。又四地をわかてりといへり。これ等の天は小大のにあはずとども、業力ごふりきに際限ありてはう つきなば、退没たいもつすべしと見えたり。

 震旦はことに
書契しよけいをことゝする国なれども、世界建立こんりふる事たしかならず。儒書には伏犠ふくき氏とふ王よりあなたをばず。異書の説に、混沌未分こんとんみぶんのかたち、天・地・人のを云えるは、神代かみよに相似たり。或るいは又盤古ばんこと云う王あり。「目は日月じつげつとなり、毛髪は草木さうもくとなる」と云える事もあり。それよりしもつかた、天皇てんくわう・地皇・人皇・五龍ごりよう等のもろもろの氏うちつゞきて多くの王あり。その間、万歳をへたりと ふ。我朝の初は天神あまつかみしゆをうけて世界を建立する姿は、天竺の説に似たる方もあるにや。されどこれは天祖あまつみおやより以来このかた 継体けいたいたがはずして、たゞ一種ましますこと天竺にもそのたぐひなし。かの国の初の民主王も衆のためにえらびたてられしより相続せり。又世くだりては、その種姓しゆしやうもおほくほろぼされて、勢力せいりきあれば、下劣の種も国主となり、あまさへ五天竺を統領するやからもありき。震旦又ことさらみだりがはしき国なり。昔世すなほに道ただしかりし時も、賢をえらびてさづくるあとありしにより、一種をさだむる事なし。乱世になるまゝに、ちからをもちて国をあらそふ。かゝれば民間より出でゝ位に居たるもあり。戎狄じゆうてきよりおこりて国をうばへるもあり。或るいはるい世の臣としてその君をしのぎ、つひにをえたるもあり。伏犠氏の後、天子の氏姓ししやうをかへたる事三十六。のはなはだしさ、云うにたらざる者哉ものをや

 唯ただ我が国のみ天地あめつちひらけし初めより今の世の今日こんにちまで、日嗣ひつぎをうけ給いしことよこしまならず。一種姓いちしゆしやうの中におきても自ずからかたはらよりへ給しすら猶せいにかへる道ありてぞたもちましましける。これしかしながら神明の御誓いあらたにして余国にことなるべきいはれなり。そもそも、神道のことはたやすくあらはさずと云うことあれば、根元をしらざればみだりがはしき始めともなりぬべし。そのつひえをすくはんためにいさゝかろくし侍り。神代より正理しやうりにてうけ伝へるいはれをべむことをこころざして、常にゆる事をばのせず。しかれば神皇じんわう正統記しやうとうきとやなづはべるべき。

 それ、天地あめつちいまだかれざりし時、混沌こんとんとして、まろがれること鷄子とりのこの如し。くゝもりてきざしをふくめりき。これ陰陽いんやう元初げんしよ未分の一気いちき也。その気始めてわかれてきよくあきらかなるは、たなびきてあめと成り、おもくにごれるはつゞいてつちとなる。その中より一物ひとつのものいでたり。かたち葦牙あしかびの如し。して神となりぬ。国常立くにのとこたちの尊と申す。又は天の御中主の神とも号し奉つる。この神にもくくわごんすゐ五行ごぎやうの徳まします。水徳の神にあらはれ給いしを国狭槌くにのさつちの尊とふ。次に火徳の神を豊斟渟とよくむぬの尊とふ。あめみちひとりなす。ゆゑに純男じゆんなんにてます。純男といへどもその相ありともさだめがたし。木徳の神を泥土うひぢ。蒲鑒反にの尊・沙土瓊すひぢにの尊とふ。こん徳の神を大戸之道おほとのぢの尊・大苫辺おほとまべの尊とふ。次に土徳の神を面足おもたるの尊・惶根かしこねの尊とふ。

 天地の道相
まじはりて、おのおの陰陽のかたちあり。しかれどそのふるまひなしと云えり。この諸もろもろのかみ まことには国常立の一柱ひとはしらの神にましますなるべし。五行の徳 おのおの神とあらはれ給う。これを六代ともかぞふる也。二世三世の次第をべきにあらざるにや。次に化生けしやうし給へる神を伊弉諾いざなぎの尊・ 伊弉冊いざなみの尊と申す。これは まさ)しく陰陽の ふた)つにわかれて 造化ざうくわ はじめとなり給ふ。 かみの五行はひとつづゝの徳也。この五徳をあはせて万物を生ずるはじめとす。こゝに 天祖あまつみおや 国常立くにのとこたちの尊、伊弉諾・伊弉冊の 二柱ふたはしら)の神に みことのりしての給はく、「豊葦原の千五百秋の瑞穂のくにあり。いまし ゆきてしらすべし」とて、 天瓊矛あまのぬぼこを授け給う。この矛又は天の逆戈さかほことも、 天魔返あまのさかほこともいへり。二神このほこをさづかりて、あま浮橋うきはしの上にたゝずみて、矛をさしおろしてかきさぐり給いしかば、 滄海あをうなばらのみありき。そのほこのさきよりしたゝりおつるしほこりて ひとつの嶋となる。これを磤馭盧嶋おのごろじまふ。この名につきて秘説あり。神代、 梵語ぼんごにかよへるか。そのところもあきらかに しる人なし。 大日本やまとの国 宝山ほうせんなりと云う。口伝くでんあり。二神此嶋に 降居くだりまして、 国の中のみみはしらをたて、八尋やひろ 殿との化作けさくしてともにすみ給う。

 さて陰陽
和合わがふして夫婦の道あり。この矛はへて、天孫したがへてあまくだり給へりともふ。又 垂仁すゐにん天皇の 御宇ぎように、大和姫の皇女くわうぢよ、天照太神の御をしへのまゝに国々をめぐり、伊勢国に 宮所みやどころをもとめ給いし時、大田おほたの命と云う神まゐりあひて、五十鈴いすず河上かはかみ 霊物れいもつをまぼりおける所をしめししに、かの天の逆矛・ 五十鈴いすず天宮あめのみや図形づぎやうありき。大和姫の命よろこびて、その所をさだめて、神宮をたてらる。霊物は五十鈴の宮の酒殿さかどのにをさめられきとも、又、 滝祭たきまつりの神と申すは りゆう神なり、その神あづかりて地中にをさめたりともふ。ひとつには大和の 龍田たつたの神はこの滝祭と同体にます、この神のあづかり給へる也、よりて 天柱国柱あめのみはしらくにのみはしらふ御名ありともふ。昔磤馭盧嶋に もてくだり給いしことはあきらか也。世にと云う事はおぼつかなし。天孫のしたがへ給いしならば、神代より 三種さんじゆ 神器じんぎの如くへ給うべし。さしはなれて、五十鈴[の]河上に有けんもおぼつかなし。天孫も玉矛ハ 自ら従へと云う事たり古語拾遺こごしふゐの説なり。しかれど矛も 大汝おほなむちの神のたてまつらるゝ、国をたひらげし矛もあれば、いづれと云う事をしりがたし。宝山にとゞまりて不動のしるしとなりけんことや正説しやうせつなるべからん。龍田たつたも宝山ちかき所なれば、龍神を天柱国柱あめのみはしらくにのみはしらといへるも、 深秘じんぴの心あるべきにや。

 凡そ
神書しんしよに様々の異説あり。日本紀にほんぎ 旧事本紀くじほんぎ・古語拾遺等にのせざらん事は末学まつがく ともがらひとへに信用しがたかるべし。かの書のうち猶一決せざること多し。いはんや異書におきてはしやうとすべからず。かくて、このふたはしらの神相はからひてやつしまをうみ給ふ。 淡路あはぢ しまをうみます。淡路穂之狭別あはぢのほのさわけふ。 伊与いよ二名ふたなしまをうみます。一身ひとつのみ四面よつのおもあり。ひと愛比売えひめと云う、これは伊与也。ふた飯依比売いひよりひめと云う、これは讚岐さぬき也。大宜都比売おほげつひめと云う、これは阿波あは也。速依別はやよりわけと云う、これは土左とさ也。

  筑紫 しまをうみます。又一身に四面あり。一を 白日しらひ わけと云う、これは 筑紫つくし也。後に筑前ちくぜん筑後ちくご ふ。二を豊日別とよひわけと云う、これはとよ国也。後に豊前ぶぜん 豊後ぶごふ。三を昼日別ひるひわけと云う。これはの国也。後に肥前ひぜん 肥後ひごふ。四を豊久士比泥別とよくじひねわけと云う。これは 日向ひむか也。後に日向ひうが 大隅おほすみ 薩摩さつまと云う。筑紫・豊国・肥の国・日向といへるも、二神の御代の始めの名にはあらざ 壱岐いきの国をうみます。天比登都柱あめひとつはしらふ。 対馬つしましまをうみます。天之狭手依比売あまのさてよりひめふ。

 次
隠岐おきの州をうみます。 天之忍許呂別あめのおしころわけふ。 佐渡さどの州をます。建日別たけひわけ ふ。 大日本豊秋津州おほやまととよあきづしまをうみます。 天御虚空豊秋津根別あめのみそらとよあきづねわけふ。すべてこれを大八州おほやしまと云う也。この外あまたの嶋を給う。後に 海山うみやまの神、木のおや、草のおやまで ことごとくうみましてけり。いづれも神にませば、 給へる神の しまをも山をもつくり給へるか。はた 州山しまやま 生み給に神のあらはれましけるか、 神世かみよのわざなれば、まことに難測はかりがたし

 ふたはしら神又はからひてのたまはく、「我すでに大八州の国および山川草木をうめり。いかでかあめの下のきみたるものをうまざらむや」とてまづ 日神ひのかみます。このみこひかりうるはしくして国のうちにてりとほる。二神よろこびて あめにおくりあげて、天上の事をさづけ給う。この時天地あひさることとほからず。天のみはしらをもてあげ給う。これを 大日孁おほひるめの尊とれいの字は霊と通ずべきなり。陰気を霊と云とも云へり。女神めがみにましませば づか 相叶あひかなふにや。又天照太神とも。女神にてまします也。 月神つきのかみ ます。その光日につげり。あめにのぼせて よるまつりことをさづけ給う。 蛭子ひるこを生ます。みとせになるまで あしたゝず。 あめ磐樟いはくす船にのせて風のまゝはなちすつ。素戔烏すさのをの尊をます。いさみたけく不忍いぶりにして父母かぞいろの御心にかなはず。「の国にいね」との給ふ。この三柱みはしら男神をがみにてまします。よりて一女三男いちによさんなんと申す也。すべてあらゆる神みな二神の 所生しよしやうにましませど、国のあるじたるべしとて給いしかば、ことさらにこのよはしら神を申し伝えけるにこそ。

 その後
火神ひのかみ 軻倶突智かくつちましましし時、 陰神めがみやかれて神退かんさり給いにき。陽神をがみうらみいかりて、火神を 三段みきだにきる。その三段おのおの神となる。血のしたゝりもそゝいで神となれり。経津主ふつぬしの神、斎主いはひぬしの神とも申す。今の檝取かとりの神〉健甕槌たけみかづちの武雷たけみかづちの神とも申す。今の鹿嶋かしまの神のみおや也。

 
陽神猶したひて 黄泉よみのくにまでおはしましてさまざまのちかひありき。陰神うらみて「この国の人を一日ひとひ千頭ちがしら殺すべし」との給ひければ、陽神は「千五百頭ちいほがしらべし」との給ひけり。よりて 百姓ひやくしやうをば あめ益人ますびとともふ。しぬるものよりも生ずるものおほき也。陽神かへり給て、日向ひむか小戸をど河檍かはあはぎが原と云う所にてみそぎし給う。この時あまたの神化生けしやうし玉へり。日月ひつきの神もこゝにて生まれ給と云う説あり。伊弉諾尊神功かむことすでにをはりければ、天上にのぼり、天祖に 報命かへりごと申して、天にとゞまり給けりとぞ。ある説に伊弉諾・伊弉冊は 梵語ぼんごなり、 伊舎那天いしやなてん 伊舎那后いしやなくうなりとふ。

  地神ちじん第一代、 大日孁おほひるめの尊。これを天照太神あまてらすおほみかみと申す。又は 日神ひのかみとも皇祖すめみおやとも申す也。この神のまれ給うことみつの説あり。 ひとつには伊弉諾・伊弉冊尊あひはからひて、天下あめのしたあるじをうまざらんやとて、 、日神をうみ、次に、月神つきのかみ 蛭子ひるこ 、素戔烏尊を 給えりといへり。又は伊弉諾の尊、左の御手に 白銅ますみの鏡をとりて大日孁の尊を化生けしやうし、 御手にとりて 月弓つきゆみの尊を御首みかうべをめぐらしてかへりみ給いしあひだに、素戔烏尊をともいへり。又伊弉諾尊日向の小戸の川にてみそぎし給いし時、左の御眼みめをあらひて天照太神を化生し、右の御眼をあらひて月読つきよみの尊をしやうじ 鼻を あらひて素戔烏尊を しやうじ給うとも云ふ。日月ひつきの神の御名みなみつあり、化生の所もみつあれば、凡慮ぼんりよはかりがたし。又おはします所も、 ひとつには 高天たかまの原とふたつには日の小宮わかみやみつには 我日本わがやまとの国これ也。八咫やたの御鏡をとらせましまして、「われをみるが如くにせよ」とみことのりし給いけること、和光わくわうの御誓もあらはれて、ことさらに道あるべければ、 三所みところに勝劣の義をば存ずべからざるにや。

 ここに、素戔烏尊、父母かぞいろ ふたはしらの神にやらはれて国にくだり給へりしが、天上にまうでゝ姉の尊にみえたてまつりて、「ひたぶるにいなん」と申し給いければ、「ゆるしつ」との給う。よりて天上にのぼります。大うみとゞろき、山をかなりほえき。この神のさがたけきがしからしむるになむ。天照太神おどろきましまして、つはもののそなへをして給う。かの尊きたなき心なきよしをおこたり給ふ。「さらば 誓約うけひをなして、きよきか、きたなきかをしるべし。誓約のなかに女を生ぜば、きたなき心なるべし。男を生ぜば、きよき心ならん」とて、素戔烏尊のたてまつられける八坂瓊やさかにの玉をとり給へりしかば、その玉に感じて男神をがみ化生し給う。すさのをの尊 よろこびて、「まさやあれかちぬ」との給ける。よりて御名を 正哉吾勝々まさやあかつかつ速日天はやひあめ忍穂耳おしほみみの尊と申す。これは古語拾遺の説。又の説には、素戔烏尊、天照太神の御くびにかけ給へる御統みすまる瓊玉にのたまをこひとりて、あめ真名井まなゐにふりすゝぎ、これをかみ給ひしかば、吾勝あかつの尊うまれまします。

 
その後猶四はしらの男神まれ給う。「物のさねわが物なれば我子なり」とて天照太神の御子になし給うといへりこれは日本紀の一説。この吾勝尊をば太神めぐしとおぼして、つねに御わきもとにすゑ給いしかば、腋子わきこふ。今の世にをさなき子をわかこと云うはひが事也。かくて、すさのをの尊なほ天上にましけるが、様々のとがをゝかし給いき。天照太神怒りて、天の石窟いはやにこもり給う。国のうちとこやみになりて、昼夜のわきまへなかりき。諸々の神達うれへなげき給う。その時諸神しよじん上首じやうしゆにて高皇産霊たかみむすひの尊とふ神ましましき。昔、天御中主あめのみなかぬしの尊、み柱の御子おはします。をさを高皇産霊とも、次をば神皇産霊かみむすひ、次を 津速産霊つはやむすひと云うとみえたり。 陰陽二神いんやうにじんこそはじめて諸神をしやうじ給いしに、ぢき天御中主あめのみなかぬしの御子と云ことおぼつかなし。このみ柱を天御中主の御こと云う事は日本紀にはみえず。古語拾遺にあり。この神、あめのやすかはのほとりにして、八百万やほよろづの神をつどへて相し給う。その御子に思兼おもひかねと云う神のたばかりにより、石凝姥いしこりどめと云う神をして日神の御形みかたちの鏡を鋳せしむ。そのはじめなりたりし鏡、諸神の心にあはず紀伊きの 日前ひのくまの神にます。次に鋳給へる鏡うるはしくましましければ、諸神よろこびあがめ給う初めは皇居にましましき。今は伊勢国の五十鈴の宮にいつかれ、これなり。又天の 明玉あかるたまの神をして、八坂瓊の玉をつくらしめ、天の日鷲ひわしの神をして、青幣白幣あをにぎてしらにぎてをつくらしめ、手置帆負たをきほをい彦狭知ひこさしりの二神をして、大峡小峡おほかいをかひをきりてみづ殿みやらかをつくらしむこのほかくさぐさあれどしるさず。その物すでにそなはりにしかば、天の かご山の五百箇いほつ 真賢木まさかきをねこじにして、上枝かみつえには八坂瓊の玉をとりかけ、 中枝なかつえには八咫の鏡をとりかけ、下枝しもつえには青和幣・白和幣をとりかけ、天の太玉の命 〈高皇産霊神の子なり〉をしてさゝげもたらしむ。天の児屋こやねの命 〈津速産霊の子、或は孫とも。 興台産霊こことむすひの神の子也〉をして 祈祷きたうせしむ。天の鈿目うずめの命、真辟まさき かづらをかづらにし、 蘿葛ひかげのかづら 手襁たすきにし、竹の葉、 飫憇木おけのきの葉を 手草たぐさにし、差鐸さなぎの矛をもちて、石窟いはやの前にして 俳優わざをぎをして、相ともにうたひまふ。又 庭燎にはひをあきらかにし、常世とこよ 長鳴鳥ながなきどりをつどへて、たがひにながなきせしむこれはみな神楽かぐらおこりなり。天照太神きこしめして、われこのごろ石窟にかくれをり。 葦原あしはら 中国なかつくにはとこやみならん。いか[ん]ぞ、天の鈿女の命かくゑらぐするやとおぼして、御手をもてほそめにあけてみ給う。この時に、 天手力雄あめのたぢからをの命と云う神 〈思兼の神の子〉 磐戸いはとのわきに給しが、その戸をひきあけて 新殿にひどのにうつしたてまつる。中臣なかとみの神 〈天児屋命なり〉 忌部いむべの神 〈天の太玉の命也〉しりくへなはを 〈日本紀には端出之縄とかけり。注には ひだり縄の はし いだせるとふ。古語拾遺には日御縄ひのみなはとかく。これ日影ひかげかたちなりといふ〉ひきめぐらして「なかへりましそ」と申す。上天しやうてんはじめてはれて、諸々ともに相見あひみるおもてみなあきらかにしろし。手をのべて哥舞うたひまひて、「あはれ 〈天のあきらかなるなり〉。あな、おもしろ 〈古語に いと せつなるをみなあなとふ。 面白おもしろ、諸々のおもて あきらかに白き也。あな、たのし。あな、さやけ 〈竹のはのこゑ〉。おけ 〈木の名也。 そのはをふるこゑ也。天の鈿目の持給へる手草也」。

 
かくて、罪を素戔烏の尊によせて、おほするに千座ちくら置戸をきどをもてかうべのかみ、手足のつめをぬきてあがはしめ、その罪をはらひて神やらひにやらはれき。かの尊あめよりくだりて、出雲いづも川上かはかみと云う所にいたり給う。そのところひとりのおきなとうばとあり。 ひとりのをとめをすゑてかきなでつゝなきけり。素戔烏尊「たそ」とゝひ給ふ。「我はこれ国神くにつかみ也。 脚摩乳あしなつち 手摩乳たなつちふ。このをとめはわが子なり。奇稲田姫くしいなだひめふ。先に八けの少女をとめあり。としごとに八岐やまた大蛇をろちのためにのまれき。今これをとめ又のまれなんとす」と申しければ、尊、「我にくれんや」との給う。「みことのりのまゝにたてまつる」と申しければ、このをとめを 湯津ゆつのつまぐしにとりなし、みづらにさし、やしほをりの酒をやつふねにもりて給うに、はたしてかの大蛇きたれり。かしら)各々ひとつの槽にてのみゑひてねぶりけるを、尊はかせる 十握とつかつるぎを抜きてつだつだにきりつ。尾にいたりて剣のすこしかけぬ。さきてみ給へば ひとつの剣あり。その上に雲気うんきありければ、天の叢雲むらくもの剣とく。日本武やまとたけの尊にいたりてあらためて草なぎの剣とふ。それより熱田社あつたのやしろにます。「これあやしきつるぎなり。われ、なぞ、あへて私におけらんや」との給いて、天照太神にたてまつり あげられにけり。そののち出雲の すがの地にいたり、宮をたてゝ、稲田姫とすみ給う。

 
大己貴あなむち
の神を大汝おほなむちとも云う。ましめて、素戔烏尊はつひに根の国にいでましぬ。大汝の神、この国にとゞまりて〈今の出雲の大神にます〉 天下あめのした 経営し、葦原あしはらの地をりやうじ給いけり。よりてこれを大国主の神とも大物主おほものぬしとも申す。その幸魂さきたまくしたま)は大和の三輪みわの神にます。

 ○第二代、 正哉吾勝々まさやあかつ速日天忍穂耳はやひあまのをしほみみの尊。高皇産霊の尊の むすめ栲幡千々姫たくはたちぢひめの命にあひて、饒速日にぎはやひの尊・ 瓊々杵ににぎの尊をうましめて、吾勝尊葦原中州あしはらのなかつくににくだりますべかりしを、御子うみ給しかば、「かれを下すべし」と申し給いて、天上にとゞまります。まづ、饒速日の尊をくだし給し時、外祖ぐわいそ高皇産霊尊、十種とくさ瑞宝みづたから給う。瀛都をきつの辺津へつ鏡一つ、 八握やつか剣一つ、生玉いくたま一つ、死反しにかへり玉一つ、 足玉たるたま一つ、 道反みちがへしの玉一つ、蛇比礼へみのひれ一つ、はちの比礼一つ、 くさぐさもの比礼一つ、これなり。このみことはやく神さり給いにけり。国のあるじとてはくだし給はざりしにや。吾勝尊くだりべかりし時、天照太神三種さんじゆ神器じんぎへ給う。後に又瓊々杵尊にもましまししに、饒速日尊はこれをえ給はず。しかれば日嗣の神にはましまさぬなるべし。この事旧事本紀の説也。日本紀にはみえず。天照太神・吾勝尊は天上にとどまり給へど、地神ちじんの第一、二に数へたてまつる。その天下あめのしたあるじたるべしとてうまれ給いしゆゑにや。
 ○第三代、天津彦々火瓊々杵あまつひこひこほににぎの尊。天孫あめみまとも皇孫すめみまとも申す。皇祖すめみおや天照太神・高皇産霊尊いつきめぐみましましき。葦原の中州のあるじとして天降あまくだし給はんとす。こゝにその国邪神あしきかみあれてたやすくくだり給いしことかたかりければ、天稚彦あめわかひこと云う神をくだしてみせしめ給いしに、 大汝おほなむちの神のむすめ下照姫したてるひめにとつぎて、かへりこと申さず。みとせになりぬ。よりて名なし きぎしをつかはしてみせられしを、天稚彦いころしつ。その矢天上にのぼりて太神の御まへにあり。血にぬれたりければ、あやめ給いて、なげくだされしに、天稚彦 新嘗にひなめしてふせりけるむねにあたりて死す。世に返し矢をいむはこの故也。さらに又くださるべき神をえらばれし時、経津主ふつぬしの命 〈 檝取かとりの神にます〉武甕槌たけみかづちの神 〈 鹿嶋かしまの神にます〉みことのりをうけてくだりましけり。 出雲国にいたり、はかせる剣をぬきて、地につきたて、その上にゐて、大汝の神に太神のみことのりをつげしらしむ。その子都波八重事代主つみはやへことしろぬしの神 〈今、葛木かづらきかもにます〉あひともにしたがい申す。又次の子健御名方刀美たけみなかたとみの神 〈今、陬方すはの神にます〉したがはずして、逃げ給いしを、すはのみづうみまで追ひて攻められしかば、又従ひぬ。

 かくて諸々の
あしき神をばつみなへ、まつろへるをばほめて、天上にのぼりて かへりこと申し給う。大物主の神 〈大汝の神はこの国をさり、やがてかくれ給いしと見ゆ。この大物主はさきに云う所の三輪の神にますなるべし〉事代主の神、相共に八十万やそよろづの神をひきゐて、あめにまうづ。太神ことにほめ給き。「よろしく八十万の神をりやうじて皇孫をまぼりまつれ」とて、 かへしくだし給いけり。その後、天照太神、高皇産霊尊相はからひて皇孫をくだし給う。八百万やほよろづの神、みことのりうけたまはりて御供につかうまつる。諸神の上首じやうしゆ三十二神あり。その五部いつとものをの神と云うは、 天児屋あまのこやねの 〈中臣のおや〉、天太玉ふとたまの 〈忌部の祖〉、天鈿女うづめの 猨女さるめの祖〉、石凝姥いしこりどめの命 〈鏡の祖〉 、玉屋たまのやの命 〈 玉作の祖〉也。この中にも中臣・忌部の ふたはしらの神はむねと神勅をうけて皇孫をたすけまぼり給う。又三種みくさ神宝かむたからをさづけまします。あらかじめ、皇孫にみことのりしてのたまはく、「葦原千五百秋之瑞穂国あしはらのちいほあきのみづほのくには これ吾子孫わがうみのこの 可主之きみたるべき ところ也なり]。宜爾皇孫就而治いましすめみまついてしらすべし焉。 行給矣さきくゆきたまへ 宝祚之あまつひつぎの さかえまさむこと 当与天壌無窮者矣まさにあめつちときはまりなかるべし」。又太神御手に宝鏡をもち、皇孫にさづけ ほきて、「 吾児わがこ 視此宝鏡このたからのかがみをみること 当猶視吾まさになをしわれをみるがごとくすべし可与同床共殿以為斎鏡ともにゆかをおなじくしみあらかをひとつにしていはひのかがみとすべし」との給う。八坂瓊の曲玉まがたま・天の叢雲の剣をくはへて三種とす。又「この鏡の 分明ふんみやうなるをもて、 天下あめのした照臨せうりんし給へ。八坂瓊のひろがれるが如く曲妙たくみなるわざをもて天下をしろしめせ。神剣をひきさげては 不順まつろはざるものをたひらげ」と みことのりましましけるとぞ。

 この国の神霊として、皇統一種たゞしくまします事、まことにこれらのみことのりにみえたり。三種の神器世にふること、日月星ひつきほし あめにあるに同じ。鏡は日のたいなり。玉は月の也。剣は星の也。深き習いあるべきにや。そもそも、彼の宝鏡は先にしるしはべる石凝姥いしこりどめの命の給へりし八咫の御鏡〈八咫に口伝あり〉、〔裏書にふ。咫説文ふ。中婦人手長八寸謂之咫。周尺也。、今の八咫の鏡[の]事は口伝あり〕玉は八坂瓊の曲玉、々屋の命 〈天明あめのあかる玉とも云う〉給へるなり八坂にも口伝あり。剣はすさのをの命のえ給いて、太神にたてまつられし叢雲むらくもの剣也。この三種につきたる神勅しんちよくまさしく国をたもちますべき道なるべし。鏡は 一物いちもつをたくはへず。わたくしの心なくして、万象を照らすに是非善悪の姿あらはれずと云うことなし。その姿に従ひて感応かんおうするを徳とす。これ正直しやうぢきの本源なり。玉は柔和善順にうわぜんじゆんを徳とす。慈悲の本源也。剣は剛利決断を徳とす。智恵の本源也。この三徳を翕受あはせうけずしては、天下あめのしたのをさまらんことまことにかたかるべし。

 
神勅しんちよく
あきらかにして、 ことばつゞまやかにむねひろし。あまさへ神器にあらはれ給へり。いとかたじけなき事をや。にも鏡をもととし、宗廟そうべう正体とあふがれ給う。鏡はめいをかたちとせり。心性しんしやうあきらかなれば、慈悲決断はそのうちにあり。又まさし 御影みかげをうつし給いしかば、深き御心をとゞめ給けんかし。あめにある物、日月ひつきよりあきらかなるはなし。よりて文字もんじを制するにも「日月を明とす」と云へり。我が神、大日だいにち みたまにましませば、明徳をもて照臨し給うこと陰陽におきてはかりがたし。冥顕みやうけんにつきてたのみあり。君もも神明の光胤くわういんをうけ、或るいはまさしくみことのりをうけし神達の苗裔べうえい也。誰かこれをあふぎたてまつらざるべき。このことわりをさとり、その道にたがはずは、内外典ないげてんの学問もこゝにきはまるべきにこそ。されど、この道のひろまるべき事は内外典流布るふの力なりと云うべし。魚をうることは一目いちもくによるなれど、衆目の力なければ是をうることかたきが如し。応神天皇の御代より儒書をひろめられ、聖徳太子の御時より、釈教しやくけうをさかりにし給し、これ皆な権化ごんげ神聖かみにましませば、天照太神の御心をうけて我国の道をひろめふかくし給うなるべし。

 かくてこの瓊々杵の尊、
天降あまくだりましゝに 猨田彦さるだびこと云う神まゐりあひき〈これはちまたの神也〉。てりかゝやきて目をあはする神なかりしに、天の鈿目の神ゆきあひぬ。又「皇孫いづくにかいたりましますべき」と問しかば、「筑紫の日向の高千穂の槵触くしふるたけにましますべし。われは伊勢の五十鈴の川上にいたるべし」と。彼神ののまゝに、槵触の峯にあまくだりて、しづまり給べき所をもとめられしに、事勝ことかつ 国勝くにかつと云う神 〈これも伊弉諾尊の御子、又は 塩土しほつちおきなと云う〉まいりて、「わがゐたる 吾田あた長狭ながさ御崎みさきなんよろしかるべし」と申しければ、その所にすませ給いけり。こゝに山の神大山祇おほやまつみふたりむすめあり。姉を磐長姫いわながひめと云う 〈これ磐石ばんじやくの神なり〉、妹を花開耶はなのさくや姫と云う 〈これは花木の神なり〉。二人をめしみ。姉はかたちみにくかりければ返しつ。妹をとどめ給しに、磐長姫恨み怒りて、「我をもめさましかば、世の人は命ながくて磐石の如くあらまし。たゞ妹をめしたれば、うめらん子はの花の如く散り落ちなむ」ととこひけるによりて、人の命は短くなれりとぞ。木の花のさくやひめ、ゝされて 一夜ひとよにはらみぬ。天孫のあやめ給いければ、はらたちて無戸室うつむろをつくりてこもりゐて、自ら火を放ちしに、三人みたりの御子生まれ給。ほのほのおこりける時、 まれますを 火闌降ほのすせりの命とふ。火のさかりなりしに生ますを火明ほあかりの命とふ。のちに生ますを火火出見ほほでみの尊と。この三人の御子をば火もやかず、母の神もそこなはれ給はず。父の神よろこびましましけり。この尊天下あめのした給いし事三十万八千五百三十三年と云へり。 自是これよりさき、天上にとゞまります神達の御事は年序ねんじよはかりがたきにや。天地あめつちわかれしより以来このかたのこと、いくとせをへたりと云こともみえたるふみなし。そもそも、天竺の説に、 人寿にんじゆ無量なりしが八万四千歳になり、それより百年に一年を減じて百二十歳の時 〈或るいは百才とも〉釈迦仏る、この仏出世は 鸕鶿草葺不合うがやふきあへずの尊のすゑざまの事なれば 〈神武天皇元年辛酉かのととり仏滅後ぶつめつののち二百九十年にあたる。これより上はかぞふべき也〉、百年に一年を増してこれをはかるに、この瓊々杵の尊のつかたは迦葉仏かせふぶついで給ひける時にやあたり侍らん。人寿二万歳の時、この仏は出給いけりとぞ。

 ○第四代、 彦火々出見ひこほほでみの尊と御兄このかみ闌降すせりの命、海のさちます。この尊は山のさちましけり。こゝろみに相かへ給いしに、 おのおの)そのさちなかりき。おととの尊の、弓箭ゆみやに魚の釣鉤つりばりをかえ給へりしを、弓箭をばつ。おとゝの尊鉤つりばりを魚にくはれて失ひ給けるを、あながちにせめ給しに、せんすべなくて 海辺うみべにさまよひ給いき。塩土のおきな〈この神の事さきにみゆ〉まゐりあひて、あはれみ申して、はかりことをめぐらして、海神綿積うみのかみわたつみの命 〈 小童せうとうともかけり〉の所におくりつ。そのむすめを豊玉姫とふ。天神あまつかみの御孫にめでたてまつりて、父の神につげてとゞめ申つ。つひにそのむすめとあひすみ。みとせばかりありて故郷もとつくにをおぼす御気色みけしきありければ、その女父にいひあはせてかへしたてまつる。大小おほきちひさきいろくづをつどへてとひけるに、口女くちめと云ううを、やまひありとてみえず。しひてめしいづれば、そのくち はれたり。これをさぐりしに、うせにし鉤をさぐりいづ〈 ひとには赤女あかめ ふ。又この魚はなよしと云う魚とみえたり〉。海神うみのかみいましめて、「口女いまよりつりくふな。又天孫あめみまおものにまゐるな」となん云いふくめける。

 又海神ひる珠みつ珠をたてまつりて、
このかみを従へ給うべきかたちををしへ申しけり。さて故郷もとつくににかへりまして鉤をかへしつ。満珠みつたまをいだしてねぎ給へば、塩みちきて、この神おぼれぬ。悩まされて、「俳優わざをぎたみとならん」と誓ひ給いしかば、ひる珠をもちて塩を退け給いき。これより天日嗣あまつひつぎを伝へましましける。海中にて豊玉姫はらみ給しかば、「産期うみがつきに至らば、海辺うみべ産屋うぶやて待ち給へ」と申しき。はたしてそのいも玉依たまより姫をひきゐて、海辺にゆきあひぬ。を作りて鸕鶿にてふかれしが、ふきもあへず、御子生まれ給いしによりて鸕鶿草葺不合うがやふきあへずの尊と申す。又産屋をうぶやと云う事もうのはを葺(ふ)けるゆゑなりとなん。さても「うみの時み給うな」と契り申しを、のぞきて見ましければ、りようになりぬ。はぢうらみて、「我にはぢみせ給はずは、 海陸うみくがをして相かよはしへだつることなからまし」とて、御子を捨ておきて海中へかへりぬ。後に御子のきらきらしくましますことをきゝて憐みあがめて、妹の玉依姫を奉て養ひまゐらせけるとぞ。この尊、天下を治給こと六十三万七千八百九十二年と云へり。

 震旦の世の
はじめをいへるに、万物ばんぶつ混然としてあひはなれず。これを混沌こんとんふ。その後かろ物は てんとなり、にごれる物はとなり、中和気くわのきじんとなる。これを三才さんさいと云う。これまでは我国のりを云うにかはらざる也。そのはじめの君盤古ばんこ氏、天下ををさむること一万八千年。天皇てんくわう・地皇・人皇など云う王相続あひつぎ て、九十一代一百八万二千七百六十年。さきにあはせて一百十万七百六十年〈これ一説なり。 まことにはあきらかならず〉。広雅くわうがと云う書には、開闢より獲麟くわくりんて二百七十六万歳ともふ。獲麟とは孔子の在世ざいせの哀公の時なり。日本の懿徳いとくにあたる。しからば、盤古のはじめはこの尊の御代のすゑつかたにあたるべきにや。
 ○第五代、彦波激武鸕鶿草葺不合ひこなぎさたけうがやふきあへずの尊と。御母豊玉姫の名づけ申しける御名なり。御をば玉依姫にとつぎて)柱の御子をうましめ給ふ。彦五瀬ひこゐつせの命、稲飯いなひの命、三毛入野みけいりのゝ命、日本磐余彦やまといわれひこの尊と申す。磐余彦尊を太子に立てて天日嗣あまつひつぎをなんつがしめましましける。この神の御代七十七万余年の程にや、もろこしの三皇の初、伏犠ふくきと云う王あり。神農しんのう氏、軒轅けんゑん氏、三代あはせて五万八千四百四十年〈一説には一万六千八百二十七年。しからばこの尊の八十万余の年にあたる也。親経ちかつねの中納言の新古今の序をに、伏犠の皇徳にもとゐして四十万年と云えり。いづれの説によれるにか。無覚束おぼつかなきこと。その後に少昊せうこう氏、顓頊せんぎよく氏、高辛かうしん氏、陶唐たうたう 氏〈堯也〉、有虞いうぐ氏〈舜也〉と云う五帝あり。あはせて四百三十二年。

 その
いん しうの三代あり。夏には十七主、四百三十二年。殷には三十主、六百二十九年。周の代とて第四代のを昭王と云き。その二十六年甲寅きのえとらの年までは周おこりて一百二十年。この年は葺不合尊の八十三万五千六百六十七年にあたれり。今年、天竺に釈迦仏出世しまします。 き八十三万五千七百五十三年に、ほとけ御年八十にて入滅しましましけり。もろこしには昭王の子、ぼく王の五十三年 壬甲みづのえさるにあたれり。その後二百八十九年ありて、 庚申かのえさるにあたる年、この神かくれさせまします。すべて天下を治め給うこと八十三万六千四十三年と云えり。これよりかみつかたを地神ちじん五代とは申しけり。二代は天上にとゞまりしも三代は西のくにの宮にて多の年をおくりまします。神代のことなれば、その行迹かうせきたしかならず。葺不合の尊八十三万余年ましまししに、その御子磐余彦尊の御代より、にはかに人王にんわうとなりて、暦数れきすうも短くなりにけること疑ふ人もあるべきにや。されど、神道の事おしてはかりがたし。まことに磐長姫の とこひけるまゝ寿命も短くなりしかば、神のふるまひにもかはりて、やがて人の代となりぬるか。天竺の説の如く次第ありてげんじたりとはみえず。又百王ましますべしと申める。十々の百にはあらざるべし。きはまりなきを百とも云へり。百官百姓ひやくくわんひやくしやうなど云うにてしるべき也。昔、皇祖天照太神天孫の尊に御ことのりせしに、「宝祚之あまつひつぎのんなること当与天壌無窮まさにあめつちときはまりなかるべし」とあり。天地も昔にかはらず。日月も光をあらためず。いはんや三種の神器世に現在し給へり。きはまりあるべからざるは我国を宝祚はうそ也。あふぎてた[つ]とびたてまつるべきは日嗣をうけ給すべらぎになんおはします。




(私論.私見)