れんだいこの古史古伝考

 更新日/2018(平成30).5.28日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 いわゆる「古史古伝」をどう読むか。現代史学の通説は、古代史上、神武天皇でさえその実在性を認めない立場から、ましてやそれ以前の神代をやとしている。他方、記紀、先代旧事本紀、古史古伝のメッセージ性に注目し、古代史上の何らかの暗示として積極的に受け止めようとする立場もある。

 れんだいこは後者派であり、記紀神話に明らかにされている天地創造譚、皇統譜の究明は無論のこととして、更にそれらとは別系の歴史記述を知ることにより思案を深めたいと思っている。この観で見れば、宮下文書、竹内文書、秀真伝等々の「古史古伝」はなかなか味わい深く、記紀的日本神話の奥に潜む謎を解き明かすキーワードに触れることも少なくない。

 もう一つ、思想的に見て古神道的世界を伝授しており、この面からも学ぶに値しよう。「自然との共存」を可能にし、他の宗教、人種、民族とも共存出来る「和」の思想がある、と云われている。竹内家は、「天神地祗八百万神」を祭神とする「古神道本庁」を設立しているほどである。「古神道本庁の神道ルネッサンス運動により、民族宗教神道は、世界宗教の根源たる古神道に甦る」と述べられている。

 但し、「古史古伝」には共通して、原書の記述部分と後世の転写過程での補充部分があると見られる。これを選り分け、時代迎合的な補充部分を却下せねばならないと考える。原書の記述に於いてなるほどと思われる「民族伝承」部分を抽出して日本神話考の中に取り入れればならないと考えている。そうすることにより記紀神話が一層正確に理解しえると思えるからである。

 従って、全文を讃美的に秘史扱いするのも徒な偽書扱いするのも間違いであると考える。この作法は「シオンの議定書論」、「ナチスのホロコースト論」にも共通する。つまり古くて新しい命題であると考える。以下、これを検証する。

 2008.4.13日 れんだいこ拝


【古史古伝の名称の由来と検証の意義考】
 1970年代、古代史研究家の吾郷清彦氏が、「日本超古代秘史研究原典」その他で、神代を記述する古文書を分類し、神代文字に関する伝承を部分的に含むものを「古史」、全文が神代文字で書かれたものを「古伝」と呼称した。この名称が妥当かどうか、逆に全文神代文字古文書を「古史」、部分神代文字古文書を「古伝」と命名する方が相応しいのではなかろうかと疑問する余地も残るが、神代記述古文書をかく位置づけた功績は大きい。後に、古代史研究家の佐治芳彦氏が、吾郷氏の分類法を継承しつつ、「古史」や「古伝」を一括して「古史古伝」の総称で括り、記紀前の歴史文書とする観点を打ち出した。その後、偽書論争が喧騒し、「古史古伝」の意義が薄められて今日に至っている。

 れんだいこは、「古史古伝」を再検証する必要を感じている。なぜなら、記紀の神代史記述が大和王朝を正統づける狙いで編纂されており、記紀神話だけでは、幾ら精緻に研究しようとも必ずしも神代史が解明されないと心得るからである。記紀神話に代わる「古史古伝神話」をも比較対照することによってこそ神代史の実相が見えてくると確信するからである。もとより「古史古伝」の正確さには疑いがあるところである。後世の創作の余地もあるし、転写過程での誤写、改竄も考えられよう。しかしながら、そのことをもって「古史古伝」の記述全体を偽作視するのも早計ではなかろうか。望まれている学的態度は、「古史古伝」を記紀との比較対照を通じて、神代史に光を当てることではなかろうか。

 そういう意味で、単なる偽書論争は却って有害でしかないと思う。問題は、排斥すべき記述と耳を傾けるべき記述をふるいにかけ、記紀の不足を補い、或いは記紀の政治主義的記述を訂正することではなかろうか。即ち、「古史古伝」を排斥するのではなく、「古史古伝」に分け入るべきではなかろうか。偽書論争でもって排斥するのは学的態度ではなかろう。この平凡なことが理解されないのはアサマシイ話である。

 れんだいこの仕分けによると、「古史古伝」は、記紀と独立して記述されている別書と、記紀を補足して記述されている補書と、記紀に対抗して記述されている抗書の三書に分類できるように思われる。別書、補書、抗書の三書のうち特に意義深いのが抗書であるように思われる。これは、記紀神話に記述されている国譲りを廻って、記紀神話が国譲りさせた側の正統史となっており、抗書が国譲りさせられた側の鬱憤史となっていることで際立つ差異となっている。もとより、抗書も一様ではなく、書かれた立場の違いにより様々な記述になっている。何度も書き直されており、その過程で改竄されている恐れもあり、どこまでが原書であるのかの吟味が為し難い。それでも分け入るに価値ある古文書ではなかろうかと思っている。

 それを思えば、偽書論争で鬼の首を取ったかのように勝ち誇り、「古史古伝」を単に排斥して事足れりとする陣営には与し難い。「古史古伝」研究は緒についたばかりであり、大いに分け入り、日本神代史、古代史の扉を開けるべきである。これを、れんだいこの「古史古伝」論とする。

 2010.12.31日 れんだいこ拝

【古史古伝研究の意義考】
 古史古伝研究が何故に必要なのか。それは記紀だけでは日本古代史の解明ができないからである。確かに、古史古伝は玉石混交かも知れない。しかし、石の中から玉を探し出す営為があっても良かろう。古史古伝偽書派のナンセンスは、石の部分を指摘して玉をも掬いだそうとしない姿勢にある。そういう非学的態度が学究的衣装の下で為されるので滑稽なことになっている。己の知能の低さを証しているのに、高く見せようとしているところがお笑いと云う訳である。

 古史古伝研究は、記紀絶対主義派に対する相対主義を主張しているところに意味がある。どちらが学問的であるかは自明であろう。然るに、絶対主義に陥るような非学的学問が権威をもって通用させられている。これを訝らない知能のお粗末さを如何せんか。

 それはともかく、次の一文を見つけたので引用しておく。何がしか参考になろう。
 「歴史学者は『記紀』に書かれていることがらと神社伝承、古墳や遺跡の発掘調査を元にするのというのが一般的になっている。ただ『記紀』には神話的な要素も多々ある上に、それが編纂された背景もあるので、どこまでを何らかの歴史的事実を反映していると見なすか、あるいき虚構と見なすかで推論は大きく分かれる。さらに、『記紀』以外の、偽書とされている『先代旧事本紀』などの歴史的書物に書かれていることがらをどこまで認めるかで、議論は大きく異なったものとなる。こういうこともあり、プロの歴史学者から在野の歴史研究家まで百家争鳴の様を呈しているのが現状である。ミステリーを解読していくという面白さがあるので、邪馬台国の所在地同様、多くの一般の方が興味を持たれている分野でもある」(坂本政道著「ベールを脱いだ日本古代史」190P)。

 れんだいこが補足しておけば、日本古代史、更に以前の日本古古代史を解くのに実証的な研究は欠かせない。但し、それも限界があり、最終的には実証的な研究を踏まえた上で霊能的な読み取りが必要になる。これをズバリ云うと霊能的な研究が欠かせないと云うことになる。霊能的な研究をすれば解けると云うものでもない。霊能的な研究によっても百家争鳴が免れない。その上で、最終的には市場原理に似た神の手で読み解きして行く以外にない。日本古代史、日本古古代史の研究とはそういうものであるとする認識が欲しい。と云うことになる。

 2012.8.1日 れんだいこ拝

【古史古伝と記紀とその他史書との相関考】
 「古史古伝と記紀とその他史書との相関」につき思いかけぬところからヒントを得た。古史古伝と云っても何のことか分からぬ者が多かろうが、要するに記紀以外の古代史記述史書のことを云う。記紀以外の古代史記述史書が記紀よりも前に存在していたのか、記紀後に登場したのか、或いはずっと後年の江戸時代に入って編纂されたものであるのか、ここではそれは問わない。確認すべきは、記紀以外にも古代史書が現に存在すると云うことである。

 この古史古伝を廻るこれまでの学的態度は、歴史真実に照らして古史古伝と記紀とその他史書のうち依拠すべきはどれかと云う、いわば収縮型の論で喧争して来た。この学的態度は、記紀を廻っても喧争されている。そういうレベルからそろそろ卒業しても良いのではなかろうか。むしろ、それぞれの史書の置かれている政治的立場を推理して、その差による記述及び構図の違いとして、それぞれの史書の価値と政治的役割を認めた研究に向かっても良いのではなかろうか。この学的態度をもってしても基準から漏れるものを却下し、基準以上のものにつき記述及び構図の違いの由来を求めることこそ必要な営為なのではなかろうか。この謂いは、世の偽書説派を撃つ論である。

 れんだいこが、こういう観点を閃かせたのは、2011.3.11の福島原発事故に伴う調査報告書数典によってである。調査報告書は最低でも、1・民間、2・国会、3・政府、4・東電の4典認められる。他にも原発委員会のもの、自治体のもの等々を加えると数十典に上るであろう。これについては「福島原発事故調査報告書考」で確認する。興味深いことに、調査報告委員会の置かれた政治的な立場により報告書の内容に差異が認められることである。本稿はこれを検討するものではないので轄愛するが、確認すべきは、同じ対象を廻ってかくも調査報告が違うと云うことである。

 これを見て、「古史古伝と記紀とその他史書との相関」に思いが馳せた。古史古伝と記紀とその他史書も又、編集者の置かれた政治的な立場により記述と構図が異なっていると云う可能性があるのではないかと。してみれば、古史古伝と記紀とその他史書の研究は、各記述の精査もさることながら、それぞれの史書の政治的背景が研究されねばならないのではなかろうか。こう向かうのが学的態度であるべきところ、学的権威者が、その権威肩書で、古史古伝を偽書と決めつけ、検証に入る前に玄関で門前払い食わせると云うチンケな態度をひけらかし、その他大勢の学者がこれに追従すると云う非学問的態度が通用している。オカシなことではなかろうか。これは学問態度の質に関わる問題である。

 よしんば古史古伝を却下するにせよ、微に入り細に入り記述検証して後のことであろう。このことは世に実書説、偽書説の飛び交う現場に共通して言えることである。残念なことに、高名な学者が登場し、れんだいこから見て実書であるものを偽書呼ばわりし、偽書とおぼしきものを逆に実書として喧伝すると云う転倒した論陣を張り、それが通用すると云うイカガワシイ学的態度が横行している。この態度が何に由来するのか、これを探ることも興味深いが、ここでは問わない。ここで問うのは、古史古伝と記紀とその他史書との相関である。古史古伝は記紀、その他史書と切り離して論評されるべきではなく、記紀、その他史書の記述、構図との比較対照の中で論ぜられるべきである。これが古史古伝研究の学的態度となるべきである。こう構えると研究が殆ど緒に就いたばかりと云うお粗末な段階にある。このことを指摘しておく。

 2011.3.11の福島原発事故に伴う調査報告書各典がかく閃かせたのであるが、歴史は繰り返すと云う意味であながち的外れではなかろうと思っている。

 2012.8.5日 れんだいこ拝

 倉田佳典氏の1998 年 9 月 23 日付投稿「〃全世界〃から〃前世界〃へ■現代オカルト戦略と古史古伝
 別冊歴史読本 特別増刊14 「古史古伝」論争 新人物往来社 1993年

 新左翼の古代史観

 連合赤軍の敗北が一つの時代の終わりを確実なものにしつつあった一九七二年春、市井に引きこもり、自著の出版活動に専心する一人の老歴史家のもとに、分厚い速達が届けられた。速達の中身は、潜伏中の赤軍派幹部、梅内恒夫自筆の原稿(コピー)で、後に梅内論文と呼ばれるものだった。老歴史家とは、学会からエセ史論として無視され続けてきた、いわゆる意外史観でファンも多かった故・八切止夫その人である。

 さて、当の論文だが、正式タイトルは「共産主義者同盟赤軍派よリ日帝打倒を志すすべての人々へ」というもの。共産主義者同盟とは略して共産同、通常、BUND(ブント)とドイツ語で呼ばれる新左翼の一方の雄。このころは二期目に入っていて〃第二次ブント〃といわれていた。一九六○年代終わりの大学や高校、街頭その他で全共闘各派の先陣を切って石や火焔瓶を投げまくっていた彼ら第二次ブントの最左派が赤軍派だが、その国内地下組織は実は二っあった。よく知られる連合赤軍をやがて形成することになる故・森恒夫率いる主流派と、七一年ごろ、この主流派とたもとを分かつに至る梅内恒夫のグループがそれ。「共産主義者同盟赤軍派よりー」は、全六万字に上る長大なもので、その全文については.映画批評』七二年七月号、『査証』四号その他を、また、論文公開に至る経緯については八切『アラブの戦い』二九七四年、日本シェル出版)あたりに当たっていただくとして、ここでは梅内が八切史観に着目するに至ったポイントだけ記しておくことにしたい。

 この論文で梅内は、マルクス主義革命論が階級闘争の主力とみなした〃先進国プロレタリアート〃ではなく〃第三世界の窮民〃こそが世界革命戦争への道を切り開くとし、そこから日本という先進国内部の窮民の始原を求めて歴史をさかのぼり、八切止夫の先住日本人(日本原住民)説に行き着く。いわくー

 八切止夫は、部落民の差別の原点を大化改新に逆のぽっておく。彼は、中国と南鮮から高度の文明と武力を背景にして侵略してきた「漢人(あやぴと)」藤原氏との闘いに敗れ追放された先住日本人「蘇我の民」の末裔として、未解放部落民をとらえるのである。

 八切史観は実は、書かれた著作の時期によって、いっていることが目まぐるしく変わっており、読者が整合性ある通史を頭に描きにくい構造になっている。七四年に八切は三島敦雄の『天孫人種六千年史の研究』(一九二七年、スメル学会)を自説の都合のいいように改竄して『天皇アラブ渡来説』として発行、また、八一年には木村鷹太郎の『日本太古小史』(一九一三年、二松堂)を『海洋渡来日本史』としてやはり内容を一部改竄して「復刻」しているが、こうした仕事が影響してか、特に晩年は、スケールばかリが大きい半面、繊密さを著しく欠いたアバウトな筆致の著作が乱発されるようになる。例えば、『伝統と現代』(学燈牡版)六九年十一月号掲載の「叛逆論考」あたりを典型とする本来の八切説は、在野の史家、菊池

 図版 八切止夫を支持した「梅内論文」の原文

 山哉(さんや)の手になる〃別所〃や〃天の朝〃に関する諸著作をはじめ、江上波夫の騎馬民族日本征服王朝説、鈴木治の白村江戦をめぐる考証など、先に挙げた三島や木村といった戦前のパラノイアックな歴史捏造者たちの「研究」とは一線を画し、かつ史学中央の公認日本史とは相いれない硬質な諸学説を自在に操り、文字通り、現代日本を裏返す迫力があった。梅内が接した八切説も、当然このころのものである。

 梅内は八切を引いた手前、天皇家そのもののオリジン等に言及はしなかったが、彼の論文公表を機に「アイヌ」「琉球」などを軸とした第三世界論への関心とともに、当時の左派学生層の間に古代史熱が高まり、やがて、天皇家を外来とし、原住民的なるものの復権をもってこれを相対化する古代史観が彼らの間に広く滲透。五木寛之の『戒厳令の夜』なども、こうした流れの延長線上で同時代性を獲得、高い人気を博した。

 ところが、こうした、新左翼を中心に蔓延し始めた、やや結論のみを急ぎ過ぎたきらいのある、いささか脆弱な古代史感染症候群に、ある一つの立場からささやかなキックを与えることで、中長期的にみて何らかのイニシアティヴ獲得が可能とみた人物がいた。一つの立場とはポップ・オカルティズム、また、その人物とは後に八幡書店の社主となる武田洋一である。

 ポップ・オカルティストの戦略■

 武田は一九五○年、京都生まれ。東大法学部卒業後、東京海上火災に入社するが、すぐに退社。京都に戻り、〃フーリエル伯爵〃の名でタロット占い師に。その後、再び上京し、七○年代中期よりオカルト誌の編集等、出版界を主な舞台にした独自のオカルト統合戦略を画策、現在に至るーー。

 ここで挙げた「独自のオカルト統合戦略」とは、あらかじめ確定された目的に沿って、一方で表立った衛生無害なオカルト諸領域に深く参入、毒を振りまきつつ、他方で極めてハードな客観的情報を流し続ける、というもの。方法論的には、ジャック・べルジュとの共著「神秘学大全ーー魔術師が未来の扉を開く』の抄訳一九七五年、サイマル出版会)で日本でも知られるルイ・ポーウェルが切り開いたフランス新右翼の対大衆戦賂を踏襲する形でまず単発の刊行物、続いて雑誌媒体、さらにオーディオテープ、ヴィデオソフトなどを活用、周辺領域をも逐次フォローしつつ、文化と情報の分野における一定の影響力の行使を謀る。武田とそのエピゴーネンをしてポップ・オカルティストを自称せしめるゆえんがここにある。そして、こうした既定方針にのっとり、彼らが着手した活動の第一弾が、古代史論議への(あくまでポップでアンチ。アカデミックな形での)介入だった。

 武田は、七五年から翌七六年にかけて〃前衛考古学評論家・武内裕〃と称し、今はなき大陸書房から『日本のピラミッド』『日本の宇宙人遺跡』『日本のキリスト伝説』という三冊の本を出している。三冊ともに タイトルが〃日本の〃で始まっていることにまず注意を喚起したい。そこには、戦前のファナティックな国粋史学者が、あたかも祖国が時間的にも空間的にも実際の日本からは到底想定し難い遠隔の地点に起源をもち、あるいはそれらと関連するとした、いわゆる偽史にひかれていく〃日本的狂気の構造〃が意図的に復元されている。

 三冊の中で読むに堪え得るのは『日本のピラミッド』だけで(もちろん、タネ本は一九三一年、酒井勝軍(かつとき)が自ら主宰する国教宣明団から出した『太古日本のピラミッド』、後に武田自身、有賀龍太の名前で書いた『黙示録の大破局一九八○年、ごま書房)などとともに「概念塑型における時代性の先取りという点で卓越している」(『遊』一九八一年五月号)と自画自賛した著作。同書に直接インスパイアされ、七○年代後半、京大UFO研究会を母体に近代ピラミッド協会というサークルが発足、『ピラミッドの友』というハイレヴェルのオカルト誌を五号まで刊行した。この『ピラミッドの友』からは、さまざまな人物が輩出しており、特に名前は挙げないが、例えば本特集執筆者にもそのメンバーが一人ぐらいは含まれているはずだ。

 だが、『日本のピラミッド』は、こうした半ばアカデミックな研究者を育成するために書かれたものではもちろんない。ターゲットの中心はあくまで、七一年の全国全共闘解体後、自らのブランキズムのやり場を失い、梅内論文や第三世界論絡みで古代世界に沈潜し始めた個々の「イデオロ−グ」たちにあった。彼らはそもそも「全世界を獲得するために」政治に投機した者たちであって、本来、世界性を有するファナティックな超古代史のたぐいは接してみればお好みのはずで、オカルティストの術策にはまった者も少なくなかったのではないか。この時期の武田を「新左翼の尖兵」という人★もあるが、話はまったく逆だったようだ。

 ところで、酒井勝軍といえば、日ユ同祖論の信奉者の一人として知られているが、『日本のピラミッド』における歴史観の根底にあるものもまた、この同祖論である。ただし、ここでの日ユ同祖論は一風変わった仕上がりになっている。いわく、太古日本は超古代文明の中心地として栄え、その住民は原ユダヤ人で、彼らは全世界を統治していた。いわゆるユダヤ人は原ユダヤ人から派生したもので、ユダヤ人にはマルクス、トロツキ−といった善いユダヤ人とロスチャイルド、ロックフェラーら悪いユグヤ人がいる。原ユダヤ人とは、一九四九年に楢崎皐月(ならさきこうげつ)が兵庫県六甲山系金鳥山中で「発見」した『カタカムナ文献』に登場するカタカムナ人のことである。一万年前の超古代文明崩壊後も日本に残った彼らカタカムナ人は八千年にわたる緩慢なる〃退化〃を経て、やがて大陸からやって来た天皇家率いる弥生人に征服された。後にいわれる縄文人とは、この〃退化〃途上にあったカタカムナ人のことである。

 以上が『日本のピラミッド』につづられた〃古代史〃の概要であるとともに、同書そのもののアウトラインである。ピラミッドなど実は、どうでもいい話のつまに過ぎない。通常の日ユ同祖論と大きく異なるところは、起源が日本の側にあること、天皇家とユダヤがイコールで結ばれていないこと、の二点である。『上記』や『宮下文書』『竹内文献』などの古史古伝(偽史偽典)に登場する前期王朝、ウガヤ朝も都合よくカタカムナ人に結びつけられ、天皇家は外来征服正朝として敵視されるが、これというのもいわば、想定された読者ターゲットに合わせたマーケティングに基づき、意図的に左翼的言辞を著作にまとわせた、とするのが今では一般的な見方だ。

 さて、〃武内裕〃の対ポップ戦略の口火が切られた同じころ、武田洋一はその本名を表に出し、「ハ−ドな客観的情報」を流す新媒体の刊行に奔走していた。それはやがて、かつての秘境探検か何かの際者(きわもの)雑誌『地球ロマン』の復刊という形で成就する。ただし、新しい『地球ロマン』は秘境ではなく秘教、探検ではなく探究を分とする異端文化の総合誌だった。復刊『地球ロマン』は七六年から七七年にかけてほぼ隔月で全六号を発行、その輝く第一号の総特集はまたもや本邦超古代史、題して「偽史倭人伝」というものだった。後に武田は『季刊GS』七号で、四方田犬彦らのインタヴューにこたえ、『地球ロマン』がそもそも、澁澤龍彦や種村季弘といった人々による博物誌的な蘊蓄(うんちく)の世界でしかなかった日本における(六○年代以来の)オカルティズム(受容)の在り方への疑問から始めた媒体であることを明らかにしている。武田にとってはいわば、何らかのムーヴメントを想定した政治理論誌のつもリだったのだろう。『GS』のインタヴューで武田はまた、ポスト七○年安保ということで、空中分解した新左翼急進・主義の次なるヴェクトルが自然食やら超古代史に向けられるであろうことを了見、「そういう状況そのものを、うしろからポンと一押ししてやろうじゃないか、というそういう計算もすでにあのときあった」と、当時を回顧している。

 実際のところ『地球ロマン』復刊一号は、『上記』『竹内』『宮下』『九鬼』といった一連の古史古伝から『秀真』『カタカムナ』『易断』に至る、いわゆる偽史全般をまとまった形で一般に提示した最初のものだった。武田は同号後記で、次のような一文を記している。

 偽史にまつわるエピソードを二つ。一つは、数年前、赤軍派の梅内恒夫が地下からのアピ−ルで『天皇アラブ渡来説』の八切止夫を日本始まって以来の人民歴史家と称賛、マルクス主義を放棄し、ゲバリスタに志願したこと。一つは、秦氏ユダヤ人説を信奉する手島郁郎氏が、岡本公三を転向させたこと。最も急進主義的な党派に属する二人の人間の思想的転宗に、何等かの形で偽史が介在したことは果して偶然でしょうか?

 偽史をめぐる武田の関心の所在がよく分かる文章である。ただ、岡本公三(七二年五月の日本赤軍によるロッド空港銃撃戦の生き残り戦士。なお、日本赤軍は赤軍派アラブ委員会を母体とする在中東軍事組織)は、当時接見した手島郁郎(イスラエルとの強力なパイプで知られる原始福音連動の主宰者)にほだされ、キリスト教に回心、転向したわけでは必ずしもない。もちろん、手島が岡本に日ユ同祖論を吹き込んだ可能性は、場所柄からいって十分あり得るが。しかし、どうせなら、当時、すでに知己を得ていたかどうか知らないが、やがて武田とは同盟関係に入る神理研究会・金井南龍提唱の白山王朝前期王朝説とからめて「赤軍派の北朝鮮亡命グル−ブが、白山神界の聖地、白頭山の霊的加護のもと、王朝国家をつくった金日成の霊統に連なった事実」とか、ハッタリをかました方がまだましだったのでは。武田が敬愛する考古学者、鳥居龍蔵(りょうぞう)によれば、契丹人は観音の所在について、長白山(ちようはくさん)(白頭山)山上にあると考えていた(朝日新聞社『鳥居龍蔵全集』第六巻所収「遼の上京城内遺存の石人考」)というから『神碩叙伝(しんしょうじょでん)』(契丹秘史)とからませることもできたはず。いや、これはほんの冗句、話を先に 進めよう。

 受け皿をなくした理論体系■

 一九七七年の『池球ロマン』休刊後、武田洋一は、武田益尚の名で『UFOと宇宙』誌の編集長に就任するなどしていたが、七九年、『地球ロマン』の霊統と遺産を発展的に継承するとされた『迷宮』を創刊する。創刊第一号では「資料・戦時下の偽史論争」と題し、『公論』一九四三年九月号誌上での座談会「偽史を懐(はら)ふーー太古文献論争」を転載、戦前、神代文字や偽史を排斥し、記紀に盲従した日本浪漫派系知識人こそが、日本に国家社会主義的な神話体系をもたらし得なかった元凶であることをほのかににおわせている。

 結局『迷宮』は、八○年に第三号を出し、休刊するが、木村鷹太郎論、高橋巌インタヴュ−などが予告された第四号が出るかどうか判然としていなかった八一年初め、武田は、当時、差別オカルト・オナニー・マガジンとして名をはせた自販機本『ジャム』の後を継いだ『へヴン』廃刊号のインタヴュ−で『迷宮』の刊行コンセブトを聞かれ、次のように答えている。

 十万人の社会民主主義者に読ませるよりも、三百人のファシストに!これが『迷宮』のキャッチフレ−ズや。(……)わしらのいうファシストとは、一般市民の間ではボルシェヴィキの概念に近い(……)つまりは光の子(イリュミノイド)。霊的な能動性を持っている超人や。多大な金を使って(『迷宮』を)全国にバラまいとるんは(……)その超人を育てるための布石のわけよ。

 ほかに、このインタヴューでは、神智学の創始者H・P・ブラヴァツキーを引き、「原住民というのは根源人種が退化したもんやがな」と発言。今や名実ともに皇道派に転身した、日本におけるトロツキズム運動の先駆者で、このころは左翼エコロジストだった太田竜が当時展開していたカタカムナ人と日本原住民を重ね合わせる理論作業(『日本原住民史序説』一九八一年、新泉社)に水をかけ、根源人種としてのカタカムナ人にこそ意味があり、そこから霊的な大束亜共栄圏も見えてくると語ってそれまでの対左翼オマージュを自ら清算、公然と民族派にエ−ルを送っている。そして、このエールにこたえたのが、常弘成という男である。

 常は七○年代には黒色戦線系のアナキストだったが、八○年に新右翼、一水会に加盟。当時、その名ばかりが喧伝された国家社会主義者同盟(ファシスト・ブント)の牛嶋大輝との交流を経て、八三年、このころよリファースト・ネームを〃崇元〃と改めた武田とともに新秩序研究会を発足させている。常と武田は同年、一水会の機関紙『レコンキスタ』の北一輝生誕百年記念特集号で対談、北にちなんでか、左翼エコロジストに対抗して仏教徒ブント「菩薩党」を建党する必要などが語られているが、この特集号製作には実は「第二次ブント極小派」といわれた、旧マル戦系三分派の一つ、レ−ニン主義者協議会(L協)系列の高校フラクションを取りまとめていた南方健三という人物(徳島オカルト研究会の代表でもある〃四国のミニコミ王〃小西昌幸主宰の『ハードスタッフ』誌十号で三多摩黒へル高校生部隊に関する資料復刻を監修)が関与している。ついでに書いておくと、一水会にあって特異なテクノ・ファシストとして知られる清水浩司は、第二次ブントの主流派、戦旗派の元活動家である(旧第二次ブント関西派・同志社大グループによる政治理論誌『季節』九号に右翼軍事論を執筆)。

 さて、新秩序研究会のその後である。この、東京・早稲田のとある事務所に巣くっていたまったく実体を伴わない「組織」からは八四年夏、『嘆きの天使』という準機関誌のプレゼンテ−ション版が出ているが、その直後、二人の間に金銭トラブルが発生、散開を余儀なくされている。その少し前に出たある音楽パンフの中で、汎アジア根源人種共同体実現を日指すオカルティスト独裁に向けて「昨年、日本民族主義運動の最良の部分とともに、出口王仁三郎の未完の世界革命を継承するものとして日本新秩序連動を組織した」と鼻高々に公言した武田にとって、この「散開」はショックだったようだ。以後、武田は、いかなる左右のイデオローグとも〃合作〃することなく、よく知られているように、『大石凝真素美全集(おおいしごりますみ)』に始まる八幡書店での出版事業と、これをフォローする執筆活勤にほぱ専念。八九年には出口王仁三郎の孫・十和田龍の娘と結婚、大本閏閥入りを果たす一方、日大芸術学部・武邑光裕を窓口に八○年代中期から進めてきた霊的進化に向けてのマン=マシーン・インタ−フェイス技術の開発(ホロフォニック、シンクロエナジャイズ、メガ・ブレインの各システムで)財政面での立て直しを側りながらも、一時伝えられていた『迷宮』の後を継ぐとされる『秘教列島』誌の発刊には至っていない。

 実際のところ、ファナティックで難解を極める理論体系の受け皿がどこにもない今、もはや、あらゆる意味で〃戦略〃が成り立たなくなっているのだ。過ぐる八二年、『地球ロマン』『迷宮』の流れと先に述べた『ジャム』『へヴン』のコンセプトを退行的に(「退行的に」に傍点・・・・)合体させたという雑誌『デコード』のプレミア・エディションが武邑の編集で出ているが、同誌の創刊=廃刊をもって日本におけるボッブ・オカルティズムの歴史はすでに終わっているのかもしれない。

 それにしても、七○年代から八○年代にかけて、トロツキストやアナキスト、特に第二次ブント系各派出身のグル−プ、諸個人が偽史・オカルティズム・新右翼という一連のシンジケ−トに急接近した事実をどう考えればいいのか。偽史について一ついえることは、「全世界」とは詰まるところ「前世界」であって、革命と古代史、特に世界革命と超古代史は、これらに没入する人間の自己狂信化の速度とストイシズムにおいて実によく似ているという点だ。この意昧で、ボッブ・オカルティストたちは、「ボンと一押し」する相手を間違えてはいなかったようだ。

 図版 『地球ロマン』復刊第1号
   『迷宮』創刊号

 ★−SF作家朝松健の国書刊行会時代の回想録「魔都物語叩ーーオカルト界で今何が起きているのか」(一九八六)での発言。SFファンジン『イスカーチェリ』二十八号に掲載後、魔術サ−クル誌『ホルスの槍』四号に再録。ここでは、〃霊的著作権〃なるものを盾に内外のオカルト又献の独占を謀る武田と、その盟友で故・竹中労のご落胤とのうわさもある武邑光裕の真偽不明の〃所業〃が記されている。

 転載者 注
 この『「古史古伝」論争』は再編集ものだが、この論文は再録ではなく、書き下ろしの模様。

> わしらのいうファシストとは、一般市> 民の間ではボルシェヴィキの概念に近> い(……)つまりは光の子(イリュミノ> イド)。霊的な能動性を持っている超人や。> 多大な金を使って(『迷宮』を)全国にバ> ラまいとるんは(……)その超人を育て> るための布石のわけよ。 >  ほかに、このインタヴューでは、神智学の創始者H・P・ブラヴァツキーを引き、「原住民というのは根源人種が退化したもんやがな」と発言。今や名実ともに皇道派に転身した、日本におけるトロツキズム運動の先駆者で、このころは左翼エコロジストだった太田竜が当時展開していたカタカムナ人と日本原住民を重ね合わせる理論作業(『日本原住民史序説』一九八一年、新泉社)に水をかけ、根源人種としてのカタカムナ人にこそ意味があり、そこから霊的な大束亜共栄圏も見えてくると語ってそれまでの対左翼オマージュを自ら清算、公然と民族派にエ−ルを送っている。そして、このエールにこたえたのが、常弘成という男である。>  常は七○年代には黒色戦線系のアナキストだったが、八○年に新右翼、一水会に加盟。当時、その名ばかりが喧伝された国家社会主義者同盟(ファシスト・ブント)の牛嶋大輝との交流を経て、八三年、このころよリファースト・ネームを〃崇元〃と改めた武田とともに新秩序研究会を発足させている。常と武田は同年、一水会の機関紙『レコンキスタ』の北一輝生誕百年記念特集号で対談、北にちなんでか、左翼エコロジストに対抗して仏教徒ブント「菩薩党」を建党する必要などが語られているが、この特集号製作には実は「第二次ブント極小派」といわれた、旧マル戦系三分派の一つ、レ−ニン主義者協議会(L協)系列の高校フラクションを取りまとめていた南方健三という人物(徳島オカルト研究会の代表でもある〃四国のミニコミ王〃小西昌幸主宰の『ハードスタッフ』誌十号で三多摩黒へル高校生部隊に関する資料復刻を監修)が関与している。ついでに書いておくと、一水会にあって特異なテクノ・ファシストとして知られる清水浩司は、第二次ブントの主流派、戦旗派の元活動家である(旧第二次ブント関西派・同志社大グループによる政治理論誌『季節』九号に右翼軍事論を執筆)。>  さて、新秩序研究会のその後である。この、東京・早稲田のとある事務所に巣くっていたまったく実体を伴わない「組織」からは八四年夏、『嘆きの天使』という準機関誌のプレゼンテ−ション版が出ているが、その直後、二人の間に金銭トラブルが発生、散開を余儀なくされている。その少し前に出たある音楽パンフの中で、汎アジア根源人種共同体実現を日指すオカルティスト独裁に向けて「昨年、日本民族主義運動の最良の部分とともに、出口王仁三郎の未完の世界革命を継承するものとして日本新秩序連動を組織した」と鼻高々に公言した武田にとって、この「散開」はショックだったようだ。以後、武田は、いかなる左右のイデオローグとも〃合作〃することなく、よく知られているように、『大石凝真素美全集(おおいしごりますみ)』に始まる八幡書店での出版事業と、これをフォローする執筆活勤にほぱ専念。八九年には出口王仁三郎の孫・十和田龍の娘と結婚、大本閏閥入りを果たす一方、日大芸術学部・武邑光裕を窓口に八○年代中期から進めてきた霊的進化に向けてのマン=マシーン・インタ−フェイス技術の開発(ホロフォニック、シンクロエナジャイズ、メガ・ブレインの各システムで)財政面での立て直しを側りながらも、一時伝えられていた『迷宮』の後を継ぐとされる『秘教列島』誌の発刊には至っていない。>  実際のところ、ファナティックで難解を極める理論体系の受け皿がどこにもない今、もはや、あらゆる意味で〃戦略〃が成り立たなくなっているのだ。過ぐる八二年、『地球ロマン』『迷宮』の流れと先に述べた『ジャム』『へヴン』のコンセプトを退行的に(「退行的に」に傍点・・・・)合体させたという雑誌『デコード』のプレミア・エディションが武邑の編集で出ているが、同誌の創刊=廃刊をもって日本におけるボッブ・オカルティズムの歴史はすでに終わっているのかもしれない。>  それにしても、七○年代から八○年代にかけて、トロツキストやアナキスト、特に第二次ブント系各派出身のグル−プ、諸個人が偽史・オカルティズム・新右翼という一連のシンジケ−トに急接近した事実をどう考えればいいのか。偽史について一ついえることは、「全世界」とは詰まるところ「前世界」であって、革命と古代史、特に世界革命と超古代史は、これらに没入する人間の自己狂信化の速度とストイシズムにおいて実によく似ているという点だ。この意昧で、ボッブ・オカルティストたちは、「ボンと一押し」する相手を間違えてはいなかったようだ。 > 図版 『地球ロマン』復刊第1号>    『迷宮』創刊号 > ★−SF作家朝松健の国書刊行会時代の回想録「魔都物語叩ーーオカルト界で今何が起きているのか」(一九八六)での発言。SFファンジン『イスカーチェリ』二十八号に掲載後、魔術サ−クル誌『ホルスの槍』四号に再録。ここでは、〃霊的著作権〃なるものを盾に内外のオカルト又献の独占を謀る武田と、その盟友で故・竹中労のご落胤とのうわさもある武邑光裕の真偽不明の〃所業〃が記されている。 > > 転載者 注> この『「古史古伝」論争』は再編集ものだが、この論文は再録ではなく、書き下ろしの模様。

 「神聖なる詭弁と偽史・武装カルト(ジャパン・ミックス編『歴史を変えた偽書』)」。
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  SP' 氏の000 年 12 月 28 日付投稿「──何がオウムに起きたのか──」。
 オウムを準備した八〇年代ポップオカルトサロン、その前史をなす右派ブロックの裏人脈、すべてを貫くキーコンセプトとしての偽史……しかし「偽史」こそ歴史の本質ではないか? クリエイティヴ・ディレクター久山 信

 心か、脳か

 会社でスタッフから京極夏彦の『姑獲鳥の夏』を借りて今、読んでいる。順番は逆になるが、『魍魎の匣』(こちらは購入)に続いて二冊目だ。書店ではすでに四作目が平積み状態だから、それほど熱心な読者ではないものの、気になる作家ではある。気になるといえば『姑獲鳥の夏』では、主要登場人物の一人で著者京極のダブルともいえそうな京極堂が、物語の狂言回し役の関口にこんなことをいっている。いわく「宗教とは、つまり脳が心を支配するべく作り出した神聖なる詭弁だ」と。

 どうやら脳内麻薬物質を想定しての発言(宗教は麻薬である)らしいが、でも、そうかな? われわれはすでに、宗教によって脳を支配(ウォッシング)された実例を知り過ぎるほど知っているし、さらにその宗教なるものがとどのつまり、ある特定の心にほかならないことも知っている。だとすればそう、「脳が心を」ではなく「心が脳を」とすべきでは──。いや、少し話を整理しよう。

 例えば『魍魎の匣』では京極堂は、マッドサイエンティストの美馬坂を相手にこういっている。「脳は鏡だ。機械に繋がれた脳が産み出すのは、脳の持ち主の意識ではなく、繋いだ機械の意識だ」(傍点原文)。このくだりは、図らずも京極夏彦が夢野久作の『ドグラ・マグラ』の信奉者である事実をよく示している。いうまでもなく『ドグラ・マグラ』の根幹にあるのは、脳髄は物を考える処に非ず、脳は全身の細胞に渦巻く欲望、感情、記憶その他の意識内容を中継し、一つの焦点へと絞り込む複合式球体反射鏡(交換局)に過ぎないとする、いわば『物質と記憶』でのベルクソンの哲学的冒険とそう遠くない、思考するのはあくまで肉体(匣)そのものという仏教的な心身一元論であるのだから。『姑獲鳥の夏』ではさらに、物を考えるのは脳だが、考えさせているのは物質的記憶の集合としての肉体、すなわち心であり、この脳と心の交易の場こそが意識であるとされる。やはり「心が脳を」が妥当である。ともあれ、かかる文脈で語られる「心」にこそ実は、ここでのテーマである偽書がはらむ問題を解読するカギがある。

 「日本原住民論」という熱病

 私への当初のテーマは「偽史運動としてのオウム真理教」というもの。必ずしもこの主題だけでなくとも構わないとのことで、とりあえず引き受けたものの、問題はことの始まりをどこに置くかという点。『リング』『らせん』で注目を集めた鈴木光司があるところで、常に「人間とはいかなる生き物か」という疑問を胸に小説を書いているといっていたが、そんなことを考えていくとすべての始まりは、原初の単細胞生物に仕掛けられた意識というか目的というか、そのあたりにあるんじゃないかとふと考えてしまう。だが、それでは話が始まらない。とりあえず振り出しを決め、サイの目に従って進んでしまおう。
 時は一九七〇年代初頭、新旧左翼の諸運動とは全く無関係な地平で、自分たちは「世界革命浪人」であると宣言した人たちがいた。

 かのビートルズ・リポートの筆者で今は亡き竹中労、ジャズから石原莞爾まで幅広い評論活動でレイティングの高かった平岡正明、そして日本新左翼運動の草分けの一人で現在は皇道派にしてユダヤ陰謀論の急先鋒として鳴らす太田竜(龍)という三人の“大将”による辺境もしくは窮民革命を煽動する「ゲバリスタ」である。当時の極左派は共産同(ブント)赤軍派だったが、ゲバリスタの三人はさらにその左側に自らをポジショニング、佐々木守や足立正生も編集委員だった『映画批評』誌を主な舞台に論陣を張った。手元に全く資料が残っていないので細かい理論内容を検証することはできないが、彼ら、特に太田がその革命論を構築する上で何より重視したのは、市井の老歴史家、八切止夫の先住日本人説(日本原住民論)であった。これが潜伏中の赤軍派中央委員・梅内恒夫に影響、地下から発せられた彼の論文公開を機に当時の左派学生層の間に古代史熱が高まり、やがて、天皇家を外来とし、原住民的なるものの復権をもってこれを相対化する古代史観が彼らの間に広く浸透。五木寛之の『戒厳令の夜』なども、こうした流れの延長線上で同時代性を獲得、高い人気を博した。

 ところが、こうした、新左翼を中心に蔓延し始めた、やや結論のみを急ぎ過ぎたきらいのある、すぐにでも冷めそうな古代史感染症候群に、ある一つの立場から早めにささやかなキックを与えることで、中長期的にみて何らかのイニシアティヴ獲得が可能とみた人物がいた。一つの立場とはポップオカルティズム、また、その人物とは後に八幡書店の社主となる武田洋一である。

 獲得するは全世界

 武田は一九五〇年、兵庫県生まれ。東大法学部卒業後、七〇年代中期よりオカルト誌の編集等、出版界を主な舞台に独自のオカルト統合戦略を画策、さまざまな陰謀・陽謀を張り巡らした揚げ句、何ら後片付けすることなくそのまま撤収、現在は自称、単なる通販屋のオヤジである。

 さてこのオヤジの若き日々の出来事である。七五年から翌七六年にかけて武田は“前衛考古学評論家・武内裕”と称し、今はなき大陸書房から『日本のピラミッド』『日本の宇宙人遺跡』『日本のキリスト伝説』という三冊の本を出している。三冊ともにタイトルが“日本の”で始まっていることにまず注意を喚起したい。そこには、戦前のファナティックな国粋史学者が、あたかも祖国が時間的にも空間的にも実際の日本からは到底想定し難い遠隔の地点に起源をもち、あるいはそれらと関連するとした、いわゆる偽史にひかれていく“日本的狂気の構造”が意図的に復元されている。

 特に『日本のピラミッド』は、狂信的な日猶(日本−ユダヤ)同祖論者として知られた酒井勝軍が一九三四年、自ら主宰する国教宣明団から出した小冊子『太古日本のピラミッド』のパロディのような悪質な本だが、後に武田自身、有賀龍太の名前で書いた『予言書黙示録の大破局』(一九八〇年、ごま書房)などとともに「概念塑型における時代性の先取りという点で卓越している」(『遊』一九八一年五月号)と自画自讃した著作で、ターゲットの中心は、七一年の全国全共闘解体後、自らのブランキズムのやり場を失い、梅内論文や第三世界論がらみで古代世界に沈潜し始めた個々の「イデオローグ」たちにあった。彼らはそもそも「全世界を獲得するために」政治に投機した者たちであって、本来、世界性を 有するファナティックな超古代史のたぐいは接してみればお好みのはずで、オカルティストの術策にはまった者も少なくなかった。
 さて、“武内裕”の対ポップ戦略の口火が切られた同じころ、武田洋一はその本名を表に出し、「ハードな客観的情報」を流す新媒体の刊行に向けて奔走していた。それはやがて、異端文化の総合誌『地球ロマン』の復刊という形で成就する。

 三百人のファシストに!!

 復刊『地球ロマン』は七六年から七七年にかけてほぼ隔月で全六号が発行、その輝く第一号の総特集はまたもや本邦超古代史、題して「偽史倭人伝」というものだった。後に武田は『季刊GS』七号(一九八八)で、四方田犬彦らのインタヴューにこたえ、ポスト七〇年安保ということで、空中分解した新左翼急進主義の次なるヴェクトルが自然食やら超古代史に向けられるであろうことを予見、「そういう状況そのものを、うしろからポンと一押ししてやろうじゃないか、というそういう計算もすでにあのときあった」と、当時を回顧している。

 一九七七年の『地球ロマン』休刊後、武田洋一は、武田益尚の名で『UFOと宇宙』誌(後の『トワイライトゾーン』)編集長などをしていたが、七九年、『地球ロマン』の霊統と遺産を発展的に継承するとされた『迷宮』を創刊する。創刊第一号では「資料・戦時下の偽史論争」と題し、太古文献派の代表格として藤澤親雄(東洋大教授、大政翼賛会中央訓練所調査部長)らがやり玉に挙げられた『公論』一九四三年九月号誌上での座談会「偽史を攘ふ──太古文献論争」を転載、戦前、神代文字や偽史を排斥し、記紀に盲従した日本浪漫派系知識人こそが、日本に霊的国体原理に基づく国家社会主義的な神話体系をもたらし得なかった元凶であることをにおわせている。

 結局『迷宮』は、八〇年に第三号を出し、休刊するが、木村鷹太郎論*1、高橋巌インタヴューなどが予告された第四号が出るかどうか判然としていなかった八一年初め、武田は、当時、差別オカルト・オナニー・マガジンとして名をはせた自販機本『ジャム』の後を継いだ『ヘヴン』廃刊号のインタヴューで、隅田川乱一から『迷宮』の刊行コンセプトを聞かれ、次のようにこたえている。

 十万人の社会民主主義者に読ませるよりも、三百人のファシストに! これが『迷宮』のキャッチフレーズや。(……)わしらのいうファシストとは、一般市民の間ではボルシェヴィキの概念に近い(……)つまりは光の子。霊的な能動性を持っている超人や。多大な金を使って(『迷宮』を)全国にバラまいとるんは(……)その超人を育てるための布石のわけよ。
 ほかに、このインタヴューでは、神智学の創始者H・P・ブラヴァツキーを引き、「原住民というのは根源人種が退化したもんやがな」と発言。「霊的な大東亜共栄圏」など刺激的な言辞を並べた上、それまでの対左翼オマージュを自ら清算、公然と民族派にエールを送っている。そして、このエールにこたえたのが、常弘成という男である。

 私が情況である

 常は七〇年代には黒色戦線系のアナキストだったが、八〇年に鈴木邦男率いる新右翼、一水会に加盟。当時、その名ばかりが喧伝された国家社会主義者同盟(ファシスト・ブント)の牛嶋大輝との交流を経て、八三年、「霊的ボルシェヴィズム」をキーコンセプトに、このころよりファーストネームを“崇元”と改めた武田とともに新秩序研究会(日本新秩序運動)を発足させている。そのあたりの事情については、翌八四年、ブリュッセルのインディペンデント・レーベル「クレブスキュール」所属アーティストの来日を記念して出された大型パンフ『MUSIQUE EPAVE』での武田へのインタヴュー「エソテリック・シティ東京」がよく伝えている。その頭の部分を少し引いておこう。

──ハイ・テクノロジーに支えられ、都市は繁栄を誇っています。一方で影の世界といいますか、シャドー・ワールドとでもいうべきシーンが展開されているという話を聞きます。そこでポップ・オカルトや秘教的地下運動に詳しい武田さんに情況論的な話をお伺いしたいと思います。
武田 情況論を語るような没主体性をわたしは持ち合わせていない。あえていうならば、わたしが情況であり、情況がわたしだ。いま、あなたは「詳しい」、といわれたが、わたしは、秘教的地下運動の深層部とかかわってきたし、いまもそうだし、将来もそうだろう。別に評論家をしているわけではない。
──では、武田さんが現在、かかわっておられる運動について述べていただけますか。それは、最近話題になっている武田さんの著書『出口王仁三郎の霊界からの警告』と関係があるのでしょうか。
武田 シャドー・ワールドのすべてを語ることなどできはしない。ただ、わたしが、昨年、日本民族主義運動の最良の部分とともに、出口王仁三郎の未完の世界革命を継承するものとして日本新秩序運動(JAPAN NEW ORDER=NO!)を組織したことは事実だ。
──封印された神々のドラスティックな登場、神々の歴史的闘争の世界観がその前提にあるわけですか。
武田 そう、われわれの終局目的は、幽閉された神々のラスト・バタリオンであり、肉体死滅にいたるオカルティスト独裁の樹立である。汎アジア根源人種共同体にいたる永続革命への道だ。

 さて、この新秩序研究会のその後である。同研究会は八四年夏、『嘆きの天使』という準機関誌のプレゼンテーション版を発行、ところがその直後、武田と常の間に金銭トラブルが発生、会組織の解消を余儀なくされている。武田にとってこの新秩序研究会の散開は、大きなショックだったようだ。以後、武田は、いかなる左右のイデオローグとも合作することなく、よく知られているように、盟友・武邑光裕のアドヴァイスに従って、霊的進化に向けてのマン=マシーン・インターフェイス技術の開発(ホロフォニック、シンクロエナジャイズ、メガ・ブレインの各システム)で財政面での立て直しを図りながら、『大石凝真素美全集』刊行以来進めてきた八幡書店での出版事業と、これをフォローする執筆活動等にほぼ専念。ところが、武田がまき散らした毒草の種は、思わぬところで芽吹き始めていた。

 偽史運動を乗っ取ったオウム真理教

 日本におけるポップオカルトの拡散期に当たるこの時期、カルトマスター武田崇元率いる八幡書店を遠巻きにしていたのがほかならぬ中沢新一、いとうせいこう、細野晴臣、荒俣宏といった人々であり、学研でありJ‐WAVEであり西武セゾングループであることは過去、再三にわたって指摘してきた通りである(『インパクション』九三号所収の拙文「妄想が生んだ妄想」註記内の拙稿リストを参照)。そうした諸個 人、文化装置(によって織りなされたポップオカルトサロン)によって、あくまで結果としてではあるが、それまで単なるコンセプトでしかなかった「霊的ボルシェヴィズム」に何らかの形を与える温床がつくられた。ほかならぬ、神秘主義的選民思想の蔓延である。ここに“神仙民族”を僭称する武装ファシスト麻原彰晃が胚胎するのである。

 麻原は八五年、学研のオカルト誌『ムー』誌上で実践ヨガ講座を連載、それとは別に同年十一月号に「幻の古代金属ヒヒイロカネは実在した!?」と題する研究リポートを寄せている。ヒヒイロカネとは、「上古三代天皇は二百七十億八万年間君臨」「太古、天皇は全世界の棟梁として“天之浮船”と呼ばれる飛行空母に乗って各国を巡幸」などその荒唐無稽な内容で知られる、日本における偽史偽典の代表格『竹内文献』に出てくる超自然的パワーを有するとされる“霊石”のこと。その後、この石は、オウム教団における超能力増幅ツールの一つとして使われたことがわかっている。

 それはともかく、『ムー』同号の特集は「戦慄のヒトラー第四帝国」というもので、これに合わせて八幡書店は、ヘルマン・ラウシュニングによるヒトラー会見記『永遠なるヒトラー』の広告を出しているが、そのサブとして、ヒヒイロカネの第一発見者とされる前出、酒井勝軍の『神秘之日本』の広告を掲載、そこに「本書の如何に重要な資料たるかは、本誌記事『幻の古代金属ヒヒイロカネは実在した!?』を一読すれば明瞭であります」とある。

 当時、『ムー』の記事内容は、七九年の同誌創刊以来、顧問として企画・編集に参画、惜しみなく資料・写真を提供してきた武田−八幡書店が実質的に決定、検閲していたといわれ、実は麻原のこの原稿も八幡によって一部書き換えられている。だが、オウムの「その後」から照らして学研と八幡は結局、このころまだ無名だった麻原に利用されたとみるのが事実に即した見方のようだ。翌八六年、東京・渋谷で「オウム神仙の会」が発足。学研と八幡が開拓したオカルト・オタク群をいわば、加入戦術によって自らの組織に糾合、オウムは急成長したといえる。

 「何はともあれ」と原田実は、ことの推移を以下のようにまとめている。すなわち、「かつては八幡書店のひさしを借りていた麻原氏が社会問題になるほど勢力を持つカルトのリーダーとしてその姿を現し、武田氏が展開していた偽史運動の母屋を乗っ取る形になってしまった」と(『宝島30』九五年十一月号)。
 ここでいわれる「偽史運動」とは原田の定義によれば、捏造された文書、擬似科学的データ等による虚偽の歴史学説を政治的に利用、時にテロルの発動に至る社会運動ということになる。この文脈に従えば、オウムが『竹内』に関与した偽史・武装カルトであることは疑いようのない事実である。

 「偽史」とオカルトと右派裏人脈

 少し切り口を変えて話を進めよう。七〇年代から八〇年代にかけて、『古事記』『日本書紀』を近隣諸国の正史と符号しない偽造書として退け、いわゆる偽史こそが正史をかたちづくっているとの主張を繰り返した鹿島昇は、新国民社から出した一冊目の著作『倭と王朝』(一九七八)のまえがきで、藤原氏が捏造した記紀神話こそ日本民族を破滅(八・一五敗戦のこと)に導いた元凶で、現在の日本は天武朝がかつて唐に従属したごとく、事実上、敗戦がもたらした亡国的な状況に置かれているとした。

 鹿島史観のアウトラインは、古代中国史はオリエント史の翻案・漢訳であり、古代日本史は朝鮮・シルクロード史の借史であるというもの。

 歴史偽造の解明には『上記』『東日流外三郡誌』『宮下文書』『竹内文献』『秀真伝』『契丹古伝』など(偽史偽典といわれる古史古伝)の研究が不可欠とされ、一方、記紀・六国史に盲従してきた戦前・戦後の史学中央は現代における藤原偽史派として厳しく糾弾されねばならないとした。

 こうした偽史に憑かれた在野の史家は通常、ただただ無視され続けるだけだが、鹿島の場合は少し違っていた。

 鹿島は八一年、『宮下文書』の伝承を通史として整理・編纂した三輪義熈の『神皇紀』(一九二一、隆文館)を覆刻し、何と自民党衆議院議員中山正暉を会長とする日本国書刊行会から刊行。同書には中山のほかに当時の建設大臣斉藤滋与史が推薦文を書き、また、建設大学校中央訓練所が行った『宮下文書』の古代土木技術的側面からの研究調査の報告が付されている。鹿島は雑誌『歴史と現代』を通して武田崇元や太田竜、八切止夫とも交流。いわば、オウムを胚胎させた前述ポップオカルトサロンの前史をなす、偽史をメルクマールとする右派ブロックの裏人脈が、それこそ政府自民党から元ゲバリスタまでをも包括する幅の広さで形成されたのがこの時期である。

 なぜ富士が「神都」なのか

 武田は八六年、鹿島の仕事を引き継ぐかのように八幡書店より『宮下文書』を『神伝富士古文献大成』全七巻として刊行するが、どうやらこの『大成』七巻は麻原彰晃も購入、愛読していたらしい。中沢新一があるところで語ったところによれば、麻原の座右の書は中沢の『虹の階梯』、そして『宮下文書』だというのだ(『それでも心を癒したい人のための精神世界ブックガイド』一九九五、太田出版)。

 『宮下文書』とは、富士北麓、甲州郡内地方の古社・阿祖山太神宮(現在の小室神社)の神宮職を世襲してきた旧家・宮下家に保管される、秦の徐福来朝にまつわる数千点に及ぶ膨大な古文書・古文献の総称で、偽史偽典の一方の雄といった存在。

 『上記』『竹内文献』『九鬼文献』など主要な偽典は共通して神武以前にウガヤ朝七十数代その他の前期王朝の存在を記しているが、『宮下文書』の場合はウガヤ朝以前に豊阿始原世地神五代、高天原世天神七代、天之御中代世火高見神十五代、そして天之世之神七代を置く。

 ここで注目すべきは、高天世の七代と続く豊阿始原世の三代まで富士に神都が置かれ、遷都後も神聖な土地として崇敬され続けてきたとの記載である。というのも、上九一色村の教団施設群をオウム自身は「富士神都」と呼んでいるのだ。
 ここに、『竹内』に続いてオウムと『宮下』の関連が浮き彫りにされたといえよう。また、中沢は同じところで『秀真伝』(ホツマ文字と称する神代文字で記された、五七調・長歌体の叙事詩。太古日本の神都を仙台に措定する一方、イザナミのアマテラス懐妊にちなみ富士山を孕み山とする聖地伝承を有する)もオウムの上九一色村選定に影響しているとしているから、オウムは少なくとも『竹内』『宮下』『秀真』の三つの偽書にかかわっていることになる。

 ついでに書けばそのモデルは、富士の魔界を舞台に国枝史郎が『神州纐纈城』で描いた信徒一千を数える「富士教団」なのではないか。物語では同教団は、教主失踪によって平和の別天地から一転して譎詐奸曲の横行する穢土と化す──。

 いまなお盛んな偽史・武装カルト

 ところで、富士といえばここ数年、雑誌『ムー』などに広告を出し ている「富士皇朝」のこともいっておく必要がある。広告には「滅びゆく現代社会からの脱出! 夢だけを握りしめ、新たな國へ旅立とう」といったノーテンキなコピーが並べられているが、その正体は、九四年六月の東京壊滅予言(大ハズレ)でテレビの取材を受けるなど、ごく一部でウワサマクリとなった「古代帝國軍」(発足当初は「古代帝国軍」)というれっきとした武装カルトである。九〇年代前半には東京・杉並に本拠を置き、都心に街宣車を出して「軍士」の募集までしていた政治団体で、地下鉄サリン事件後、全く反省の色はないものの、それなりに広告出稿には気を遣っているはずの学習研究社さん、今も広告は載り続けているけど大丈夫なの? といいたくなる。

 軍を率いる総統(!)は万師露観という人物で、六三年東大卒というから六〇年安保世代。川崎製鉄を一年で退社、以後、軍事革命を目指して(数学塾を経営しながら)研究生活に入るが、八六年にはハレー彗星の接近によって惹起された宇宙大戦に巻き込まれてさまざまな悪魔と死闘を展開、ついにこれを制圧したという。私など忙しくて新聞もろくに読んでいないせいか、八六年ですか? そんなことがあったとはちいとも……。それはともかく、民主主義をユダヤの陰謀とする彼らが理念形として掲げる新しい世界帝国の原型は、富士山を中心に栄えていたらしいかつての日本=ムー古代帝國にあるとのことで、ここにも(内外の)偽史の介在は明らか。

 ムーとは、英米どちらか国籍も判然としないジェイムズ・チャーチワードという自称軍人が一九三一年に発表した『失われたムー大陸』で明らかにした、約一万二千年前に太平洋にあったという大陸のこと。この本の内容はすでに、全くのでっちあげであることが判明しているが、日本ではいち早く『サンデー毎日』が紹介、その後、一九四二年に『南洋諸島の古代文化』という一見学術書のような邦題で岡倉書房から訳出・刊行されている。同書刊行の目的は、チャーチワードのいうミユウ(ムー)と『竹内文献』で太古、日本人が住んでいたとされるミヨイ国を同一とみなすことにあり(原書の提供は藤澤親雄、訳者は藤澤同様『竹内文献』の信奉者として知られていた仲木貞一)、これにより対・太平洋侵略を正当な失地回復戦(南進は帰還)とすることで皇国に奉仕しようというつもりだったらしいが、「皇国」にとってはかかるパラノイアックな史観は不要どころか、むしろ危険なものでしかなかった。前述『公論』誌上での弾劾はこの本が訳出された翌年のことである。さて、総統はこのあたりの事情、ご存じなのかどうか?

 武闘派について付記すれば、ブント日向派出身で一水会時代は特異なテクノファシストとして知られた見沢知廉(『天皇ごっこ』で新日本文学賞を受賞)率いる極右過激派「統一戦線義勇軍」が昨年五月、機関紙『義勇軍報』を復刊。その第一号で一頁を割いて、こともあろうに「オウム真理教的武装に学べ」という記事を載せている。単に武装という点だけでなく、オウムが、ヤルタ・ポツダム体制の打倒をスローガンとする新右翼同様「ユダヤ・フリーメーソンの陰謀」への対決姿勢をみせていることへのシンパシーもあるようだ。義勇軍によれば、オウムを弾圧している警視庁内で、メーソン機関である池田・小沢一派による秘密工作が進められているという。

 ことの真偽はともかく、今述べてきたオウム、富士皇朝、そして統一戦線義勇軍の三団体が、反ユダヤを掲げる、すなわち多かれ少なかれ『シオン賢者の議定書』という世界的偽書に根ざした偽史・武装カルトである点において共通していることは指摘されていいはずだ。だが、プロトコールについては、ほかの論者がフォローしてくれることだろう。さて、こちらもそろそろ、まとめに入るころ合いである。

 あらかじめ失われた起源にむかって

 途中、必要に応じて一部、個々の偽史それぞれの荒唐無稽な内容についてもふれてきたが、だいたい、わが国において正史とされる記紀からして、SFまがいの天孫降臨はいうまでもなく、その降臨から神武東征までが百七十九万二千四百七十何年とか、これ自体、史書を装った正真正銘の偽書*2である。そもそも日本における偽史なるものは、虚偽にほかならない記紀の前段部分(神代巻)をさらに、異常なまでに過去に向かって増幅させたものであり、いうならば引用という観念機械によって縫製し直された超規格外の再製品なのだ。伝統とは起源の忘却であるといったのはだれだったか忘れたが(笑)、もしそうだとすれば偽史とは、あらかじめ存在しない起源の奪還ともいえる。

 またまた『姑獲鳥の夏』ではないが、「遡及する因果関係」と呼ばれる量子力学の極論によれば、過去をもし恣意的にとらえる者、より正確には過去の現実を定義づける決定権をもった者が現れればわれわれは、その過去に即した偽りの「現在」に巻き込まれる可能性がある。製造者の姪の記憶を移植されたレプリカント、レイチェルのように。いや、この場合はP・K・ディックが絶讚したアーシュラ・K・ル=グインの『天のろくろ』における世界の「改善」について言及すべきなのかもしれない。ベースはあくまで今在る世界であって、これが過去にさかのぼって改変されるという──。
 恐らくすべての史書、いやすべての書物は偽書であるという視点が必要なのだ。そこにあるのは、諸現象を決定するはずの無目的な自然法則、因果律を意図的に狂わそうとする意志(心)の介在である。秩序からの逸脱、そう今、あなたが手にして読んでいるこの本、これすら例外ではもちろんない。なんじ悪いことはいわない、書を捨てよ。書とは、心が脳を支配するべくつくり出したさまざまな詭弁を凝固させたものにほかならないのだから。

*1
本論には何の関係もないが、例の『トンデモ本の世界』の中に、あたかも木村鷹太郎に『海洋渡来日本史』という本があるかのような記載(三〇四頁)があったが、これは黒潮=海のシルクロード説を唱えていた八切止夫が、該当する木村の著作を、内容を一部改竄して「覆刻」したとき勝手につけたタイトルで、正しくは『日本太古小史』(大著『世界的研究に基づける日本太古史』上下巻のダイジェスト版)。また、刊行は明治時代とあるが、正しくは大正二年である。


*2
とすれば、日本民族を構成員とする日本国家こそは、最大の偽史・武装カルトである。

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