カタカムナ文献研究者・楢崎皐月考

 (最新見直し2008.7.2日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「楢崎研究所」の「楢崎皐月の経歴」、「楢崎皐月(ならさき こうげつ)」、「楢崎皐月(ならさき さつき)」、「カタカムナと楢崎皐月」、「相似象学会誌一覧」、「超科学書「カタカムナ」の謎」(広済堂ブックス)その他を参照する。

 1899(明治32).5.9日、山口県東萩で生まれる。本名はさつき。北海道札幌市で育つ。

 中学校卒業後一年志願兵に応募し軍隊生活・少尉任官。

 1917(大正6)年、18歳の時、レントゲン研究家の河喜多氏の知遇により日本電子工業の電気専門学校に学ぶ。独学で物理や化学を勉強。日本石油と契約を結び、20代で当時輸入に頼るしかなかった特殊絶縁油を開発、事業化する。「大日本炭油」で亜炭を原料とする人造石油を精製する研究を始める。

 楢崎皐月 著「炭油」(大日本炭油工業株式會社、1940年5月31日 発行)より

 序 石炭液化は極めて新しい工業であり、且つ頗るむづかしい事業であります。然しながら如何に至難なりといへども、吾國としては是非とも成功させねばならないことは、今更論を俟ちません。私はこの見地に立つて、石炭液化の新方式を獨創せる楢崎皐月君の着想は、定性的に非常に興味があり且つ有望と考へました。そこで同志と相謀り數年來同君を援助して今日に至つたのであります。

 楢崎君は專門の學歴がないことや、敬神行爲の多いといふことで兎角一般から誤解せられる傾があるようです。然しながら私の觀處では同君は愛國的熱情家であつても、感情を以つて道理に代へるような人でもなく、信仰を以つて知識に代へるような人でもありません。(略)

 昭和15年5月 大日本炭油工業株式會社 取締役 藤本榮次郎


 1941(昭和16)年、 陸軍省からの要請を受け満州の製鉄試験所長として渡満。貧鉄から品質の高い鋼の製造に成功。その後、軍の特務研究に従事。満州の吉林の老子廟で、その地でもっとも人々の尊敬を集めていた老子教道志の蘆有三道士に会い、その宇宙観に深い感銘を受ける。この時、老子教の古伝にある不思議な話しを聞かされる。この時の話しが後にカタカムナ文献の発見につながることになる。次のように記されている。
 「直接に, 『老子の古伝』として伝えられら言葉によれば、 我々が シナ民族固有の文化と思っていたもの(易・漢方医術・製錬法・老荘哲学・堯舜(ぎょうしゅん)の理想政治等)は、 日本上古代の文化の流れをくむものであるとのことである」(八号84〜101頁)。
 「そしてこの慮有三老師の語った日本上古代の文化を示す『八鏡文字』とは、カタカムナの声音図賞であったことが カタカムナの文献解読の結果、確認されたのである」(三号8・51頁, 八号83〜89頁)(宇野多美恵著 1982 「相似象学会誌 相似象 第十号」 株式会社現代社 p.8)。

 この慮有三老師との出会いについて、相似象はこう語っている。
 「吉林の山中に獨移(どくい)する老僧の, 思いも及ばぬ, 驚くべき識見と, 人格の高潔さ, 一種の超能力的不思議さ等に打たれた。彼は, 改めて入門を乞い, 敗戦で引き上げるまで, 親交を結ぶに至ったのである」(宇野多美恵著 1982 「相似象学会誌 相似象 第八号」 株式会社現代社 p.86)。

 
1943(昭和18)年、44歳の時、亜炭から人造石油をつくる日本造石油・炭油株式会社を福島県相馬郡に設立。

 1944(昭和19)年、45歳の時、「植物波農法」指導開始。

 1945(昭和20)年、46歳の時、終戦で帰国。終戦直後、星製薬の創設者であり衆議院議員でもあった星一(ほし はじめ)氏が、戦時中、一部の産業界や軍部から天才科学者と評価されていた楢崎の才能を高く買い、当時の食糧難と将来に備えた「新しい農業技術」(戦後復興の一手段として工業用原材料の生産を主とした農業を拡大する為の「植物波農法」の研究)の開発という名目で研究を依頼する。五反田の星製薬の研究所で重畳波の研究にたずさわる。旧海軍技術研究所の軍関係者や技術者と「化成会」を創設する。

 星製薬内に重量波研究所を設置し、農業において土地の善し悪しは、大地の電気分布で判断出来るのではないかという仮説の下、大地電位の分布実測調査を開始すると共に重畳波の研究にたずさわる。(この研究は後に「植物波農法」として完成する。 「静電三法」発刊。静電研究会を創設し、化成主義文化の活動を本格化する。

 1948(昭和23)年、47歳の時、星製薬を離れ、全国の大地電位の分布実測調査を始める。3年間で1万7千ケ所を回る。

 1949(昭和24)年、助手の青年数名と一緒に兵庫県の六甲山系・金鳥山の俗称狐塚付近で穴居生活をしながら実測調査に入る。この時、六甲山山系の金鳥山で平十字(ひらとうじ)氏と出会う。 相似象は次のように記している。
 概要「12月から3月にかけての寒中の64日間, 金鳥山の付近に穴居していた楢崎たちのもとに、初めて訪れた時の平十字氏は、 初老の猟師の姿で、 鉄砲を持ち、 腰に兎を一匹ぶらさげていた。そして、鉄砲をガチャつかせて威嚇しながら、『お前さんたち何の為にやってきた?泉に妙なものをしかけるから、森の動物達が 水飲みにいけなくて困っている。すぐに除けてやってくれ。あそこは動物たちの水飲み場なんじゃ』と怖い顔で命じ、『「決して狐をうつな、 兎ならくれてやる』と腰に下げたのを投げ出して言ったという。楢崎皐月たちは、泉に電線を張り巡らせて水の成分を分析していた。翌朝、楢崎たちが言われた通りに取りはずしておいたところ、 次の夜再び現れた平十字氏は機嫌よく労をねぎらい、『お前さんたちは感心な人たちじゃ、穴居しなければ本当のことは分からんものじゃ。これは、すぐに外してくれたお礼じゃ』と褒め、 お礼にと古い巻物をとり出し、自分は平十字(ヒラトウジ)、父はカタカムナ神社の宮司、 この巻物は、『父祖代々御神体であるから、 見たら目が潰れる』と言われて 厳しく秘匿されて来たものであることを告げ、古い和紙に書かれた巻物を開いた。円と十の字を基本とした図形を渦巻き状に配列したもので、暗号のようなものに見えた。『今までにこれを見て、刀のツバや定紋の絵だろうと言った学者があったが、 そんなものじゃないんだ』と厳然として言い、 又「カタカムナの神を祭り伝える家柄は、 平(ヒラ)家と食(メシ)家の二つしかない(中家を入れて三家という説もある)』とも語った。楢崎は書写を願い出て、平十字は快諾した。皐月は研究用に持っていた大学ノートにその文字を全て写し取った。その文章量は一日で写し終わるようなものではなく、それから20日間、皐月のところへ巻物を手に平十字が毎日通った。皐月はそれまで度々実家に葉書を送って安否を知らせていたが、このときは一ヶ月間葉書をよこさなかったと皐月の娘は述懐しているという」(宇野多美恵著 1982 「相似象学会誌 相似象 第八号」 株式会社現代社 p.91) 。

 楢崎はその巻物に描かれていた図形を見て、満州にいた頃に老子教の道志であった蘆有三に聞いた話を思い出した。それは「日本の上古代に、アシア族という種族が存在し、八鏡の文字を使い、特殊の鉄を作り、さまざまな生活技法を開発し高度な文明を持っていて、それが神農氏らによって伝えられシナの文化のもとになったものと秘かに伝わっている」というものであった。巻物の図形を見て、楢崎はこれが八鏡文字ではないかと直感した。そこで楢崎は猟師に巻物を写 し取ることを申し出た。平十字と名乗る猟師はすぐに了解した。このようにして楢崎が六甲山中で平十字と名乗る不思議な猟師に出会ったことで写 し取った図象がカタカムナ文献だとされている。カタカナのもとになったのがカタカムナ文献であり、平十字なる人物がサンカ(山窩)ではなかったのかとの話もある。

 こうして、楢崎は、古伝(日本の超古代文明)を知る。カタカムナを研究している相似象学会の宇野多美恵女史の著する「相似象第十号」にはこうある。
 「電気物理技術研究家, 楢崎皐月が, 昭和二四年, (1949年), 兵庫県六甲山系金鳥山中にて, 平十字(ヒラトウジ)と名のる老人より「カタカムナ神社の御神体」として伝えられた巻物を私共はカタカムナ文献の原本としている」(三号・八号)。(宇野多美恵著 1982 「相似象学会誌 相似象 第十号」 株式会社現代社 p.3)

 1950(昭和25)年、「植物波農法」指導開始。

 1957(昭和32)年、58歳の時、「技術専修養成講座」全国静電研究連合会を発足させる。

 1958(昭和33)年、59歳の時、「静電三法技術専修員用テキスト」(植物波農法、物質変成法、人体波健康法)を発行する。

 1960(昭和35)年、61歳の時、「宇宙対向式静電圧可用電源装置取扱要項」(特殊静電処理機)発行。

 1966(昭和41)年、67歳の時、「日本の第1次文明期の特徴」を著し、盧有三老師・平十字氏から得たカタカムナ(日本の上古代文明に関する古文献)の知識について語り始める。
カタカムナ文献全80首の歌の中から「ヒフミヨイ  マワリテメクル  ムナヤコト  アウノスヘシレ  カタチサキ  (以上第五首)、ソラニモロケセ  ユエヌオヲ  ハエツイネホン 
カタカムナ  (以上第六首)」。

 1968(昭和43)年、古事記等の古文書の解読に向かう。 


 1969(昭和44).12.4日、70歳の時、文部省教育会館に於ける考古物理学連続講演会でカタカムナの後継者となる宇野多美恵女史と出会う。相似象学会として引き継がれる。

 1970(昭和45).611日、文部省教育会館に於ける考古物理学連続講演会第6回目のこの日、企画された単位ごとの「天然会」、八部会を発足させる。1・考古物理(カタカムナ文献)研究、2・生医学(人体波健康法)研究、3・天然農法(植物波農法)研究、4・天然食研究、5・情報整序作業、6・特殊技術研究ストック、7・図書整理・機関誌発行、8・婦人部会(宇野天然会)、相似象発刊。宇野天然会は、第2号の発刊を機に「相似象学会」と改称。『静電三法』に基づく各々の研究。

 この頃、長年、極秘に研究を続けてきた原子力に対する反電磁場の出力研究、東海村原資炉関係の仕事を中止して(数百万円の私財を秘書に持ち逃げされたため)、直弟子の宇野へのカタカムナ伝授に傾倒する。

 1974(昭和49)年、75歳の時、7.31日 生涯を閉じる。

 宇野多美恵女史が後継者となる。2006.10.22日、軽井沢の別荘で息子さんと二人でいたところ火事になり二人とも死亡。享年89歳。カタカムナの大事な文献もほとんどが消失したと云われている。

 1949年、兵庫県六甲山系の金鳥山で穴居調査中に入手した古文書カタカムナ文献は如何なる書物であったか。楢崎氏によるカタカムナ図象の解読は驚くべき内容だった。普通、古文書というのは歴史書なのだが、カタカムナ文献は科学書であった。今から3〜5万年前の日本人が、直感した宇宙の成り立ちや特徴、物質の構造や生命の本質、それらの関連性を捉えた「農業や製鉄技法」、「病気の治療法」、「人間の考え方」、「商人道の心構え」まで説く「哲科学」であった。

 カタカムナ図象文字は、カタカムナ人が創造したカタカムナ声音符と、その声音符を組み合わせた言葉を示す図象文字との、基準になっている。神代文字の一つで、「○」と「十」の幾何図形によって組成されている。図像文字。声音符の造り方は、カタカムナ図象によって表現した8種類の自然の摂理を、巧みに一つのウタに読み込み、その歌詞に誘導されて48個の分割象を造り、それぞれに48種の声音を振り当てている。声音とは、可聴範囲内外の音を、我々の耳で識別できる必要最低限の48種類としている。楢崎氏は、カタカナの起源が、カタカムナ図象にあると結論している。また、フトマニ図象は「日本数字の記号」として使用されていたという。
カタカムナ文字

 これにより、日本史上の縄文時代以前の旧石器時代末期に超古代文明と云うべきカタカムナ文明が存在していたことが明らかとなった。カタカムナ文字を使用していたとされることから、これをカタカムナ文明と呼ぶ。カタカムナ文明は、極めて高度な科学技術や独自の哲学体系を持っていたことがカタカムナ文献から推測される。が、現在においてこの文明の存在を示す建造物や遺物は、これ以外には見つかっていない。

 カタカムナ文明の意義は、現代社会が陥っている深刻な環境問題やエネルギー問題に対して、カタカムナ科学がクリーンで安全なしかも無尽蔵にあるエネルギーを実用化する示唆を与えているところにある。現在、カタカムナのサトリにヒントを得た様々な取り組みが始まっている。


【『静電三法』】

 『静電三法』の発刊にあたって

 (略)楢崎先生がこの書を初めて世に問われたのは、三十数年前、日本がまだ敗戦後の混乱をひきずっていた時代でした。(略) 楢崎先生はこの「人体波健康法」を取り入れることによって、「対症医学」でも「予防医学」でもなく、積極的に健康な体を建設するという「建設医学」を提唱されました。当時、こうした先生の説を理解する人は学界にもただの一人もいませんでした。いまも限られた人たちの間でしか関心を持たれていません。(略) 日本電子物性中央研究会会長 井戸勝富

 第一部 静電三法に共通する基本となる知識

 (2)宇宙対向の静電気

 (略)日本の上代人はかかる超極微の粒子を「いさ」と表現し、「いさ」の静の状態を「いさなぎ(凪)」、動の状態を「いさなみ(波)」と言っている。また、この2種類の結合で客観できる物が生成されるという観念をいさなぎ・いさなみの両神が結婚せられて万物を創造し給うた、或いは拡張して我が国土を創造し給うたという如く、神話に託して上述の観念を表現している。(略)以上、要するに宇宙対向の静電気は、科学を基礎に技術化するに当って、東洋的考え方を加えることによってまだまだ発展を図る余地のあることを識って欲しいという考慮から、あえて静電気に対し哲学的表現を行う所以である。

 (3)相似象学

 第1章 概説

 1.相似象の諸問題

 地球の表層に賦存する自然物は、その形態容相が重深的に相似する。(略)この現象は単に自然物体の形が似るだけでなく、動植物の生理現象に関連し、人の精神作用と交渉をもつもので、また、多くの宗教的神秘性の物語はこの現象の二次元的所産といえるのである。(略)

 4.相似象の実際
 相似象の実際例を写真1−1〜写真1−5に示す。(略)
 写真1−5 相似象の実際例(5)
 手前の土手と池の向うに見える遠景は相似象を現わしている。初歩のうちは判別しにくいが、土手にある局部的に大きな破損個所の現われは、遠景の林の低味から破損個所を通る線に電位変遷の不安定な劣勢線が存在するものである。

 あとがき

 楢崎先生は、終戦後の食糧難という国情の中で、植物波農法を全国的に指導・普及活動を行われました。この『静電三法』の原著は、その当時、普及活動のテキストとして楢崎先生によってまとめ上げられたものです。(略)

 楢崎皐月 著「炭油」(大日本炭油工業株式會社、1940年5月31日 発行)より






(私論.私見)