巻第五(天孫本紀) |
(最新見直し2009.3.19日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「先代旧事本紀巻第一」を転載しておく。 2009.3.19日 れんだいこ拝 |
【巻第五(天孫本紀)】 |
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりのくしたまにぎはやひのみこと)。亦の名は天火明命(あめのほあかりのみこと)。亦の名は天照国照彦天火明尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと)。亦の名は饒速日尊(にぎはやひのみこと) 亦の名は膽杵磯丹杵穂命(いきしにきほのみこと)。 天照霊貴(あまてらすひるめむち)の太子(ひつぎのみこ)の正哉吾勝勝速日天押穂耳尊(まさやあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の娘の萬幡豊秋津師姫栲幡千千姫命(萬旗と余あきつしひめたくはたちちひめのみこと)を妃とし、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊が生まれた。天照太神と高皇産霊尊の、両方のご子孫としてお生まれになったので、天孫亦は皇孫と言う。 天祖(あめのみおや)は、天璽(あめのしるし)の十種の御宝を饒速日尊に授けられた。この尊は天神の御祖(みおや)の詔を受け天磐船(あめのいわふね)に乗って、河内の国の河上の哮(いかるが)の峯に天下られた。そして、大倭の国の鳥見の白庭山に遷られた。天下りの様子は天神本紀に書かれている。天磐船に乗って大空を駆け行き郷を巡り見て天下られた。「虚空(そら)見つ日本(やまと)の国」とはこの事を言う。 饒速日尊は長髄彦の娘の御炊屋姫(みかしきやひめ)を娶って妃とし、宇摩志麻治命(うましまちのみこと)を生む。出産前に饒速日尊は婦人に仰せられた。「お腹の子が、もし男子なら味間見命(うましまみのみこと)と名付けよ。もし女子なら色麻彌命(しこまみのみこと)と名付けよ」。生まれた子は男子だったので、味間見命と名付けた。 饒速日尊が亡くなり、まだ天に登り還らなかったとき、高皇産霊尊は速飄神(はやてのかみ)に命令して仰せられた。「我が神の御子の饒速日尊を葦原中国に使わした。疑わしい事がある。汝は降って調べて報告しなさい」。速飄命は命令を受け天降り、亡くなられた事を見て天に帰り復命して、「神の御子は既に亡くなられました」と復命した。高皇産霊尊は哀れと思い、速飄命を使わして、饒速日尊の遺体を天上に上げ、その遺体の側で七日七夜、騒ぎ悲しまれた。天上に葬られた。饒速日尊は夢によって妻の御炊屋姫に仰せられた。「我が子を私の形見としなさい」。そうして、天璽の御宝を授けた。また、天羽羽弓(あまのははゆみ)と天羽羽矢(あまのははや)、また神衣帯手貫(かみのみそおびたすき)の三物を登美白庭邑(とみのしらにわのむら)に埋葬した。これを持って墓と為した。天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊は天道日女命(あめみちひめのみこと)を妃とし、天上に天香語山命(あめかごやまのみこと)を生む。御炊屋姫を妃として天降り宇摩志麻治命を生む。 |
饒速日尊の子の天香語山命(あまのかごやまのみこと)。天降った後の名は手栗彦命(たくりひこのみこと)。亦の名は高倉下命(たかくらじのみこと)。この命は、御祖の天孫の尊に従い、紀伊の国の熊野の邑に天下られた。天孫の天饒石国饒石天津火瓊瓊杵尊(あめにぎしくににぎしあまつひこものににぎのみこと)の孫の磐余彦尊(いわれひこのみこと)が西宮を発ち自ら水軍を率いて東征を行われたとき往々に命令に背く者が蜂のごとく起こり、服従しなかった。中州(なかつくに)の豪雄(ひとごのかみ)の長髄彦(ながすねひこ)は兵を整え防ぎ、天孫が連戦したが適わなかった。進んで紀伊の国の熊野の邑に到着した時、悪しき神が毒を吐き人も物も総て萎えてしまった。天孫もこれを患い避けるすべを知られなかった。まさに高倉下命がこの邑の中に居て、夜に夢を見て天照大神が武甕槌神(たけみかづちのかみ)に仰せになった。「葦原瑞穂国(あしはらみずほのくに)は、なお鎮まらないと聞く。汝は更に往きこれを討ちなさい」。武甕槌神は答えて申しあげた。「私が行かなくても、私が国を鎮めた時の剣を天下らせれば自ずと治まります」。そうして高倉下命に語った。「予が剣の韴霊(ふつのみたま)を今、汝の庫の中に置いた。これを天孫に献じなさい」。高倉下命は夢から覚めて翌日、庫を開けて見れば、果たして剣が有った。逆さまに庫の床に立っていた。よって、これを取って献じた。天孫が眠りからたちまち覚めて云われた。「なぜ長々と眠っていたのだろう」。その後、毒に当っていた卒も再び覚めて起きた。皇師は中州に往き、天孫は剣を得て、日に日に威光と軍の勢いが増した。「御威光が勝った」と云われた。高倉下をほめて侍臣とした。 |
天香語山命は、異母妹の穂屋姫命(ほやひめのみこと)を妻とし、一男を生む。 饒速日尊の孫の天村雲命(あめのむらくものみこと)。亦の名は天五多底(あめのいつたて)。この命は、阿俾良依姫(あいらよりひめ)を妻とし二男一女を生む。 三世の孫の天忍人命(あめのおしひとのみこと)。この命は、異母妹の角屋姫(つぬやひめ)亦の名を葛木出石姫(かつらぎのいだしひめ)を妻とし、二男を生む。 次に天忍男命(あめのおしおのみこと)。この命は、葛木の国つ神の剣根命(つるぎねのみこと)の娘の賀奈良知姫(かならちひめ)を妻とし二男一女を生む。妹に忍日姫命(おしひめのみこと)。 四世の孫の瀛津世襲命(おきつよそのみこと)。亦は葛木彦命(かつらぎのひこのみこと)。尾張連(おわりのむらじ)等の先祖。天忍男命の子供。この命は、池心朝(いけこころのみかど、孝昭天皇の御世)に大連と成って仕えた。 次に建額赤命(たけぬかのみこと)。この命は、葛木の尾治置姫(かつらぎのおわりのおきひめ)を妻とし、一男を生む。妹に世襲足姫命(よそたらしひめのみこと)。亦の名を日置姫命(ひおきひめのみこと)。この命は、腋上池心宮(わきがみいけごころのみや)にて統治された観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと、孝昭天皇)が立てて皇后とし、二皇子を生む。即ち、天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)、次に日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと、孝安天皇)である。 同じく四世孫の天戸目命(あめのとめのみこと)。天忍人命の子である。この命は、葛木避姫(かつらぎのさくひめ)を妻とし二男を生む。 次に天忍男命(あめおしおのみこと)。大蛤任部連(おおはまみぶのむらじ)等の先祖。 |
五世の孫の建筒草命(たけつつくさのみこと)。建額赤命の子供。多治比連(たじひのむらじ)、津守連(つもりのむらじ)、若倭部連(わかやまとべのむらじ)、葛木厨値(かつらぎのみつしのあたい)の先祖。 同じく五世孫の建斗米命(たけとめのみこと)。天戸目命の子供。この命は、紀伊国造知名曾(きいのくにのみやつこちなそ)の妹の中名草姫(なかなくさひめ)と妻とし、六男一女を生む。 次に妙斗米命(たへとめのみこと)。六人部連(むとべのむらじ)等の先祖。 六世の孫の建田背命(たけだせのみこと)。神服連(かむはとりのむらじ)・海部値(あまべのあたい)・丹波国造(たんばのくにのみやつこ)・但馬国造(たじまのくにのみやつこ)等の先祖。 次に建宇那比命(たけうなひのみこと)。この命は磯城島連(しきしまのむらじ)の先祖の草名草姫(くさなくさひめ)を妻とし、二男一女を生む。 次に建多乎利命(たけたおりのみこと)。笛連(ふえふきのむらじ)・若犬甘連(わかいぬかいのむらじ)等の先祖。 次に建彌阿久良命(たけみあぐらのみこと)。高屋大分国造(たかやおおいたのくにのみやつこ)等の先祖。 次に建麻利尼命(たけまりねのみこと)。石作連(いしつくりのむらじ)、桑内連(くわうちのむらじ)、山邊縣主(やまのべのあがたぬし)等の先祖。 次に建手和邇命(たけたにわのみこと)。身人部連(むとべのむらじ)等の先祖。妹に宇那比姫命(うなひひめのみこと)。 七世の孫の建諸隅命(たけもろすみのみこと)。この命は、腋上池心宮(わきがみのいけごころのみや)にて統治された天皇[孝昭天皇]の御世に大臣になり仕えた。葛木値(かつらぎのあたい)の先祖の大諸見足尼(おおもろみのすくね)の娘の諸見己姫(もろみみひめ)を妻とし、一男を生む。 妹 大海姫命(おおあまひめのみこと)。亦の名は葛木高名姫命(かつらぎのたかなひめのみこと)。この命は、磯城瑞籬宮にて統治された天皇[崇神天皇]が妃とされ、一男二女を生む。八坂入彦命(やさかのいりひこのみこと)、次に渟中城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)、次に十市瓊入姫命(とおちにいりひめのみこと)。 八世の孫の倭得玉彦命(やまとえたまひこのみこと)。亦の名は市大稲日命(いちのおおいねひのみこと)。この命は、淡海国(おうみのくに)の谷上刀婢(たなかみとべ)を妻とし、一男一女を生み、伊賀臣(いがのおみ)の先祖の大伊賀彦(おおいがひこ)の娘の大伊賀姫(おおいがひめ)を妻として四男を生む。 九世の孫の弟彦命(おとひこのみこと)。妹 日女命(ひめのみこと)。 次に玉勝山代根古命(たまかつやましろねこのみこと)。山代水主雀部連(やましろのみなせのさきべのむらじ)・軽部遣(かるべのつかい)・蘇宜部首(そきべのおびと)等の先祖。 次に若都保命(わかつほのみこと)。五百木邊連(いほきべのむらじ)の先祖。 次に置部與曾命(おきべよそのみこと)。 次に彦與曾命(ひこよそのみこと)。 十世の孫の淡夜別命(あわやわけのみこと)。大海部直(おおあまべのあたい)等の先祖。弟彦命の子供。 次に大原足尼命(おおはらすくねのみこと)。筑紫豊国国造(つくしのとよくにのくにのみやつこ)等の先祖。置部與曾命の子供。 次に大八椅命(おおやつはしのみこと)。斐陀国造(ひだのくにのみやつこ)等の先祖。彦與曾命の子供。 次に大縫命(おおぬいのみこと)。 次に小縫命(おぬいのみこと)。 |
十一世の孫の乎止與命(おとよのみこと)。この命は、尾張の大印岐(おおいみき)の娘の眞敷刀婢(ましきとべ)を妻とし、一男を生む。 十二世の孫の建稲種命(たけいねたねのみこと)。この命は、邇波縣君(にわのあがたのきみ)の先祖の大荒田(おおあらた)の娘の玉姫を妻とし、二男四女を生む。 十三世の孫の尾綱根命(おつなねのみこと)。この命は、譽田天皇(ほむたのすめらみこと、応神天皇)の御世に大臣と成って仕えた。妹は尾綱眞若刀婢命(おつなのまわかとべのみこと)。この命は五百城入彦命(いほきいりひこのみこと)に嫁ぎ、品陀眞若王(ほむたまわかのおう)を生む。次に妹に金田屋野姫命(かなだやぬひめのみこと)。この命は、甥の品陀眞若王に嫁ぎ三人の女王を生む。高城入姫命(たかぎいりひめのみこと)、次に仲姫命(なかひめのみこと)、次に弟姫命(おとひめのみこと)である。この三人の命は、譽田天皇に后妃(きさきみめ)となって、十三人の皇子を生む。 姉の高城入姫を立てて妃とし、三男二女を生む。額田部大中彦皇子(ぬかたべのおおなかひこのみこ)、次に大山守皇子(おおやまもりのみこ)、次に去来眞若皇子(いさのまわかのみこ)。妹の仲姫命を立てて皇后とし、二男一女を生む。荒田皇女(あらたのひめみこ)。次に大雀天皇(おおささきのすめらみこと、仁徳天皇)。次に根鳥皇子(ねとりのみこ)。妹の弟姫を立てて妃とし、五女を生む。阿倍皇女(あべのひめみこ)。次に淡路三原皇女(あわじみはらのひめみこ)、次に兎野皇女(うののひめみこ)、次に大原皇女(おおはらのひめみこ)、次に滋原皇女(しげはらのひめみこ)。 |
品太天皇(ほむたのすめらみこと、応神天皇)の御世に尾治連の姓(かばね)を賜り大臣大連と成った。天皇は尾綱根連に詔していわれた。「汝の一族より生まれた十三人の皇子達を汝が率いて養い育ててくれるか」。このとき、尾綱根連は大いなる喜びを得た。自分の子供の若彦連(わかひこのむらじ)と従妹の毛良姫(もらひめ)の二人を任生部(みぶべ)の管理者にに定めた。そして、ただちに皇子達のお世話をする人を三人奉った。連の名は請。もうひとりの連の名は談である。二人の字の辰技中から、今この民部の三人の子孫を考えると、現在は伊与国にいる云々という。 十四世の孫の尾治弟彦連(おわりのおとひこのむらじ)。 次に尾治針名根連(おわりのはりなねのむらじ)。 次に意乎己連(おおみのむらじ)。この連は大雀朝(おおささきのみかど)[仁徳天皇]の御世に大臣と成って仕えた。 十五世の孫の尾治金連(おわりのかねのむらじ)。 次に尾治岐閇連(おわりのきへのむらじ)。尾張連の先祖。 次に尾治知知古連(おわりのちちこのむらじ)。久勢連(くせのむらじ)等の先祖。この連は、去来穂別朝(いざほわけのみかど)[履仲天皇]の御世に功能臣(いさちしよくするおみ)と成って、共に奉る。 十六世の孫の尾治坂合連(おわりのさかあいのむらじ)。金連の子供。この連は、允恭天皇の御世に寵臣と成って仕えた。 次に尾治古利連(おわりのこりのむらじ)。 次に尾治阿古連(おわりのあこのむらじ)。太刀西連(オオトセノムラジ)等の先祖。 次に尾治中天連(おわりのなかそらのむらじ) 次に尾治多多村連(おわりのたたむらのむらじ) 次に尾治弟鹿連(おわりのおとかにむらじ)。日村尾治連(ひむらのおわりのむらじ)等の先祖。 次に尾治多與志連(おわりのたよしのむらじ)。大海部直(おおあまべのあたい)等の先祖。 十七世の孫の尾治佐迷連(おわりのさめのむらじ)。坂合連の子供。妹 尾治兄日女連(おわりのえひめのむらじ) 十八世の孫の尾治乙訓與止連(おわりのおとくによどのむらじ)。佐迷連の子供。 次に尾治栗原連(おわりのくりはらのむらじ) 次に尾治間古連(おわりのまこのむらじ) 次に尾治枚夫連(おわりのひらふのむらじ)。紀伊尾治連(きいのおわりのむらじ)等の先祖。 |
天香語山命の弟の宇摩志麻治命(うましまちのみこと)。亦の名は味間見命(うましまみのみこと)。亦の名は可美眞手命(うましまてのみこと)。 天孫の天津火瓊瓊杵尊(あまつほのににぎのみこと)の孫の磐余彦尊(いわれひこのみこと)が天下を治めようと軍を興して東征された。往々に命令に従わない者が鉢のごとく起こり、従わなかった。中州(なかつくに)の豪雄の長髄彦(ながすねひこ)は饒速日尊(にぎはやひのみこと)の御子の宇摩志麻治命を推して君として遣えていた。長髄彦は、天孫の東征に際して、「天神の御子は二人も居る訳が無い。私は他に居られる事を知らない」と言い、兵を整え防ぎ戦った。天孫の軍は連戦したけれども勝事が出来なかった。この時、宇摩志麻治命は舅(伯父)の作戦に従わず、帰ってきたところを誅殺した。そして、衆を率いて帰順された。この時、天孫は宇摩志麻治命に仰せになった。「長髄彦の人となりは狂迷であった。兵の勢いが猛々しく、敵として戦ったが、勝事が難しかった。舅の作戦に従わず、軍を率いて帰順したので官軍戦いは終わった。朕はその忠節を喜ばしく思う」。そして特にほめたたえ、神剣を与えることで、その大きな勲功にお応えになった。その、大いなる働きに答えられたその神剣の韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)は、亦の名を布都主神魂刀(ふつぬしのみたまのつるぎ)と云い、亦は佐士布都(さしふつ)と言い、亦は建布都(たけふつ)と云い、亦は豊布都神(とよふつのかみ)と云う。 また、宇摩志麻治命は天神の御祖(みおや)が饒速日尊に授けた天璽瑞宝(あまつしるしのみずたから)十種を天孫に奉り献上した。天孫は大いに喜ばれ大変寵愛された。また、宇摩志麻治命は天物部を率いて荒々しく逆らうものを平定して行った。また、軍を率いて海内を平定し報告した。 天孫の磐余彦命は役人に命じて都を造り始められた。大歳辛酉正月庚辰に天孫の磐余命は橿原宮(かしはらのみや)に都を造り、初めて皇位に登られた。この日を天皇の治世元年とする。姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)を立てて皇后とした。大三輪の神の娘で有る。 宇摩志麻治命は先に天瑞宝を献じたが、神盾をたてて斎祭った。五十櫛と云う。亦、今木を布都主剣に刺し廻らしたとも云われている。大神を殿内に斎奉る。即ち天璽瑞宝を納めて、天皇のために鎮め祀る時、天皇は特に甚だしく愛しまれ、詔していわれた。「殿内の近くに侍りなさい」。その為に是を足尼(すくね)と云う。足尼という号は、ここから始まった。 高皇産霊尊の児である天種子命(あめのたねこのみこと)は諸々の斎部を率い、神代の古事(ふるごと)や天神の寿詞(よごと)を申し上げた。宇摩志麻治命は内物部(うちのもののべ)を率いて、矛盾をたてて厳しく威を裝い増した。道臣命(みちのおみのみこと)は来目部(くめべ)の軍を杖を帯て門の開閉を掌り、宮門の護衛を行った。ならびに四方の国に天位(あまつくらい、天皇位)の貴さを見せ遣わして、天下の民に朝廷の重要性を伝えた。時に、皇子、大夫(まえつきみ)たちは臣、連、伴造(とものみやつこ)国造を率いて賀正の帝を拝した。都を建て位に付き践祚の賀正はこの様な儀式であり、並びにこの時に始まった。 宇摩志麻治命は十一月十五日に初めて瑞宝を斎、天皇と皇后に奉り、御魂(みたま)を鎮め祭った。寿祚(いのちのさきはえ)を祈った。鎮魂(たまふり)の祭祀はこの時に始まった。天皇は宇摩志麻治命に詔して仰せられた。「汝の親の饒速日尊が天より授けられた天璽瑞宝をこの鎮めとし、毎年仲冬(しもつき)の中寅を常として、司を使って事を行い永年にわたって、鎮めの祭りを行え」。いわゆる御鎮祭(みしづめまつり)がこれで有る。その御鎮祭の日は猿女君(さるめのきみ)等が神楽(かぐら)を司り言挙げし、「一二三四五六七八九十」と大きな声で云う。神楽を歌い舞う。神楽を歌い舞うことが、瑞宝に関係するというのはこのことをいう。 |
治世二年春二月二日 天皇は功績を定めて、論功行賞を行った。宇摩志麻治命(うましまちのみこと)に詔して仰せられた。「汝の勲功は思えば大いなる功である。公の忠節は思えば至忠である。先に神霊之剣を授けて類無き勲を崇め報いた。今、股肱の職を設けて、末永く二心の無い誼(よしみ)を伝えよう。今より後、子々孫々八十連綿、必ずこの職を継ぎ、永きに渡ってながき鏡とするように」。この日、物部連(もののべのむらじ)等の先祖の宇摩志麻治命は、大神君(おおみわのきみ)の先祖の天日方奇日方命(あめのみかたくしひかたのみこと)と共に食国政申大夫(おすくにのまつりごともうすまえつきみ)に任じられた。天日方奇日方命は皇后の兄である。食国政申大夫は今の大連、大臣である。宇摩志麻治命は、天つしるしの瑞宝を斎奉り寿祚を祈って霊剣を崇めて国家を治め守った。この様な事を子孫は相伝え石上の大神を斎奉る。 詳しくは以下に述べる。 |
饒速日尊の子の宇摩志麻治命(うましまちのみこと)。この命は、橿原宮(かしわらのみや)で統治された天皇(神武天皇)の御世に初めて足尼(すくね)になり、次に食国政申大夫となり、大神を斎奉る。活目邑(いくめむら)の五十呉桃(いぐるみ)の娘の師長姫(しながひめ)を娶り二児が誕生した。饒速日尊の孫の味饒田命(うましにぎたのみこと)。阿刀連(あとのむらじ)等の先祖である。 弟の彦湯支命(ひこゆきのみこと)。亦の名は木開足尼(きけのすくね)。この命は、葛城の高丘宮(たかおかのみや)で統治された天皇(綏靖天皇)の御世に初めは足尼になり、次についで寵を得て食国政申大夫と成って大神を斎奉る。日下部馬津(くさかべのうまつ)、名は久流久美(くるくび)の娘の阿野姫(あのひめ)を娶り、一男を生む。出雲の色多利姫(いずもしこたりひめ)を妾とし、一男を生む。淡海(おうみ)の川枯姫(かわかれひめ)を妾とし、一男を生む。 三世の孫の大禰命(おおねのみこと)。彦湯支命の子供。この命は、片塩(かたしお)の浮穴宮(うきあなのみや)で統治された天皇[安寧天皇]の御世に、侍臣となって大神を斎奉る。弟の出雲醜大臣命(いずもしこおおおみのみこと)。彦湯支命の子供。この命は、軽地(かるのち)の曲峡宮(まがりちのみや)で統治された天皇(懿徳天皇)の御世に初め食国政申大夫となり、次に大臣となって大神を斎奉る。その大臣の名はこの時より始まった。倭(やまと)の志紀彦(しきひこ)の妹の真鳥姫(まとりひめ)を娶って、三児を生む。弟の出石心大臣命(いづしごころおおおみのみこと)。この命は、腋上(わきがみ)の池心宮(いけごころのみや)で統治された天皇(孝昭天皇)の御世に大臣となって大神を斎奉る。新河(にいかわ)の小楯姫(おたてひめ)を娶り、二児を生む。 四世の孫の大木食命(おおきくいのみこと)。三河国造(ミカワノクニノミヤツコ)等の先祖。出雲醜大臣命の子供。 弟の六見宿禰命(むつみのすくねのみこと)。小治田連(オハリダノムラジ)等の先祖。 弟の三見宿禰命(みつみのすくねのみこと)。漆部連(ヌリベノムラジ)等の先祖。この命は、秋津島宮(あきつしまのみや)で統治された天皇[孝安天皇]の御世に近くに宿直する縁で初めに足尼になる。次に宿禰となり大神を斎奉る。その宿禰はこの時が最初で有る。 児の大水口宿禰命(おおみなくちのすくねのみこと)。穂積臣(ほづみのおみ)・釆女臣(うねめのおみ)等の先祖。出石心大臣命の子供。 弟の大矢口宿禰命(おおやぐちのすくねのみこと)。この命は、廬戸宮(いおとのみや)で統治された天皇[孝霊天皇]の御世に宿禰となり大神を斎奉る。坂戸(さかど)の由良都姫(ゆらつひめ)を娶り、四児を生む。 |
五世の孫の鬱色雄命(うつしこおのみこと)。この命は、軽境原宮(かるのさかいはらのみや)で統治された天皇(孝元天皇)の御世に大臣となり大神を斎奉る。活馬(いくめ)の長沙彦(ながさひこ)の妹の芹田真稚姫(せりたまわかひめ)を娶り、一児を生む。妹に鬱色謎命(うつしこめのみこと)。この命は、軽境原宮で統治された天皇(孝元天皇)が立てて皇后とし、三皇子を生む。即ち、大彦命(おおひこのみこと)、次に春日宮(かすがのみや)で統治された天皇(開化天皇)、次に倭跡命(やまととのみこと)である。春日宮で統治された天皇(開化天皇)は皇后を尊んで皇太后とされた。また、磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや)で統治された天皇(崇神天皇)が尊んでは太皇太后とされた。弟に大綜杵命(おおへそきのみこと)。この命は、軽境原宮で統治された天皇の御世に大禰(おおね)となり、春日率河宮(いさかわのみや)で統治された天皇の御世に大臣となり、皇后・大臣は大神を斎奉った。高屋(たかや)の阿波良姫(あわらひめ)を娶り、二児を生む。弟に大峰大尼命(おおみねのおおねのみこと)。この命は、春日宮で統治された天皇(開化天皇)の御世に大尼(おおね)となって仕えた。大尼の起こりは是より始まる。 六世の孫の武建大尼命(たけたつおおねのみこと)。鬱色雄大臣の子供。この御子は同天皇の御世に大尼となって仕えた。同じく六世の孫妹の伊香色謎命(いかしこめのみこと)。この命は、軽境原宮で統治された天皇()が立てて妃とし、彦太忍信命(ひこふとおしまことのみこと)を生まれた。天皇が崩御され、春日宮で統治された天皇が庶母を立てて皇后とし、皇子を生まれた。磯城の瑞籬宮で統治された天皇である。この天皇は皇太后とされた。纏向天皇[垂仁天皇]の御世に太皇太后を追贈された。同じく子孫・伊香色謎命(いかがしこめのみこと)。大綜杵大臣の子である。この命は、孝元天皇の御世に皇妃となり、彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)をお生みになった。孝元天皇が崩ぜられた後、開化天皇は庶母の伊香色謎命を立てて皇后とし、皇子をお生みになった。すなわち、崇神天皇である。崇神天皇は、伊香色謎命を尊んで皇太后とされた。纏向に天下を治められた垂仁天皇の御世に追号して、太皇大后を贈られた。 弟の伊香色雄命(いかしこおのみこと)。この命は、春日宮で統治された天皇(開化天皇)の御世に大臣となり、磯城の瑞籬宮で統治された天皇から大臣の詔を受け、神の種類を分け、天社(天津神の神社)と国社(国津神の神社)を定めた。物部八十手(もののべのやそて)が作った神祭りの方法で八十萬の神を拝んで祭った。この時、建夫都大神(たけるふつのおおかみ)の社を大倭の国の山邊の郡の石上邑(いそかみのむら)に遷した。饒速日尊が天祖から授かり、天より持ってきた天璽瑞宝も同じく収めて祀った。石上大神(いそかみのおおかみ)と名付けた。国家の為また物部氏の氏神として崇め祀り鎮めた。伊香色謎皇后と伊香色雄大臣は石上神宮をお祀りした。山代県主(やましろのあがたぬし)の先祖の長溝(ながみぞ)の娘の眞木姫(まきひめ)を娶って、二児を生む。山代県主の先祖の長溝の娘の荒姫(あらひめ)と妹の玉手姫(たまてひめ)を妾とした。それぞれ二男を生む。倭の志紀彦(しきひこ)の娘の眞鳥姫(まとりひめ)を妾とし一男を生む。 |
七世の孫の建膽心大禰命(たけいこころおおねのみこと)。伊香色雄命の子供。この命は、磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや)で統治された天皇(崇神天皇)の御世に初めて大禰(おおね)となって仕えた。弟に多辨宿禰命(たべのすくねのみこと)。宇治部連(うやべのむらじ)、交野連(かたののむらじ)等の先祖。この命は、同天皇の御世に宿禰となって仕えた。弟に安毛建三命(やすけたけみのみこと)。六人部連(ムトベノムラジ)等の先祖。この命は、同天皇[崇神天皇]の御世に侍臣となって仕えた。弟に大新河命(おおにいかわのみこと)。この命は、纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)で統治された天皇(垂仁天皇)の御世に始めは大臣となり、次に物部連公(もののべのむらじのきみ)の姓を賜る。改めて大連となり神宮に斎仕えた。大連の名はこの時より始まる。紀伊の荒川戸俾(あらかわとべ)の娘の中日女(なかひめ)を娶り、四男を生む。 弟に十市根命(といちねのみこと)。この命は、纏向珠城宮で統治された天皇の御世に物部連公の姓を賜る。初め五大夫の一人となり、次に大連となり神宮に斎仕えた。天皇は物部十市根連に詔して仰せになった。「しばしば、使いを出雲の国に遣わして、その国の神の宝を検案しようとしても、明確に報告するものはなかった。汝自ら出雲の国に行き検案して定めよ」。そこで、十市根大連は神宝を検案し定め、明らかにして報告した。神宝を掌って定めた。 同天皇の御世に五十瓊敷入彦皇子命(いにしきいりひこのみこのみこと)は河内の国の幸乃河上宮(さちのかわかみのみや)で大刀千口を作った。名を赤花之伴(あかはなのとも)と云う。亦は裸伴剣(あかはだとものつるぎ)と云う。今は石上に納められている神宝である。この後、皇子命に石上神宝を司るよう命じられた。 同天皇の御世から八十七年を経て、五十瓊敷入彦皇子命は妹の大中姫命(おおなかつひめのみこと)に語って仰せられた。「私は年をとって神宝を掌ことが出来なくなった。今より後は汝が必ず掌りなさい」。大中姫命は驚いて答えた。「私はかよわい女です。どうして天神の倉庫に登る事が出来ましょうか」。五十瓊敷入彦皇子命は云われた。「天神の倉庫が高いというなら、私が天神の倉庫に登る為の梯子を作ろう。登るのが難しいことはない。そうすれば、天神の倉庫に登る事を煩わなくても済む」。諺に「天之神藏も梯子のまま」と言うのはこの事が起こりで有る。しかし、大中姫命は遂に物部十市大連に授けて石上の神宝を治めるよう命じられた。物部氏が石上の神宝を掌るのは、これがその起源である。物部武諸隅連公(もののべのたけもろずみのむらじのきみ)の娘の時姫を娶り五男を生む。 弟に建新河命(たけにいかわのみこと)。倭の志紀県主(しきのあがたぬし)等の先祖。弟 大咩布命(おおめふのみこと)。若湯坐連(わかゆえのむらじ)等の先祖。この二人の命は、同天皇の御世に侍臣となって仕える。 |
八世の孫の物部武諸隅連公(もののべのたけもろずみのむらじのきみ)。新河大連の子である。この連公は、磯城の瑞籬宮で統治された天皇(崇神天皇)の六十年に天皇は群臣に詔して仰せられた。「武日照命(たけひてるのみこと)が天より持ってきた神宝を出雲の大神の宮に収めた。是を見たいと思う」。そこで、矢田部造(やたべのみやつこ)の先祖の武諸隅命を遣わした。検案し明らかに定め報告した。この時、大連となって石上神宮を斎仕えた。物部膽咋宿禰(もののべのいぐいのすくね)の娘の清媛(きよひめ)を娶り一男を産む。 弟に物部大小市連公(もののべのおおちいちのむらじのきみ)。小市直(おいちのあたい)等の先祖。弟に物部大小木連公(もののべのおおちぎのむらじのきみ)。佐夜部直(さやべのあたい)・久奴直(くぬのあたい)等の先祖。弟に物部大母隅連公(もののべのおおもろずみのむらじのきみ)。矢集連(やつめのむらじ)等の先祖。これら三人の連公は志賀(しが)の高穴穂宮(たかあなほのみや)で統治された天皇(成務天皇)の御世に侍臣となって仕えた。 同じく八世の孫の物部膽咋宿禰(もののべのいぐいのすくね)。十市根大連の子である。この宿禰は、志賀の高穴穂宮で統治された天皇(成務天皇)の御世にはじめは大臣となり、石上神宮をお祀りした。次に宿禰となり神宮に斎仕えた。その宿禰の官は始めてこの時に起こった。市師宿禰(いちしのすくね)の先祖の穴太足尼(あなほのすくね)の娘の比咩古命(ひめこのみこと)を娶り、三児を生む。阿奴(あぬ)の建部君(たけべのきみ)の先祖の太玉の娘の鴨姫(かもひめ)を妾とし、一児を生む。三川穂国造(みかわのほのくにのみやつこ)の美己止直(みこなのあたい)の妹の伊佐姫を妾とし、一児を生む。宇太笠間連(うだのかさまのむらじ)の先祖の大幹命(おおとものみこと)の娘の止己呂姫(ところひめ)を妾とし、一児を生む。 弟に物部止志奈連公(もののべのとしなのむらじのきみ)。杭田連(くいたのむらじ)等の先祖。弟に物部片堅石連公(もののべのかたしわのむらじのきみ)。駿河国造(するがのくにのみやつこ)等の先祖。弟に物部印岐美連公(もののべのいきみのむらじのきみ)。志紀県主(しきのあがたぬし)、遠江国造(とおとおみのくにのみやつこ)、久努直(くぬのあたい)、佐夜直(さやのあたい)等の先祖。弟に物部金弓連公(もののべのかねゆみのむらじのきみ)。田井連(たいのむらじ)・佐比連(さひのむらじ)等の先祖。これら四人の連公は同朝の成務天皇の御世に侍臣となって仕えた。 九世の孫の物部多遅麻連公(もののべのたじまのむらじのきみ)。この連公は、纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)で統治された天皇[景行天皇]の御世に大連となり神宮に斎仕えた。物部五十琴彦連公(もののべのいことひこのむらじのきみ)の娘の安媛を娶り、一児を生む。 孫 物部五十琴宿禰連公(もののべのいごとのすくねのむらじのきみ)。膽咋宿禰の子供。この連公は、磐余稚桜宮(いわれのわかさくらのみや)で統治された神功皇后の御世に、始めは大連となり、次に宿禰となって神宮に斎仕えた。物部多遅麻大連の娘の香児媛(ちごひめ)を娶り、三児を生む。 妹 物部五十琴姫命(もののべのいごとひめのみこと)。この姫は、纏向日代宮で統治された天皇が立てて妃とし、一児を生む。五十功彦命(いごとひこのみこと)である。 弟 物部五十琴彦連公(もののべのいごとひこのむらじのきみ)。この連公は、物部竹古連公(もののべのたけこのむらじのきみ)の娘の弟姫(おとひめ)を娶り、二児を生む。 弟 物部竺志連公(もののべのつくしのむらじのきみ)[奄智藪連(あむちかぶらのむらじ)等の先祖] 弟 物部竹古連公(もののべのたけこのむらじのきみ)[藤原の恒見君(つねみのきみ)・長田の川合君(かわあいのきみ)・三川の藪連(かぶらのむらじ)等の先祖] 物部椋垣連公(もののべのくらがきむらじのきみ)[城(しき)の藪連(かぶらのむらじ)・比尼(ひね)の藪連等の先祖] この三人の連公は同朝の御世に侍臣となって仕えた。 |
十世の孫の物部印葉連公(もののべのいはのむらじのきみ)。多遅麻大連の子供。この連公は、軽島豊明宮(かるしまのとよあけのみや)で統治された天皇[応神天皇]の御世に大連となって神宮に斎仕えた。 姉の物部山無媛連公(もののべのやまなひめのむらじのきみ)。この連公は、軽島豊明宮で統治された天皇が立てて妃とし太子の兔道稚郎皇子(うじのわかいらつのみこ)を生む。次に矢田皇女(やたのひめみこ)、次に雌鳥皇女(めとりのひめみこ)。その矢田皇女は難波高津宮(なにわのたかつのみや)統治された天皇[仁徳天皇]が立てて皇后とされた。弟 物部伊與連公(もののべのいよのむらじのきみ)。弟の物部小神連公(もののべのおかみのむらじのきみ)。この二人の連公は同朝の御世に侍臣となって仕えた。 弟 物部大別連公(もののべのおわけのむらじのきみ)。この連公は、難波高津宮で統治された天皇の御世に、侍臣となって神宮に斎仕えた。軽島豊明宮で統治された天皇の太子の兔道稚郎皇子と同母の妹の矢田皇女を難波高津宮で統治された天皇は立てて皇后とされたが皇子が生まれ無かったので、大別連公に命じて皇子代となって皇后の名を氏として、改めて矢田部連公(やたべのむらじのきみ)の姓を賜る。 孫 物部伊●弗連公(もののべのいこふつのむらじのきみ)。五十琴宿禰の子供。この連公は、稚桜宮[履中天皇]と柴垣宮(しばがきのみや)[反正天皇]で統治された天皇の御世に大連となって、神宮に斎仕えた。倭の国造の先祖の比香賀君(ひかがのきみ)の娘の玉彦媛(たまひこひめ)を娶り、二児を生む。●岡屋媛(おとよめおかやひめ)を妾とし、二児を生む。 弟 物部麦入宿禰連公(もののべのむぎのすくねのむらじのきみ)。この連公は、遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)で統治された天皇[允恭天皇]の御世に大連となり、次に宿禰となって神宮に斎仕える。物部目古連公(もののべのめこのむらじのきみ)の娘の全能媛(またのひめ)を娶り、四児を生む。 弟 物部石持連公(もののべのいしもちのむらじのきみ)[佐為連(さいのむらじ)等の先祖] 孫 物部目古連公(もののべのめこのむらじのきみ)[五十琴彦の子供。田井連(たいのむらじ)等の先祖] 弟 物部牧古連公(もののべのまきこのむらじのきみ)[佐比佐連(さひさのむらじ)等の先祖] 十一世の孫の物部眞椋連公(もののべのまくらのむらじのきみ)[伊●弗宿禰の子供。巫部連(みぶのむらじ)・文島連(ふみしまのむらじ)・須佐連(すさのむらじ)等の先祖] 弟 物部布都久留連公(もののべのふつくるのむらじのきみ)。この連公は、大長谷朝(おおはつせのみかど)[雄略天皇]の御世に大連となって、神宮に斎仕えた。依羅連柴垣(よさみのむらじしばがき)の娘の太姫(ふとひめ)を娶り、一児を生む。 弟 物部目大連公(もののべのめのおおむらじのきみ)。この連公は、磐余甕栗宮(いわれのみくりのみや)で統治された天皇[清寧天皇]の御世に大連となって、神宮に斎仕えた。 弟 物部鍛治師連公(もののべのかじしのむらじのきみ)[鏡作・氷軽馬連(ひかるめのむらじ)等の先祖] 弟 物部竺志連公(もののべのつくしのむらじのきみ)[新家連(にいのむらじ)等の先祖] 孫 物部大前宿禰連公(もののべのおおまえのすくねのむらじのきみ)。麦入宿禰連の子供。氷連(ひのむらじ)等の先祖。この連公は、石上穴穂宮(いそかみのあなほのみや)で統治された天皇[安康天皇]の御世に大連となり、次に宿禰となって神宮に斎仕えた。 弟 物部小前宿禰連公(もののべのおまえのすくねのむらじのきみ)。田部連(たべのむらじ)の先祖。この連公は近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつりのみや)で統治された天皇[顕宗天皇]の御世に大連となり、次に宿禰となって神宮に斎仕えた。 弟 物部御辭連公(もののべのもことのむらじのきみ)[佐為連(さいのむらじ)等の先祖] 弟 物部石持連公(もののべのいしもちのむらじのきみ)[刑部(おさかべ)・垣部(かきべ)・刑部造(おさかべのみやつこ)等の先祖] |
十二世の孫の物部木蓮子連公(もののべのきたしのむらじのきみ)。布都久留大連の子供。この連公は、石上廣高宮(いそかみのひろたかのみや)で統治された天皇[仁賢天皇]の御世に大連となって神宮に斎仕えた。御大臣の祖の娘の黒媛を娶り二児を生む。 弟 物部小事連公(もののべのこごとのむらじのきみ)[志陀連(しだのむらじ)・柴垣連(しばがきのむらじ)・田井連(たいのむらじ)等の先祖] 弟 物部多波連公(もののべのたはのむらじのきみ)[依網連(よさみのむらじ)等の先祖] 弟 物部荒山連公(もののべのあらやまのむらじのきみ)。目大連の子供。この連公は、檜前廬入宮(ひのくまのいおりいりのみや)で統治された天皇[宣化天皇]の御世に大連となって神宮に斎仕えた。 弟 物部麻作連公(もののべのまさのむらじのきみ)[借馬連(かるまのむらじ)・矢原連(やはらのむらじ)等の先祖] 十三世の孫の物部尾興連公(もののべのおこしのむらじのきみ)。荒山大連の子供。この連公は、磯城島金刺宮(しきしまのかねさしのみや)で統治された天皇[欽明天皇]の御世に大連となって神宮に斎仕えた。弓削連(ゆげのむらじ)の先祖の倭古連(やまとこのむらじ)の娘の阿佐姫(あさひめ)、次に加波流姫(かはるひめ)を娶って兄四児を生み、弟三児を生む。 弟 物部奈流連公(もののべのなるのむらじのきみ)。木蓮子大連の子供。この連公は、泊瀬列城宮(はっせのなみきのみや)で統治された天皇[武烈天皇]の御世に大連となって神宮に斎仕えた。須羽直(すはのあたい)の娘の妹古(いもこ)を娶り、二児を生む。 弟 物部目連公(もののべめのむらじのきみ)。この連公は、継体天皇の御世に大連となって神宮に斎仕えた。 弟 物部長目連公(もののべのながめのむらじのきみ)[軽馬連(かるまのむらじ)等の先祖] 弟 物部金連公(もののべのかねのむらじ)[借馬連(かりまのむらじ)・野間連(のまのむらじ)等の先祖] 弟 物部呉足尼連公(もののべのくれのすくねのむらじ)。依羅連(よさみのむらじ)等の先祖。この連公は、磯城島金刺宮で統治された天皇の御世に宿禰となった。 弟 物部建彦連公(もののべのたけひこのむらじのきみ)。高橋連(たかはしのむらじ)・立野連(たちののむらじ)・都刀連(つとのむらじ)・横廣連(よこひろのむらじ)・葛井連(くずいのむらじ)・伊勢荒比田連(いせのあらいたのむらじ)・小田連(おだのむらじ)等の先祖。 |
十四世の孫の物部大市御狩連公(もののべのおおいちのみかりのむらじのきみ)。尾興大連の子供。小語田宮(おさだのみや)で統治された天皇[敏達天皇]の御世に大連となって神宮に斎仕えた。弟の贄古大連(にえこのおおむらじ)の娘の宮古郎女(みやこのいらつめ)を娶り、二児を生む。 弟 物部守屋大連公(もののべのもりやのおおむらじのきみ)。亦は弓削大連(ゆげのおおむらじ)という。この連公は、池辺雙槻宮(いけべのなつきのみや)で統治された天皇[用明天皇]の御世に大連となって神宮に斎仕える。 弟 物部今木金弓若子連公(もののべのいまきかねゆみのわかこのむらじのきみ)[今木連(いまきのむらじ)等の先祖] 妹 物部連公布都姫夫人(もののべのむらじのきみふつひめのふじん)。字(あざな)は櫛井夫人(くしいのふじん)、亦は石上夫人(いそかみのふじん)という。この夫人は、倉梯宮(くらはしのみや)で統治された天皇[崇峻天皇]の御世に夫人に立てられる。また、天皇の政治に関わり神宮に斎仕えた。 弟 物部石上贄古連公(もののべのいそかみのにえこのむらじのきみ)。この連公は、異母妹の御井夫人(みいのおとじ)を娶り、四児を生む。小治田豊浦宮(おはりだのとゆらのみや)で統治された天皇[推古天皇]の御世に大連となって神宮に斎仕えた。 弟 物部多知髪連公(もののべのたちがみのむらじのきみ) 弟 物部麁鹿火連公(もののべのあらかいのむらじのきみ)。麻佐良大連の子供。この連公は、匂金橋宮(まがりのかねはしのみや)で統治された天皇[安閑天皇]の御世に大連となって神宮に斎仕えた。 弟 物部押甲連公(もののべのおしかつのむらじのきみ)。この連公は、檜前廬入宮(ひくまのいおりいりのみや)で統治された天皇[宣化天皇]の御世に大連となって神宮に斎仕えた。 弟 物部老古連公(もののべのおいこのむらじのきみ)[神野の入州連(いりすのむらじ)等の先祖] 弟 物部金連公(もののべのかねのむらじのきみ)[目大連の子供。野間連(のまのむらじ)・借馬連(かりまのむらじ)等の先祖] 弟 物部三盾連公(もののべのみたてのむらじきみ)[鳥部連(トリベノムラジ)等の先祖] 弟 物部臣竹連公(もののべのおみたけのむらじのきみ)[肩野連(かたののむらじ)・宇遅部連(うちべのむらじ)等の先祖] 弟 物部倭古連公(もののべのやまとこのむらじのきみ)[依羅田部連(よさみのたべのむらじ)等の先祖] 弟 物部塩古連公(もののべのしおこのむらじのきみ)[葛野の韓国連(かどののからくにのむらじ)等の先祖] 弟 物部金古連公(もののべのかねこのむらじのきみ)[三島の韓国連等の先祖] 弟 物部阿遅古連公(もののべのあぢこのむらじのきみ)[水間君(ミズマノキミ)等の先祖] |
十五世の孫の物部大人連公(もののべのおとなのむらじのきみ)。御狩大連の子供。この連公は、物部雄君連(もののべのおきみのむらじ)の娘の有利媛(ありひめ)を娶り一児を生む。 弟 物部目連公(もののべのめのむらじのきみ)。大貞連(おおさだのむらじ)等の先祖。この連公は、磯城島宮(しきしまのみや)で統治された天皇[欽明天皇]の御世に大連となって神宮に斎仕えた。 孫 内大紫冠位(うちのだいしかんい)物部雄君連公(もののべのおきみのむらじのきみ)。守屋大連の子供。この連公は、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で統治された天皇[天武天皇]の御世に氏の上の内大紫冠位を贈わって、神宮に斎仕えた。物部目大連の娘の豊媛を娶り二児を生む。 孫 物部鎌束連公(もののべのかまつかのむらじのきみ)[贄古大連の子供] 弟 物部長兄若子連公(もののべのながえのわかごのむらじのきみ) 弟 物部大吉若子連公(もののべのおおえわかこのむらじのきみ) 妹 物部鎌足姫大刀自連公(もののべのかまたりひめのおおとじのむらじのきみ)。この連公は、小治田豊浦宮で統治された天皇[推古天皇]の御世に参政し、神宮を斎仕えた。蘇我の島の大臣(馬子)の妻となり、豊浦大臣を生む。名を入鹿連公(いるかのむらじのきみ)と言う。 孫 物部石弓若子連公(もののべのいわゆみのわかごのむらじのきみ)[麁鹿火連の子供。今木連(いまきのむらじ)等の先祖 弟 物部毛等若子連公(もののべのもとわかごのむらじのきみ)[屋形連(やかたのむらじ)等の先祖] 孫 物部奈西連公(もののべのなせのむらじのきみ)[押甲大連の子供。葛野連(かどののむらじ)等の先祖] 孫 物部恵佐古連公(もののべのえさこのむらじのきみ) この連公は小治田豊浦宮で統治された天皇の御世に大連となって神宮を斎仕えた。 十六世の孫の物部耳連公(もののべのみみのむらじのきみ)[大人連公の子供。今木連等の先祖] 孫 物部忍勝連公(もののべのおしかつのむらじのきみ)[雄君連公の子供] 弟 物部金弓連公(もののべのかねゆみのむらじのきみ)[今木連(いまきのむらじ)等の先祖] 孫 物部馬古連公(もののべのうまこのむらじのきみ)。目大連の子供。この連公は、難波朝[孝徳天皇]の御世に大華上の氏の印の太刀を授けられ、食封を千畑を賜って、神宮に斎仕えた。 孫 物部荒猪連公(もののべのあらいのむらじのきみ)[佐古大連の子供。榎井臣(えのいのおみ)等の先祖] この連公は、同朝の御世に大華上の位を賜る。 弟 物部弓梓連公(もののべのあずさのむらじのきみ)[榎井臣(えのいのおみ)等の先祖] 弟 物部加佐夫連公(もののべのかさふのむらじのきみ)[榎井臣(えのいのおみ)等の先祖] 弟 物部多都彦連公(もののべのたつひこのむらじのきみ)[榎井臣(えのいのおみ)等の先祖] この連公は、淡海(おおみ)朝[天智天皇]の御世に大連となって神宮を斎仕えた。 十七世の孫の物部連公麻侶(もののべのむらじのきみのまろ)。馬古連公の子供。この連公は、浄御原宮朝[天武天皇]の御世に天下の萬の姓を八色(やくさ)に改めて定められた。連公を改めて、物部朝臣(もののべのあそみ)の姓を賜い、同朝の御世に改めて石上朝臣(いそかみのあそみ)の姓を賜う。 |
(私論.私見)