巻第四(地祇本紀) |
(最新見直し2009.3.19日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「先代旧事本紀巻第一」を転載しておく。 2009.3.19日 れんだいこ拝 |
【巻第四(地祇本紀)】 |
スサノウの尊は、天照大神と共に誓約(うけい)を行って瀛津島姫命(おきつしまひめのみこと)と湍津島姫命(たぎつしまひめのみこと)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の三神を生んだ。スサノウの尊の行いは非常に悪かった。八十萬(やそよろず)の神は千座置戸(ちくらのおきど)を科して、天上から追放した。スサノウの尊は子の五十猛神(いそたけるのかみ)を率いて、新羅の會尸茂梨(そしもり)と言う所に天降られた。そして、声に出して、「この地には居たくない」と言った。そして、埴土(はに)の船を作り、それに乗って東に渡った。出雲の国の簸(ひ)の河上と安藝(あき)の国の可愛(かあい)の河上に有る鳥上の峰に至った。 スサノウの尊が出雲の国の簸の河上の鳥髪と言う地に至った時、その河上から箸が流れてきた。素戔烏尊は河上に人が居ると考え、マギ登って行くと河上に泣く声を聞いた。一人の老翁と老婆と中間に少女を挟んで泣いていた。スサノウの尊は尋ねて仰せられた。「貴方たちは誰なのか。なぜ、このように泣いているのか」。翁は答えて申しあげた。「私は国津神で名を脚摩乳(あしなづち)と言います。我が妻の名は手摩乳(てなづち)と言います。この童女は我が子の奇稲田姫(くしいなだひめ)と言います。泣いています理由は、以前に我に八人の娘が居ました。高志八岐大蛇(こしのやまたのおろち)の為に食べられてしまいました。今年はこの子が食べられるのです。それが悲いです」。スサノウの尊はその姿かたちを尋ねた。翁は答えた。「大蛇は一つの胴体に八つの頭がそれぞれわかれています。目は酸漿の様に真っ赤です。胴体にコケが生え、松・柏・杉・檜が背中に生えています。長さは谷を八つ峡にわたって見えます。その腹を見ると常に血に爛れています」。スサノウの尊は翁に、「貴方の娘を私に頂けないか」と言った。翁は、「恐れ多い事ですが、私は貴方を知りません」と答えた。スサノウの尊は、「私は天照大神の弟で有る。今、天より降りてきた」と言った。翁は、「差し上げさせて頂きます。先に、大蛇を殺したのち召して頂きたいです」と言った。 スサノウの尊はたちまち奇稲田姫を湯津爪櫛に変え、鬟に刺された。脚摩乳と手摩乳を使って醸した酒を八甕醸造し、垣を作り廻らし、その垣に八つの門を作り、八つの杯を作り、各々の酒槽として、酒を盛った。八つの桟敷を作った。言われる通りに準備をし待ち受けた。時に八岐大蛇と言うごとく、八つの丘と八つの谷を這い回って来た。スサノウの尊は大蛇に寄り仰せられた。「貴方様は恐れ多い神です。もてなさせていただきます」。八つの甕を与えたので、頭ごとに酒槽を得て飲み干して、酔って寝てしまった。スサノウの尊は帯びていた十握剣を抜いて、大蛇を寸断した。この大蛇は八段に成り、段ごとに雷に成った。総ての雷となって飛んで天に登った。怪しいこと甚だしかった。簸の河は血だらけになって流れた。尾を切ると剣の刃が少し欠けたので、尾を裂いて覗いて見ると一振りの剣が有った。名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と言う。大蛇の居る所の上に、常に雲気が有ったため名付けられた。スサノウの尊は仰せられた。「是は、神剣である。これを私の手元において置くべきではない」。五世の孫の天葺根神(あめのふきねのかみ)を遣わして、天上に奉った。その後、日本武尊が東征された時に、その剣を草薙剣(くさなぎのつるぎ)と名付けた。今は尾張国の吾湯市村に有り、熱田神社の斎祭る神である。そして、大蛇を切った剣は、今は吉備(きび)の神部(かむべ)の所に有り、出雲の簸の河上に至るのはこれで有る。亦は、大蛇を切った剣は大蛇之荒正(あらまさ、麁正)と言い、今は石上神社にある。 |
スサノウの尊は婚姻のための場所を探しに行かれ、出雲の国の清(すが)の地に行き着かれた。亦は、須賀須賀斯と言う。ここで、「我が心は清清しい」と言われた。そこに宮を建てられた時、そこから雲が立ち上った。それで歌を作られた。「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣は」(八雲立つ 出雲の八重垣 妻を篭もらせる為に 八重垣を作る その八重垣を)。そして、婚姻され妃とされた。生まれた子は大己貴神(おおなむちのかみ)である。またの名は八島士奴美神(やしましぬみのかみ)。またの名は大国主神(おおくにぬしのかも)。またの名は清之湯之湯山主三名狭漏彦八島條(すがのゆやまぬしみなさもるひこやしまじぬ)。またの名は清之繋名坂軽彦八島手命(すがのゆいなさかしひこやしまてのみこと)。またの名は清之湯山主三名狭漏彦八島野(すがのゆやまぬしみなさもるひこやしまの)。スサノウの尊は仰せになった。「我が子の宮の管理者は脚摩乳(あちなづち)と手摩乳(てなづち)である」。ゆえに名を二神に与えて、稲田宮主神(いなだみやぬしのかみ)と云う。出雲の国に座す神である。 |
また、大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘の神大市姫(かむおおいちひめ)を娶って、二神が生まれた。大年神(おおどしのかみ)と弟の稲倉魂神(うかのみたまのかみ)である。スサノウの尊は仰せられた。「韓郷之島(からくにのしま=朝鮮半島)は金銀が有る。もし我が子の治める国に船が無ければ良くないだろう」。鬚を抜いて散らすと杉になった。また、胸毛を抜いて散らすと檜になった。また、眉毛を抜いて散らすと樟になった。また、尻毛を抜いて散らすと柀となった。また、その使用法を定められた。「杉及び樟の二つの木は船にするように。また、檜は瑞宮(みだのみや)の材料にするように。また、柀は現世の民の棺にするように。また、多くの作物の種をまこう」と言われた。 スサノウの尊は熊成峯(くまなすのみね)で根国(ねのくに)に入られた。(亡くなられた)子の五十猛神(いそたけるのかみ)が天下られる時に多くの種類の木の種や作物の種を持ってきた。韓地(からのち)に蒔かず儘もって還ってきた。遂に筑紫から始めて大八州の国内に撒き植え青山とされた。五十猛命は功績の有る神である。紀伊の国に座す大神である。一説にスサノウの尊の子で名を五十猛命と言い、妹は大屋姫命(おおやひめのみこと)、次の妹が抓津姫命(つまつひめのみこと)の三神である。また、良く多くの種子を撒き植えられ、紀伊の国に渡し奉る。すなわち、この国に祭られている神である。 |
大己貴神(おおなむちのかみ)の国は平和であった。出雲の国の御大御前(みおのみさき)に行き至り、食事をしようとした時、海上に人の声がした。驚いて、見回したが見えなかった。波穂(なみのほ、浪間)より天蘿摩船(あめのかみのふね)に乗って、1人の小さい男が居た。蘿藦(ががいも)の皮を使って船とし、鷦鷯(ささぎ、みそさざい)の羽を使って衣とし(亦は鷯の皮を剥いで衣服とし)、潮水のまにまに大己貴命の所へ漂ってきた。取って手の中に置いて弄べば、跳んで頬を噛んだ。その様子を怪しんで、名を問うたが、答えなかった。従っている諸神(もろかみ)に尋ねても分らなかった。そこで、多邇且久(たにぐく、ひきかえる)が申しあげていった。「この者は久延彦(くえびこ)が必ず知っている」。久延彦を召して尋ねると答えていった。「この者は、神皇産霊神(かみむすびのかみ)の御子で少彦名神(すくなひこなのかみ)である」。それで、天神に尋ねると神皇産霊神がこれを聞いて云われた。「私が生んだ子は千五百いる。その中の1人の子がもっとも悪く教える事に従わなかった。指の間から漏れ落ちた子である。故に汝、葦原色男(アシハラシコオ)と共に兄弟となって、愛し養うが良い」。これが少彦名命である。その少彦名神の名を当てた久延彦は、今は山田の曾富騰(そほど)と言う神である。この神は脚が不自由と言えども天下の事を儘知っている神である。 |
大己貴神と少彦名神は力を併せ心を一つにして天下を治めた。また、現世の民や畜産の為に病気の治し方を定めた。また、鳥・獣・昆虫の害を攘為の禁厭(まじない)の法を定めた。百姓は今に至るまで皆、恩恵を蒙っている。大己貴命は少彦名命に語って仰せられた。「我等が造った国は良く出来たと言えるだろうか」。少彦名命は答えていった。「良く出来たところも有るし、そうでないところも有る」。この物語は深い訳が有る。その後、少彦名命は熊野の御崎に至り、遂に常世の国に行かれた。(お亡くなりになった)亦は、淡島に至り、粟の茎を上り弾かれ渡って常世の国に行かれたとも云う。 |
大己貴命は初め少彦名命と二柱の神であった。葦原中国をクラゲの様に漂っているときに国を作ろうとしていた。少彦名命が常世の国に渡られたとき国は間だ治まっていなかった。大己貴命は一人で良く巡って国を造って行った。遂に出雲の国の五十狭狭之少汀(いささのおばま)に至った時に揚言(ことあげ)して仰せられた。「葦原中国は元々荒れていた。磐・石・草・木に至るまでことごとく強暴で有った。私は叩き伏せ帰順させた」。続いて仰せられた。「今、この国を治められるのは唯、私だけである。私と共に天下を治めるべき者は有るだろうか」。 そのとき、神の光が海を照らし波打ち際から躍り出て、素装束(しろきみそ)で天蕤槍(あめのぬぼこ)を持って浮かび来る神が有った。そして云われた。「もし私が居なければ、汝は如何してこの国を治める事が出来るだろうか。もし、私が居なければ、大いなる国造りが出来ただろうか」。大己貴命は尋ねた。「あなた様は何方でしょうか。お名前は何と言われるのでしょうか」。「私は、汝の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)の神である」と答えられた。大己貴命は、「分りました。貴方は私の幸魂・奇魂です。何処に、お住みになりたいですか」と言った。神は仰られた。「日本(やまと)の国の青垣(あおがき、青々とした木で囲まれている)三諸山(みもろやま)に住みたい」。すなわち、大倭(おおやまと)の国の城上郡に座される神である。この故に神の願いのままに青垣三諸山に斎奉る。宮を造り住んでいただいた。大三輪大神(おおみわのおおかみ)である。その神の子は甘茂君(かものきみ)・大三輪君(おおみわのきみ)等である。 大己貴神は、天羽車大鷲(あめのはくるまのおおわし)に乗って、妻を求めに茅渟縣(ちぬのあがた)に下り行き、大陶祗(おおすえつみ)の娘の活玉依姫(いくたまよりひめ)を娶って妻とした。人は往き来しているのを知らなかった。密かに往き来している間に娘が妊娠し、父母が怪しんで、「誰が来ているのだ」と問うた。娘は、「神が来られているようです。屋根の上から降りて入ってこられ、共に寝ただけです」と答えた。父母は正体を知ろうと、麻糸を作り、針を神の裾に掛けて、翌日糸を手繰っていくと鍵穴から茅渟山を経由して吉野山へ入り、三諸山まで来た。そこで大神で有る事を知った。糸の綜(ヘ)の残りが三つ残っていたのを見て、三輪山と云う。これを祀るのが大三輪神社である。 |
大己貴神には多くの兄が居た。この国を大己貴神に譲り退いた訳は、兄弟の二神それぞれが稲羽八上姫(いなばのやかみひめ)と結婚しようと望んでいた。共に稲羽(いなば)に行った時、大己貴神に荷物を背負わせて従者のように率いて行った。気多崎(きたのさき)に至った時、裸のウサギが伏せていた。兄の多くの神はそのウサギに、「お前は海の水を浴びて、風に吹かれて居た方が良い」と言った。高い山の上に伏せ、多くの神の教える通りに伏せていると、水分が乾いて身の皮に当る風が痛く苦しくなって泣き伏していた。そこへ最後に大己貴神が来て、そのウサギを見て、「なぜ泣いているのだ」と尋ねられた。ウサギは、「私は於岐島(おきのしま)に居ました。この地に渡ろうと思いましたが、渡る事が出来ませんでした。そこで海和邇(うみのわに)を騙して、『私と汝とで競争して一族の多少を計りたい。汝はその一族をことごとく率いてきてこの島より気多崎まで背を並べて、私がその上を踏み渡って走りながら数えましょう。そうすれば、私の一族とどちらが多いか分るでしょう』と言いました。欺くことが出来て背を並べました。私はその上を踏み渡って数え、今にも地に着こうとした時、私は『汝は私に騙されたのだよ』と言いました。一番はしに伏せていた和邇が私を捉えて、私の衣服を剥ぎ泣き伏していたら、先に行かれた多くの神に申し上げたところ、『海の水を浴びて風に当って伏せて居ろ』と言われました。教えて頂いた通りしていると私の体が余計酷くなったのです」と答えた。大己貴神はそのウサギに、「今すぐに水門(みなと)に往き、体を水で洗いなさい。その水門の蒲の穂を取って敷き散らしその上に身を伏せ転がれば、汝の体は元通りになる」と教えられた。教えた通りにすると、身は元通りになった。稲羽素兎(いなばのしろうさぎ)と言う。今の兎神がこれである。兎が大己貴神に、「多くの神たちは八上姫を得ることが出来ないでしょう。袋を背負っているといっても貴方が得る事が出来ます」と言った。多くの神に八上姫は、「貴方方の言うことは聞きません。私は大己貴神に嫁ぎます」と言った。 |
それにより多くの神は大己貴神を殺そうと考えた。共に相談して伯耆の国の手向山(たむけやま)の麓に至り、「赤猪がこの山に居る。我等は追い下すから、お前が討ち取れ。もし討ち取らなければ、お前を殺す」と言って、火によって猪に似た大石を焼き、転がし落とした。これを追い下り取ろうとしたとき、その石に焼きつかれて亡くなってしまった。ここにその御祖(みおや)の命が泣き憂いて天に昇り神皇産霊尊に請われた。それを聞いて訓黒貝姫(くくろかいひめ)と蛤貝姫命(うむきかいひめのみこと)を共に遣わし生き返らせた。訓黒貝姫が掻き削り集めて、蛤貝姫が待ち受けて母乳汁(おものちしる)として塗ると麗しい男性となって出歩くようになった。多くの神たちは、また欺いて山に引き入れて大樹を切り伏せ、矢を嵌めその木に打ち立て、その木の中に入らせ氷目矢(ひめや)を討ち放ち撃ち殺した。また、御祖の命が泣きながら探して見つけた。その木を切り取り出し生き返らせた。御祖の命は子に仰せになった。「お前はここに居れば多くの神の為に殺されてしまう。紀の国の大屋彦神(おおやひこのかみ)の御許に速やかに往きなさい」。 そこで、すぐに紀国の大屋彦神(おおやひこのかみ)のもとにお遣わしになった。ところが、八十神は捜し求めて追いかけて来て、矢で射て大己貴神を殺そうとしたので、木の股をくぐって逃れた。御親神は、子神に告げて仰せられた。「速素戔烏尊(はやすさのおのみこと)のいらっしゃる、根の堅州国(かたすくに)へ行きなさい。きっとその大神がよいように図ってくださるでしょう」。 そこで、その仰せに従って、スサノウの尊のもとにやって来ると、その娘の須勢理姫命(すせりひめのみこと)が出て、大己貴神とお互いに目を見かわし結婚なさって、御殿の中に戻って、その父神に、申しあげた。「とても素敵な神がおいでになりました」。そこで大神は出て、大己貴神を見て仰せられた。「この者は、葦原色許男(あしはらのしこお)という神だ」。そうして呼び入れて、蛇のいる室に寝させた。このとき、その妻の須勢理姫命は、蛇の比礼(ひれ)を夫に授けていった。「蛇が噛みつこうとしたら、この比礼を三度振って、打ちはらってください」。そこで、教えられたとおりにしたところ、蛇は自然と鎮まったので、やすらかに眠ってその室を出ることができた。また、翌日の夜は、蜈蚣(むかで)と蜂のいる室にお入れになった。今度も蜈蚣と蜂の比礼を授けて、前のようにした。そのため、無事に静かに眠れた。 |
。そのためまた、鏑矢を広い野原の中に撃ち入れて、その矢を探して来いと命じられた。大己貴神がその野に入ったときにスサノウの尊は火でその野を焼き廻らした。大己貴神は出る方法を知らなかったので探していると、ねずみが現れ、「内はほろほろ、外はすふすふ」(内は広く、外はすぼまってます)と言ったので、そこをふむと穴に陥って隠れる事が出来た。その間に火は通りすぎ、そのねずみは鏑矢を持ってきて捧げてくれた。その矢の羽はそのねずみの子供が総て食べた。須勢理姫は葬式の道具を持って泣きながら来た。その父の大神は既に死んで居るだろうと思って、その野に来た時、矢を持って捧げられた。そこで、家に引き入れて八田間(やたま)の大部屋に呼び入れて、頭の虱を取るように命じた。その頭を見ると蜈蚣(ムカデ)がうようよしていた。そこで妻がむくの木の実と赤土を渡し夫に食べさせた。その木の実を食い破り、赤土を口に含んで唾液と混ぜて吐き出した。大神はムカデを食い破って吐き出していると思われて、安心して眠られた。 大己貴神は、その大神の神を取って部屋の垂木に結びつけて五百引石(いほびきいわ)を部屋の戸に取って塞ぎ、妻の須勢理姫を背負い、大神の生太刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)及び天詔琴(あめのおりごと)を取り出して持って逃げ出した。そのとき天詔琴が木に触れて大きな音が鳴った。寝ていた大神がその音を聞いて目覚めたが、垂木に結びつけた髪を解く間に遠くに逃げることが出来た。黄泉平坂に追いいたり、遥かに望んで大己貴神を呼んで仰せられた。「お前が持ち出した生太刀と生弓矢で、お前の諸兄を坂の道に追い伏せ、また河の瀬に追い払い、自分で大国主神となり、顕見国主神(うつしくにぬしのかみ)となり、私の娘の須勢理姫を正妻とし、宇迦(ウカ)の山の峰に底津石根(そこついわね)に太い宮柱を立て、高天原に届くほど高い宮殿を築き住め。こ奴め」。 その太刀と弓を持ってその多くの神を追い退け、坂の道ごとに追い伏せ、河瀬ごとに追い払い、始めて国を造った。八上姫とは先に結婚したけれども、正妻の須勢理姫を畏れて生んだ子を木の股に差し込んで捨てた。その子の名を木股神(きのまたのかみ)と云う。亦の名は御井神(みいのかみ)と云う。 大己貴命は高志(こし=越)の国の沼河姫(ぬなかわひめ)と結婚しようと行った時、沼河姫の家に到着し歌を歌った。云々。この様に歌って、盃を交わし約束して、首に手を掛けて今は鎮まって現在に至るまで鎮座しておられる。これを神語(かみがたり)と云う。 |
素戔烏尊 この尊は天照大神と共に誓約を行い生まれた三柱の女神がいる。名は田心姫命(たごりひめのみこと。亦の名は奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)。亦の名は瀛津島姫命(おきつひまひめのみこと)。宗像の奥津宮(おきつみや)に居られる。場所は奥津島(おきつしま)である。次に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。亦の名は佐依姫命(さよりひめのみこと)。亦の名は中津島姫命(なかつしまひめのみこと)。宗像の中津宮(なかつみや)に居られる。場所は中島(なかつしま)である。湍津姫命(たぎつひめのみこと)。亦の名は多岐都姫命(たぎつひめのみこと)。亦の名は邊津島姫命(へつしまひめのみこと)。宗像の邊都宮(へつみや)に居られる。場所は海邊(うみべ)の辺都宮(へつみや)に鎮座されている。 これらの三神は天照大神の生んだ三柱の女神である。「これは汝の子である」と仰り、素戔烏尊に授けて葦原中国に天下らせ、筑紫の国の宇佐島に降りられ北海航路の中間に居られる。名づけて道中貴(みちなかむち)と言う。この神に教えて仰せられた。「天孫を助け奉り、天孫の為に祭られよ」。よって、宗像君(むなかたのきみ)が祀っている。また、水沼君(みずぬまのきみ)が祀る三柱の神は宗像君の斎祀る三神の大神である。 次に五十猛神(いそたけるのかみ)。亦の名を大屋彦神(おおやひこのかみ)と云う。次に大屋姫神(おおやひめのかみ)。次に抓津姫神(つまつひめのかみ)。これらの三神は紀伊の国に居られる。紀伊国造(きいのくにつくり)の斎祭る神である。次に事八十神(ことやそかみ)。次に大己貴神(おおなむちのかみ)。倭の国の城上郡(しろのかみのこおり)大三輪神社に居られる。次に須勢理姫神(すせりひめのかみ)。大三輪大神の摘后である。次に大年神(おおどしのかみ)。次に稲倉魂神(うかのみたまのかみ)。亦は宇迦能御玉神(うかのみたまのかみ)。次に葛木一言主神(かつらぎのひとことぬしのかみ)。倭の国の葛上郡(かつらのかみのこおり)に居られる。 大己貴神(おおなむちのかみ)。亦の名は大国主神(おおくにぬしのかみ)。亦の名は大物主神(おおものぬしのかみ)。亦の名は国造大穴牟遅命(くにつくるおおなむちのみこと)。亦の名は大国玉神(おおくにたまのかみ)。亦の名は顕見国玉神(うつしくにたまのかみ)。亦の名は葦原醜雄命(あしはらしこおのみこと)。亦の名は八千矛神(やちほこのかみ)。八つの名前が有る。その子は大凡百八十一柱の神が有る。 まず宗像の奥都島に居られる神の田心姫命を娶って一男一女を生む。子の味鉏高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)。倭の国の葛上郡高鴨社(たかがものやしろ)に居られる。一説には捨篠社(しののやしろ)とも云う。妹の下照姫命(したてるひめのみこと)。倭の国の葛上郡雲櫛社(くもくしのやしろ)に居られる。 次に邊都宮に居られる高津姫神(たきつひめのかみ)を娶り一男一女を生む。子の都味歯八重事代主神(つみはやへことしろぬしのかみ)。倭の国の高市郡(たけちこおり)高市社(たけちのやしろ)に居られる。一説には甘南備飛鳥社(かみなぎのあすかのやしろ)とも云う。その妹の高照光姫大神命(たかてるひめのおおかみのみこと)。倭の葛上郡の御歳(みとし)神社に居られる。次に稲羽八上姫(いなばのやかみひめ)を娶り一児を生む。子は御井神(みいのかみ)。亦の名は木股神(きまたのかみ)と云う。次に高志沼河姫(こしのぬなかわひめ)を娶り一男を生む。子は建御名方神(たけみなかたのかみ)。信濃の国の諏訪郡(すわのこおり)諏訪神社に居られる。 |
都味歯八重事代主神(つみはやへことしろぬしのかみ)。八尋熊鰐(やひろくまわに)に成って、三島の溝杭(みぞくい)の娘の活玉依姫の元に通い一男一女を生む。 天日方奇日方命(あめのひかたくしひかたのみこと)。この命は橿原の朝(みかど)の御世に勅を受け食国政申大夫(おすくにまつりごともうすまえつきみ)と成って共に奉る。妹の姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)。この命は橿原の朝の御世に立てて皇后とし二人の子を生む。神渟名河耳天皇(かみぬなかわみみのすめらみこと)。次に彦八井耳命(ひこやいみみのみこと)である。次の妹の五十鈴依姫命(いすずよりひめのみこと)。この命は葛木高丘(かつらぎたかおか)の朝(みかど)が立てて皇后とし、一児を生む。磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)である。 三世の孫の天日方奇日方命(あめのひかたくしひかたのみこと)。亦の名は阿田津久志尼命(アタツクシアマノミコト)。この命は日向の賀牟度美良姫(かむとみらひめ)を娶り一男一女を生む。健飯勝命(たけいいかつのみこと)。妹の渟中底姫命(ぬなそこひめのみこと)。この命は片塩の浮穴宮(うきあなのみや)で天下を治められた天皇(安寧天皇)が立てて皇后とし四児を生む。大日本根子彦耜友天皇(おおやまとねこひこすきとものすめらみこと)。次に常津彦命(とこつひこのみこと)。次に磯城津彦命(しきつひこのみこと)。次に手研彦奇友背命(たぎしひこくしともせのみこと)。 四世の孫の健飯勝命(たけいいかつのみこと)。この命は出雲臣(いずものおみ)の娘の沙麻奈姫(さまなひめ)を娶り一男を生む。五世の孫の健甕尻命(たけみかじりのみこと)。亦の名は健甕槌命(たけみかづちのみこと)。亦の名は健甕之尾命(たけみかのおのみこと)。この命は伊勢の幡主(はたぬし)の娘の賀具呂姫(かぐろひめ)を娶り一男を生む。六世の孫の豊御気主命(とよみけぬしのみこと)。亦の名は健甕依命(たけみかよりのみこと)。この命は紀伊の名草姫(なぐさひめ)を娶り一男を生む。七世の孫の大御気主命(おおみけぬしのみこと)。この命は大倭(おおやまと)の国の民磯姫(たみいそひめ)を娶り二男を生む。八世の孫の阿田賀田須命(あたかたすのみこと)。和邇君(わにのきみ)等の先祖。次に弟の健飯賀田須命(たけいいかたすのみこと)。この命は鴨部(かもべ)の美良姫(みらひめ)を娶り一男を生む。九世の孫の太田田禰古命(おおたたねこのみこと)。亦の名は大直禰古命(おおたたねこのみこと)。この命は出雲の神門臣(かむとのおみ)の娘の美気姫(みけひめ)を娶り一男を生む。十世の孫の大御気持命(おおみけもちのみこと)。この命は出雲の鞍山祗姫(くらやまつみひめ)を娶り三男を生む。十一世の孫の大鴨積命(おおかもつみのみこと)。この命は磯城瑞籬(しきのみずがき)の朝(崇神天皇)の御世に賀茂君(かものきみ)の姓を賜る。次に弟の大友主命(おおともぬしのみこと)。この命は同じ朝の御世に大神君(おおみわのきみ)の姓を賜る。次に田田彦命(たたひこのみこと)。この命は同じ朝の御世に神部値(かむべのあたい)大神部値(おおみわべのあたい)の姓を賜る。 |
次に大年神(おおどしのかみ)。この神の御子は大凡十六柱の子が生まれる。まず須沼比神(すぬまいのかみ)の娘の伊怒姫(いぬひめ)を娶り五柱の子を生む。子の大国魂神(おおくにたまのかみ)は大和(おおやまと)の神である。次に韓神(からのかみ)。次に曾富理神(そほりのかみ)。次に向日神(むかひのかみ)。次に聖神(ひじりのかみ)。 次に賀用姫(かよひめ)を娶り二児を生む。子は大香山戸神(おおかやまとのかみ)。次に御年神(みどしのかみ)。次に天知迦流美豆姫(あめしるかるみだひめ)を娶り九児を生む。奥津彦神(おきつひこのかみ)。次に奥津姫命(おきつひめのみこと)。この二神は諸人の竈(かまど)の神として斎祀る。 次に大山上咋神(おおやまかみくいのかみ)。この神は近江の比叡山(ひえいのやま)に居られる。また、葛野郡(かどのこおり)松尾に居られる。鏑矢に用いる神である。次に庭津日神(にわつひのかみ)。次に阿須波神(あすはのかみ)。次に波比岐神(はひぎのかみ)。次に香山戸神(かやまとのかみ)。次に羽山戸神(はやまとのかみ)。次に庭高津日神(にわたかつひのかみ)。次に大土神(おおつちのかみ)、またの名を土之御祖神(つちのみおやのかみ)。次に羽山戸神(はやまとのかみ)。大凡八柱の子が生まれる。 大気都姫神(おおけつひめのかみ)を娶り八柱の子を生む。子の若山咋神(わかやまくいのかみ)。次に若年神(わかとしのかみ)。妹の若沙那賣神(わかさなめのかみ)。次に彌豆麻岐神(みだまきのかみ)。次に夏高津日神(なつたかつひのかみ)。亦の名は夏之女神(なつのめのかみ)。次に秋比女神(あきひめのかみ)。次に久久年神(くくとしのかみ)。次に久久紀若室葛根神(くくきわかむろつなねのかみ)。 |
(私論.私見)