先代旧事本紀巻第一、神代本紀、神代系紀、陰陽本紀

 (最新見直し2009.3.19日)

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 「先代旧事本紀巻第一」を転載しておく。

 2009.3.19日 れんだいこ拝


【巻第一 神代本紀】
 先代舊事本紀大成經第一 神代本紀

 神代本紀(かみよのもとつふみ)
 古(いにしえ)、元の気が混沌としていて天地は未だ分れていなかった。鶏の卵の子の如くに漂い、そのうち変化の牙(きざし、兆し)が始まった。。その後、澄んだ気は段々登って漂い天となった。浮いて濁った物は重さで沈み固まって地となった。所謂、国が浮き漂い開け別れたと云うことは、この事である。譬えれば、魚が泳ぎ水上に浮かぶようなものである。時に天が先に成りて地が後に定まった。その後、高天原(たかまのはら)に神が生じた。その一神(ひとはしらのかみ)の号(みな)を天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊(あめゆずるひあめさぎりくにゆずるつきくにさぎりのみこと)ともうす。独り神で在った。共に生まれた神二代、夫婦で生まれた神五代、いわゆる神世七代(かみよななよ)とはこのことである。

 神代系紀(かみよのつぎぶみ)
 天祖天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊(あめゆずるひあめさぎりくにゆずるつきくにさぎりのみこと)

 一代の共に生まれた天つ神(あまつかみ)は、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)。又は天常立尊(あめのとこたちのみこと)と云う。可美葦牙彦舅尊(うましかあしかびひこじのみこと)

 二代の共に生まれた天つ神は、国常立尊(くにとこたちのみこと)。または国狭立尊(くにさたちのみこと)と云う。または国狭槌尊(くにさつちのみこと)と云う。または葉木国尊(はこくにのみこと)と云う。豊国主尊(とよくにぬしのみこと)。または豊斟渟尊(とよけんぬのみこと)と云う。または豊香節野尊(とよかふしぬのみこと)と云う。または浄経野豊買尊(うきふぬとよかいのみこと)と云う。または豊齧別尊(とよけひわけのみこと)と云う。別に天八下尊(あめやくぐりのみこと)。独り天つ神の第一世の神である。


 
三代の夫婦で生まれた天つ神は、角杙尊(つぬぐひのみこと)。または角龍魂尊(つのたすたまのみこと)と云う。妻(妹)は活杙尊(いくぐいのみこと)。別に天三降尊(まめみくだりのみこと)。独り成られた天神の第二世の神である。

 四代の夫婦で生まれた天つ神は、泥土煮尊(でひじにのみこと)。または泥土根尊(でひじねのみこと)と云う。妻(妹)は沙土煮尊(すひじのみこと)。または沙土根尊(すひじねのみこと)と云う。別に天合尊(あまあひのみこと)。独り成られた天神の第三世の神である。

 五代の夫婦で生まれた天つ神は、大苫彦尊(おおとまひこのみこと)。または大戸之道(おおとのち)と云う。または大富道(おおとむち)と云う。または大戸摩彦(おおとひこ)と云う。妻(妹)は大苫邊尊(おおとまべのみこと)。または大戸之邊(おおとのべ)と云う。または大富邊(おおとむべ)と云う。または大戸摩姫(おおとまひめ)と云う。別に天八百日尊(あめやおひのみこと)。独り成られた天神の第四世の神である。

 六代の夫婦で生まれた天つ神は、青橿城根尊(あおかしきねのみこと)。または沫蕩尊(あわなぎのみこと)と云う。または面足尊(おもたるのみこと)と云う。妻(妹)は吾屋橿城根尊(あやかしきねのみこと)。または惶根尊(かしこねのみこと)と云う。または蚊鳫姫尊(かかりひめのみこと)と云う。別に天八十萬魂尊(あめのやそよろだまのみこと)。独り成られた天神の第五世の神である。


 
七代の男女の天つ神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)。天降った男神。妻(妹)は伊弉冉尊(いざなぎのみこと)。天降った女神。

 別に高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)または高魂尊(たかむすびのみこと)と云う。または高木命(たかぎのみこと)云う。独り成られた天神の第六世の神である。児が、天思兼命(おもいのかねのみこと)。信濃の国に天下り阿智祝部(あちのはふりべ)等の先祖。

 次の児が、天太玉命(あめのふとたまぬしのみこと)。忌部首(いんべのおびと)等の先祖。次の児が、天忍日命(あめのおしひのみこと)。大伴連(おおとものむらじ)等の先祖。またの名は神狭日命(かみさひのみこと)と云う。
 次の児が、天神立命(あめのかみたちのみこと)。山代久我値(やましろのくがのあたい)等の先祖。
 次が、神皇産霊尊(かむみむすびのみこと)。または神魂尊(かみむすびのみこと)と云う。児が、天御食持命(あめのみけもちのみこと)。紀伊値(きいのあたい)等の先祖。
 次の児が、天道根命(あめのみちねのみこと)。川瀬造(かわせのつくり)等の先祖。
 次の児が、天神玉命(あめかみたまのみこと)。葛野鴨県主(かどののかものあがたぬし)等の先祖。
 次が、生魂命(いくむすびのみこと)。猪使連(いつかいのむらじ)等の先祖。
 次が、津速魂尊(つはやむすびのみこと)。児が、市千魂命(いちちたまのみこと)。市千魂命の児が、興登魂命(ことむすびのみこと)。興登魂命の児が、天児屋命(あめのこやねのみこと)。中臣連(なかとみのむらじ)等の先祖。

 興登魂命の次の児が、武乳遺命(たけちのこりのみこと)。添県主(そふのあがたむし)等の先祖。
 次が、振魂尊(ふるたまのみこと)。児が、前玉命(さきたまのみこと)。掃部連(かもんのむらじ)等の先祖。

 次の児が、天忍立命(あめおしたちのみこと)。纏向(まきむく)の神主等の先祖。
 次が、萬玉尊(よろたまのみこと)。児が、天剛川命(あめつよかわのみこと)。高宮(たかみや)の神主等の先祖。

 以上の七代の天つ神、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなぎ)の二柱の尊および八代の天つ神は天降った神である。

 無生始天神,天祖天讓日天先霧地讓月地先霧皇尊。天祖天讓日天先霧地讓月地先霧皇尊者,又常世常皇尊。坐虛莫極,立妙定限。無先有物,無非主之。是謂,天先神其法之元也。虛形靈,躬可申未申,可屈未屈,可萌未萌,可變未變,常兮寂也。其始不知,其生不知,諸謂神氣。是說,氣教其法元也。空心聖性,可志未志,可情未情,可覺未覺。厥元無識,厥了無識,斯謂神心。是說,心教其法元也。冥生玄機,可命未命,可道未道,可教未教,可法未法。夫先非記,夫後非記,諟謂神理。是說,理教其法元也。氣幽依矣,心玄託矣,理冥貫矣,神妙活矣。往空已來,為天祖存,云之神活,靈壽神命無初、無終。是說,神教其法元也。一神而無綠,妙坐而無處。其廣無限,厥界無極,云之神虛。天未、地未、無倫、無儀。是說,空理其法之元也。神氣玄滿,神心玄宰,神理玄法,神神玄活,神境玄具。融一躰虛,云之真緣。真緣發物,云之冥生。冥生必窮,云之玄極。玄極相便,云之幽易。幽易歸常,云之妙定。其理自然,其事忙然。靈空妙中,毋聲、毋香。是說,中理教法之元也。此神中時,發造化心,真緣肇茲。心催造化理,冥生起于茲。理鎮造化氣,玄極基于茲。氣動造化境,幽易成于茲。境通造化神,妙定貞於此。本母先後,隨造化序。這際有間道,神所御,難道。是說,世理教其法之元也。此神焉無利人,蒙力者無出之。久方目、久方耳,宇宙從是發,言焉神境也。是說,境道教其法之元也。這神者惟虛、惟靈、惟玄、惟常之元。以斯鎮道天祖代。是理未顯,氣又末芽,說神通、教一義神道其法元也。 始生出天神,天尊大甘美葦芽彥舅尊。

 大甘美葦芽彥舅大神尊,更名天御始化尊。先天即於玄極,化出於妙定中。是說,魂託教其法之元也。真緣未知,冥生不疏,渾沌未識,淇悻不錄,大尊化出而得真緣。是說,因緣教其法之元也。于時天尊出生,向於天祖稱臣。是吾國尊天君,為盡永主不易,其厥法之元也。此時彼妙定,即於其真緣,肇感乎冥生。初成一物,化狀渾沌,猶雞卵子,溟涬含芽。若蓮肉心,玄極王立位,幽易宰御行,一縮一伸,旋轉無休。其化自節,其行自度,其所流功,其所彌功。洪伸、洪縮,變化造為,成陽、成陰,未現二儀及五行矣。茲元極也,名以為曰道,諸道天尊代。是理既見,氣又既芽,說理道教二義神道其法之元也。此神製緣,緣能作成,成能起物,物能起事。有事有善惡,衣善惡生法。是說,善惡戒教其厥法之元也。

 此神製陰陽,天地根茲興。吉凶、安否,皆依之生。是說,陰陽易中道教其法元也。 此二神,是萬法之本,盡微、得盡,是名神也。是宗源道諸神神生其法元也。 斯神得之,是人中神。是說,真人教其法之元也。 至此德中,駕空御方,是親人神靈人也矣。是說,至人教其法之元也。聖乎此中,知未見者,識未聞者,是鄰靈人德人也矣。是說,聖人教其法之元也。賢乎此間,慮敏行智,皆中乎理,是神學人。是說,賢人教其法之元也。右,天祖獨在,天尊獨出也。無父子、夫婦及兄弟之倫。時大地未開闢,故不入于代數。是天祖元君,天尊出稱臣。蓋有君臣倫,故王道祖也。獨坐燭出,故師道祖也。御世、助世,其法元也。

 一代,俱生天神。
  天皇 天常立尊
  天帝 天御中主尊
 天常立尊者,更名天魂尊。天御中主尊,又名天心尊。二神以溟涬含芽氣為質,而生於其中。清氣輕浮薄靡,以陽上而為天。時天先成,普覆保地,典也轉也。是為王者清明住位,仁覆、仁保、愛典、憐轉其法元也。二神之尊、諸天之靈,幸魂、奇魂。是物有魂,厥後有質,其理元也。于時,二神議定天地行位。地從北成於東,天轉從南於北。是天旋方者從左轉於右,其理之元也。此天五氣有,以陽故昇上成天首天,為天祖坐,第九重天,是皇力依帝德而所以為之也。是總天占其法元也。時二神尊以堪積氣,造化土魂,以其四十八萬里下,張覆旋轉,為天尊坐,第八重天,是帝力依皇德,而亦所為之也。是少土占兵法元也。右二神尊,俱生神也。蓋如兄弟倫,又別皇帝位,位序王道祖,又名倫道矣。御代及後六代,次第生五倫矣。萬世聖賢道也。是治倫道而立王道,其法元也。

 二代,俱生天神。
  天皇 地常立尊
  天帝 豐御地主尊
 地常立尊又地陝槌,又國狹肛豐御地屯尊,又理國沖,又豐杏節.一神,以浦輜浮抽田田..荒魂濁氣靈沈淹滯,以.陰凝而成。地,時地後成悉載附。大,知也致也,足為群巾敬沈,位.但,附L召不放,妞於尸德,致,役M.札比刁儿山,砷之行荏高人原血用地瑰,姑u叫﹂邢,卜卜叫央儿法.儿山,此地小彌組,依@除以降卜,放風瓜地.父,是木合古典法儿也,風娃木精,人令所..剋埤不@背/人例屯地也,肚乃帝所」.然..之也,足國民法卉.仁被『剋,未柙街:背,不」背川榮戾,背川亡法.儿也,尸吁...,廿L,,.,.肛耐柙擴她抒以惕史魂.万定於北埃.極,人行以倏拎魂妞動.於南陽極;而成南北,人地,險防,自然之位,廷暢後.,於。北,唉扦來。於:雨,几理之儿山,..何以s,..自之館呢到彌氣迅化木魂,以次叫片口出甲卜.佣後旋轉,仍卜.市坐,第巳而.人,起少木吉仄法兀山,此;足,卸弋,;,王口柄G~乾人川壤閒黝圳荊浮沸丈:比,持如游魚浮於水L@ 娌刃理理法謫偽,旌,厥甲不,全,其理之L也,.,.,7 孑代神妞唯男盯而無.女仃,仟儿lf化而無它佾,七,,仵 q躬本鋅,女末而卑,扒法元也,一胛鐲化大劫一口 二O 天王天八降魂尊天八降魂尊更天一位尊,自然化。出於天地別,含:成奉中3 是人別賁欲寸實住:獨貞坤時,諸道在:其中法之元也,.,人耑尺羌氣矣,天祖詔□,汝尊宜:降,能補:地未目天尊奉。詔,以夫一氣下,合,於地五理7得,六數位; 有:天/淵河7佳,1.城北地形補:北極地心是陽一數降,生:水氣日其理元也,目又R5鬥,直上:也神氣一補。天未。哎極卜天尊以:地二氣抗。之,合夫五理ri得:上數位卜成南大形r補:南極天F 大叫言卜,,上|補。天氣分,一成.帝質目六成..后質卜天魂依。倚,出現化生,是陰.藪昇,生火氣寸其埋元也,右天尊者獨山仙神,御世及下迄:六?@神丰咸父母,昆弟不。得:其有也,故為濁迫祖f又名..師道山,王道神迅.大地一師道神補..大地目雖.其道非,位,其功以是一,是仙客,道卜,隱賢,淌聖徒,無。倫脩行,誨,人和,國,補.王道闕一其法元也,三代偶生大神大帝良遂來用芻大片幾活來居尊長遂來居臼又名角龍尊,幾活來居尊又名川蛇尊,此.一神符化.小於她與.,人之何:忖:一﹂.: |地人從人地組牛誕,為儿入氣,仄法之厥儿也,此神力身女til,始牛蚶人之曲,少為.吊以多為,后,足陰巧典陽巧,几法之厥.兀怛,時人中大帝瞳,以陰六.包陽一一為.水形.M。於」.北,眭水外開內明,依.明洗除污穢@法之厥.兀也,帝以熱燥氣造化火性魂@以.次四卜六萬中下張.徂旋轉,為.帝坐,第六市大,昌圳火占興法元也,后以燒烈氣造化炎火魂@於次,一卜四萬里上成火烯地目隙巾何。陽,與。大同性,而制地下7令。不。背。人,第.市地,是火合占典法元也,.肫獨化大神大王大二降瑰尊大二降魂傅又大三位傅,口然化出陽神造。大,陰神造,地,於興造別靈氣之巾;何大隱山水牛.兀氣,大祖詔□,汝爵芋,.;.上降能補地未大館應詔,以.大三氣下,而合地q理目得:八數位目作東地形;補:東極地; 趕稱二數降,生木氣一其理元也,大硝又召田,L,d ,占|工.上地砷氯@田.下丘補:大,天尋以.地四氣.抗,之,台大左理,得儿數位,城叫人形r補.西極畚麂紳代本紀. 先代鎡琅本紀人或搿巳︵武田本@ S稔大竄分,汪或.帝輟,六成.后輟日天魂依純,田現化生,矢。b" .颼颼四斂肄,主,金熊,銨錄亢也, """"," 犬帑傅臼逆扭爸天后熾日迪甩賤邋丹爾又晦遛齦縐,為目通肘賤吏各洲瞄抿,中.於地人知公職小,此鱷蚊弗紼,始成女根身,囚輟鈦髀名,稱日:妒..:。魍瞼生繃牛,焚身興法圳,其法之元也,時天帝,人行砷以瑚匕包瞼.:為人形,位.於南,燉火外明內聒,依,啪受濁穢氣,人八法之比山,帝以黔九氣,造化照明魂,以次四片叮虫T卜,張頒旋袖而為苗小,第用千尺,煙在金占找法元也,所以魍碣形.迅.化巨怩門,以次.卜:茁甲卜成仁砧地,餓|之拙,使咄仆.軸.叩小地,足士合占其怯元世,三世觸化人神大花大仃卜合魂尊人旺卜合魂傅又行人鈍壯傅,門外什出尸.j八曲儿;,.妓卜卜距,,:,。,|叮|叭叱紂,.川。。□,沂呷仃降,朋仙怙:.,門叮尸陽片敕降。叫!冗:人鰍亦昭口,口|卅呻衍叫仙;.,....叫仁肛.卜目.上一7;仁叩..,肛.,...吐口阿;.啼,人舞竹,川吱佑竹.,J咕匕油./叩甲仁.十叩什叫.蛄阡,;數打.戒小門.川叩小山.肛代銷叫人舢人佛人留餽仵《仙人留讎飪人之~@..縐魏鉸:人品甩《竹蚶呷匕人用瘤.叫地制,卸︵:巾.峙卅,后佛,掛納由.陡叮何舛,K啼屯聘。抑。柏銻力,焜木扦斂.內貨,你醬。戒崗辯川,扒紕砝。。化山,掙雝./。.,.跎濺幣細瞄化金招魂.口欠叫|禹甲卜。啪胛旋耗,踽八拍牢。壤四中乓, """""""蝶鑞.,,..鵝仔彩,搬北鯽石縛,酊由|總甲1.成畚幣翱,喁媲之櫛.燁觔鼬姘。韜瞄馥撬, """""鵠饞鼴芻錢耒鈸..。顯 先代萬事本杞人哎雉H(武田本一四天王大八百日魂尊天八百日魂尊更號天日鏡尊,印然化。出於造.夫地上下氣中卜荷嵩天原揚火元氣,天祖詔曰汝尊宜.降,而能造。地,天尊依,詔,以:天七片型下,台地五理;而還:二數位一成:南地形4補:南極地; 是陽七數降,成:火頭一其理元世,大祖復詔口,汝尊宜:上.地神氣吶哺:大,大尊抗:地八肛糞以。之合.大五理;還二數位,放..臾大形,捕臾極天;補。大氣分,上四.帝質目六成.后珽目大魂依來,出理化生,是陰八數降,成木質T其理元也,六代偶化大神大帝扇賢巫舀尊大居紋賢.巫舌辯扇賢.琳音尊更名而足尊,紋賢咻苗芻又號卜根尊,化,於地與」大,其成氣中;時帝后神以陽儿組,蘊條叫氣,而成金形心位:於四方。是金外埔內里,依,王作.惡害用一夫理之元世,帝以..塞濕4呷迅.化水叫魂「以.次四卜.一萬甲卜張檄旋轉,寫大帝坐一第.市大,是陳水占貝法亢也,后以:秈浸形目叫.化水水門」以...一卜付一哩甲七放水湖地,弟五巾州一"'" 是水合占其法元也,五川濁化大神天王大八片萬魂尊,:工u.「Huu 大八片萬魂尊又號大四位俘,□然化.出於大她造圳,別成靈氣巾7何.夫隘山金生元氣,大仙訏卜汝尊T:降祥付成。地,大爵即下,以.夫九氣而合她五埋T還.四數付自成市地形一楠西極地。是陽九數降,咪:金質」其理元也,.,,,,.山,天祖又詔□,汝宜,上:其地神氣力而補。人,大傳取..地上氣抗。之,合:天五理目還.九數位,放叮央大.補。人氣分九成蒂貿一六成.后質一是陰十數昇,成:土質目其理元也,右五代神獨化,獨坐,而走無。倫,唯以大祖為之仁上一為沽脩祖,是雖清脩」尤以.大甲為天下屯「肖.祀臣禮;兵法元也,匕代偶化大神,天帝去來諾僻 @JY天后去來僻行,丫五,金四合教去來諾辱又大降雄亦神生雄,上來僻錚也人絳姬也國化姑,比於大地典成氣巾,時.,拄神尊以水人才.,。,;!,,:|央,陰卜,水六人上木八金儿合成.卜,以仃行儿,仃行仃除,所,殘陽儿合,以成卜形.山仃尸叫,齲"  

【巻第一 先天本紀】
 先代舊事本紀大成經第二 先天本紀先天本紀
  • 祖尊二代並天神七代餘事
  • 常住天神七代並獨神七代
  • 常住地神五代並三百六十王
  • 天隱山
  • 天水湛山
  • 天巖窟
  • 五帝 主五方天
  • 五龍 主五方地
  • 五常主神
  • 善惡主神
  • 四天成就
  • 空天 九百萬歲
    • 天祖、天尊,此間在御
  • 開天 九百萬歲
    • 天神七代、獨神七代,此間在御
  • 盛天 九百萬歲
    • 地神五代、三百六十王,此間在御
  • 喪天 九百萬歲
    • 天地萬物,此間亡沒
  • 五行相生本理
    • 密元氣、顯元氣
  • 五魂 成就
  • 五臟 成就
  • 五境 成就
  • 生產之元理
    • 日月生現
    • 甲子成天
    • 三甲子盈天縮曜
    • 九曜度量並度數
    • 曜宿合位
    右一卷通,宗源、齋元、靈宗。

【巻第一 陰陽本紀】
 先代舊事本紀大成經第三 陰陽本紀陰陽本紀
  • 天神第七代 去來諾神、去來冉神正事
  • 日本國生現
  • 日神 天照太神也
  • 月神 月誦太神也
  • 服狹雄大神
  • 十干神
  • 十二支神
  • 一切神右一卷,齋元神道。
 陰陽本紀(めをのもとつふみ)

 天祖(あまつみおや)は、伊弉諾(イザナギ)・伊弉冉(イザナミ)の二柱(ふたはしら)の尊に命じて次のように仰せられた。「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂之地(みずほのくに)あり。この国は豊かに葦が茂り、稲穂が実る国である。汝等そこに往きて之を治めなさい」。天瓊戈(あめのぬぼこ)を授けて詔(みことのり)を授けられた。イザナギ、イザナミの二柱の尊は命令を奉られ、天浮橋(あめのうきはし)の上に立って相談されて仰せられた。「何か膏(あぶら)が浮いているような物がある。その中に仰せられた国が有るかも知れない」。こう述べて、天瓊戈で掻き分けて蒼海原を見澄ました。その海原に矛をさし下し、蒼海をかき回して引き上げたときに、矛の先より滴(したた)り落ちた潮が固まって島となった。この島の名を 磤馭盧島(おのごろしま)と云う。天瓊矛を磤馭盧島の上にさし立てて、「国の中心の天柱(あめのはしら)としよう」と仰られた。イザナギ、イザナミの二柱の二神はその島に天下りされ、八尋の宮(やひろのみや)を建て共に同じ宮に住まれた。
 イザナギの尊がイザナミの尊に問われ、「汝の身はどの様になっているのか」と仰せられた。伊弉冉尊が答えて、「我が身は成り成りて成り合わざるところが一処(ひとところ)あります」と仰せられた。イザナギの尊が曰く、「我が身は成り成りて成り余れるところが一処ある。わが身の成り余れるところを、汝が身の成り合わざる処に刺し塞(ふさ)いで、国土(くに)を産もうと思うがどうだろうか」と仰せられた。イザナミ答えて曰く「然り、それが善いと思います」。

 イザナギの尊が仰せられた。「我と汝はともに天御柱(あめのみはしら)を廻り、行き逢うたところで交わろう(まぐわいせん)。かく約束して、「汝は左を廻れ。私は右より廻って逢おう」。二人は天の柱を約束通りに廻って行き当たった。逢われた時、イザナミの尊が先に「まぁ、何とすばらしい男の方に出会えたのでしょう」と仰せられた。イザナギの尊が、これに応えて「おお、何とすばらしいおとめに出会えたのだろう」と仰せられた。イザナギの尊がイザナギの尊に曰く「これより共に夫婦(いもせ)と為りて子を生もう」。これによりて陰陽(めを)始めて交合(まぐわい)った。子供が生まれたが蛭子(ひるこ)であった。子を葦船(あしぶね)に入れて流した。次に、淡州(あわじ)を産まれた。これも又、子の数に入れなかった。

 イザナギ、イザナミの二柱の尊は相談されて、「今、私が産んだ児は相応しくない。天に帰り上って、具(つぶさ)にこの次第を申しあげよう」と云うことになった。ともに天に昇り還り報告した。天祖(あまつみおや)は詔して「太占(ふとまに)によって占え」となり、太占はかく告げた。「イザナミの尊がイザナギの尊より先に声を掛けたのが良くない。理では男神のイザナギの尊が先に唱えることになっている。女神が先に唱えることはよろしくない。再び行き、やり直すのが良い」。時日を占いにより定めて天下られた。


 
イザナギの尊が、「改めて柱を廻ろう。私は左、汝は右に柱を廻って、お互いが逢った所で御戸(みと)の交合(まぐわい)をしよう」と仰せになられた。二神は契りの通りに天柱を廻り逢われた。イザナギの尊が先ず唱えて「おお、何とすばらしいおとめだろう」。イザナミの尊はその後に「まぁ、何とすばらしい男の方でしょう」と仰せられた。イザナギの尊はイザナギの尊に問われた。「汝の体はどの様に成っているのか」。イザナギの尊が答えた。「私の体にはつくりあげられて成り合わない雌元(めのはじめ)というところがあります」。イザナギの尊が仰せられた。「私の体には成り余った雄元(おのはじめ)というところがある。これを汝の身にある雌元に刺し塞いで国土を産もうと思うがどうだろうか」。イザナミの尊が答えて曰く「然り、それが善いと思います」。

 ここに雌雄(めを)初めて会い交合し国土を産む段になったが、二神は交合の方法を知らなかった。その時、飛んできた鶺鴒(せきれい)が頭と尾を動かした。そのさまをみて学び、交通(とつぎ)の術(すべ)とした。

 先ず、淡路州(あわじのしま)を生まれた。御心に適わなかったので。その故に淡道州と云う。吾恥(あはじ)ちも云われる。
 
次に伊予二名州(いよのふたなのしま)を生まれた。(ある書は「州」をみな「洲」と記している) 
 次に筑紫州(つくしのしま)を生まれた。
 次に壱岐州(いきのしま)を生まれた。
 次に対馬州(つしま)を生まれた。
 次に隠岐州(おきのしま)を生まれた。
 次に佐渡州(さどのしま)を生まれた。
 次に大日本豊秋津州(おおやまととよあきつしま)を生まれた。
 かく先に生まれた島を大八州(おおやしま)と云う。

 大八州を生んで還られた時、吉備児島(きびこじま)を生まれた。
 次に小豆島(あづきしま)を生まれた。
 次に大島(おおしま)を生まれた。
 次に姫島(ひめしま)を生まれた。
 次に血鹿島(ちかのしま)を生まれた。
 次に兩児島(ふたごのしま)を生まれた。
 あわせて六島になる。こうして十四の島をお生みに成り、その他の小島は水沫や潮が固まって生じたものである。

 まず、大八州をお生みになった。兄として先ず淡路州を産んで淡道之穂之狭別(あわじのほのさわけ)と云う。

 次に伊予二名島(いよのふたなのしま)と云う。この島は身一つに顔が四つある。それぞれの顔に名前がある。伊予の国を愛比賣(えひめ)と云う。西南(ひつじさる)の角。讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)と云う。西北(いぬい)の角。阿波の国を大宣都比賣(おおぐつひめ)と云う。東北(うしとら)の角。土佐の国を速依別(はやよりわけ)と云う。東南(たつみ)の角。

 次に隠岐(おき)の三子島(みつごのしま)を天之忍許呂別(あめのおしころわけ)と云う。
 次に筑紫島(つくしのしま)と云う。この島も身一つに顔が四つある。筑紫の国を白日別(しらひわけ)と云う。豊の国を豊日別(とよひわけ)と云う。肥の国を速日別(はやひわけ)と云う。日向の国を豊久士比泥別(とよくしひじわけ)と云う。熊襲の国を建日別(たけひわけ)と云う。佐渡の島とも伝わっている(一説には佐渡島を建日別という)。

 次に伊岐島(いきのしま)を天の比登都柱(あめのひとつばしら)と云う。
 次に津島を天の狭手依比賣(あめのさてよりひめ)と云う。
 次に大倭豊秋津島(おおやまとあきつしま)。天の御虚空豊秋津根別(あめのみそらとよあきつねわけ)とも云う。

 次に六つの小島を産まれ、兄の吉備児島を建日方別(たけひかたわけ)と云う。
 次に小豆島を大野手上比賣(おおのてかみひめ)と云う。
 次に大島を大多麻上流別(おおたまかるみわけ)と云う。
 次に姫島を天の一根(あめのひとつね)と云う。
 次に血鹿島を天の忍男(あめのおしお)と云う。
 次に兩児島を天の兩屋(あめふたや)と云う。


 
大八州と六つの小島、合わせて十四の島を生まれた。その他の小島は水沫や潮が固まって生じたものである。

 イザナギ、イザナミの二柱の尊は上述の国をお生みになって後、さらに神を十柱お生うみになった。
 先ず、大事忍男神(おおことおしおのかみ)をお生みになった。
 次に石土毘古神(いしつちびこのかみ)をお生みになった。
 次に石巣比賣神(いわすひめのかみ)をお生みになった。
 次に大戸日別神(おおとひわけのかみ)をお生みになった。
 次に天の吹上男神(あめふきあげおのかみ)お生みになった。
 次に大屋比古神(おおやひこのかみ)をお生みになった。
 次に風木津別之忍男神(かぜくつわけのおしおのかみ)をお生みになった。
 次に海神(うみのかみ)をお生みになった。名を大綿津見神(おおわたつみのかみ)。またの名は少童命(わたつみのみこと)。
 次に水戸神(みなとのかみ)をお生みになった。名は速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)。またの名は速秋日神(はやあきつひのかみ)。次に妹の速秋津姫神(はやあきつひめのかみ)をお生みになった。くりかえすと、速秋津彦・速秋津姫の二神である。

 河海によって持ち別けて生まれた神が八柱。
 先ず沫那藝神(あわなぎのかみ)が生まれた。
 次に沫那美神(あわなみのかみ)が生まれた。
 次に頬那藝神(つおなぎのかみ)が生まれた。
 次に頬那美神(つおなみのかみ)が生まれた。
 次に天の水分神(あめのみくまりのかみ)が生まれた。
 次に国の水分神(くにのみくまりのかみ)が生まれた。
 次に天の久比奢母道神(あめにくひさもちのかみ)が生まれた。
 次に国の久比奢母道神(くにのくひさもちのかみ)が生まれた。


 次に山の神をお生みになった。名は大山上津見神(おおやまかみつみのかみ)。または大山祗神(おおやまつみのかみ)と云う。次に野の神を生まれた。名は鹿屋姫神(かやのひめのかみ)。または野椎神(のづちのかみ)と云う。くりかえすと、大山祗神・野椎神。

 山野に依って持ち別け生まれた神は八柱。
 先ず天の狭土神(あめのさづちのかみ)が生まれた。
 次に国の狭土神(くにのさつちのかみ)が生まれた。
 次に天の狭霧神(あめのさぎりのかみ)が生まれた。
 次に国の狭霧神(くにのさぎりのかみ)が生まれた。
 次に天の闇戸神(あめのくらどのかみ)が生まれた。
 次に国の闇戸神(くにのくらどのかみ)が生まれた。
 次に大戸惑子神(おおとまどいこのかみ)が生まれた。
 次に大戸惑女神(おおとまどいめのかみ)が生まれた。

 また、神をお生みになった。名は鳥の石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)。またの名は天の鳥船神(あめのとりふねのかみ)と云う。また、大宣都比女神(おおぐつひめのかみ)をお生みになった。

 イザナギの尊が仰せられた。「私が産んだ国は朝霧があって薫が満ちている」。吹き払った息が神に成った。これを風の神と云う。風の神を級長津彦神(しいなつひこのかみ)と云う。
 次に級長戸邊神(しいなとべのかみ)。
 次に飢えた時に生まれた児を稲倉魂命(うかのみたまのみこと)と云う。
 次に草の先祖を生んで草姫(かやのひめ)と云う。またの名は野槌(のづち)。
 次に水門神(みなとのかみ)等を生む。速秋津日命(はやあきつひのみこと)と云う。
 次に木の神等を生む。名は句句廼馳神(くくちのかみ)と云う。
 次に土の神を生む。名は埴山姫神(はにやまひめのかみ)と云う。または埴安姫神(はにやすひめのかみ)と云う。
 その後、総ての物をお生みになった。

 イザナギ、イザナミの二柱の尊は共に相談して仰せになった。「私どもは、大八州および山川草木を生んだ。次には天下の主を産むことにしよう」。こうして先ず日の神をお生みになった。名を大日靈貴(おおひるめむち)と云う。または天照大神(あまてらすおおかみ)と云う。または大日靈尊(おおひるめのみこと)と云う。この御子は光華(ひかり)麗しく六合(くに)の内を照り徹(とお)された。故に、二神は喜んで仰せられた。「我が子は沢山いるが、これほど奇しき霊(あや)しき児はいない。長く国に留めて置くのは良くない。早く天に送って天上の事を授け当たらそう」。この時天地は余り離れていなかった。その為、天柱を伝って、天上に送る事ができた。

 次に月の神をお生みになった。名を月読尊(つきよみのみこと)と云う。または月夜見尊(つきよみのみこと)と云う。または月弓尊(つきゆみのみこと)と云う。その光は日に次いで美しかった。「日に配(そ)えて共に治めさせよう」と仰られ、故に、天にお送りに成った。


 
次に素戔烏尊(すさのおのみこと)をお生みになった。この尊は天下を治める事になった。しかし、この神は勇み猛くして粗暴なところがあった。且つ、常に泣いていたので、国内の人民(ひとくさ)が夭折する事があった。また、青山を枯れ山とし、また河海を泣き乾かした。これにより、悪しき神の音は狭蠅(さばへ)のように満ち満ち、万物の災いを吹く風の様に立ち起こった。

 次に蛭児をお生みになった。三歳に成っても足で立つ事が出来なかった。初めに二神が柱を巡ったとき、陰神が先ず喜びの言葉を上げたことが、陰陽の理を違えたためである。初めにこの児をお生みになった。次に鳥磐杼樟船(とりのいわくすふね)をお生みになり、この船に蛭児を乗せて流れのままに棄てられた。
 イザナミの尊が、火の産霊迦具突智(ほのむすびかぐつち)または火焼速男神(ひやきはやおのかみ)と云う、又は火之焼彦神(ひやきひこのかみ)と云う神を生もうとされた時、この子を産んだ為に美蕃登(みほと、陰部のこと)を焼かれて病の床に伏された。

 また、お亡くなりになる時、熱に苦しまれておう吐された。この時、おう吐された物が神となり名を金山彦神(かなやまひこのかみ)と云う。次が金山姫神(かなやまひめのかみ)と云う。小便をされた時に神に為ったのが、名を罔象女神(みずはのめのかみ)と云い、次に大便をされた時に神に為ったのが、名を埴安彦(はにやすひこ)・埴安姫(はにやすひめ)と云う。次に天吉葛(あまのよさつら)をお生みになった。次に稚産霊神(わくむすびのかみ)をお生みになった。この神の子は豊宇気比女神(とようけひめのかみ)と云う。火の神・軻遇突智(かぐつちのかみ)が土の神・埴安姫(はにやすひめ)を娶って稚産霊神を生む。この神の頭上に蚕と桑が生じ、臍(へそ)の中に五穀が生じた。 

 イザナミの尊は、火の神の軻遇突智をお生みになるとき焼かれて亡くなられた。


 イザナギ、イザナミの両尊がお生みになったのは、十四の島と三十五柱の神である。ただし、磤馭盧島はお生みになったものではない。また、水蛭子(ひるこ)と淡島(あわしま)は子の数には入れない。

 イザナギの尊は恨みに思って仰せられた。「麗しき我が妻、ただこの1人の子の為に(いわゆる子の一水に易り)、麗しき我が妻の命と交換してしまった」。頭や足の側を這いながら嘆き悲しまれた。その時、涙が落ちて神になった。香具山(かぐやま)の畝傍(うねび)の丘の木下に座す啼澤女神(なきさわめのかみ)と云う。伊弉諾尊は遂に十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて、軻遇突智の首を斬り、三段に斬り別けた。又五段に斬り別けた。又八段に斬り分けた。

 三段に斬り分けられたものが神になった。一段が雷神(いかづちのかみ)、一段が大山神(おおやまつみ)、一段が高寵(たかおかみ)。五段に斬り分けられたものが五つの山神になった、一つは首で大山神になり、二つは胴体で中山神(なかやまつみ)、三つは手で麓山神(はやまつみ)、四つは腰で正勝山神(まさかつやまつみ)、五つは足で雜山祇(しぎやまつみ)。八段に斬り分けられたものは八の山神となった。一つは首で大山神、又の名は正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)。二つは胴体で中山神、又の名は瀬勝山津見神(せかつやまつみのかみ)。胸から成った神で淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)。三つは腹で奥山神(おくやまつみ)、又の名は奥山上津見神(おくやまうえつみのかみ)。四つは腰で正勝山神。陰から成った神は闇山津見神(くらやまつみのかみ)。五つは左手で麓山神、又の名は志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)。六つは右手で羽山神(はやまつみ)、又の名は羽山津見神(はやまつみのかみ)。七つは左足で原山神(はらやまつみ)、又の名は原山津見神(はらやまつみのかみ)。八つは右足で戸山神(とやまつみ)、又の名は戸山津見神(とやまつみのかみ)。

 また、剣の鐔(つば)から滴(したた)る血走りが湯津石村(ゆついわむら、神聖な岩の群れ)に走りついて神になった。天尾羽張神(あめのちはばりのかみ)と云う。亦の名は稜威雄走神(いぶのおはしりのかみ)と云う。亦は甕速日神(みかはやひのかみ)と云う。亦は熯速日神(ひはやひのかみ)と云う。亦は槌速日神(つちはやひのかみ)と云う。

 今、天安川上にある(あめのやすかわかみ)の天窟(上流)に座す天窟之神(あまのいわとのかみ)である。天尾羽張神の児は武甕槌之男神(たけみかづちのおのかみ)である。またの名は建布都神(たけふつのかみ)と云う。またの名は豊布都神(とよふつのかみ)と云う。今、常陸の国に座す鹿島大神(かしまにおおかみ)である。即ち石上(いそのかみ)の布都大神(ふつのおおかみ)がこれである。

 また、剣の切っ先より滴り落ちた血走りが湯津石村(ゆついわむら)に走りついて神になった。磐裂根裂神(いわさくねさくのかみ)と言い、児は磐筒男(いわつつお)、磐筒女(いわつつめ)である。二神の生んだ神が経津主神(ふつぬしのかみ)と云う。今、下総の国に座す香取大神(かとりおおかみ)である。

 また、剣の柄頭より滴った血走りが三神となる。名は闇寵(くらおかみ)、、次が闇山神(くらやまつみ)、次が闇罔象(くらみつは)と云う。この時、斬った血が礫石や草木にかかった。砂石が自ら燃える事の起こりである。

 イザナギの尊は妻のイザナミの尊に逢いたいと思われ、黄泉の国に追って往かれた。殯斂(もがり)の所に行かれたイザナミの尊は自ら戸を開けて出迎え、生きている時の様に出迎え共に話し合われた。イザナギの尊が仰せられた。「汝を亡くして以来悲しんでいる。愛する我が妻よ、私と汝とで作った国は未だ作り終えていない。帰ってきて欲しい」。イザナミの尊が答えた。「悔しいかな愛(いと)しい我が夫よ、来るのが遅かった。私は既に黄泉の国の食べ物を食べ世話になっております。漸く落ち着き寝息(ねやす)まんとした時に我が愛しの尊が来られました事を恐れいります。帰りたくも思いますが黄泉の神と話し合わなければなりません。暫くお待ちください。私を覗き見ないでください」。こう仰せられて宮の中に戻られた。イザナギの尊は、その間が大変長く思われ、とうとう待ちきれなくなってしまった。

 暗かったので、左の御髻(みずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし、神聖な爪櫛)の雄柱を一つ引き折って秉炬(たび、手灯)とし、一つの火を挙(とも)してその姿を見られた。今の世の人が夜ひとつの火をともすことを忌み、また夜に櫛を投げることを忌むのは、これがその由来である。

 イザナミの尊は脹(は)れ膨(ふく)れ膿(うみ)が沸き蛆(うじ)が流(たか)っていた。その上に八雷(やくさのいかづち)が有り、頭に居るのは大雷(おおいかづち)、胸に居るのは火雷(ほのいかづち)、腹に居るのは黒雷(くろいかづち)、陰部に居るのは裂雷(さくいかづち)、左手に居るのは稚雷(わかいかづち)、右手に居るのは土雷(つちいかづち)、左足に居るのは鳴雷(なるいかづち)、右足に居るのは伏雷(ふしいかづち)だった。

 イザナギの尊は大いに驚いて曰く、「私は思いもかけず、ひどく汚き国にやってきた」。速やかに逃げ帰ろうとされた。イザナミの尊が恨んで仰せられた。「なぜ、約束を守って下さらず私を辱めるのですか。汝は私の心を見ました。私もまた、あなたの本当の心を見ました」。イザナギの尊は思いを断ち切り出て帰ろうとした時、「もはやこれまで。族(うがら)離れ縁切りでせん」と誓いを仰せられた。イザナミの尊は泉津醜女(よもつしこめ)を使わして追わさせた。イザナギの尊は剣を抜いて後ろを振り払いながら逃げられた。そして、黒鬘(くろみかづら)を投げると葡萄が生え、醜女はこれを見て食べ始めた。食べ終わると追いかけてきた。

 イザナギの尊は右の鬘の湯津爪櫛を投げた。これが筍となり醜女はまた取って食べた。食べ終わると追いかけてきた。イザナギの尊は逃げ行く。イザナミの尊は、八雷神に千五百の黄泉軍(よもついくさ)を副えて追わさせた。イザナギの尊は、帯びている剣を抜き後ろでに振りつつ逃げ走った。大木に小水をされた。これが大きな河となった。泉津日狭女(よもつひさめ)はその水を渡ろうとする間に、イザナギの尊は黄泉平坂(よもつひらさか)まで逃げ到った。そこに生っていた桃の木立ちの中に隠れ、その実を三個取って待ち構えて投げつけた。黄泉雷軍(よもついかづちぐん)は皆、逃げ帰った。大凡(おおよそ)桃を用いて鬼を掃うのはこれが始まりである。イザナギの尊は桃の実に詔して仰せられた。「汝、私を助けるが如く、葦原中国(あしはらなかつくに)のあらゆる所に生える蒼生(あおひとくさ)が、苦しき瀬に落ちて患(うれ)い悩む時に助けてやるように」。名前を賜って意富迦布都美命(おほかふづみのみこと)と云う。

 イザナミの尊が自ら黄泉平坂に追って来た時、イザナギの尊は杖を投げて仰せられた。「ここからこちらへは、雷の兵は来ることができない」。イザナギの尊は黄泉平坂の坂道を千人所引磐石(ちびきのいわ)で塞がれた。その石を挟んでお互いに向かい合って、縁切りの誓いをされた。その事戸(ことど)を渡した時、イザナミの尊は、「貴方の族(うがら)には負けない」と仰せられた。この時吐かれた唾が神になった。名を速玉之男神(はやたまのおのかみ)と云う。次に、掃きはらって生まれた神を泉津事解之男神(よもつことさかのおのかみ)と云う。イザナミの尊が仰せられた。「愛しき我が夫、汝が治める国の民を一日千人縊り殺しましょう」。イザナギの尊が答えて仰せられた。「愛しき我が妻、汝がそう言うのであれば、私は千五百人生もう」。これにより、一日千人が死ぬ一方、千五百人が生まれるのである。

 イザナギの尊がこれによって仰せられた。「これより入ってはならぬ」。そうして、三柱の神をお生みになった。杖を投げて生まれたのが、岐神(ふなとのかみ)。来名戸神(くなとのかみ)とも云う。また、帯を投げて生まれた神が長道磐神(ながちわのかみ)。また靴(くつ、履)を投げて生まれたのが道敷神(ちしきのおおかみ)。又は煩神(わずらいのかみ)と云う。又は開齧神(あきくいのかみ)と云う。

 イザナミの尊を黄泉津大神(よもつおおかみ)と云う。また、追って来た事によって道敷大神(みちしきのおおかみ)と云う。また、黄泉平坂に塞がる岩は道反大神(みちがえしのおおかみ)と云う。また、塞ぐ磐は泉門塞之大神(よみとぐちさやりますおおかみ)と云う。または、塞坐黄泉戸大神(さやりますよみとのおおかみ)と云う。

 イザナギ、イザナミの二神が黄泉津平坂(よもつひらさか)で相争ったとき、イザナギの尊が仰せになった。「はじめあなたのことを悲しみ慕ったのは、私の気が弱かったからだ。悲しんだのは間違いだった」。この時、泉守道者(よもつちもりびと)が申しあげていった。「伝言があります。『私と貴方とで国を生みました。どうしてこれ以上生む事を求められるのでしょうか。私は、この国に留まりて、一緒に去る事は出来ません』」。この時、菊理媛神(くくりひめのかみ)も申し上げた。イザナギの尊は聞かれて誉められた。そして立ち去られた。今の人が忌むことに、先に妻が死んだとき、夫が殯(もがり)のところを避けるのは、これによる。泉津平坂は存在するところではない。死に臨んで息が絶える際の事を云う。または、出雲の国の伊賦夜坂(いぶやさか)とも云う。

 イザナミの尊は出雲の国と伯耆の国との境の比婆之山(ひばのやま)に葬られた。紀伊の国の熊野の有馬村に葬られた。土地の人がこの神の御魂を祀るには花の時期に花をもってお祀りし、又鼓、笛、旗を使って歌舞してお祀りする。
 イザナギの尊は黄泉国(よもつくに)を行き来したので穢れていた。還ってきて悔いて仰せられた。「私は先に大変汚いところに行って来た。わが身の穢れたところを洗い捨て濯ぎ除こう」。そして、粟門(あわのと)及び速吸名門(はやすいなと)へ行かれた。この二門の潮は流れが速かった。そこで、日向の橘の小戸檍原(おどのあはぎはら)へ還り禊をされた。身の穢れたところを濯ごうとされた時、言挙げされた。陽神は泉穢(よもつよごれ)を祓うため、日向の橘の小戸檍原(おどのあはぎはら)に至った。身を祓い禊をされた時、神が十二柱生じた。

 まず、投げ捨てられた杖により成られた神、名を衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)と云う。
 次に投げ捨てられた帯より成られた神、名を道長乳歯神(みちのながのちはのかみ)と云う。
 次に投げ捨てられた裳より成られた神、名を時置師神(ときおかしのかみ)と云う。
 次に投げ捨てられた衣より成られた神、名を和豆良比能宇斯能神(わづらいのうしのかみ)と云う。
 次に投げ捨てられた褌(袴)から成られた神は、道俣神(ちまたのかみ)と云う。
 次に投げ捨てられた冠より成られた神は、飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ)と云う。
 次に投げ捨てられた左手の手纏(てまき)より成られた神は、奥疎神(おきさかるかみ)と云う。奥津那藝佐彦神(おきつなぎさひこのかみ)と云う。
 次に奥津甲斐辮羅神(おきつかいべらのかみ)。
 次に右手の手纏より成られた神は、邊疎神(へさかるかみ)と云う。邊津那藝佐彦神(へつなぎさひこのかみ)と云う。
 次に邊津甲斐辮羅神(へつかいべらのかみ)。


 イザナギの尊が仰せになった。「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れがおそい」。はじめ、中ほどの瀬で穢れを洗い清められたときに、二柱の神が成り出た。その神の名は、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と云う。次に、大禍津日神(おおまがつひのかみ)。夜に良く無いことを直そうとされて成られた神が三柱の神であった。名は、神直日神(かむなおひのかみ)、次が大直日神(おおなおひのかみ)、次が伊豆能賣神(いずのめのかみ)。また、水に入り生盤土命(しいわつちのみこと)を吹き、水より出て大直日命(おおなおひのみこと)を吹く。また、水に入って生底土命(しそこつちのみこと)を吹き、水から出て大綾津日神(おおあやつひのかみ)を吹く。また、入って生赤土命(しあかつちのみこと)を吹き、次に出て生大地海原之諸々神(すだいちうなばらのもろもろのかみ)を吹く。また、海底に沈んで濯いだ時、二神が生まれた。名を底津少童命(そこつわだつみのみこと)と云う。次が底筒男命(そこつつおのみこと)と云う。潮の中ほどに潜って濯いだ時、二神が生まれた。名を中津少童命(なかつわだつみのみこと)と次が中筒男命(なかつつおのみこと)と云う。潮の上部に潜って濯いだ時、二神が生まれた。名を表津少童命(うわつわだつみのみこと)と表筒男命(うわつつおのみこと)と云う。 あわせて六柱の神がいらっしゃる。底津少童命、中津少童命、表津少童命。この三神は阿曇連(あづみのむらじ)等が斎祀る筑紫の斯香(しか)の神である。底筒男命、中筒男命、表筒男命。この三神は津守連(つもりのむらじ)等が斎祀る住吉の三前(みまえ)の神である。
 イザナギの尊が身を漱がれた時に生まれたのが三神である。左目を洗われた時に成られた神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と名づける。右目を現れたときに成られた神は、月讀命(つきよみのみこと)と名づける。五十鈴川の上に座します、所謂、伊勢に斎祀る大神で有る。鼻を洗った時に成られた神は、建速素戔烏尊(たけはやすさのおのみこと)と名づけられた。出雲の国の熊野の杵築(きつき)の神宮に座す。

 イザナギの尊はたいそう喜ばれて仰せになった。「私が生んだ子を生み終わるときに、三柱の尊い子を得た」。そして、首に付けている、珠之玉緒母由良爾取由良迦斯(たまのたまをもゆらにとりゆらがし)を賜れた。そしてその御首飾りの珠に詔して名を授け、御倉板挙神(みくらたなあげのかみ)と云う。イザナギの尊は天照大神に命じて、「汝への命は高天原を治めなさい」と仰られた。次に月讀尊に命じて、「汝への命は夜の国を治めなさい」と仰られた。次にスサノウの尊に命じて、「汝への命は海原を治めなさい」と仰られた。こうして、それぞれご委任になられたお言葉にしたがってお治めになったが、スサノウの尊は命じられた国を治める事が出来なかった。八拳鬚(やつかひげ)が胸の前まで伸びていたが、泣き続けていた。

 
イザナギの尊は仰せになった。「私は天下を治めるべきすぐれた子を生もうと思う」。そうして三柱の神が成り出た。左手に白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったとき成られた神は、大日靈尊(おおひるめのみこと)と云う。右手に白銅鏡を持ったとき成られた神は月弓尊(つくゆみのみこと)と云う。首をめぐらして見る間に成られた神がスサノウの尊と云う。大日靈尊および月弓尊は性質が明るく美しかった。それゆえに天地を照らす役目を与えられた。スサノウの尊は性格が残害を好んだので、根の国を治めるよう命じられた。イザナギの尊は三子に「天照大神は高天原を治めなさい。月讀尊は滄海原(あおうなばら)の潮八百重(しおのやおへ)を治めなさい。また、日を助け天の事を知り夜の国を治めなさい。スサノウの尊は天下と滄海原を納めなさい」と命じられた。スサノウの尊は成長して八握鬚(やつかのひげ)が生えていたのに天下を治める事が出来ず泣き恨んでいた。イザナギの尊が「汝は何故泣いてばかりいるのだ」と問われた。スサノウの尊が答えて「私は母の国である根の国に行きたいが為に泣いているのです」と云う。イザナギの尊は気分を害して、「心のままに往くべし」と述べ、退けられた。

 イザナギの尊は、スサノウの尊に、「何故、命じた国を治められずに泣き叫ぶのか」と問われた。スサノウの尊が「母の国で有る根の堅州国に行きたいと思うので泣いているのです」と答えた。イザナギの尊は大いに怒って、「汝は大変情けない。宇宙の君ではない。この国に住んではならない。根の国に行きなさい」と仰り、遂に追われた。スサノウの尊は、「私は命令の通りに根の国に行きます。高天原に行き、姉に挨拶してから退きたいと思います」と願い出た。それを許された。天に登っていった。

 イザナギの尊は仕事を果たされ、徳は大なり。神の仕事を終えられ、天に登り復命された。日少宮(ひのわかみや)に留まられた。また、幽宮(かくれのみや)を淡路の島に造り霊を運んで移られ、静かに長くお隠れに成った。淡海(おうみ)の多賀(たが)に座す。


【巻第一 黄泉本紀
 先代舊事本紀大成經第四 黃泉本紀黃泉本紀
  • 天神第七代 去來諾神、去來冉神餘事
  • 黃泉消息
  • 生死消息
  • 三身之神 理躬 氣躬 精躬
  • 中神 中常法天內之神
  • 過神 過道法天外之神
  • 污穢次第
  • 祓除次第
  • 住吉大神
  • 鹿香大砷
  • 齋元天約右一卷,靈宗神道也。

【巻第一 身禊(みそぎ)




(私論.私見)