ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)38 |
(最新見直し2011.12.25日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)38、ヒシロの世クマソ討つ文」を説き分ける。原文は和歌体により記されている。「」、「38綾 目次」、「38 ヒシロの世(よ・景行期)クマソ討つアヤ」その他を参照しつつ、れんだいこ訳として書き上げることにする。 2011.12.24日 れんだいこ拝 |
【ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)38、ヒシロの世 熊襲討つ文】 | |
景行帝とヤマトタケルのクマソ征伐 | |
ひしろのよ くまそうつあや | ヒシロの世 クマソ討つ文 |
ときあすす なもやそやほの ふつきそひ | 時天鈴 七百八十八穂の 七月十一日 |
あまつひつきお うけつきて | 天つ日嗣ぎを 受け継ぎて |
いむなたりひこ をしろわけ | 諱(いむ名)タリ彦 ヲシロワケ |
あめすへらきの としやそひ | 天皇(あめすへらき)の 歳八十一 |
みくさたからの あまをしか | 三種宝の 天御使(あまをしか) |
やとよのみはた たかみくら | 八豊の御幡 高御座 |
いとおこそかに あまつかみ むへくたります | いと厳かに 天つ神 むべ下ります |
みかさりお たみにおかませ | 御飾りを 民に拝ませ |
わかみやの はつこよみなる | 若宮の 初暦なる |
ふほやよひ きひつひこかめ たつきさき | 二穂三月 吉備津彦が女 タツ后 |
はりまのいなひ をいらつめ うちめのときに | 播磨の稲ヒ ヲイラツ姫 内侍の時に |
こそうつき はらみてうます | 去年四月 孕みて生まず |
ふそひつき へてしはすもち | 二十一月 経て十二月十五日 |
うすはたに もちはななして ふたこうむ | 臼端に 餅花なして 双子生む |
ゑのなもちひと をうすみこ | 兄の名餅ヒト 大臼(うす)御子 |
とのなはなひこ おうすみこ | 弟の名花彦 小臼御子 |
ともにいさみて ひとなりは みのたけひとせ | 共に勇みて 人なりは 身の丈一背 |
ゑはよわく とはふそちから | 兄は弱く 弟は二十力 |
みほのはる きさらきはつひ | 三穂の春 二月初日 |
きのくにに かみまつらんと うらなえは | 紀の国に 神祀らんと 占えば |
ゆくはよからす みゆきやめ | 「行くは好からず」 御幸止め |
おしまことのこ うましたけ | オシマコトの子 ウマシタケ |
ゐこころやりて まつらしむ | ヰココロ遣りて 祀らしむ |
あひかしはらに ことせすむ | 阿備柏原(あひかしはら)に 九年住む |
きのうちまろか やまとかけ | 紀のウチ麻呂が ヤマト陰(かげ) |
めとりてうむこ たけうちそ | 娶りて生む子 武内ぞ |
よほきさらもち みのにゆく | 四穂二月十五日 美濃に行く |
とみらもふさく | 臣等申さく |
よきめあり やさかたかより ここなきり | 好き女あり 八坂高ヨリ 菊桐(ここなきり) |
うえてたのしむ ここりみや | 植えて楽しむ 菊桐(ここり)宮 |
かれこれゑんと みゆきして | 故これ得ん」と 御幸して |
みのたかきたの たかよりの | 美濃高北の 高ヨリの |
ここりのみやに かりいます | 菊桐の宮に 仮り居ます |
いけすのそめは さしのそく | 生簀望めば 差し覗く |
おとひめとめて きみめしつ | 弟姫留めて 君召しつ |
ひめおもえらく いせのみち | 姫思えらく 伊勢の道 |
かよえるのりも つやならす | 通える法も 艶ならず |
きみにもふさく | 君に申さく |
やつかれは とつきこのます | 「僕(やつかれ)は 婚ぎ好まず |
みあらかに めすもよからす | 御殿(みあらか)に 召すも好からず |
あねかなお やさかいりひめ すかたよく | 姉が名を 八坂入姫 姿好く |
きさひのみやに めさるとも みさほならんか | きさひの宮に 召さるとも 操ならんが」 |
きみゆるし あねひめおめす | 君許し 姉姫を召す |
ねしもはひ まきむきひしろ | 十一月初日 纏向日代 |
にいみやに かえりいります | 新宮に 帰り入ります |
やさかひめ なるみのうちめ | 八坂姫 なる美濃内侍 |
ゐほねしも そゐかひのてに | 五穂ね十一月 十五日日の出に |
うむこのな わかたりひこそ | 生む子の名 稚(わか)足彦ぞ |
たかよりは ひのまえもふて | 高ヨリは 日の前詣で |
うちまろか たちてまこうむ | ウチ麻呂が 館で孫生む |
ゐこころか いむなおこえは | ヰココロが 諱を請えば |
たかよりか いむなたかよし | 高ヨリが 諱高ヨシ |
なはうちと たけうちまろそ | 名はウチト 武内麻呂ぞ |
きしとへは たかよりのほる | 雉飛べば 高より上る |
うちまろも うちみやにゆき ことほきす | ウチ麻呂も 内宮に行き 寿(ことほぎ)す |
きみよろこひて いむなこふ | 君喜びて 諱請ふ |
うちまろささく うちひとは よつきみこなり | ウチ麻呂捧ぐ ウチヒトは 世嗣御子なり |
みのうちめ なるすけうむこ | 美濃内侍 なるスケ生む子 |
ゐもきひこ いむなすすきね | ヰモキ彦 諱スズキネ |
おしわけと わかやまとねと | オシワケと ワカヤマトネと |
おおすわけ つきぬのしひめ | オオズワケ 次ヌノシ姫 |
ぬなきひめ かのこよりひめ | ヌナキ姫 カノコヨリ姫 |
ゐもきひめ ゐそさきひこに きひゑひこ | ヰモキ姫 ヰソサキ彦に 吉備兄彦 |
つきたかきひめ おとひめそ | 次高ギ姫 弟姫ぞ |
またいわつくの このみつは | またイワツクの 子のミツハ |
いらつめみおの すけうむこ | イラツ姫三尾の スケ生む子 |
ゐものめくすこ うちをきみ | ヰモノ姫クスコ 内親君 |
またいそのかみ ゐそきねの ゐかわすけうむ | また石上神(いそのかみ) ヰソキネの ヰカワスケ生む |
かんくしと ゐなせひこまた | カンクシと ヰナセ彦また |
あへここと たかたうちうむ たけこわけ | アベコゴト タカタ内(侍) 生む タケコワケ |
またそをたけか たけひめは | また曽於タケが タケ姫は |
そむつきはらみ ふたこうむ | 十六月孕み 双子生む |
くにこりわけと くにちわけ | クニコリワケと クニヂワケ |
つきみやちわけ とよとわけ | 次 ミヤヂワケ トヨトワケ |
ひうかみゆきに かみなかか をたねおしもめ | 日向御幸に カミナガが ヲタネ乙侍 |
うむこのな ひうかそつひこ | 生む子の名 日向ソツ彦 |
またそをの みはかせうむこ | また曽於の ミハカセ生む子 |
とよくにの いむなそをひと ひうかきみ | 豊国の 諱ソヲヒト 日向君 |
すへらきのみこ をはゐそゐ | 天皇の御子 男は五十五 |
めはふそむすへ やそひなり | 女は二十六総べ 八十一なり |
ををうすおよひ やまとたけ | ヲヲウスおよび ヤマトタケ |
ゐもきいりひこ ゐものひめ | ヰモキイリ彦 ヰモノ姫 |
わかたらしひこ とよくわけ | ワカタラシ彦 豊クワケ |
むたりをみこの なおおふる | 六人親王の 名を帯ふる |
あまりなそゐこ くにあかた | 余り七十五子 国県 |
わけおさむその すえおおし | 分け治むその 末多し |
そふほはつはる みののくに | 十二穂初春 美濃の国 |
かんほねかめの ゑととおこ | カンホネが女の ヱトトオコ |
くにのいろあり ををうすお やりてよはしむ | 国の色あり ヲヲウスを 遣りて呼ばしむ |
をうすみこ みのにいたりて | ヲウス御子 美濃に至りて |
すかたみて ひそかにめしつ | 姿見て 密かに召しつ |
ととまりて かえことなさす | 留まりて 返言なさず |
ことしそひ たけはやたなり | 今年十一 丈は八尺なり |
きみとかめ みやこにいれす | 君咎め 都に入れず |
あふみつき くまそそむきて みつきせす | 七月 クマソ背きて 貢せず |
おしてささけて みかりこふ | オシテ捧げて 御狩り請ふ |
はつきもちより みゆきなる | 八月十五日より 御幸なる |
なのゐかいたる すはうさは | 九月の五日至る 周防娑麼 |
ときにすへらき さおのそみ | 時に天皇 南を望み |
さかいきたつは つつかかや | 「南がいき立つは 恙(つつが)かや」 |
おほのたけもろ きのうなて | オホのタケモロ 紀のウナデ |
ものへなつはな このみたり | 物部夏花 この三人 |
やりてかたちお みせしむる | 遣りて状(かたち)を 見せしむる |
かんかしひめは ひとのかみ | 神カシ姫は 人の頭 |
みつかひききて しつやまの | 御使聞きて 磯津山の |
さかきおぬきて かんつゑに | 榊を抜きて 上つ枝に |
やつかのつるき やたかかみ しもまかたまや | 八握の剣 八尺鏡 下曲玉や |
しらはたお ともへにかけて | 白旗を 艫舳に掛けて |
わかたくひ たかはすあめの めくみえん | 「我が類 違わず天の 恵み得ん |
たたそこなふは はなたれか | ただ害ふは 洟垂れが |
みたりまたかり なおかりて | 乱りまだかり 名を借りて |
うさにたむろし なりひひく | 宇佐に屯し 鳴り響く |
またみみたれも むさほりて たみおかすむる | また耳垂れも 貧りて 民を掠むる |
みけかわゑ またあさはきも ともあつむ | 御木川江 またアサハギも 供集む |
たかはかわまた つちおりと ゐおりもかくれ | 高羽川また ツチオリと ヰオリも隠れ |
みとりのの かわさかたのみ かすめとる | 緑野の 川境頼み 掠め取る |
みなかなめちに あつまりて おさとなのるお うちたまえ | 皆要路に 集まりて |
おさとなのるお うちたまえ | 長と名乗るを 討ち給え」 |
ときにたけもろ はからひて | 時にタケモロ 謀らひて |
あかきぬはかま ひきてもの | 赤衣袴 引手物 |
ひきてあさはき めしよせて | 引きてアサハギ 召し寄せて |
これにひかせて もろくれは | これに引かせて 諸来れば |
ふつくころしつ みゆきして | 悉く殺しつ 御幸して |
とよのなかおに かりみやこ | 豊の長峡(お)に 仮都 |
めつきにいたる はやみむら | 十月に至る 速水村 |
をさはやみつめ みゆききき | 長ハヤミツメ 御幸聞き |
みつからむかえ もふさくは | 自ら迎え 申さくは |
ねつかいわやに ふつちくも | 「北西が窟に 二地蜘蛛 |
なはあおくもと しらくもと | 名は青蜘蛛と 白蜘蛛と |
なおりねきのに みつちくも | 直り禰疑野(ねぎの)に 三地蜘蛛 |
うちさるとやた くにまろと | ウチサルとヤタ クニ麻呂と |
このゐつちくも ともからの | この五地蜘蛛 輩(ともがら)の |
ちからつよきお あつめおく | 力強きを 集め置く |
あなかちめさは いくさせん | 強ち召さば 戦せん」 |
ここにすへらき すすみゑす | ここに天皇 進み得ず |
くたみのむらの かりみやに はかりていわく | 来田見の村の 仮宮に 議りて曰く |
もろうたは くもらおそれて かくれんと | 「諸打たば 蜘蛛等恐れて 隠れん」と |
つはきおとりて つちとなし | 海石榴(つばき)を採りて 槌となし |
たけきおえらみ つちもつて | 猛きを選み 槌以て |
やまおうかちて くさおわけ | 山を穿ちて 草を分け |
いわやのくもお うちころす | 岩屋の蜘蛛を 打ち殺す |
いなはかわへは ちたとなる | 稲葉川辺は 血田となる |
またうちさるお うたんとて | またウチサルを 討たんとて |
つはきいちより ねきやまお | 海石榴市より 禰疑(ねぎ)山を |
こすときあたか よこやいる | 越すとき仇が 横矢射る |
あめよりしけく すすみえす | 雨より繁く 進み得ず |
きわらにかえり ふとまにみ | 城原に返り フトマニ見 |
やたおねきのに うちやふり | ヤタを禰疑野に 討ち破り |
ここにうちさる くたりこふ | ここにウチサル 降り乞ふ |
ゆるさすゆえに くにまろも | 許さず故に 国麻呂も |
たきえみおなけ ことことく ほろひをさまる | 滝へ身を投げ ことごとく 滅び治まる |
そのはじめ かしはをのいし | その始め 柏峡(かしはを)の石 |
ながさむた はゞみたあつさ ひとたゐき | 長さ六尺 幅三尺厚さ 一尺五寸 |
すべらきいのり とびあがる かれすみよろし | 皇祈り 飛び上る 故スミヨロシ(志賀若宮八幡) |
なおりかみ もろはのやしろ | 直り神 両羽の社 |
さらにたて これまつらしむ | 新に建て これ祀らしむ |
かえもふて ねつきにいたる | 返詣で 十一月に至る |
かりみやは ひうかたかやそ | 仮宮は 日向高屋ぞ |
しはすゐか くまそおはかり みことのり | 十二月五日 熊襲を議り 詔 |
われきくくまそ ゑあつかや | 「我聞く熊襲 兄アツカヤ |
おとせかやとて ひとのかみ | 弟セカヤとて 人の頭(かみ) |
もろおあつめて たけるとす | 諸を集めて 長とす |
ほこさきあたる ものあらす | 矛前当たる 者あらず |
ささひととかす さはなれは たみのいたみそ | ささ人と数 多なれば 民の傷みぞ |
ほこからす むけんとあれは | 矛駆らず 平けん」とあれば |
とみひとり すすみていわく | 臣一人 進みて曰く |
くまそには ふかやとへかや | 「熊襲には フカヤとヘカヤ |
ふたむすめ きらきらしくも いさめるお | 二娘 煌々しくも 勇めるを |
おもきひきてに めしいれて | 重き引手に 召し入れて |
ひまおうかかひ とりこにす | 暇を窺ひ 虜にす」 |
ときにすへらき よからんと | 時に天皇 「良からん」と |
きぬにあさむく ふたむすめ | 絹に欺く 二娘 |
めしてみもとに めくみなす | 召して御許に 恵なす |
あねのふかやか もふさくは | 姉のフカヤが 申さくは |
きみなうれひそ はからんと | 「君な憂ひそ 謀らん」と |
つわものつれて やにかえり | 兵連れて 屋に帰り |
さけおあたたに のましむる | 酒をあただに 飲ましむる |
ちちのみゑひて ふすときに | 父飲み酔ひて 臥す時に |
ちちかゆんつる きりおきて | 父が弓弦 切り置きて |
ちちあつかやお ころさしむ | 父アツカヤを 殺さしむ |
すへらきあねか しむたつお | 天皇姉が 血脈絶つを |
にくみころして おとへかや | 憎み殺して 妹ヘカヤ |
そのくにつこと おちのこの | 襲の国造と 叔父の子の |
とりいしかやと ちなませて | トリイシカヤ(取石鹿文)と 因ませて |
つくしむけんと むとせまて | 「筑紫平けん」と 六年まで |
たかやのみやに おわします | 高屋の宮に 御座します |
みはかせひめお うちさまに | ミハカセ姫を 内添に |
とよくにわけの をみこうむ | 豊国ワケの 男御子生む |
ははこととまり くにつこや | 母子留まり 国造や |
そなやよひそふ | 十七年三月十二日 |
こゆかたの にものにみゆき | 子湯県の 丹裳野に御幸 |
きおのそみ むかしおほして のたまふは | 東を望み 昔思して 宣給ふは |
みをやあまきみ たかちほの | 「御祖天君 高千穂の |
みねにのほりて ひのやまの | 峰に登りて 日の山の |
あさひにいなみ つまむかひ | 朝日に辞み 妻向ひ |
かみしもめくむ かみとなる | 上下恵む 神となる |
くにのなもこれ | 国の名もこれ(賀茂) |
かはかみの あまねくてらす | カ は上の 遍く照らす |
もはしもの あおひとくさお めくまんと | モは下の 青人草を 恵まんと |
なるかみのあめ よきほとに | 鳴る神の雨 良き程に |
わけてみそろの うるほひに | 別けて御繁(そろ)の 潤ひに |
たみにきはせる いさおしは | 民賑はせる 功は |
かもわけつちの かんこころ | 上下別雷の 神心」 |
かくそおほして かみまつり | かくぞ仰して 神祀り |
みやこのそらお なかむみうたに | 都の空を 詠む御歌に |
はしきよし わきへのかたゆ | 「愛し清し わきべの方ゆ |
くもいたち くもはやまとの くにのまほ | 雲出立ち 雲はヤマトの 国のマホ |
またたなひくは あおかきの やまもこもれる | また棚引くは 青垣の 山(御諸山)も籠れる |
やましろは いのちのまそよ | 山背は 命のまそよ |
けむひせは たたみこおもえ | 煙火せば ただ御子思え (煮炊する煙を見ると) (直ぐに子等のことが思われる) |
くのやまの しらかしかゑお | くの山の 白橿(しらかし)が枝を |
うすにさせこのこ | 頭(うず)に挿せこの子 (頭に挿して自身の山を繁らせ 愛しい子等よ) |
そややよひ みやこかえりの みゆきかり | 十八年三月 都帰りの 御幸狩り |
いたるひなもり いわせかわ | 至る夷守(ひなもり) 岩瀬川 |
はるかにのそみ ひとむれお | 遥かに望み 人群を |
おとひなもりに みせしむる かえりもふさく | 弟ヒナモリに 見せしむる 帰り申さく |
もろあかた ぬしらおほみけ ささけんと | 「諸県 主ら大御食 捧げんと |
いつみめかやに そのつとえ | イヅミ姫が屋に その集え」 |
ゆくうつきみか くまのかた | 行く四月三日 熊の県 |
おさくまつひこ ゑとおめす | 長熊津彦 兄弟を召す |
ゑひこはくれと おとはこす | 兄彦は来れど 弟は来ず |
とみとあにとに さとさしむ | 臣と兄とに 諭さしむ |
しかれとこはむ かれころす | 然れど拒む 故殺す |
ふそかあしきた こしまにて | 二十日葦北 小島にて |
ひてりにあつく みつおめす | 日照りに暑く 水を召す |
やまへこひたり みづなきを | 山辺コヒダリ 水なきを |
あめにいのれは いわかとに | 天に祈れば 岩角に |
しみつわきてる これささく | 真水湧き出る これ捧ぐ |
かれになつくる みつしまそ | 故に名付くる 水島ぞ |
さつきはつひに ふねはせて | 五月初日に 船馳せて |
ゆくやつしろえ ひのくれて つくきししれす | 行く八代ヘ 日の暮れて 着く岸知れず |
ひのひかる とこえさせとの みことのり | 「火の光る 処へ差せ」との 詔 |
きしにあかりて なにむらと | 岸に上がりて 「何村」と |
とえはやつしろ とよむらの | 問えば八代 豊村の |
たくひおとえは ぬしおゑす | 焚く火を問えば 主を得ず |
ひとのひならす しらぬひの くにとなつくる | 人の火ならず (不知火)知らぬ火の 国と名付くる |
せみなみか たかくあかたの ふなわたし | 六月三日 高来県の 船渡し |
たまきなむらの つちくもの つつらおころし | 玉杵名村の 地蜘蛛の ツヅラを殺し |
そむかには いたるあそくに | 十六日には 至る阿蘇国 |
よもひろく いゑゐみえねは | 四方広く 家居見えねば |
ひとありや きみのたまえは | 「人在りや」 君曰えば |
たちまちに ふたかみなりて | たちまちに 二神なりて |
あそつひこ あそつひめあり | 阿蘇津彦 阿蘇津姫あり |
きみなんそ ひとなきやとは | 「君何ぞ 人なきやとは」 |
きみいわく たれそこたえて | 君曰く 「誰ぞ」答えて |
くにつかみ やしろやふれり | 「国津神 社破れり」 |
ときにきみ みことのりして やしろたつ | 時に君 詔して 社建つ |
かみよろこひて まもるゆえ ゐゑゐしけれり | 神喜びて 守る故 家居繁れり |
あふみよか つくしちのちの たかたみや | 七月四日 筑紫州後(筑後)の 高田宮 |
おほみけたおれ きのなかさ こもなそたけそ | 大神木倒れ 木の長さ 九百七十丈(約2,200m)ぞ |
ももふみて ゆききにうたふ | 百踏みて 往き来に歌ふ |
あさしもの みけのさおはし まへつきみ | 「朝霜の 神木の竿橋 前つ君 |
いやわたらすも みけのさおはし | いや渡らすも 神木の竿橋」 |
きみとえは をきなのいわく | 君問えば 翁の曰く |
くぬきなり たおれぬさきは | 「くぬ木なり 倒れぬ先は |
あさひかけ きしまねにあり | 朝日影 杵島峰にあり |
ゆうひかけ あそやまおおふ かみのみけ | 夕日影 阿蘇山覆ふ 神の御木」 |
くにもみけとそ なつけます | 国も御木とぞ 名付けます |
やつめおこえて まえやまの | ヤツメ (八女山)を越えて 前山の |
あわみさきみて きみいわく | 合岬見て 君曰く |
たたみうるわし かみありや | 「畳麗し 神ありや」 |
みぬさるをうみ もふさくは | 水沼サルヲウミ 申さくは |
やつめひめかみ みねにあり | 「ヤツメ姫神 峰にあり」 |
ほつみにいたる いくはむら | 穂積に至る 的村 |
みけすすむひに かしはてへ | 御食進む日に 膳部(かしわでべ) |
みさらわすれる おさいわく | 御皿忘れる 長曰く |
むかしあめみこ みかりのひ ここにみけなし | 「昔天御子 御狩りの日 ここに御食なし |
かしはてか うくはわすれり | 膳部が 食瓮(うくは)忘れり |
くにことは みさらおうくは ゐはもこれ | 国言葉 御皿を食瓮 飯瓮(いは)もこれ |
かかるめてたき ためしなり | かかる愛でたき 例しなり」 |
そこほなかやか まきむきの みやにかえます | 十九年九月八日 纏向の 宮に帰ます |
ふそさみゑ きさらきよかに | 二十年サミヱ 二月四日に |
ゐものひめ くすこうちみこ いせのかみ | ヰモノ姫 クスコ内親王 伊勢の神 |
まつるいわひは つくしむけ | 祭る祝いは 筑紫平け |
ひめことしそよ やまとひめ | 姫今年十四 ヤマト姫 |
ことしももやつ よろこひて | 今年百八つ 喜びて |
よはひいたれは われたりぬ | 「齢至れば 我足りぬ |
わかやそものへ そふつかさ | 我が八十物部 十二司 |
ゐものにうつし つかえしむ | ヰモノに移し 仕えしむ」 |
くすこおかみの みつえしろ | クスコを神の 御杖代 |
たけのみやゐに つつしみて | 丈の宮居に 謹みて |
つかえはんへる やまとひめ | 仕え侍べる ヤマト姫 |
うちはたとのの いそみやに | 宇治端殿の 磯宮に |
ひらきしつかに ひのかみお | 開き静かに 日の神を |
まつれはなかく うまなくそ | 祀れば永く 倦まなくぞ |
ふそゐほふみは たけうちに | 二十五穂七月初日 武内に |
ほつましるへの みことのり | ホツマ知る侍の 詔 |
きたよりつかる ひたかみや | 北より津軽 日高見や |
かくのやかたに みちおきく | 香久の館に 道を聞く |
もとひこいわく くにしるの みちはいにしえ | 元彦曰く 「国知るの 道は往にし方」 |
かみのりかゐのあや | 【神宣り粥の文】 |
ねのくにの おほきのまつる | 根の国の 大きの祀る |
かみのみけ ねしものすえの | 神の御食 十一月の末の |
ゆみはりに かみのりかゐは | 弓張に 神宣り粥は |
くろまめと うむきとすめと | 黒豆と 大麦と小豆と |
ななのよね かゐにかしきて | 七菜の米 粥に炊ぎて |
うけみたま ゐはしらまつり | ウケ御魂 五柱祀り(新嘗祭) |
としこえは うむきとすめと よねむます | 年越は 大麦と小豆と 米蒸ます |
としのりやまさ おにやらゐ | トシノリヤマサ 鬼遣らい |
むつきなあさは ななくさの みそにゐくらや | 一月七日朝は 七草の ミソに五臓や |
もちのあさ むわたまつりは | 十五日の朝 六腑祀りは |
よねとすめ かみありかゆそ | 米と小豆 神あり粥ぞ |
つちきみの しむのまつりは | 辻君の 血脈の祀りは |
まめすめに さかめとななの よねかしき | 大豆小豆に 盛豆と七菜の 米炊ぎ |
あまこのかみの みしるかゐ | 天九の神の 御汁粥 |
みおしるわさの いくさわに | 身を治る業の 幾沢に |
としなからえて よろひとの | 歳永らえて 万人の |
みちのしるへと あるふみお | 満ちの知る方と ある文を |
よよにつたふる たけうちは | 代々に伝ふる 武内は |
ついになからふ みちとなるかな | 遂に中らふ 道となるかな |
ねこころお あかしかえりて | 根心を 明かし帰りて |
ふそなきの そみかもふさく | 二十七年二月の 十三日申さく |
ひたかみは めをのこかみお あけまきに | 「日高見は 女男の子髪を 揚巻に |
みおあやとりて いさみたつ | 身を紋取りて(刺青) 勇み立つ |
すへてゑみしの くにこゑて | 総て蝦夷の 国越えて |
まつろはされは とるもよし | 服わざれば 取るも好し」 |
くまそそむきて またおかす | 熊襲背きて また犯す |
かなつきそみか みことのり | 十月十三日 詔 |
おうすみこして うたしむる | オウス御子して 討たしむる |
おうすもうさく よきいてお | オウス申さく 「良き射手を |
あらはつれんと みなもふす | あらば連れん」と 皆申す |
みののおとひこ ひいてたり | 「美濃の弟彦 秀でたり」 |
かつらきみやと つかわして | 葛城ミヤト 遣わして |
めせはおとひこ いしうらの | 召せば弟彦 石ウラの |
よこたておよひ たこゐなき | ヨコタテおよび タコヰナキ |
ちちかいなきお ひきつれて | チチカイナキを 率き連れて |
したかひゆけは こうすみこ | 従ひ行けば コウス御子 |
しはすにゆきて くまそらか | 十二月に行きて 熊襲等が |
くにのさかしら うかかえは | 国の盛衰(さかしら) 覗えば |
とりいしかやか かわかみに | トリイシカヤが 川上に |
たけるのやから むれよりて | 長けるの族 群れ寄りて |
やすくらなせは こうすきみ | 安座なせば コウス君 |
おとめすかたの みはのうち | 乙女姿の 御衣の内 |
つるきかくして やすみせし | 剣隠して 休みせし |
おとめのみめに ましわれは | 乙女の眉目に 交われば |
たつさえいるる はなむしろ | 携え入るる 花筵 |
みおあけみきの たわむれや | 身を上げ酒の 戯れや |
よふけゑゑれは こうすきみ | 夜更け酔えれば コウス君 |
はたのつるきお ぬきもちて | 肌の剣を 抜き持ちて |
たけるかむねお さしとほす | 長が胸を 刺し通す |
たけるかいわく | 長が曰く |
いましはし つるきととめよ | 「今 しばし 剣止めよ |
ことありと まてはなんちは | 言あり」と 待てば「汝は |
たれひとそ すへらきのこの こうすなり | 誰人ぞ」 「天皇の子の コウスなり」 |
たけるまたいふ | 長また言ふ |
われはこれ くにのつわもの | 「我はこれ 国の強者 |
もろひとも われにはすきす したかえり | 諸人も 我には過ぎず 従えり |
きみのことくの ものあらす | 君の如くの 者あらず |
やつこかささく なおめすや | 奴が捧ぐ 名を召すや」 |
きみききませは いまよりは | 君聞きませば 「今よりは |
やまとたけとそ なのらせと | ヤマトタケとぞ 名乗らせ」と |
いいつおはれは やまとたけ | 言いつ終れば ヤマトタケ |
おとひこやりて ともからお みなうちをさめ | 弟彦遣りて 朋族を 皆討ち治め |
つくしより ふなちおかえる | 筑紫より 船路を帰る |
あなときひ わたりあらふる ものころし | 穴門吉備 渡り洗ぶる 者殺し |
なみはかしはの ものやから みなころしゑて | 浪速カシハの もの族 皆殺し得て |
ふそやほの きさらきはつひ | 二十八年の 二月初日 |
まきむきの みやこにかえる | 纏向の 都に帰る |
やまとたけ もふすかたちは | ヤマトタケ 申す状は |
すへらきの みたまによりて | 「天皇の 御霊によりて |
くまそらお ひたにころして | 熊襲等を ひたに殺して |
ふつくむけ にしはことなく | 悉く平け 西はことなく |
たたきひの あなとなみはの かしはたり | ただ吉備の 穴門浪速の カシハ辺り |
あしきいきふき みちゆくも | 悪しき息吹き 道行くも |
わさはひもとむ あふれもの | 災い求む あふれ者 |
うみとくかとの みちひらく | 海と陸との 道開く」 |
ときにすへらき くにむけの | 時に天皇 国平けの |
いさおしほめて たまものなしき | 功褒めて 賜物為しき |
【ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)38、ヒシロの世クマソ討つ文】 |
ヒシロの世 クマソ討つ文 |
「時天鈴 七百八十八年の」、「七月十一日 天つ日月を 受け継ぎて」、「いむ名タリ彦 ヲシロワケ」、「天皇(あめすへらき)の 歳八十一」、「三種宝の 天御使(あまをしか)」、「八豊の御旗 高御座 いと厳かに」、「天つ神 むべ下ります」、「御飾りを 民に拝ませ」、「若宮の 初暦成る」。 |
天鈴(あすず)暦の七百八十八年の七月(ふつぎ)十一日、いむ名タリ彦、ヲシロワケが天皇(あめすべらぎ)になられた。(後の景行天皇) 御歳81歳。三種(みぐさ)の神器を司る天御使(あまをしか)から八豊(やとよ)の御旗を受け取り、高御座に御立てになり、大変厳かに即位の礼が執り行われた。天つ神はこぞって下って来られた。その後、即位の御飾りを一般民衆に拝ませた。そして、新たにすべらぎ(天皇)になられた日代の宮(おしろわけ)元年になり、暦が改まった。 |
「二年三月 吉備津彦が女 立つ后」、「播磨のイナヒ ヲイラツ姫 内侍の時に」、「去年四月 孕みて生まず」、「二十一月 経て十二月十五日」、「臼端に 餅花成して 双子生む」、「兄の名モチヒト ヲウス御子」、「弟の名ハナヒコ オウス御子」、「共に勇みて 人成りは 身の丈 一背」、「兄は弱く 弟は二十(人)力」。 |
即位二年目(纒向の日代二年)の三月、吉備津彦(岡山県出身)の娘を妃(中宮)にたてた。名前は播磨の稲日(いなひ)おいらつ姫と言い、昨年(こぞ)の四月、「うちめ」の時に孕みましたが生まれず、二十一(ふそひ)ヶ月経て、師走12月のもち(15日)の時に、臼のそばで餅花を作っていたとき、突然産気づいて双子を生んだ。餅花(もちはな)まつりの時に生まれたから、兄の方には「もち」をとり、弟の方には「はな」をとり、餅つきの臼のそばで産気づいたから、兄貴(ゑ)の名はモチヒト ヲウス御子、弟(と)の名は、ハナヒコ オウス御子とつけた。二人とも元気で身長(身の丈)は一背(8尺)にもなった。兄は軟弱、弟は二十人力に成長した。(弟のオウス御子が後のヤマトタケルになる) |
「三年の春 二月初日」、「紀の国に 神祀らんと 占えば」、「行くは好からず 御幸止め」、「オシマコトの子 ウマシタケ」、「ヰココロ遣りて 祀らしむ」、「阿備柏原(あひかしはら)に 九年住む」、「紀のウチマロが ヤマトカゲ」、「娶りて生む子 武内ぞ」。 |
纒向の日代三年(みほ)の春、二月初めに紀州に神を祭ろうと占ったところ、行くは凶と出たので御幸を取り止めた。そのかわり、オシマコトの子のウマシタケを遣わして祀らせた。そして、阿備柏原(あひかしはら、大阪府柏原市)に九年間住んだ。ヰココロが柏原で、紀の国造のウチマロの娘のヤマトカゲ姫を娶って産んだ子が武内(武内宿禰)である。 |
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「四年二月十五日 美濃に行く」、「臣等申さく 好き女あり」、「ヤサカタカヨリ 菊桐」、「植えて楽しむ 菊桐宮」、「故これ得んと 御幸して」、「美濃高北の タカヨリの」、「菊桐の宮に 仮り居ます」、「生簀望めば 差し覗く」、「オト姫留めて 君召しつ」、「姫思えらく 伊勢の道」、「通える法も 艶ならず」、「君に申さく 僕(やつかれ)は 婚ぎ好まず」、「御殿に 召すも好からず」、「姉が名を ヤサカイリ姫 姿好く」、「后の宮に 召さるとも 操成らんが」、「君許し 姉姫を召す」。 |
纒向の日代四年の二月十五日、君は、大臣たちが良い娘がいますというのを聞いて美濃に行った。菊桐(ここり)の宮では、ヤサカタカヨリが菊桐を植えて楽しんでいた。しかるが故に、この娘を得ようと御幸して美濃の高北のタカヨリの菊桐(ここり)の宮に仮住まいすることにした。君が生け簀(いけす)を覗くと、弟姫と目が合った。君はこちらにいらっしゃいと召したところ、姫は深く考えて断った。「自分は伊勢の道には魅力(つや)がありません。君(天皇)に申し上げます。自分は結婚を望みません。宮中に召し上がることも好みません。その代わり姉を推薦します。姉は八坂入姫と云います。姿、器量良く妃の宮(きさい)に召されても操を立てて良き妃になるでしょう」。君は承諾して姉姫をお妃に召された。 |
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「十一月初日 纏向日代」、「新宮に 帰り入ります」、「ヤサカ姫 なる美濃内侍」、「五年十一月 十五日日の出に」、「生む子の名 ワカタリヒコぞ」、「タカヨリは 日の前詣で」、「ウチマロが 館で孫生む 」、「ヰココロが 斎名を請えば」、「タカヨリが 斎名タカヨシ」、「名はウチと タケウチマロぞ」、「雉飛べば 鷹より上る」、「ウチマロも 内宮に行き 言祝す」、「君喜びて 斎名請ふ」、「ウチマロ捧ぐ ウチヒトは 世嗣御子なり」。 |
十一月(ねし)一日に纒向の日代に帰ってこられ、新築した宮にお入りになられた。八坂入姫(景行天皇の二人目のお妃)は美濃のうちめになった。(妃には、すけ、うちめ、おしもの三階級がある) 五年十一月十五日の日の出とともに子供が生まれた。生まれた子の名前はワカタリ彦。タカヨリは、日の前(ひのくま、和歌山市)に詣でた。この時、紀の国造のウチマロの館(たち)で孫が生まれた。ヰココロが名前を付けてくださいとお願いしたら、タカヨリは自分の「たか」に因んでタカヨシと名付けた。姓はウチマロのウチと父親のうましたけのタケをとってタケウチマロとした。高頼の娘が子供を生んだという至急便(伝令)が宮中よりきたので、タカヨリ急ぎ上京した。一緒にいたウチマロも中宮へ行き、お祝いの言葉を述べた。君は大変喜んで名前をつけてくれと頼んだ。ウチマロはウチヒトの名を捧げた。ウチヒトは世継ぎ御子になる。(実名「わかたりひこで、後に成務天皇になる)。 |
「美濃内侍 なるスケ生む子 」、「ヰモキヒコ いみ名スズキネ」、「オシワケと ワカヤマトネと」、「オオズワケ 次ヌノシ姫」、「ヌナキ姫 カノコヨリ姫」、「ヰモキ姫 ヰソサキヒコに 吉備兄彦」、「次タカギ姫 オト姫ぞ」、「またイワツクの 子のミツハ」、「イラツ姫三尾の スケ生む子」、「ヰモノ姫クスコ 内親君」、「またイソの守 ヰソキネの ヰカワスケ生む」、「カンクシと ヰナセヒコまた」、「アベコゴト タカタ内(侍) 生む」、「タケコワケ また曽於タケが」、「タケ姫は 十六月孕み 双子生む」、「クニコリワケと クニヂワケ」、「次 ミヤヂワケ トヨトワケ」、「日向御幸に カミナガが ヲタネ乙侍」、「生む子の名 日向ガソツヒコ」、「また曽於の ミハカセ生む子」、「トヨクニの 斎名ソヲヒト 日向君」、「皇の御子 男は五十五 」、「女は二十六総べ 八十一なり」。 |
内侍(うちめ)からスケ妃に昇格した美濃の八坂姫が生んだ二人目の御子はヰモキヒコ、いみ名スズキネ、三人目はオシワケ、四人目はワカヤマトネ、五人目はオオズワケ、六人目はヌノシ姫、七人目はヌナキ姫、八人目はカノコヨリ姫、九人目はヰモキ姫、十人目はヰソサキヒコ、十一人目は吉備兄彦、十二人目はタカギ姫、十三人目はオト姫である。また、三番目のお妃のイワツクの娘のミツハイラツ姫みお(三尾)のスケ妃が生んだ子はヰモノ姫クスコ内親(親王)である。また、イソの神ヰソキネの娘のヰカワスケ(四番目のお妃)が生んだ子は一人目がカンクシ、二人目がヰナセヒコである。また、アベコゴトの娘のタカタ内(侍)姫(五番目のお妃)が生んだ子はタケコワケである。また、曽於タケの娘のタケ姫(六番目のお妃)は懐妊後十六ヶ月で双子を生み、クニコリワケとクニヂワケである。続いてミヤヂワケとトヨトワケを生んだ。景行天皇が日向に御幸(みゆき)したとき、カミナガの娘のヲタネ姫乙侍(おしも)が生んだ子は日向ガソツヒコ。更にまた、曽於県主の娘のミハカセ姫が生んだ子がトヨクニで実名をソヲヒトと云い日向の国造の祖(日向親王)になった。景行天皇の御子は、男は五十五人、女は二十六人、よって計八十一人である。 |
「ヲヲウスおよび ヤマトタケ」、「ヰモキイリヒコ ヰモノ姫」、「ワカタラシヒコ トヨクワケ」、「六人親王の 名を帯ふる」、「余り七十五子 国県」、「分け治むその 末多し」。 |
おいらつ姫の双子の兄のヲヲウスと弟のヤマトタケ、やさか姫の子のヰモキイリヒコ、みつはいらつ姫の子のヰモノ姫、やさか姫の子のワカタラシヒコ、向みはかせ姫の子のトヨクワケの六人は親王の名を賜った。 その他の七十五人の子供はそれぞれの国の県主になった。それぞれ国を分けて治め、景行天皇の末裔は広がった。 |
「十二年初春 美濃の国」、「カンホネが女の ヱトトオコ」、「国の色あり ヲヲウスを 遣りて呼ばしむ」、「ヲウス御子 美濃に至りて」、「姿見て 密かに召しつ」、「留まりて 返言なさず」、「今年十一 丈は八尺なり」、「君咎め 都に入れず」。 |
纒向(まきむき)の日代(ひしろ)十二年の初春、美濃の国にカンホネの娘の姉妹が国一番の美人だとの評判が君(景行天皇)のもとに伝えられ、君(景行天皇)は息子のヲヲウス(ヤマトタケと双子の兄)を遣わして姉妹を呼び寄せることにした。ヲヲウス御子は美濃に行って美しい容姿を見て心を動かし密かに密通してしまい、美濃に行ったまま滞在し何の報告もしなかった。ヲヲウス御子は十一歳(そひ)で身の長(丈)は八尺。君(景行天皇)はヲヲウス御子の無礼を咎めて帰京を許さなかった。 |
「七月 クマソ背きて 貢せず」、「オシテ捧げて 恵り請ふ」、「八月十五日より 御幸なる」、「九月の五日至る 周防娑麼」、「時に皇 南を望み」、「逆 (邪気)生気起つは 恙かや」、「オホのタケモロ 紀のウナデ」、「モノベナツハナ(物部夏花) この三人」、「遣りて形を 見せしむる」。 |
纒向の日代(まきむきのひしろ)十二年の七月、筑紫の「くまそ」(熊襲)が背いて朝貢(みつぎ)しなかった。君(景行天皇)の御狩りを乞う書状が矢継ぎ早に届けられた。景行天皇は、早速、八月十五日より御幸(みゆき)された。九月(ここな月)の五日には、周防の佐波(山口県防布市佐波)に至った。景行天皇は南(さ)を臨んで「逆(さが、邪気、殺気)立つのは、賊供の仕業かやと宣べられた。 景行天皇は忠臣のオオノタケモロとキノウナデ及びモノベナツハナの三人を先遣隊として敵情を探らせた。 |
「カンカシ姫は 人の頭」、「御使聞きて 磯津山の」、「榊を抜きて 上つ枝に」、「八握の剣 八尺鏡 下環珠や」、「白旗を 艫舳に掛けて」、 「我が類 違わず天の 恵み得ん」、「ただ害ふは ハナダレが」、「乱りまだかり 名を借りて」、「菟狭に屯し 鳴り響く」、「またミミタレも 貧りて」、「民を掠むる 御木川江」、「またアサハギも 供集む」、「高羽川また ツチオリと ヰオリも隠れ」、「緑野の 川境頼み 掠め取る」、「皆要処に 集まりて」、「長と名乗るを 討ち給え」。 |
この地の頭となっていたカンカシ姫は君(景行天皇)の使者の知らせを聞いて、シズ山(磯津山、現在の貫山)の榊を抜いて、上の枝には八握(やつか)の剣を、中の枝には八呎(やた)の鏡を、下枝には勾玉(まがたま)を飾り立てて、そして白幡(しらはた)を船の艫(とも)と舳先(へさき)に掲(かか)げてやって来た。カンカシ姫は君に向かって、「我らが一族郎党は天朝に服し君の御狩りに従います。但し、お約束できないのは、ハナダレ共が言う事を聞かず、我が物顔でのさばり、宇佐(大分県宇佐市大字南宇佐)にたむろしているので有名です。又、ミミタレも貪って民の糧をかすめとって三毛川(福岡県豊前市三毛門)に群れています。更に、アサハギも悪仲間を集めて鷹羽川に群れています。更に、ツチオリとヰオリも「緑野」(福岡県北九州市小倉南区)の川上に潜伏して険しい渓谷を占拠しています。それぞれ長(おさ)と名乗っております。この者たちを討ち取って下さい」。
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「時にタケモロ 謀らひて」、「赤衣袴 引手物」、「引きてアサハギ 召し寄せて」、「これに引かせて 諸来れば」、「悉く殺しつ 御幸して」、「豊の長峡に 仮都」。 |
ここで、タケモロ(景行天皇の先遣隊の一人、おおのたけまろ)は計略を謀り、非常に高貴で手に入らない赤絹袴(あかぎぬはかま)で)を引き出物にして、悪党のアサハギを召し寄せて賜れた。これに引き寄せられて諸共が集まったところを徹底的に討ち殺した。君(景行天皇)は御幸して、豊の長峡(ながお:福岡県京都郡行橋市長尾:豊前長尾)に行宮をたてて仮宮とした。
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「十月に至る 速水村」、「長ハヤミツメ 御幸聞き」、「自ら迎え 申さくは」、「北西が窟に 二土蜘蛛」、「名はアオクモと シラクモと」、 「直入禰疑野に 三地蜘蛛」、「ウチサルとヤタ クニマロと」、「この五土蜘蛛 朋族の」、「力強きを 集め置く」、「強ち召さば 戦せん」。 |
十月には早見村(大分県 早見郡杵築市・別府市周辺)に至った。長(おさ)のハヤミツ姫は景行天皇の御幸を聞き付け、自ら天皇御一行を迎えに来て次のように申し上げた。 「鼠(ねず)の岩窟(現・青龍窟・福岡県京都郡行橋市苅田町)には二つの土蜘蛛(つちぐも)賊が住みついています。名前はアオクモとシラクモと言います。 直入(なおり)県の禰宜野(ねぎの・大分県直入郡竹田市及び熊本県阿蘇郡の一部)には三つの土蜘蛛が住みつき、名前はウチサル、ヤタ、クニマロと云います。 この五つの土蜘蛛集団は仲間を集めていて力が強いので、まともにかかると戦になってしまいます」。 |
「ここに皇 進み得ず」、「来田見の村の 仮宮に 議りて曰く」、「諸打たば 蜘蛛等恐れて 隠れんと」、「海石榴を採りて 槌となし」、「猛きを選み 槌以て」、「山を穿ちて 草を分け」、「窟の蜘蛛を 打ち殺す」、「稲葉川辺は 血方となる」。 |
そういう事情で、皇(すべらぎ、景行天皇)は進むことができなかった。そこで、来田見村(大分県直入郡久住町大宇仏原)の仮宮で作戦会議を開を開いて宣べられた。「多勢で 一斉に打って出れば蜘蛛らは恐れをなして逃げ出し隠れてしまうだろう。後はゆっくりシラミ潰しに退治すれば良い」。 こうして山の椿(つばき)を切り出して、槌(つち・大ハンマー)をつくり、剛者を選び、槌を持たせて山を押し分けて進み(穿ちて)、草の根を分けて探し出し、岩窟に潜んでいた蜘蛛を討ち殺した。稲葉の川辺(稲葉川・大分県直入郡久住山に発し竹田市を貫流、大野川上流)は血の川(血田)となった。 |
「またウチサルを 討たんとて」、「海石榴市より 禰疑山を」、「越すとき仇が 横矢射る 」、「雨より繁く 進み得ず」、「城原に返り フトマニ見 」、「ヤタを禰疑野に 討ち破り」、「ここにウチサル 降り乞ふ」、「許さず故に クニマロも 滝へ身を投げ」、「悉く 滅び治まる」。 |
次にウチサルを討とうと海石木市(つはきいち、大分県直入郡菅生村付近)から禰宜山(ねぎやま)を越す時に敵の横矢が雨より激しく降り注ぎ一歩も先に進めなかった。 再び木原・城原(大分県竹田市久住町と竹田市の中間)に戻り、フトマニで占った。その結果、ヤタを禰宜野(ねぎの)で討ち破った。これを知りウチサルが降伏を願い出た。 しかし、君は許さず、クニマロも滝へ身を投げた。こうしてことごとく滅ぼし治めた。 |
「その始め 柏峡(かしはを)の石」、「長さ六尺 幅三尺厚さ 一尺五寸」、「皇祈り 飛び上る 故スミヨロシ(志賀若宮八幡)」、「直り神(中臣・物主) 両羽の社」、「新に建て これ祀らしむ」、「返詣 十一月に至る」、「仮宮は 日向高屋ぞ」。 |
柏峡野(かしわの・大分県直入郡荻町付近)の石は長さ六尺、巾三尺、厚さ一尺五寸。ここで、皇が祈ったら、この石が飛び上がった。それ故に、スミヨロシ(志賀住吉神、若宮志賀八幡・大野町)、「なおりかみ」(直入物主神(右大臣)直入郡直入町大字社家)、「もろはのやしろ」(両翼の神社・直入中臣石神明社、上半田(左大臣)の三神を祀った。戦勝記念として、十一月(しもねつき、霜が根に付く月)に行き至った仮宮が日向の高屋(宮崎県西都市高屋八幡・高屋温泉付近)である。 |
「十二月五日 クマソを議り 詔」、「我聞くクマソ 兄アツカヤ」、「弟セカヤとて 人の頭」、「諸を集めて 長とす」、「矛前当たる 者あらず」、「少々人と数 多なれば 民の傷みぞ」、「矛駆らず 平けんとあれば」、「臣一人 進みて曰く」、「クマソには フカヤとヘカヤ」、「二娘 煌々しくも」、 「勇めるを 重き引手に」、「召し入れて 隙を窺ひ 虜にす」。 |
十二月五日に熊襲(くまそ)を討つ為の作戦会議が開かれた。景行天皇の詔が為され、「聞くところによると、熊襲は兄がアツカヤ、弟がセカヤと云って頭となり諸人を従えている。この二人に立ち向かえるものはなく、我が兵は小数、相手は多数。これが民の悩みとなっている。武力を使わず敵を倒す戦法を取ろう」との意向を表明された。 一人の臣が進み出て申し上げるには、熊襲(くまそ)にはフカヤとヘカヤという二人の娘がいます。 容姿端麗きらきらと輝き凛々しくもあります。高価な引き出物を用意して二姉妹を召し入れて隙(すき)を窺って虜(とりこ)にするのが上策です」。 |
「時に皇 「良からんと」、「衣に欺く 二娘」、「召して御許に 恵なす」、「姉のフカヤが 申さくは 」、「君な憂ひそ 謀らん」と」、「兵連れて 屋に帰り」、「酒をあただに 飲ましむる」、「父飲み酔ひて 臥す時に」、「父が弓弦 切り置きて」、「父アツカヤを 殺さしむ」、「皇姉が シム絶つを」、「憎み殺して 妹ヘカヤ」、「襲の国造と 叔父の子の」、「トリイシカヤと(取石鹿文) 因ませて」、「筑紫平けん」と 六年まで」、「高屋の宮に 御座します」、「ミハカセ姫を 内添に」、「トヨクニワケの 親王生む」、「母子留まり 国造や」。 |
皇(景行天皇)は、それは良いアイデアであると宣べられた。こうして、美しい絹織物に目がくらんだ二人の娘を身元に呼び寄せ手厚く恵みを与えもてなした。
すると姉のフカヤが申し上げるには、「君よ、どうかご心配なされるな。私に名案があるので御任せ下さい」というや、皇軍を引き連れ家に帰ると、兵(つわもの)を隠しおいて父に酒を多量に飲ませた。父はついに泥酔してその場に伏して寝てしまい、その間に父の弓弦(ゆみずる)を切っておき、兵を手引きして父アツカヤを殺させた。妹のスベラギは姉が肉親を殺したことを憎み殺した。ヘカヤを国造に取り立てて、叔父セカヤの子のトリイシカヤと結婚させ後を継がせた。皇は、この後、ツクシを完全平定するまで六年間、このタカヤ(高屋)の行宮(あんぐう)に滞在した。この間、このソオ県主の娘の美しいミハカセ姫を后として迎え、トヨクニワケの親王が生まれた。母と子はこの宮に留まって後に、日向の国造の祖となった。
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「十七年三月十二日」、「子湯県の 丹裳小野に御幸」、「東を望み 昔思して 宣給ふは」、「上祖天君 高千穂の」、「峰に登りて 日の山の」、「朝日に辞み 妻向ひ」、「上下恵む 神となる」、「国の名もこれ(賀茂)」、「カは上の 遍く照らす」、「モは下の 青人草を 恵まんと」、「鳴神の雨 良き程に」、「別けて満繁の 潤ひに」、「民賑はせる 功は」、「上下別雷の 神心」、「かくぞ仰して 神祀り」。 |
日代十七年の三月十二日、景行天皇は子湯潟(こゆがた)の丹裳小野(にもの)に御幸された。この時、はるか東(き)を望みながら昔を思い馳せて宣べられた。「祖天君(みおやあまきみ) 高千穂の 峯に登りて 大日山(ひのやま:当時の富士山)の 朝日に辞(いな)み 妻向かい 上下(かみしも)恵む 神となる 国の名もこれ。カは上(かみ)を あまねく照らす モは下(しも)の 青人草(あおひとくさ)を恵まんと 鳴る神(雷神)の雨 良き程に 別けて 稲畑(みぞろ)の潤いに 民賑(にぎ)わせる 功(いさおし)は 加茂別雷(かもわけつち)の神心(かんごころ)」。かくぞ思(おぼ)して 神祀りした。 |
「都の空を 詠む御歌に」、「愛し清し 我家の方ゆ」、「雲出立ち 雲は大和の 国の幻」、「また棚引くは 青垣の 山(御諸山)も籠れる」、「山繁は 命の真麻(まそ)よ」、「煙火せば ただ御子思え」、「熟山の 白樫(しらかし)が枝を」、「頭(うず)に挿せ 愛子」。 |
都の空を 望み忍んで(眺める)の御歌に、「愛(はし)きよし 我辺(わきべ)の方ゆ 雲居(くもい)立ち 雲は大和の 国の秀(まほ、ほまれ) 又、棚引くは 青垣の 山も籠れる 山城は 命の真麻(まそ)よ 煙火(けむひ)せば 唯御子思う 香具山(くのやま)の 白樫の枝を うすにさせこの子。 |
「十八年三月 都帰りの 御幸巡り」、「至る夷守 岩瀬川」、「遥かに望み 人群を」、「弟ヒナモリに 見せしむる 帰り申さく」、「諸県 主ら大御食」、「捧げんと イヅミ姫が屋に その集え」。 |
日代十八年三月、帰京途上の御狩りに発たれた。ひなもり(夷守:宮崎県小林市付近)という所に近づいたとき、岩瀬川の川辺に立ち遠方を望むと人の群れができていた。 弟「ひなもり」に見に行かせた。そうすると帰ってきての返事は諸県主たちが君(景行天皇)を迎えるために大御食(おおみけ)を捧げようとイヅミ姫(泉)の家に集いを用意しているところです。 |
「四月三日行く 熊の県」、「長クマツヒコ 兄弟を召す」、「兄ヒコは来れど 弟は来ず」、「臣と兄とに 諭さしむ 」、「然れど拒む 故殺す」。 |
また、更に行き進んだ。四月三日にクマノ県(ガタ・熊本県球磨郡人吉市:球磨郡延喜居部式・和名抄)の長の「くまつひこ兄弟」(ゑ=兄、と=弟)を召し呼んだ。兄(えひこ:兄彦)は来たが弟の方は来なかった。臣と兄に天朝に従うよう諭させたが、拒み出頭しなかったので殺した。 |
「二十日葦北 離島にて」、「日照りに暑く 水を召す」、「ヤマベコヒダリ 水無きを 天地に祈れば」、「岩角に 真水湧き出る これ捧ぐ」、「故に名付くる 水島ぞ」。 |
二十日にアシキタ(葦北)の小島に泊まったとき、日照りがきつく、水を欲したが、何処にも見当たらなかった。 その時、ヤマベコヒダリが水を求めて、天に祈ったところ、岩角に清水が湧き出したので、この水を捧げた。故に、この地を水島(熊本県八代市水島町)と名付けた。 |
「五月初日に 船馳せて」、「行く八代ヘ 日の暮れて 着く岸知れず」、「火の光る 処へ差せとの 詔」、「岸に上がりて 何村と」、「問えば八代 豊村の」、「焚く火を問えば 主を得ず」、「人の火ならず (不知火)知らぬ火の 国と名付くる 」。 |
五月一日に船を馳せてヤツシロ(八代)に向かった。 やがて、日も暮れて、岸にたどり着いたものの何処の土地か分からなかった。君(景行天皇)は「火の光る所へ船を差し向けよ」と詔(みことのり)した。岸(対岸)に上がって、此処は何村と問うたところ、八代の豊村(熊本県宇城市松橋町豊崎・大野川の河口右・八代郡豊福郷―和名抄)です。 また、燃える火の光を聞いたところ、火の主は分からなかった。「あれは、人の火ではなく不知火(しらぬひ)です」と聞き、この地をシラヌヒ(不知火)国(熊本県宇城市不知火町・大野川の河口左)と名付けた。 |
「六月三日 高来県の」、「船渡し 玉杵名村の」、「土蜘蛛の ツヅラを殺し」、「十六日には 至る阿蘇国」、「四方広く 家居見えねば」、「人在りや 君宣給えば」、「たちまちに 二神成りて」、「アソツヒコ アソツ姫現り」、「君何ぞ 人無きやとは」、「君曰く 誰ぞ答えて」、「地津神 社破れり」、「時に君 詔して」、「社建つ 神喜びて」、「守る故 家居繁れり」。 |
六月三日、高来県(たかくあがた・長崎県北高来郡、南高来郡諫早市、島原市・高来郡、肥前国高来郡―和名抄)に船を渡し、玉杵名村(たまぎなむら・玉杵名邑、熊本県玉名郡荒尾市、玉名市)のこの地の土蜘蛛のつづらという頭を殺した。十六日には阿蘇国に至った。四方は広く、一軒の家も見えなかったので、誰か人はいるのかと君(景行天皇)が宣べられたところ、たちまち二神が現われ、名前をアソツ彦とアソツ姫と名乗った。 「君何ぞ、人無きやとは」。君が「誰ぞ」と宣べられたところ、答えて、「我らは国神(くにつかみ)である。しかし、残念にも社殿は破れ朽ちてしまっている」。これを聞いた君は早速、詔りして立派な社を建てた。二神は大変喜んでこの社殿(やしろ)を守護したので、この地に家々が多く立ち並ぶようになり賑わい豊かになった。 |
「七月四日 筑紫州後(筑後)の 高田宮」、「大神木倒れ 木の長さ 九百七十丈(約2,200m)ぞ」、「百踏みて 往き来に歌ふ」、「朝霜(あさしも)の 神木の竿橋(さおはし) 前つ君」、「礼渡らすも 神木の竿橋」、「君問えば 翁の曰く」、「歴木なり 倒れぬ先は」、「朝日影 杵島峰にあり」、「夕日影 阿蘇山覆ふ 神の御木」、「国もミケとぞ 名付けます」。 |
七月四日、つくし・ちのち(筑紫後の、福岡県三池郡大牟田市)の高田行宮に入られると間もなくこの地の大御木(御神木)が倒れた。木の長さは九百七十丈もある大木で庶民はこの木の上を踏み歩いて、往来(ゆきき)に歌った。「朝霜の 御木の棹橋(さおはし) 前の君 いや渡らずとも 三池(御木)の棹橋」。君がこの木について問いかけると、長老(おきな)が答えた。「この木はくぬぎの木です。倒れる前までは、朝日の影が杵島峯(佐賀県杵島郡武生市)にかかり、夕日の影は阿蘇の山を覆っていました。これは御神木(神のみけ・御木の影が髪の毛のように見えたことを言っていると思う)です」。これにより、国の名も三池(みけ)と名付けた。(三池炭鉱のあったところでもあります)
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「ヤツメ (八女山)を越えて 前山の」、「合岬見て 君曰く」、「畳麗し 神在りや」、「水沼サルヲウミ 申さくは」、「ヤツメ姫神 峰にあり」、「八月に至る 的村」、「御食進む日に 膳方侍」、「御皿忘れる 長曰く」、「昔天御子 恵りの日 ここに御食なし」、「膳方が 食瓮忘れり」、「国言葉 御皿を食瓮 飯瓮もこれ」、「かかる愛でたき 例なり」。 |
八女県(やつめ)を越えて、前山(眉山)のアワミサキ(粟崎)を見て、君(景行天皇)曰く、「畳の目ように山の峰が重さなりあっている所だ。うるわしい国神ありや」。水沼サルヲウミ」(水沼県猿大海・福岡県三瀦(みずま)郡大川市)が申し上げるには、「やつめ姫神がここを治めています。峰におられます」。 八月(旧暦・稲穂を摘む季節)に入り、いくば村(生葉村・福岡県浮羽郡浮羽町)に着いた。御食(みけ)をお勧めするとき、膳部(かしわでべ)がお皿を忘れてしまった。村長が忘れた理由を述べた。「昔、天皇子(あめみこ・天孫ニニキネ・わけいかづちのみち)が御狩りの日にこの地で御食(みけ)をとられた時、膳部(かしわでべ)が「うくは」(お皿)の用意するのを忘れた。 お国言葉で、お皿のことを「うくは」と呼ぶようになりました。また、お皿のことを「いは」とも呼んでいます」。これは大変めでたい古事にならったもので、この地を「うくは」と呼ぶようになった。 |
「十九年九月八日 纏向の 宮に帰ます」、「二十年サミヱ 二月四日に」、「ヰモノ姫 クスコ内親王 伊勢の神」、「祀る祝は 筑紫平け」、「姫今年十四 ヤマト姫」、「今年百八つ 喜びて」、「齢至れば 我足りぬ」、「我が八十モノベ 十二司」、「ヰモノに移し 仕えしむ」。 |
十九年九月八日に君(景行天皇)は大和のマキムキ(纏向)の日代(ヒシロ)宮に無事に帰られた。 二十年のさにゑ(当時の六十年ごとのえと)の二月四日にヰモノ姫クスコが内親王になり、伊勢の神に筑紫(九州)遠征を祀る祝い(報告)をした。ヰモノ姫クスコは今年十四才。ヤマト姫は今年百八才であり、ヰモノ姫クスコが現われたことを大変喜ばれて曰く「 私(やまと姫)は十分な年になり次第に弱ってきたので務めが充分にできかねるようになつている。私が引き連れている八十神(人)のもののべと十二人の役人を、これからはヰモノ姫クスコに引き受けてもらい、天照大神に仕えてもらいたい」。 |
「クスコを神の 御杖代」、「丈の宮居に 謹みて」、「仕え侍べる ヤマト姫」、「内端殿の 磯宮に」、「開き静かに 日の神を」、「倦まなくぞ 倦まなくぞ」。 |
ヰモノ姫クスコは天照大神の御杖代となり、丈の宮(垂任天皇の宮があったところ)に居を移し、謹んで仕えた。ヤマト姫は宇治宮の機織どの(絹を織る)の磯宮を造り、隠居され、ひっそりと天照大神の神祀りをいつまでも末永く行った。 |
「二十五年七月初日 タケウチに」、「ホツマ知る侍の 詔」、「北より津軽 日高見や」、「橘の館に 道を聞く」、「モトヒコ曰く 「国知るの 道は往にし方」。 |
二十五年七月一日、タケウチまろにホツマ地方(東北・北陸・関東)の巡察をするようにとの詔があった。北は津軽や日高見(仙台・東北)まで及んだ。タケウチまろは、橘(たちばな・かぐの木)の館(厚木市小野神社)で道(諸国の様子)を聞いた。たちばなモトヒコ曰く、「東北のことを知るには、道は昔にさかのぼらなければなりません」。 |
【神乗り粥の文】 (神に典(祈り・教え)して、粥占いする綾) |
「根の国の 大きの祀る」、「神の御供 十一月の末の 弓張に」、「神乗り粥は 黒豆と 大麦と小豆と」、「七菜の米 粥に炊ぎて」、「ウケミタマ 五柱祭り」、「年越は 大麦と小豆と 米蒸ます」、「トシノリヤマサ 鬼遣らい」、「一月七日朝は 七種の ミソに五臓や」、「十五日の朝 六腑祭は」、「米と小豆 神現り粥ぞ」。 |
根の国の「おほぎ」(豪族)が祀っている神の御供は、十一月(ねしも・しもつき)の末の弓張り月(下弦の月・二十四日夜)の日に、神に祈るお粥(黒豆飯)は、黒豆と大麦(うむぎ)と小豆(すめ・あずき)と七升のお米でお粥を焚き上げ(かしぎ)、ウケミタマによる五柱祭りを執り行います。(五柱とは、五元素の空(うつほ・天空の神)、風(すなとべの神)、火(はぐつきの神)、水(みずはめの神)、土(はにやすの神)のことを示しており、おしで文字の五つの母音を表している。これが新嘗祭の起源と思われる) 年越は、大麦と小豆と米を蒸して供え、トシノリヤマサ(歳徳神、八将神)の鬼遣らいをする。睦月(一月)七日の朝は、五臓六腑を守るために、七草の味噌のお粥をつくる。睦月(一月)の15日の満月の日の朝、五臓六腑を守る六腑祭を執り行い、米と小豆の神現り粥をいただく習慣がある。 |
「辻君の シムの祀りは」、「大豆・小豆に 盛豆と七菜の 米炊ぎ」、「天九の神の 坐しる粥」。 |
辻君(猿田彦)の身内(しむ)の祀りは大豆、小豆にささげ豆と七升のお米を炊いてお粥を作る。天のみなか主(天神八神)に捧げる御しる粥である。 |
「身を治る業の 幾多に」、「歳永らえて 万人の」、「満ちの知る方と 現る文を」、「代々に伝ふる タケウチは」、「遂に中らふ(中心たる) 道(典・範)となるかな」。 |
身の程を知る質素な食事をして、謙虚に生きることで、いついつまでも生きる長寿を全うして、万人の生き方の道しるべとなるための文書を書き、代々後世に伝えるタケウチつくねは長寿を得て実際にその道を示した。 |
「根心を 明かし帰りて」、「二十七年二月の 十三日申さく」、「日高見は 女男の子髪を 揚巻に」、「身を紋取りて(刺青) 勇み立つ」、「総てヱミシの(蝦夷) 国肥えて」、「服わざれば 取るも好し」。 |
「たちばな元彦」は、タケウチつくねと根心(ねごころ、本音)で語り合って帰京した。二十七年二月十三日、景行天皇が申されるには「日高見は男も女も髪をあげまきにしている。入れ墨をして勇猛である。えみしの国はどこも全て土地が豊かで豊潤である。もし、逆らって従わないようならば国をとりあげるのも良かろう」。 |
「クマソ背きて また犯す」、「十月十三日 詔」、「オウス御子して 討たしむる」、「オウス申さく 良き射手を」、「あらば連れんと 皆申す」、「美濃のオトヒコ 秀でたり」、「葛城ミヤト 遣わして」、「召せばオトヒコ イシウラの」、「ヨコタテおよび タコヰナキ」、「チチカイナキを 率き連れて」、「従ひ行けば コウス御子」、「十二月に行きて 熊襲等が」、「国の盛衰(さかしら) 覗えば」、「トリイシカヤが 川上に」、 「梟(タケル)の族 群れ寄りて」、「安座なせば コウス君」、「乙女姿の 御衣の内」、「剣隠して 優みせし」、「乙女の見めに 交われば」、「携え入るる 花筵」、「身を上げ酒の 戯れや」。 |
熊襲が再び背き、叛旗を翻した。十月十三日(二十七年の)、景行天皇が詔を発しオウス御子に出征を命じた。オウスは名弓射手がいれば連れて行きたいと述べたところ、大臣たちが一斉に言うには、美濃のオト彦が優れているとの返事であった。そこで、葛城ミヤトを勅使として派遣しお召しになった。 熊襲らの国のさかしら(動静や地形などの様子)を偵察に行かせました。勅使の「かつらぎみやぢ」は「おとひこ」に「やまとたけ」のお供をするよう召された。オト彦は、イシウラのヨコタテ及びタコヰナキとチチカイナキの三人を引き連れて、オウス御子に従った。オウス御子は十二月に出発した。熊襲らの国のさかしら(動静や地形などの様子)を偵察した。折よく、トリイシカヤ(くまそたけるの正式名)は川上で梟(タケル)の一族(やから)が集って大宴会(やすくら)を開いていた。この報を受けたオウス御子は、乙女(おとめ)姿に変装して、御衣(みは)の内に短剣を隠し持って、接待する乙女達に紛れ込んで時を窺っていた。トリイシカヤは高貴な乙女姿に変装したオウス御子に目をとめ、一段高い花むしろの上座に座らせ戯れ楽しんだ。 |
「夜更け酔えれば コウス君」、「肌の剣を 抜き持ちて」、「長が胸を 刺し徹す」、「長が曰く 」、「今 しばし 剣止めよ 言ありと」、「待てば汝は 誰人ぞ」、「皇の子の コウスなり」、「長また言ふ」、「我はこれ 国の強者」、「諸人も 我には過ぎず 従えり」、「君の如くの 者あらず」、「奴が捧ぐ 名を召すや」、「君聞きませば 今よりは」、「ヤマトタケとぞ 名乗らせと」、「言いつ終れば ヤマトタケ」、「オトヒコ遣りて 朋族を 皆討ち治め」。 |
夜も更けた頃、オウス御子は肌につけていた剣を抜き出してトリイシカヤの胸に刺し通した。この時、トリイシカヤ曰く、「今しばしお待ちを! 剣を留めよ! 云い置きたい事がある」。オウスが力を弛めて剣を止めると、トリイシカヤは、「汝は何者か」と問うた。「天皇(スベラギ)の子のコウスなり」と答えると、「我はこれ、国の強者(つわもの)で誰一人として我に勝るものはおらず、皆我に従っている。君のごとき勇者を我知らず、その勇気を称えて私の名を譲りたい。受け取ってくれるか」。オウス御子がこの願いを聞き入れると、トリイシカヤは、「今からはヤマトタケ(日本武)と名乗られよ」と言って絶滅した。ヤマトタケは直ちにオト彦を差し向けて残党共を討伐し平定した。 |
「筑紫より 船路を帰る」、「穴門・吉備 渡り粗ぶる 者殺し」、「浪速(難波)、柏(カシハ)の 愚族 皆殺し得て」、「二十八年の 二月初日」、「纏向の 都に帰る」、「ヤマトタケ 申す形は」、「皇の 御霊によりて」、「熊襲等を ひたに殺して」、「悉く平け 西は異無く 」、「ただ吉備の 穴門浪速の カシハ辺り」、「悪しき息吹き 満ち行くも」、「災い回む 溢れ者」、「海と陸との 道開く」、「時に皇 国平けの」、「功褒めて 賜物為しき」。 |
筑紫より船で帰った。長門(あなと)と吉備に上陸して荒ぶる賊を殺し、浪波(なみは)と柏原(かしわ)の悪党も皆征伐して二十八年二月の一日に「まきむき」の宮に無事帰った。 ヤマトタケが、天皇(すべらぎ)に申すには、「皇の御霊(ご加護)によって、熊襲等を一途に殺して退治してきました。今後、西は平和になるでしょう。 ただ、吉備の穴門と浪波の柏原の海賊が道中で未だ服従せず、これらの災いの者も鎮め、海と陸(くが)との通行の安全を確保しました。これを聞いたすべらぎ(景行天皇)はヤマトタケの功を褒め称え、沢山の賜物を与えられた。 |
(私論.私見)