ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)35

 (最新見直し2011.12.25日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)35、ヒボコ来るスマイの文」を説き分ける。原文は和歌体により記されている。「」、「35綾 目次」、「35 ヒボコ(日槍)来朝(きたる)角力(スマイ)のアヤ」その他を参照しつつ、れんだいこ訳として書き上げることにする。

 2011.12.24日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)35、ヒボコ来るスマイの文】
 アメヒボコの来朝
 ひほこきたる すまいのあや      ヒボコ来る スマイの文
 (ヲミヱ御子の即位、その人となり)
 ときあすす むもやそことし     時天鈴 六百八十九年 
 ねやゑはる むつきつあとは   ネヤヱ春 一月ツアト初 
 をみゑみこ いむなゐそさち としよそふ  ヲミヱ御子 諱(いみ名)ヰソサチ 歳四十二 
 あまつひつきお うけつきて      天つ日嗣ぎを 受け継ぎて 
 いくめいりひこ あまきみと      イクメイリ彦 天君と 
 かさりおたみに おかましむ      飾りを民に 拝ましむ      
 きみうまれつき たたなおく     君生れ付き ただ直く  
 こころほつまに おこりなく         心ホツマに 驕(おご)り名く 
 ゆめのしるしに みよのはつ          夢の兆(しるし)に 御世の初 
 あきあにおくれ ふゆおさめ         秋天に遅れ 冬納め   
 (纒向(まきむき)遷都「たまき宮」)
 ははいまなそこ みうえとし  母今七十九歳 御上とし 
 おおははことし ももやそこ          大母今年 百八十九歳
 ふとしきさらき さほひめお うちみやにたつ              二年二月 サホ姫を 内宮に立つ 
 にいみやこ うつすまきむき たまきみや                  新都 遷す纏向 珠城宮 
 (ホンツワケの御子誕生)
 しはすうむみこ ほんつわけ あえものいわす            十二月生む御子 ホンツワケ 得もの言わず
 (任那の使者来朝)
 みまなより そなかしちして     任那より ソナカシチして
 みつきあけ はつみよいわふ     貢上げ 初御世祝ふ
 ををんみき たまひたまもの     大(ををん)御酒 賜ひ賜物
 ゐついろの かつみねにしき あやももは     五色の かづ峰錦 綾百衣
 みまなのきみに たまわりて            任那の君に 賜わりて 
 しほのりひこか のほりたて           シホノリ彦が 幟立て   
 くににおくれは みちひらく       国に送れば 道開く
 (モロスケ(ヒボコの長男)を大臣に迎える)
 みほはもろすけ とみにめす               三穂初モロスケ 臣に召す  
 むかしひほこか みやけもの          昔ヒボコが 土産物  
 はほそあしたか うかかたま         ハホソアシタカ ウカカ珠  
 いつしこかたな いつしほこ        出石(いづし)小刀 出石矛  
 ひかかみくまの ひもろけす いてあさのたち          日鏡熊の 神(ひも)ろげ陶(す) イテアサの太刀 
 このやくさ たしまにおさむ     この八種 但馬に納む
 (ヒボコの来航事情)
 みつかきの みそこひほこは     瑞籬の 三十九年 ヒボコは
 はりまより いたるししあわ     播磨より 至る宍粟(ししあわ)
 そのときに おおともぬしと なかおいち  その時に 大伴主と 長尾市
 はりまにやりて とはしむる          播磨に遣りて 問はしむる  
 いわくしらきの きみのあこ なはあめひほこ        曰く「新羅の 君の天子 名は天ヒボコ
 おとちこに くにおゆつりて     弟チコに 国を譲りて
 やつかれは ひしりのきみに まつろいぬ       僕(やつかれ)は 聖の君に 服いぬ」
 つかいかえりて これおつく        使い帰りて これを告ぐ
 (ヒボコ一族の定住)
 よりてはりまの いてさむら          よりて「播磨の 出浅(いでさ)村  
 あわちししあわ ままにおれ         淡路宍粟 ままに居れ」   
 ひほこもふさく      ヒホコ申さく   
 すむところ ゆるしたまはは めくりみん        「住む処 許し給はば 巡り見ん」   
 きみゆるされは あめひほこ     君許されば 天ヒボコ  
 うちかわのほり あわうみの あなむらにすむ         宇治川上り 淡海の 吾名(あな)村に住む
 またさらに わかさめくりて すむたしま    また更に 若狭巡りて 住む但馬 
 ともすえひとは はさまたに のこしいすしま     供陶人は 挟間谷 残し出嶋(いずしま)
 (ヒボコ一族の子孫系譜)
 ふとみみか またおおめとり     フトミミが マタオを娶り
 あめひほこ もろすけおうむ     天ヒホコ モロスケを生む
 もろすけは ひならきおうむ     モロスケは ヒナラギを生む
 ひならきは きよひこおうむ     ヒナラギは キヨ彦を生む
 きよひこは たしまもりうむ     キヨ彦は タジマモリ生む
 (サホ彦の陰謀)
 よほなつき つうゑはをなゑ     四穂九月 ツウヱはヲナヱ
 さほひこか きさきにとふは     サホ彦が 后に問ふは
 あにとをと いつれあつきそ     「兄と弟 何れ篤(あつ)きぞ」
 きさきつひ あにとこたふに あつらうる      后つひ 「兄」と答ふに 誂(あつら)うる 
 なんちいろもて つかゆれと     「汝色もて 仕ゆれど 
 いろおとろいて めくみさる あになかからん     色衰いて 恵み去る あに永からん
 ねかはくは われとなんちと みよふまは     願はくは 我と汝と 御世踏まば 
 やすきまくらや たもたんそ    安き枕や 保たんぞ 
 きみおしいせよ わかためと    君を弑せよ 我がため」と  
 ひほかたなもて さつくとき        秘刀持て 授く時 
 あにかこころね いさめおも          兄が心根 諌めおも
 きかぬおしれは さほひめの         聞かぬを知れば サホ姫の 
 なかこわななき ひもかたな         中心(なかご)慄(わなな)き 紐刀  
 せんかたなくも そてうちに           為(せ)ん方なくも 袖内に
 かくしいさめの せみなつき              隠し諌めの 六(せみな)月
 (サホ姫の告白)
 はつひすへらき みゆきして                  初日天皇 御幸して
 くめたかみやに ひさまくら          来目高宮に 膝枕   
 きさきおもえは このときと        后思えば この時と  
 なんたなかるる きみのかほ         涙流るる 君の顔  
 きみゆめさめて のたまふは              君夢覚めて 曰(のたま)ふは 
 いまわかゆめに いろおろち     「今我が夢に 色オロチ   
 くひにまとえて さほのあめ      首に纏えて 騒(さほ)の雨  
 おもてぬらすは なにのさか         面濡らすは 何のさが」 
 きさきこたえて かくしゑす         后応えて 隠し得ず 
 ふしまろひつつ  あからさま        臥し転びつつ あからさま 
 きみのめくみも そむきゑす         「君の恵みも 背き得ず     
 つくれはあにお ほろほせり       告ぐれば兄を 滅ぼせり 
 つけさるときは かたむけん         告げざる時は 傾けん 
 おそれかなしみ ちのなんた           恐れ悲しみ 血の涙  
 あにかあつらえ ここなりと  兄が誂(あつら)え ここなりと   
 きみかひるねの ひさまくら       君が昼寝の 膝枕  
 もしやくるえる ものあらは         もしや狂える 者あらば
 たまさかにえる いさおしと             偶(たまさか)に得る 功と
 おもえはなんた ふくそてに           思えば涙 拭く袖に    
 あふれてみかお うるほせり       溢れて御顔 潤せり   
 ゆめはかならす このこたえ         夢は必ず この応え  
 おろちはこれと ひもかたな          オロチはこれ」と 紐刀    
 たせはすへらき みことのり          出せば天皇 詔
 (サホヒコ討伐指令と応戦)
 ちかかたにある やつなたお          近方にある ヤツナダを 
 めしてさほひこ うたしむる         召してサホ彦 討たしむる
 ときにさほひこ いなきなし          時にサホ彦 稲垣なし 
 かたくふせきて くたりゑす          堅く防ぎて 降り得ず  
 (サホヒコ、サホ姫討伐される)
 きさきかなしみ われたとひ         后悲しみ 「我たとひ
 よにあるとても しむかれて         世に在るとても 血脈枯れて  
 なにおもしろと みこいたき        何面白」と 御子抱き
 いなきにいれは みことのり           稲垣に入れば 詔
 きさきとみこお たすへしと          「后と御子を 出すべし」と  
 あれといたさす やつなたか       あれど出さず ヤツナダが  
 ひせめになせは きさきまつ         火攻めになせば 后まず   
 みこいたかせて しろおこえ        御子抱かせて 城を越え 
 きみにもふさく        君に申さく
 あにかつみ のかれんために   「兄が罪 逃れんために
 われいれと ともにつみある ことおしる     我入れど 共に罪ある ことを知る
 たとひまかれと みめくみお         たとひ罷れど 御恵みを
 わすらてのちの さためには          忘らで後の 定めには  
 たにはちうしの めおもかな         タニハチウシの 女をもがな」
 きみかゆるしの あるときに         君が許しの ある時に   
 ほのほおこりて しろくつる        炎熾りて 城崩る
 もろひとされは さほひこと きさきもまかる              諸人去れば サホ彦と 后も罷る
 やつなたか いさおしほめて     ヤツナダが 功褒めて
 たまふなは たけひむけひこ     賜ふ名は タケヒムケ彦
 (かばいつき姫が中宮になる)
 なほふつき はひこもつみの このつつき       七穂七月 初日コモツミの 子の筒木(つづき)  
 たるねかかはゐ つきひめお         タルネがカバヰ ツキ姫を
 たつきさきとの かくやひめ         立つ后妹の カクヤ姫  
 なるうちめゐか ことほきし        なる内侍五日 寿ぎし 
 はつたなはたの かみまつり          初棚機の 神祀り
 (相撲その1、當麻クエハヤ)
 あるとみきみに もふさくは               ある臣君に 申さくは     
 たえまくえはや おおちから      當麻クエハヤ 大力    
 ちかねおのはし つのおさく           地金を延ばし 角を割く   
 かなゆみつくり とこかたり      金弓作り 常語り 
 これおふみはる わかちから             「これを踏み張る 我が力   
 よにくらへんと もとむれと  余に競べんと 求むれど    
 なくてまかるや ひたなけく  なくて罷るや」 ひた嘆く 
 きみもろにとふ  君諸に問ふ 
 くえはやに くらふるちから  あらんおや     「クエハヤに 競ぶる力 あらんをや」  
 もふさくのみの すくねなり         申さく「ノミの スクネなり」  
 なかおいちして これおめす      長尾市して これを召す 
 (相撲その2、ノミのスクネ)
 のみのすくねも よろこへは         ノミのスクネも 喜べば 
 あすくらへんと みことのり           「明日競べん」と 詔
 ちからくらふる かみののり         力競ぶる 神の法   
 すまいのさとに はにわなし          すまいの里に 埴環(はにわ)なし   
 たえまはきより のみはつに      タエマは東より ノミは西に 
 あひたちふめは のみつよく         合ひ立ち踏めば ノミ 強く
 くえはやかわき ふみてまた こしふみころす  クエハヤが脇 踏みてまた 腰踏み殺す
 ときにきみ うちはおあけて     時に君 団扇(うちは)を上げて
 とよませは とみもよろこひ     響(どよ)ませば 臣も喜び
 くえはやか かなゆみおよひ     クエハヤが 金弓および
 たえまくに のみにたまわり     當麻国 ノミに賜わり
 いえはつま つきなしのみは ゆみとりそこれ      家は妻 付きなしの身は 弓取ぞこれ

【ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)35、ヒボコ来るスマイの文】
 新羅の皇子「ひぼこ」が来た綾、そして相撲の始まりの綾
 ときあすす むもやそことし ねやゑはる     時天鈴 六百八十九年 ネヤヱ 春
 むつきつあとは をみゑみこ いむなゐそさち  一月ツアトは ヲミヱ御子 いむ名ヰソサチ
 としよそふ あまつひつきお うけつきて      歳四十二 天地つ日月を 受け継ぎて 
 いくめいりひこ あまきみと        イクメイリ彦 天君と 
 かさりおたみに おかましむ      飾りを民に 拝ましむ      
 きみうまれつき たたなおく     君生れ付き ただ直く  
 こころほつまに おこりなく         心ほつまに 驕りなく 
 ゆめのしるしに みよのはつ          夢の徴(しるし)に 御世の初 
 あきあにおくれ ふゆおさめ         秋天に遅れ 冬納め   
 ははいまなそこ みうえとし  母今七十九歳 御上とし 
 おおははことし ももやそこ          大母今年 百八十九歳
 ふとしきさらき さほひめお             二年二月 サホ姫を
 うちみやにたつ にいみやこ       内宮に立つ 新都 
 うつすまきむき たまきみや            遷す纏向 珠城宮 
 (ヲミヱ御子の即位、その人となり)
 「時天鈴 六百八十九年 ネヤヱ 春」、「一月ツアトは ヲミヱ御子 いむ名ヰソサチ」、「歳四十二 天地つ日月を 受け継ぎて」、「イクメイリ彦 天君と」、「飾りを民に 拝ましむ」、「君生れ付き ただ直く」、「心ほつまに 驕りなく」、「夢の徴(しるし)に 御世の初」、「秋天に送れ 冬納め」。
 時は「あすず暦」の六百八十九年、ほつま暦で「ねやゑ」の春、新年の一月の「つあと」、「おみえ」(中心におられる)の御子は実名を「ヰソサチ」と言い、年令は四十二歳で皇位を継承して即位され、イクメイリヒコ彦天君(あまきみ)となられた(贈り名は「垂仁天皇」)。かざり(三種の神器、装束、宝飾など)を、国民、民衆に拝ませ、支持を受けた。君は生まれつき、実直(たたなおく)で、心はいつも清く真で秀でて、決して驕ることがない優しい性格でした。思っていることが夢に出てきて、それを実行され(天皇の夢あわせ)。この御世の元年の秋に、天に送られ、冬(十一月二十三日以降)に陵に納めた。
 (纒向(まきむき)遷都「たまき宮」)
 「母今七十九歳 御上とし」、「大母今年 百八十九歳」、「二年二月 サホ姫を」、「内宮に立つ 新都」、「遷す纏向 珠城宮」。
 母は今七十九歳で、太政皇后(みうえ)になった。大母(太政皇太后)は今年百八十九歳になった。翌年(二年目)の二月、「さほ姫」を中宮(うちみや)に立てた。更に新しい都を纒向(まきむき)の地に移し(遷都)「たまき宮」と名付けた。
 (ホンツワケの御子誕生)
 「十二月生む御子 ホンツワケ 得もの言わず」。
 十二月、「さほ姫との間に皇子「ほんづわけ」をもうけたが、ものを言うことができなかった。
 (任那の使者来朝)
 「任那より ソナカシチして」、「貢上げ 初御世祝ふ」、「大御酒 賜ひ賜物」、「五色の 上熟(かつみね)錦 綾百機(は)」、「任那の君に 賜わりて」、「シホノリヒコが 幟立て」、「国に送れば 道開く」。
 この年(たまき宮二年)、任那より「そなかしち」が任那王の使者として来朝し、垂仁天皇の初御世を祝う貢物を献上した。君は、自ら大御酒を賜われた。更に、五色の上熟(かつみね)錦織と綾織機を百機を与え返礼の品とした。 帰路は、シホノリヒコが舟に幟(のぼり)をたて、海賊などに妨害されることもなく、任那国に無事、送り帰した。こうして正式に国交が開かれた。
 (モロスケ(ヒボコの長男)を大臣に迎える)
 「三年一月モロスケ 臣に召す」、「昔ヒボコが 土産物」、「ハホソアシタカ ウカカ珠」、「イツシ小刀 イツシ矛」、「ヒ鏡奠の 胙陶 イテアサの太刀」、「この八種 但馬(出石神社)に納む」。
 (たまき宮)三年元旦、モロスケ(ヒボコの長男)を大臣に迎えた。昔、新羅の皇子のヒボコが来朝したときに持参した土産物は、 「はぼそ」(葉細玉)、 「あしたか」(足高玉)、 「うがたま」(鵜鹿玉)、 「いつしこがたな」(出石小刀)、 「いづしほこ」(出石矛)、「ひかがみ」(日像鏡)、 「くまのひもろげず」(熊神籬)、 「いてあさのたち」(出浅の太刀)、この八品を但馬に納めた。
 (ヒボコの来航事情)
 「瑞籬(みつかき)の 三十九年 ヒボコは」、「播磨より 至る宍粟」、「その時に オオトモ主と ナガオイチ」、「播磨に遣りて 問はしむる」、「曰く新羅の 君の天子 名はアメヒボコ、「弟チコに 国を譲りて」、「僕(やつかれ)は 聖の君に 服いぬ」、「使帰りて これを告ぐ」。
 みつかき宮(崇神天皇の代)三十九年、新羅の ヒボコが来航し、播磨に登場した後、穴粟(ししあわ)に至った。 ヒボコが来たことを知り、君はオオトモヌシ(「おおたたねこ」の孫)とナガオイチの両臣を播磨に行かせ、来朝理由を問わせた。ヒボコが答えて言うには、私は新羅の国王の皇子です。名前はアメヒボコと申します。 弟のチコに国を譲ってきました。我輩(やつかれ。へりくだった言い方)は、日出ずる国には神を崇めて正しい政を執る聖の天皇がおられるということを聞き、聖の君に服らうためにやって来ました。使い両臣は宮中に帰ってヒボコの話を君に報告した。
 (ヒボコ一族の定住)
 「よりて播磨の 出浅村」、「淡路宍粟 ままに居れ」、「ヒホコ申さく住む処」、「許し給はば 巡り見ん」、「君許されば アメヒボコ」、「宇治川上り アワ海の 吾名村に住む」、「また更に 若狭巡りて 住む但馬」、「供末人は 挟処に 残し出嶋」。
 報告を聞いた君(崇神天皇)は諸臣と議って、ヒボコに、播磨の「いてさ」(出浅)村と淡路島の「ししあわ」(穴粟)村を与えると申された。 ヒボコは、もしお許しが賜えられるならば、この美しい国を巡り見てから自分の住む所を決めたいと思いますと申し上げた。君お許しを得たヒボコは、宇治川を舟で遡り、近江の「あなむら」(かがみやまの麓)に住んだ。 その後更に若狭の国を巡り、但馬に住むことになった。お供の者(末のもの)どもは「はざま谷」に残して居留させた。
 (ヒボコ一族の子孫系譜)
 「フトミミが マタオを娶り」、「アメヒホコ モロスケを生む」、「モロスケは ヒナラギを生む」、「ヒナラギは キヨヒコを生む」、「キヨヒコは タジマモリ生む」。
 ヒボコは、土地の豪族「いづしまふととみ」の娘「またおお姫」を娶り、子供モロスケをもうけた。モロスケはヒナラギを、ヒナラギはキヨヒコを、キヨヒコはタジマモリをもうけた。この「たじまもり」は垂仁天皇の命により、かぐ(橘樹)の木を求めに常世国へ行き10年滞在し、その地で「たちばなもとひこ」の娘の「はなたちばな姫」を妻とし、その子供が「おとたちばな姫」になる。後に、「やまとたけ」が東征に向かい、富士の裾野で蝦夷退治した後、船で上総に向かう時、嵐になり、この「おとたちばな姫」は嵐を鎮めるために身を投げたことで知られる。
 (サホヒコの陰謀)
 「四年九月 ツウヱはヲナヱ」、「サホヒコが 后に問ふは」、「兄と夫 何れ篤きぞ」、「后つひ 「兄」と答ふに 誂(あつら)うる」、「汝色もて 仕ゆれど」、「色衰いて 恵み去る あに永からん」、「願はくは 我と汝と 御世踏まば」、「安き枕や 保たんぞ」、「君を弑せよ 我がためと」、「秘刀持て 授く時」、「兄が心根 諌めおも (=諫めようも)」、「聞かぬを知れば サホ姫の」、「中心慄(わなな)き 秘刀」、「為(せ)ん方無くも 袖内に」、「隠し諌めの せ六月」。
  たまき宮四年九月(ほつま暦の「つうえ」の月)一日(「おなえ」の日)、サホヒコ(さほ姫の実の兄)が、さほ姫に問うた。「妹よ。この兄とお前の天皇(「おと」の「お」は天皇を示す)とどちらの方が好きか?」。妃(「さほ姫」)は、つい、兄ですと答えた。 その答えを聞くや「さほしこ」は、お誂え向きだ。汝は容色で天皇に仕えているが、色気などはやがて衰えるのが必定、そうなれば君のお恵みは去り捨てられてしまう。 この兄との仲は末永く枯れることはない。天皇の愛は長くは続かない。 願わくは、我と汝で天下(王位)を取れば、枕を高くして安心していつまでも良い夢を見られるぞ。我らが為に君を殺してくれと迫り、紐のついた小刀(紐刀)を懐から取り出し強引に授けた。 

 さほ姫は、兄の恐ろしい企てをいさめようとしたが、何としても聞き入れないことを悟り何となく承知させられた。さほ姫の「なかご」(心の中)は罪の意識にさいなまれ、怖さにふるえながら紐刀をいわれるまま袖の内に隠し持つようになった。その六月。
 (さほ姫の告白)
 「初日皇 御幸して」、「来目高宮に 膝枕」、「后 「思えば この時」と」、「涙流るる 君の顔」、 「君夢覚めて 宣給ふは」、「「今我が夢に 色オロチ」、「首に纏えて 騒(さほ)の雨」、「面濡らすは 何の清汚(さが)」、 「后応えて 隠し得ず」、「臥し転びつつ あからさま」、「君の恵みも 背き得ず」、「告ぐれば兄を 滅ぼせり」、 「告げざる時は <治世を>傾けん」、「恐れ悲しみ 血の涙」、「兄が誂え ここなりと」、「君が昼寝の 膝枕」、 「もしや狂える 者あらば」、「偶に得る 功と」、「思えば涙 拭く袖に」、「溢れて御顔 潤せり」、「夢は必ず この応え」、「オロチはこれと 秘刀」、「出せば皇 御言宣」。
 たまき宮五年六月の一日、君が「くめ」の高宮に御幸された。そして、さほ姫の膝枕で昼寝をされていた。 妃(さほ姫)は、兄の命令を果たすのは今だと思った瞬間、涙が止め処もなく流れ出し、君の顔の上に落ちた。 そうしたら、君は夢から覚めて曰く、今、私が夢の中で錦色の小蛇(おろち)が、首に纏わりついて「さほ」(麻糸のような細い)雨が降り、私の顔を濡らした。何の前兆だろうか。とお尋ねになられた。 妃(さほ姫)は、もうこれ以上隠し切れないと、泣き伏して畏まって兄の企てを包み隠さず打ち明けた。 君の恵みにも背くことができず、告げれば兄を滅ぼすことにな。もし告げなければ国を傾ける大事になる。 恐ろしくて、悲しくて血の涙を流した。兄の企てた命令をやるのは今ここだと思った一瞬の君の昼寝の膝枕であった。 

 こんな事を考えるのは狂人だと思ったが、他方で万一の手柄(いざおし)をたてる機会であるかも知れないとも思った。そう思ったら、申し訳なく涙が出てしまい、袖で拭こうとしましたが拭いきれずに溢れて落ちて、君の顔を濡らしてしまいました。 君のご覧になった夢は間違いなくこの兄の裏切りのことです。小蛇(おろち)はこれですと紐刀を取り出して見せた。それを見て、君は即座に詔(命令)を発した。
 (サホヒコ討伐指令と応戦)
 「近方にある ヤツナダを」、「召してサホヒコ 討たしむる」、「時にサホヒコ 否垣成し」、「堅く防ぎて 降り得ず」。
 近県(ちかがた)にいた将軍「やつなだ」に命令して、「さほひこ」を討ち取るよう兵を差し向けた。 状況の変化を知った「さほしこ」は、そのとき稲城(いなぎ)を作り堅固に防いで、降参しなかった。(稲城(いなぎ)とは、屋敷の外側に稲束を積上げて、中からは外が見えるが、外からは矢の攻撃を防ぐ簡単な城構え) 戦いは一進一退を繰り返し、長期戦にもつれ込んだ。
 (サホヒコ、サホ姫討伐される)
 「后悲しみ 我たとひ」、「世に在るとても シム枯れて」、「何面白と 御子抱き」、「否垣に入れば 詔」、「后と御子を 出すべしと」、「あれど出さず ヤツナダが」、「火攻めになせば 后まず」、「<臣をして>御子抱かせて 城を越え」、「君に申さく 兄が罪 逃れんために」、「我入れど 共に罪ある ことを知る」、 「たとひ罷れど 御恵みを」、「忘らで後の 定めには」、「タニハチウシの 女をもがな」、「君が許しの ある時に」、「炎熾りて 城崩る」、「諸人去れば サホヒコと 后も罷る」、「ヤツナダが 功褒めて」、「賜ふ名は タケヒムケヒコ」。
 妃(さほ姫)は悲しみ、自分がたとえ世に生きながらえたとしても、心は枯れて死んだも同然です。何で生きていて楽しい(面白い)ことがあるものでしょうかと言って、皇子「ほんづわけ」を抱いて稲城に入った。そこで、君は「さほしこ」に妃と皇子を城から出しなさいと命じた。しかし、命令に応じなかった。将軍「やつなだ」が、火をつけて火攻めにした。すると、炎の中から、妃(さほ姫)が最初に皇子を抱いて城を越えて出てきて、君に申し上げた。兄の罪を何とかかばう(守る・のがれる)ために私は中に入りました。しかし、私も兄と同じ罪であることを知りました。たとえ、私が死んでも、君の御恵みは決して忘れません。どうか、私(さほ姫)の後見には「たにはちうし」の娘を妃に召されるようお願いします。君のお許しが出たとき、炎が噴き上げて城は崩れ落ちた。「さほひこ」軍の兵卒が皆逃げ散った後に「さほひこ」と妃(さほ姫)は焼け死んでいた。一件落着の後、君は「やつなだ」の功績を称え、タケヒムケ彦の名前を賜った。
 (かばいつき姫が中宮になる)
 「七年七月 初日コモツミの 子の筒木」、「タルネがカバヰ ツキ姫を」、「立つ后妹の カクヤ姫」、「なる内侍五日 言祝し」、「初棚機の 神祀り」。
 たまき宮七年七月一日、「こもずみ」親王の子の「つづきたるね」の娘「かばいつき姫」を中宮に立てた。妹(と)の「かぐや姫」は「うちめ・うち妃」になった。五日間婚礼の祝いをした。初めての「たなばた」の神祀りをした。(七月一日から五日間婚礼の祝いの後であるから、ちょうど七月七日頃に当たる。「たなばた」の語源は「蚕棚」の「たな」と「機織機」の「はた」を示している。機織機は錦織りのできる高機織機。当時の中心をなす作業であった)。
 (相撲その1、當麻クエハヤ)
 「ある臣君に 申さくは」、「當麻クエハヤ 大力」、「地金を延ばし 角を割く」、「金弓作り 常語り」、「これを踏み張る 我が力」、「余に競べんと 求むれど 無くて罷るや」、「ひた嘆く 君諸に問ふ」、「クエハヤに 競ぶる力 あらんをや」、「申さくノミの スクネなり」、「ナガオイチして これを召す」。
 ある臣が君に申し上げるには、當麻クエハヤという力持ちがいます。その怪力無双ぶりは、手で鉄(ちかね)を引き伸ばし、牛の角をへし折り、鉄の弓を作ることなど朝飯前だと吹聴しております。「誰か、この鉄棒を撓めて弓を張ることができる俺と力比べする者が現われんか。誰も居ないのが寂しい」とひたすら嘆いていた。これを聞き、君は、臣に、クエハヤと力比べする者はいないのかと問われた。 すると、臣の一人が、出雲の勇者ノミのスクネ(野見宿禰)という者がいると進言しました。君は、早速、ナガオイチという臣にスクネを呼び寄せるよう命令した。
 (相撲その2、ノミのスクネ)
 「ノミのスクネも 喜べば」、「明日競べんと 詔」、「力競ぶる 上の法」、「争いの里に 埴環成し」、「タエマは東より ノミは西に」、「合ひ立ち踏めば ノミ強く」、「クエハヤが脇 踏みてまた 腰踏み殺す」、「時に君 団扇を上げて」、「響ませば 臣も喜び」、「クエハヤが 金弓および」、「當麻国 ノミに賜わり」、「家は妻 付無しの身は 弓取ぞこれ」。
 ノミのスクネもこれを聞いて喜び、「明日、力くらべをやろう」と詔が出た。里に急遽土俵を作り、タエマは東より ノミは西から登場して、互いにしこを踏んで力を誇示した。いざ両者激突すると、ノミが強く、クエハヤの脇深く入り投げ転ばせ、更に腰を踏んづけて殺してしまった。 勝負あったそのとき、君が団扇(うちわ)を挙げた(これが軍配の始まり)。周りの臣たちも喜び沸いた。君は、ノミに褒賞としてクエハヤの作った金弓と領土を与えた。クエハヤ家と妻もみな賜れたが、嫡子には恵まれなかった。ノミは勇士ユミトリ(弓取)と称えられた。(注、今でも相撲の勝者に弓取り式が語源とともにしきたりとして残っている)






(私論.私見)