最近、浦添ようどれで英祖王の一族の骨が調査されました。その結果、王族には中世日本人に近い特徴(顔がのっぺりで平坦、出っ歯)が見られたのみならず、中国南部のDNAを持つ者もいたことがわかりました。交易で様々な人々が行き来していた沖縄の状況を反映するものといえるのではないでしょうか。 ウチナーンチュがヤマトンチュのグループに非常に近い関係にあることはほぼ間違いなさそうです。ただし、たとえ同一人種・同一民族だからといっても、同一国家であるべきだ、とはただちになりません。たとえグスク時代以降の沖縄がヤマトの影響を強く受けたとしても、琉球諸島に住む人々は「琉球」という自らの国家と文化を形成し、島津氏に征服されるまでは一度たりとも外国の実効支配を受け入れたことはありません。沖縄が「日本」なのは、純粋な日本を残してるからでもなく、同一人種だからでもありません。政治的・歴史的な動きの結果にすぎません。現在の歴史学では、単一民族=単一国家史観はすでに過去のものになっています。僕は今生きている現在の沖縄を否定するつもりはありませんが、全ての現在の状況は最初から「あるべき姿」が決定されていたのではなく、歴史の変動のなかで形成され、つくられた結果なのだと思います。
【追記】多くの方がこちらの記事を参照されているようですが、注意してほしい点は、遺伝上の起源や「血」で直接「民族」を定義・分類できるわけではないということです。民族は「科学的」に定義できるものではないのです。人類学的な形質が相似していることで単純に大和民族=琉球民族とならないことに注意。民族とは究極的にいえば「われわれは独自の集団だ」とその人々が考えるだけで成り立つものです。この問題については【こちら】を参照のこと。良記事です。
※【再追記】2012年11月1日、DNA配列の解析により琉球人とアイヌとの近縁性が高いことが証明されたとの報道がありました。日本人の二重構造モデルが裏付けられたかたちになったわけですが、本ブログで述べたような沖縄人と本土日本人との近縁性があること(今回の研究結果がこの事実自体を否定することにはなりません)との関連をどう評価すればいいのでしょうか。
今回の研究では同時に「琉球人は、九州からもたらされた稲作農耕を受容するとともに、本土日本人との遺伝子交流が歴史時代を通じて存在した」とも述べており(こちら参照)、近縁関係の距離の図式を見ると、確かにアイヌは本土人と比較して沖縄人のほうが近い。しかし近縁関係の距離でみると、沖縄人と本土人は近く、アイヌはかなり離れています(こちら参照)。
つまり「アイヌは本土人と比較して沖縄人と近い」のですが、同時に「沖縄人はアイヌと比較して本土人と近い」といえます。「起源」ではなく現代までの「混血の様相」の過程に注目したのが、本ブログで述べた一連の研究なのではないかと考えますが、いずれにせよ今回の研究結果について専門家の意見を待ちたいところです。
※沖縄人ルーツ「日本由来」との調査結果も(2014年9月17日)【こちら】
参考文献:安里進・土肥直美『沖縄人はどこから来たか』、浦添市教育委員会「浦添ようどれ石厨子と遺骨の分析結果について」