「『警告 危険なWebブサイト』表示について」 |
(最新見直し2009.1.25日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2009.1.13日、れんだいこの人生学院に「警告 危険なWebブサイト」なる表示が出るようになった。これを確認しておく。このような目に遭わされる個人的な怨恨の身の覚えはない。とすると、これをどう説明すべきだろうか。 普通の感性があれば、れんだいこの発信言論の諸内容が気に入らない勢力による警告と受け取るべきだろう。このような目に遭わされない小市民的平穏な言論士は、陰謀論について、そういう勢力は居ないとして一笑に附すが、これをどう説明してくれるのだろうか。現代世界を牛耳る国際金融資本勢力から見て不都合な言論が、このように監視されていることを知るべきではないのか。 2009.1.25日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評516 | れんだいこ | 2009/01/13 12:53 |
【「警告 危険なWebブサイト」考】
2009.1.13日、れんだいこの「左往来人生学院掲示板」を開けると「警告 危険なWebブサイト」表示が出るようになった。誰が何の権限でこういう操作をしているのかできるのかが分からないが、いよいよこういう政治論評方面への規制が始まり始めたということか。ある意味で光栄なことである。そのうち開けように開けられずの閉鎖仕掛けに追い込まれるのかもしれない。この邪悪な勢力がガザで残虐非道のし放題をしているのだろう。一応確認しておく。 れんだいこは、ネット空間の仕組みとか機能については何も分からないのだが、こういうことを誰ができるのか、その責任主体は誰なのか、どなたか教えてくれないだろうか。 2009.1.13日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評519 | れんだいこ | 2009/01/16 22:12 |
【続「警告 危険なWebブサイト」考】 れんだいこの「左往来人生学院掲示板」に対する「警告 危険なWebブサイト」表示は消えたりついたりしているが、妙なことに気づいたので発表しておく。これが点灯するサイトには次のような特徴がある。一つは、政治評論掲示板。これは今後とも増えていくように思われる。もっとも一生つかぬ栄誉な掲示板がウヨサヨするだろう。 もう一つは、ジャスラックがらみの掲示板である。当然、ジャスラック式著作権論は正当であるとエールするような掲示板にはつかない。ジャスラックと訴訟し、その非を打ち鳴らす掲示板に点灯する。もう一つはパレスチナ問題での反ネオシオニズム系掲示板である。当然イスラエル万歳型の掲示板にはつかない。ことの真相に迫ろうとして有益な情報を流すところに点灯する。 もう一つある。これが書きたかった。妙なことに、実は妙でもないのだろうが、戦前の特攻兵士の遺書を読もうと思って検索していたところ、悩みとか肉親とか平和希求型の遺書開陳コーナーにはつかない。が、時局挺身型の勇武遺書コーナーには滅多やたらに点灯する。あるいはサイト閉鎖が多い。 さて結論。この因果関係はどの辺りにありや。これで我がサイトは永遠のつきまくりになるだろうか。 2009.1.17日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評529 | れんだいこ | 2009/01/26 |
【続続「警告 危険なWebブサイト」考】 れんだいこの「左往来人生学院掲示板」に対する「警告 危険なWebブサイト表示」以来、れんだいこのセンサーが働き始め、現代日本が如何に精神的思想的規制下に置かれているかと云うことに気づき始めた。れんだいこは、日本語の秀逸さに気づき始めており、ネット検索で情報を採ろうとしたところ「警告 危険なWebブサイト表示」に出くわした。こんなところにまでと驚かされている。こうなると、最近の幼児の頃からの英語教育論の称揚も胡散臭い面があることになる。 こうした精神的思想的規制が日本人の民族的意識溶解という観点からあちこちそこらじゅうに総合的に張り廻られており、政治的規制はその一種に過ぎない、仕掛けはもっと大きい、そう気づき始めた。由々しき事態であるが、これが見えて来た真相である。 ならば、誰が何の為にが問われねばならないだろう。これに答え得る者が何人居るであろうか。最も縁遠い衆生は、陰謀論否定論者であろう。彼らは、何を根拠にしてか分からないが、現代世界のみならず太古の昔より陰謀集団が存在し悪事を働いて居るという歴史の実証主義的研究に基く指摘に対し、陰謀史観であるとして一蹴する。れんだいこには、陰謀史観が存在すると云う指摘に対し、陰謀史観であるとして一蹴できる神経が分からないが、彼らにはこれで事足りるらしい。 本来は、歴史の実証主義的研究に基く陰謀史観の指摘に対し、これを実証主義的に批判すれば良かろうものを、「それは陰謀史観である」という一言で一蹴する。あるいは叉一笑に附す。仲間内ではこれで通用するらしい。とかく議論が噛み合わない連中ではある。 俗流マルクス主義者もこの巣窟のムジナ住人である。恐らく、マルクス主義的歴史観と齟齬するという理由で却下しているものと思われる。しかし、連中のマルクス主義的歴史観たるや、その理解の底は浅く単に字面の経文読みに過ぎない。分かったような顔をしているだけで実は少しも分かっていない。れんだいこは、左翼と冠するのが勿体ないのでサヨと命名している。 サヨが特にサヨらしさで立ち現われるのは著作権を廻ってである。著作物を人民大衆の利益の側に立って極力利用の自由を主張するのかと思いきや、著作者の利益を擁護すると云う美名の下で小難しい実は中身が空疎な著作権全域全分野的適用とそれに伴う利用課金制をプロパガンダする。その癖、その種の著作権論が情報統制に資していることについては見て見ぬ振りをする。これを強権著作権論と云う。これを正義の美名で振り翳すものだから始末が悪い。 もとへ。新手の情報規制として「警告 危険なWebブサイト表示」が猛威を振るいそうな勢いである。こうなると、この表示が立ち現われる箇所に留意せねばなるまい。そのメルクマールは、「日本の民族的文化的陶冶伝統の溶解」である。この分野に於ける点灯はむしろ、我々が学び生育せねばならないものと逆に心得るのが良かろう。 これを分別と云う。昔の人には分別があった。最近のインテリは滅法これが弱い。こういう連中が社会の支配的勢力となり、元々弱い貧脳でかきまぜるから事態が余計に悪くなる。これを改良主義で解決するのは不可能ではなかろうか。時は今、回天を促しているのではなかろうか。我が社会に染み付いたネオシオニズム勢力シオニストを弾劾し、日本式縄文ルネサンスを再生させよ。これが導かれるテーゼとなろう。 2009.1.26日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)