田中角栄の慧眼的人物評 |
(最新見直し2007.3.28日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
角栄は、次のような人物評を残している。その慧眼ぶりを各自吟味されたし。 2005.5.23日再編集 れんだいこ拝 |
【大平正芳評】 | |
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【池田大作評】 | |
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【公明党評】 | ||
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【中曽根評】 | |||||
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【三木評】 | |
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【宮沢喜一評】 | ||
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【小沢一郎評】 | |||
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【橋本龍太郎評】 | ||
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【小渕恵三評】 | |
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【小沢・羽田・梶山評】 | |
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【石原慎太郎評】 | |
角栄がいわゆるタカ派(この場合は、石原慎太郎)に見せる冷淡な眼差しは次のようなものであった。昭和43年、石原慎太郎は300万票で参院全国区トップ当選で、政界入りした。時に田中が自民党幹事長だった。新調の議員バッジをつけ、初登院した石原は、幹事長室に乗り込み、威勢良く田中にこうブチ上げた。「自民党の広報活動はなっていない」、「自由新報の編集はなっていない」、「自民党本部の職員は削減すべし」。黙って聞いていた田中は、一言次のように言った。
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Re:ウツケ男でゴキブリ知事と言われた慎太郎 | れんだいこ | 2007/03/29 |
不動明王さんちわぁ。東京ではひさかたの熾烈な都知事選が行われているようですね。れんだいこその昔、美濃部さんの選対でビラ配りしていたことがあります。今となってはなつかしい思い出です。当時、民主連合政府構想と社共共闘革新知事の出現による世直し世の立替え運動はそれなりに魅力がありました。そう理解したことでれんだいこのボランティアが始まりました。なつかしいです。 しかし、民主連合構想も、70年代の遅くない時期までから、20世紀の遅くない時期までに、次に21世紀の早い時期へとどんどん期間があてもなく下がり始め、日共中央は現在ではダンマリしています。その代わりに出てきたのが、「正義清潔の唯一の野党論」です。党員は、次から次へと繰り出されるこういう妄言に従っているようで、れんだいこは可哀想に思うより、むしろあきれております。そういえば、革新知事つうのはトンでもな奴が多かった。何が革新だあいつが、というような人物が担がれていたですね。 それはそうと、石原慎太郎については、角栄の指摘が正確を射ていると思っております。1968(昭和43)年の総選挙で、300万票で参院全国区トップ当選で政界入りした慎太郎は、新調の議員バッジをつけ初登院し、幹事長室に乗り込み、威勢良く角栄にこうブチ上げた。「自民党の広報活動はなっていない」、「自由新報の編集はなっていない」、「自民党本部の職員は削減すべし」。 黙って聞いていた田中は、一言次のように言った。「君の話は分かった。しかし、人間は木の股から生まれてくるのではない。人には歴史がある」。 これをどう理解すべきか。れんだいこが解説するとこうなります。 石原氏のはぎれの良い物言いは結構である。しかし、「ただの正論」である。何事にも積み重ねの歴史がある。それを無視しての書生論はいくら格好良くても、眼差しに温かさがなければならない。現実は一歩一歩の歩みであり、至らないながらも至ろうとしてみんな苦労して歩んでいる。世の中のものはみんなそのように成り立っている。これを弁えて批判するのなら良いが、君の論は格好良過ぎるだけのパフォーマンスでしかない。 角栄の言は、かく云い含めているのではなかろうか。れんだいこに云わせれば、角栄は、まさに角栄流にピシャリと慎太郎の本質を言い当てていたということになる。石原の奇論を一蹴した角栄の凄みがここにある。 慎太郎が政界入りした時、角栄-大平同盟の全盛期であった。それが彼の運の無さであった。その同盟は、ロッキード事件の脳震盪で崩れ去るが、慎太郎はそのときまでの過程で望んでいた首相の座の時機を失した。芽を断たれた慎太郎が色気を見せたのが、都知事の座であった。これはどうにか手に入れた。どんな政治をしたかは、今目にしている通りのものです。れんだいこは、小児病的軍事パラノイア性と政治の私物化ぶりが二大特徴と見ております。 こたびの都知事選は恐らく慎太郎の敗北必至と見ております。それにしても、日共の役回りが悪質で、れんだいこはそれが連中の一貫した政治的役割だと見ております。この両者が裏でつるんでいる可能性まで考えております。 というようなことを一気に発信してみたくなりました。不動明王さん、どうぞ今後ともよろしくねぇ。 2007.3.29日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)