について

 (最新見直し2014.06.28日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで「炭管事件考」をしておく。

 2005.8.13日再検証 れんだいこ拝


【炭管事件考】
 1948(昭和23)年、11.23日、吉田内閣が発足して1ヶ月ほど、田中角栄の自宅および会社の田中土建などが東京高等検察庁によって家宅捜索された。11.25日、社会党議員が次のように質問した。「法務政務次官の田中角栄君が、石炭国管案反対に絡んで多額の運動資金を受け取ったところの容疑をもって家宅捜索を浮けたのは、遺憾千万、心外に耐えないところであります」、「民主自由党の諸君の中にも法律に通暁しておらるるところの幾多の有能な人々があるにも拘らず、全然法律に関係のない、ずぶの素人であるところの、年少の土建業者たる田中角栄君が政務次官に抜擢せられたということは、我々のどうしても納得できない点であるのであります」。

 これに対して、角栄が次のように「一身上の弁明」をしている。
 「私の経営致しておりますところの土建会社の九州出張所が、石炭国管の容疑線上にある色々の石炭業者と事実上の(取引)関係があるのであります。当然、金銭の授受はあります。(但し)石炭国管法の審議において、特定の業者と金銭の収受の事実は断じてありません。いっぺんも宴席にはべったり飲んだりしてはおりません。(中略)ただ私は、吉田内閣が綱紀粛正の看板を掲げながら、しかも若い政務次官を人選したことに対して、私が最も悪い代表であると云われたように承りましたので、私は若いが故に、土建業者なるが故にそのような侮辱に対して、一言弁明をしたかったのであります」。

 東京高等検察庁の捜査は緩まず、角栄の逮捕の許諾を衆議院に求めてきた。12.12日、衆院本会議に、その議題が付された。山口喜久一郎議院運営委員長が登壇し次のように述べた。「田中角栄君は昭和22年9月4日ごろ、福岡県直方市字中泉に於いて採炭業を営む木曽重義より、臨時石炭鉱業管理法案の通過に反対せられたき旨の請託の趣旨のもとに、東京都千代田区飯田町2丁目20番地 田中土建株式会社に於いて金百万円の交付を受け、もって職務に関し賄賂を収受したという被疑事実に基づいて云々」。

 本会議は賛成の規律多数で逮捕を許諾した。翌日、角栄が検察庁に出向き、取調べを受けて東京拘置所に収監された。

 事件につき、「おとうさんに旦那さんになっていただいて1年数ヶ月たっていた」辻和子の回想記「熱情」は次のように記している。
 「(角栄逮捕の日、東京高検は、角栄が通う神楽坂の芸娘置屋「金満津(かねみつ)」にも家宅捜索が入った) 何がなんだか訳が分からないうちに、スケジュール表からお抱え芸者衆の花代の伝票の類まで、商売に関わる書類と云う書類、それに個人的なメモ帳まで、根こそぎ押収されてしまいました」、「日をおいて、お母さん(女将)と私は改めて事情聴取のために警察に呼ばれました。その時に持参したのは、私の預金通帳一冊だけでした」、「獄中で金満津が捜索を受けたことを聞いたおとうさんは大変に怒ったそうです。『女、子供を調べて何が分かるんだ!』」。
 「お父さんがこの法案に反対したのは、日本を社会主義化、共産化してはならないという思想的な考え方のほかに、自分の商売にも直接的に関係していたからだと思います。その頃、お父さんの会社は急成長して、多くの炭鉱を抱える九州にも支社を構えていました。(中略)炭鉱住宅を手がけ、大きな業績を上げていたのです。ところが、炭鉱が国家の管理になれば、そういう面でも不利になることが予想されます。他の業者のことより、自分の商売に直接関わってくる大問題ですから、反対するのは当然でした。他人のためなんかより、むしろ自分のためにこの法案に反対していたのです」。




(私論.私見)