信濃川河川敷問題について

 更新日/2016.02.26日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「信濃川河川敷問題」につき、日共は執拗に追求してきた。この無責任党派はセンセーショナルに問題を煽った割には、一体「信濃川河川敷問題のどこが問題なのか」明らかにしていない。少なくともれんだいこにはそう思える。彼らはいつもご都合主義的な正義弁舌を奏で、「田中角栄元首相の金脈事件の典型として知られる信濃川河川敷問題。田中元首相のファミリー企業が政治的地位を利用し巨利を得た前代未聞の事件として、国会や裁判で追及してきました」と自画自賛している。本サイトは、この謂いのウソを明らかにしておく。

 2005.8.13日再検証 れんだいこ拝


【信濃川河川敷問題考】
 「信濃川河川敷問題」は、1964(昭和39)年頃、角栄のファミリー企業「室町産業」(東京)が、ツツガムシの発生する危険な農地の広がる河川敷を約4億1千万円で買収したことに端を発する。ロッキード事件後、この問題が金脈批判に晒され、主として日共系が追求したが、その経緯は「云われるようなものではない」。かく観点を据えるのが正しい。

 「信濃川河川敷問題」の元々の発端は、3年に一度は河川の氾濫で水浸しにされる上、ツツガムシ病が蔓延することで知られていた約74ヘクタールの使い物にならない同地域の土地対策が陳情され、角栄が「難しい」と判断していたものを、各方面への数次にわたる熱心な働き掛けの結果、再び角栄に陳情されたところから始まっている。角栄はこの時、陳情者が区画整理事業体のようなものを作り、共同の土地開発手法を示唆している。それは実に有効な方法であった。しかし、農民達には関係者を纏めてそれを遂行する気概も能力もなく、お手上げ状態になった。こうしてむしろ、角栄の買取を希望し始めた。

 これらの経緯を経て、角栄は、「地権者全員が纏まり、一括した土地になるならば、角栄のファミリー企業・室町産業が引き受けても良い」と提案した。陳情団はこの話に飛びつき、価格交渉に入った。結局、1964(昭和39)年から1965(昭和40)年にかけて、室町産業が新潟県・長岡市蓮潟地区の信濃川河川敷の畑地73ヘクタールを301人から4億1000万円で買収した。

 この時の室町産業の買い付け価格は坪当り500円、反当り15万円である。この価格は相場より随分と割高にしており、安叩きしている訳ではない。「信濃川河川敷問題」は、ここのところの認識が肝要である。いわば合意の積み重ねでの契約であり、この取引は脅しでも詐欺でもない。ちなみに、「そもそも河川敷は彼らの土地ではなく、耕作権でしかなかった」ようである。これについて、地権者が別に居たのか、地権者と耕作権者が入り混じっていたのか詳細は分からない。仮に、耕作権者とすれば、「坪当り500円、反当り15万円」は適正価格ないしは売り手有利価格の取引であったであろう。

 買収後、角栄が相当の政治力を使ったことは充分考えられる。しかし、それを咎めることができようか。一団の土地の有効利用を図るのは経済行為として真っ当であろう。その際、公益性の程度が問題になるだけであり、それが十分に配慮された計画であれば政治権力を使うのは許された行為というべきではなかろうか。こうして、河川敷に新たに堤防や橋が造られ、それまでの危険な土地は、市中心部から2キロという立地条件の良い土地に様変わりした。この時の政治力利用が指弾されているが、それほど問題であろうか。特定個人の利益の為にのみ政治力が使われ、且つ公共福祉に合致しない場合には指弾されるべきであろうが、公共目的の理に叶う場合には行政当局の判断に任されるべきではなかろうか。結果的に仮に、「坪500円での買収価は数百倍に値上がりし、1億円で買った土地が、時価700億円の土地に大化けした」としても、それは経済活動の環の中にあると云うべきではなかろうか。

 徒な批判は有害である。角栄が買い取った一体の土地には、当然、公共利用地の確保、その他環境整備が義務づけられており、地域住民の満足を得るものとなっている。河川敷原野のままが良いのか再開発後の宅地が良いのかということになるが、行政当局の指導基準を踏まえている以上は、経済行為として認められるべきではなかろうか。

 もし、政治家のこの種の行為が認められないのなら、政治家とは法案の審議専門しかできないことになろう。果たしてそのように規制することが適正だろうか。そうなると、政治家になれるのは特殊な貴族階層あるいは業界及び政党御用人だけということになりはしないだろうか。政治家は、各種の経済行為を為しつつ、その経験も含めて天下国家に資する政治の舵取りを任務と要請されているのであり、司法の裁判官の如くな市井との界壁を廻らされた立場にはなかろう。ちなみに、特殊な貴族階層あるいは業界及び政党御用人が天下国家に有益な仕事をするかというと、史上例は反対で、どうにも役に立たないあるいは今日的な売国奴政治に精励するような現象が立ち現われているのではなかろうか。

 「角栄と建設官僚との友誼的関係」について、建設省事務次官だった高橋国一朗は新聞のインタビューに答えて、次のように述べている。
 「田中さんと官僚の関係ですか。やっぱり僕らは道路財源を確保するガソリン税法などを通じて、田中先生に大変な恩義を感じていますから。頼まれたことはできるだけ協力するのにやぶさかではなかったですね。私に限らず建設省としてですね」(新潟日報「発掘 田中角栄」)。
(私論.私見) 
 「角栄と建設官僚との友誼的関係」は培われたものであり、角栄の有能性と働き掛けの合理性によって次第に形成されたものである。「道路、橋、トンネル、港湾設備、ダムなど、角栄は建設省のやるすべての仕事に睨みをきかせた。そのかわり官僚をあつくもてなした」と評するのは正しくない。「仕事に睨みをきかせた」のではなく、実績と経験豊かな角栄の識見がまず評価され、故に官僚が自主的に伺いを立て始めたところから関係が深まったというのが実相ではなかろうか。ならば、「角栄と建設官僚との友誼的関係」はそれ自体が批判されるべきものではなかろう。その友誼的関係によって生み出されたものが「査定」されるべきであろう。驚くことに、角栄の関与は、私利私益に纏わるものは見当たらない。「国家百年の国土計画」に資したものばかりであることが判明する。

 田中角栄入門」には、次のように記されている。
 「建設省関係の特殊法人をたくさんつくって、そこに建設省関係のOBを次々と天下りさせていった。さらには、多くの建設省OBを田中派から選挙に送り出した。そして田中派は建設大臣のポストを握り続けた」。
 「彼は当時の多くの人々にとって幸せをもたらす『福の神』だった。しかし彼が築き上げた金権・利権のシステムの中で、人々の心から貴重な何かが確実に失われて行った。後世の歴史家は彼をどう評価するだろう。彼こそ日本人の心を堕落させ、国を『亡国』へと導いた元凶だと指弾するのではないだろうか」。
(私論.私見)
 「特殊法人増設ー官僚OB天下り問題に象徴される権・利権のシステム」は、官僚制機構から発生するものであり、角栄も又その流れに乗っ掛かっていたとは事実であるが、角栄が元凶ではなかろう。それが証拠に、角栄の非関与省庁でも同じ現象が起っているではないか。「彼こそ日本人の心を堕落させ、国を『亡国』へと導いた元凶」とする立花史観こそ、日本を亡国へ導いた元凶ではなかろうか。

【信濃川河川敷訴訟】
 1975年、騙されたと怒った元地主の農民二人が、買収当時蔵相だった角栄を相手に、これらの工事計画を知る立場にあったとして、土地の返還を求めて提訴した。角栄は、この地を舞台に政治家の地位を利用して一連の土地売買を仕掛け、実体のないファミリー企業を駆使して徹底的な税金逃れを行ったという疑惑に晒された。これが「信濃川河川敷訴訟」である。

 この時の「元地主の農民二人」の素性と論理が分からないが、今からでもはっきりさせねばならない。特に、日共系の角栄嫌がらせが続いており、その線を確認する必要がある。

 「元地主の農民二人」のように、もしこの経緯を不服とするなら、あらゆる商取引の根底が脅かされることになろう。その昔に売った土地がその後値上がりしたので利得を還付せよなる発想が許されるのなら、逆に二束三文になった土地についても責任を取るのか。エエとこ取り訴訟ほどイカガワシイものはなかろう。

 1977年、小林孝平長岡市長と室町産業の間で、「その利用は、長岡市発展の見地から、また市民全体の利益を優先して行われるべきであること」という覚書が締結されている。

 1997年、最高裁で、原告側の返還請求は棄却されている。
(私論.私見) 日共の「信濃川河川敷問題」のフレームアップについて
 日共は、党機関紙赤旗で、「信濃川河川敷問題」をフレームアップし続けた。もう一度、その正義の弁を開陳してみよ、れんだいこが角栄になり代わり弁論してしんぜよう。

 2004.11.29日 れんだいこ拝

【共産党の自画自賛】
 共産党は、機関紙「赤旗」の「創刊78年&2万号記念」として、2006.7.22日付け「しんぶん赤旗2万号─創刊78年 未来をひらく 歴史をきざむ」と題して特集記事を組んでいる。その中で次のように述べている。
 「“首相の犯罪”を追及 『庶民宰相』ともてはやされ、一九七二年に首相の座に就いた田中角栄氏もまた、マスコミ界のタブーの対象でした。角タブーは首相就任のはるか以前から始まっています。戦後復興期――政治と企業の癒着が骨太く横たわっていた時代。長く続く自民党政治の後継者争いの中で、『数は正義なり』と“金の力”と“支配する力”を駆使してのし上がってきた典型的な人物が角栄でした。『オレは各社全部の内部を知っている。記事を中止させるのも簡単だ』(赤旗七二年十月十日付)。この言葉に象徴されるように、『土地転がし』で手に入れた都心の一等地を大新聞社やテレビ局の社屋建設用地に払い下げてやり、記者にはプレゼント攻勢で“貸し”をつくる…。マスコミも思いのままに動かしてきました。本来“政敵”のはずの社会党や公明党までもが角栄と関係を築いていったのです。

 角タブーを打ち破る口火を切ったのは角栄による信濃川河川敷買い占め事件を暴いた赤旗日曜版六六年十月二十三日号でした。架空の会社を作って開発が予定されている土地を買い占めていたことを突き止め、国会議員と連携して角栄を追及。翌月、角栄は『まさか共産党にやられるとは』とせりふを残し、幹事長を更迭されました。『飛ぶ鳥落とす勢いの政治家が相手ですから絶対間違えちゃいけないし、そりゃあ緊張したしこわかった』。この事件を皮切りにスクープを連発した関口孝夫さん(前編集局長)は、当時の心境をそう語ります。愛人邸建築疑惑(赤旗七二年十一月八日付)では、赤旗一面報道と松本善明氏の国会質問のWパンチで、絶頂にあった角栄人気は失墜します。『赤旗だけが“金”も“脅し”も効かなかったんです』と関口さん。一般のマスコミが角タブーに触れ始めたのは、角栄が落ち目になった七四年、ようやく月刊雑誌が書いてから。七六年、ロッキード事件をとどめに角栄は政界の表舞台から姿を消しました」。
(私論.私見)
 この記事も共産党の角栄敵視論文の一つである。角栄を標的にする姿勢はどこから来るのだろう、これを逆検証せねばなるまい。

 2014.6.28日 れんだいこ拝

【日共指導者の一人上田耕一郎による「信濃川河川敷問題に関する質問主意書 」】
 1977.1.25日付け日共指導者の一人上田耕一郎による「信濃川河川敷問題に関する質問主意書 」がサイト検索できる。これを転載し、れんだいこが日共の論点に批判を加えることにする。
 質問第一九号  右の質問主意書を国会法第七十四条によつて提出する。
 昭和五十二年十一月二十五日 参議院議長 安  井   謙 殿

 信濃川河川敷問題に関する質問主意書

 信濃川河川敷の廃川敷処分と廃川敷地の公共利用問題は、本八十二臨時国会でもくり返し問題となつてきた。私の要求により参議院建設委員会に建設省の調査報告書「信濃川河川敷の廃川に関する現地調査について」が、十一月二十一日付で提出され、また私も十一月十六、十七、十八日にわたり長岡市役所、新潟県庁、北陸地建、長岡工事事務所などで現地調査をおこなつてきた。この問題の解明と解決は、国会の審議過程からいつても、世論の動向からいつても、緊急の課題となつている。 以上の観点から次の諸点について質問する。

 一 建設省の現地調査報告について

 1 報告書によると、室町産業分の土地について、長岡市は「十分検討のうえ、すみやかに回答したい」とあり、新潟県も「なお検討のうえ、すみやかに県の意向を申し上げたい」とある。市と県の回答はいつ頃までにおこなわれるのか。

 2 十一月二日の参議院決算委員会で、国あるいは県、市で全部公共用地にせよとの私の質問にたいし、園田官房長官は、「いまの御意見も参考にして検討いたします」と答えた。県、市の回答が消極的であつた場合、県、市にたいする行政指導をふくめ、どのような措置をとるつもりか。

 3 十一月二日の参議院決算委員会で、坊大蔵大臣は私の質問にたいし「大蔵省としては、最も公共性の方向にこれを使つていくということにしたい」と答え、田中理財局長は「行政目的があつて特定の省庁においてその土地の利用計画が立てられ、予算要求としてその土地の購入費が出てきた場合」国が買うことができると答えている。建設省の行政財産として公共利用計画をたてることを考えているか。
 

 二 建設大臣の廃川処分告示について

 1 建設省は、今回の廃川敷処分の重要な口実として、長岡市の小林孝平市長の要請をつねにあげてきた。ところが小林市長がおこなつた十月二十七日の要請の際、その理由としてあげている各派代表者会議の了承、および町内会長会議の圧倒的支持は事実に反することが明らかとなつている。しかも今回の私の調査により、市長が提出した別添資料「信濃川河川敷用地の利用計画書」の記述にも重大な虚偽が含まれていることが明らかとなつた。

 利用計画書には、「長岡市は信濃川河川敷について、これが長岡市の都市計画上極めて重要な用地でありますので、その利用について、かねてから検討して参りました」とあり、「その結果……次のようにこれを利用して参りたいと計画しております」として、計画事項を列記しているが、十一月十七日、日本共産党調査団にたいする皆川保広長岡市企画開発部長の言明によれば、「河川敷問題は市長と助役だけで話し合つており、担当部長はなんら検討したことがないし、計画についても相談を受けていない」といつている。 利用計画書の記述が事実かどうか調査する必要を認めないか。
 2 事実に反する小林市長の要請をいれて、建設大臣が専決処分をおこなつた責任をどうとるか。
 3 また建設大臣は、国会答弁で長岡市の町内会長会議の支持をくり返し専決処分の理由の一つとしてあげてきた。ところが、十一月二十五日の答弁で大臣決裁は十月二十一日であつたことが明らかとなつた。町内会長会議は翌十月二十二日であつて、その支持なるものをもつて決裁理由とすることは物理的に不可能である。大臣答弁は国会をあざむいたものではないか。

 三 露堤締切りにからむ疑惑について

 1 信濃川河川敷の露堤を連続堤に変更した昭和四十三年七月の決定とその経過については、もつとも大きな疑惑が提起されてきたところである。十一月十七日に長岡工事事務所の忠田稔副所長、十一月十八日に北陸地建の近藤静夫河川部長は、日本共産党調査団にたいし、四十三年七月に連続堤への変更が決定し、四十三年度に延長工事が開始された以上、前年の四十二年六月項までに長岡工事事務所から北陸地建にそのための概算要求が出され、建設省に提出されていたと思うとのべた。したがつて当然、変更のための技術的検討は、少くとも昭和四十二年当初頃から開始されていたであろうと認めた。だとすると、昭和四十一年十月二十日の「本堤にする意思はない」との橋本建設大臣の答弁の直後に、大臣答弁に反する締切り計画の技術的検討が現地ではじめられたことになる。この経過は、これまでの政府答弁をくつがえすものであり、変更経過について新たな疑惑を深めたものと思うがどうか。経過を明らかにしていただきたい。

 2 長岡工事事務所、北陸地建での調査では、行政管理庁の行政監察で問題となつた「原議」および「伺い文」の紛失は、ほとんどありえないことが明らかとなつた。昭和五十一年六月三日の衆院予算委員会小委員会に提出された報告書のなかで、建設省は、文書紛失の理由について、「計画書の頻繁な使用によりおもて紙が脱落したこと及びおもて紙の部分を別綴にし、その別綴が紛失したことによるものと推定され、故意に毀棄したものとは考えられない」という見解をのべている。しかし、現地での証言によれば、おもて紙は、頻繁な使用にたえる厚紙の表紙をつけて綴じ込まれており、破れた場合には裏打ちするほど重視されていること、おもて紙だけを別綴することはありえないということである。建設省の弁明は、根拠がないが、どのような根拠で、あのように推定したのか。

 四 予算委員会小委員会の結論について

 十一月二日の参議院決算委員会、及び十一月二十五日の参議院建設委員会で、建設大臣及び河川局長は、信濃川河川敷問題をめぐる行政管理庁と建設省の見解不一致問題にかんする衆院予算委員会小委員会の審議について、「建設省としては結論が出たと考えている」旨の答弁があつた。しかし、衆院予算委員会にもうけられた小委員会について、一省庁が結論をくだす権限をもつていないことは、三権分立の原則からも、あまりにも当然のことである。しかも、昭和五十一年十一月二日衆院予算委員会において白濱仁吉委員長はつぎのように報告している。

 「この際、御報告をいたします。信濃川河川敷問題につきましては、前国会において小委員会を開き、調査をいたしました。さらに今国会においては、理事会でその取り扱いについて協議いたしたのでありますが、結論を得るに至りませんでした。」国会として結論が出ていないことは、委員長報告によつて明白なことであり、建設省の答弁は、憲法によつて「国権の最高機関」と定められた国会の権限を無視した、重大な越権行為であると思うがどうか。

  右質問する。

(私論.私見)
 上耕は一体何が云いたいのだろうか。「信濃川河川敷問題」のどこに問題があるのかにつき、重箱の隅をつつくような議論ではなしに、堂々と所論を述べる必要があるのではないのか。

 2005.8.13日 れんだいこ拝
 1977.12.9日付け内閣総理大臣・福田赳夫による「参議院議員上田耕一郎君提出信濃川河川敷問題に関する質問に対する答弁書 」がサイト検索できる。これを転載し、れんだいこが日共の論点に批判を加えることにする。

 第八十二回国会答弁書第一九号内閣参質八二第一九号 昭和五十二年十二月九日
 参議院議長 安  井   謙 殿
 参議院議員上田耕一郎君提出信濃川河川敷問題に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。


 一について

 1 長岡市からは昭和五十二年十一月二十九日付け文書で、新潟県からは同年十二月二日付け文書で、それぞれ回答があつた。
 2 長岡市と室町産業株式会社が締結した覚書により、廃川の対象となる土地のおおむね二分の一については長岡市が利用し、室町産業株式会社が利用することとされている残りの土地についても、公益性の強いものを主体に計画し、この利用計画の決定に当たつては、事前に長岡市長の同意を得ることとされている。また、市長がこの同意をしようとするときは、あらかじめ建設省が協議を受けることとしている。したがつて、適正な土地の利用が図られるものと考えている。
 3 現在のところ、建設省の行政財産としてこの土地を利用する計画はない。

 二について

 1及び2 長岡市長より提出された利用計画書に係る利用計画は、長岡市として作成した利用計画であると考えている。
 3 建設大臣の決裁は、昭和五十二年十月二十二日に開かれる町内会長会議の結果をも確認の、上官報告示の手続を取るということで行われたものである。

 三について

 1 現地において、当時、連続堤への計画変更に関する議論がどの程度行われたか確認できないが、計画変更は、昭和四十三年七月に行つたものである。
 2 おもて紙紛失の理由は、建設省及び行政管理庁の統一見解並びに国会における政府答弁において既に説明されているとおりである。
 なお、現地の説明は、おもて紙紛失を契機とし、その後文書の管理の適正化に関し講じられた所要の措置に基づき現在行われている文書管理の方法について言及したものと思われる。

 四について

 昭和五十年十月二十九日の衆議院予算委員会において、三木内閣総理大臣は、小委員会で論議を願い、それが済むまでの間は処分はいたさせない旨の答弁をした。衆議院予算委員会には、第七十六回国会及び第七十七回国会において、予算審議とその執行に関する調査小委員会が設置され、昭和五十一年六月三日には同小委員会が開かれ論議がなされたが、その後同小委員会は、今日まで設置されていない。今回の建設大臣の発言は、このような経緯の上に立つたものである。





(私論.私見)