れんだいこの角栄金権考課評

 更新日/2020(平成31→5.1栄和元/栄和2).10.19日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 角栄は、専ら立花隆−日共流の金権批判攻めで、その政治活動の稀有なまでの功績までもがタライと共に流され全否定された。角栄批判者は、角栄が言ってもいない「政治は力なり。力は数なり。数は金なり」なる言を歪曲造語し「諸悪の元凶角栄論」を幻像化させ批判のボルテージを挙げている。れんだいこが、ここで反論しておく。

 角栄の「政治は力なり。力は数なり」は、いわゆる民主主義政治が多数決に基づく制度であることをことを見据えた言辞であり、何ら批判されるには及ばない。これを批判するとするなら、君主政治、貴族政治、官僚政治の側に立たない限りできまい。戦後民主主義擁護の側に立ちながら、角栄の「政治は力なり。力は数なり」を批判する芸当はヌエものでしかない。

 れんだいこは、角栄が、「数は金なり」と言ったという話が信じられない。悪質な造語であろう。批判派の話法がこういう悪質論法に拠っていることを知る必要がある。

 2008.5.15日再編集、2009.9.19日再編集 れんだいこ拝


Re::れんだいこのカンテラ時評677 れんだいこ 2010/02/26
 【角栄の「政治は力なり。力は数なり」論考】

 角栄の「政治は力なり。力は数なり」論が今も歪められて流布している。最近もどこの週刊誌か忘れたが、「政治は数、数は力、力はカネ」なる角栄式政治論批判を目にした。ポストか現代か新潮か文春のどれかの記事だったと思う。記者のお粗末さが分かる。書いている本人はそのように理解しているのだろうが、角栄のその種の発言は寡聞である。れんだいこは、角栄が、「数は金なり」と言ったという話が信じられない。悪質な歪曲造語であろう。批判派の話法がこういう悪質論法に拠っていることを知る必要がある。

 角栄は「政治は力なり。力は数なり」とは言ったと思う。しかし、「政治は力なり。力は数なり」と「政治は数、数は力、力はカネなり」とは意味が大きく違う。こういう歪曲批判は為にするもので、為にする者の人格識見が疑われよう。角栄批判者は、角栄が言ってもいない言を捏造し「諸悪の元凶角栄論」を幻像化させ批判のボルテージを挙げた。れんだいこが、ここで反論しておく。

 角栄政治は専らこうした立花隆−日共流の針小棒大ないしは歪曲批判攻めで、その政治活動の稀有なまでの功績までもがタライと共に流され全否定された。裏金に勤しむ検察、その検察が小沢の裏金を突く国策捜査が不起訴に終わった今こそ、ロッキード事件で嵌められた角栄を歴史的に救済せねばなるまい。のみならず、角栄以降の政治の貧困を思う時、角栄政治を再検証し、好評価すべきところは復権させねばなるまい。角栄政治の見直しこそ、日本政治のカンテラとなるのではなかろうか。

 もとへ。角栄の「政治は力なり。力は数なり」は、これは一種の思想哲学である。いわゆる民主主義政治が多数決に基づく制度であることをことを見据えた言辞であり、何ら批判されるには及ばない。もしこれを批判するとするなら、君主政治、貴族政治、官僚政治の側に立たない限りできまい。戦後民主主義のシステムは、三権分立制の上で立法権の裁量を高め、立法権を普通選挙で選出される代議員制に委ね、国会を最高の権力機関とした。これによれば、国会は審議、立法の場であり、異論、異端、分派、野党が堂々と認められつつも最終的には、多数決民主主義の下に政権与党が政府を構成し、責任政治を担うことになる。

 してみれば、角栄の「政治は力なり。力は数なり」は、戦後民主主義の何たるかを根底で捉えた見事な表現であろう。この当たり前の見地に対し、戦後民主主義を擁護するかの如くの言辞を弄しながら、角栄の「政治は力なり。力は数なり」を批判する芸当はヌエものでしかない。もっとも、そのままでは批判できないから、こういう手合いは、批判の前に小細工を弄する。言を捻じ曲げ批判し易いように改竄してから叩く。こういう連中が殊のほか著作権に煩い習性がある。れんだいこが告げておく。チョサクチョサク云う前に性根を直せ。論の技こそ磨け。変則技ばかり覚えずに正々堂々と論には論で挑め。

 角栄の金権問題で、一言しておく。角栄式金権が案外と清廉潔白的なものであったことが知られているだろうか。案外知られていない逸話を伝えておく。角栄は大臣になっても、各省に割り当てられていた交際費(大臣機密費)にビタ一文手をつけなかった。交際費(大臣機密費)とは、省庁ごとに予算金額は違うものの数千万円から億単位くらいまで予算化されており、各省庁の大臣、長官の自由裁量に任されている。官僚が新任大臣の評価の尺度の一つにこの大臣機密費のお手並み拝見があると云われているもので、歴代の大臣、長官の中には公私混同して顰蹙を買った者も少なくない。角栄は、「君達に任せるから、必要があったらこの中でやってくれ」と見向きもしていない(小林吉弥「田中角栄経済学」参照)。

 こういう面での角栄の実像を知りたければ、以下のサイトを読むべし。

 角栄論
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/)
 田中角栄の思想と政治姿勢、資金源、人脈考
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico/sisosiseico.htm)
 田中角栄と金権政治問題
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico/kinkenmondaico.htm)

 2010.02.26日 れんだいこ拝
 毎日新聞論説委員・岸井成格の「政界疾風録」の小沢秘書逮捕と見るに堪えない政局」を転載しておく。毎日新聞論説委員ともあろうものが、「田中角栄以来の『「政治は力だ、力は数だ、数は金だ』という異常な権力と数と金に対する執念」と記している。見識を疑うべきだろう。文意全体は「岸井私見」と見立てれば大過ないのであるが、「政治は力だ、力は数だ、数は金だ」なる謬言だけは許し難い。問題は、少し考えれば謬言を鵜呑みにしている論説委員の肩書を持つ者の粗脳にある。そういう粗脳の見立てが「岸井私見」であると云う風になっている。現代ジャーナリズム能力の劣質が見て取れるだろう。

 「政治は力だ、力は数だ、数は金だ」の文例を確認しておく。

 安倍、福田と総理大臣が2代続けて政権を投げ出して、その後総選挙が近づいているので「勝てる顔」ということで与党自民党が麻生総理を選んで半年。その時期に未曽有の世界経済・金融危機が起き、麻生は何度か解散総選挙に踏み切りたいとも考えたが、結局やりきれずに経済状況を理由に総選挙を先送りにしてきた。その間、内閣支持率はどんどんと落ち、とうとう一ケタ台目前までいった。麻生内閣は国民からすれば不信任を受けているような状態で、崖っぷちというよりむしろレームダックに陥ったようなものだった。麻生の発言に端を発した言葉の問題、漢字の誤読といった問題もあったが、基本的には定額給付金でも中川昭一財務大臣のローマでの酩酊会見後の二転三転の辞任劇でも、言ったことがぶれ続けた。ひとことで言えばこういった「迷走」を続けたことで、国民有権者の信頼を失った。与党自民党内からは麻生では選挙が戦えないという悲鳴が上がり、予算成立を期に麻生降ろしが始まる状況だった。それに対して総理やその周辺はどう対抗しようかと策を練り始めていた。

 そこへ野党第一党の小沢民主党代表の秘書が、政治資金規正法の違反、虚偽記載でいきなり逮捕された。当然何でこの時期にという訝る声が上がり、疑問も噴出。なかには「国策捜査」じゃないか、政権交代目前での交代阻止、小沢総理阻止という判断が検察に働いたのではないか、あるいはもっと露骨に政権与党の暗黙の指示があったのではないかと色んな憶測を呼び、ただでさえ混迷していた政局はさらに混迷し、先が見えない状況になった。これについては新聞各社の社会部長なども社説や論説で書いているように、恐らく捜査陣がそういう政治的意図をもって捜査をやったということはまず考えられない。だが昔と比べて政局にどういった影響を与えるのかという判断力は鈍っていた可能性はある。だからあまりの反響の大きさと「国策捜査」と言われたことに検察側はびっくりしたのではないかと思う。

 今回の逮捕だが、素直に受け取ればこういうことだろう。最初の逮捕容疑の2100万円、立件はそれに岩手県第4区総支部への献金も加えた総額3500万円になったが、その内の約1100万円が3月末で時効になるはずだった。捜査側からすれば、ずっと積み重ねてきた公判維持のための証拠固め、証人・証言が時効になるといった問題があり、どうしてもタイミングを逃すわけにはいかなかったということもあるのだろう。気になるのは、なぜこの時期にやったのかを問われた検察サイドが、しきりに「看過し得ない重大悪質な事案」と言っていることで、ここに小沢サイドとの認識の違いがズレがある。今までの政界ではこういった政治資規正法上の間違い、例え虚偽記載にしろ、金額から言っても強制捜査でいきなり逮捕というのは、まず考えられないことだったからである。

 このことについて一点重要なのが、小沢は政界でも知られ、かつての検察や政治資金規正法を担当していた元自治省(現・総務省)もみんな口を揃えて言うのが、小沢は政治と金の法律に関してはプロ中のプロで、政界に右に出るものはいないということだ。実際に小沢周辺からは何でそんなに臆病なくらい慎重なんだという声が聞こえるほどその処理の仕方、報告の仕方というのは極めて着実にやっているように見られていた。それをなぜ今回、強制捜査したかというところに、捜査の焦点が見えてくる。

 検察サイドの言う「重大悪質な事案」というのは、小沢が自信を持てば持つほど、それだけ法律の裏までに通じている人が、なんと言うやり方をするんだ、違法なことは分かっているんでしょう、分かっていてそれを知らなかったような顔をして、こういうシステムを作ったんでしょうということだろう。そしてこれを許せば、政治資金規正法上、個人に対する企業・団体献金をいくら禁止したって意味が無いから、検察としてはこれを見逃すわけにはいかないという意図なのだろう。これは推測だが、今回の事案でここまでやる、それも公判でやるということは、これ以外になかなか考えにくい。

 10年ほど前、『大転換』という本に「私の小沢一郎論」という欄をわざわざ設けて書いたことがある。これまで小沢という政治家は政治改革の先頭に立って、新しい保守政治の旗手と言えるような理念政策を打ち出し、時代を引っかき回してきた。同時に、私から見ていると言うこととやることが乖離していて、やることは旧態依然そのまま、お金の集め方でも、人の動かし方でも、田中角栄以来の「政治は力だ、力は数だ、数は金だ」という異常な権力と数と金に対する執念がある。これが新しい政治改革の先頭に立つ男でありながら、そういう古いものを引きずっている小沢の二重性である。

 この二重性を転換期への過渡期の政治家の性格と見るか、やっぱり基本的に古い政治家だったのかと見るかで、政治改革の中身、小選挙区制の問題も政治資金規正法の問題も解釈が違ってくる。つまり小沢を旧態依然の権力者と見るか、全く新しい知恵を切り開く改革者と見るかが、ここで別れるのだろうし、これは既に10年前からそうだった。

 捜査当局というのは、新しい政治や何か新しい段階において、お金の問題ではいつも「武器」を作りたがる。その武器というのは「法律」であり、その武器が「ザル法」と言われることに、そろそろ我慢できなくなってきた。だから「ザルじゃなくしますよ、ザルだと思って甘くやっていたらだめですよ」という宣言をしたのである。そして、そのターゲットに小沢が選ばれた。これはまさに田中角栄、竹下登、金丸信とずっと続いてきた小沢と検察との「宿命の対決」でもある。お互いにやるならやってこいということがあるのだろう。

 だが、その理屈で小沢自身が戦うことはいいが、党を巻き込んでとなるとそうはいかない。民主党として党をあげて戦うのは無理があるからだ。もし政党として戦うというのであれば、本当に今回の捜査は「国策捜査」で、日本の民主主義が損なわれるうというぐらい、とことん戦う腹がなければ、絶対に戦えない。にもかかわらず、民主党は小沢の続投要請として、常任幹事会でも役員会でも一度了承した。つまり民主党は党方針として、いくら不満やくすぶりがあっても、続投を容認してしまったということになる。これをひっくり返してもう一度やるという大義名分はなかなか見つからないだろう。だからこそ選挙全体、政局全体を考えて、小沢代表本人が決断するべきで、私は「早ければ今すぐにでも」と先週27日朝のテレビ番組でも言ったが、検察が「重大悪質な事案」として公判で明らかにしていく、証拠は固めていくという裁判を抱えた人が、果たして総理大臣になれるのかということになる。

 小選挙区制における選挙というのは事実上、総理大臣の直接公選制みたいなもので、いわば二大政党の党首同士で総理を争う選挙である。その選挙を争うのに、公判のたびに、常に毎回毎回言い訳をしなければいけないような人が党首では戦えない。だから、単純に立候補者や民主党が戦いにくいというだけじゃなく、すでにそこまで状況は非常に厳しい。今度の場合は検察どうこうというより、政界で図抜けた集金力を持つと言われた政治家が墓穴を掘った自滅だろう。政治と金を甘く見ていた。昔からある諺で「権力者はその得意技で倒れる」というのがある。得意技というのは自信があるから隙ができ、ついついワキが甘くなることを意味する言葉である。

 今後の政局だが、今回の小沢問題で与党自民党内の麻生降ろしが止まってしまった。ほとんどの議員の内心は変えたいのだろうが、なかなか誰に変えるか後がいないという逡巡戸惑いがあったにしろ、小沢の敵失でそれもできなくなった。その麻生政権も、今後は大型補正予算を「切れ目なく、途切れなく」と言っているから、一次補正だけでなく、恐らく二次補正、三次補正とやってくるだろう。そして7月のサミットとその直後には都議選もある。公明党もこれまでは早期解散をと言っていたのに、逆にここまで来たら補正が先だ、都議選後にしてくれというふうに変わってきている。麻生総理は周辺には選挙は、「任期ぎりぎりだよ」と言っているが、これも変な開き直りだ。まさに転換期から10年経って、ますます混迷を深めて酷くなった日本の政治。国民だけの問題だけでなく、国際的な問題としても国益を著しく阻害している。お互いの党首が敵失待ちで、こんな奇妙でふざけた政局はみっともない。


 2010.12.7日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評884 れんだいこ 2011/01/10
 【角栄が言ってもない「力はカネ論」のウソ云い士の舌を抜け】

 「れんだいこのカンテラ時評677、角栄の『政治は力なり。力は数なり』論考」を書き換える。と云うのも、今日2011.1.10日午前8時からの朝日テレビ「スーパーモーニング」で、「右肩上がり昭和の象徴田中角栄元総理なら今」が放映され、気になったことを書きつけてみたいからである。

 電波が公正な視点から角栄を採り上げるのは断然良い。これまで余りにも偏って批判し過ぎてきたので罪滅ぼしの意味もあろう。そういう意味で、タイトル名の「右肩上がり昭和の象徴田中角栄元総理なら今」と云う問いかけは良い。

 その昔なら「諸悪の元凶、金権帝王角栄」式の罵詈雑言で編集されていたであろう。しかしながら、その後の日本が没落し痩せこけた今、角栄ありせばこうはならなかったであろう式の問いかけは十分意味があると思う。ロッキード事件後の日本は、重箱の隅のような正義を掲げるうちに虎の子の本体を傷めてしまった。今ならまだ間に合う。重箱正義のウソを衝き、堂々たる大人の政治論で巻き返さねばならない。以下、れんだいこのカンテラ時評677を書き換える。今も十分通用すると思う。

 角栄の「政治は力なり。力は数なり」論が今も歪められて流布している。最近もどこの週刊誌か忘れたが、「政治は数、数は力、力はカネ」なる角栄式政治論批判を目にした。ポストか現代か新潮か文春のどれかの記事だったと思う。今日も「スーパーモーニング」で、このウソが大きくテロップで映し出されていた。

 その意味するところは、「政治は力だ、力は数だ、数は金だ」という角栄以来の異常な権力と数と金に対する執念云々と云う口ぶりになる。記者、編集者のお粗末さが分かる。当人はそのように理解しているのだろうが、角栄のその種の発言は寡聞である。れんだいこは、角栄が、後段の「数は金なり」と言ったという話が信じられない。悪質な歪曲造語であろう。批判派の話法がこういう悪質論法によっていることを知る必要がある。

 角栄は「政治は力なり。力は数なり」とは言ったと思う。しかし、「政治は力なり。力は数なり」に「力はカネなり」を付け加えると意味が大きく違うことになる。こういう歪曲批判は為にするもので人格識見が疑われよう。角栄批判者は、角栄が言ってもいない言を捏造し「諸悪の元凶角栄論」を幻像化させ批判のボルテージを挙げた。れんだいこが、ここで反論しておく。

 角栄政治は専らこうした立花隆−日共流の針小棒大ないしは歪曲批判攻めで、その政治活動の稀有なまでの功績までもがタライごと流され全否定された。裏金に勤しむ検察、その検察が小沢の裏金を突く国策捜査の不正義は不起訴に終わった。しかし検察審査会なるものが登場し、小沢どん潰しに余念がない。その始発がロッキード事件である故に今こそ、事件に嵌められた角栄を歴史的に救済せねばなるまい。のみならず、角栄以降の政治の貧困を思う時、角栄政治を再検証し、好評価すべきところは復権させねばなるまい。角栄政治の見直しこそ、日本政治のカンテラとなるのではなかろうか。

 そう云えば、「スーパーモーニング」は角栄著作の日本列島改造論を採り上げていた。その内容の説明たるやお粗末なものであったが採り上げぬよりは断然良い。れんだいこに云わせれば、日本列島改造論は日本政治のバイブルである。これに基づけば世の中が活性化し、人民大衆が政治の恩恵を受け、逆は逆になる。

 ロッキード事件後の日本は、そういう角栄政治を葬り、代わりに中曽根政治を敷いた。お陰で日本の国富は国際金融資本に吸い上げられてしまった。当然の如く日本は衰微した。興味深いことは、日本は角栄政治を捨てたが、韓国、中国が代わりに角栄式列島改造論を学び、即ち公共事業型開発を重視し目覚ましい発展を遂げている。本家が捨てたものを隣家が拾うと云う形になっている。

 公共事業敵視派の為に付言しておけば、角栄が手掛けた公共事業は殆どすべてお国に役立つものばかりであった。角栄はそれほど大義名分、目的性を重視していた。ミニ角栄になるとこの見識が弱くなり、ニセ角栄となると利権のみに執着し、反角栄派の公共事業となると不必要事業ばかりに精出すことになる。同じ公共事業でも、内実がこれほど違うと云うことが確認されなければならない。だから政治家は何より目利きでなければならない。ましてやシオニスタンではどうにもならない。こう立論するべきところ、日共は率先して公共事業不要論を唱え、これに小泉派が合体し、遂に年次式全国総合開発が終了され今日に至っている。日共は社会保障事業を名分、シオニスタンは軍事防衛を名分にし、共々で社会資本整備開発型公共事業を解体してしまって今日に至っている。これではレースにならない。

 もとへ。角栄の「政治は力なり。力は数なり」は、これは一種の思想哲学である。いわゆる民主主義政治が多数決に基づく制度であることをことを見据えた言辞であり、何ら批判されるには及ばない。もしこれを批判するとするなら、君主政治、貴族政治、官僚政治の側に立たない限りできまい。戦後民主主義のシステムは、三権分立制の上で立法権の裁量を高め、立法権を普通選挙で選出される代議員制に委ね、国会を最高の権力機関とした。これによれば、国会は審議、立法の場であり、異論、異端、分派、野党がそれぞれ堂々と認められつつも最終的には、多数決民主主義の下に政権与党が政府を構成し、責任政治を担うことになる。

 してみれば、角栄の「政治は力なり。力は数なり」は、戦後民主主義の何たるかを根底で捉えた見事な表現であろう。この当たり前の見地に対し、戦後民主主義を擁護するかの如くの言辞を弄しながら、角栄の「政治は力なり。力は数なり」を批判する芸当はヌエものでしかない。

 もっとも、そのままでは批判できないから、こういう手合いは、批判の前に小細工を弄する。言を捻じ曲げ批判し易いように改竄してから叩く。これが、角栄が云ってもない「力はカネ」なる造語の秘密である。こういう連中が殊のほか著作権に煩い習性がある。れんだいこが告げておく。チョサクチョサク云う性根を直せ。論の技こそ磨け。変則技ばかり覚えずに正々堂々と論には論で挑め。

 角栄の金権問題で、一言しておく。角栄式金権が案外と清廉潔白なものであったことが知られているだろうか。案外知られていない逸話を伝えておく。角栄は大臣になっても、各省に割り当てられていた交際費(大臣機密費)にビタ一文手をつけなかった。交際費(大臣機密費)とは、省庁ごとに予算金額は違うものの数千万円から億単位くらいまで予算化されており、各省庁の大臣、長官の自由裁量に任されている。官僚が新任大臣の評価の尺度の一つにこの大臣機密費のお手並み拝見があると云われているもので、歴代の大臣、長官の中には公私混同して顰蹙を買った者も少なくない。角栄は、「君達に任せるから、必要があったらこの中でやってくれ」と見向きもしていない(小林吉弥「田中角栄経済学」参照)。

 こういう面での角栄の実像を知りたければ、以下のサイトを読むべし。


 角栄論
 (kakuei/
 田中角栄の思想と政治姿勢、資金源、人脈考
 (kakuei/sisosiseico/sisosiseico.htm
 田中角栄と金権政治問題
 (kakuei/sisosiseico/kinkenmondaico.htm

 2011.1.10日 れんだいこ拝

【金権問題はどう論ぜられるべきか】

 田中角栄といえば、「金権政治の権化」として金権政治家の代名詞とされて、事あるごとに「ロッキードを風化させるな」と今日でも非難されている。果たして、この云いに正当性があるだろうか。これを愚考する。

 金権には、1・選挙資金調達金権、2・政策請負金権、3・派閥経営利権、4・私腹利権の四種から構成されているように思われる。これらの利権調達に.一番関係が深いのは、知る人ぞ知る1・金融、2・軍事防衛、3・原子力、4・医療分野である。いずれも国際金融資本帝国主義ネオシオニズムが元締めで裏で糸を引いている。角栄利権が諸悪の根源にして元凶のように云われているが、この四大金権とは無縁で、むしろキレイ過ぎるほどである。最も関係が深いのは中曽根利権の方である。ここが理解されていない。と云うか理解しようとさえしない。1・金融、2・軍事防衛、3・原子力、4・医療の四大金権を解析せずに角栄式金権のみに拘るのが「金権角栄元祖説」の特徴である。しかし、それを強く言えば云うほど、角栄式金権批判は非実用的なキレイ事の世界、本音と建前の分離の世界、結果的に闇がはびこる世界へどんどんと誘われてしまい、結局機能停止していくことになるのではなかろうか、という視点をれんだいこは持っている。

 れんだいこは、角栄式金権とはそれほどのものではなく、普通選挙式議会制度にまといついている合理性の有る「負の面」であり、それを無視して「金権角栄元祖説」を唱え指弾する作法をナンセンスとしたい。山本七平氏も著書「派閥」の中で次のように指摘している。

 「民主主義とはさまざまな意味でコストの高い政治形態である。そしてこの資金入手の明確なルール化はまだ完成したとは云い難い」。
 「政党というものの存在を認めるなら、政党の維持、党勢の拡大、いずれも資金を要することも認めねばならない。新聞を発行し、全国を遊説し、専従員に給料を払う、全て『先だつもの』が必要になる。ではどうすれば良いのか。理想論を云えば政党自身が基金を持ち、これを運用して経常費を支出し、同時に党員は党費を納入し、これを政治運動に用いることであろう。だがこれは現代でも夢のような話かも知れない」。

 角栄の時代、派閥政治が常態であった。これは何も角栄がそうしたのではなく、戦前戦後を通じての人脈、政策の違いが自ずと派閥を生みだすことになり、派閥間の丁々発止の政治力学が罷り通っていた。派閥の長が軍資金を調達し、派閥を養った。当時のマスコミは、その調達能力を派閥の長の政治能力の一つして注目していた。それらが当時の政治の活力の源泉ともなっていた。そういう意味では、角栄が政権取りに当たって田中派を結成した経緯には不当なものは何もない、田中派を膨張させ軍団化させたのは批判されるべきものではなく、その能力を評されるべきではなかろうか。それを後付けで、後の物差し基準で批判するのは失当と云うべきではなかろうか。 

 
後藤田は、立花式「金権角栄元祖説」に対して次のように述べている。
 概要「金権政治というのは、何も田中さんに始まったのではなく、戦後ずっと金権政治だったのです。芦田内閣時代には首相も副首相(西尾末広)も逮捕された昭和電工事件(48年)が起きているし、吉田内閣時代には造船疑獄(54年)があった。検察が狙った本節は佐藤(栄作・幹事長)、池田(勇人・政調会長)だった。金権政治は切れ目無く続き、田中さん以後、僕自身選挙をやっているから分かっているが、かかる費用ははるかに高くなった。金権の密度はどんどん濃くなっている」、「そして後藤田氏は、『中選挙区という選挙制度が悪かったのだ』と付け加えた」(「諸君」2001.12月号・田原総一朗「誰がための『金権』か」)。

 田中派の経営には或る特徴が認められる。それまでの多くの政治家、派閥が財界御用達化ないしは族議員化していたのに対し、田中派はそうした「お抱え」を嫌い、それぞれの経済活動及び政治力を通じて自力調達方式で資金を潤沢にしてきた気配が認められる。その意味では反財界、反族議員であった。ここを評価せねばならない。昔風の井戸塀政治家の系譜にありつつ、但しこれを上手くやることで井戸塀政治家の弊から逃れた。こう捉えねばならないのではなかろうか。国家機構各省の手なづけけが認められるが、これは各派閥ともが競合している訳で、田中派専属と云う訳ではない。それをあたかも田中派単独の利権化の如く描くのはフレームアップではなかろうか。

 しかし、角栄のこの派閥経営能力、政治資金自力調達型の政治手法が金権と呼ばれ批判を浴びることとなった。しかし、この角栄式金権を取り締まり過ぎると、下手をすると議会主義の自殺行為に成りかねないのではなかろうか。れんだいこはそう思う。

 戦後の議員選出制度を愚考する。戦後は、女性にも選挙権が与えられ、男女平等の普通選挙制となった。これにより票の争奪が更に激しくなり、選挙活動に非常な経費を要することになった。戦後の議員選出制度即ち代議員制は、そうした金喰い虫的不備を抱えつつも主権在民を確証する具体的な制度としての「功の面」が強く、であるが故に「戦後民主主義」の重要な構成要素として機能しているのではなかろうかと理解したい。物事にはいいこと尽くめはない。そういう長所と欠陥を併せ持っている制度の仕組みを知るべきではなかろうか。そういう意味で、とかく云われている角栄式金権なぞは、「豈(あに)、角栄一人の問題ならんや」、「政治リアリズムの問題ではなかろうか」。

 どうしても角栄式金権を問うならば、その分析を通じて、普通選挙方式金権の総合的な解析をしておくことが一番肝要ではなかろうか。代議士活動に金がかかる実態の解明と提言、代議士の組織政党人化による党の一元管理の是非、その対極としての自前調達の是非、財界等業界からの資金調達の是非、斡旋報酬受け取りの是非等々が考察されねばならないと考える。

 こういうれんだいこの観方に対して、立花隆は、「田中角栄研究全記録」で、「一国の宰相の座を金で買った男、政治で金を作り、金で政治を動かした男、その腐臭を放つ金脈とカラクリを執念の追及が遂に暴き出した!」とあるように、「唯金論者」としての田中角栄像を浮き立たせようとしている。しかして立花は四大金権を問わない。この御仁の素性は胡散臭いと窺うべきではないか。

 これに関して、角栄自身が次のように弁明している東北帝大出で運輸省鉄道総局電気局長履歴を持つ田中派重鎮の西村栄一代議士との角栄の金権論問答の一節である。
 「あんたは最高学府を出て、役人でも最高ポストまでいった。佐藤だって、池田だって、みんなそうじゃないか。それに比べると、僕には何があるんだ。誇るべきものは何もない。学歴も役職も何もない。僕にとって頼りになるのは、事業、カネがあるだけじゃぁないか。金儲けがなぜ悪いんだ」。

 長らく角栄氏の秘書として一部始終を見届けた山田泰司秘書は次のように弁護している(「宰相 田中角栄の真実」篠田昭、講談社)。
 「田中政治が金権政治だといろいろ云われるが、それは認めざるを得ないでしょうな。確かに罪悪とも思う。しかし田中先生には学閥も門閥もなかった。何もない人が裸一貫から総能力を傾注してのし上がり、総理になった。その間に人と対抗していくために、ある程度の金も必要だ。金がなければそう急には伸びられない。その着想からそうなったわけでね、今健在ならば、これまでやったようなことを繰り返しやる人ではない。金権政治は過程としては現実にあったが、いつまでも続ける人ではなかっただろう。金権政治と云われるものは、その時代としてやむを得ない一つのものであった、と考えざるを得ない」。

 
同じく秘書の早坂氏は次のように言う。
 「田中は間違いなく金権政治家の側面を持っていたが、角栄は拝金主義者ではなく、守銭奴でもなかった。ストックではなくフォローに専念した。公共事業の口利き料や大手建設業者の闇献金、大掛かりな株の売買、土地転がしで得たカネを徹底して散じた」。
 「田中にとってカネは手段であって目的ではなかった。学歴もバックも無い人物が徒手空拳で地の底から這い上がり、政治を動かすために活用した武器である。誤解を恐れずに云えば、戦後社会に相応しい最も民主的な武器だ」(「鈍牛にも角がある」)。

 つまり、いわゆる私腹を肥やすタイプの金権ではなかった、戦後の議会政治に付きまとう必要悪として金権を利用した功罪があると指摘している。

 れんだいこは、田中の金権問題については、そういう「俺には、門閥、閨閥、学閥がない。誰が俺を引き上げてくれるんだ」的「成り上がり」に伴う属人的金権体質と、選挙制度から来る金権化のシステム性を一応区分して理解する必要があると考える。その両方向からアプローチして見たい。

 
但し、はっきりさせておきたいことがある。角栄が金権政治の代名詞のように云われているが、それは使い方において当て嵌まるだけであり、カネの集め方においてはむしろ潔癖であるということが案外知られていない。角栄には金権腐敗の温床である家産、学閥、官僚人脈、庇護財界、閨閥がそもそもない。案外このことが無視されている。金権腐敗というなら、ここにまず注目すべきではないのか。

 角栄は、世に流行りの不要な利権がらみの事業を興し、そこからキックバックさせるようなえげつない手法は採っていない。なぜなら、角栄は弱みを握られるのを恐れた節が有るから。財界からのひも付き献金をも極力避けていた節がある。なぜなら、本質左派の角栄政治遂行の妨げになるから、借りをつくるのを嫌った。労働組合費を自動的に汲み上げ資金源にした訳でもない。万年執行部体制を作り、党員の党費を私的に流用させた訳でもない。

 角栄は、自分の才覚で稼いだカネ即ち自力による資金源開拓を主としていた。時に盟友小佐野ルートからの調達と語彙の正確な意味での政治献金以外に手を染めていない。後援会越山会と政策研究会、その他各種の会を創造し、極力明朗な政治資金パイプを作っている。企業献金については、既成財閥系からの調達に依拠せず、むしろ社会基盤整備型の新興企業を育成し、各種その種の企業、業界からの自主的自律的な政治資金を調達していた風がある。

 これにつき、早坂秘書との次のような問答がある。

 「(早坂秘書が、キレイな金集めは私がするから、小佐野賢治のような汚い金主とは縁を切ってくれと哀願すると、角栄はこう答えた)お前は財界廻りすると云うが、俺は小学校卒だ。他の連中のように、大学の先輩だとか、同僚とか、後輩とか、そういったたくさんの仲間は一人だっていない。(中略)俺はあの財界の野郎どもに這いつくばってゼニを求めることはしない。血のションベンを流してでも、地べたを這いずり回ってでも、必要なカネは俺が用意する」。

 公共事業斡旋に対しても、全て有用な事業をのみ創出しており、その口利き料はダーティーなものではない。もっとも、それを貰うこと自体が金権と云われるなら話が噛みあわないが。「党中央丸抱えの議員、よって縛り当然」の組織論を持つ党派の口にかかっては、何もしないのが一番ということになりかねない。いずれにせよ、強制的なものではなかったという伝えがあり、れんだいこはそれを確信している。

 つまり、逆説的に、「角栄ほど腐敗と無縁な政治家はいなかった」(新野哲也「角栄なら日本をどう変えるか」)ということになる。角栄のこういう面がしっかりと押えられていなければ、真実が見えてこない。

 60年安保闘争時の第一次ブントにしてその後東京大学助教授になっていた西部邁(すすむ)氏は、1983(昭和58).3月号の中央公論に次のような一文を寄稿している。

 「角栄的精神なるものが取沙汰されているが、その本質が金権であるとは私には思われない。むしろ、金権政治を可能にする『角栄的な』ヒストーリエ(噺)の創り方があるのだと考えるべきであろう。それはなにも、貧困とか低学歴の経験を逆手にとって民衆の心をつかむようなやり方を最大限に活用するということではない。また金品の付け届けによって人間関係における情実の作用を最大限に活用するようなやり方をさすものでもない。そのような因習的方法によってぼかされている田中氏の極めて近代的な本質に、つまり近代政治のに於ける決断という要素に注目したいのである」。
 「田中氏は広さの人ではなく深さの人なのであろう。政治的出来事の連鎖を経験の深みの中に引きずり込むのは氏に独特のやり方なのであろう。しかし、エラスムスに対するルターの勝利がよく示しているように、危機としての政治的闘争を生き抜くのに適しているのは、好むと好まざるとにかかわらず、深さの人の方である」。

 氏独特のもってまわった言い方をしているが、角栄の有能さ、むしろ近代的な政治手法を認めている一文であるので紹介しておく。

 2003.12.18日再編修 れんだいこ拝


【立花隆の病的罵詈雑言考】
 立花隆は、「田中角栄新金脈研究」の中で次のように述べていると云う。
 「政治の表面ではいろいろ偉そうなことをいっても、裏にまわるとこういうさもしい金儲けと税金逃れに精を出しているのが、田中角栄という男の実像なのである。田中においては、金儲けと税金逃れはほとんど病気の域に達していて、彼は何を見ても金儲けと結びつけずにはいられないのである」。

 立花は、この手のことは随所で書きなぐっている。
(私論.私見)
 立花が売れっ子の頃のこういう言説を確認しておく。角栄を「金儲けと税金逃れはほとんど病気の域に達していて」と書いているが、「病気の域に達している」のは立花君、君の方ではないかな。

 2011.7.24日 れんだいこ拝

【俗説的角栄の金権ぶり】
 角栄の金権ぶりを象徴する逸話は次の通りである。「田中角栄入門」に次のように記されている。
 角栄は大蔵大臣時代、盆暮れのボーナスのほかに、自分のサインの入った現金入り封筒を幹部職員に配り、役人はこれを「別封」と呼んでいたという。額は百万単位だったそうだが、もちろんこの金を受け取らないと天下り先も世話をしてもらえない。つまり、骨を拾ってもらえない。

 角栄は金を受け取らない人間を自分の敵と見なして決して信用しなかったそうだ。金を受け取った人間は、自分の子分として、天下り先も親身になって世話をする。そして、天下り先を確保するために、特殊法人や公団を次々と作っていく。そのつけが、巨大な財政赤字であり、そして官僚の腐敗となって現在、日本の国を破滅へ導くとしているわけだ。まさに、角栄の恐るべき遺産である。

 角栄は役人を手足のように使って、自分の政策を推し進めた。役人も又、活躍の場を与えられて奮起した。しかし、一方で角栄は金権と利権のシステムで役所を汚染し、日本の官僚組織を堕落させ、骨抜きにしてしまった。

 役人の骨を拾うのは特殊法人への「天下り」だけではない。実は、もっとおいしい天下り先がある。それが、「国会議員」「首長」だ。これは、「天下り」というより、「天上がり」というべきかもしれない。その結果、国会議員や首長の少なからぬ部分が、官僚OBで占められることになった。
(私論.私見)

 「現金入り封筒を幹部職員に配る」という流布されているこの話はどこまで真実なのだろうか。大蔵大臣時代のある年に限ってのことなのか、大蔵大臣時代通期にわたって存在していたのか、他の大臣時代にはどうであったのかの詮索が為されていない。「額は百万単位だったそう」というのもイカガワシイ書き方である。百万単位と云えば百万円から数百万円であり、「そう」と記すのも卑怯な書き方である。幹部職員に斉しく配ったとの伝であるが幹部職員とは一体何名、何十名、何百名規模になるのだろうか。これらを詮議せぬまま「角栄の金権ぶりを象徴する逸話」を流布させるのは如何なものだろうか。


 立花隆・氏は、「田中真紀子研究」の中で次のように記している。
 「かって参院は、知性と良識の府だといわれていたのですが、ある時期から、知性と良識とはほとんど無縁の巨大労働組合、巨大宗教、巨大職業団体(医師、薬剤師など)、巨大利益擁護団体(軍恩連、遺族会など)など、巨大団体のオンパレードのようになり、その中でも、国内最大組織である日本国の官僚組織代表がグループとしては最大の議席を持ち、戦前の貴族院に官僚OBがぞろぞろ並んでいたことを彷彿させるような状態になってしまったのも、角栄全盛時代にはじまっているのです」。

 「田中角栄入門」は、次のように補足している。
 建設省、農水省、自治省、運輸省、大蔵省、郵政省、警察庁がいずれも参議院に4人以上の議員を出している。厚生省や防衛庁などの他の省も複数の議員をだしている。田中角栄は自分になびく官僚を各省庁の族議員として、次々と国会に送った。そしてとうとう日本の政治を壟断し、今日の「政・官・業」の癒着した、どうにもならない利権と腐敗の状況をつくりだした。

 こうした金権と利権の体質の中で、戦後の日本は発展した。田中角栄の「だれをも幸せにするシステム」は右肩上がりの経済成長を生み出し、米国でさえうらやむような平和で豊かな魔法の世界を作り上げた。しかし、その幻想はいまや崩れ、バブルとなって弾けた。

 そして現在日本を破滅の瀬戸際に追いつめている700兆になろうとする巨大な財政赤字が残され、すさまじい勢いで増殖しつつある。その温床となっているのが、角栄の築き上げた金権と利権の社会システムである。これを打破し、金権と利権によらずに、「人々が幸せになるシステム」を築くことが、ほんとうの政治改革である。
(私論.私見)
 「角栄諸悪の元凶説」躍如とした記述であるが如何なものであろうか。ましてや、巨大な財政赤字の元凶まで背負わされるとは。論者は史実を正確に伝えているだろうか。れんだいこの研究によれば、凡てウソである。

【太田龍・氏の見解考】
 太田龍・氏は、著書「ユダヤ世界帝国の日本侵攻戦略」の中で次のように記している。
 「吉田茂以後の保守本流の政治資金は、いわゆる財界主流から流れてきた。そして、それは入り口も出口も、ユダヤの在日スパイ網がしっかり把握(承認も)している。田中角栄が日本民族の独立を志向したとき、その政治資金は、ユダヤ(アメリカ)公認のものであるはずがないではないか。角栄金脈と云われる集金術は、実は、ユダヤに従属し、迎合する財界主流からの資金的独立の為の絶対不可欠の方法だったのではなかろうか。彼はカネを必要とした。それは日本民族の真の政治的独立のために、何としても必要だったのだ。そのために彼は、数え切れないほど危ない橋を渡り、あえて泥を被った」。
 「いつとはなしに、こうした“におい”にひかれて、角栄の周りに戦前・戦時中の国粋派、尊皇派、民族派、反米英派の生き残りの人脈が集まってきたのかも知れない」。

【角栄金権の裏意味考】
 角栄式金権には裏意味があることが分かった。これを確認しておく。

 カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記
氏の「CIAに飼われていた岸信介・自民党」は、戦後日本政治に於けるCIA資金をはじめとするネオシオニズムの秘密資金の暗躍に触れている。春名幹男の「秘密のファイル―CIAの対日工作」(共同通信社、2000年)、古川利明「日本の裏金 (上)首相官邸・外務省編」(第三書館、2007.2.10日初版がCIAによる自民党への資金工作の様子を克明に明らかにしている。その例証として、次のような史実を挙げている。アメリカ(=CIA)による日本の政権中枢に対する工作のターゲットは、一貫して岸信介だった。それは「岸信介個人」へ直接渡すもので百万ドル単位のものだった。旧自由党系の吉田茂は必ずしも占領政策に従順ではなかったので、GHQ内で情報工作を担当するG2からも「吉田はナマイキだ」ということになり、吉田に対する牽制の意味もあって「アメリカの言うことをよく聞く岸」にテコ入れしていった。 アリゾナ大学教授のマイケル・シェーラー(米国務省公文書解禁審査会委員を務め、秘密文書の公開基準を作成する作業を通じて、そうした文書を閲覧している)は、2004.8.14日のフジテレビ番組「妖怪 岸信介」で次のように述べている。
 「岸は一九五三年から五五年にかけて頻繁に訪米し、米国政府関係者に日本政府の内部資料について、レポートを渡していたようだ。その見返りとして一九五五年ごろから、米国政府は岸に資金提供するようになった」。

 1955年から58年までCIAの極東活動の責任者だったアルフレッド・ウルマー二世は、CIAが自民党を支援するとともに同党内の情報提供者を雇うために資金を利用していたことを明かした。1958.7.29日、当時のマッカーサー二世・駐日大使は国務省に対し、岸内閣の佐藤栄作蔵相が米大使館に国政選挙に向けた資金援助を要請してきたことを伝えるメモを送った。CIAによる秘密資金援助は70年代初めに終わった。日本の経済力が強化されたことによる。これにより、CIAはその後、伝統的なスパイ活動をして行くことになった云々。

 ということは、角栄式金権は、CIAの対日工作資金の世話にならない形で調達された自己資金であったということになる。金権そのものが悪いとする評論は置いとくとして、してみれば自主独立型金権と云う新たな様相が浮かび上がることになる。




(私論.私見)