民主主義とは、歴史上の政治とカネ問題考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和元/栄和4).4.22日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 民主主義をどのような角度から観るかでいろんな論が生まれる。それはそれで構わないが、れんだいこ見解は次のようなものである。まず、概念的な意味での規定が必要であろう。次に、構造的な区別をして捉え、順次個別課題の分析と検証により全体像を生み出すべきであろう。次に、手続き的な構成要件を見るべきであろう。以上、三部作から論を構築したい。


【小室直樹著「田中角栄の遺言」の卓見考】
 小室直樹著「田中角栄の遺言」に次のようなデモクラシーの考察がされている。その1・「優曇華の花論」で次のように述べている。
 概要「デモクラシー(democracy・民本主義)は、『3000年に一度咲くと云われる優曇華(うどんげ)の花のように珍しい』という認識が肝要だ。優曇華とは仏典に記された伝説の花で、この花は3000年に一度しか咲かず、咲いた時には、転輪聖王が世に現れ、正法によって世を治める理想の政治が行われると云われている。デモクラシーはなお且つ『非常にか弱いもので、常に内に崩壊の危険を宿している守り育てていかねば維持されないものである』。アメリカンデモクラシーは、大統領の三選不許可等そのための様々な工夫を凝らしている。もう一つ、デモクラシーにはベラボウに金がかかる。逆にいえば、まことに貴重なものだから、膨大な金をかけても守るに値する政治制度としてデモクラシーを位置付けている。これを思えば、日本人的感覚の金権政治批判は、デモクラシーの何たるかを承知していない議論でしかない。デモクラシーの本質に無知無理解であることを証左している」。
(私論.私見)
 実にその通りではなかろうか。

 その2・「対極手法比較論」で次のように述べている。
 概要「デモクラシーの対極に君主政治、軍人政治、官僚政治、全体主義等々がある」。
(私論.私見)
 なるほどの話であり、金権政治を拒否するなら君主政治、軍人政治、官僚政治、全体主義のどれかを選ばねばならないことになる。

 その3・「議会政治論」で次のように述べている。
 概要「議会における討論を通じて国策が決定され、議会によって法律が作られる、これが近代デモクラシーが生息し得る必要条件である。つまり、自由な討論による議会政治の運用と議会を通じての立法こそデモクラシーののエッセンスである。その意味で、田中角栄の雄弁と数々の議員立法は、これぞ立憲政治、デモクラシーの象徴であった。『田中角栄こそが、日本で唯一人のデモクラシー政治家であった』という栄誉が与えられる根拠がここにある。角栄の議員活動に一貫しているものとして、この立法府たる議会の機能を高めようとしている姿勢がある。この意味においても、『角栄は、根本的な意味において、現代政治の原点である』。

 今日の官僚作成答弁書の棒読み、質疑まで官僚の原稿通りはその対極にある。今や、原作、シナリオ、演出から伴奏に至るまで、オール官僚作である。これを思えば、議会における討論・弁論機能は、むしろ戦前の大日本帝国議会の方こそ一定貫徹していた。尾崎行雄の第三次桂内閣弾劾演説、犬飼毅、永井柳太郎の原敬内閣震撼演説、浜田国松代議士の広田内閣『腹切り問答』、斎藤隆夫代議士の反軍演説。これらはいずれも、代議士が全身全霊を打ち込んで議会演説をしたいた好例である。格調は高く、内容が濃い」。  
(私論.私見)
 そういうことになる。

 その4・「リベラリズムとの結合論」で次のように述べている。

 概要「自由主義(liberalism)とデモクラシー(democracy・民本主義)とは元来別個の概念である。現在欧米先進国において支配的であるのが両者を兼ねたものであり、リベラル・デモクラシー(liberary democracy)である。つまり、近代デモクラシーは、リベラリズム(自由主義)と手を携えて発達してきたことを証左している」。
(私論.私見)

 そういうことになる。

 その5・「歴史由来論」で次のように述べている。

 概要「発祥は英国がその栄誉にあずかっている。1640年〜60年にかけてのクロムウェル率いる清教徒革命が英国における自由主義の事始めとなった。それまでの絶対的な王権が議会を通さなければ新たな課税ができないことになった。1688年の名誉革命は議会が王を取り替えることになった。この流れで王制に対する議会が鍛えられ、憲法が発布され、選挙法が整備されていった。近代デモクラシーの発達である。その後のピール首相とディズレーリとの論争は、選挙公約が内閣の死命に値することを明確にさせた等々。

 この経過から言えることは、「自由主義とは、政治権力から国民の権利を守ること」であり、「民主主義とは、政治権力に国民が参加すること」ということになる。この政治思想は、立法・行政・司法の三権分立により互いの牽制でバランスを取るという、「三権チェックス・アンド・バランス」の統治メカニズムを生み出していった。モンテスキューが「法の精神」においてこれを定式化させた。それぞれ独立機関として立法は国会で、行政を内閣に、司法を裁判所に最終最高権限を持たすことにより「チェックス・アンド・バランシスズ」を働かせ、より良好な統治システム化させようとするところに近代デモクラシーの理念的極意がある。

 英国でのこうした近代デモクラシーの成果がアメリカ建国に継承発展されていくことになった。イギリス本国からの独立戦争は、自由主義と民本主義を結合させたアメリカン民主主義を生み出しつつ戦われた。『代表なくして課税なし』(ノー・リプリゼンテーション・ノー・タックス)はこのいきさつを象徴する名句である」。
(私論.私見)
 英国に於ける議会制度の発展史をロスチャイルド派の国際金融資本帝国主義問題との絡み無しに説いている欠陥があるが、傾聴に値する弁ではなかろうか。

【橋爪大三郎氏の指摘考】
 橋爪大三郎氏は、「民主主義は人類が生み出した最高の政治制度である」の中で次のように述べている。これも傾聴に値しよう。
 概要「思想とは、人々の営みを支える堅固な枠組みのこと。人間が考えついた物事のうち、時間や空間を隔てて、繰り返し使用に耐えるだけの耐久性を備えたものを、思想という。個々の人間の生き死にを越えて永続する文明の枠組み、それが思想であった。

 近代以前の社会では、伝統や慣習や習俗が、このような枠組みを与えていた。

 思想とは、思考の回路であり、専ら言語によって表明される。個々の利害関係を通関させて、それらを凌いだ価値や原理を見出し、人々を巻き込んでいく。時代を超え、時間を貫き、遠隔操作にも耐えうる。個々の人間の寿命は、思想の前には儚い。時間・空間を隔てた多数の人間達が、共通に帰属する言語で表明された思考の枠組みが、思想である。

 法や宗教もその一種である。初めは民族的な出自と分かち難く結びついていた思想が、互いに競合していくうちに、多くの民族に共通な「大思想」に成長していく。ギリシャ思想、インド思想、中国思想、ユダヤ・キリスト教等々は、その代表例である。そのうち、ユダヤ・キリスト教は、史上最も力強く影響力を及ぼしつつ今日にいたって居る。

 近代思想は、西欧の教会権力との闘いから生まれた。そういう意味では「宗教からの分離」が近代思想のメルクマールである。とはいえ、近代思想を生み出す母体となった面を軽視してはならない。

 思想は、単なる知識ではない。思想を奉ずる者は、他の者から論争が仕掛けられた場合に、ちゃんと応答出来なければならない。これが思想に伴う責任であり、「responsible」とはそういう意味である。
 「戦後日本は、GHQ権力を通じて「戦後民主主義」なるものを与えられた。憲法秩序を始めとする諸改革は、本国アメリカにも増した世界史上例の無い民主主義的諸権利を付与した。成年男女による投票制度、選挙による代議員選出、議会の常設、討論の奨励、多数決原理による意思決定、少数意見の尊重、決議に対する全員一致制、言論・思想・信条・結社・集会の自由、報道の自由、知る権利、人権諸権利の保障、憲法・法律による統治、多党政治等々。これらに貫く「手続き重視の思想」による「手続きによる正当化」主義、法の下の平等により不当な処罰、不利益を受けない。これらには、政治権力の暴力の抑止を狙っての、「政治の修羅場をくぐりぬけた現実的な大人の知恵が結晶」、「民衆が蒙る苦痛や悲惨を必要最小限に食い止めるための、ギリギリの工夫」が為されている」。
 「実際に、民主主義を動かして見ると、あちこちでつじつまの合わない部分が出てくる。それを、めいめいが犠牲を払って、何とか体裁をつくろっていく。民主主義はポンコツ自動車のようなものだ。乗り合わせた乗客が、あちこち修繕したり、後ろから押したりしないと、動かないのである。かといって、これを乗り捨てようにも、他に適当な代わりが見つからない。そんなものだ」。「手続き上正しい決定であれば、それに従わなければならない、という過酷さも持つ」が、「たかが民主主義、されど民主主義」であり、「これよりましな政治の仕組みを、人類はまだ考え付いていないのではないか」。
 「左翼は、体制の変革を目指す。政治・経済システムを現在のものと別なものに作り変え、されを自分達が動かして、もっとましな社会を実現しようとする運動のはずだ。実際にそういう大事業を為し遂げようというからには、今政治・経済を担当している人々と同等か、それを上回る実務能力や、現実感覚がなければつとまらないだろう。ところが、日本の左翼はなぜか、体制に反対することには熱心でも、社会の現実をトータルに受け止め、責任ある対応をしていこうという気迫や現実感覚が見受けられない。一体、政権をとる気があるのかと、疑いたくなってしまう。日本の左翼は、現実的な政治勢力である以前に、象徴的な反対勢力、現実性の無い空理空論を振り回すことに存在理由を見出す思想的・文化的反対派なのであった。大勢に反抗することだけで、自分のアイデンティティを保っている勢力は、結局のところ体制に依存していると言わざるをえない。そういう情けない存在が、日本の左翼だ」。
 「体制に依存しているのに、体制を肯定しきれない−日本の左翼は、こういう中途半端な心理を基盤にしている。こういう心理からは、うまく理屈にならないが、とにかく体制は肯定しなければならない、とする現実主義者と、理屈からすれば体制を否定するしかないはずだというところにこだわる左翼の、二類型が生まれる。(その他興味深い類型として、もう一つ、右翼があるけれども、省略。左翼は、現実の片面だけを増幅するので、結果として、現実の全体像に向き合うことが出来ない。現在の体制からどれほどの人々がどれほどの抑圧を受けているのかを、理論的に指摘する(ということは、現実がどうなっているかということとあまり関係なしに)割に、実際自分達が政権をとったら、どういう政策体系を採用して、国家を運営していくのか、あまり熱心に論じない。それどころか、自分達が政権をとることなど、全く思いもよらないというのが、左翼の大部分の人々の実感であり、実態なのであった。結局、左翼の言説は、ささいな教条の違いや学理上の整合性をめぐる、神経質で際限の無い水掛け論に陥っていくことになりがちである」。

【ヘロドトスの「歴史」考(「遊牧民から見た世界史」・ 杉山正明著・ 日本経済新聞社より)】
 杉山正明著「遊牧民から見た世界史」(日本経済新聞社)は、「ヘロドトスの歴史」を次のように紹介している。

 「アケメネス朝ペルシャ時代にある独裁政権を倒したあとの理想的な政体とはなにか? 次政権は民主制、寡頭制、独裁制、どうあるべきかとの政体論の議論がなされ、結局独裁体制を選択した、と言う。その一連の文章は次の通り。
 最後に、ダイオレスが言った。

 「私はメガビュゾスが大衆についていわれたことはもっともと思うが、寡頭政治についての発言は正しくないと思う。すなわちここに提起された三つの体制---民主制、寡頭制、独裁制がそれぞれその最善の姿にあると仮定した場合、私は最後のものが他の二者よりも遥かに優れていると断言する。最も優れたただ一人の人物による統治よりもすぐれた体制が出現するとは考えられぬからで、そのような人物ならば、その卓抜の識見を発揮して民衆を見事に治めるであろうし、また敵に対する謀略にしても、このような体制化で最もよくその秘密が保持されるであろう。

 しかし、寡頭制にあっては、公益のために功績を挙げんと努める幾人もの人間の間に、ともすれば個人的な激しい敵対関係が生じ易い。各人はいずれも自分が首脳者となり、自分の意見を通そうとする結果、互いに激しくいがみ合うこととなり、そこから内紛が生じ、内紛は流血を呼び、流血を経て独裁制に決着する。これによって見ても、独裁性が最善のものであることがよく判る。

 一方民主制の場合には、悪のはびこる事が避け難い、さて公共のことに悪がはびこる際に、悪人たちの間に生ずるのは敵対関係ではなく、むしろ強固な友愛感で、それもそのはず、国家に悪事を働く者たちは結託してこれを行なうからだ。このような事態が起り、結局は何者かが国民の先頭に立って悪人どもの死命を制する事になる。その結果はこの男が国民の賛美の的となり、讃美された挙句は独裁者と仰がれることになるのだ。この事例から見ても、独裁性が最高の政体であることが明かではないか。

 これを要するに、一言にしていえば、われわれの自由はそもそもどこから得られたものなのか、だれが与えてくれたかということなのだ。それは民衆からであったか、あるいは寡頭制からであったか、それとも独裁制からであったか。されば私の抱く見解は、われわれは唯一人の人物によって自由の身にしてもらったのであるゆえに、あくまでこの体制を堅持することと、それは別としてもこの結構な父祖伝来の慣習を破棄するようなことがあってはならぬということである。そのようなことをして良いわけがないからだ」(『歴史』ヘロドトス著、松平千秋訳、岩波文庫・上、336〜342P)

【ペリクレスの政治とカネ問題言及考】
 2011.2.1日付けの毎日新聞「余録」の「なすべき判断を下し、その実行を説く力において…」を参照する。「余録」執筆者の言には意味がないので割愛する。「ペリクレス」の言葉を確認しておく。

 古代アテネの民主政治の黄金時代を代表する政治家ペリクレス時代、彼の指導した戦争と疫病への不満を募らせた市民は、市民による政治を確立させたペリクレスその人を会計上の不正の告発をもとに民衆裁判に付した。民衆裁判では巨額の罰金刑を宣告された。この時、ペリクレスは、民会の壇上で告発者を前にしての演説で次のように述べている。「民主政治の理想を説いて今なお胸を打つ名演説で知られるペリクレスだが、アテネ民主制の光と影を象徴する一幕であった」。
 「なすべき判断を下し、その実行を説く力において、誰も私の上に立つ者はない。国を愛し、金銭の誘惑に負けぬことで誰にも引けを取らぬ……私に不正のそしりを浴びせることは間違いだ」。
 「われらの政体は少数者の独占を排し、多数者の公平を守ることを旨として民主政治と呼ばれる」。

 戦後の議会制は永らく、企業が自民党を支え、労働組合が野党を支えた。ところが、1975年に田中角栄首相が金権批判で退陣し、三木武夫政権が政治資金規正法を改正し、献金額の規制を導入した。個人献金は5万円以下に制限された。それまでの企業献金、団体献金よりもパ―ティ―による政治資金を集めるやり方が推奨されるようになった。献金額が制限された結果、仮名や偽名、他人名義を使う献金が増えた。パ―ティ―の金額規制は20万円とされ、企業や団体は20万円以下なら名前を出さずに献金できた。

 アメリカでは、政治家は政治資金を集める能力を測られる。政治資金獲得が公然と行われる。日本は逆で、政治資金を集めることが悪とみなされる。だから裏金が生まれる。




(私論.私見)