金権政治家論の根拠について

 更新日/2023(平成31.5.1栄和元/栄和4).4.22日

 (れんだいこのショートメッセージ)

 田中角栄ないしはその政治手法を評するのに、「金権政治の元凶」、「金脈スキャンダル男」、「インフレ起しの張本人」、「土建屋政治」と云われて、専ら「金権力」で首相の座まで駆け上がったように云われている。これを仮に「唯金史観」と名づけるとする。立花隆、「越山会の女王」を扱った故・児玉隆也、日共らが吹聴した史観である。真偽は別として、目白御殿の池の鯉談義も角栄にまつわる金権の象徴である。やや好意的に「恩と利の政治」と評する向きもある。

 しかし考えても見よう、本当に、「金権力」がありさえすればあの誇り高き霞ヶ関の官僚を買収しえるだろうか。海千山千の国会議員を束ねることができるのだろうか。「金権力」は仮に重要な要素とはなっても、決定的な力にはなり得ないと考えるほうが真っ当なのではなかろうか。つまり、「唯金史観」なぞは甚だ(はなはだ)ナンセンスではなかろうか。しかも、「金権」を評する場合、田中角栄をして「元祖・元凶」視する傾向が蔓延している。これも甚だナンセンスではなかろうか。「戦後民主主義と言われるものも、残念ながら金権政治であった。この金権政治については、田中角栄氏個人というよりも、それを生み出した戦後の土壌の方にこそ問題がある」、「金権政治というのは、一人、田中角栄だけの問題じゃない。代議員制と云う選挙制度の仕組みの問題であり、功罪半ばする普通選挙式政治全体の問題だ」と考えるべきではなかろうか。

 という観点から、「金権」の考察を試みることにする。「金権」の要素は「入り用(出型)金権」と「調達用(入型)金権」の二種に分類できるように思われる。そのそれぞれを分析して見たい。

 2006.12.22日再編集 れんだいこ拝



【「入り用(出型)金権」の要素分析】
 いわゆる金権政治と云われるものの中身を検証しておく。「金権」を生み出す土壌には次のような側面が考えられる。これを仮に「入り用(出型)金権」と命名する。
 普通選挙制システムそのものに由来する金権土壌
 議員選出制度自体、つまり選挙民の利益を体現せねば票にならないという議会制民主主義の普通選挙制そのものに内包する「選挙システムと利益誘導の関連」から考察されねばならないのではないのか。
 俗に、議員と選挙民の間には、むしり・たかり構造、ギブアンドテイクのビジネス関係がある。これは有権者から一票を獲得するのに利益の享受によって以外難しいという投票行動に関係している。
 選挙の際には特別に「五当三落(5億円使えば当選するが、3億円では落選する」と云われるほど金力が必要となる。議員活動と選挙とカネには切っても切れない縁がある。カネを使わないで済む選挙にする為にはインターネットの活用が考えられる。しかし、その活用に対して公職選挙法が必要以上に寄生している。つまり、カネが掛かるように仕向けておきながら「入り用(出型)金権」を規制すると云う背反制度を敷いていることになる。検察権力の強まる所以であろう。
 議員活動経費に関連して発生する金権土壌
 議員活動の実態自体、つまり仕事を盛んにすればするほど金がかかるという議員活動そのものに内包する「際限のない議員活動経費との関連」から考察されねばならないのではないのか。
 議員活動は、公設秘書だけでは十分なことが出来ない。そこで私設秘書を抱えねばならなくなる。国会議員ともなると、中央と選挙区に事務所を構え、次の選挙に備えての日常活動をせねばならない。その家賃と事務員らの人件費、電話料、車代やガソリン代、つきあい、慶弔金、年賀状と暑中見舞いの印刷費、宛名書きアルバイト料等々の地盤培養費用がいる。これは底なし経費である。
 派閥政治に関連して発生する金権土壌
 議員活動の究極としての権力闘争自体、つまり政策実現の為に遂行集団としての派閥が必要となるという政権闘争そのものに内包する「際限のない勢力扶植活動の関連」から考察されねばならないのではないのか。
 角栄の時代は中選挙区制度であった。中選挙区は129の選挙区からなり、511議席のポストを争った。単純過半数は256議席、安定多数は272議席であった。これを前提にして派閥のボス達は多数派工作に走った。それが政治に対する責任であった。強力な派閥を生み出すことにより人事権を握ることになり、ポストを生み出すことができるようになる。それは理屈ではなく、日本的な権力獲得のメカニズムである。派閥のボスともなると、中元や歳暮と称する賄い金がいる。角栄はこれらのことを熟知していた。「何でそんなに金を使うのだ」の問いに、角栄は「派閥を維持するためには、いったん使い始めたものは止められないんだ」と答えたと伝えられている。
 野党・反対派の懐柔策として発生する金権土壌
 野党・反対派の懐柔策として。「お前、怒るな。それはね、お国を動かすための必要経費なんだ」と云って、早坂秘書も何度か届けさせられている。浜田幸一氏は、著書「日本をダメにした9人の政治家」の中で次のように裏付けている。
 「役員会に名を連ねるような連中は、大なり小なり似た様なことをやっている。男湯と女湯とは、表側では別々になっているが、裏の釜は一つ。つまり、下ではつながっている。それと同じで、かっての三役、梶山幹事長、佐藤総務会長にしても、下手に三塚政調会長の疑惑を追及したら、自分の身が危なくなる。天に向かって唾するようなものだ。与党だって同じこと。野党時代に男湯と女湯と看板は違っていても、みんな同じ湯に使っている連中なのだ。だから、人のことを言ったら、自分の身も危なくなる」。

【「調達用(入型)金権」の要素分析】
 「入り用(出型)金権」に対する「調達用(入型)金権」がある。「金権」の調達には、個人ないし族議員型と自前調達型がある。一般に、後援会やパーティー、顧問料、企業献金、業界献金(財界の紐付き)、団体献金、組合献金(労組の紐付き)によって賄われる。(この当時は、「企業献金、業界献金(財界の紐付き)、団体献金、組合献金(労組の紐付き)」につき当たり前であった。2010年現在の政局での今日の如く批判されるに及ばないものであった。
(私論.私見)
 これについて、れんだいこは、当時の政治感覚の方が真っ当ではないかと思っている。これらを禁止して結局のところ迂回献金になるのは却って不透明さを増すだけではなかろうか。個人献金論も怪しい。個人献金のみで賄える筈もなく、結局は裏金頼りになる可能性が高い。それならいっそのこと、上限枠設定で可能にさせ、その代わりに収支報告書記載を義務付け、その違反につき重罰にした方が良いのではなかろうか。これによれば、小沢キード事件も端から問題ないことになる。民主党の千代美衆院議員(北海道5区)の日教組献金問題も届け出していた限りにおいては無罪となろう。より悪質なのはあくまでも、貰っていながら政治資金収支報告書不記載の方であり、これに該当する政治家は与野党問わず五万と居るように思われる。検察捜査がそちらに向かわず、、小沢キード事件のように報告済みのものを「天の声捜査」で追い詰めるやり方がお笑いとなる。

 「阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK97」の 韃靼人氏の2010.10.22日付け投稿「今にして判る「田中軍団」と小沢一郎の凄さ! 「政局を好み政治を疎かにした粗脳の行く末考」れんだいこのカンテラ時評830」の「コメント欄20」の次の指摘が傾聴に値する。

 「ところで米国や英国などの民主主義の国では『選挙=民主主義』と言われている。米国の大統領選挙では民意を自分に呼び込むために、どれほど多くの金を集め、つぎ込むかがリーダになる資格を持つ。〇七年四月、民主党の大統領候補は前大統領夫人で上院議員のヒラリー・クリントンでほぼきまりといわれていた。しかし政治献金(〇七年第1四半期)の第一位はマケインやヒラリーではなくオバマだった。そしてそれがオバマを大統領にしたことはよく知られている。日本で選挙資金を大量に集めだしたのは田中派である。マスコミは『企業献金』を集める田中派を金権といい、一方アメリカでは「個人献金」が主で、それがアメリカの『草の根民主主義』の典型のように吹聴している。しかしオバマが集めた『個人献金』の核は『バンドラー』を利用した金融機関など、アメリカの大企業があつめたカネである。オバマの献金リストのなかには、ゴールドマン・サックスやUBS、ベアー・スターンズやシティグループ、クレディ・スイス・グループ、ドイツ銀行、JPモルガン・チェース、リーマン・ブラザーズ、メリルリンチ、モルガン・スタンレーなど、今回の金融危機でとりざたされた金融機関の社員の名がならんでいる。これらの政治献金は、個人名義となっているが金融機関のトップである最高経営責任者(CEO)などがとりまとめている。アメリカの選挙では、個人献金は二三〇〇jまでという上限規制がある。この個人名義の政治献金を大量にあつめるバンドラー(まとめ役)が選挙で役割をはたす。成功報酬としてCEOには政府高官ポストがわりふられる。ところでオバマは現在でも企業や金持ちから毎年、何百億円という献金を受けているが、米国民は彼を『金権政治家』とは呼ばない。それは彼がその政治資金を使って多数のスタッフを雇い、国や国民のために何かをやってくれていると期待しているからだ」。


 これが、米国流個人献金制の実態のようである。確かに個人献金も相当に進んでいるのだろうが、団体献金を排除できない。なぜなら、個人献金には限界があるからである。れんだいこの経験から云っても個人では献金する余裕はないが、れんだいこが就業する業界の団体からなら十分に可能である。一社5千円の会費が数億円になり、これを有効にオープン活用するなら党であろうが支部であろうが議員個人であろうが何らヤマシイことはないと思う。献金する方も決算書に載せる訳で、毎年監査され会員間で質疑される訳だし。

 この道を閉ざして仮に個人献金一本槍で強化させると第二税金のような役割を果たすようになる恐れもある。そもそも党費さえ滞納が目立つ政党が多いと云うのに、どうやって毎年毎年個人献金できるだろうか。個人献金論は日共好みの規制強化の流れにある論でありキレイゴト云い士に過ぎない。逆に「上限枠設定且つ治資金収支報告書全面記載、違反は重罪」にした上で規制緩和に向かうべきではなかろうか。但し、これにより族議員化する場合に、その弊害をどう抑制するかが問われている。難しい問題であるが、難しいことを踏まえて理論と制度を獲得して行くことが本当の能力なのではなかろうか。こういう本当の能力が居るところに議論が向かわず、一見聞こえの良く大衆受けする割に実態とかけ離れた「企業団体献金禁止論」は本質的に無責任な粗脳に相応しい「単なる正義論」に過ぎないのではなかろうか。

 2010.10.24日 れんだいこ拝

 角栄は自前調達型であった。その調達振りを評して、吉田元首相は、「刑務所の塀の上を歩く男」、「あの男は刑務所の塀の上を歩いているようなものではないか、まかり間違ったら向こう側に落ちてしまう」と危ぶんでいたと伝えられている。盟友大平元首相との会話が次のように伝えれている。

大平  「あんたは湯気の出ている金をつかみすぎる。危なくて見ておれない」。
角栄  「大平君、君は大蔵省でエリートではなかった。それでも天下の大蔵官僚だ。大蔵省の後ろ盾がある。経済人は金を出す。しかし、俺はただの馬喰のせがれだ。小学校卒だよ。大学時代の友達もいない。そんな人間が力を持つにはこれしかない。いいんだ。俺はあえて塀の上を歩く。向こう側に落ちればそれまでだが、きっと歩ききってやる」。

 とはいえ、雌伏期の角栄は典型的な「井戸塀政治家」であった。井戸塀政治家というのは、国事に奔走して私財を使い果たし、家屋敷も人手に渡り、気がついたら古井戸と屋敷にめぐらせた土塀だけが残っていたというものであり、わが国は明治以来こうした一群の政治家を輩出している。その例に漏れず、角栄は田中土建として飯田橋にいくつもビルを持っていたが、政治にのめりこんでいった田中はそれを選挙のたびに一つ一つ売って行き、まさに井戸塀政治家を地でいったようなもので、田中が当時持っていた財産でその後飯田橋に残っているものは何一つない。

 とはいえ、角栄が実力者として頭角を現して行くに連れて自前調達も楽になったようである。特に、角栄の手がけた議員立法がやがて公共事業として奔出していくことになり、当然のように公共事業関係企業との付き合いが深まっていった。そうした企業からの政治献金が発生し、公共事業の采配斡旋利得が田中派の聖域的な利権となった。これを仮に「事業利権」と命名するならば、事業利権とは、発注する側と受注する側とを政治家が仲介し、これに斡旋御礼金が発生するという構造であり、これがゼネコン汚職の原型をつくったことになったことは確かである。その流れを作ったという意味で田中角栄の功罪がある。加えて、角栄の場合、単に斡旋したのではなく自身が土木工事を請け負う企業を所有していた。田中の後援団体である越山会は、当然のように田中角栄企業をも組み込んでの新潟県内の公共事業を取り仕切る利益配分機構と化した。これを仮に「角栄式金権」と命名する。

 「角栄式金権」で留意すべきは、事業につき極めて適正な必要度チェック、工事能力、費用予算を精査した上で発注されていたことであろう。「角栄式事業利権」、「角栄式金権」で大義名分の立たないものは何一つない。これが、その後の凡百の「利権を生みだす為の事業利権」と違うところである。こういう場合、それでも「角栄の原罪」を問うべきであろうか。

 その他当時の時代風潮としての土地転がしによる調達もあった。更に株取引による利益を資金源にしていたようである。

 こうした角栄の自前調達型は、金脈を水道に例えて、「田中は、水を出すために自分の手で水道管を埋め、蛇口を取り付けた。一方の三木、福田、大平は備え付けの蛇口をひねるだけで水が出てくる」と比較されている。1974(昭和49)年、角栄失脚後に三木と大平が次のようにやり取りしたことが伝えられている。

三木  「ワシだって、集めようと思えばいくらでも集めることができるんだよ。田中の真似はできんがね」。
大平  「角さんは気の毒だ。我々には、ちやんとしたルートがあるが、角さんにはそれがないから、自力で金をあつめねばならなかった。無理をしたんだな」。
(私論.私見)
 いずれも味わい深い。踏まえておかねばならないことは、角栄の場合、この利権を生み出そうとして政治家になったのではない。角栄の議員活動の遊泳の中から生み出された生活術のようなものとして利権化が進められたということである。そのプロセスには強引さはなく、むしろ自然な流れであり、調べれば意外すぎるほど潔癖でさえある。ここが凡百の利権型政治家たちと異なるところでもある。

 田中角栄のこうした「金権」構造を批判する以上は、代案を用意せねば無責任ではなかろうか。政治活動には金がかかるという現実が所与の要件としてある訳だから、建前論のキレイ事だけでは何も生み出さない。むしろ、「政治にア・プリオリなクリーン性を要求し始めた結果、クリーンであるというただそれだけで無能な輩をイスに付けて来ることになった。幾人かの無能な宰相を戴くことになった」と云われる逆現実をどう考えるべきであろうか。政治家に対する「クリーン性」の過度の要求は、結局政治家無用論にまでつながっており、官僚国家を生み出すだけの結果しかもたらさないのではなかろうか。官僚国家の是非は別途論ずるが、史上うまくいった試しがない。

 この辺りの機微について、渡部恒三・衆議院副議長は次のように述べている。
 概要「田中さんのことを『金権』といった単純な図式でしか理解できない人を、僕は不幸だと思っている。選挙でも何でも、『君を買っている』、『心から応援している』では、結局、人は動かない。これは、一般社会でも同じだ。カネの援助があって本当に助かる人もいれば、『けもの道』を教えてもらって窮地を脱せる人もいる。却って、キレイごとばかり言っている奴ほど、ろくでもないのが多い。自分のことしか考えていないという奴だな。田中さんというのは、天才的な政治家であると同時に、相手が今何を求めているのか、人の心を瞬時に見抜いてしまう神様、偉大な心理学者と言ってよかったんじゃないか。こうした才能は、どんな実力政治家も足元にも及ばなかった」(小林吉弥「究極の人間洞察力」、「田中角栄経済学」)。

【角栄の金銭美学と侠気】

 角栄型の「金権」には一つの美学があったことがあまり知られていない。角栄ほど人からタダ酒を飲むことを嫌った人物は居ない。若い頃から身銭を切り続けていた。その理由に関して、早坂秘書は次のように述べている。

 「二つ有る。一つは、あらゆるところで人に借りを作ることを嫌った。二つは、身銭を切ると自分が額に汗したカネだから、人との話も真剣勝負になる。他人のカネおごってもらった場合は、その辺にユルミが出る。“遊び”が出るということだ。何事にも全力提供のオヤジは、“遊び”で終始することには我慢できなかった。得るものが無い、という考えだった」(小林吉弥「田中角栄処世の奥義」)。

 角栄は、「田中は、個人のことで、選挙が近づいてきたから、盆暮れが近いからと、企業によろしくお願いしますなんて、ただの一回も頼んだことはないですよ」(佐藤昭子)と云われるほど、財界・企業に頭を下げることを良しとしなかった。事実、角栄は「人にお金を借りるのが嫌で」、「人前で金を無心することをせず」、出す一方であったようである。特に、財界からの献金に対しては、「入ってくるものは拒まなかったが、自ら頭を下げに行ったことはない」と伝えられている。ひも付き献金を嫌ったからである。

 次のような「侠気」も伝えられている。「日本列島改造論」を書き上げることに尽力した麓邦明と早坂茂三秘書は、その後「オヤジ、小佐野さんと佐藤昭さんを、この際切ってください」と直談判している。小佐野は政商として、佐藤は金庫番として、これまで田中と奥深くまで繋がっていたが、首相となった時点で田中政権のアキレス腱になることを憂えたからであった。田中は、涙を流しながら、次のように語った。

 「『もう俺についてこれない、ということだな。お前達の言うことは良く分かる。しかしな、この俺が長年の友人であり、自分を助けてくれた人間を、これからの自分に都合が悪い、というだけの理由で切ることができると思うか。自分に非情さがないのはわかっている。だが、それは俺の問題だ。自分で責任を持つ。責めは、自分で負う』。早坂は了承し、麓は去った」。(「後援会組織「越山会」、佐藤昭子考」)

【角栄の金の使い方考】

 金権問題で最後に踏まえねばならないことは、「金の稼ぎ方と使い方」の巧拙である。角栄はそのどちらにも群を抜いていたという事実がある。現代政治研究会の「田中角栄 その栄光と挫折」は次のような遣り取りを記している。

 「人はよく、田中角栄は、札束で他人の頬を引っぱたいて、今日までのし上がった男だといいますが、本当ですか」のズバリ質問したところ、角栄は次のように答えている。「そりゃ違うよ。確かに金の力も必要だ。しかし、そりゃ、ワン・ノブ・ゼムだよ。指導力、判断力、統率力、行動力、そんな中の一つに金の力もある。政治力ってえのは、そんな、いろいんな力の総合力だよ」、「金が全てではない。金も確かに必要ではあるが、それは潤滑油の一つに過ぎない。本当に政治を動かすのは、結局のところ、人と人との信頼関係の積み重ねの上にできることなんだ」。
 「ウソだと思うなら、明日、国会の幹事長室前の廊下に立って見ていてごらん。佐藤総理が来る。そうすると、すれ違う連中は黙礼をして行き過ぎるだろう。大蔵大臣の福田君が通りかかっても、知らん顔している奴がいるかも知れん。僕が出ていくと、みんなヤァ、ヤァと声をかけてくれる。少なくとも、この三人の中で、みんなが一番声をかけてくれるのは、恐れながら、この田中角栄ですよ、と、オドケた調子で付け足した」。

 早坂秘書は、著書「カゴに乗る人担ぐ人」の中で次のように証言している。

 「だから、この金は、心して渡せ。ほら、くれてやる。ポン。なんていう気持ちが、お前に露かけらほどでもあれば、相手もすぐ分かる。それでは100万円の金を渡しても、一銭の値打ちもない。届けるお前が土下座しろ」。
 「選挙資金は潤沢だと思いますが---そんな奴はいないが、せめてもの礼儀だ。枕言葉だ。まず、そう切り出せ。そして、潤沢だとは思いますが、曲げてお納め願いたい。他は知らず、あなただけは、生爪をはがしても当選していただきたい。党の為、国家の為である。不足の場合は、電話一本いただければ、ただちに追加分を持って参上する。以上、あるじ田中角栄の口上である。お前、そう云え」。
(私論.私見)
 角栄が秘書に指示した金の配り方は極めてナイーブに人情の機微を踏まえていたことが分かる。つまり、角栄は、金の威力とその限界もまたよく知りぬいていたということであろう。

 こうした角栄のむしろ原則的とでもいえる議員活動が認められていたからこそ、刑事被告人となった以降も地元新潟では圧倒的に支持されていた。逮捕後以降も、角栄は最後の政治活動の日まで他に類を見ない高得票を維持し続けた。選挙に当選するたび、マスコミとインテリ人士は、「新潟県の人間は民度が低い」、「刑事被告人を当選させる新潟三区有権者の遅れた政治意識」と揶揄したが、「遅れた政治意識」はそれを云っている者達にこそ相応しいように思える。マックス・ウェーバーの「指導者民主主義の観点」から角栄を考察すれば、角栄こそ偉大稀有な実践者であったように思われる。

【角栄と対照的だった藤山愛一郎の金の使い方考】
 角栄の金権問題を考える場合に、藤山愛一郎氏の政治履歴が参考になる。藤山氏の金にものをいわせた散在力は凄まじかった。しかし、外務大臣ポストと万年総理候補で政治生命が終わってしまった。立花論に拠れば、この現象をどう理解しようとするのだろう。

 藤山氏の父は「事業の鬼」と云われた雷太。彼は一代で大日本精糖を始め日本化学、蔵王鉱業、日東製紙など十数社の藤山コンツェルンを築き上げた。愛一郎はその長男として育ち、慶応義塾卒後父の事業を習い、30代後半で大日本精糖の社長に就任。44歳の若さで日本商工会議所会頭のポストに就き、財界トップの地位に踊り出た。

 昭和32年岸内閣の発足時、乞われて民間から外務大臣として登用された。これを機に政治生活に入った。この時評論家の大宅壮一氏は、「絹のハンカチを雑巾にするようなもの」との名セリフをもって忠告している。その後藤山氏は都合三度自民党総裁選に出馬するも、いずれも敗れた。その間手持ちの財産を雲散霧消させた。持ち株、広大な屋敷、世界的名画も次々と売り払い、引退するまでに使った政治資金は当時のカネで40億円(現在の試算で500億円相当)と云われている。

 当時の政治部記者は、藤山氏の政治生活を次のように分析している。
 「藤山の終生には、一貫して下積み生活というものが無く、権謀術数は不得手で、云うなら『お人よし政治家』、『アマ政治家』、『お坊ちゃん政治家』の域を出なかった。反面、評価されたのは、政策面での妥協を排除する厳しさだった。その上で、『孤高』が常にまとわりついていた。結果、カネはまいたが、使い方が下手で成果を生まなかったのだ。結婚詐欺にあったオールドミスが、また懲りずにダマされているのに似ていた。あれだけのカネを使ったのなら、活きた使い方をしたのなら、当然、天下が取れて不思議ではなかった。結局、政界の一服の清涼剤で終わってしまったワケだ」(小林吉弥「田中角栄経済学」)。

【大臣機密費に手をつけなかった角栄考】
 案外知られていないが、角栄は大臣になっても、各省に割り当てられていた交際費(大臣機密費)にビタ一文手をつけなかった。交際費(大臣機密費)とは、省庁ごとに予算金額は違うものの数千万円から億単位くらいまで予算化されており、各省庁の大臣、長官の自由裁量に任されている。官僚が新任大臣の評価の尺度の一つにこの大臣機密費のお手並み拝見がある、と云われているもので、歴代の大臣、長官の中には公私混同して顰蹙を買った者も少なくない。角栄は、「君達に任せるから、必要があったらこの中でやってくれ」と見向きもしていない。(小林吉弥「田中角栄経済学」参照)
(私論.私見)
 首相になってからの官邸機密費については報ぜられていないが、恐らく秘書軍団も含め私的流用は戒めていたのではなかろうか。これを思えば、官邸機密費に手をつけっぱなしであった小泉及びその秘書郎党の所為はどう評されるべきだろうか。麻生政権末期の官邸機密費持ち逃げ、民主党の鳩山政権、菅政権の官邸機密費コソ泥式流用の実態の方が咎められるべきではなかろうか。

 2006.12.22日、2010.10.24日再編集 れんだいこ拝




(私論.私見)