事件の深層、真相と「謀略」について

 更新日/2021(平成31.5.1栄和元/栄和3).11.26日

【事件の深層、真相と「謀略」について】
 圧倒的な角栄批判の論調に押されてか、角栄を好評価する側の見方でさえ、せいぜい次のような論調でしかない。
 「田中はロッキード社の売り込みに関与しておらず、そのスバ抜けた政治力・行動力を恐れたアメリカ政府が事件を演出し、田中を失脚させた」。
 「角栄の資源政策を『反ユダヤ的行為』と受け止め、フランク・チャーチ議員、キッシンジャーらが警戒を強めていった。ロッキード事件で田中を失脚させたツケが、その後のわが国の政治に自家中毒した」。

 こういう論調が一部ながら囁かれている。これに加えて「角栄スケープゴート説」がある。次のように指摘されている。
 概要「ソ連でのフルシチョフのスターリン批判、中国の鄧小平による毛沢東打倒、アメリカのニクソン、日本でこれに当てはまるのが田中角栄であり、受難者の系譜である」。

 これに比して、1970年代初頭、宮顕-不破系党中央より追放された日共最後のポルシェヴィキ派と評されるに相応しい山川暁夫はいみじくも、概要「アメリカの日本再占領の第一弾が田中金脈追及、ロッキード事件は第二弾」と指摘している。いずれにせよ、「田中及び田中を擁護する者をして非国民といわんばかりの風潮こそ、今打ち破らねばならない」であろう。

 角栄は自らを、「この事件は内閣総理大臣。田中の裁判ではなく、内閣総理大臣の尊厳を守るための裁判である」と位置づけ、次のように述べている。
 「(ロッキード事件は)虎ばさみにかけられた。足を取られた方が悪いのか。虎ばさみを仕掛けたほうが悪いのか。後世の学者が判断するものだ。私は断じて何もしておりません」(田中氏の昭和58.12.3日の柏崎市での選挙演説)。

 ロッキード事件には、様々な「謀略」が見えてくる。その全貌が明らかになるにはもう少し時間がかかるだろう。あるいは永遠に闇に葬られるのかも知れない。角栄の金庫番として知られる佐藤昭子氏は次のように述べている。
 「ロッキード事件? そうですね。この問題が避けてとおれないなら話しますが、完全に仕掛けられたワナです。私自身がロッキード事件なんてものを信じていませんから。これは私、命ある限りそう思っています。田中はもう口を開くことも無く、公人として何の釈明もなくて、一身に責任を負い、逝ってしまいましたね」。

 但し、この「謀略」説には注意せねばならないことがある。専ら、海の向こうから仕組まれたものとばかり指摘されているが、ここに止まるなら片手落ちというべきではなかろうか。「角栄なるもの」を排撃しようとしていった勢力は、ネオシオニストのみならず、我が皇室系統からも、外務省霞ヶ関辺りからも、更にはジェラシーと総称される似非インテリ人士からも見えてくる。つまり、日米合作で呼応した非合法な痴態を暴ききらねばならないのではなかろうか。

 私の情報は限られており、その全貌を明らかにし得る能力もない。という意味で、この作業は後世の史家に委ねられているといえるだろう。

 2005.5.21日再編集、2008.8.20日再編集 れんだいこ拝

【新野哲也氏の指摘】
 新野哲也氏は、「誰が角栄を殺したのか」の203Pで次のように述べている。
 「日本は太平洋戦争では負けたが、経済戦争には勝った-といわれた。しかし、アメリカの謀略によって『我らが角さん』を失った時、経済戦争でもアメリカに打ちのめされる悲劇の契機を自ら作ってしまったのだった。その手引きをしたのは、国際派と呼ばれる日本の官僚やインテリ支配層とマスコミだった。日本人がそのことに気づき、大衆の一人としての自覚と誇りほ持たない限り、つまりインテリとマスコミに徹底した疑義を向けていなければ、この国は、インテリ共にすっかり滅ぼされてしまいかねない」。
 「田中失脚のみならず、ホイットラムも、オーストラリア憲政史上異例の総督による首相解任措置(総督はイギリス女王の代理人として、形式上はオーストラリア首相の罷免権を持ってはいたが、何年間も行使されたことが無かった飾り法文であった)によって突然失脚させられた」。

【田原総一朗氏の指摘】

 田原総一朗氏は、1976.7月号の中央公論に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」論文を発表した。その中で、ロッキード事件は田中角栄を失権させるためにアメリカがしくんだ謀略だと次のように述べている。 概要「ウラン輸入などで、田中の積極的な資源外交が、エネルギーによる国際支配を目論むアメリカ政府の虎の尾を踏んだ」と分析している。

 「キッシンジャー国務長官やチャーチ議員が、日本の政治家で最も警戒しているのは田中角栄で、彼の資源外交を、キッシンジャーは『反ユダヤ的行為』だと決め付け、。チャーチ議員のスポンサーであるロックフェラーは。田中角栄氏が首相時代に、彼についての資料を密かに集めさせた形跡があるということだ云々」。  

 そのゲラ刷り原稿のいきさつについて次のように記している。
 田原総一郎の「アメリカの虎の尾を踏んだ角栄」のゲラは事前に中央公論から小長啓一のもとに回ってきた。小長はこれは書きすぎで、「手を入れないといかんかな」と思ったが、田中角栄が「大筋いいんじゃないか」ということで特に異論を差し挟まなかった。かくて論文発表となったという。このことを小長自身が「発掘田中角栄」(新潟日報)のなかに書いている。
(私論.私見) 田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」について
  田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」は当然の観点の披瀝であるが、当時の気違い染みた角栄批判網の勢いにかき消されてしまった。そのことはともかく、そのゲラ原稿が事前に小長啓一と田中角栄に見せられていたとのことである。角栄が「大筋いいんじゃないか」と述べた、ともある。ということは、角栄は、ロッキード事件の仕掛け人としてアメリカの影を捉えていたということになる。

 2005.9.9日 れんだいこ拝

 田原氏は、「中央公論」誌上で「立花隆の胡散臭さ」に言及し、次のような事実を暴露した。

 概要「立花氏の『田中金脈追及』の元資料は英文であり、出所は当時田中の外交に不安を覚えていた韓国KCIAからだとの情報があった」。
(私論.私見)
 田原のこの指摘は極めて重要であり精査されねばならない。本来なら、これの真偽について田原と立花は対決せねばなるまい。これが事実とすると、立花隆は、ネオ・シオニストのエージェントいいうことになる。事は重大である。その立花の論調をプロパガンダし続けてきたマスコミの責任も重責となる。

 2006.1.8日 れんだいこ拝
(私論.私見) 
 田原のその後の変質は眼を覆うばかりであるが、この時点でのこの指摘は史的に意味のあることであり、勇気ある発言であった。今日、小泉首相を名宰相と評しているが、こうなると単なる出世機会主義者と云わねばなるまい。

 2005.5.21日再編集 れんだいこ拝

【「井上正治氏と中核派のロッキード事件観論争」】
 今となっては興味深い「井上正治氏と中核派のロッキード事件観論争」が為されている。これを確認しておく。

 元九州大学名誉教授法学博士井上正治氏は、1974(昭和59)年6月号の雑誌「諸君」の座談会の中で、「角栄裁判は主権の放棄だ!」と発言。これに対し、中核派が抗議している。機関紙「前進」紙上で、「断腸の思いで」として次のように述べている。
 「井上正治氏のロッキード裁判に関する見解は、日本プロレタリアート人民の最も憎むべき打倒対象である田中角栄を擁護するものであり、破防法裁判闘争を推進する立場とは根本的に相容れない」。

 これに対し、同氏は次のように言っている。
 「私の学問に、もし誤りがなければ、ロッキード事件の中にある田中角栄は無罪でなくてはならない。それでも、田中は政治的に悪だから、有罪にして刑務所へ放り込まなければならない、という結論になってよいのだろうか。とりわけ、大きな声で主張しておきたいことは、日本国憲法における元首については、どう取り扱われるべきか、ということである。それが曖昧にされ、いいかげんに処理されるようなことがあっては、せっかくの『民主』憲法も絵に画いた餅になりかねない」(井上正治「田中角栄は無罪である」28P)。

 「井上正治氏と中核派のロッキード事件観論争」に対して、当時36才の弁護士の次のような意見が為されている。
 「『田中を弁護するな』という考え方には問題がある。田中が仮に権力者であっても、司法そのものがその権力者をも誤って弾圧しようとする権力としてある以上、それに対して闘うことは、弁護人のあるいは弁護士の責務である」(井上正治「田中角栄は無罪である」47P)
(私論.私見) 「今となっては非常に興味深い井上正治氏と中核派のロッキード事件観論争」について
 ここに見える中核派の「日本プロレタリアート人民の最も憎むべき打倒対象である田中角栄」なる規定は本当に左派的であるのかどうか、れんだいこは大いに疑問を持つ。れんだいこは、当時の左派諸党派のロッキード事件観を検証してみたい誘惑に駆られる。どなたかがやってくだされば助かる。早い話、革マル派、ブント諸派、毛諸派の当時のロッキード事件観、田中角栄観を比較してみたい。恐らく、各派ともが競い合って罵詈雑言しているものと推測する。ということは、当時の左派諸党派は又もや、見解は日共のそれを基本にしながらそれでは日共と何ら変らないからして、ただ単に日共に負けるな式の日共よりも急進主義行動で競り勝とうとしての蛮勇を奮っていた、だけなのではなかろうか。 

 れんだいこは、定式化された理論に誤りがある場合はそこを直さねばならず、それを為さずして口先と肉体でいくら反権力運動に取り組もうとも不毛と思っている。「定式化された理論に誤りがある場合」それを断乎として見直す勇気と能力を持たねばならないと持論する。その上で、左派的に穏和と急進主義が裏で連携しつつ共闘していく運動こそ目指すものであり、それをさせない「我が我が」勢力とは断乎として闘わねばならぬ。

 今からでも遅くない。戦後憲法秩序をプレ社会主義性のものと判じ、この秩序の上に政権与党の主流派を一時期なりとも形成した戦後ハト派、その総帥田中角栄の史的に正しい位置づけを獲得せねばならない。そうすることによって初めて大衆と面と向きあうことができる。その中から支持と共感を得る党派が出現してくるだろう。こういう党派が待ち望まれている。とりあえず以上提言しておく。

 2005.5.21日再編集、2008.8.20日再編集 れんだいこ拝

【中曽根の言辞に潜むもの考】

 世上のロッキード事件謀略説は専ら、「資源外交禍説」と「中国外交禍説」(日中接近に対する米保守派の反発)の二つから成り立っている。れんだいこがより核心を言い当てておく。

 今日になって判明することは、今や世界政府を裏から表へ露出させつつある米英ユ同盟にとって、目障りな始末せねばならない彼らのシナリオから見て危険な人物であった、ということであろう。

 中曽根康弘元首相は、著書「天地有情」のなかで次のように述べている。

 概要 「田中君はヨーロッパやソ連で石油取得外交をやった。それがアメリカの琴線に触れたのではないかと思います。世界を支配している石油メジャーの力は絶大ですからね。のちにキッシンジャーは『ロッキード事件は間違いだった』と密かに私に言いました」

 この中曽根の言の中から何を読み取るべきか。「資源外交説」を唱えているが、思わず漏らしているのがキッシンジャーの「ロッキード事件は間違いだった」なる言辞である。「間違いだった」とは意味深である。これは何を意味するのか、れんだいこが敢えて云うまでもあるまい。

 中曽根氏は次のようにも語っている。

 「田中君は、国産原油、日の丸原油を採るといってメジャーを刺激したんですよね。そして、さらに、彼はヨーロッパに行ったとき、イギリスの北海油田からも日本に入れるとか、ソ連のムルマンスクの天然ガスをどうするとか、そういう石油取得外交をやった。それがアメリカの琴線に触れたのではないかと思います」(中曽根康弘「天地有情 五十年の戦後政治を語る」文芸春秋刊)。

 上に同じで、角栄失脚の真因を二次的な「資源外交禍説」で糊塗しようとしている。

 2005.5.21日再編集 れんだいこ拝

【BenjaminFulford氏の指摘】
 BenjaminFulford氏の2009.7.18日付けブログ「民主党政権になれば真実委員会が開かれる」が次のように述べている。これを転載する。

 民主党政権になれば真実委員会が開かれる

 以前管直人など他の民主党の議員に聞いた話によると、民主党政権になれば真実委員会が開かれる。南アフリカのように今までの政権の闇や罪について告白する代わりに、全てが免罪となる。戦後の様々な大型スキャンダルをフォローしてきた人達はご存知のように、殆どのスキャンダルがトカゲの尻尾切りで終わっている。必ずと言っていいほど真相は明るみにならなかった。真実委員会が開かれれば、ロッキード事件を始めアメリカの対日裏工作が明るみになる。特に気になるのはアメリカの暗殺部隊だ。是非この暗殺部隊の人達にも日本国民へ真実を告白してもらいたい。石井紘基を始めとして数多くの愛国心の強い日本人がアメリカの軍産複合体に殺されたことを知らせれば、二度と同じような出来事は起きないだろう。

 今年の秋以降国民を驚かすニュースが次々に出てくるでしょう、夏休みをしっかり取って充電しましょう。

 There will be a truth commission convened when the Democratic Party of Japan takes power

 In the past senior members of Japan's opposition Democratic Party of Japan have told me they intend to set up a South African style truth commission if they ever get power. Since all the opinion polls show they are set to get power in the election to be held on August 30th, that means the truth may start coming out as early as this fall. The most important testimony will that about CIA dirty tricks and murders in Japan. The world will finally be told the truth about how arch-Nazi Heinz (Henry) Kissinger had Prime Minister Kakuei Tanaka removed from power. We will also learn how Prime Ministers Obuchi, Ohira, Takeshita and Hashimoto were murdered for not be obedient enough. Hopefully the Japanese murder team members will appear in Parliament and on TV and describe how they carried out each murder on the orders of their Nazi handlers.

 There will be a lot of stuff happening this autumn to I recommend that everyone rest up this summer.


【BenjaminFulford氏の指摘】
 「晴耕雨読」の2009.8.12日付けブログ「笹川-児玉-田中角栄-そして中曽根-小泉」(天皇と近代日本 笹川と変わり身の早さ)を転載する。
 「笹川-児玉-田中角栄-そして中曽根-小泉」

 世界基督教統一心霊協会(文鮮明)はCIAの管理下にありました。原理運動の最初の拠点は、渋谷区南平台の岸信介の自宅にありました。岸は用心深い人です。 なにしろ首を吊られそうになったんですから。諜報機関の指令は絶対なのです。首を吊られなかった人間は、首に紐と鈴とを付けられて出所したのでした。

 昭和38年、笹川は原理運動の家紋に就任しました。笹川は国際勝共連合の会長にも就任しています。ところが、昭和47年、笹川は、突然、反共との絶縁を宣言します。反米右翼(昭和20年まで): 親米反共(台湾支持)右翼(昭和20~47年)、反共と台湾と右翼を放棄して国際主義者へ(昭和47年以降)。とても分かりやすいですね。彼への指令は、比較的高位から出ていることが分かります。
 笹川-児玉-田中角栄-そして中曽根-小泉投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 8 月 23 日

 モーターボートレース関係は省略。

 (田中角栄潰し)

 田中角栄は、後藤田正治を船舶振興会に送り込み、乗っ取ろうとしたといわれています。しかし後藤田を送り込むことは失敗しました。そこで田中は、笹川の古文である糸山英太郎の選挙違反を徹底的に取り調べて反攻しました。しかし船舶振興会の乗っ取りにはけっきょく失敗したようです。

 ジェローム・コーエンがロッキード事件の全貌を笹川にリークしました。昭和50年、笹川はニューヨークのホテルで、コーエンと会談しました。その直後、コーエンはロッキード社の情報をチャーチ委員会に持ち込みました。スキャンダルの炸裂以降、笹川はマスコミに頻繁に登場し、田中と児玉と小佐野をコキおろしました。

 このあたりのことは周知かな。やはり諜報機関が透けて見えます。このとき児玉の枕元に大西滝治郎中将が立ちます。児玉はこのときに謀略の全貌を悟ったのかもしれません。気の毒な人生だった。後はおまけだね。

 「保守本流」は雑多な因子を抱え込みながらも、諜報機関の管理下にありました。してみると、田中角栄が権力を掌握したことが、どんなに異常なことだったか、よく分かります。また、笹川が「忠実にして鋭敏」であること、児玉がちょっとオマヌケであることも良く分かりますね。

 1973年近辺に世界構造が変質しました。笹川はそれに真っ先に対応しています。この時期に日本国は唯一の独立派-角栄を失ったみたいです。角栄の後継者は裏切り、創政会は目的を失って利権のみに走り、衰退していきます。この派閥は、小渕首相に至って完全親米路線となり、手打ちをしております。

 だから今私たちの目前にあるのは、ただのゾンビです。現在、その断末魔を見ることができます(橋本派のことだよ)。中曽根はもちろん保守本流ラインから更に親米的要素を純粋培養したものですね。 海軍だしな。小泉は、このラインから選抜された人間です。彼の個人的資質と家系とが、目的から見てぴったりだったから選ばれたのです。もちろん小泉は中曽根の忠実な子分だよ。この話は退屈だからこれで良いかな。

 笹川と児玉の軌跡を追う-A級戦犯への「志願」

 私は彼ら自身には興味がありませんが、そのエージェントとしての行動から、もっと大きな策謀が透けて見えるという点で便利な存在です。笹川と児玉は、当時死刑必至と噂されていた巣鴨プリズンに「志願」して入るという奇怪な行動をとりました。


 比較的陳腐な話なのですが、簡単に整理してみましょう。笹川-児玉と山本との関係は書いてきたのですが、二つ補足します。

1. 一機一艦撃滅主義を山本五十六に説いたといって自慢しているのは笹川本人です。山本は、部下の大西滝治郎にこれを伝えたものと推定されます。大西は、航空機戦略論者であり、山本の指令を受けて真珠湾攻撃を検討させられた人です。昭和20年8月16日、大西中将は自決します。「我死をもって旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす」。これは大西中将の遺書です。 悲痛です。このとき児玉は大西と心中しようとしましたが、大西に止められてしまいました(なお、児玉がいかに海軍と関係が深いか良く分かりますね)。児玉がロッキード事件に巻き込まれたときに、大西中将が夢枕に立ったと伝えられています。これは怖い。

 太平洋戦争が終わると、当時の政界、財界、軍部は、一斉に責任逃れのための策謀を始めました。8月28日、首相は一億総懺悔論を展開し、9月4日、臨時国会で総懺悔論は了承されました。ここで天皇が防御ラインであることが明らかになりました。天皇に責任が及ぶと、戦時中の全指導者達も一人残らず責任を逃れることはできません。

 日本共産党は天皇を戦争犯罪人として指弾しました。笹川は直ちに国粋大衆党の残党を集め、全国勤労者同盟を設立しました(メンバーが同一なのが笑いを誘います)。笹川は鳩山自由党に結党資金を提供し、結党式にテキ屋集団を動員します。そして反共の看板を掲げることになります。

 A級戦犯というのは基本的に政治指導者レベルの話です。小政党の党首(笹川)、スパイ(児玉)が該当するわけはありません。ところが、東条が逮捕された直後から、笹川は「戦犯を志願する」と公表し、大阪で太平洋戦争肯定論を披露する演説会を数十回も開きます(もちろんGHQ関係者の前です)。笹川は目的どおり巣鴨プリズンに収監されますが、このときブラスバンドと横断幕で笹川を歓送してパレードを行ったそうです。パレードを実行したのは日本天狗党でした(新興暴力組織です)。巣鴨では、児玉は東条に余計なことを言わないように説得しましたが、この説得に失敗するか、あるいは児玉が説得を拒絶する可能性もありました。このときのスペアとして、脛の傷を持つ政治家が笹川を巣鴨プリズンに送り込んだのでしょう。


 笹川がこれを受けたのは、山本の計画を知っていたか、あるいはうすうす勘づいていたからに違いありません。もしそうであれば、連合国が、危険な統帥-海軍-山本関係の裁判に深入りすることはなく、適当なスケープゴートに全責任を問わせて絞首台に送り込むことが読めていたはずですね。だから笹川は喜んで巣鴨プリズンに入れたのです。

 児玉は少し違います。12月23日に東条等が処刑された翌日、児玉が笹川に依頼を行いました。「先生、私は中国の略奪のことでビリに残るかもしれません。出られたら、あの辻嘉六にあっていただいて、彼に渡してあるいろんな大事なものを取り上げて欲しいんです」。しかし、当時、笹川と児玉は一緒に釈放されてしまいました。この大事なものとは、児玉機関の物資の一部でした。児玉は、首を吊られるかもしれないと覚悟していたみたいです(身に覚えもありますしね)。従って、謀略の全体像が読めていなかったことが分かります。6/12/27
(私論.私見) 笹川、児玉、岸の三者関係考
 これによると、笹川、児玉、岸がネオシオニストのエージェントでありつつ、三者の立ち位置が微妙に異なるという関係かわかる。スケッチ風の解説なので、この程度のことしか伝えられていないが、笹川の方が児玉より処世術に長けていたことが分かり興味深い。ロッキード事件の背後に笹川が見え隠れしており、笹川-中曽根ラインが上手に免責され、児玉と小佐野-角栄ラインが手酷くパッシングされたことが判明する。貴重な裏情報である。この種の情報が今後次第に漏洩されることになれば、ロッキード事件の裏舞台がもっと見えてくることになろう。

 2010.02.21日 れんだいこ拝

【匿名氏の指摘】
 2021年6月24日、「Flx3vY1o92
 ロッキード事件は中曾根康弘事案であって田中角栄事案ではないというのは今では常識だ。立花隆は田中角栄を貶める為に米国支配層及びその傀儡の依頼を受けて執拗に田中角栄を御用メディア及び東京地検特捜部と一緒になって攻撃し退陣に追い込んだ。その罪ははかり知れないいずれ歴史がこの偽物の物書きを断罪する時が必ずくる。解りやすく言えばただの米国DSに飼われた工作員という事だ!当時自主独立とやらの宮本顕治日本共産党も必死になって田中角栄のネガキャンしていた。
 1974年10月に出た、立花の「田中角栄研究」には、様々な謎がある。 一つは、情報源の問題である。 米国の上院チャーチ委員会で、ロッキードのスキャンダルが追及されるのは、1975年から1976年にかけてである。 立花は、1972年に、イスラエル政府の招待を受けて、現地を訪れている。 もう一つは、賄賂を受け取ったのは、田中だけでなく、佐藤栄作や源田実の名前も挙がっていたのに、何故、田中だけだったのかの問題である。

 The scandal involved the Marubeni Corporation and several high-ranking members of Japanese political, business and underworld circles, including Finance Minister Eisaku Satō and the JASDF Chief of Staff Minoru Genda.
 https://en.wikipedia.org/wiki/Lockheed_bribery_scandals

 多分、立花の受け取った資料には、既に、田中を狙い撃ちにする偏向が存在したと思っている。ロッキード事件の関係者に不審な死が連綿としているのは有名な話だ。(福田太郎や笠原正則など。)日本側への送金のパイプ役を務めたニコラス・ディーク(Nicholas Deak)も、不審死を遂げた一人で、精神病者の女性に殺害されてしまう。彼の会社「ディーク・ペレーラ」は、金に積極的投資を行ったことで有名だ。ディークは、CIAのエージェントでもあったから、黒い金のマネーロンダリングにも関わっていたに違いない。田中と同じくらい、ロッキード事件の重要な被告は、児玉誉士夫だ。シーグレーブの「Gold Warriors」によれば、児玉は、昭和天皇裕仁の結婚式にも招かれた黒龍会の頭山満の子飼いで、裕仁と皇族が行った戦争犯罪「金の百合」でも重要な役割を担っていた。

 Before the war ended, Kodama was Golden Lily’s most effective negotiator with gangsters in Indochina, Siam, Malaya, Burma, the Philippines and Indonesia, ・・・he was a favorite of Black Dragon boss Toyama,・・・・Black Dragon’s Toyama, whose own stature as a patriot was affirmed in 1924 when he was a guest at Emperor Hirohito’s wedding.

 戦前、天皇と皇族が、日本最大のスパイ組織(Civilian Spy Service)を所有して、束ねていたことは、バーガミニを引用して、別なコメントで述べた。
 http://www.asyura2.com/21/senkyo281/msg/382.html?c78#c78

 バーガミニを読むと、裕仁が、如何に中国、中国人嫌いで、彼らを軽蔑していたかが分かる。日中友好で、独断専行した田中は、裕仁の不興を買ったのではないか?

 バーガミニによれば、昭和天皇裕仁は、1957年から、週1回の内奏を要求した。こんなことが、現在も続いているとすれば、憲法上、大きな問題になる。

 Since 1957 he has demanded, in exchange for discharge of this duty, that he receive regular briefings, at least once a week, from the prime minister.






(私論.私見)