【Apes! Not Monkeys!氏の御用漫談考】

 (最新見直し2008.10.10日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「ロッキード事件」の項のネット検索で、仮称「Apes! Not Monkeys!氏のロッキード事件考」に出くわした。何時ごろサイトアップされたものか、執筆者のプロフィールもなく、「© All rights reserved 」については抜け目無く記すという作風であるからして流行りのサヨの手になるものであることが判明するが、その内容たるや酷すぎるので、れんだいこが批判しておく。

 それにしても、立花隆、徳本栄一郎、五十嵐仁、Apes! Not Monkeys!と続く執拗な御用漫談の根深さに驚かざるをえない。Apes! Not Monkeys!氏の場合、「初めて当サイトをご覧になる方へ」の中で冒頭「おかげさまで、「ロッキード裁判」をGoogleで検索するとかなり上位にヒットするようになりました」とあるからして、2008.10.10日現在同様に上位にランキングされている「れんだいこのロッキード事件考」の存在を承知していることが推定できる。

 興味深いことは、Apes! Not Monkeys!氏の観点が、「れんだいこのロッキード事件考」の諸内容に悉くアンチの立場から論述していることである。こうなると、議論を求めて行かざるを得まい。怪文書風でもあるので、まともに相手にすることも無いのだが、角栄復権を念ずるれんだいこは放っておけない。

 2008.10.10日 れんだいこ拝


【ロッキード事件の胡散臭さを否定する徳本見解考】
 Apes! Not Monkeys!氏は、「初めて当サイトをご覧になる方へ」の中で、自身の立場を概要「角栄訴追派の立花隆の立論と訴追批判派の渡部昇一の議論を読み比べてみて『立花隆の完勝』という判断を下した」と明らかにしている。
 続いて、執筆動機を次のように述べている。
 概要「いまだに「ロッキード裁判=暗黒裁判」論が生き残っていること、小室直樹や渡部昇一が(立花隆によって論破された、と私が判断した)議論をその後も繰り返していること、田中側弁護団の一員だった弁護士や、田原総一郎(注・朗)がロッキード裁判を批判する本を出版していること、ネット上でも渡部昇一に依拠した批判論者と、立花隆に依拠した反批判論者とが論争していたこと…などを発見した。私自身も、この過程で某巨大掲示板に投稿し、ロ裁判批判論者と論争することになった。某巨大掲示板では相手が消えてしまったため、自分のサイトに場所を移してこの問題に関する研究を続けることにした次第」。

 続いて、「いまやロッキード裁判批判論は「ロッキード事件陰謀論」とワンセットになりつつある」点に関して、次のように述べている。

 「陰謀論が流行るのは社会の知的風土として健全ではない。根拠を欠いた裁判批判論が陰謀論の補強に使われるのを避けることも私の目的である」。

 つまり、Apes! Not Monkeys!氏が、「今流行りの陰謀論」をかなり意識しており、陰謀論隆盛に対して何とかして批判してみたいらしいことが分かる。

 続いて、角栄論に対して、次のような見地を披瀝している。

 「しかしながら、現在の日本はバラマキ政治とそれを可能にした与野党の馴れ合い(国体政治)の重いツケを払わされようとしているのであり、そうした政治手法の創始者ではないにしてもいわば完成者である田中角栄の政治家としての評価はこうした側面を無視して行われてはならない。ロッキード事件は(もしそれが事実なら)いわゆる「田中型政治」の必然的な帰結として生じたものであり、裁判批判が無責任な「政治家田中角栄」の再評価を可能にするようなことがあってはならないのである」

 つまり、Apes! Not Monkeys!氏が、「立花式諸悪の元凶角栄論」に与していることが分かる。

 続いて、「妙なロッキード裁判論」を次のように述べている。
 「第四に、人間の記憶の頼りなさという問題がある。多くの人にとってロッキード事件は過去の事件、場合によっては生まれる前の事件になってしまっている。私自身も、この件について調べるなかで多くのことを忘れていたこと、また(当時幼かったがゆえに)よく知らなかったこと、に気付かされた。裁判批判論が命脈を保っている一つの要因は、こうした忘却(ないし記憶が伝承されていないこと)なのである。例えば裁判批判派は、検察と裁判所が「田中有罪」という予断を持った世間の圧力によって暗黒裁判を行ったのだ、と批判する。これだけを読めば「そういわれれば新聞は田中バッシング一色だったなぁ」と思い込まされてしまうかもしれない。たしかに、特に捜査段階ではそうした雰囲気があったのも事実である。だが、田中は起訴後も国会議員として在職し、自民党員でもないのに大臣人事などを牛耳り、日に陰に検察に圧力をかけ続けたのである。世論の圧力があったとしても、それに対抗する政治的な圧力が存在したのであって、この点を無視した「暗黒裁判」論は一面的といわざるを得ない」。

 つまり、ロッキード裁判に種々問題があったとしても、角栄がその後も政界の大物として位置し続けていたことに着目せよと云う。この点を無視して「暗黒裁判論」を述べるのは一面的だと云う。この発言一事でもって、Apes! Not Monkeys!氏が文筆業の徒輩ではあっても法律の学徒では無いことが分かる。法律の学徒なら、ロッキード裁判後に角栄が失脚しようが健在であろうが関係なく、ロッキード裁判そのものの法的是非を争う。この観点を持たないばかりか、この観点に立つのを一面的と評している。通常、Apes! Not Monkeys!氏のような立場を政治主義と云うが、この手合いで゜あることが判明する。

 次に、「立花-渡部論争」に対して次のように評している。
 「私が両者のテクストを読み比べた限り立花隆の言い分のほうが圧倒的に筋が通っている。ロッキード裁判に関する限り、渡部昇一はかなり悪質な書き手である、ということである」。
 「渡部昇一のロ裁判論争におけるふるまいは、善意の間違いの域を明らかに超えるものが含まれており、言論人としてのクレディビリティを問われてもやむを得まい、というのが当サイトの立場である」。

 Apes! Not Monkeys!氏がここまで罵倒する以上、渡辺氏かれんだいこかその他の者によってかは別にして、自身が罵倒されても文句は言えまい。

 次に、「嘱託尋問調書問題」に関して次のように述べている。
 「この論点に関する私の見解はご面倒だが過去ログをご覧いただきたい。結論だけを言えば、どの点においても違法な点はない、ということになる」。

 既にApes! Not Monkeys!氏が法律の学徒では無いことを確認してきたので、その彼が何を云おうと法律能力的な意味は無いのだが、ここまではっきりと明言される御仁も珍しい。

 締めとして、次のように述べている。
 「もちろん、これは私の側の認識である。もし批判派の側で異議があるならば、独自の認識をまとめてお送りいただきたい(私の整理と同程度の字数で)。お望みならここにあわせて掲載させていただく」。

 れんだいこが気に入ったのは唯一ここのくだりだけである。れんだいこが相手にするに足りるのか足りないのか、これだけのことになる。暫く思案してみることにする。

 2008.10.10日 れんだいこ拝





(私論.私見)