徳本栄一郎ー五十嵐仁−立花隆の御用漫談考

 更新日/2022(平成31.5.1栄和元/栄和4).10.29日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、今なおロッキード事件に於ける角栄有罪説を振りまき説教し続けてくれる懲りない面々の論理と論法を解析することにする。徳本栄一郎、五十嵐仁、立花隆の連携を俎上に乗せ、れんだいこが調理してみよう。この三名は次の事由によって重責である。即ち、歴史と云うのは、その時代のニューマ(雰囲気)で読み取られねならない。そういう意味では、当時、角栄は金権政治の代名詞となり、一罰百戒式の角栄批判で政界浄化を願ったことには一分の正義があった。よって、角栄批判に興じたこと自体は時代のニューマのことでもあり、一片の自己批判をもってすれば許されよう。許されないのは、角栄政界追討から30年、事件を相対化し得るこの時期に於いてなお「諸悪の元凶=角栄」観でもって角栄追討の正義を得々と語る傲慢さないしは悪意である。日共の不破の謂いによれば、「たかが5億円の金欲しさにロッキードに手を出した云々」のように更に低俗に言い直し、角栄死してなお死者に鞭打つ弁を披瀝している。角栄時代の日本と今の日本を比べれば自明で分かることであるにも拘らず、かような弁を今も弄ぶ輩は許し難い。

 ここで、「ロッキード事件」は政治史上どういう意味を持っているのか」を確認しておく。ロッキード事件は、戦後保守主流派を形成していた角栄−大平ラインいわゆるハト派系保守に脳震盪をお見舞いした。以来、世界史上に誇る戦後日本の正成長が止まった。その混乱の間隙を縫うようにして代わりに台頭してきたのが、現代世界を牛耳る国際ユダ邪シオニストに身も心も委ねた買弁政治家であった。当然それまでもシオニストの政治工作は為されてきていたが、民族主義的基盤に立脚しつつ国際主義路線を上手く操作していたハト派の頭脳により、為に彼らを容易に御すことができなかった。しかし、ロッキード事件を通してハト派を蟄居せしめていった後釜に国際ユダ邪系売国奴どもを据えることにより、その統治が格段とやりやすくなった。その成れの果てとして今日ある通りの惨状政治となっている。これが、「ロッキード事件の持つ政治史的意味」である。

 しかし、この本質は容易には透けて見えてこない。なぜなら、国際ユダ邪は最終局面に於いてしか表に出ず、それまでは身を隠すように寄生虫的に宿ることを習性とするからである。もう一つは、国際ユダ邪系売国奴どもは、自身の正体をカムフラージュする為に民族主義、愛国主義を気取るからである。彼らのこの表の顔に幻惑されると上述のようなれんだいこ分析ができなくなる。この場合の処方箋は、「云うことよりも為していることを見よ」である。口舌における民族主義的言辞を排斥し、その言辞の裏で如何に国際ユダ邪の意向を踏まえて買弁政治をしているか、その「口で愛国、裏で売国」ぶりを把握すれば良い。1980年代の中曽根政治、2000年代の小泉政治は吐き気を催さざるを得ないほどに国際ユダ邪直系政治を暴力的に敷設した。その小泉派は、後継の安部政権に揺さぶりをかけ続けており返り咲きを狙おうとしている。

 このことは次のことを教える。今や、いわゆる右翼も古来の民族主義派と新種の国際主義派に分裂している。時の政権に対する御用化という意味では一蓮托生しているが、この両者は本質的に相容れない。これを踏まえて、日本左派運動はこの対立を御す能力を身につけねばならない。れんだいこなら次のように対応する。古来の民族主義派に対しては、愛民族、愛国精神という意味で共同戦線を組む。しかして、愛民族、愛国精神に基づく排外主義の一切を受けつけない。真の国際主義的原理原則に背馳する新種の国際主義派即ち国際ユダ邪派に対しては、そのマヤカシと危険性を警鐘乱打し抜く。

 2004.6.4日、2007.2.3日再編集 れんだいこ拝


【ロッキード事件の胡散臭さを否定する徳本見解考】
 元ロイター通信の記者の現在独立ジャーナリスト・徳本栄一郎氏(以下、単に「徳本」と記す)は、ティム・シャロック氏との共著「ロッキード事件無罪論を一蹴する機密資料! 『角栄の犯罪』25年目の新事実」(文藝春秋、2001.8月号)に続いて、新たに「角栄失脚歪められた真実」(光文社 ペーパーバックス、2004.12.20日)を刊行した。徳本は、本書の中で、これを否定する為に書いているのだが、「角栄失脚事件後遺症」に関して次のように記している。
 「なぜ日本の政治家 politicians は口をそろえて『アメリカに逆らったら、田中角栄みたいに潰される』と言うのだろうか? なぜ『CIAにスキャンダルを握られたらおしまい』と言うのだろうか? 1974年、金脈追及で退陣した角栄は、その2年後、米上院 Senate の小委員会で発覚したロッキード事件Lockheed Scandal で葬り去られた。この戦後日本最大のスキャンダル以降、『角栄はアメリカの逆鱗に触れた』という“アメリカ陰謀説”が流布 widespreadすることとなった。最初にこの説を唱えた田原総一朗から、石原慎太郎や中曽根康弘などの政治家に至るまで、今でもこの説を信じきっている。これが、現在の日本の対米追従の原因となっているのだ」。
(私論.私見) 「徳本栄一郎の逆さま疑問」について
 徳本栄一郎は、冒頭で「ロッキード事件はアメリカの陰謀だったのか? 今、30年間の封印を解く。初公開の米外交機密文書、関係者インタビューを通して、『角栄失脚後30年のトラウマ』を解き明かす!」と述べ、末尾で「これは真実 the truth なのだろうか? 膨大な米外交機密文書と徹底した現地取材を基に、今、 その真実に迫る」として上記見解の否定に向っている。要するに、れんだいことは逆さまに疑問を持つ御仁らしい。

 末尾の「最初にこの説を唱えた田原総一朗から、石原慎太郎や中曽根康弘などの政治家に至るまで、今でもこの説を信じきっている」とは粗雑な見解だ。田原総一朗はともかくも、石原慎太郎、中曽根康弘が「今でもこの説を信じきっている」様子を聞かせて見てくれ。れんだいこに云わせれば、田原はヌエ的な論評をしており、石原、中曽根は角栄とは反目だ。まともな疑問を提起する訳がなかろうに。

 2005.6.19日再編集 れんだいこ拝
 徳本は、ロッキード事件勃発時の「誤配達資料による事件漏洩の怪」について、「そもそもあの謀略説がよって立つ郵便物の誤配事件というのは存在しなかった」と訂正し、ロッキード事件の「怪事件」性を否定して悦に入っている。次のようなやり取りを紹介している。
取材者  「何故、ロッキード社の秘密資料がチャーチ委員会に送りつけられたのか。一体誰がしかけたのか?」
委員会  「一体、何の話だ。我々の資料は真相を究明するためにロッキード社から正規の手順で入手した物だ。田中を追い落とす陰謀などなかったと断言できる」
取材者  「しかし、今でも日本では、田中が独自の資源外交を展開することでアメリカを怒らせ、その結果、スキャンダルを流されて葬られたとする説が有力です。政府から、『田中を狙え』といった要請はなかったのか?」
委員会  「冗談ではない。上院の委員会は時の政権とは別物の独立した存在だ。私たちに『田中を葬れ』などと命令した人物は一人も居ない。全くありえないことだ」
(私論.私見) 「徳本の委員会声明真実論」について
 徳本が、委員会声明通りに「上院の委員会は時の政権とは別物の独立した存在だ。私たちに『田中を葬れ』などと命令した人物は一人も居ない。全くありえないことだ」と推理するとすれば、相当な政治的小児病者だろう。 

 2005.6.19日再編集 れんだいこ拝

【五十嵐の御用漫談考】
 五十嵐仁氏(以下、単に「五十嵐」と記す)は、「左翼に信頼厚い」御仁とのことであるが、徳本の「ロッキード事件無罪論を一蹴する機密資料! 『角栄の犯罪』25年目の新事実」で繰り広げた「ロッキード事件の胡散臭さ否定」(これを仮に「徳本見解」とする)の姿勢がお気に入りらしい。「転成仁語」の「最終的に否定されたロッキード事件アメリカ謀略説」が「徳本見解」を支持して次のように述べている。

 「私がその名前を思い出したのは、拙著『戦後政治の実像』で、彼がティム・シャロックさんと一緒に書いた論攷「ロッキード事件無罪論を一蹴する機密資料! 『角栄の犯罪』25年目の新事実」(『文藝春秋』2001年8月号)を利用させていただいたからです。本書にもその一部が出てきます。『総理大臣の犯罪』を暴き、田中逮捕に結びついたロッキード事件はあまりにも有名ですが、それが発覚した端緒はチャーチ委員会(米多国籍企業委員会)にロッキード社の秘密資料が誤って配達されたからだという『誤配説』が唱えられてきました。このような『誤配』は通常では考えられず、田中角栄を失脚させるために意識的になされたのだというのが、ロッキード事件アメリカ謀略説になります。徳本さんらの論攷は、この説を完全に否定するものでした。大変説得力のあるもので、これを読んだときは是非本にしてもらいたいと思ったものです。それが、ようやく本になったというわけです。一読して、『謀略説』は木っ端微塵に粉砕されたと思いました。私自身は、すでに拙著第5章の3『ロッキード事件アメリカ『謀略説』の虚妄』で、このような『俗説』への反論を書いています。私が『虚妄』だと考えるに至ったのにはさまざまな理由がありますが、徳本さんらの論攷を読んだこともその一つになっています」。

(私論.私見) 「五十嵐仁の逆さま疑問」について
 要するに、「五十嵐」も又れんだいことは逆さま疑問を持つ御仁らしい。

 2005.6.19日再編集 れんだいこ拝

 「五十嵐」は、「現在、日本で流布しているロッキード事件陰謀説conspiracy theoryの主なものを紹介しておく」として次のように書いている。

 「本文をお読みいただく前に、現在、日本で流布しているロッキード事件陰謀説conspiracy theoryの主なものを紹介しておく。

●石油をはじめとする田中角栄の独自の資源外交が米国政府を刺激した。
●同じくユダヤ系多国籍企業(ロックフェラー)の怒りを買った。
●田中角栄の新中国・反米政策が米国を刺激した。
●陰謀を発案したのは、ヘンリー・キッシンジャー国務長官らである。
●陰謀を実行したのはCIAである。
●陰謀の第1歩は、田中角栄を辞任に追い込んだ雑誌『文藝春秋』の田中金脈追及の記事である」。


 「五十嵐」は次のように提灯している。
 「結論から言えば、こうした陰謀説すべてが虚構だったというのが、筆者の結論である」。
 「本書によって、ロッキード事件アメリカ謀略説は最終的に否定されたと言って良いでしょう。このような説が生まれてきた背景についても、また、このような説によっていかなる否定的影響が残ったのかという点についても、本書は詳細に明らかにしています」。

 「五十嵐」は道中で面白い書き方をしている。
 「『そんなバカな、と思われる読者も多いだろう。だが、本書を読んでいただければ、この結論に至った理由を納得してもらえると思う』と、徳本さんは、自信たっぷりに書いています」。
(私論.私見) 「五十嵐氏の逆さま疑問」について
 しかし、これは変な書き方だ。「そんなバカな、と思われる読者も多いだろう」とはどういう意味か。現在、ロッキード事件に対する見方は、圧倒的に立花プロパガンダの方が受け入れられている。いわば立花ー猪瀬ー徳本ー五十嵐ラインの見解の方が通説だ。故に、陰謀説を否定する立花ー猪瀬ー徳本ー五十嵐見解に対して「そんなバカな」と思う人は多くない。しかし、通説派の手前達が「そんなバカな、と思われる読者も多いだろう」と危惧していることになる。何だこりゃぁ。そんなに自信ないのかよ。

 次の書き方も微妙だ。「確かに、本書には最高機密とされる米政府の秘密文書などが豊富に用いられ、巻末には9点の重要文書が付録として掲載されるなど、極めて説得力溢れるものとなっています」。ちょっと待てよう。「最高機密とされる米政府の秘密文書の開示」はそれはそれで歓迎だ。だがしかしそれにしても、徳本が、「米政府の秘密文書などを豊富に用いている」のはどうしてそれが可能になったのかな。語るに落ちる話ではないか。なんなら、れんだいこの欲する資料も取ってみせて貰えるか。

 2005.1.10日 れんだいこ拝
 この「五十嵐」の政治的スタンスを物語る貴重な資料を見つけたので転載しコメントしておく。「阿修羅 > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ35 」のbe 氏の2004 年 5 月 29 日付投稿「女性天皇の容認ではなく天皇制そのものをなくすべきだ[五十嵐仁の転成仁語」。

 http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm

 5月27日(木)

 女性天皇の容認ではなく天皇制そのものをなくすべきだ

 皇太子妃・雅子さんについての皇太子の発言の余波がまだ続いています。このような形で大騒ぎされること自体が雅子さんのストレスを高めているということに、マスコミは気づいていないようです。それに、問題の本質は宮内庁や担当者の個々の対応にあるのではなく、天皇制という非近代的な制度そのものにあるということにも、気づいていないようです。困ったものです。どうして、こんなに簡単なことが分からないでしょう。個人主体のこの世の中で、家や血筋によって公的制度を維持しようとすること自体に無理があるのだということに……。天皇制は、血筋が途絶えたらおしまいです。天皇の直系に子孫が生まれなかったら存立の危機に立たされるという制度自体が時代遅れだということが、どうして分からないのでしょうか。昨日、参院憲法調査会は天皇制について学識経験者らから意見を聴いて議論したそうです。雅子さんを擁護する皇太子の最近の発言を心配する意見が出され、女性天皇について容認する意見が相次いだそうです。
 「不必要なプレッシャーを天皇家にかけるようなことはよくない。はやく女帝を認めるべきだ」(民主党・江田五月議員)
 「現行制度のままではいずれ皇位継承資格者がいなくなる。女性天皇を認めることが必要だ」(園部逸夫・元最高裁判事)
 「自分の娘がなぜ男児を産めないかといわれたらどんなに苦しむか。女性天皇の議論は、人間の尊厳、個人の尊重の問題だ」(笹川紀勝・国際基督教大教授)
 「雅子さまの騒動を見ても、とてつもないプレッシャーがある。女性の皇位継承を認めていくべきだ」(民主党・若林秀議員)

 それぞれ、もっともな意見です。「だから女帝を認めなさい」というのが、これらの人々の主張です。そのような制度改定が一つの解決策であることは、私も否定しません。それが女性の地位を高め、現在強まっている男女共同参画に対するバックラッシュへの反撃になるのなら、私も大いに賛成しましょう。しかし、ここで発言されている方すべてにお聞きしたいと思います。もし、その女帝に子供が生まれなかったらどのように言うつもりなのですか、と。「不必要なプレッシャーを天皇家にかけるようなことはよくない。はやく子供を生まない権利を認めるべきだ」、「現行制度のままではいずれ皇位継承資格者がいなくなる。血の繋がらない天皇を認めることが必要だ」、「自分の娘がなぜ子供を産めないかといわれたらどんなに苦しむか。天皇の出産の議論は、人間の尊厳、個人の尊重の問題だ」、「雅子さまの騒動を見ても、とてつもないプレッシャーがある。非直系の皇位継承を認めていくべきだ」とでも、仰るのでしょうか。結局、「女帝を認める」というのも、現状にあわせた小手先の解決策にすぎません。問題は、「男帝」か「女帝」かではなく、この民主主義社会において「帝」を認めること自体にあります。国民主権の国でありながら公的に人権を奪われ特権を持つ特別な人々が存在しているということ、それが血のつながりによってのみ存続可能であるということ。ここにこそ、問題の本質はあります。どうしてこのことが分からないのでしょうか。

(私論.私見) 「五十嵐」の天皇制否定論考
 「五十嵐」は、女帝天皇制の動きに対して、「女性天皇の容認ではなく天皇制そのものをなくすべきだ」論を対置して悦に入っている。概要「問題の本質は天皇制という非近代的な制度そのものにある。どうして、こんなに簡単なことが分からないでしょう」と云う。この御仁には、「天皇制廃止はそれほど簡明なことではない。どうして、こんなに簡単なことが分からないでしょう」と皮肉っておく。この御仁とれんだいこが何から何まで見解が齟齬する理由は、「五十嵐」が国際ユダ邪ネオシオニズムテキスト被れ、れんだいこがその真逆にあることに起因している。お互いのスタンスが変わらない限り永遠に交わらないだろう。

 2018.5.28日 れんだいこ拝啓
 この「五十嵐」の政治的スタンスを物語るもう一つの貴重な資料を見つけたので確認しておく。「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK283 」の「赤かぶ 日時 2021 年 9 月 09 日」付投稿「<もう辟易、権力亡者たちの国民無視>馬脚を現してきた河野太郎 悪相になった石破茂(日刊ゲンダイ)」で、法大名誉教授・五十嵐仁氏(政治学)の次のような言が記事にされている。
 「新総裁を目指す自民党議員のうち、9年にわたる安倍・菅政治を否定してきたのは石破氏だけ。今回の総裁選でも筋を通さなければ存在価値を失い、総理のイス欲しさにブレれば自己否定につながる。かつての国民の支持はどんどん離れるだけです。出馬に向け党内の支持を得られなければ、自民党は異論を許さない、それまでの政党でしかないということ。『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』です」。
(私論.私見) 「五十嵐」の石破自民党総裁選出馬教唆考
 「五十嵐」が、2021.9月の自民党総裁選に対し、「新総裁を目指す自民党議員のうち、9年にわたる安倍・菅政治を否定してきたのは石破氏だけ」と持ち上げ、「『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』です」と述べて出馬を教唆していることが判明する。「五十嵐」の「そもそもの親石破政治ぶり」が見て取れないだろうか。

【立花隆の徳本見解親疎性考】
 「阿修羅雑談専用22」の凡人氏の2007.1.31日付投稿「Re: なにゆゑに田中角榮は總理大臣と成つたのか。サクラメンテの怪會談と云ふ謎」が、立花隆の徳本見解との親疎性を紹介している。貴重情報なのでこれを転載しておく。「ロッキード事件でさかんに流されるのがアメリカの謀略説ですが」の問いに、立花は次のように答えている。

 「この木村弁護人の本もそうだし、真紀子もよく唱える説ですがアメリカ謀略論を唱える人が皆依拠しているのが田原総一郎の『アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄(1976年7月号、中央公論)』という論文です。これまた内容的には噴飯ものなんですが多少もっともらしい所があるため、田中信者はみんなあれを信じてしまっている。要するに、角栄が、中東、アフリカ、オーストラリア、ロシアなどを飛び回って独自の資源外交を展開し、自前のエネルギ源を入手しようとしたのが、日本のエネルギ−市場を握るアメリカ石油メジャの怒りを買い、メジャの手先であるキッシンジャ−が謀略を仕組んだという話になってくるわけです。

 あれが謀略だとする話の根拠としてすぐ出てくるのがロッキード事件を最初に暴いたチャーチ委員会に資料が実は郵便物の誤配で届いたという話です。そんなバカな話はありっこないからこれは謀略に違いないというわけです。だけど、むしろ謀略だとしたらそんなおかしな手を使うはずがないじゃありませんか。謀略機関が資料を相手に掴ませる手はいくらでもあります。大体、もし本当にチャーチ委員会にそんなものが誤配で届けられたとしたら誤配と気付いて、そもそも中を見ないで返送するだろうし、偶々開封したとしても同じでしょう。中を見てから誤配ときづいたのにこれ幸いとガメて資料として利用してしまうなんてことがアメリカ上院の調査委員会で起こるわけないでしょう。

 そもそもあの謀略説がよって立つ郵便物の誤配事件というのは存在しなかったんです。それがなぜかくも安易に信じられてしまったのかというと、あのロッキード事件の衝撃的な第一報にそう書かかれていたからです。(中略) しかし、この「謀略説」ずっと後になって、チャーチ委員会に直接取材して書かれた。徳本栄一郎/ティム・シャロック「角栄の犯罪、25年目の新事実」(文芸春秋、2001年8月号)で全くの事実無根である事が疑問の余地なく示されています。
取材者  「何故、ロッキード社の秘密資料がチャーチ委員会に送りつけられたのか。一体誰がしかけたのか?」
委員会  「一体、何の話だ。我々の資料は真相を究明するためにロッキード社から正規の手順で入手した物だ。田中を追い落とす陰謀など無かったと断言できる」
取材者  「しかし、今でも日本では、田中が独自の資源外交を展開する事でアメリカを怒らせ、その結果、スキャンダルを流されて葬られたとする説が有力です。政府から、『田中を狙え』といった要請はなかったのか?」
委員会  「冗談ではない。上院の委員会は時の政権とは別物の独立した存在だ。私たちに『田中を葬れ』などと命令した人物は一人も居ない。全くありえないことだ」

 角栄が資源外交に力を入れたことは事実です。そもそもあの程度の、成果のほども分からぬ資源外交で(岸なんか前から随分とやってます)、メジャーがこの男将来危険だから今の内に総理大臣の座からひきずりおろしてしまえと謀略をたくらんでロキード事件のような事件を起こしますか。起こしたいと思ったとして起こせますか。大体どうやるんですか。ロッキード社をたきつけて田中に金を握らせるところからやるわけでしょうか。(中略)

 田中角栄なんてほんの一部です。事件全体のスケールはもっと大きいんです。あの事件は世界中数カ国にまたがるとてつもない広がりを持つ前代未聞の航空機商戦の汚職疑惑なんです。国はイタリア、フランス、ドイツ、オランダ、スペイン、スエーデン、インドネシア、フィリピン、トルコ、イラン、メキシコ、コロンビア、ナイジェリア、サウディアラビアなどにまたがりひっかかった人間の中には、イタリアのアンドレオッチ元首相、オランダのユリアナ女王の父君、ドイツのシュトラウス元国防省、スエーデンの空軍司令官といった人まで含まれています。角栄の資源外交をつぶすためにそれだけのスケルの大きな事件を謀略としておこすなど不可能ということは、あの事件をグローバルに捉える目を持っている人には疑問の余地なくわかる事です。その関連でキッシンジャを持ち出すのも間違いです。キッシンジャーは、日本への資料提供に抵抗する側にまわっているんです。それは、その当時それをちゃんと証拠立てる文書を入手して週刊文春1976年5月20日号が極秘文書発見『高官名公表を控えられたし キッシンジャー国務長官よりレビ司法長官宛』として報道していることです」。(後略)

 凡人氏は次のようにコメントしている。
 「立花氏は『田中角栄の金権批判』によって論壇デビュした。『田中角栄氏の業績見直し』は氏のジャーナリストとしての立脚点を大きく損ないかねないがゆえに、深刻な心的外傷を氏の内部に形成したであろうと想像される。いわばその意趣返しとも思えるのが下記の本である。『政治と情念』(立花隆、文春文庫、2005年8月、434頁)。立花氏は田中角栄ファミリーのどす黒い情念を書いているつもりなのだろう。しかし、読み手には、立花氏自身の恨みのこもった情念とトラウマがそのまま書き連ねてあるのがこの本であるように思えてくる。読み進むのが嫌になるほどの田中ファミリーへの悪罵の羅列である。以下はロッキード事件の顛末(370−374頁)部分抜粋:
(1)  立花氏が援用する資料は二つとも文藝春秋社発行の出版物であり他出版社による出版物での検証がされていない。
(2)  立花氏が言う、大掛かりな国際的航空機汚職にかかわった人間で一番の大物は、立花氏がどう小物に描こうとも現職総理大臣である田中氏であることは間違いない。
(3)  委員会の当事者に「田中首相を葬れ」といった議論のありやなしやを問うたとのことであるが、当事者が「そういう議論をした」なぞという回答をするとは想像しがたい。
(4)  レビ司法長官への極秘文書があるとのことである。内容が重大な内容のしかし、短くて済む連絡を文書でやり取りするとは思えない。そもそも、レビという名前はユダヤ十二部族の一つレビ族を連想させる。キッシンッジャー氏のお仲間ではないのか?」。
(私論.私見) 立花の徳本見解親疎考

 立花は、日共の宮顕−不破と並ぶ田中角栄追撃の大立役者であるが、そのヤリスギを現時点に於いては自己批判するところがあるのかなと思ったら、上述のような「立花の徳本見解親疎」ぶりは、立花が今なお意気軒昂に角栄追討の正義論をぶっていることが判明する。それにしても、立花−徳本−五十嵐トリオが形成されていることが分かり興味深い。れんだいこは、このような国際ユダヤ邪被れの手合いとは徹底的に闘う以外にないと考えている。立花ついては、「現代マスコミ論」の「立花隆の研究」でその胡散臭さを検証していくことにする。

 逆に、木村喜助氏の「田中角栄の真実」、増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」、平野貞夫「ロッキード事件、葬られた真実」の方がよほど為になる。

 2007.2.3日 れんだいこ拝


【れんだいこの「ロッキード事件に対する通説批判」】
 れんだいこは、海老沢NHK会長追い落とし過程にアンテナが働きつつある。いずれ私見を述べようと思う。その前に、ロッキード事件を思い返しながらもう一度確認しておく。

 インターネット検索でロッキード事件に関する次のような解説に出会った。「経済のこと」欄での「ロッキード事件(76年2月)」の項であるがこれを転載する。誰の手になる記述か不明であるが、極めて陳腐な通説を述べている。後日の証拠資料としてここに格納しておく。

 アメリカ多国籍企業ロッキード社が大型旅客機トライスターの全日空への売込みをめぐり、代理店の丸紅などを通じて約26億円の対日工作資金を政府高官らにばらまいた政・官・財癒着の戦後最大の構造汚職事件。

 ロッキード社は当時60年代末の軍用巨大輸送機C5Aの失敗から経営困難に陥り、業績回復のための新たに民間機の分野への進出を行い、急遽トライスターL1011を開発したが、肝心の売り込みが競争関係にあるDC10に遅れをとっていた。形勢逆転を図るため、ロッキード社は秘密コンサルタントの児玉誉士夫と政商小佐野賢治、代理店の大手商社丸紅、全日空の3つのルートから田中角栄首相・橋本登美三郎運輸相・佐藤孝行運輸次官など日本政府高官に約25億円の買収工作を行った。

 また、閣議で『国産化』方針が決定し、研究開発費も予算支出されていた対潜哨警戒機(PXL)をロッキードのP3C(一機100億円)の輸入に切り替えさせる工作を行った。これらが76年2月米上院外港委員会の公聴会でのコーチャン証言を契機に発覚した。

 そして、田中角栄前首相が7月に5億円の受託収賄罪で逮捕された。こうした汚職事件は、自民党の一党独裁政権の下での構造的汚職であり、日本政治の後進性を示すものである。

(私論.私見) 「インターネット検索でのロッキード事件解説」について
 これが「ロッキード事件」に対する通説的理解のようである。しかし、れんだいこにはとても受け入れられない粗雑、歪曲、捻じ曲げ、すり替え、倒錯的解説であるように思われる。しかしてこの理解の差を埋めるにはあまりにも道が遠過ぎるように思える。なぜなら、いくら議論を尽くしたとしても、俺はそう理解したいんだと言い張られれば議論の甲斐がないからである。しかも、通説のほうが大勢を占めているのだからして、少数派のれんだいこ見解が聞き届けられることなぞ有り得ず、仮に有り得たとしても「針の穴にらくだを通す」困難さを伴うであろう。

 2005.1.10日 れんだいこ拝

 しかし、述べておかねばならない。以下、解析する。
 第一節「アメリカ多国籍企業ロッキード社が大型旅客機トライスターの全日空への売込みをめぐり、代理店の丸紅などを通じて約26億円の対日工作資金を政府高官らにばらまいた政・官・財癒着の戦後最大の構造汚職事件」について。
(私論.私見) 「ロッキード事件の一般的解説」について
 この捉え方には問題ない。

 第二節「ロッキード社は当時60年代末の軍用巨大輸送機C5Aの失敗から経営困難に陥り、業績回復のための新たに民間機の分野への進出を行い、急遽トライスターL1011を開発したが、肝心の売り込みが競争関係にあるDC10に遅れをとっていた。形勢逆転を図るため、ロッキード社は秘密コンサルタントの児玉誉士夫と政商小佐野賢治、代理店の大手商社丸紅、全日空の3つのルートから田中角栄首相・橋本登美三郎運輸相・佐藤孝行運輸次官など日本政府高官に約25億円の買収工作を行った」。
(私論.私見) 「ロッキード事件贈収賄の一般的解説」について
 ここは故意か知らずでか、後段の下りが捻じ曲げられている。1976(昭和51).2.4日の米国上院外交委員会の多国籍企業小委員会の公聴会証言で明らかにされたことは、ロッキード社が販売促進の為の工作資金として、日本の場合にはその政府高官たちに1千万ドル(当時の円換算で約30億円相当)の工作資金を流し、そのうち708万5000ドル(当時の円換算で約21億円相当)が児玉に秘密コンサルタント料として渡った」との証言である。この時点で、児玉と実懇な間柄は中曽根ーナベツネであり、必ずしも田中角栄首相・橋本登美三郎運輸相・佐藤孝行運輸次官には結びつかない。

 それを無理矢理に中曽根ラインの胡散臭さを切り捨て、角栄ラインの方へ責任追及して行ったのがいわゆるロッキード事件である。れんだいこは否定する観点を持っているが仮に角栄に5億円渡ったとして、仮に二階堂、橋本、佐藤らに云われるような数百万円が渡ったとして、ならば全体の30億円、児玉への21億円のうち残余のより巨額な方のカネはどこへ行ったのか。当然詮索されるべきであるが、ここが闇に消えてしまっている。これを解くのがもう一つの「ロッキード事件」なのであるが、これを不問したまま皮相的解説に終始している。

 第三節「また、閣議で『国産化』方針が決定し、研究開発費も予算支出されていた対潜哨警戒機(PXL)をロッキードのP3C(一機100億円)の輸入に切り替えさせる工作を行った。これらが76年2月米上院外港委員会の公聴会でのコーチャン証言を契機に発覚した」。
(私論.私見) 「ロッキード事件贈収賄の一般的解説」について
 P3C問題が「76年2月米上院外港委員会の公聴会でのコーチャン証言を契機)に発覚した」とあるが、この論者は何か誤解しているのではなかろうか。れんだいこは、この指摘が事実かどうか分からないが、ロッキードとP3C問題をごちゃまぜにしているのではなかろうか。

 問題は次のことにある。ロッキード社の大型旅客機トライスターの全日空への売込みはいわば民間取引である。P3Cは自衛隊への軍用機売込みであるからしていわば公金であり、しかもその金額も大きい。本来なら、こっちの方がより重要であり、しかもここでも中曽根の悪事が見え隠れしている。しかして、中曽根ラインへの捜査は今に至るも行われていない。

 第四節「そして、田中角栄前首相が7月に5億円の受託収賄罪で逮捕された。こうした汚職事件は、自民党の一党独裁政権の下での構造的汚職であり、日本政治の後進性を示すものである」。
(私論.私見) 筆者の軽佻浮薄なロッキード事件観について
 もうれんだいこが指摘するまでもなかろう。「こうした汚職事件は、自民党の一党独裁政権の下での構造的汚職であり、日本政治の後進性を示すものである」などという結論は、凡庸過ぎてお話にならない。

 なぜなら、構造的汚職は「自民党の一党独裁政権」に起因するものとは必ずしも断じ得ない。「自民党の一党独裁政権」から任意ななにがしの政権へ転じたとして、構造的汚職のない時代を信じられるものはよほどおめでたい御仁であろうから。

 「ロッキード事件が日本政治の後進性を示すものである」との理解はどうだろう。かなりピンボケした結論ではなかろうか。それが証拠に、角栄派を駆逐した現下のタカ派系ラインの政治が、池田ー角栄ー大平ー鈴木時代のハト派政治より先進的になったとは到底みなされないから。

 2005.1.28日 れんだいこ拝

【角栄悪玉、三木善玉論の虚構について】
 ロッキード事件を検証してみて、今日なお「角栄悪玉、三木善玉論」的道徳規律論で把握している俗物輩が居る。こういう手合いに漬ける薬が無いので放置しておくが、万が一道徳規律論で評しても「三木悪玉、中曽根大悪玉、角栄善玉論」にならねばウソであろう。一言申し添えておく。

 2005.5.31日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その144 れんだいこ 2006/02/05
 【毎日新聞が「ロッキード事件30年」を特集の企画は良いけれど】

 2006.2.5日、毎日新聞が「ロッキード事件30年」を特集している。こういう取り上げをしないよりはした方が良いので批判を割り引くが、それでもその論調は許しがたい。他の新聞社にしても似たり寄ったりのものであろうから、右代表として批判しておく。

 一体、「ロッキード事件」とは何だったか。今日でははっきりしている。現代世界を牛耳るネオシオニズム国際金融資本勢力(国際ユダ邪)が、戦後奇跡の復興を遂げ、なお且つ「軽武装、国際協調路線」の下で理想的に未曾有の経済的発展を遂げ国富を蓄積しつつある戦後日本に対して、これ以上の成長は御せなくなると考え、再コントロールせんが為に、邪魔者であった民族系の政府自民党内ハト派の総帥田中角栄を叩き、更に政界追放することによって一罰百戒し、代わりにいつでも言う事を聞く御用聞きのタカ派系に政権を握らせるに至った一大政治的謀略事件であった。この場合に於けるタカ派系とは、戦前の鬼畜米英式の国粋主義派とは全く違う、表見的にはそれを演出し口走ってもその実は国際ユダ邪に身も心も掴まれた売国派エージェントのことを云う。

 「ロッキード事件」以降の中曽根政権誕生から今日の小泉政権に至る過程は、ますますこの流れを強め、今日では単に政界のみならず「政財官学報」の国家中枢五者機関(今日では「政財官学報司警軍」の国家中枢八者機関)の全てが連中に支配され、もはや如何ともし難い流れにあるように見える。先の郵政民営化は、日本の国庫秘金を狙うもので、日本コントロールの最後の総仕上げであった感がある。

 この時代にあって、毎日新聞の「ロッキード事件30年」特集はこの流れを是認する見地から、「検察の正義」を褒めそやしている。「ロッキード事件」以前以後のマスコミの在り方の際立った違いをここに認めることができる。以前は、まがりにも「司法の冤罪」を追及するのがジャーナリズムの精神であった。れんだいこは、それまではかの読売新聞にさえそういう記事を目にしたものだった。以降は、「司法の正義」を提灯し、その摘発にエールを贈る痴態を晒し続けている。今や、現代マスコミは、「お上の瓦版」とでも云うべきだろう。

 「ロッキード事件」とは、戦後政界の傑物、恐らく日本史上に於いても世界史上に於いてもその名を残し続けると思われる偉才鬼才であった田中角栄を政界から葬る為に、用意周到に仕掛けられた事件である。ここを踏まえなければこの事件の闇は解けない。1976.2.4日の米国議会で、ロッキード社の世界各国に於ける政府高官への贈賄事件が勃発した。以来、特に日本で喧騒が激しく、捜査の綱は無理矢理に角栄へと絞られていった。金額的にも質的にもより重大であった児玉ー中曽根ーナベツネー松野ラインの自衛隊航空機商戦を廻る贈収賄事件の捜査は見送られ、あったかどうか今も分からない5億円授受に繋がる全日空旅客機商戦の方へと的が絞られていった。

 時の三木政権は、これを逆指揮権発動で押し進め、米国側の証拠情報と機略に全面的に乗りかかりながら、ひたすら角栄逮捕へとはしゃいでいった。丸紅、全日空ら全日空旅客機商戦関係者の国会喚問を皮切りに、二階堂、橋本ら5名の政府高官逮捕へ地均ししながら、これら雑魚から一挙に大魚を釣り上げた。これが角栄だったという次第である。時の首相を別件の外為法違反で逮捕するという前代未聞の不祥事がここに刻印された。翌日からの取り調べて、サンケイ新聞が「角栄自供」との大見出しのニセ新聞を作り、検察の捜査に協力するという異常な事件も起っている。

 この間、立花隆なる胡散臭いネオシオニスタン御用評論家がラッパを吹き続け、これに唱和するかの如くタカ派系右翼、社共、労組、マスコミが歩調を揃えながら角栄包囲網を形成していった。中でも日共宮顕ー不破ラインの角栄訴追運動は激しく、怨念をぶつけるかのように「諸悪の元凶角栄史観」なるものを「左」から喧伝していった。マスコミのはしゃぎぶりも異常であった。角栄には人権は許されず、本来なら美談でさえ角栄叩きに仕立てられていった。

 この連中が今日に於いてそのやり過ぎを自己批判するのならまだしも分かる。だがどうだ、毎日新聞の「ロッキード事件30年」特集は、当時の捜査と報道のコンビネーションを自画自賛しまくっているではないか。当時の東京地検特捜部検事堀田力、当時の政治部取材班キャップ岩見隆夫、当時の社会部司法クラブキャップ山本祐司の三者対談の事件回顧談は、ネオシオニズムの日本政治席巻に無自覚なままに事件を追い続け、角栄逮捕に溜飲を下げた馬鹿馬鹿しさをさらけだしている。思えば、こういう弱脳手合いが世にはびこるのが世の中かも知れない。こういう弱脳手合いでなければ出世も権力も手にできないという意味での世の中のカラクリというものを改めて知る良い機会かも知れない。

 れんだいこの怒りはおさまらないが、ここで銘々の発言の重要な部分を確認しておく。堀田は相も変わらず「諸悪の元凶角栄史観」を披瀝し、その風潮を断ち切ったところに検察の役割があったと、凡そ検察としては越権的な総括に酔いしれており、痴愚振りを披瀝している。但し、重要な新証言をしている。三木首相がロサンゼルスに直接電話してきて「どれくらいでケリがつくか教えてくれ」と、首相が捜査に直々に関与しようとしていたことを明らかにしている。岩見も堀田も「やり過ぎ」と述べているが、そういう問題ではなかろう。三権分立を犯す直々の首相犯罪ではないか。これこそ相当な事件である。こういう秘話が今日漏洩されても後の祭りであるが、そういう異常さがロッキード事件には付き纏っている。
 
 山本もこれまたお目出度い発言をしている。布施検事総長の「すべての責任は私がとるから思う存分捜査して欲しい」発言に対し、「現場を感激させた。下からの信望が厚かったですからね」と提灯している。山本よ、ジャーナリストの仕事はそういう揉み手をすることではなかろう。なぜ、検察は、この時不退転の捜査強行に踏み切ったのか、それを後押しする要因は何だったのか、を問うことこそ責務とすべきではないのか。その上で、公正な記事を書くことを旨とすべしではないのか。このバカには云っても分からないかも知れない。

 堀田は、今日の時点に於いてなお、当時検察と最高裁結託で証拠採用した日本の法律にない異例の嘱託尋問制に対して次のように述べている。「日本には嘱託とか免責について直接規定する法律はないが、日本の検察庁は起訴しない権限を持っている。米国では免責しないと供述を得られないということになれば、日本の起訴しない権限を使って免責するのは当たり前の話。そうでなければ外国との捜査協力はありえない」。

 しかし、この法律感覚はおかし過ぎよう。やせてもかれても司法の番人として身を置く者なら、法律に規定されていないことはできないとして、拒否するのがスジであろう。その問題をひとたびは立法機関で審議し解決した後、その後押しを得てするのならまだしも、この時点ではできないとするのが相当であり嗜みであろう。門外漢の意見ならともかくも、司法の番人が為す見解ではなかろう。ましてや、対談では触れていないが、その米国でさえ、嘱託尋問制に対しては、不利益を受ける側からの反対尋問をセットにしている。ロッキード事件では、その反対尋問を許さず、いわば云いたい放題の供述を一方的に証拠採用していったのではないのか。それらを思えば、得手勝手な物言いするのはエエカゲンにせねばならない。

 堀田は云う。「最高裁は日本の法律を形式的に解して、証拠能力を否定した。最高裁も時々間違いをするが、今までの中で最大の間違いだと思うね。時の最高裁長官の責任は重い。そんなかたくなな解釈をしている先進国はないですよ」。堀田は、最高裁が、角栄死亡後、さすがに当時の嘱託尋問制採用はいろんな意味で問題であったと自己批判したことを逆批判していることになる。そうまで云うなら堀田は、反対尋問なき嘱託尋問制採用可論を弁証してみせねばなるまい。述べれば述べるほど司法人としては骨の髄まで腐った失格者であることを晒すであろう。

 岩見が、「謀略説」に関して、中曽根の「強引な資源外交がアメリカの怒りを買った」説を引き合いに出している。が、中曽根について述べるなら、問うべきは中曽根の事件当事者性であろう。児玉に渡った収賄の過半は中曽根ーナベツネー松野ラインの方が臭く、捜査するならこちらの方が本ボシあったはずである。中曽根にそれを問わず、中曽根の種々含みのある政治的発言を引き合いに出すのは見識不足と云うものだろう。

 岩見の凡庸さは次の発言に見て取れる。「この30年間、日本の政治は田中的なものを引きずってきたが、ようやく薄れてきたという思いがする。元首相を引き継いだ集団は、今では自民党の中で非常に影が薄くなった。ああいう体質の政治ではやっていけなくなったという変わり目の時期に来ている感じがします」。このバカは、角栄派の凋落をさも良かったかのように述べている。代わりに今日中曽根的なるもの、小泉的なるものの時代に入っている訳であるが、それを痛苦に受け止める姿勢が微塵もない。そういう訳で、今やシオニスタンがいたるところに跋扈している。この現状を好評価している訳で、いわゆる典型的な曲学阿世の徒ぶりを見せていることになる。

 岩見は、次のようにも述べている。「田中さんの時に口利きを金に換えるシステムが確立した。それが自民党全体に広がり、政治家の資金源になっていった」。いわゆる「諸悪の元凶角栄史観」を開陳しているが、薄っぺらなそういう論法のウソを考えてみるのがジャーナリストの仕事ではないのか。金権は、角栄の前にも最中にも後にもあったしある。つまり、金権は、資本主義制下での普通選挙式代議員制がもたらす功罪相半ばする難しい問題であって、角栄が元祖になったりどうこうできるものではなかろう。角栄はその構造を機能的に駆使したのは事実であるが、角栄が元凶であろうはずがなかろう。「諸悪の元凶角栄史観」は角栄叩きの為に拵えられたプロパガンダ造語であり、安易に乗りかかるべきではないとするのが知識人としての素養であるべきではないのか。

 2006.2.5日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その144 れんだいこ 2006/02/05
 【毎日新聞が「ロッキード事件30年」を特集の企画は良いけれどその2】

 別立てで、評論家立花隆の「闇夜の核心突けず」を掲載している。この御仁の物言いにも論評しておく。冒頭、立花は貴重証言している。それによると、立花は、三木首相が亡くなる数年前に二度ほど対談したという。その時、三木は、二度とも開口一番、「きみィ、あのロッキード事件というのは、いったい何だったのかね?」と述べた、と云う。対談の途中に於いても同様発言を繰り返した、と云う。この発言は貴重であるように思われる。策士三木だからして何か機略が込められているのかも知れないが、普通に読み取れば、田中角栄を政界追放した事の良し悪しについて、三木自身が自嘲気味に語っていることになる。れんだいこが読み取れば、国際ユダ邪の意向のままに操られた己の不見識を恥じており、お前はどうなんだと同じようにはしゃいだ立花に問うているように思える。

 立花は、中段で、ロッキード事件を次のように総括している。「ロッキード事件の丸紅ルートは、結局、政・財・官が癒着して、政治を利権化して賄賂を懐にして恥じぬ政治家と、政治家に賄賂を贈って、国家を食い物にする政商などがからんで、政治をとことん腐敗させていった、いわゆる田中型政治の典型のような事件だった」。ここに見られる観点は、角栄の5億円授受を寸分疑わない真っ黒説である。他方、角栄は最後まで否認し続け、法廷で争った。立花は、角栄が「認めたら負け」との立場から抵抗し続けたのであるとでも勝手に了解し受け流しているのだろうが、れんだいこには全くの冤罪のように思える。どちらが正しいのか今も真相は藪の中である。

 その立花は、田中政治を木っ端微塵にし続ける小泉式政治改革がお気に入りのようである。後半のくだりでは次のように検察正義論をぶっており、馬脚を表わしている。概要「今ライブドア事件が発生しているが、この事件をトップで指揮している検事総長が、かってロッキード事件で伊藤専務を落とした松尾検事である。松尾検事総長は、現代犯罪の最も悪質な部分(最も大きな社会悪)は、経済犯罪にあると見て、このライブドア事件に手をつけたといわれる。そして、検事百人体制というロッキード事件以来の規模で捜査に当っている」。

 なんとまぁ滑稽なほどの検察正義論ではないか。いわゆる司法が三権分立制にも拘わらず常に政治的な立ち回りをする癖を持つのを勘ぐるのがジャーナリストの使命であろうに、あからさまに松尾検事総長を正義の使徒として描き出している。伊藤調書の犯罪的な役割を知るれんだいこは、そういう悪事に手を染めた故に松尾検事がその後出世街道を驀進したことを知るだけのことであるのに、立花は何と月光仮面のように見立てていることが分かる。立花とれんだいことどちらの見方が正確を射ているであろうか。

 立花は、2.3日付の毎日新聞にも小論を寄稿している。その中で、妙なウソを書いている。「30年前の2月4日、ロッキード事件の第一報が、夕刊の小さな記事で始まった」としているが、それが仮に事実としても、翌日各社一斉に紙面を躍らせたことを書くべきところだろうに。これを書かず、最初は何気ない記事であったとのみ語っている。それは大いなる不正であろう。つまり、ロッキード事件が「翌日各社一斉に紙面を躍らせた」奇異な誘導から始まっていることを隠そうとしていることになる。

 児玉誉士夫についても妙なウソを書いている。「正直いって、信じられなかった。児玉が何でロッキード社の秘密代理人なのか、どうしてもげせなかった」と述べているが、児玉ならさもありなんと得心する方が不通だろうに。その癖、「角栄は田中派の議員を集めて『潔白宣言』を出したりしたが、信じる人は少なかった」とも云う。児玉の場合には解せずの態度を見せ、角栄の場合にはウソこくなと頭から決め付けている様子が分かる。末尾で、「あれから三十年、ロッキード事件で“若武者”と言われた三十代の松尾邦弘検事がいまや検事総長になり、『総理大臣の座なんか金で買える』とITバブル時代の角栄的言辞を弄していたホリエモンと対峙している」と述べている。ここでも、松尾検事総長を持ち上げている。よほど、ロッキード事件の功労者がその後出世階段を上り詰めているのがうれしいらしい。

 そして、ここでもウソをついている。角栄があたかも首相の座を金で買えるとでもいっていたかのような詐術言辞を弄している。角栄は、首相の座の重さと歴史的責任を弁えていた人物である。福田と首相の座を争ったのも政策の違いを踏まえて政権取りに向ったものであり、両者が金を使った挙句の座であった。首相の座を金で買ったとか単純化できるものではなかろう。これは普通に考えて分かることである。

 以上、ざっと見てきたが、この程度が日本の頭脳としたらおぞましい。この国では政治家も三流になったが歩調を合わせて取り巻きも四流以下になっていることが分かる。この連中が、憲法改正に手を染めようとしている。自衛隊は急ピッチで日米軍事演習に入っている。最後は世界から総スカン喰ってこの大和の地が異邦人に取って変わられる可能性さえある。あるいは日本人はインディアンの如く囲まれた地域でのみ生息するようになるかも知れない。杞憂でなければよいが危ないこと極まりない。

 れんだいこは思う。角栄ー大平ラインの戦後政治史は幕末維新以来の快挙であった。これをそう受け取らずに極力悪しく言えば言うほど正義ぶる手合いは、当人の主観的意志とは別に左翼ではない。右翼でもない。総じてシオニスタンという新人種であろう。最近そう思うようになった。この造語をここで披瀝しておく。

Re:れんだいこのカンテラ時評その145 れんだいこ 2006/02/18
 【小ネズミ政権の死臭】

 小泉政権は既にゾンビ状態に陥っている。その延命は、日本政治史の面汚しでしかない。れんだいこは、真紀子外相罷免時の逆裁定手際を見て、あの時点からこりゃあかんと断を下したが、日本政治の貧困を物語るかのようにその後ますます名宰相論者が台頭してきた。昨年の2005.9.11違法総選挙で大勝利したものの、以降は5年有余にわたる小泉政治の腐敗を死臭的に物語る事件の連続である。もう見飽き果てた。

 全てに共通するものは社会的負託に対する公的意識の欠如である。どれもこれもが共通して私物化の自縄自縛に陥っている。トップがそうだからそうなるということだろう。思えば、小泉政治とは、自民党レイプから始まり国会、法令、公団、靖国、外交レイプへ至り最後に皇室典範レイプで壁にぶち当たった。

 この間の政治手法の特質に、レイプ手法のみならずお騒がせ愉快犯的要素が加味されており、小泉名宰相論者の多くは過去事例のないこの要素に幻惑され阿諛追従してきた面が有るように思われる。首相にあるまじき見識と用語と詭弁をでまかせに多用しているが、それを評価するこの国の自称インテリの質が分かろうというものである。ダメなものがダメと云えないああでもないこうでもないと論が行きつ戻りつする、うつけ論者特有の痴態であろう。

 れんだいこは、政治の貧困に出くわすたびに角栄ならどうしただろうかと考える。角栄は実に三百年一人の傑物であったように思われる。戦後政治の中から、角栄が手掛けた諸政策を差引くとあまりにも背筋が寒くなる。これを逆から云えば、角栄はあまりにも多くの国策的貢献をしてきたことになる。

 最近、公共事業削減を云えば正義であるかのような論が目立つが、バカも休み休み云いたまえと思う。いったん公共事業の循環を止めてしまえば、これを再起動することは難しい。必要な事業を精査し、必要な事業のみ特注していく姿勢が肝腎なところ、公共事業全般の削減をもって胸を張る首長、政党人が多過ぎる。追ってそのツケが自己撞着し首絞めることになろう。

 さて、ここでは、その恋しや角栄の名誉挽回の為に次のことを云っておきたい。かのロッキード事件に於いて、角栄5億円授受説は真に冤罪だったのではなかろうかという問いを再度投げかけておきたい。

 このところ、三浦康之氏の「頂に立て!田中角栄とニクソン上・下」、木村喜助氏の「田中角栄の真実」、青木直人氏の「田中角栄と毛沢東」、小山健一氏の「私だけが知っている田中角栄無罪論」、辻和子氏の「熱情ー田中角栄をとりこにした芸者」、増山榮太郎氏の「角栄伝説」、佐藤昭子氏の「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」等々矢継ぎ早に角栄物が出版されている。新聞書評論ではさほど評判を呼んでいないが、おかしなことである。己の過去の行状を見つめることを忌避してそういう変調行為に陥っているのだろう。いつまでこの姿勢にこだわり続けるつもりだろうか。

 ここで、ロッキード事件の真相に迫る新説を登場させておこうと思う。実は、新説ではないのだが、これがはっきり提示されたものは見当たらないので、新説としておく。佐藤昭子氏の「田中角栄ー私が最後に伝えないこと」は、角栄のロッキード裁判観を次のように記している。

 「田中は終生疑惑を否定した。『一銭も貰っていない』と。長期裁判も覚悟の上、元総理の名誉に於いて『5億円授受否認』を争ったのである。田中は誇りの高い党人政治家であり、外国のエージェントからカネを貰うことなど絶対に有り得なく、田中の言葉にこそ真実がある、と私は考えている」。

 これによると、角栄は、ロッキード事件に於ける5億円収賄は冤罪であると明瞭に語り、故に徹底的に闘うとしていたことになる。今日に於いても諸説あるところであるが、れんだいこは、本人のこの観点に立って解析することが真相に迫る道筋であると思っている。冤罪的刑事事件の場合にその全てを被疑者の側から見ることが正しいという保証はないが、ロッキード事件の場合には被疑者角栄の側から見るほうが正しく見えると思っている。

 続いて、佐藤昭子氏は更に次のような見解を披瀝している。
 概要「当時はロッキードよりも対潜哨戒機P3Cの商戦が激しかった。P3Cは(金額的に見て)トライスターの10倍にも当る商戦だったが、途中で捜査が打ち切られている。(当初より)P3Cと中曽根氏との関係が取り沙汰されていた。(しかしながら)幹事長がやられたら三木内閣が窮地に陥る。だから、中曽根さんに対しては指揮権発動で免責し、田中に対しては逆指揮権発動で逮捕させるという構図だったという人も居る」。

 佐藤昭子氏ははっきりとは述べていないが、「ロッキード事件とは、その真相は、児玉ー中曽根ー松野ラインによるP3C贈収賄事件を角栄にすりかえたものである」という観点に立っているように思える。それを三木内閣の延命策として画策したと理解しようとしているが、そこはわざとかどうかとぼけているようにも見える。

 云いにくいようだから、れんだいこが代わりに云っておく。時のキッシンジャー国務長官を首謀者とするネオシオニストの断乎たる意志で、意図的に児玉ー中曽根ー松野ラインの犯罪を角栄にすり替え、角栄打倒を画策した、それがロッキード事件である、と受け止めるべきではなかろうか。この観点からの言及は無論、捜査も行われていないが、それこそ国策捜査の何たるかの如実性を示して余りあるというべきではなかろうか。

 ところで、奇妙なことに、実は奇妙でも何でもないことだが、ナベツネー中曽根ー松野ラインの影が小ネズミ政権中枢から時々姿を現わしている。これは何を物語っているのだろうか。れんだいこには自明である。魑魅魍魎のシオニスタンが見え隠れしているだけのことである。シオンの議定書にはそういう仕掛けがちゃんと書いてある。

 国政上のシオニスタンを排斥するためには、今やシオンの議定書は必読本のように思える。いわゆる左派がシオンの議定書の史実性に異議を唱えるなら、れんだいこは、それはサヨ理論であることを論証してみようと思う。このところの一連の研究で、この観点は誤りないと思っている。諸賢の見解を問いたい。併せて、角栄の復権を今こそ主張したい。政治が面白くなさ過ぎよう。

 参照サイト

 「ロッキード事件の見方」
 (kakuei/rokiido_zikennomikata.htm)

 「シオンの議定書考」
 (seito_palesutina_yudayaginmondai_giteisyoco.htm)


 2006.2.19日 れんだいこ拝




(私論.私見)