ロッキード事件の見方その3ーれんだいこかく語りきー |
更新日/2018(平成30).5.28日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「ロッキード事件の見方その3ーれんだいこかく語りきー」を記しておく。 2010.12.05日 れんだいこ拝 |
【れんだいこの見方】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロッキード事件をどう読み取るべきか。「ロッキード事件の見方その1、キッシンジャーかく語りき」、「ロッキード事件の見方その2、太田龍かく語りき」で検証しているが、ここでれんだいこの見立てを確認しておく。
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【れんだいこのロッキード事件論】 |
いわゆるロッキード事件とは、事件当時に現職総理であった田中角栄が、米国ロッキード社の代理店であった丸紅の請託を受けて、全日空に新型旅客機としてロッキード社製のトライスターの選定を承諾させ、その謝礼として5億円を受け取ったと「される」受託収賄罪事件である。この「ロッキード事件」を再検証することが今ほど望まれていることはない。特に、日共系のカクエイ批判の度が過ぎており、この観点と対決せずんば有益な運動を何一つ組織し得ないであろう。れんだいこは、先にれんだいこ党(助け合い党)を旗揚げしている。参じて来る者は未だ少ないが、「田中角栄氏の歴史的再評価復権」を掲げている。れんだいこの卓見が評される時がいつかくるだろう。 思えば、「ロッキード事件ないし角栄考」は、現代左派のリトマス試験紙になり得る。角栄を高く評価できない者は汝が左派でないことを知れ。角栄を悪し様に云う者は、云えば云うほど汝がエセ左翼つまりサヨであることを知り恥よ。それほど観点が歪んでいるという訳だ。とまぁ述べたが、分からない者には分からないのだろう。そして死ぬまで正義ぶりつつ何ほどのことも為しえなかったのに自尊しつつ去っていくのだろう。れんだいことは永遠に会話が通じない手合いである。これも人の世の倣いだろう。 なぜ、角栄が「悪のシンボル」としてあれほど糾弾され、汚名を残したまま去らねばならなかったのか。私も又、「ロッキード疑獄事件は、日本の近代政治史上最大の汚点=魔女狩りであった。ロッキード裁判は何から何まで滅茶苦茶であった」と考える。この魔女狩りの恐ろしきところは、法の番人をはじめとする当代の一流とされるインテリ層によって為されたそれであったことである。我が国のインテリを自称する者たちのこの悪行は、彼等のインテリの質を示すものとしてしっかりと踏まえておかねばならない。 なお、この余韻は今も続いている。しかし、その杜撰さは、「角栄問題」より余程腐敗したその後の事象に対してはおざなりを決め込み、ダンマリあるいはフリーパスさせているという変態性の中で、ご丁寧にも今も「ロッキードを風化させるな」と云われ続けていることにある。 私は、こうした似非インテリ層のボンクラ性と怯惰な精神に吐き気を覚えている。今日まで論調の変化を期待してきたがその兆しはない。もはやれんだいこの出番とせざるを得ない。遅きに失するが、今からでもその解明をやらぬよりはやった方がよいから。 その観点はこうである。結果的に、ロッキード事件は、田中角栄という稀有な有能政治家を失わせることになった。これにより法体系の背骨が狂わされてしまった。どちらに於いても日本にとってかけがえのない損失であった。そのことがはっきりする今日に至っており、今後ますます痛恨を噛み締めることになるであろう。 以下見ていくことになるが、角栄追討派が、「初めに判決ありき」に従い、如何に理不尽なまでに「戦後民主主義」の諸ルールを踏みにじっていったかを明らかにしたい。仮に千歩譲って、角栄を金権の元締めとして葬らねばならない意図があったとしても、「やって良いことと悪いことがある」、というのが私の考えである。時の勢力は、この理不尽を「さも、らしく」粉飾しながら貫徹させた。為に、「さも、らしく」後遺症があらゆる分野に今も攪拌している、と私は見なしている。言い方を替えれば、真偽不明の汚濁混沌現象が全域に転移してしまったということだ。このマインドコントロールを解く力が私の筆のうちにありや否や! 「やって良いことと悪いことがある」について若干補足したい。「やって悪いことを行うのがなぜ悪いのか」、それは脳内の思考秩序を混乱させるからである。脳内の混乱は世事雑般に対しての処世を混乱させる。この混乱は社会をアノミーにさせる。こうなると最終的に出てくるのが強権力であり、この強権力が良き指導性を発揮すればまだしもそういうことは稀である。我々を家畜にして恥じない視野狭窄権力者を生むのが常である。元に戻ってそういう意味で、「やって悪いことを行うのは悪い。結果、高くつく」ことになる。「角栄その後」はその例証であろう。 2003.9.16日、2006.1.7日再編集 れんだいこ拝 |
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れんだいこは、法廷闘争の格好教材として、日本関連で戦前の「宮顕リンチ事件」と戦後の「ロッキード事件」とを双璧として挙げたい。海外では「ホローコースト事件」、「ニュルンベルク裁判」が該当するのだろうか。れんだいこは、これらの事件を精査することで、推理力、論証力、弁論力が試されると思っている。実際にはそれら全てに於いて十分になされているとは云えないので、いつでも新たに取り組む必要がある課題として突きつけられている。 れんだいこは子供の頃弁護士に憧れた。その道を択ばず今日まで経緯しているが、「宮顕リンチ事件」と「ロッキード事件」及び公判を思う時、弁護士になっていたらそれらしい働きをする事ができたのにと悔やむことがある。念の為付言しておくが、ロッキード事件の場合には如何なる国策捜査が演ぜられたかを主点として、角栄を弁護したい。宮顕事件の場合には宮顕が如何なる詭弁を弄しているかを主点として、査問致死させられた小畑のスパイ容疑の冤罪を晴らしたい。そういう意味に於いての弁護である。この観点からの弁護が為されていないことを残念に思っている。 ところで、ロッキード事件と宮顕リンチ事件は発生事実を隔てているとはいえ、妙な繋がりがある。これが歴史の不可思議なところと云える。何のことか分からない向きもあろうから、れんだいこが説明しておく。両事件は国会質疑を通して繋がっているのであるが、これを回顧してみる。 1974(昭和49).6.26日、7月の参院選を前にして、民社党の春日委員長が突如、宮顕の戦前のリンチ事件を取り上げ、「極悪非道ですよ、共産党は反対者を殺すのだから。昭和8年、宮本顕治や袴田里見が何をやったか、予審調書を見れば分かる。連合赤軍の集団リンチ殺人事件とどこが違うか。口ではない。彼等が何をやったかだ。それをもとに判断するしかないじゃありませんか」と述べ、、宮顕リンチ事件を蒸し返した。共産党は直ちに反撃したが、これが鎮火せずむしろ燻(くすぶ)り続けていくことになる。 立花隆は、ロッキード事件追求の旗頭として一躍注目を浴びたが、引き続き「日本共産党の研究」に着手し、1976年の「文芸春秋新年特別号」で「宮顕リンチ事件」を採りあげていく。次のように述べていた。「今のように、過敏症的にそれにふれまいとする態度で行く限り、いつまでたっても、この問題は宮本路線のアキレス腱となりつづけるだろう。この問題を歴史的文脈の中で自己切開しない限り、この事件は歴史的事件として終わらず、現在的事件であり続けるだろう、と思うからである」。 これに勢いを得たか、1976.1.27日、民社党の春日委員長が、衆院本会議で「宮顕リンチ事件」を質問し、事件の究明と宮顕の戦後の公民権回復に関しても疑義を表明した。1.30日、民社党の塚本書記長が「宮顕リンチ事件」についての詳細な質疑を行った。共産党の不破書記局長が、衆院予算委員会での春日質問を非難し、「国会を反共の党利党略に利用するもの。宮本委員長の復権は法的に決着済み。暗黒政治の正当化だ」と反論したが、1月末、自民党が「共産党リンチ事件調査特別委員会」設置した。 さて、問題はこれからである。まさに「宮顕リンチ事件」にメスが入ろうとしたその瞬間とも云える2.4日、アメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会の公聴会で、ロッキード社の贈収賄工作が証言された。ロッキード社の不法献金証拠資料が公表され、日本の場合、小玉、丸紅、全日空、小佐野賢治らを通じて約36億円の工作資金が流れたと証言された。こうして「ロッキード事件」が勃発した。マスコミ全社がこれに飛びつき報道合戦を繰り広げていくことになる。 2.7日、衆院予算委員会で、日共の正森成二議員の質問中、浜田幸一委員長が割って入り、共産党議長宮顕を殺人者呼ばわりし、委員会は騒然となった。発端は、正森議員が、代々の自民党が過激派の泳がせ政策を取っていると指摘し、その論証の一つとして概要「1984.9.19日の中核派による自民党襲撃事件の際に浜田議員が、『この責任は誰にあるかというと、泳がしていた我々にもある』との発言をしている。この点では意見が一致します」と例示したことにあった。 これに対し、浜田委員長が、概要「殺人者である宮本顕治氏をトップに戴く共産党との意見の一致を言われることは心外」として抗弁し、勢いあまって、戦前の宮顕らによる小畑氏リンチ事件を持ち出し、「これを隠蔽している共産党の体質とは政治信条から相容れるものがない」ことを論述した。場内ヤジが飛び交い、議場は大混乱となった。この時の発言によって、2.12日、浜田氏は委員長を辞任させられた。 2.24日、日共の全国活動者会議が開かれ、委員長・宮顕以下全党幹部、党機関幹部が参加し、異例の秘密会議を開いている。この時、何が話し合われたのか公表されていないが、異例の並々ならぬ意思統一をした形跡がある。何を意思統一したのかの詳細は分からないが、「宮顕リンチ事件」に対する防戦、「ロッキード事件」に対する攻撃がテーマにされたであろう事が推測される。 「ロッキード事件」が次第に的が絞られ、児玉ー中曽根ラインの訴追が外され、小佐野ー角栄ラインに焦点が合わされていった。被疑者が次々逮捕され始め遂に、7.27日、田中角栄元首相及び秘書榎本が逮捕された。 その翌日の7.28日、日共の第13回臨時党大会が開催された。本来この年の秋に開催が予定されていたのを翌年に延期し、角栄逮捕直後に臨時党大会を開くという異例措置であった。開催日が角栄逮捕の翌日になった経緯については偶然かもしれないが、れんだいこには知る術も無いが、何らかの情報を得ていたとしたらややこしいことになろう。 この時、委員長・宮顕は異例なまでに終始大会を指導し、大会の冒頭で、前日の田中前首相の逮捕を誇らしげに伝え、事件の徹底的究明を力説している。他にも、「自由と民主主義の宣言」、規約改正、表記替え決議も為されたが、。本来この年の秋に開催が予定されていたのを翌年に延期し、角栄逮捕直後に臨時党大会を開いたタイミングからしてロッキード事件徹底追求の為の緊急指令こそ大会の主眼であったことが明らかである。 10.5日、自民党の「共産党リンチ事件調査特別委員会」が、1・事件は捜査当局によるデッチアあげでなく、緻密に計画された犯行である。2・小畑達夫の死因は外傷性ショック死である、との報告を発表したが、既に世論はロッキード一色となっていた。この経緯に対して、鈴木卓郎の「共産党取材30年」は次のように記している。
以上から、「宮顕リンチ事件」と戦後の「ロッキード事件」の妙な繋がりを確認しえたであろうか。れんだいこは、宮顕リンチ事件騒動を鎮静化させる為にロッキード事件が引き起こされたとまでは考えないが、日共から見て、絶体絶命の危機がロッキード事件勃発によって救われたことは確かであろう。日共はその後、宮顕リンチ事件の当の被疑者宮顕の大督励によりロッキード事件徹底究明運動に乗り出していくことになった。角栄逮捕直後の臨時党大会開催ともあいまってまさに異例の取り組みをしたことになる。 れんだいこは今、日共の当時の異例な対ロッキード取り組みの裏に、宮顕リンチ事件隠しの意図があったことに気づかされている。そう理解しないと、日共の当時の異例な対ロッキード取り組みが解せないからである。しかし、宮顕ー不破系党中央の日共はそうすることにより、宮顕リンチ事件徹底解明先送りと共に新たに田中角栄政界追放のやり過ぎというもう一つの犯罪に手を染めることになった。いわゆる悪事の連鎖である。 あの頃は、日共の議会闘争が一定程度成果を見せていたこともあり、この異常ぶりが問題にされなかった。しかし、大衆闘争から召還してまでの議会闘争がぬかるみの後退を示している現在に於いては、宮顕ー不破路線の最終的破綻と相まってその指導の変調ぶりをも見つめ直されようとしている。今や、この党はそれを自己切開できぬゆえに党存立の根拠まで奪われようとしている。 |
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しかしそうなるとまさに、「自民党をぶっ潰す」と宣言して登場し、その通りにした小ねずみ首相に似て、宮顕ー不破系党中央も又「日共をぶっ潰す」を使命に掲げて登場し、その通りにしたことになるのではあるまいか。小ねずみ同様の胡散臭さを嗅ぐべきではなかろうか。 それはそうと、「宮顕リンチ事件」、「ロッキード事件」に於ける不破の致命的なウソ弁論を確認しておく。不破は、「宮顕リンチ事件」に関連して、2000.7.20日、日共創立78周年記念講話「日本共産党の歴史と綱領を語る 戦後の党の歴史から―1950年代のソ連・中国の干渉と『軍事方針』」で次のように述べている。
しかし、実際は、宮顕は、「治安維持法違反、殺人、同未遂、死体遺棄、不法監禁、銃砲火薬類取締施行規則違反」の罪名で起訴されている。つまり、不破は日共創立78周年記念講話という公的な場で明らかにウソをついている。このような知らぬ者を誑かす弁論が許されるものだろうか。 次に、「ロッキード事件」で最近になって次のように述べている。これまで「金権諸悪の元凶」非難をしてきた不破は現在、角栄死してなお鞭打ち「金に困ってたかが5億円贈収賄に手をつけた貧乏な角栄」などと批判のスタンスを代えている。実際には、1999.7.25日付け赤旗の「日本共産党創立77周年記念講演会 現代史のなかで日本共産党を考える」で次のように述べている。
これが、公党の最高指導者の言辞である。このような物言いが許されるだろうか。 れんだいこがなぜこういうことを指摘するのか。それは、ソフトスマイルの裏に隠れた隠微なものを感じるからである。学生運動時のスパイ容疑査問事件、「戦後革命論争史」の」編纂手柄横取り功名、宮顕との超親密さ、その指導の悉くに胡散臭さを感じるからである。 2006.5.27日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評864 | れんだいこ | 2010/12/05 |
【郵便不正事件不当捜査を語る者がロッキード事件不当捜査へ思い至らない不思議考】 2010年現在の政治観の一つとして未だにロッキード事件を廻る「角栄5億円授受」が定説化されている。最近でも、「田中角栄の場合露見して捕まるまでの確かにやり方はおかしい。でも収賄で5億円を受け取ったのは本当なのでどうにも弁護や共感はできない」と述べている者が居る。他にも、角栄政治を擁護する者にしてなおかつこの定説を受け入れている者が居る。れんだいこは、サイト「ロッキード事件」で、定説の誤りを指摘している。角栄政治が次第に見直されつつある今もう一度繰り返して、議論を呼びたいと思う。 結論から云うと、角栄は5億円授受していない可能性の方が強い。その論拠は、当の角栄本人が強く主張し、死ぬまで公判闘争を続け、身の潔白を訴えていたからであると云えば笑われるだろうか。しかし、れんだいこは、マジで角栄の訴えこそに耳を傾けたいと思っている。 その補強として次のような事由がある。その一つが次のようなことである。角栄の公判闘争弁護団は、弁護方針を廻って、角栄に対し、いっそのこと5億円授受を認め、且つ様々な理由を付して刑の軽減を求める方向を模索するよう意見している。しかし、角栄自身が頑として身の潔白を訴え、百年戦争を鼓舞した。「角栄5億円授受説肯定派」からすれば、何と傲慢不遜な態度と映るであろう。しかし、「角栄5億円授受説否定派」から見ると、当の本人がさほどに否定している以上、貰っていない可能性を信じるべきではないかと云うことになる。しかし、これは物別れになるだろう。 もう一つの事由がある。角栄の政治履歴を確認すると、角栄は政治家活動の割合当初よりGHQに睨まれており、そういう緊張感の下で政治を司祭していることが分かる。つまり、外国のカネを貰うことにより弱みを握られることを警戒している節が認められる。これは秘書団にも徹底指示しており、いかがわしいカネの授受が入り込む余地がない。同様に、財界からの政治献金によるヒモ付き政治を嫌い、自己調達型にしている。これにより信念に基づく思い切った政治活動ができた。自己調達型の政治資金の調達内実も案外とキレイであり、自由自主自律的な政治献金を貰っており、口を利いたのだから幾ら出せと云う横柄なものではなかった。これらは、角栄の生きざま、政治哲学の倫理に基づいていたと考えられる。世に金権政治の代名詞のように云われる角栄であるが、角栄を調べれば調べるほど正々堂々とした金銭授受、その使い道も同様を特質としている。イカガワシイものには手を出さない作風が認められる点で、むしろ潔癖とさえ云える。 こういう風に考えると、「前首相田中角栄の5億円授受説肯定派」が従うところの東京地検特捜部の立件事由がどのようなものだったのか知る必要があろう。失礼なことに、前首相たるものを、それまで発動されたことのない死文法であった外為法違反と云う別件捜査から始まっている。これだけでもヒドイ捜査だったと云うことになる。当然ながら角栄は認めない。 そこで編み出されたのが、同時に逮捕された榎本秘書の自供であった。その自供も、容疑を否認する榎本秘書に対し、産経新聞の一面トップにデカデカと報ぜられた「角栄認める」を見せ、オヤジが認めているのだからお前も認めろ式に誘導されたものであった。榎本秘書は、金銭授受を認める供述調書にサインした理由について、「取調検事のトリックに引っかかったためだ」と次のように語っている。「逮捕されてまもなく、検事から『田中5億円受領を認める』という産経新聞の記事を見せられたので、おやじさんは何らかの意図があって認めたのだろう。秘書としてそれに合わせなくてはいけないのかなと思った」。 ところで、その産経新聞の一面トップ記事は、産経新聞が検察に協力して刷ったニセモノであった。角栄は頑強に否定し続けていたので「角栄認める」なる記事は有り得てならない。してみれば、検察も産経もそこまでやるのかと云う思いが禁じられないが実際に起こった話である。司法が正常であれば本来なら、この時点で、こういう捜査をした者こそ、協力した産経新聞の責任者こそ即逮捕されてしまうべきであろう。それがお咎めなしに今日までやり過ごしていると云う不正がある。ちなみに、当時の産経新聞の最高責任者であった鹿内父子はその後不審死している。口封じの感がある。よって、ニセ新聞印刷経緯が分からないままになっている。 そうやって、榎本秘書の自供調書が取られた。そうすると今度は、5億円授受の様子を陳述せねばならないことになる。それがどのようなものであったのか。余りにも不自然なことに、成功報酬の前払金もなく、後払いもないまま経緯し、やおら確か1年半後に分割で支払われたと云う。これを詳細に綴ったのが丸紅の伊藤専務の調書であった。渡した相手が榎本秘書にされたので、二人がどういう風に授受したのか口裏合わせせねばならないことになった。その経緯は略すが、噴飯としか云いようのない劇画調に仕立て上げられている。何故に5度の分割払いになったのかも不自然であるが、4度の授受の現場もその都度変えられており、1回目は英国大使館裏の路上、2回目は公衆電話ボックスの近く、3回目はホテルオークラの駐車場のホテルサイド玄関先、4回目は伊藤の自宅でと云う風にスリラー小説じみている。 事件の核心はこの部分である。果たして、伊藤調書―榎本調書は真実を弁明したものなのだろうか。榎本調書では、受け渡された段ボール入りの現金をその足で目白の角栄邸宅に届けたと記されている。多くの者は、金権代名詞の角栄の邸宅内ではこの種の現金が次から次へと運びこまれていたとして首肯するのであろうが、わざわざスリラー小説仕立ての怪しいカネである。角栄邸宅の誰に届け、どう云う風に保管されたのかぐらいまでは裏を採るべきであろうが、単に「角栄邸に運ばれた」で終わっている。当時、越山会の金庫番は佐藤昭であり金銭的管理を一括していたのに、何の連絡も打ち合わせもされていない。 伊藤調書を採ったのは松尾邦弘検事である。松尾検事はその後大出世を遂げ、検事総長になっているのは衆知の通りである。榎本調書は村田恒検事のようである。この御仁も順調に出世階段を上っている。ロッキード事件で立件に手を染めた者はみんな出世の栄誉にあずかっている。それが、その後の検察腐敗の培養土となったと思われるがいかがだろうか。 さて、この時の捜査に違法性はなかったのだろうか、と今日的に考える必要があるのではなかろうか。これを詳細に記すのは紙数を増すばかりとなるので控えるが、れんだいこなりに云えば全てがデタラメである。厚労省・村木厚子元局長逮捕事件で知られる郵便不正事件捜査で、大阪地検特捜部の主任検事・前田恒彦検事が証拠隠滅の疑いで逮捕されたが、この種のデタラメ捜査手法はロッキード事件捜査の際に満展開されたものであり、逮捕された前田他の3検事は何をいまさらの思いで臍を咬んでいると見るべきだろう。その後全く報道されていないが、ここに闇がある。 検察捜査のトンデモ性が大衆的に暴露された今、その元一日となったロッキード事件を訪ね、角栄冤罪説に光を当てることも必要なのではなかろうか。これが論の自然な展開である。ここに至らず、郵便不正事件捜査で検事の不当捜査をなじるも、今なお角栄有罪説を唱えるのは不自然なのではなかろうか。れんだいこには、そういう思考止めが我慢できない。ここを正確に踏まえれば、ムネオ事件も小沢どん事件も、その不正を理解するのは難しくない。そういう意味もあり敢えて一石を投じておきたい。 2010.12.5日 れんだいこ拝 |
【「永田町異聞」氏の中曽根疑惑論】 | |
「永田町異聞」の2010.2.14日付けブログ「ロッキード事件揉み消しを米政府に依頼した中曽根氏」を転載しておく。
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(私論.私見)