この時の法務省の人事体系を考察して見る。当時の法務省の首脳とは、事務次官の塩野宣慶、刑事局長の安原美穂がトップに位置している。この安原のもとに、刑事課長
吉田淳一がいる。法務省本省における組織体と職、部門を略記すると、法務省大臣官房はトップの官房長以下、審議官、参事官、調査官と、秘書課、人事課、会計課、営繕課、厚生管理官となっており、これらが法務省行政の核心となっている。
一方、刑事局は、組織体及び職の構成としては、局長、参事官と管掌として総務課、刑事課、青少年課、公安課とされていた。他に検察庁があり、ちなみに、検察の序列は、1・
検事総長、2・ 東京高検検事長、3・ 大阪高検検事長、4・最高検次長、5・
法務事務次官である。
これらの機構を動かしているのが法務省刑事局であり、行政機関たる機関が検察庁を動かし得る法的あり方と関係がここに明定されている。してみれば、法務省刑事局長が事実上のトップであることになる。ロッキード事件当時の刑事局長は安原美穂であった。ロッキード事件は多分にこの安原のキャラクターに左右された面もあると思われる。
となれば安原とはどういう人物なのかということが関心を引くことになる。安原は、ロッキード事件の頃より、この検察主流派に属する現役法務官僚、検察官僚の親睦会といわれる大阪ミナミの小料理屋
「花月」 を拠点にした 「花月会」 を組織している。その最大のタニマチが住友グループであるからして、ここに繋がりを見て取ることができる。こうした安原の人となりが注視されるべきところである。法務、検察には、戦前から戦後、及び現在に続いても、権力闘争、人事抗争等が存在し、かかる抗争における謀略というほかない事件が世間にまで大きく話題とされた事例も少なからずある。
その後、雑誌「噂の真相」の「則定スキャンダルは氷山の一角だ!」記事が、「安原グループの腐敗」を暴いている。同記事は、前東京高検検事長の則定衛のスキャンダルを露呈させ、いわゆる「則定事件」の最初のスクープとなったが、次のことを明らかにさせた。
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則定が 「最後の主流派」 と呼ばれてきた人物である。 |
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則定の元締めが安原美穂であり、安原こそが連綿と続く京大、東大出身でかつ法務官僚経験者を中心に構成される「検察主流派」であり、まさしくこの当時ドンであった。 |
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法務・検察当局を支配してきた「検察主流派」は常に政界と癒着しており、そうすることで勢力を維持している。その流れは今日まで脈々と受け継がれている。 |
ロッキード事件のときの最高裁の検事総長宣明書への異議を唱えた正当派の
岡原昌男元最高裁長官など、実力と人柄は抜群なのに検察トップから外されている。こうした安原批判派の法務・検察OB
らがいたことも知られている。
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