「嘱託尋問の形式的是非問題」について考察する。「嘱託尋問」の形式的是非とは、わが国の刑訴法に明文規定の無い「嘱託尋問」制度を導入することの違法性と合法性の問題である。つまり、「嘱託尋問の違法性問題」であり、我が国の裁判制度上、刑事訴訟法上、明文規定の無い「嘱託尋問」が認められるのかという問題である。「226条で証人尋問を請求された裁判官ないしは裁判所が、外国の裁判所に対し証人調べを依頼し証拠採集嘱託を出来るのか」、「公判裁判所が、外国の裁判所に証拠調べを嘱託する権限があるか」という議論になる。
通常には、刑訴法226条は外国には適用されないとするのが原則で、そのような嘱託尋問は許されない、と解するべきである。次のように疑問が提起されている。
「日本の法律には刑事免責の規定はない。起訴便宜主義といわれる刑訴法248条は、その適用決定は、起訴を前提として徹底的に調べた上で、情状によって起訴相当でも起訴猶予をする権限が検察側に与えられているという法理論である。そういう意味で、事案、事件の捜査後において検討されるべきものであるにもかかわらず、捜査も行われない前から仮に起訴相当であっても起訴猶予するという形で免責保証し、その適用を、しかも国際的な形で約束することは如何なる法律上の根拠があり、また拘束可能な判例があるのか。有効と主張する根拠如何?」。 |
このことに関しての法論争はかなり為されたようである。記録によれば、嘱託証人尋問調書が適法なのか、それとも違法なのか、の最も根源的な法律論争は、第一審の東京地裁においては3回に亘り、また 第二審の東京地裁においても3回行われている。つまり、この下級審においては6回に亘って、「日本の法に明文規定がない刑事免責を条件とする
嘱託尋問調書の法的正否」として複合的に争われることになった。
しかし、第一審判決は、刑訴法の明文規定にない手法で為されている嘱託尋問調書の有効性に対する法理判断を示していない。検察当局がロサンゼルス地裁に依頼したコーチャンらのいわゆる嘱託証人尋問に際し、たとえ日本の法律に触れても逮捕は勿論起訴もしないという日本の司法権の誓約を、これら被疑者に与えてよいとの日本法の根拠は何か、また、それはどこにあるのか、という原理的問題に対する判断は留保された。第一審判決はいきなり経過を問わず嘱託尋問調書が刑事訴訟法321条1項2号の書面
(つまり特に信用性ある供述書)に当ると適法認定して、証拠採用している。結論的に不公正もなく合理的であったとしている。この不正が追求されていない。
この法律論争は、ロ事件発生より20年たって、劇的といってよい判決が最高裁から下された。最高裁大法廷( 長官・草場良八裁判長以下全裁判官12名)は、12名全員の裁判官一致で、 次のように判断した。
「わが国の刑事訴訟法はいわゆる刑事免責を付与して得られた供述を事実認定の証拠とすることを許容しておらず、本件嘱託尋問調書の証拠能力を肯定した原判決を是認できない」。 |
つまり、最高裁判決は、当時の検察の採用した手法を否定し、「嘱託証人尋問調書は違法」
と断じた。この間の法律論争となっていた 「刑事免責」 を完全に否定したものであり、検察側の非道・無法ぶりが暴かれた。こうして、後日になって、当時の手法の目的のために手段を選ばない手法に対して司法が決着させた。
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