リクルート事件の経緯考

 (最新見直し2009.3.15日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ55」の吐息でネット右翼氏の2009.1.28日付け投稿「〔メモ〕怪死した朝日新聞論説委員と神奈川県警の接点(低気温のエクスタシー) 」、たむたむ教授の「リクルート事件の概要」その他を参照する。

 リクルート疑獄事件は、神奈川県警の捜査ニ課の警部が、神奈川県警の盗聴事件を取材していた朝日新聞の鈴木啓一・社会部記者に”「川崎駅前のリクルート・テクノピアを調べた方が、盗聴事件より大きなスキャンダルがものに出来る」”とリークし、以下のように進展していったものである、と判明しつつある。


 藤原肇著「平成幕末のダイアグノシス」は次のように述べている。
 「川崎市の助役がリクルート社のビル建設に関連して、便宜を計った見返りとして株を受け取り、それが巨額のワイロだったことが収賄事件として発覚し、それを口火にしてリクルート疑獄の煙が立ちのぼった。この段階で汚職容疑で内偵していた神奈川県警に対して、元警視総監で中曽根内閣の法相をやった奏野章が、圧力をかけて捜査を中止させようとしたほど、リクルート社の自民党中枢への浸透は強力だった。それは本命の中曽根前首相は言うに及ばず、ニューリーダーと呼ばれる竹下、宮沢、安倍などの幹部が、ワイロ性の強い金を一億以上も受け取っており、その事実がここにきて続々と発覚していて、川崎という地方都市での汚職は駒を生んだ瓢箪になった」。

 2009.1.29日 れんだいこ拝


【事件の概要と歴史的意味考】
 江副浩正氏が創業したリクルート社の関連企業リクルートコスモス(現 コスモスイニシア)社の未公開株を政財官の役職者が賄賂的に受け取っていたことが暴露された汚職事件である。中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄など大物政治家が群がっていた。東京地検特捜部は、1989年、政界・文部省・労働省・NTTの4ルートで江副浩正リクルート社元会長ら贈賄側と藤波孝生元官房長官ら収賄側計12名を起訴、全員の有罪が確定した。だが、政治家は自民党の藤波議員、公明党の池田克也議員が在宅起訴されただけで、中曽根や竹下をはじめ大物政治家は誰一人立件されなかった。

 この事件は、ロッキード事件に比してダグラス・グラマン事件同様に司直のメスが入らずうやむやにされてしまったことを確認することに歴史的意味がある。いずれも中曽根が深く絡んでいるが、中曽根はいつも免責される。なぜこのようになことになるのか、これを思案せねばならない。誰か国際金融資本の意図を嗅がずに説明できる者が居るだろうか。

【事件の伏線】
 事件の伏線は次の通り。1983.12月、藤波孝生被告が第2次中曽根内閣の官房長官に就任する。1984.1月、日経連専務理事(当時)が就職協定無用論を打ち出す。3月、各省庁の人事担当者会議で就職協定順守を申し合わせ。1986.9月、リクルート側が藤波被告にリクルートコスモス株を譲渡。10月、コスモス株店頭公開。

【事件勃発】
 1988年(昭和63)6月、朝日新聞横浜支局のスクープ記事から発覚した。戦後最大級の構造汚職疑惑となり、問題の多い日本の株式市場のゆがみを利用して政・財・官界など特権階級の人々の金儲け主義(錬金術)が白日の下にさらされた。

事件の発端は、川崎市テクノピア地区へのリクルート社進出にからみ、同市助役へのリクルート社の子会社であるファーストファイナンス社の未公開株融資付き売買疑惑であったが、まもなく、リクルート・コスモス株の疑惑譲渡先として元閣僚を含む76人が発覚(小松秀煕・川崎市助役への株譲渡が発覚)。7月、中曽根康弘前首相、竹下登首相、宮沢喜一蔵相ら側に株が譲渡されていたことが発覚。9月、社会党楢崎弥之助代議士が、松原弘・リクルートコスモス社長室長からの贈賄申し込みを公表。スモス社の松原社長室長から、この事件追及をすすめていた社会党(当時)楢崎弥之助議員に500万円の贈賄工作があったとの代議士自らの告発という事態に発展した。この模様はテレビで放映され、世論は沸騰した。10月、藤波被告へのコスモス株譲渡が発覚。真藤恒・NTT会長、高石邦男・前文部事務次官ら側への 株譲渡が発覚した。

1988(昭和63).10月、東京地検特捜部は、リクルート社などを強制捜査、松原室長を贈賄容疑で逮捕。12月、宮沢蔵相が辞任。翌1989(平成元).2月、東京地検特捜部が、リクルート社江副浩正前会長ら2名を贈賄容疑で、日本最大の企業NTT式場、長谷川の両元取締役を収賄容疑でそれぞれ逮捕。2月、鹿野茂・元労働省課長を逮捕。

 3月、NTT会長真藤恒(ひさし)、元労働次官加藤孝、元労働省課長鹿野、前文部次官高石邦男らを各収賄容疑で逮捕、辰已雅朗・リクルート元社長室長を逮捕。4月、竹下登氏が首相退陣表明。4月、竹下首相の元秘書、青木伊平氏が自殺。5月、東京地検特捜部が、第2次中曽根内閣の官房長宮であった藤波孝生(たかお)代議士と池田克也公明党代議士らを受託取賄容疑で在宅のまま取り調ベを行い起訴する。5月、東京地検、宮沢前蔵相の秘書ら4人を政治資金規正法違反で略式起訴する。

疑惑が持たれた高級官僚や閣僚たちは、「妻が株をもらった。私は知らない。」とか「家族がもらった、秘書がもらった」と釈明し、当時「妻が、妻が…。秘書が、秘書が…」という言葉が小学生の間にまで流行した。

こうして事件は元閣僚、元代議士、事務次官2名、NTT元会長らをリクルートコスモス社未公開株収受による収賄容疑で起訴及び宮沢大蔵大臣辞任、竹下内閣崩壊というスケールに拡大した。

特に、疑惑のコスモス株を秘書または家族名義を含めて9人の閣僚級政治家が密室の財テク的収受をしていた政府自民党幹部、中でも中曾根前内閣中枢に強い疑惑が集中した。当然、国会の証人喚問などでも追及されたが、多くの「灰色高官」たちの立件は行われないまま、事件は幕引きとなり、結局、戦後の他の大疑獄同様、核心の解明なしで終結、国民の間には、「政治不信」だけが残ることとなった。


【裁判の様子】
 リクルート裁判は、政界ルート、文部省ルート、労働省ルート、NTTルート、リクルート社ルートの5本立てで行われた。  「リクルート事件にかかわる検察捜査の総費用は合計1億5000万円(人件費を除く)」(法務省根来刑事局長の参院法務委員会での発言)とされている。リクルート事件と規模や内容面でしばしば比較される1976(昭和51)年に発覚したロッキード事件の場合は1億7000万円。 費用面では、リクルート事件の方がロッキード事件を下回ったが、両事件発覚時の物価水準を考慮すると、2000万円の差は逆転し、さらに開くことになる。

リクルート関係の裁判状況

▼政界ルート

藤波孝生・元官房長官;1審・無罪⇒2審・懲役3年、執行猶予4年=上告棄却・有罪確定

池田克哉・元衆院議員;1審・懲役3年、執行猶予4年=確定

▼文部省ルート

高石邦男・元文部事務次官;1審・懲役2年、執行猶予3年⇒2審・懲役2年6月、執行猶予4年=上告中

▼労働省ルート

加藤孝・元労働事務次官;1審・懲役2年、執行猶予3年=確定

鹿野茂・元労働省課長 ;1審・懲役1年、執行猶予3年=確定

▼NTTルート

真藤恒・元NTT会長;1審・懲役2年、執行猶予3年=確定

長谷川寿彦・元取締役;1審・懲役2年、執行猶予3年=確定

式場英・元取締役(故人);1審・懲役1年6月、執行猶予3年=確定

小林宏・元ファーストファイナンス社長;1審・懲役1年、執行猶予2年(贈賄)=確定

▼リクルート社

江副浩正・元リクルート社会長⇒1審公判中(懲役4年を求刑−02年3月29日)

辰巳雅朗・元社長室長;1審・無罪⇒2審・懲役1年、執行猶予3年=上告中

小野敏広・元秘書室長; 1審・懲役2年、執行猶予3年=確定


【藤波氏の裁判闘争】
 藤波氏は、裁判闘争に向かった。次の経緯を見せている。

   12

東京地裁で政界ルート初公判。藤波、江副両被告が無罪を主張

94・ 9

藤波被告に無罪判決、検察側が控訴

   12

東京地裁で池田元議員に有罪判決⇒確定

96・ 6

東京高裁で藤波被告の控訴審初公判

97・ 3

藤波被告の控訴審で逆転有罪判決、被告側上告

99・10

最高裁が藤波被告側の上告を棄却⇒有罪確定

02・ 3

東京地裁での公判で、検察側は、「企業利益追求のため、わいろ提供を通して国政や公共的事業を私物化しようとし、国民の信頼を著しく失墜させた」と指摘し、「被告は贈賄の首謀者で事件の元凶。刑事責任は極めて重い」として元リ社会長江副浩正被告(65)に懲役4年を求刑した(3月29日


【藤波氏の裁判闘争】

 2003.3.5日付け毎日新聞の小林雄志記者の「リクルート裁判:事件から14年 政界の金権体質変わらず」を転載する。

 江副浩正被告に4日有罪判決が出たリクルート事件は、政財界にまたがる構造的な金権体質をあぶり出し、当時の竹下登政権を退陣に追い込むなど、その後の政治改革論議のきっかけになった。しかし、その後も東京佐川急便事件、ゼネコン汚職、KSD事件など「政治とカネ」の問題は絶え間なく続き、江副被告一審判決と同じ4日には自民党の坂井隆憲衆院議員の政策秘書が政治献金を不正処理していた疑いで逮捕された。リクルート事件から14年。政界の自浄能力の欠如は、今なお変わっていない。

 「リクルート事件から今日までいろんなカネにまつわる問題が続いている。しっかりそのことを受け止め、反省しながらやっていきたい」

 自民党の青木幹雄参院幹事長は4日の記者会見で、江副被告有罪判決の感想を語った。青木氏が秘書を務めた故竹下元首相は、故青木伊平元秘書らがリ社の未公開株(1万2千株)を受け取っていたことが引き金となって89年4月に退陣表明に追い込まれた。自民党は同年7月参院選で大敗。さらに92年に発覚した東京佐川急便事件をきっかけに竹下派(当時)が分裂し、93年には一時野党へと転落した。リ事件によって政界再編、連立政治の幕は開いた。

 94年には衆院の小選挙区制が導入され、95年1月から政党助成金制度がスタート。99年12月の政治資金法改正では、政治家個人への企業・団体献金が廃止された。

 しかし、カネのかからない政治の実現にはほど遠かった。中村喜四郎元建設相(94年・ゼネコン汚職事件)、中尾栄一元建設相(00年・旧建設省発注工事事件)、村上正邦元労相(01年・KSD事件)、鈴木宗男元官房副長官(02年・北方四島支援事業事件)と、自民党の実力議員が次々と逮捕された。今年も大島理森農相元秘書の口利き疑惑や、自民党長崎県連の違法献金事件が政権党を揺さぶっている。

 坂井議員の秘書逮捕が江副被告判決と重なったのは象徴的だ。未公開株を媒介にした「濡れ手で粟」に代わって、カネ作りの方法もさまざまになり、構造的体質にはほとんど変化がない。福田康夫官房長官は4日の記者会見で、坂井議員の秘書の事件について「また秘書にまつわることで、極めて遺憾に思う。政治全体の中でどうすべきかを考えていかなければならない」と語った。

 小泉純一郎首相は昨年来、公共事業受注企業からの献金制限を訴えているが、与党側は「企業献金は悪ではない」と及び腰だ。リクルート事件の風化とともに、金権体質を改善しようという意欲も失われている。






(私論.私見)