鈴木啓一記者の履歴と変死考

 (最新見直し2009.1.29日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ55」の吐息でネット右翼氏の2009.1.28日付け投稿「〔メモ〕怪死した朝日新聞論説委員と神奈川県警の接点(低気温のエクスタシー) 」その他参照。

 2009.1.29日 れんだいこ拝


 2006.12.17日頃、リクルート事件の第一報を報じた栄誉を持つ朝日新聞の敏腕記者にしてその後論説委員となっていた鈴木啓一氏が変死した(享年48)。東京湾に浮かんでいるところを発見されて、「自殺」として処理された。

 「日ごろはボサッとした髪に黒縁眼鏡をかけ冴えない感じだが、いずれは朝日名物の天声人語を担当するとも目されていた。そんな人物がなぜに自殺したのか、朝日社内は大揺れだ」とある。

 鈴木記者は、横浜支局にいた1988年に、リクルート事件の発端となった川崎市助役の疑惑をつかんだ(川崎市の助役がリクルートコスモスの未公開株を上場後に売り抜け、1億円の売却益を得ていたとの情報を入手した)第一報にした実績がある。

 変死する直前、鈴木論説委員は、スクープ記事「りそな銀行、自民党への融資残高3年で10倍」をものにしていた。2006年12月18日付の朝日新聞朝刊1面トップで、「りそな銀行、自民党への融資残高3年で10倍」の見出しを伴ってスクープされた。記事内容は、他の大手銀行が融資を圧縮する一方で、03年春に実質国有化されたりそなだけが自民党への融資を同期間に融資残高を10倍に急増させ、自民党に対する大手銀行の融資残高が05年末で約80億円に達し、3年間で倍増したことを指摘していた。メガバンクの融資残高は02年末で約33億円だったが、05年末には約7億円減の約26億円になった。一方、03年春の経営危機で約2兆円の公的資金が投入されたりそなは、02年末(当時は大和銀行)の残高約5億円から、05年末には約54億円まで急増させている。

 また、この後3大メガバンクが自民への献金再開を準備し、これらの献金がりそな融資の穴埋めになる図式も解説された。記事がもっとも問題にしたのは、りそな銀行が事実上、自民党の私有銀行(機関銀行)化している疑いだった。「利用者などからの疑問の声も高まりそうだ」とコメント。

 旧第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)出身で、作家の江上剛氏は「献金の形で返済の一部を事実上免除するのは、タコが自分の足を食うようなもの。大手行は公的資金や超低金利で巨額の不良債権を処理できた。利益還元で優先すべきは政党ではなく、国民や利用者ではないか」と批判している。

 そもそも、リクルート疑獄事件は、神奈川県警の捜査ニ課の警部が、神奈川県警の盗聴事件を取材していた朝日新聞の社会部記者に”「川崎駅前のリクルート・テクノピアを調べた方が、盗聴事件より大きなスキャンダルがものに出来る」”とリークし、以下のように進展していったものである。

 ”川崎市の助役がリクルート社のビル建設に関連して、便宜を計った見返りとして株を受け取り、それが巨額のワイロだったことが収賄事件として発覚し、それを口火にしてリクルート疑獄の煙が立ちのぼった。この段階で汚職容疑で内偵していた神奈川県警に対して、元警視総監で中曽根内閣の法相をやった奏野章が、圧力をかけて捜査を中止させようとしたほど、リクルート社の自民党中枢への浸透は強力だった。それは本命の中曽根前首相は言うに及ばず、ニューリーダーと呼ばれる竹下、宮沢、安倍などの幹部が、ワイロ性の強い金を一億以上も受け取っており、その事実がここにきて続々と発覚していて、川崎という地方都市での汚職は駒を生んだ瓢箪になった。[平成幕末のダイアグノシス/藤原肇著]”






(私論.私見)