国税当局の角栄潰しの諸策動

 (最新見直し2006.1.9日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 驚くべきことに、国税庁は、ロッキード事件での5億円収賄を史実と見立て、角栄及びその遺族に対し課税し、それに応じないとなると年利14.6%の延滞税を課して脅迫し続けているらしい。この高金利を課せられるとほぼ5年で賦課金が本税の倍額に達する。「真紀子が小石川税務署への課税異議申立人の地位を引き継ぎ、税金闘争を継続」とあるが、当たり前のことだろう。仮に5億円収賄が否定されたら、国税庁はどう責任をとるのだろう。そういう疑問が発生する。

 2006.1.9日 れんだいこ拝 


 「田中角栄の逃税学」(立石勝規・講談社・200.11.24)ソノタ参照


 1974.12..9日、三木内閣成立。東京国税局が角栄の税務調査に着手している。


 1977.3月、東京国税局が、角栄がロッキード社から賄賂5億円を受け取ったと認定し、その雑所得に対し本税約3億7500万円、過少申告加算税約1800万円の更正処分。角栄所有の長野県軽井沢町の「南が丘別荘」と角栄系企業・長鉄工業名義の軽井沢町の「三笠別荘」に担保設定する。角栄は、小石川税務署に異議申し立て。金脈事件以来、水面下で衝突を始めていた田中VS東京国税局の闘いが、再度表面化した。


【角栄逝去】

 上告審に係属中の1993(平成5)年12.16日、逝去。真紀子が小石川税務署への課税異議申立人の地位を引き継ぎ、税金闘争を継続。
 


 1994.3月、真紀子、賄賂5億円の所得税など約4億円を納付する。【納付しない限り年利14.6%の延滞税が膨らんでいく】既に延滞税は9億6000万円に達していた。軽井沢の別荘を担保提供していたため半額の4億8000万円に。税金闘争継続。

 3.23日、真紀子が記者会見し、「今回の納付は延滞税が膨らむのを避けるためではないし、相続税対策でも無い」、「父の気持ちを大切にしたいし、異議申し立てを取り下げるつもりは絶対に無い」とコメントした。


 1994.6.30日村山内閣成立。真紀子、科学技術庁長官で入閣。


 1994.7.18日、角栄の死去(1993.12.16日)より7ヵ月後、真紀子ら、小石側税務署に角栄の遺産を119億4000万円円と申告。角栄の遺産を相続したのは、妻のはな、長女の真紀子、養子の真紀子の夫直紀、角栄と愛人の間に出来た息子二人の5名。相続の内訳は、妻のはな59億7000万円、真紀子・直紀夫妻が19億9000万円ずつ、異母弟の二人は9億9000万円ずつ。 

 この時、国税局より、遺産相続をめぐって約78億円の申告漏れが指摘され、相続税が約65億円に膨らみ遺産総額約197億円とされた。しかし、税金全てを払うだけの預貯金は無く、35億円を現金で支払った他の残りは東京都文京区目白台の角栄名義であった「目白御殿」の敷地5800uのうち、3200uを物納している(目白御殿の一部を物納−大蔵省関東財務局が管理)。

 公表された資産は、目白御殿(東京都文京区)敷地約8千u、越後交通株式、新潟県山林等々であった。


 1994.12月、小石川税務署が、真紀子の異議申し立てを棄却。


 1995.1月、真紀子が、東京国税不服審判所に不服審査を請求。


 1995.9.13日、角栄の妻はな死亡。遺産像族は、真紀子、直紀夫妻と、はなと前夫との間に生まれた娘の計三名。


 1995.9月、母はなの遺産に対する相続税53億円も懸案中。


 1995.12月、真紀子らの遺産申告に78億円の申告があると判明。課税対象の遺産額は197億円、相続税は65億円に。30億円分を物納へ。


 1996.1.11日、橋本内閣成立。


 1996.9月、不服審判所が、真紀子の不服審査請求を棄却の判決。


 1999.12月、真紀子、課税取り消しの行政訴訟を起こさず、裁判闘争に終止符を打つ。裁判所に課税取り消しの行政訴訟を起こす道は残されていたが、3ヶ月の期限内に提訴せず、12月末、課税が確定した。東京国税局の課税通知から、実に19年9ヶ月ぶりのことだった。


 2000.3月、物納した土地のうち「目白御殿」の一部、1200uを日本女子大学が約7億8500万円で購入。


 2001年の政治家の資産公開で田中直紀氏が約1032u、真紀子氏が1606uを受け継いだことが判明。


【国税庁の権限】

 質問検査権、強制調査権(査察権)
 査察部と特捜部の関係。査察部・特捜部=強制調査犯罪コース、特捜部以外=任意調査追徴決着コース
 地検との協力関係で限りなくオールマイティー権を行使することが出来る。






(私論.私見)