キッシンジャーと池田大作の関係

 更新日/2022(平成31.5.1栄和元/栄和4).8.23日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「キッシンジャーと池田大作の関係」を確認しておく。

 2014.07.03日再編集 れんだいこ拝


【キッシンジャーと池田大作の関係考】
 2018.8.31日、「キッシンジャー博士と池田大作先生の対談集『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』」その他参照。 

 二人の最初の出会いは国務長官だったヘンリー・A・キッシンジャー(以下、キ氏と記す)のもとを池田大作創価学会会長(以下、池田と記す)が訪れたことに始まる。「訪米の際には、立ち寄ってほしい」。池田との会見を希望したのは当時、国際政治の“要”のアメリカ合衆国国務長官で“外交の魔術師”との異名を持つキ氏。「ヒマラヤ越えの北京入り」と報じられた電撃訪中(1971年)は、世界を「米ソの二極構造」から「米中ソの三極構造」に劇的に転換した。池田も74年に中ソ両国の首脳と会見する等“民間外交”を推し進めていた。キ氏は早くから池田の民間外交に注目。会見の数年前から書簡で意見交換を始めていた。会見に先立って、池田によるベトナム和平についての提言が氏の手元に届いていた。

 1975.1月、両者が初めての会見。小雪がちらつくアメリカの首都ワシントンで行われた。席上、キ氏が「池田会長の平和行動はよく知っています」と語り、世界情勢について池田の見解を求めた。池田のベトナム戦争終結への提言についても、「3回読みました。数日間思索します。中東問題も意見を送ってほしい」と。35分の初会見だったが池田とキ氏は百年の知己のようにうちとけた。その後も、信頼を深めあい、一日では対話が終わらず、共に多忙を極めるなか二日連続で計6時間も語り通したこともあった。

 1979年、1981年、1986.9.3、東京で会見を重ねている(キ氏63歳、池田58歳)。1987年。「キッシンジャー博士と池田大作先生の対談集/平和と人生と哲学を語る」が発刊された。発刊時期は米ソの和解ムードの時期であり、ドイツのベルリンの壁崩壊の2年前。1988.7.13日、東京で7度目の会見。





(私論.私見)