http://www.asyura2.com/2002/ishihara1/msg/337.html
ゲルゾーニの宣誓供述のおかげで、イタリアおよびヨーロッパは――合衆国ではなくて――アルド・モロの死の背後にはキッシンジャーが存在していたことがわかった。この悲劇的事件は、三百人委員会がどんな政府にでも例外なく介入する能力があることを示している。キッシンジャーはただモロを脅迫しただけでなく、イタリアの経済・産業振興政策を断念しないならばモロを「排除」するというその脅迫を実行したのである。
一九八二年六月と七月にモロの妻は公開の法廷で、夫が殺されたのは彼女が言う「合衆国の政府高官」が本気で彼を殺すと脅迫した結果であることを証言した。エレノラ・モロ夫人は、キッシンジャーが使ったとゲルゾーニ宣誓供述で報告された言いまわしを、一言一句精確に何度も繰り返した。つまり、「現在取っている政治路線を止めるかその路線のために高価な代償を払うかだ」と。ゲルゾーニは裁判官に再喚問され、モロ夫人が語っている人物はキッシンジャーに間違いないかと問われた。ゲルゾーニは、その人物が自分が前に親しかったキッシンジャーその人であると答えた。
ゲルゾーニは法廷で、イタリアの指導者たちが公式訪米したさいに、キッシンジャーがホテルのモロの部屋を訪れて脅迫したことを重ねて説明した。モロはNATOのメンバー国であるイタリアの当時の首相兼外相として高位の人物であり、マフィアもどきの圧力や脅迫にさらされる筋合いにはなかった。モロはイタリア大統領とともに公式資格でアメリカを訪問したのである。そのときキッシンジャーは、いまでもそうであるが、王立国際問題研究所の重要なエージェントであり、ローマクラブとCFR(外交問題評議会)のメンバーであった。
ローマクラブとその大蔵省であるドイツ・マーシャル財団とが、北大西洋条約機構[NATO]という隠れ蓑の下に機能する二つの高度に組織された謀略機関であること、ローマクラブ執行部の大多数はNATO関係者であることが彼らにひらめいたのだ。ローマクラブはNATOが政策として掲げたものをすべてまとめ上げ、三百人委員会のメンバーであるキャリントン卿の活動を通じて、NATOを政治的(左翼)勢力とそれまでの軍事同盟との二つの党派に分けた。
ローマクラブは、いま現在も三百人委員会のもっとも重要な外交部門のひとつである。もうひとつは、ビルターバーガーズである。ローマクラブは一九六八年に、そもそもモーゲンソー・グループの強硬派たちが、統一世界政府――私はこの名のほうが正確であるとは思うのだが、現在では新世界秩序と呼ばれている――計画をはやめるための新規かつ緊急の運動を興すために、故アウレリオ・ペッチェィから電話で招集されたことを共通基盤として結成したものである。統一世界政府は新世界秩序よりも確かに正確に内容をあらわしている。 以前にはいくつかの「新世界秩序」があっていさささかまぎらわしかったし、「統一世界政府」はひとつもなかったからである。
ケネディ大統領が拒否した「危機管理」計画
ローマクラブは、キューバ・ミサイル危機にも重要な役割を演じたのち、「危機管理」(FEMAの前触れ)計画をケネディ大統領に売りつけようとした。ダヴィストック研究所の科学者たちがその内容を説明しに大統領に直接会いに行ったが、大統領は彼らが提示した案を拒否した。ケネディが暗殺されたその年に、タヴィストックはNASAと会談すべくワシントンに戻った。今回は会談は順調に進んだ。タヴィストックはアメリカの世論を来るべき宇宙計画に引きつける効果を高く評価したNASAと契約を結んだ。この契約内容は、スタンフォード研究所とランド・コーポレーションに委託された。タヴィストック、スタンフォード、ランドで作製された膨大な資料は、現在にいたるまで陽の目を見ることはなく封印されたままである。私が情報を得ようとして接触した上院監視委員会といくつかの小委員会は「そんな話は聞いたことがない」という返事か、私が求めていることを発見する手がかりすらも与えないかであった。これが、三百人委員会の力と威信である。
一九六七年五月、会議は北大西洋同盟科学技術委員会と外交政策研究所の主催のもとに開催された。それは「大西洋間の不均衡と協力についての会議」と称され、フランスのドーヴィユにあるエリザベス女王所有の宮殿のような建物で開催された。ドーヴィユ会議の基本的な目的と意向は、合衆国の技術と産業の進歩にとどめを刺すことにあった。この会議の結果、二冊の本が出版された。ひとつは、ズビグニュー・ブレジンスキーの『テクノトロニック時代』で、もうひとつは、同会議議長のアウレリオ・ペッチェイが書いた『深まりゆく亀裂』である。ペッチェイは全面的にブレジンスキーに同意したが、さらに「統一世界政府によって支配されない」世界は将来、混沌状態におちいるだろうと付け加えた。この点に関してペッチェイは、ソ連は「NATOに収束」しなければならないと主張した。ここにいう収束とは、アメリカとともに統一世界政府のパートナーとなることを意味する。米ソは、将来の「危機管理と地球規模の計画」に責任をもつようになるというのである。
|