ロッキード事件に果たしたマスコミ、市民運動のミスリード |
(最新見直し2006.7.27日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
当時のマスコミは、第四権力を使って「国民的ヒステリー」を醸成し、判決が出ていないうちは推定無罪が原則のところ有罪を決め付け、角栄を私刑(リンチ)していった。 当時、「角栄を攻撃せざるはジャーナリストにあらず」との風潮さえあった。その奥の院は明らかに目的意識的に、下っ端記者はその安上がりの正義感を上手く利用されて共々で「角栄鬼退治」に乗り出していった。その正義たるや今日に至るも信じられているほどのお目出度い代物である。 安上がりの人間は安上がりの発想とハーモニーして相応しい「脳筋」を作る。一度出来上がった「脳路」はこれを癖とするので、思考回路を変えるのは至難の業である。まして年を取ればとるほど固陋になる。よって、この連中に漬ける薬は無い。れんだいこは、彼らには何の遠慮も無く対決し、徹底的に違う目線で論を提起し抜き、次の世代の獲得に向おうと思う。 2005.7.16日 れんだいこ拝 |
【ロッキード事件に果たしたマスコミのミスリード】 | ||||||
当時のマスコミは、「アメリカのウォーターゲート事件報道はニクソンを辞任に追いやった。ロッキード事件で角栄逮捕まで追い詰めるのが、日本のマスコミの責任。日本の民主主義試されている」という気負いで、ロッキード事件解明に猛り狂った。しかし、この「正義」は如何にも安上がりなもので、米英ユ同盟として体現しているネオ・シオニズムの国際陰謀勢力に上手に乗せられていることを疑う識見を持つ者は居なかった。 この時マスコミは、本来のチェック機能を省みることなく、官憲の腰巾着と化し、あまつさえ煽りにあおり、その煽りの中に「正義」を自己陶酔させた。それまでの冤罪を暴く視点を捨て有罪を煽るプロパガンダ路線へと転換していった。以降も事あるごとに「検察ファッショ」を促進させる潤滑油の役割を今日まで果たし続けている。この傾向はロッキード事件以来のものであり、その意味でもロッキード事件の傷は深い。
付言すれば、俵・氏は、上述のように述べた後、「宮顕の戦前の党中央委員小畑リンチ致死事件」に触れ、これを冤罪と見る観点から記している。れんだいこはこの説を採らないので引用をしない。これは、俵・氏の観点の惜しむべき曇りである。
云うまでも無く、1948(昭和23).12.10日、国際連合の第3回総会で採択された「世界人権宣言」はこの種の人権侵害を戒めて第11条で次のように記している。
当時のマスコミは、傲慢不遜にも「ペンの正義」の下にこれらの「世界的合意確認規定」を無視していった。三権分立の枠から外れた第四権力という裏権力をためらうことなく行使していった。三権権力からやられた者には救援会や補償の道があるけれども、第四裏権力にやられた者には何の手立ても講ぜられていない。それを良いことに「賢こぶるペンの暴力」により、角栄は万力攻めされていくことになる。
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【マスコミ暴走に対する当時の批判見識】 | |||||||||
少数ながら、当時のマスコミの暴走に異を唱える人達もいた。これを列挙して確認しておく。 政治評論家・俵孝太郎氏は、週間サンケイの8.23日号で次のように述べている。
元内閣法制局長官・林修三氏は、正論10月号に「ロッキード疑獄の法律的研究」を寄稿し、次のように述べている。
加瀬英明氏は、「田中角栄と日本人」の座談「田中角栄における日本的体質」の中で、次のように述べている。
古井喜實氏は著書「首相の職務権限」の中で、次のように批判している。
元新聞記者のフリージャーナリスト・岩崎定夢氏は「角さんの功績、真の実力、この魅力」の中で、次のように批判している。
白井為雄氏は、「ロッキード事件恐怖の陰謀」の中で次のように記している。
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産経新聞元政治部長で、論説副主幹の多幡道夫氏が、8.23日号週間サンケイ緊急増刊号に「検察に“独走”はなかったか」と題して問題提起の一文を寄せている。多幡氏は次のように述べている。
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秦野章・氏は、著書「角を矯めて牛を殺すなかれ」の中で「マスコミが人を裁く」と題して次のように述べている。
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【シオニズムの手先としてマスコミが果たしたロッキード事件での役割】 | |
日本のマスコミは、故意かどうか不明だが事件の謀略性に全く気づかなかった。否、というより積極的にこの謀略のお先棒を担いでいった。その論証をこれからしていきたい。 担当記者は真実の追究には向わず、ひたすら法務省関連省庁の担当者を追いまわしてコメントやプリントを有り難く頂戴する日々であった、と云う。不都合な記事はことごとく「デスクが通らなかった」とも云われており、マスコミ上層部に政治的意志が蠢いていたことが判明する。 これらの背景に何があるのか。れんだいこが次のことを示唆しておく。これについては「シオンの議定書に見るマスコミ篭絡謀略」を参照されたし。かなりの分量を費やして次のように述べている。
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![]() 思えば、「ロッキード事件に見せたマスコミの働き」はものの見事にこの戦略戦術に添っていやしないか。してみれば、シオンの議定書捏造説を振りまき、ロッキード事件で「正義」のペンを振り続け、角栄を悪し様に批判すればするほどサヨの証として蠢く連中を疑惑せねばなるまい。仮に彼らが善意であったとすれば、政治に関わるには基本的能力が欠損しているのに小権力を振り回していることになる。これをブサヨと命名されているがまことに的確と云うべきだろう。 2005.7.2日 れんだいこ拝 |
【市民運動】 | |
西部邁(すすむ)氏は、「集団リンチされた宰相への詫び状」で次のように記している。
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Re:れんだいこのカンテラ時評191 | れんだいこ | 2006/07/27 | ||
【毎日新聞のロッキード事件30周年記念記事の低レベルを指弾する】 ロッキード事件で田中角栄前首相が逮捕されて以来30周年のこの日、毎日新聞は、過去の報道を批判的に捉え返すことなく、「5億円は参院26候補に 調書で元秘書官」なる見だしで、5億円贈収賄説を補強する記事を掲載した(http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2246494/detail?rd)。松下英志記者が書いたものらしい。れんだいこがこれを検証する。 それによると、次のような内容となる。
毎日新聞社は、「田中元首相らの逮捕から27日で30年を迎える節目に新事実が判明した」と鳴り物入りで報じている。しかし、毎日よ、今日の時点でもなお、田中角栄5億円贈収賄を立件せんとする執念は見上げたものだが、お前達は逆から見るということができないのか。 れんだいこが分析すれば、こたびの新事実は、1・角栄側が参院選に金がばら撒いた。2・そのルート先が判明したに過ぎない。榎本は過酷な取調べの中で、参院選の際の資金ルートを明らかにしたが、その金の一部が全部にせよロッキード事件による5億円贈収賄金であったことにはならない。結局、検察もそれが出来なかった。それはそうだ。れんだいこ史観によれば、「ロッキード事件に於ける5億円贈収賄金は幻」の可能性が大で、角栄は米日反動勢力により冤罪で落とし込められたと見立てている。 毎日よ、お前達は何故無理矢理結び付けようとするのだ。次のようにも述べている。
何と、ジャーナリズムが御用化していることよ。お前達はなぜ、そうまでして検察の正義を演出しようとするのか。れんだいこが子供の頃は、紙面には冤罪告発記事が踊っていた。それを思えば隔世の感がある。まことに、ロッキード事件を境に、マスコミが検察にエールを贈り始め、時の政権の御用化記事が目立つようになった。 普通に考えれば、検察が該当榎本調書を証拠申請しなかったのは、参院選配布資金がロッキード社からの5億円贈収賄金を充当したものであったとは立件できなかったからではないのか。なぜそれを、「検察側がこれらを証拠申請しなかったのは、公判の混乱を避ける法廷戦術のためで、供述調書自体の信用性は高いと言える」とまで脚色してヨイショしようとするのだ。 新聞マスコミ界が、ロッキード事件で真に検討すべきは、榎本がらみで云えば、角栄と同日逮捕された榎本が5億円収賄を認めるよう執拗に迫られ、何と「田中5億円受領を認める」と一面トップに書かれたサンケイ新聞を見せられたという史実こそ重視せねばならない。 榎本は、くだんの記事を見せられ、「オヤジが認めているのに私が認めないのも変だという気分にさせられ、その後の取調べで検事の誘導に従って段ポール箱の授受を認めた」、「先生が、党の為に、ありもしない事実をやむを得ずひっかぶられたのかと思い、悩んだ末に、私も先生に口裏を合わせた」、「オヤジがしゃべったから、仕方が無くしゃべった」と、この時の事情を法廷で陳述している。 サンケイ新聞一社の虚報記事であったのか他社も同様記事を虚報していたのかどうか不明であるが、明らかに新聞社大手が度の過ぎた捜査協力していることが判明している。前代未聞の不祥事であろう。 新聞社は、少なくともサンケイ新聞はこれにつき検察に抗議したのか。史実は、抗議するどころか協力しまくりであったのではないのか。毎日よ、お前のとこが同様協力したのかどうかは分からないが、サンケイ新聞社のジャーナリズム見識に対して批判的見解を打ち出すことは必要だろう。そういう抗議ないしはマスコミ界でこの問題を採りあげ検討を一度でもしたことが有るのか。 もとへ。榎本は当初より否認し続けていたが、検察の卑劣なトリックにより追い込まれ、金銭授受を認めさせられたことが判明している。毎日が、こたびの新事実を手柄的に報ずるのなら、榎本に対する取調べが、云われているほど酷いものではなく、榎本調書の一切が任意自主的な供述であったことを立証せねばなるまい。臭いものに蓋をしたまま、あろうことかロッキード事件30周年を飾るスクープ扱いして報ずるなど、ジャーナリズムの見識を大いに欠くノータリンぶりであろう。 今日のマスコミ界を牛耳る者達はこぞって、ロッキード事件報道で角栄追い落としに協力した者たちで占められている。検察も同様である。それを知るれんだいこは、実際のところは現下のマスコミに公正真実の報道などねだりはしないが、それにしても30周年でなおこういう居直り記事しか掲載しえない姿勢にはあきれるばかりである。 その点、同じマスコミ人でも、増山榮太郎氏のように角栄を郷愁し始めた方も居られ、これこそ真っ当というべきであろう。増山氏は、このままでは寝覚めが悪いと「角栄伝説ー番記者が見た光と影」を著している(http://www33.ocn.ne.jp/~massan/shohyou05.12.31.htm)。これがせめての良心というものであろう。松下記者よ、爪の垢でも煎じてみぃや。 2006.7.27日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)