ロッキード事件に果たした労働組合のミスリード

 (最新見直し2005.910.6日)

【「ロッキード事件当時の労働組合、自称知識人の果たした役割」確認】
 「ロッキード事件当時の労働組合、自称知識人の果たした役割」を確認しておかなければならない。「大原社会問題研究所」「日本労働総年鑑」の資料を参照する。

 1984年版 国際・国内情勢と労働問題 2 国内情勢の特徴国内政治の動向には次のように書かれている。
 八二年半ば以降の政治過程をみると、鈴木善幸首相は、一〇月一二日、突然辞意を表明し、同月一六日に受けつけられる総裁選立候補の届け出をしない意思を明らかにした。一一月二四日における総裁予備選の開票の結果、中曽根氏が圧勝し、一一人目の自民党総裁となり、一一月二六日衆参両院は、中曽根氏を首相に指名した。同氏は組閣に入ったが、田中派が六ポストを占めたため、非主流派閥が反発する一幕があった。

 つぎに与野党のあいだで大きな争点になったのは、「田中元首相にたいする議員辞職勧告決議案」であった。すなわち社会、公明、民社、新自連の野党四会派は二月四日、共同で決議案を福田衆院議長に提出した。共産党はすでに単独で決議案を提出、両案が一本化されたので、全野党が一致して自民党と対決するかたちとなった。しかし自民党は、論告求刑は、三審制度をとる裁判の一過程にすぎず、決着がついているわけではないと主張し、野党の主張に反対した。この問題は、与野党の主張が対立したまま、秋の臨時国会にもちこされた。


 同書の「1985年版 労働組合と平和・社会運動 7その他の運動 反金権・田中辞職要求運動」には次のように記載されている。

 八三年一〇月一二日、東京地裁において、ロッキード裁判丸紅ルートの元首相田中角栄被告にたいして、「懲役四年、追徴金五億円」の実刑判決が言い渡された。この有罪判決を機に、反金権・政治倫理確立と田中即時辞職要求の運動は大きく盛りあがった。

 一〇月一二日午前一〇時から、衆院第二議員会館内において「田中角栄議員即時辞職要求各界代表者会議」が開かれ、総評・中立労連・新産別・社会党などの各界代表が参加した。会議は、田中議員辞職・中曽根内閣糾弾・政治倫理確立を要求する決議を採択し、福田衆院議長に申し入れた。

 田中元首相への有罪判決が出された一二日の夕方、総評・中立労連・新産別・社会党・原水禁・護憲連合が主催する「反金権、政治倫理確立、田中角栄即時辞職要求、中曽根内閣糾弾10・12中央集会」が明治公園で開かれ、二万三〇〇〇人が参加した。集会は、石橋社会党委員長の主催団体あいさつ、黒川総評議長・竪山中立労連議長・小方新産別委員長・勝間田護憲連合議長・中林生協連会長の決意表明の後、集会決議を採択して都心をデモ行進した。

 またこの日、田中元首相の地元、新潟市体育館で、県評・社会党・共産党など二二団体の主催による「田中角栄を政界から追放する県民集会」が開かれ、約五〇〇〇人が参加した。新潟県内全域でも約七〇台の宣伝カーが終日宣伝活動に取り組み、同日夕には長岡、柏崎、上越の三市でも集会、デモがくりひろげられた。

 このほか、一〇・一二は「政治倫理確立・田中角栄即時辞職要求全国デー」として各県で取り組まれ、三〇九ヵ所で集会がもたれ、八五万七八〇〇人が行動に参加した。


 同書の「1985年版 国際・国内情勢と労働問題の焦点 2 国内情勢の特徴 国内政治の動向」には次のように書かれている。

 八三年一〇月一二日、東京地裁はロッキード事件に判決を下したが、田中角栄被告は、懲役五年の実刑判決となった。これを受けて全野党は一致して田中辞職勧告決議案を提出し、その取り扱いをめぐって与野党が紛糾し、審議中断という事態を招く結果になった。かくして中曽根首相は衆議院を解散し、総選挙がおこなわれることになった。


【「ロッキード事件当時の労働組合、自称知識人の果たした役割」考】
 以上、「ロッキード事件当時の労働組合、自称知識人の果たした役割」を確認するために「日本労働総年鑑」の資料を参照した。明らかなことは、鈴木政権から中曽根政権への誕生過程、中曽根政権後において、当時の労働組合、自称知識人が、田中角栄政界追放運動に狂奔したことである。今日2005年から見て、その運動は正解だったであろうか。これを検証してみたい。(以下、略)

 2005.3.7日 れんだいこ拝





(私論.私見)