ロッキード事件に果たした日共の陰謀及び反動的立ち回りの暗部考

 (最新見直し2011.01.23日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 日共の胡散臭さについては、「戦後政治史検証」、「宮本顕治」、「不破哲三論」で考察している。「ロッキード事件に果たした日共の陰謀及び反動的立ち回り」について特別に論ずる必要がある。れんだいこは、1955年の六全協で党中央を簒奪した宮顕ー野坂体制は、ネオ・シオニストのエージェントが日本共産党を牛耳るに至ったという裏意味があると仮説している。れんだいこは、以来識別する意味で「日共」と云うことにする。そういう胡散臭い日共は何気ない平素ではそれなりの共産党的なせめて言辞だけでもするが、いざ肝腎の際には当局御用派としての馬脚を表わす。ロッキード事件に於ける日共の果たした立ち回りはその典型であった。

 れんだいこ史観に拠れば、戦後日本の世界に誇り得る政治を舵取りしていっていた戦後与党主流派のハト派の総帥田中角栄を葬ることに熱狂した宮顕ー不破系の日共運動には「裏があった」筈である。誰かの指図に基づく嬌態を演じた筈である。これは、れんだいこが気付く仮説である。角栄政界追放史に於ける日共の反動的立ち回りは、胡散臭い奴が肝腎な時に正体を現わした典型である。その様を本サイトで確認しておくことにする。

 現代政治研究会の「田中角栄 その栄光と挫折」は、ロッキード事件の期間、共産党の果たした役割について次のように記している。

 「田中首相を退陣に追い込むきっかけを作ったのが文芸春秋の田中金脈追及であったように、当初の異常な田中ブームに冷や水を浴びせ、不人気への道を開いたのは、新聞ではなくて雑誌ジャーナリズムと、もう一つ、共産党だった」。

 当時の赤旗を便覧せねばならず、それは手間のみ多い。よって当面、以上の結論のみ記しておく。

 2005.5.21日再編集 れんだいこ拝


【日共不破の今日に於いてもかような見解考】
 日共の不破幹部会委員長は、1999.7.25日付け赤旗の「日本共産党創立77周年記念講演会 現代史のなかで日本共産党を考える」でも、ロッキード事件に関して次のような見解を披瀝している。(れんだいこ文責でゴシック文字にした。内容不改変)

 「それから、あれだけ国民が追及していた政治腐敗でしたが、それが途方もなく大きくなりました。私は、いまでも思うのですが、金権政治の元祖といわれた田中角栄氏は、国内で五億円の金を調達できないで、危険だとわかっていながらロッキードの献金に手をだして領収書を書いた。それがあの大事件になったわけでしょう。いま、五億円――物価が上がっているから、いまなら十億円、二十億円というお金に当たるのでしょうが、その程度の金は、自民党のどの派閥でも、どこからでも平気で生みだしてきます。

 田中角栄氏の後を継いだ金丸信氏などは、国が公共事業を発注するたびに、そのいくばくかは発注額に比例して自分のところに入ってくるという自動献金装置までつくって、逮捕されたときには金の延べ棒が金庫にざくざくでした。(笑い)」。

(私論.私見) 「日共不破の今日に於いてもかような見解」について
 不破は何と、「金権政治の元祖といわれた田中角栄氏は、国内で五億円の金を調達できないで、危険だとわかっていながらロッキードの献金に手をだして領収書を書いた。それがあの大事件になった」と云う。この詐術に胸が悪くなるのはれんだいこだけだろうか。

 不破は、ロッキード事件勃発時、角栄を「金権政治の元凶、諸悪の根源」として批判し続けてきたが、その元凶が葬られるや「元祖」と少し表現を替え、意訳概要「その元祖が、落ちぶれてか国内で五億円の金を調達できないで、危険だとわかっていながらロッキードの献金に手をだして領収書を書いたのがロッキード事件の真相だ」と云う。聞き捨てならない無茶苦茶な観点を披瀝している訳だが、日共党員つうのは余程脳軟化症しているのだろう。赤旗を読むと、この詐術と観点の歪みを問わないで(笑い)で応じているようである。

 れんだいこはもはや言葉を失う。こんにちでさえこのテイタラクであるからして当時の日共の対応の変調さは推して知るべしであろう。宮顕ー不破系党中央は、検察司法のロッキード事件追求をあたかも正義の使者であるかの如く見立てて礼賛していった。更に、検察司法の手に負えない政治局面で、正義の使者を引き継ぐかのようにして議員辞職運動を組織していった。その例証は枚挙にいとまない。

 2005.6.6日再見直し れんだいこ拝

【当時の日共委員長・宮顕の政治的立ち回り考】
 平野貞夫氏の「昭和天皇の『極秘指令』」(講談社、2004.4.10日初版)は、当時の日共委員長・宮顕の政治的立ち回りの様子を記している。これを確認しておく。(以下、略)

 2005.10.6日 れんだいこ拝

ロッキード事件勃発時の日共宮顕ー不破の即応不審考】

 1976.2.4日、ロッキード事件が勃発したことで、宮顕は、「戦前党中央委員査問致死事件釈明」の危地から救われた。鈴木卓郎の「共産党取材30年」は次のように述べている。

 「助かったのは『スパイ査問事件』を追及されていた共産党である。『査問事件』のナゾは解かれたわけではないが、要するに話題はロッキード献金の方へ移ってしまい、話題としては急速にしぼんだ。宮本を獄中から釈放したのはマッカーサーであった。今度はロッキードが宮本を世論の総攻撃から救った。これで宮本は二度『アメノか帝国主義』に助けられたことになる。なんとも運の強い皮肉な共産党委員長といわざるを得ない」。

 2.24日、共産党の全国活動者会議が開かれ、党本部から委員長・宮顕以下全党幹部が出席し、党機関幹部1172名が参加し、秘密会議の様相で種々意思統一が為されている。この時党は会議運営委員会(防衛隊員216名による)の厳しい監視下の秘密会議としている。

 「これが共産党」(水島毅・全貌社)によると、参加者には通し番号付きで「必ず返却」と記入された「注意事項」が手渡された。その内容は次の通り。1、入場したら許可無く外出は許されない。2、外部への電話は許さない。3、外から電話があっても取り次がない。4、単独行動は許さない。5、廊下や控え室でのヒソヒソ話は許さない。6、記念撮影などは許さない。7、テープ録音は許さない。8、宿舎では外部への連絡は許さない。9、発言は文書によって予め提出する。10、全ての文書の処理は袋に入れ係員に渡す。11、怪しい奴を見つけたら、すぐ係員に連絡せよ。

 「異例の緊急全国活動者会議」であったことが判明する。この時、何が意思統一されたのか未だに未解明である。

 7.27日、角栄が外国為替法違反、受託収賄罪容疑で東京地検特捜部に逮捕されたが、その翌日の7.28ー31日、日共は、この年秋に予定していた定期党大会を翌年に延期することとし、第13回臨時党大会を開いた。50余年の党史で初めての臨時党大会となったが、何の為に臨時党大会を急遽開催したのだろうか。元首相・角栄が逮捕された翌日の臨時党大会開催は偶然なのだろうか。

 大会は、冒頭で、前日の田中前首相の逮捕を誇らしげに伝えていることからも分かるように、対田中闘争の徹底推進にあった。宮顕は、「三木内閣の手で事件の徹底的究明をさせる。捜査途中での三木降ろしに反対する。これは自民党内の政権たらい回しを許し、即時国会解散を要求することとなり国民の希望に反する」と「三木支援」の演説をぶった。奇妙なMMホット・ラインがここに刻印されている。いずれにせよ、対田中角栄闘争に異例の並々ならぬ意思統一をしたものと思われる。この時の宮顕の異常な指揮権発動は何を物語るのだろうか。

 この時の人事で、新中央委員会は、議長に野坂、幹部会委員長に宮顕(68歳)、幹部会委員長代理に不破(45歳)という指導体制が確立した。注目すべきは、副委員長の岡正芳が失脚し、袴田(72歳)、上田、西沢、村上を飛び越して、不破が書記局長兼務で党内№2に昇格したことである。その後、不破が最高指導者となったことを考えると、この時の大会の重要性が分かる。

【日共の国策捜査加担考】
 ロッキード事件は典型的な国策捜査であった。これについては「国策逮捕考」で検証する。日共の国策捜査加担振りはその後も続いている。「ムネオハウス事件及び国策捜査加担事件考」で検証する。

【日共の異常執念的角栄訴追運動の裏にあったもの考】
 「日共の異常執念的角栄訴追運動」について、れんだいこが長年疑問に持ち続けたことのカラクリが分かった気がするので書き付けておく。

 ロッキード事件勃発時の「日共の異常執念的角栄訴追運動」には裏があったのではなかろうか。そんな気がしてならない。どういう裏事情かと云うと、直前の「民社党による戦前党中央委員査問致死事件の追求事件」の動きがそもそも臭い。この経緯については、「補足・「リンチ事件」のその後、事件関係者の陳述調書漏洩の衝撃」(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/nihon/miyakenco/rinchizikenco/kensyo3_4.htm)で考察しているので、これに譲る。流れだけを見ると、1974.7月、当時の春日民社党委員長が、参院選を前にしての毎日新聞連載の「(各党首)陣頭に聞く」のインタビュー6.26日付けで、共産党の戦前のリンチ事件を取り上げたことから始まる。これは、全く突然の椿事であったが、今から思えば、春日をしてこの発言をさせた黒幕が居るのではなかろうか。それとも全く偶然の選挙絡みの発言に過ぎなかったのであろうか。

 1975.12.10日、「文芸春秋1976.1月号」が発売され、立花隆が、「日本共産党の研究」の一章で「リンチ事件」論文を発表したことにより、再びこの問題が浮上することになった。論文は、未知の資料をふんだんに駆使して「リンチ事件」を精密に検討し直し、宮顕が定説にしていた「特異体質によるショック死」説を否定し、「リンチはあった。スパイとされた小畑の死因は傷害致死」と暴露した。宮顕らに対する東京刑事地方裁判所の判決文等が掲載され、大きな反響を起こした。これによって、「リンチ事件」問題が再燃し、一挙に火を噴いていくことになった。


 1976.1.29日、自由民主党の倉成正が、この判決文は本物かどうかと国会質問を行い、稲葉修法務大臣は原本と同じであると認め、どういういきさつでGHQの指示が下ったのか明らかにしなければならないと述べた。

 1.30日、塚本民社党書記長がスパイ査問事件についての詳細な質疑を行い、果ては宮顕の「復権問題」、刑の執行停止に伴う残余の期間にまで及ぶ質問(衆院予算委員会)が為された。稲葉法相は、質問に答え、「宮本、袴田らの手で行われた凄惨なリンチ殺人事件」の事実を認めた。さらに、でっち上げだと主張するなら、再審手続きを申請するべきだとも答弁した。 

 1月末、自民党「共産党リンチ事件調査特別委員会」が設置された。文藝春秋はさらに3月号で、鬼頭史郎判事補が提供した「刑執行停止上申書」と「診断書」を掲載した。鬼頭は、この後で勃発したロッキード事件でも布施検事総長の名を騙り、三木首相と1時間の長電話に及び「中曽根免訴、角栄徹底追及の指揮権発動」を要請するという奇怪な動きをすることで公務員職権濫用罪で有罪となる。これについては「れんだいこの鬼頭判事補暗躍考」で確認する。

 今から思うのに、論陣を張った春日、立花、塚本、倉成、稲葉、鬼頭判事補と云い、 何やら役者が揃いすぎているのではなかろうか。みんなネオシオニストエージェント臭ぶんぶんではないのか。

 1976.2.4日、ロッキード事件が勃発した。これにより、その後の政局がロッキード事件絡みで推移していくことになり、「日共に対する戦前党中央委員査問致死事件釈明」が沙汰止みとなった。宮顕が窮地から救われたのは、鈴木卓郎の「共産党取材30年」が記している通りである。

 さて、ここからが問題である。れんだいこのロッキード事件研究によれば、この事件はよほど早くより用意周到に仕掛けられている。ということは、直前の宮顕訴追運動はロッキード事件絡みで生み出されていたのではないかとの推測が成り立つ。何の為か。それは結果が教える。ロッキード事件を仕掛けた真の黒幕である国際金融資本帝国主義ネオ・シオニストどもが、宮顕の古傷をいたぶることにより、間もなく起こるであろうロッキード事件の際に日共をして党を挙げての徹底角栄糾弾、訴追に回ることを教唆していたのではなかろうか。宮顕は、渡りに船とばかりに欣然としてこの取引に応じ、狂気の角栄糾弾運動に乗り出していくことになった。

 1976年当時、宮顕は既に党中央の実質権限を上田-不破兄弟に譲っていた。にも拘らず、突如としてしゃしゃり出てきた感がある。2.24日、ロッキード事件勃発直後とも云えるこの頃、日共は異例の緊急全国活動者会議を開催している。この会議は異常に秘密性を帯びており、どういう意思統一したものか発表されてないが、角栄徹底糾弾、訴追を申し合わせたことは疑いないように思われる。この時の内部資料が開示されれば貴重である。

 7.27日、角栄が外国為替法違反、受託収賄罪容疑で東京地検特捜部に逮捕された。その翌日の7.28ー31日、日共は、この年秋に予定していた定期党大会を翌年に延期することとし、第13回臨時党大会を開いた。50余年の党史で初めての臨時党大会となったが、この異例さの裏意味が問われねばなるまい。

 大会は、冒頭で、前日の田中前首相の逮捕を誇らしげに伝えていることからも分かるように、角栄糾弾闘争の徹底推進にあった。宮顕は、「三木内閣の手で事件の徹底的究明をさせる。捜査途中での三木降ろしに反対する。これは自民党内の政権たらい回しを許し、即時国会解散を要求することとなり国民の希望に反する」と「三木支援演説」をぶっている。奇妙なMMホット・ラインがここに刻印されている。いずれにせよ、対田中角栄闘争に異例の並々ならぬ意思統一をしたものと思われる。

 れんだいこには、この時の宮顕の異常な指揮権発動の裏に直前の裏取引があった気がしてならない。これが、国際金融資本帝国主義ネオ・シオニストの筋書きゆえに、それを察知する政界が直前まで追い詰められていた宮顕が堂々と角栄訴追運動に乗り出したことに誰も異議を唱えなかったことのカラクリであろう。こう捉える時、流れが見えて来た気がする。

 してみれば、「宮顕派による戦前共産党中央委員小畑の査問致死事件」は日共のアキレス腱となっており、こうしていつでも取引材料に利用されていることになろう。このウィークポイントを抱えながらでは、日共は永遠に日共化させられ続けるであろう。この事件を徹底解明し、党中央責任で総括し、真摯な自己批判をしておかねばならない所以がここにあるように思われる。

 2009.3.4日 れんだいこ拝


 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK102 」の脳天気な醜男氏の2010.12.15日付け投稿「秘密解除・ロッキード事件(「月刊誌「世界」2011年1月号)」を転載しておく。

 下記は、下のブログからの転載

 %%%%%転載開始
 http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/ 
 月刊雑誌「世界」の2011年1月号に興味深い記事を見つけました。「秘密解除・ロッキード事件」というもので、朝日新聞記者の筆になるものです。この記事は、そもそもは本年2月の朝日新聞記事に端を発しています。
 %%%%%引用開始
 http://nikonikositaine.blog49.fc2.com/blog-entry-1167.html

 ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書(朝日新聞 2010年2月12日3時30分)
 ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている。この文書は76年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写し。米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管され、2008年8月に秘密指定が解除された。ロッキード事件は76年2月4日に米議会で暴露されたが、ロ社の裏金が渡った日本政府高官の名前は伏せられた。 与野党いずれも政府に真相解明を要求。三木首相は2月18日、「高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に要請すると決めた。

 文書によると、中曽根氏はその日の晩、米国大使館の関係者に接触し、自民党幹事長としてのメッセージを米政府に伝えるよう依頼した。中曽根氏は三木首相の方針を「苦しい政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と言ったとされる。 さらに中曽根氏は翌19日の朝、要請内容を「もみ消すことを希望する」に変更したとされる。文書には、中曽根氏の言葉としてローマ字で「MOMIKESU」と書いてある。中曽根氏はその際、「田中」と現職閣僚の2人が事件に関与しているとの情報を得たと明かした上で、「三木首相の判断によれば、もしこれが公表されると、三木内閣の崩壊、選挙での自民党の完全な敗北、場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」と指摘したとされる。 文書中、依然として秘密扱いの部分が2カ所あり、大使館関係者の名前は不明だ。 結果的に、事件の資料は、原則として公表しないことを条件に日本の検察に提供された。(奥山俊宏、村山治)

     ◇
 東京地検特捜部検事時代にロッキード事件を捜査した堀田力弁護士の話 米国への要請が事件発覚直後で、しかも「日本の政府がひっくり返るかもしれない」とブラフ(脅し)みたいな言い方なのに驚いた。私は法務省刑事局の渉外担当参事官として2月26日に渡米し、資料入手の交渉をしたが、それを阻止するような動きがあるとは察してもいなかった。
 %%%%% 引用終わり

 上記は、世間をあっと驚かせたことからよく知られています。この書類を発見した朝日記者の手によるとおもわれるのが「世界」の論説です。この記事にまことに興味深い表現があるのです。

 %%%%%引用開始

 「翌六日、東京にいた国務省ウイリアムシャーマンと自民党幹事長中曽根が接触した。事前に表敬のために予定されていた接触だったが、話題はロッキードになった。駐日大使館から国務省にその日のうちに送られた公電に中曽根の発言の概要が報告されていた。それによれば、中曽根がまず触れたのが日本共産党の「スパイ査問事件」だったとされている。共産党委員長の宮本顕治はこの事件で監禁致死や死体遺棄などの罪に問われて戦中に有罪判決を受けたが、戦後まもなく復権していた。民社党委員長春日一幸は一月二十七日の衆議院本会議でその経緯を取り上げて「真相を明らかにすべき」と迫った。」
 %%%%%引用終わり

 1945年8月15日の時点で宮本顕治氏は、ウイキペディアによれば、『第二次世界大戦末期の1944年(昭和19年)12月5日に、東京地方裁判所は殺意は否定したものの小畑の死因はリンチによる外傷性ショック死であるとして、不法監禁致死、傷害致死、死体遺棄、治安維持法違反などにより無期懲役の有罪判決を下した。1945年(昭和20年)5月に大審院で上告棄却され無期懲役の判決確定(戦時特例により控訴審は無し)。6月、網走刑務所に収監されたが、すぐに終戦となる。』というわけで、わずか4ヶ月強とはいえ、宮本氏は網走刑務所に服役中でした。

 1945.10.4日付けでGHQの「民権指令」により10.10日期限で獄中政治犯の釈放を占領軍は指示し、事実、治安維持法絡みの被告は10.10日に一斉に釈放されました。この時の指示は純正政治犯のみを対象としており、宮顕や袴田のように刑事犯を併合している場合には適用されなかったのです。(レンダイコ氏ブログより、引用)。しかも宮本氏の釈放が一日早い10月9日であることも謎であるとレンダイコ氏は指摘しています。

 釈放のおよそ二ヵ月後の昭和20年12月29日に勅令第730号(政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件)が発布され『別表1ニ掲グル罪ヲ犯シ本令施行前刑ニ処セラレタル者ハ人ノ資格ニ関スル法令ノ適用ニ付テハ将来ニ向テ其ノ刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト看做ス但シ左ニ掲グル場合ニ於テハ此ノ限ニ在ラズ』というわけで、治安維持法関連で収監されていた政治犯の人権が回復されたのです。しかし、この時点では殺人事件に関与したとされる宮本氏にこの復権は適用されていません。当然のことです。なぜならば、上記条文の「別表1に掲げる罪」に加え殺人を犯していたからです。しかし、宮本氏は、自らが犯した「殺人事件は治安維持法がらみであるから復権さるべき」と執拗に占領軍に「嘆願」した結果、翌年五月、超法規措置で「復権証明書」が交付されているのです。上記の春日一幸氏の疑問は、殺人事件にかかわった刑事犯に勅令七三〇号が適用されたことの不明朗さを(1976年時点での政治的背景があったにせよ)指摘したものだったのです。

 復権証明書を執拗に請求した宮本氏側の論理は納得しがたいものです。この論理は、小林多喜二、野呂栄太郎などを拷問で虐殺した特高警察の犯罪を免罪するものです。特高警察の存在の前提が治安維持法にあるからです。地到底受け入れがたい「屁理屈」というものです。レンダイコ氏が指摘するように上記の経過には多くの胡散臭さが残っています。しかし、私が注目するのは、中曽根氏がロッキード事件の「もみけし」に先立って「宮本事件」に触れていることです。

 渡邉恒雄回顧録 ( 伊藤 隆, 御厨 貴, 飯尾 潤 (中央公論新社、2004年))によれば、CIAエージェントとして、いまや日本中に知れ渡っている正力松太郎氏に中曽根氏を引き合わせたのがナベツネであると氏自ら語っています。なにせナベツネは自ら正力氏の走り使いであったと上記本で自慢げに語っているのですから。正力氏、中曽根氏のどちらも警察官僚です。私は、宮本氏にかかわる秘事は当然のことながら中曽根氏に引き継がれているのであろうと想像していました。しかし、どうもそうではなかったようです。もしかすると、CIA 下っ端エージェントの正力氏には宮本氏にかかわる真相・秘事は明かされていなかったのではないか。そして、中曽根氏は自らの鋭い嗅覚で、「宮本復権」に占領米国軍司令部・米国政府がかかわっていたであろう事を察知し、冒頭の質問となったのだろうと思います。

 一方、ナベツネは正力氏との日常の接触から胡散臭い宮本氏について何がしかの感触を得ていたのではないか?それを思わせるに十分な記載が上記の本で触れられています。ナベツネは学生時代つまり東大駒場の共産党新人会で相当の回数宮本氏と遭遇していますが、二人の会話は、いつも「スパイ」談義なのです。それは、後日の邂逅でも再度、スパイ談義です。当時、ナベツネには不明朗な金の授受からスパイの嫌疑をかけられていました。ナベツネは自らのススパイ嫌疑にかこつけて、宮本氏の秘事を摑んでいると暗に揺さぶりをかけていたのではないかと思われるのです。

 1970年代、この事件の顛末は皆さんも知るとおり、共産党の「田中角栄たたき」に結実したのです。
 %%%%%転載終わり

 昨今の共産党の小沢叩きの原点および、検察権力との戦い放棄の原点をここに見る思いがします。


Re::れんだいこのカンテラ時評892 れんだいこ 2011/01/23
 【中曽根はホンに悪いやっちゃ】

 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK105」の凡人氏の2011.1.20日付け投稿「中曽根氏による米国日本部長への宮本氏に関する照会(ブログ:法螺と戯言)」が、ブログ「法螺と戯言」管理人氏のれんだいこ絡みの貴重な言及を紹介してくれている。ここに謝しておく。

 (ttp://www.asyura2.com/11/senkyo105/msg/123.html)

 (ttp://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51539985.html)

 原文は上記サイトで確認していただくとして、極めて奇怪な史実を暴露している。これにコメントしておく。出典元は月刊雑誌「世界」の2011年1月号とのことである。出所元は朝日新聞記者「秘密解除・ロッキード事件」とのことである。

 それによると、ロッキード事件が勃発した1976(昭和51).2.4日の二日後の2.6日、ロッキード事件の真の贈収賄犯人である中曽根・当時の幹事長が、東京にいた国務省のウイリアムシャーマンと秘密会談している。駐日大使館から国務省にその日のうちに送られた公電に中曽根の発言の概要が報告されており、この公文書が情報公開され、朝日新聞記者がスクープしている。それによれば、中曽根がまず触れたのが日本共産党の「スパイ査問事件」だったとされている。

 問題は、中曽根幹事長が何故にこの問題に触れているかである。この意味を正確に解ける者が居るだろうか。なるほどロッキード事件勃発直前まで「宮顕のリンチ事件」で国会が揺れていたことは事実である。しかしながら、それだけでは、この問題が中曽根-ウイリアムシャーマン秘密会談の冒頭でやり取りされる必然性までは見えてこない。と云うことは、別の理由を捜さねばならない。こういうトップシークレットは秘せられるのが常であるから、会談後、何が起こったのかを見て推測するのが適切だろう。

 見えてくるのは、「宮顕のリンチ事件」が以降の国会質疑から消えたことである。今日までプッツリ途絶えている。このことがどうオカシイのかと云うと、ロッキード事件勃発直前の1月末、自民党が「共産党リンチ事件調査特別委員会」を設置しているにも拘わらず、その後の動静が消えていることからも分かろう。いわば強制終了されていることになる。

 その代わりに見えてくるのが、「スパイ査問事件」の当事者である宮顕が異常に精力的にロッキード事件徹底解明の労を取り始め、事件の真の主役である中曽根に対する嫌疑を角栄に転換させて、容疑段階であるにも拘わらずクロ認定の下で政治訴追して行った史実である。

 1976年当時、宮顕は既に党中央の実質権限を上田-不破兄弟に譲っていた。にも拘らず、突如としてしゃしゃり出て来た。2.24日、日共は異例の緊急全国活動者会議を開催している。この会議は異常に秘密性を帯びており、どういう意思統一したものか発表されてないが、角栄徹底糾弾、訴追を申し合わせたことは疑いないように思われる。この時の内部資料が開示されれば貴重である。

 異例の検察庁、警視庁、国税庁の三庁合同捜査体制による本格捜査が始まり、政財官学報司警軍の八者機関が総動員され、角栄政治訴追の大包囲網が敷かれて行った。7.27日、角栄は逮捕された。この時の容疑は外為法違反容疑と云う別件逮捕であった。取り調べは5億円の贈収賄容疑であったが、角栄は頑強に否認した。これを居直りと評する者も居ようが、れんだいこは真実受け取っていない可能性の方が強いと思っている。 

 角栄が逮捕された翌日の7.28ー31日、日共は、この年秋に予定していた定期党大会を翌年に延期することとし、臨時の第13回党大会を開いている。50余年の党史で初めての臨時党大会となったが、この異例さの裏意味が問われねばなるまい。大会は、冒頭で、宮顕が前日の田中前首相の逮捕を誇らしげに伝えていることからも分かるように、角栄糾弾闘争の徹底推進にあった。以降、カラスが鳴かぬ日はあっても角栄訴追の声が聞こえない日はない角栄糾弾闘争が連日繰り広げられることになった。

 さて、この経緯に何を読み取るべきかが本稿の眼目である。何も問題ないでせう、もっと糾弾すべきであったと唱える者は、これから述べることは読まない方がよろしい。あらかじめお断りしておく。

 れんだいこは、この時の宮顕の異常な出張リの裏に直前の裏取引があったと読む。国際金融資本帝国主義ネオシオニストの角栄失脚の筋書きがあり、宮顕がスカウトされたと読む。その為に直前まで戦前のリンチ事件問題で痛めつけられていたのかもしれない。これが、その当の本人が俄かに堂々と角栄訴追運動に乗り出したことに対して誰も異議を唱えなかったことのカラクリであろう。こう捉える時、流れが見えて来た気がする。

 日共がこういう風に使われていることを確認すべきではなかろうか。彼らは人一倍正義ぶり、それを口にするが、裏の仕掛けはこういう塩梅になっていることに気づかねばならない。通りで共産主義者に似つかわしくない陰気野郎ばかりが党中央を構成している筈である。こう了解したい。

 共産党が、こういう連中に党中央を占拠されたように、同じことが今民主党内に起こっている。菅派もまた国際金融資本帝国主義ネオシオニストのエージェントであり、何気ないところでは自民党とは違う市民運動色を見せるが、ここ一番の際や重要政策では丸ごと丸投げのシオニスタンに染め上げられる。そういう風に飼われてきたと云うことである。

 こういうことが分かると、どうすれば良いか、れんだいこが云うまでもなかろう。世は次第に暴動含みに転じつつあるように思われる。問題は賢く効果的にやらねばならないということだろう。ネット言論が思った以上に威力を持つらしい。チュニジアがそう教えている。

 それにしても、誠実であることが如何に重要であり難しいことかが教えられる。れんだいこみ的には、どうせエエ加減なものなら下手に真面目ぶるよりオモシロオカシイ運動で長続きするようなものが良いと思う。

 最後に。ブログ「法螺と戯言」管理人氏は次のように述べている。「それはさておき、このレンダイコ氏による考察が私に与えた衝撃は、1995年1月の雑誌『マルコポーロ』廃刊事件に匹敵するものでした。この廃刊雑誌の一記事では、第二次世界大戦の末期ナチスがしでかしたとされる『ユダヤ人600万の虐殺、とりわけアウシュビッツでの大量ガス虐殺』は物理的にありえないことを論証したものでした(西岡昌司氏)。宮本事件とマルコポーロ事件が私に教えてくれたことは、『巨大な虚偽は、真実としてまかり通る』、というかってヒトラーが言ったとされる歴史の真実でした」。

 ブログ「法螺と戯言」管理人さん、よくぞ云ってくださった。れんだいこは観点上の数々の発見をしております。思想は共有すべきものですので、れんだいこがこう云ったというより、云っている内容の方が広まることがうれしいです。今後ともよろしくね謝謝。

 2011.1.22日 れんだいこ拝
 追伸。中曽根-ウイリアムシャーマン秘密会談に於ける冒頭での宮顕リンチ事件言及の意味は、これにより以降、中曽根-ウイリアムシャーマン派が日共を配下として使い走りさせ始めたことにある。これを逆から云えば、日共を配下として使い走りさせることを意思一致させたのが中曽根-ウイリアムシャーマン秘密会談であったと云うことになる。

 「質問主意書情報」を転載する。
 答弁書 答弁書第三号 内閣参質七三第三号   昭和四十九年八月六日
 内閣総理大臣 田 中 角 榮   
 参議院議長 河 野 謙 三 殿

 参議院議員上田耕一郎君提出緊急な諸問題に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。


 参議院議員上田耕一郎君提出緊急な諸問題に関する質問に対する答弁書

 一、について

 引用された「四十五カ国を相手にした戦い云々」に関する発言は、単に歴史的事実を述べたに過ぎず、過去の戦争を美化したものではない。 我が国としては太平洋戦争で多くの国々に迷惑や損害を与えたという事実に対しては、深く反省しなければならないと思う。また、ポツダム宣言については、同宣言を受諾し、同宣言の条項を誠実に履行したが、現在我が国は、過去の事実に対する反省を踏まえて、世界の平和という理想に向かつて前進を続けることを基本理念として、平和と国際協調を基盤とする外交を展開しており、今後もかかる外交を続けることに変わりはない。

 二、について

 1  (1) 政府は、公共料金については従来から極力抑制的に取り扱つてきたところであるが、料金の抑制によりコスト上昇の吸収ができず企業の存続、維持が困難になると考えられるような場合、公共サービスの量的・質的水準の大幅な低下を招くような場合等真にやむを得ないものについては必要最小限度の改訂を認めてきたところである。今後とも公共料金については物価動向及び国民生活への影響や負担の適正化、合理化等に十分配慮し極力抑制的に取り扱つてまいりたい。

 (2) 今後、改訂が予定されている公共料金として、国鉄運賃、政府売渡米価があるほか、現在改訂の申請の出ているものとして、東京民営バス、東京ガス、六大都市タクシー及び国内航空がある。

 申請中のものについては、現在、審査中であるため、現段階では国民生活にどの程度の影響を与えるか明らかにできないが、改訂幅を極力抑制的に取り扱う方針である。また、消費者物価の前年同月比二〇数パーセントという上昇率は、石油危機等やむを得ない面があつたとはいえ、国民生活に大きな影響を与えていることについては政府としても十分に認識しており、今後とも、物価安定を最優先施策として、総需要抑制策を堅持するとともに、諸般の対策を講じていく所存である。 公共料金のうち、国会の議決を得ないものにあつても、その審査基準が法定されていたり、審査の過程で公聴会を開催する等公共性を重視しつつ公正な審査が行われるよう十分配慮が払われていると考える。

 2 政府としては、国際的な原油価格について、常時、その動向のは握に努めているところであるが、特に、産油国とメジャーズとの原油取引に関する最近の交渉状況を勘案して、メジャーズの我が国精製業者等に供給する価格が妥当でないと思われる場合があれば、適宜事情聴取や内容の詳細説明を求めることとしている。また、国際的にもメジャーズの企業行動や企業収益の透明性を得ることの重要性が指摘されており、我が国としても、国際的な協力の下に、その実態究明に努めてまいりたい。間接諸税が物品の価格に転嫁されるからといつて物価対策のためこれを廃止ないしは大幅減税することは、間接諸税の本質を損うものであつて適当ではないと考える。 特に石油関係諸税を設けている趣旨は道路整備等に要する財源を石油消費者の担税力に求めようとするところにあるのであつて、これを他の財源に振り替えることはできない。

 3 今回の政府買入価格の大幅な引上げにより、両米価の逆ざやは一層拡大することとなるが、このような両米価の大幅な逆ざや関係は、財政上、食糧管理制度運営上種々問題を生ぜしめるので、早急にその是正を図る必要があると考えている。他方、今後の物価動向とその消費者家計に及ぼす影響についても、十分留意していく必要があるものと考えられる。 このような理由から米の政府売渡価格については、物価動向、国民生活への影響及び食糧管理制度の運営等に十分配慮して適正な改定を行いたいと考えている。 「生産者米価と消費者米価を連動させることは、食糧管理法違反ではないか」との意見については、食糧管理法においては、両米価の算定に当たつては、いずれについても「経済事情」を参酌すべきこととされており、両米価決定に当たつてその相互の関連を考慮することは許されるものと考えている。 なお、現在検討中の政府売渡価格の改定は、当面末端逆ざやの解消を図る必要があるとする考え方に基づくものである。

 三、について

 1 繊維業、中小建設業等が当面している資金繰り難等の問題については、総需要抑制等が健全な経営を行う中小企業者の資金面に不当にしわ寄せされることがないよう、政府関係中小企業金融三機関の貸出枠の増額、貸出の円滑化を図るとともに、民間金融機関による中小企業救済特別融資制度の活用、信用補完面における倒産関連保証の特例措置の活用等所要の措置を講じているところであるが、今後とも事態の推移を見守りつつ機動的に対処していく意向である。また、公共事業等官公需の発注については、物価等への配慮から基本的には慎重な取扱いをすることとしているが、中小建設業をはじめとする中小企業の実情にかんがみ、これらの中小企業者の宮公需の受注の確保につき十分配慮してまいる所存である。 また、中小企業製品と競合する商品の輸入規制については、種々の国際関係上の問題もあり慎重に対処していく意向である。小規模業者の経営改善を進めるための金融措置については、現在無担保、無保証人の小企業経営改善資金融資制度を実施しているところである。

 2 四十九年度においても、生活扶助基準を対前年度比二十六パーセント引き上げたところであり、今後とも、情勢の変化に応じた対応措置を必要とするようなことがあれば、所要の措置を講じていくつもりである。福祉年金については、逐年その増額を図つており、四十九年度においても九月から老齢福祉年金は月額五千円から月額七千五百円に、障害福祉年金は、一級障害について月額七千五百円から月額一万一千三百円にする等約五十パーセントの引上げを行うこととしたところであるが、今後とも引き続きその改善充実に努力してまいりたい。 また、御指摘の厚生年金、国民年金の「八万円年金」の実施については、先般の改正においていわゆる物価スライド制を導入したところであり、第一回目のスライドの実施により標準的な年金額は本年八月(国民年金は九月)以降六万円に増額されることとなるが、賃金、生活水準の向上による年金額の改定については、今後の社会、経済情勢の推移をみながら対処したい。

 更に、賃金スライドの導入については、厚生年金や国民年金については被保険者の賃金体系など所得の在り方がまちまちであり、景気変動の影響を受ける度合いが異なるなどの事情もあり、年金額スライドに賃金そのものを指標として用いることは適当でないと考えており、物価を指標とする自動スライド制にあわせ、従来どおり財政再計算期ごとに賃金や国民生活の水準等を総合的に勘案して改善を図ることによつて適正な年金額の水準が確保されると考えている。

 また、失業対策事業に就労する者に支払われる賃金は、民間の類似の作業に従事する労働者に支払われる賃金を考慮し、関係審議会の意見を聴いて労働大臣が定めることとなつており、本年度の賃金については、年度当初に四十八年度当初に比し十九・二パーセント引き上げたところであり、更に最近における失業者就労事業就労者の生活の実態等にかんがみ、特例の措置として本年六月に再引上げを行い、対前年度当初比二十五・二パーセント増しとたところであるが、今後とも就労者の生活実態等の推移に応じ適切に対処してまいりたい。

 次に、身体障害者が自由に行動できる町づくりについては、四十八年度から身体障害者福祉モデル都市設置事業を実施しているところである。身体障害者福祉モデル都市は、道路、交通安全施設の整備、公共施設の構造設備の改造、身体障害者用公衆便所の整備等により、身体障害者の生活圏の拡大を図るとともに、身体障害者福祉に対する一般住民の理解を深めることを目的とした施策であり、四十八年度は六市を、四十九年度は十七市を指定した。なお、身体障害者にとつて住みよい町づくりについては、今後とも引き続き推進してまいりたい。

 3 食料は国民生活の基礎をなすものであり、その安定的確保を図つていくことは極めて重要なことと考えており、従来から生産、構造、価格政策等各般の施策を拡充実施してきているところである。農産物の価格政策については、農産物ごとの商品特性や生産、流通事情等に即して展開を図つてきているところであるが、今後ともその運営に当たつては、農産物ごとにそれぞれ定められた方式により賃金、物価、その他経済事情等を十分勘案し、適正な価格水準の形成に努め、農業生産者が安心して生産に専心出来るよう努力していきたい。 最近における牛肉価格の低落に対処して、(イ)肉の調整保管事業に対する助成、(ロ)後継素牛の導入に対する低利融資等の緊急対策を実施している。また、卵価の低落に対しても、(イ)全国液卵公社の機能の拡充、(ロ)卵価安定基金に対する助成等各種の緊急施策を講じているところである。

 また、商社等の進出については、契約飼養あるいは直営等進出の方法によつても異なるが、生産の合理化、系統農家側の生産物の販路及び価格の安定等の利点のあることも否定しがたいが、農家側には一般的に経済的な力関係において商社等に劣つている面があるので、農家が対等の関係において商社等と取引できるよう、農業協同組合等生産者組織を通じて、農家の地位の強化、育成を図る必要があると考えている。 国民生活の基礎的物資である食料については、その安定的供給を確保することが極めて重要であるので、今後とも、国内生産が可能なものについては、生産性を向上させつつ、極力国内で賄うとともに、国土資源の制約等から輸入に依存せざるを得ない食糧については、国内生産にも配慮しつつ安定的輸入の確保を図つてまいる所存である。

 四、について

 政府は、台風その他の災害から国土と国民を守ることを政治の基本姿勢としており、このため、防災その他の諸施策を進めているところである。なお、災害が発生した場合には、迅速に災害応急対策及び災害復興のための諸措置を講ずることとしている。 今次の災害に際しても、災害救助法の発動のほか、被災した中小企業者及び農林漁業者等に対して各種災害融資の措置を講ずるとともに、復旧事業の迅速化に努めている。なお、地方公共団体に対しては、その行う各種災害復旧事業について必要な財政援助措置を講ずることとしている。 また、個人被害に対する救済については、昨年災害弔慰金の支給及び災害援護資金の貸付けに関する法律が制定されたところであり、今次の災害に当たつてもその適切な運用を指導しているところである。

 五、について

 いわゆる企業ぐるみ選挙の実態は、千差万別であると思われるが、企業に属している個々人が、個人として適法な活動を行うことは許されるものであり、また、企業も相応の政治的行為をする自由を有するものと考える。具体的行為が公職選挙法その他の法規に抵触するかどうかは、個々の法規に照らし、その行為の実態によつて判断されるべきものであると考える。 次に、今回の通常選挙を通ずる批判については、基本的には現行の選挙制度にも問題があると思われるので、金のかからない選挙、政党本位の選挙を実現するため慎重に検討を加えることといたしたい。 政治資金規正法改正の問題は極めて重要な問題であるが、過去において幾度か改正法案が国会に提案され、廃案になつた経緯があることは周知のとおりである。これを今日の時点にたつてみると、金のかかる選挙制度をそのままにしてこれを具体化することにいろいろと無理があることを示しているように思われるが、今後、政党本位の金のかからない選挙制度の実現への動向も踏まえつつ、更に検討と論議を積み重ねてまいりたい。憲法問題については、自民党内部にいろいろの意見が存在し、議論が行われていることは承知している。 なお、政府としては、国会法の改正を考えていない。

 六、について

 (1) 金大中氏事件については、昨年十一月田中総理大臣と韓国の金鍾泌国務総理との間で、「事件の真相究明については両国の捜査を今後とも続け韓国側は金東雲を容疑者として取り調べたのち相応の措置をとり、捜査の結果とともに日本側に通報する。金大中氏の身柄については一市民として出国も含めて自由を保障する」との了解が得られたことは御承知のとおりである。その後政府は捜査結果の通報及び金大中氏が出国を希望するのであればその早期実現が望ましい旨を再三申し入れているが、遺憾ながら捜査については未だ通報を得られず、また金大中氏の出国許可手続についても進展がみられないので、今後とも韓国政府に対して強く申し入れを重ねていく所存である。なお、事件に関するこれまでの捜査結果では主権侵害と断定するに至つていないので、 政府としては金大中氏の原状回復の問題を権利として提起する立場にはない。
 (2) 罪刑法定主義、刑罰不遡及の原則は、我が国を含め、広く自由主義文明国において採用されており、また、普遍的に採用されるべきものと考えるが、他方、一般論として、国内法令の制定は、一国の主権の不可欠な要素であるから、政府が他国の法令について軽々しく批判を行うことは適当ではないと考える。したがつて、韓国の大統領緊急措置第四号について、その規定自体を取り上げて論評を行うことは差し控えたい。また、早川、太刀川両氏に対する大統領緊急措置第四号の適用については、両氏が第一審判決に対する控訴を行つており、未だ最終的に確定していないこともあり、政府として現段階において断定的な論評を行うことは適当でないと考える。
 更に、世界人権宣言は、「すべての人民と国家が達成すべき共通の基準」を示す法的拘束力のない宣言であるから、韓国の今次の措置をこの宣言に照して違法であるかどうかとの問題は生じないと考える。
 (3) 早川、太刀川両氏の逮捕、裁判問題は、第一義的には韓国の国内問題であり、相手国の主権を尊重するとともに、在外邦人保護の任務を果すというのが政府の基本方針である。現在、両氏の裁判手続が継続中でもあり、政府として国際法上不当なる内政干渉とみなされうる措置は差し控えるべきであることはいうまでもなく、今回の逮捕そのものを不当として即時釈放を権利として要求することはできないが、もとより政府としても、両氏がなるべく早く帰国できることが望ましいと考えており、かかる政府の考え方は十分韓国政府に伝えてある。また、家族との面会についても、その実現につき再三にわたり強く申し入れていることは御承知のとおりである。
 (4) 日本国内におけるKCIAの存在と活動については、政府としては具体的にはは握していない。したがつて、現在のところ特別の措置を講ずることは考えていない。 阿部剛氏の件については、外務省より本人と在日韓国大使館の双方に対し事情を照会しところ、双方の話は多少食い違つている点もあるがいずれにせよ公権力の行使として主権侵害になるような捜査活動があつたとは考えていない。
 (5) 渡米の帰路日本に立ち寄つた韓国の李宣基経済企画院経済協力局長は七月二十三日鹿取外務省経済協力局長を訪れ会談したが、右会談においては一九七二年以降既に約束ずみの対韓農業開発借款について話し合つたのみであり、新規援助の話は一切されていない。したがつて政治問題と切り離し今年新たに二億ドル程度の援助供与に合意したごとき事実はない。
 (6) 韓国は、その憲法の前文からも明らかなように自由と民主主義を目指している国であると理解している。もつとも、韓国では、現在のところ、いくつかの権利の行使が制限されていることは事実であるが、そもそもいかなる体制の下でいかなる国政の運営を行うかは各国がそれぞれ独自に決定すべきことであり、政府としては、韓国のみならず、およそ他国の政治、社会体制等の是非につき軽々に論評することは慎しむべきものと考える。御指摘の「米国政府の書簡」は、「韓国政府は人権の重要性を認めているが、敵対的な北朝鮮からの脅威を理由として重要な権利の行使を制限している。朝鮮半島の安全保障と韓国政府の緊急措置はいずれも米国の関心事である。」等としているが、日本政府としての評価は本項前段で述べたとおりである。

 2 我が国は、ベトナム共和国政府を南ベトナムにおける唯一の合法政府として承認し、同政府と外交関係を結んでいることを考慮して、南ベトナム臨時革命政府に属する者の入国申請については、従来から、入国目的等に照らしてケースバイケースで検討する方針を採つてきたところ、今回の「原水爆禁止世界大会」への参加のための入国は、政治的色彩の強いものであるから、このような入国を認めることは、適当でないと考える。
 3 政府は、相手国の信条や体制のいかんにかかわらず友好親善関係を増進していくとの我が国外交の基本方針に照らして、我が国と最も緊密な関係にある友好国である米国の大統領を日本に招待することは当然なことと考え、昨年八月、田中総理よりニクソン大統領夫妻の訪日に対する日本政府の招待を伝達した次第でありかかる政府の方針に変わりはない。







(私論.私見)