ロッキード事件に果たしたマスコミのミスリード

 (最新見直し2010.01.20日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 当時のマスコミは、検察情報を盛んに垂れ流し、世論を誘導して、共犯で疑獄化せしめて行った。これが、検察特捜部とマスコミの典型的なタッグパターンである。これを指揮する国際金融資本奥の院は、第四権力たるマスコミを使って「国民的ヒステリー」を醸成し、判決が出ていないうちは推定無罪が原則のところ有罪を決め付け、角栄を私刑(リンチ)していった。 当時、「角栄を攻撃せざるはジャーナリストにあらず」との風潮さえあった。その奥の院は明らかに目的意識的に、下っ端記者はその安上がりの正義感を上手く利用されて共々で「角栄鬼退治」に乗り出していった。その正義たるや今日に至るも信じられているほどのお目出度い代物である。

 安上がりの人間は安上がりの発想とハーモニーして相応しい「脳筋」を作る。一度出来上がった「脳路」はこれを癖とするので、思考回路を変えるのは至難の業である。まして年を取ればとるほど固陋になる。よって、この連中に漬ける薬はない。れんだいこは、彼らには何の遠慮もなく対決し、徹底的に違う目線で論を提起し抜き、次の世代の獲得に向おうと思う。

 2005.7.16日 れんだいこ拝

ロッキード事件に果たしたマスコミのミスリード

 当時のマスコミは、「アメリカのウォーターゲート事件報道はニクソンを辞任に追いやった。ロッキード事件で角栄逮捕まで追い詰めるのが、日本のマスコミの責任。日本の民主主義試されている」という気負いで、ロッキード事件解明に猛り狂った。しかし、この「正義」は如何にも安上がりなもので、米英ユ同盟として体現しているネオ・シオニズムの国際陰謀勢力に上手に乗せられていることを疑う識見を持つ者は居なかった。

 特に読売、サンケイが激しく、これに朝日、毎日が負けずと書きまくった。「彼は総理大臣になるために、相当悪いことをした金で地位を買ったのだ。そうでなければ、学歴がないものが、あそこまで出世できる訳がない」という思い込みからか、その手法は、ミソもクソもいっしょにして叩きまくっており、美談でさえ歪曲された。

 この時マスコミは、本来のチェック機能を省みることなく、官憲の腰巾着と化し、あまつさえ煽りにあおり、その煽りの中に「正義」を自己陶酔させた。それまでの冤罪を暴く視点を捨て有罪を煽るプロパガンダ路線へと転換していった。以降も事あるごとに「検察ファッショ」を促進させる潤滑油の役割を今日まで果たし続けている。この傾向はロッキード事件以来のものであり、その意味でもロッキード事件の傷は深い。

 朝日は「宰相の犯罪」として執拗にキャンペーンを張り、「ロッキード事件を風化させるな」と執拗に攻撃しつづけた。角栄裁判の場合、被疑者が否認し、最終的に有罪判決が確定していないにも関わらず、終始一貫して犯人扱いの姿勢を崩さなかった。マスコミは、角栄が選挙のたびに圧倒的支持でトップ当選してくることに対して、「刑事被告人を当選させる新潟三区有権者の遅れた政治意識を笑う」という、凡そ議会政治に対する無理解を晒しつつ尻馬批判をこととしてきた。お調子者が新潟三区に向かい、何とかして地元民の角栄批判の声を拾おうとしたが、日共系の色メガネに染められた者が幾人か期待に沿う発言をしたきりで、相手にされなかった。

 俵孝太郎氏の「田中角栄ーもう一つの視点」は次のように告発している。

 「人権を説き、本人の責任より社会の罪だとシタリ顔してみせるマスコミが、ロッキード事件、田中被告に対してだけ、正反対の相貌を見せるのは、奇怪といえば奇怪だが、全く例の無いことではない。人権尊重が格段にうたわれるようになった戦後でこそ珍しいが、戦前のマスコミはいわゆる『非国民』を裁く事件の報道には、きまって今回ロッキード裁判で見られるのと同じ手法を用いてきた。検事のいうことを丸呑みにし、弁護側の主張には一顧だに与えず、下級審の論告求刑で既に断罪されたかのように報じ、一審判決と共に被告人の名誉も人権も葬り去って、上級審の審理はおろか判決でさえ、伝えようともしないということがあった。その最たるものは、共産党員に対する裁判である」。

 付言すれば、俵・氏は、上述のように述べた後、「宮顕の戦前の党中央委員小畑リンチ致死事件」に触れ、これを冤罪と見る観点から記している。れんだいこはこの説を採らないので引用をしない。これは、俵・氏の観点の惜しむべき曇りである。

 これに対して、角栄は次のように嘆息している。

 「カラスの鳴かない日があっても、田中角栄の悪口が書かれていない日は無い。それを書くのも日本国民の一人である。オレの悪口を書いて、それで暮らしていけるなら、それも結構じゃないか。日本は平和な国だよ」。

 云うまでもなく、1948(昭和23).12.10日、国際連合の第3回総会で採択された世界人権宣言はこの種の人権侵害を戒めて第11条で次のように記している。

1、犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従つて有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
2、何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかつた作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。

 当時のマスコミは、傲慢不遜にも「ペンの正義」の下にこれらの「世界的合意確認規定」を無視していった。三権分立の枠から外れた第四権力という裏権力をためらうことなく行使していった。三権権力からやられた者には救援会や補償の道があるけれども、第四裏権力にやられた者には何の手立ても講ぜられていない。それを良いことに「賢こぶるペンの暴力」により、角栄は万力攻めされていくことになる。

 
1983.10.12日、ロッキード第一審判決で懲役4年の実刑判決が下された日の朝日新聞夕刊社説は次の通りである。

 「民主政治にとって、何よりも大切なのはなんだろう。『法を敬うこと』『廉恥の心失わないこと』ではないか。(中略)かりに元首相が、その程度の『廉恥の心』も持ち合わせていないのなら、政治が結論を出さねばならない。彼に政界引退を迫り、それを見届けることが、国会、政党、議員一人一人の責務である」。
(私論.私見) 「朝日新聞夕刊社説」について
 果たして、これは公正なジャーナルであろうか。かっての首相が無罪を争い、判決に対しても控訴で闘う意思を表明している状況において、早くもクロ説で断罪し、「彼に政界引退を迫り、それを見届けることが、国会、政党、議員一人一人の責務である」などというのは越権ではなかろうか。ここには、万一仮に田中元首相の云うように冤罪であるかも知れないと疑問する余地はからきし無い。別件逮捕から始まる一連の不正裁判に対する疑惑の眼が無い。マスコミはいつから裁判所より早く結論を出し、その結論を振り回せるほどの権力を得たのだろう。

【立花隆と筑紫哲也の関係考】
 「文芸春秋2009新年特別号」の162Pに立花隆の「追悼手記 がん死 筑紫さんは戦友だった」が、ロッキード事件勃発の際の立花隆と筑紫哲也の親密な関係ぶりを示している。これを確認しておく。次のように述べている。
 「私と筑紫さんの付き合いがどこからはじまったかというと、74年に筑紫さんがワシントンから帰って来て、政治部と『朝日ジャーナル』編集部のあたりをウロウロしている頃だったと記憶する。(中略)そのとき、チャーチ委員会に出された原資料と証言記録を克明に分析し、それを分かり易く図表化、年表化して事件の全容を整理して描き出したのが、『文芸春秋』76年4月号の42ページにわたる長大な論文『事件の核心』である。これは、チャーチ委員会の全証言禄、全発表資料を入手して、それをすぐに十二人の取材班を編成して昼夜兼行で解読と分析を重ねたものだが、そもそものチャーチ委員会の全証言録、全資料をくれたのが、実は外報部デスクになっていた筑紫さんだったのである。電話で頼むと『ああ、いいよ、いいよ』の二つ返事で、そのころまだ新聞社にしかなかった膨大な英文の原資料をすぐにドサっとコピーして全部渡してくれたのである」。
(私論.私見) 
 立花氏は、筑紫哲也の追悼ということでもあり、二人の交友関係を何気なく記しているのだろうが、興味深い証言となっている。それは、事件勃発直後に、「新聞社にしかなかった膨大な英文のチャーチ委員会に出された原資料と証言記録を、朝日新聞外報部デスクになっていた筑紫が手にしていた」ことを明らかにしている。れんだいこは確認したい。「筑紫のみが手にしていたのか、朝日新聞社のみが手にしていたのか、各新聞社が共に手にしていたのか」。これは非常に重要なことで、どうやって手に入れたのか明らかにせねばならない。

 チャーチ委員会の方から送って寄越したのか、頼めば容易に送ってくれたのか、誰があるいはどの機関が介在したのか、事実は逆に、チャーチ委員会の癖球が筑紫経由で立花に送られということではないのか。今からでも遅くない、経緯を明らかにせねばなるまい。なぜこれを確認するのか。それは、ロッキード事件の謀略性に関わるからである。立花派は一貫して謀略否定論に立っている。ならば臆することはなかろう。手前が受け取った資料の流入ルートを調べ、いかにそれが自然であったのか弁明してみよ。これができぬるのなら、謀略舞台で自ら望んで踊ったピエロに過ぎなかったことを暴露しよう。

 2008.12.28日 れんだいこ拝

【マスコミ暴走に対する当時の批判見識】
 少数ながら、当時のマスコミの暴走に異を唱える人達もいた。これを列挙して確認しておく。

 政治評論家・俵孝太郎氏は、週間サンケイの8.23日号で次のように述べている。
 「どのように犯情歴然たる凶悪犯でも、有罪判決が確定するまでは無罪の推定のもとに名誉や人権を尊重するのが近代法の原則であり、たとえ現行犯であっても黙秘したり法の認める範囲内でフルに身を守るための対抗手段を採らせるのが近代社会の常識なのに、それが全く守られていないことである。田中や丸紅、全日空関係者らの有罪を誰も信じて疑わず、早くも人格の根源に関わる攻撃を加え、世論が想定する筋書き通りの自白をしないからといって非難し、弁護権の行使をさえとやかくいう始末である」。

 元内閣法制局長官・林修三氏は、正論10月号に「ロッキード疑獄の法律的研究」を寄稿し、次のように述べている。
 「これは捜査当局の問題ではないが、マスコミが逮捕された人々をその時から急に呼び捨てにするのは人権尊重上どんなものであろうか。一方で裁判が確定するまでは、みだりに人を犯罪者扱いしてはならないということが云われていることとの関係は、どう考えるべきであろうか。起訴された場合はともかく、逮捕だけで人をクロ扱いするのは、少なくとも、マスコミの態度としては行き過ぎではなかろうか」。

 加瀬英明氏は、「田中角栄と日本人」の座談「田中角栄における日本的体質」の中で、次のように述べている。
 「今のロッキード裁判に対するマスコミの姿勢とかそういうものは、きわめて野蛮なものだと思います。文明国としては恥ずかしいことですが、公正な裁判ができるような雰囲気ではない」。

 古井喜實氏は著書「首相の職務権限」の中で、次のように批判している。

 「今日まで、金権汚職の元凶は田中だ、総がかりで彼を袋叩きにして葬り去ろうといわんばかりの空気に、社会全体が塗りつぶされた背景に、マスコミのはしゃぎ過ぎがなかったかどうかである。いうまでもなく、マスコミの影響力は大であるから、社会に対する責任を重んじ、軽率な言動は慎むべきである。今回の問題について言えば、まだ真相の明らかでない発端の段階から、興味本位に、先を争って騒ぎ立て、次々と無責任な予想や解説や評論を流すといったことはなかったか。十分な責任感の下に、信念を持って行動したのなら、今日、私のような異論に対しては正々堂々、真正面から論駁すべきではないか」。

 元新聞記者のフリージャーナリスト・岩崎定夢氏は「角さんの功績、真の実力、この魅力」の中で、次のように批判している。

 「諸悪の根源は田中元首相にあり、とするマスコミ報道は、果たして正しいのか? 坊主憎けりゃ袈裟まで憎し的日本人の徹底した偏狭意識で報道してはいないか? その結果、その偏狭記事を読まされた国民が、真の田中角栄像を見誤っているに違いない―そう思ったのである」。

 白井為雄氏は、「ロッキード事件恐怖の陰謀」の中で次のように記している。
 概要「マスコミの目的とすることは、世の中の出来事を、迅速に、誠実に、公正に伝えることにあります。特に公正なる報道はマスコミの原則で有ります。もしマスコミの報道が、特定の階級や特定の権力や特定の個人の意志によって左右された場合は、そのマスコミの報道は公正を欠く価値無きものであります。

 更にマスコミが常に戒心しなければならないことは、支配権力の走狗や御用紙にならないことであります。戦時中のマスコミは支配権力である大本営発表の公報機関でありました。それが勝った勝ったの誤報で、日本国民をまどわして、遂に敗戦にと誘導したのであります。これはマスコミの本領である公正なる報道に背反した権力迎合の使い走りでありましょう」。
 「最近のマスコミは、マスコミ本来の使命を忘れて、外国権力や日本権力に迎合して、その筆をまげる傾向が多くなりました」。
 「彼らはマスコミ人という特権意識に思い上がり、取材の自由の名の下に、高慢で横暴な取材活動をしています。近時のマスコミは肥大化した権力にものをいわせて、横着な特権意識を振りかざして、我がもの顔に横行しています。マスコミはペンの暴力をちらつかせて市民から恐れられております。彼らは取材の自由を名文として家宅侵入や名誉毀損や諸々の基本的人権も平気で無視蹂躙して憚りません」。
 「この過去形で云わねばならないマスコミ界の不甲斐ない現状で有ります。マスコミは公報であってはなりません。それは民の声を伝達する民報でなければならないと信じます。公報は権力の意志を伝達する機関であります。民報は公に対する不平と不満を代表するものでなければなりません」。

 産経新聞元政治部長で、論説副主幹の多幡道夫氏が、8.23日号週間サンケイ緊急増刊号に「検察に“独走”はなかったか」と題して問題提起の一文を寄せている。多幡氏は次のように述べている。
 概要「疑獄の捜査は難しい。従ってこうした別件逮捕手法と云わぬまでも、それに類似した方法での肉薄もやむをえぬものかもしれない。だからといって、ロッキード事件解明の為に、如何なる方法、如何なる手段を使ってもよいというものではない。もし、そうした習性が検察に横行し始めるとしたら、それこそ、ロッキード事件より恐ろしいことになる。ロッキード事件で民主主義は死滅しないが、検察がもしその権力を恣意的に行使し始めたら、それこそ民主主義が滅びるどころか、世は真っ暗闇となる。権力野中の権力、権力の中枢は検察、警察にあるのであり、それは某国の秘密警察などの実態とその威力、恐怖をふりかえってみるだけでよくわかるはずだ」。
 「ロッキード事件の解明は確かに重要な課題である。しかし、それは決して『あらゆるものに優先する』ものでなく、多くの問題野中の一つの重要な問題でしかなく、ロッキード事件はロッキード事件として法の命ずるまま処理すればいいのである。政治は決して、ロッキード事件だけではない。にも拘わらず、あらゆるものにロッキード事件解明が優先するという首相の姿勢は平衡を欠いている。バランスを失している」。
 概要「椎名自民党副総裁とは別の意味でだが『三木首相は、やはり“はしゃぎすぎ”だ』と云わざるを得ないのではないか。その“はしゃぎすぎ”に支えられて、検察にも“はしゃぎ”があったのではないか」、「『はしゃぎ』は、世論と称する『正義の味方』づらしたマスコミにも振り回された面もあったのではないか」、「ロッキード事件発覚以来、あらゆるマスコミといっていいほど、マスコミのほとんどはロッキード事件を大きく報道し続けた。長年のウミである。だからそれをあばきたいという正義はわかる。しかし、そうした『一枚岩の正義』ほど怖いものはない」、「裁判を信頼するという立場に立って、彼らが無罪になった時を考える時、今、横行している一枚岩のロッキードに対する正義は、どういうことになるのだろうか。逮捕即罪人扱いは、それこそ、マスコミの最も嫌う“官尊民卑”の現われではないか。検察の調べを丸鵜呑みにし、人権面からの批判を検察の責任に転嫁しているものではないか。そして、こうしたマスコミの煽りは、また検察の士気にも反映する。総じて云えば、ロッキード事件追求の中に、この国の閉鎖的社会に特有な“村八分”的な封建的遺制を感じないだろうか」。
 秦野章・氏は、著書「角を矯めて牛を殺すなかれ」の中で「マスコミが人を裁く」と題して次のように述べている。
 「もう十年以上も前になるが、私はロッキード事件での田中前首相逮捕について、マスコミは騒ぎ過ぎだ、と批判したことがある。それがまた、『田中擁護だ』として、マスコミに書きたてられた。しかし、私がマスコミを批判したのは、田中角栄氏をただ感情的に弁護するためではなかった。マスコミによる田中角栄氏に対する集中攻撃はすさまじいばかりで、法的制裁を上回る社会的制裁がこどすぎた。これでは人権侵害になると思ったからである。

 現在の裁判制度では、まず検事が有罪を主張し、それに対して弁護士が弁護していく。最終的には裁判官が判断を下す、という仕組みになっている。ロッキード裁判では、まだ一審判決が終わったばかりで、まだ裁判がずっと続き、法的な決着がつけられるのはだいぶ先の話だというのに、マスコミは既に罪人扱いをしていたのだ。当時のマスコミには一片の反省も無く、これを問題にするという公平さに欠けていた」。

シオニズムの手先としてマスコミが果たしたロッキード事件での役割
 日本のマスコミは、故意かどうか不明だが事件の謀略性に全く気づかなかった。否、というより積極的にこの謀略のお先棒を担いでいった。その論証をこれからしていきたい。担当記者は真実の追究には向わず、ひたすら法務省関連省庁の担当者を追いまわしてコメントやプリントを有り難く頂戴する日々であった、と云う。不都合な記事はことごとく「デスクが通らなかった」とも云われており、マスコミ上層部に政治的意志が蠢いていたことが判明する。これらの背景に何があるのか。れんだいこが次のことを示唆しておく。これについては「シオンの議定書に見るマスコミ篭絡謀略」を参照されたし。かなりの分量を費やして次のように述べている。
 概要「我々ユダや人に比べてやや劣るゴイムの知識人たちの知性を上手に活用して、我々の目的に奉仕させるべし。新聞の役割は大きくいわば言論大砲である。そのことを我々は的確に知り活用すべし。ジャーナリストの厚顔無恥な性格を利用し、正義気取りのペンを振るわせ、全体として我々の目的に添うよう活用すべし。

 彼らが我々の意のままにならない時には、検閲、認可、罰金、発行禁止処分、免許取り消し等々の手段で締め上げ、最終的に我々の意のままにさせよ。すべてのニュースは、配信元を押えた我々のプロパガンダであり、我々が許可したものだけが供給され一般に公表される。時には批判的言辞も許されるが、それも我々の手の内で行われるべきものである。中央新聞各社の責任者の会合を設け、我々の意思に基づいた報道規制を誓わせる。ある時は真実、ある時は虚偽を振りまき、ある時は事実に即して立論し、ある時はの反論を掲げさせよ。それらは究極世論操作に役立つものである云々」。
(私論.私見) 「ロッキード事件に見せたマスコミの働き」について
 思えば、「ロッキード事件に見せたマスコミの働き」はものの見事にこの戦略戦術に添っていやしないか。してみれば、シオンの議定書捏造説を振りまき、ロッキード事件で「正義」のペンを振り続け、角栄を悪し様に批判すればするほどサヨの証として蠢く連中を疑惑せねばなるまい。仮に彼らが善意であったとすれば、政治に関わるには基本的能力が欠損しているのに小権力を振り回していることになる。これをブサヨと命名されているがまことに的確と云うべきだろう。

 2005.7.2日 れんだいこ拝

【市民運動
 西部邁(すすむ)氏は、「集団リンチされた宰相への詫び状」で次のように記している。
  「ルイ16世が『革命広場』で、ということは現在のコンコルド広場で、ギロチンによって処刑された時、ジャコバン党員達の案に違って、観客の中から喝采は起こらなかった。逆に、静寂が広場を支配した。『王殺し』に対する反省がその殺しの直後から始まったわけである。たぶん、人々の気分の深層におけるこうした働きをさしてのことだろう。チェスタトンは次のように言い放った。『恐らく、歴史に記録されているような革命などというものは、現実には存在しないのである。起こったものは常に反革命であった。人々は常にすぐ前の反逆に対して反逆するか、あるいはすぐ前の反逆を後悔しているのである』

 田中角栄氏を廻っても、おおよそ同じ事態が生じたのであった。私たちは『角栄を刑務所に放り込め』と叫んだ。そして実際に、この熱狂せる世論に押されて、又はそれに乗じて、検察庁と裁判所が田中氏に実刑の烙印を刻したとき、私たちの心奥には、自分等の代表を自分等で殺戮することに関する後悔めいた気分が、半ば無自覚にとどまったとはいえ、立ち込めた。まして私たちは『今太閤』の掛け声と共に田中氏を代表の座に登らせたのである。田中氏は罰せられるに値する人物だというのが仮に本当だとしても、真に罰せられるべきは、そういう人物にまず歓呼の声を浴びせ、次に世論という名の集団リンチを仕掛けた私たち自身なのではないだろうか。

 だが、それ以降の15年間、私たちの為したことはといえば、私たちの内心における罪もしくは恥の意識を忘れるために、いっそう繁くまたいっそう激しく、集団リンチを繰り返すことなのであった。例えば、昭和の末年から平成の初年にかけて見られた世論の大行進は、なべて集団リンチの様相を帯びていたではないか。『角栄事件』が歴史に記録さるべきものとなるのは、いわゆる戦後民主主義が、人間の数ある卑しい心性のうちで最も卑しいものへと、つまり集団リンチへと転落していく過程における最初の大掛かりな事件だったからである。(中略)

 かってオルテガは『精神的な無脊椎(せきつい)』の状態に陥った自国スペインのことにふれて、『民衆のあいだには、ありとあらゆるすま゛れたものに対する低俗な恨みがあり、彼等は優れた人物達に対して一切の熱狂と社会的献身拒否した後で、人物はいない≠ニいう』といった。私たちも田中殺しに始まって、次々と『すぐれた人物』を集団リンチに晒した挙句、ご覧のように、とても人物とはいえないようなスケールの小さな人物を自分達の代表にするしかない破目になり、『人物はいない』としたり気に歎いて見せている。まったく『脊椎なき日本』と形容したくなるのが日本政治の現状であるが、そういう状況をもたらしたのは私たち自身の『精神的な無脊椎』のせいにほかならないのである。(後略)」。

Re:れんだいこのカンテラ時評191 れんだいこ 2006/07/27
 【毎日新聞のロッキード事件30周年記念記事の低レベルを指弾する】

 ロッキード事件で田中角栄前首相が逮捕されて以来30周年のこの日、毎日新聞は、過去の報道を批判的に捉え返すことなく、「5億円は参院26候補に 調書で元秘書官」なる見だしで、5億円贈収賄説を補強する記事を掲載した(http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2246494/detail?rd)。松下英志記者が書いたものらしい。れんだいこがこれを検証する。

 それによると、次のような内容となる。
 概要「受託収賄罪に問われた田中角栄元首相の当時の秘書官・榎本敏夫氏が、東京地検特捜部の調べの際に、ロ社側から受領した5億円について『74年の参院選候補者26人に2000万円ずつ渡した』などと供述していたことが分かった。調書は、76年7月27日の逮捕から8月9日の起訴までに作成されており、榎本元秘書官は公判で一貫して5億円受領を否認したが、捜査段階では逮捕翌日に認め、公判で11通の調書が証拠採用された。今回判明した供述調書はこれとは別で、実際は計16通あった。公判では証拠として申請されなかった」。

 「元秘書官は、田中邸に運んだ後の5億円の処理は知らないが、参院選で私がお届けしただけでかなりの金額になる。5億円もこれらの中にミックスされ消えてしまったのではないかと供述。参院選候補者への配布一覧表を作成して、私の記憶が不確かな部分はあえて記載しませんでしたと念押しした。一覧表は(1)氏名(2)授受時期(3)金額(4)授受場所(5)備考――の順に記され、当時の全国区10人、地方区16人の候補者名が書かれていた。授受の時期は73年11月〜74年3月で、金額はほぼ一律2000万円。授受場所は田中元首相の事務所があった砂防会館が多く、議員会館や個人事務所もあった」。

 「採用された調書で榎本元秘書官は、元首相の参院選勝利にかける意気込みは悲壮で、5億円は元首相が当時の党総務局長と相談して参院選に使われたと思うと供述していたが、具体的な使途は不明だった」。
(引用以上)

 毎日新聞社は、「田中元首相らの逮捕から27日で30年を迎える節目に新事実が判明した」と鳴り物入りで報じている。しかし、毎日よ、今日の時点でもなお、田中角栄5億円贈収賄を立件せんとする執念は見上げたものだが、お前達は逆から見るということができないのか。

 れんだいこが分析すれば、こたびの新事実は、1・角栄側が参院選に金がばら撒いた。2・そのルート先が判明したに過ぎない。榎本は過酷な取調べの中で、参院選の際の資金ルートを明らかにしたが、その金の一部が全部にせよロッキード事件による5億円贈収賄金であったことにはならない。結局、検察もそれが出来なかった。それはそうだ。れんだいこ史観によれば、「ロッキード事件に於ける5億円贈収賄金は幻」の可能性が大で、角栄は米日反動勢力により冤罪で落とし込められたと見立てている。

 毎日よ、お前達は何故無理矢理結び付けようとするのだ。次のようにも述べている。
 「田中角栄元首相が受領した5億円の配布先として、榎本敏夫元秘書官が一覧表まで作成していた事実は、元秘書官が捜査段階で受領を自白し、公判で採用された供述調書の任意性を補強する“証拠”でもある。検察側がこれらを証拠申請しなかったのは、公判の混乱を避ける法廷戦術のためで、供述調書自体の信用性は高いと言える」。

 「5億円はいったん田中邸の金庫に入る。これを参院選資金と証拠上断定するのは困難で、密室で受け取った候補者に受領を認めさせるのも極めて難しい。仮に公判に提出すれば、配布先が全面否定することは容易に予想され『5億円授受の有無』という本来の争点とは別に、新たな火種を公判に持ち込むことになる。一覧表が長らく秘された理由と言えるだろう」。
(引用以上)

 何と、ジャーナリズムが御用化していることよ。お前達はなぜ、そうまでして検察の正義を演出しようとするのか。れんだいこが子供の頃は、紙面には冤罪告発記事が踊っていた。それを思えば隔世の感がある。まことに、ロッキード事件を境に、マスコミが検察にエールを贈り始め、時の政権の御用化記事が目立つようになった。

 普通に考えれば、検察が該当榎本調書を証拠申請しなかったのは、参院選配布資金がロッキード社からの5億円贈収賄金を充当したものであったとは立件できなかったからではないのか。なぜそれを、「検察側がこれらを証拠申請しなかったのは、公判の混乱を避ける法廷戦術のためで、供述調書自体の信用性は高いと言える」とまで脚色してヨイショしようとするのだ。

 新聞マスコミ界が、ロッキード事件で真に検討すべきは、榎本がらみで云えば、角栄と同日逮捕された榎本が5億円収賄を認めるよう執拗に迫られ、何と「田中5億円受領を認める」と一面トップに書かれたサンケイ新聞を見せられたという史実こそ重視せねばならない。

 榎本は、くだんの記事を見せられ、「オヤジが認めているのに私が認めないのも変だという気分にさせられ、その後の取調べで検事の誘導に従って段ポール箱の授受を認めた」、「先生が、党の為に、ありもしない事実をやむを得ずひっかぶられたのかと思い、悩んだ末に、私も先生に口裏を合わせた」、「オヤジがしゃべったから、仕方が無くしゃべった」と、この時の事情を法廷で陳述している。

 サンケイ新聞一社の虚報記事であったのか他社も同様記事を虚報していたのかどうか不明であるが、明らかに新聞社大手が度の過ぎた捜査協力していることが判明している。前代未聞の不祥事であろう。

 新聞社は、少なくともサンケイ新聞はこれにつき検察に抗議したのか。史実は、抗議するどころか協力しまくりであったのではないのか。毎日よ、お前のとこが同様協力したのかどうかは分からないが、サンケイ新聞社のジャーナリズム見識に対して批判的見解を打ち出すことは必要だろう。そういう抗議ないしはマスコミ界でこの問題を採りあげ検討を一度でもしたことが有るのか。

 もとへ。榎本は当初より否認し続けていたが、検察の卑劣なトリックにより追い込まれ、金銭授受を認めさせられたことが判明している。毎日が、こたびの新事実を手柄的に報ずるのなら、榎本に対する取調べが、云われているほど酷いものではなく、榎本調書の一切が任意自主的な供述であったことを立証せねばなるまい。臭いものに蓋をしたまま、あろうことかロッキード事件30周年を飾るスクープ扱いして報ずるなど、ジャーナリズムの見識を大いに欠くノータリンぶりであろう。

 今日のマスコミ界を牛耳る者達はこぞって、ロッキード事件報道で角栄追い落としに協力した者たちで占められている。検察も同様である。それを知るれんだいこは、実際のところは現下のマスコミに公正真実の報道などねだりはしないが、それにしても30周年でなおこういう居直り記事しか掲載しえない姿勢にはあきれるばかりである。

 その点、同じマスコミ人でも、増山榮太郎氏のように角栄を郷愁し始めた方も居られ、これこそ真っ当というべきであろう。増山氏は、このままでは寝覚めが悪いと「角栄伝説ー番記者が見た光と影」を著している(http://www33.ocn.ne.jp/~massan/shohyou05.12.31.htm)。これがせめての良心というものであろう。松下記者よ、爪の垢でも煎じてみぃや。

 2006.7.27日 れんだいこ拝

【「サンプロ、岸井発言」考】
 歴史は下って、2010.01.10日、「サンプロ、岸井発言」が評判を呼んでいる。「まるこ姫の独り言」が、「情報源は「顔色」?顔相占いかよ!】今日ので前代未聞の事実が分かる」と的確にも見出しをつけて論じている。

 それによると、司会者の田原総一朗が、「小沢民主党幹事長の政治と金問題での検察側リーク情報問題」に関連して、毎日新聞論説委員の岸井成格氏に実情を質したところ、岸井が何と答えたか。概要「検察に記者が質問をしても、検察は核心に迫る発言はしない。つまりリークはない。記者は、独自の取材と調査によってウラを取り、捜査当局者に対して質問をぶつけて、その時の検察の顔色を読んで、本当かどうかの記事を書く云々」。

 「本人は、何の疑いも無く」かく述べたと云う。「まるこ姫の独り言」は、「記者の想像を検察にぶつけて顔色を見ることで裏を取る? 裏を取るってこう言う事か。。。。。(笑)。しかし、すごい事が分かった。日本の報道は、こんないい加減な”顔色を読む”で記事が書かれていたのだ」、「こんな腹芸のような物で、裏を取ったようなつもりになり、報道していたのだと。とうとうバレチャッタ。。。。(笑)」と評している。

 「植草一秀の『知られざる真実』」の2010.1.11日付けブログ「岸井成格氏が示した検察リーク報道驚愕の実態」は、裁判員制度発足に当たっての新聞協会2008.1.16日指針「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」の次の下りを紹介している。
 「捜査段階の供述の報道にあたっては、供述とは、多くの場合、その一部が捜査当局や弁護士等を通じて間接的に伝えられるものであり、情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること、時を追って変遷する例があることなどを念頭に、内容のすべてがそのまま真実であるとの印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分配慮する」。

 植草氏は、検察庁職員が国家公務員の守秘義務に違反してメディア関係者に業務上知り得た情報を不正に漏洩した疑惑と、それに基づくメディアの検察情報垂れ流しの非を衝いている。「この疑惑が事実であれば国家公務員法違反に該当する。主権者国民は検察庁職員を国家公務員法違反で刑事告発する必要がある」と述べている。

 れんだいこに云わせれば、「サンプロ、岸井発言」が如何に重要な「報道現場証言事件」なのか。それは、この式の検察−マスコミ連合の定式化がロッキード事件で確立され喧騒されて行ったと推定せしめるからである。岸井発言は、それを裏付けたことになる。マスコミは、かく提灯報道することで、検察を操る国際金融資本の走狗となり、これに身売り的に迎合した者がその後の出世街道を約束された。現下のマスコミ各社のトップはなべてこの手の言論売人ないしはその末裔に他ならない。それが証拠に、角栄番にして角栄シンパの線を維持した当時の記者はその後干され冷や飯を味わっている。角栄叩きに興じた者は逆にトントン拍子に出世して行った流れが見えている。

 この手合いがなべてバカづらしているのは、この経緯による。真実なぞどうでもよく時の最大権力者にすり寄った機会主義者の劣性資質による。そういう者が逆に異常に「報道の正義」やら「報道の著作権」を主張する癖がある。お陰で三級言論ばかりが流行り、言論空間が狭まる世の中になってしまった感がある。この手合いは、かっては太鼓腹をさすりながら自公政権政治を評論し、目下は民主党政権の粗さがしに興じている。テレビに登場し、スター気取りで愚昧な評論に明け暮れている。

 「サンプロ、岸井発言」は、そういう連中の生態の一端を垣間見せたという話ではなかろうか。

 2010.01.13日 れんだいこ拝

 「★阿修羅♪ > 雑談専用37」の影の闇氏の2009.9.2日付け投稿「「国策捜査」ーその衛生学的発想  ー原型としてのロッキード事件」を転載しておく。

※一応仁王像さんへのレスという形を取っていますが、内容からいって、トンチンカン な反応されても困りますので、こちらへはレスしないでね。    仁王像さんへの リハビリレスは別メニューになっています。

 首相退陣に追い込み、田中氏追放の切っ掛けを作ったのが立花隆の「田中角栄研究」ですが、元ネタはCIA情報だった(英語で書かれていた!)と言われています。 ー要するに、立花隆という「市民派リベラル」は、外国謀略機関の絡んだ、自国の首相の追放劇の主役(手先)を演じて、恬として恥じることは無かった!  更に、「ロッキード事件」の際、朝日新聞を筆頭(検察トップが社会部部長を直々に訪ね、協力を要請している!)に、マスコミは、田中角栄氏に「金権腐敗」という一方的なレッテルをはり、「クリーン三木vsダーティ田中」の図式を作り上げて、「国策捜査」の強力な応援団になりました! そうして、このパターンが以後の「国策捜査」の原型になって行きます。    (日朝国交をやろうとした)金丸信ー「巨額脱税」、(日露関係を強化しようとした)鈴木宗男ー「斡旋収賄」、そして今度の(対米自立)小沢一郎ー「巨額献金」

>当時の「市民派リベラル諸氏」を現時点で断罪することに何らかの歴史的意義

 「金丸信追放」の主役が「市民派リベラル」の青島幸男!(このご褒美で彼は都知事になったようなもの!)、そうして記憶に新しい「鈴木宗男追放」の先頭に立ったのは”ムネオハウス”の共産党に”疑惑の総合商社”と罵った社民党(辻元清美)。ご覧のように、決して、これは過去の話ではない。 何より、今回「西松事件」での小沢氏への漠然としたイメージの中心にあるのが「金権腐敗」というものでしょう。 それは30年前に、貴方が「悪い奴だ」と想った田中角栄氏のイメージそのものではありませんか!

 私はこの「金権腐敗」というレッテルは、国家(官僚)による政治家の<粛清用語>と断じます。

<近代>における衛生学という問題等、理論的な事が絡むので(笑)端折りますが、この用語は左翼における「反革命」と同根です。 即ちR.バルトが「スターリン主義のエクリチュール」といった事と同じく、命名そのものが断罪へと絡がるー金権腐敗→浄化(cleanup)せよ!という力学は反革命→粛清(cleanup)せよ!と同じーと見ます。

 「ロッキード事件」の背後の事情を承知していながらも、自分達とは関わりない「体制側の内ゲバ」と見做し、にも関わらず”腐敗浄化”の方に肩入れする。
何故左翼や市民派リベラルが、その背後にある政治的事柄よりも、cleanup(浄化、粛清)という衛生学的発想を優先するのか?というのは、上にも述べたように、大きな問題なのですが、問題が拡散しますので、これ以上は言及しません。 

 ただ、”ダーティ”とか”闇”というものを<市民的価値>の対極に置き、そういったものを忌避し、排除するといった性行が(市民)社会に在る事は、貴方にも実感され得ると思います。早くも、マスコミは、小沢一郎に”闇将軍”というレッテルを貼ってるではありませんか!







(私論.私見)