ロッキード事件に果たした昭和天皇&皇室のミスリード |
更新日/2017.4.11日
【昭和天皇の角栄に対する態度】 | |||
昭和天皇が、角栄を嫌っており、角栄がテレビに出るとツと立ってテレビをプツンと消したという話が流布されている。その情報元ははっきりしないが、当時そういう宮内庁情報がリークされていた。
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【平野貞夫氏の「昭和天皇の『極秘指令』」考】 | |||||||||||||||
平野貞夫氏は、「昭和天皇の『極秘指令』」(講談社、2004.4.10日初版)の中で、ロッキード事件渦中に果たした昭和天皇の「極秘指令」を暴いている。直接的なものではないが、「入江相政侍従長日記」(以下、「入江日記」とする)の記述に留意しながら昭和天皇の意向を見ようとしている。「側近を通じ、昭和天皇の田中角栄という政治家に対する感情が浮き彫りとなる」、「ロッキード国会と昭和天皇の『極秘指令』は車の両輪として歴史を動かし、その陰には前尾議長の人知を超えた苦悩があった」と推定している。もう一つ。平野貞夫氏は、同書の中で、昭和天皇の「象徴制」にも拘わらず案外な政治的立ち回りをも暴いている。いずれにしても衝撃的な内容の良書である。概略を以下に記す。 昭和天皇の「角栄不快観」は、政権発足時に忽ち表れている。「1972.7.7日付け入江日記」は次のように記している。(読み易くするため、漢数字の洋数字への書き換え、句読点等任意挿入、一部ひらがな転換をした)
「1972.9.6日付け入江日記」は次のように記している。
「1973.5.24日付け入江日記」は次のように記している。
平野貞夫氏は、ロッキード事件について次のように記している。
田中角栄が逮捕された日の「1976.7.27日の入江日記」は次のように記している。
(以下、略) 2005.10.5日 れんだいこ拝 |
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK73 」の脳天気な醜男氏の2009.10.21日付け投稿「昭和天皇による外交政策への容喙 『古川利明ブログより』」を転載しておく。
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Re:れんだいこのカンテラ時評その107 | れんだいこ | 2005/10/05 |
【「ロッキード事件に果たした皇室のミスリード」考】 「2005.9.11総選挙」は小泉新党圧勝となり、大敗北を喫した民主党は小泉新党寄りの前原ー鳩山ラインを新執行部に選んだ。民主党の内紛必至で今後が危うい。もはや政局は、小泉新党+民主党+公明党で何でもできることになった。自衛隊のイラク派兵の長期固定化、むしろ増強。組織犯罪取締法等に於ける共謀罪の新設、大衆課税強化。これからいろいろやってくれるだろう。首を短くして待っておこ。 れんだいこは、現代政治の局面分析を暫く放棄し、こういう政治になった転回点たるロッキード事件について更なる関心を寄せようと思う。ここのネジレを打開しないと闘おうにも闘えないと思うから。日本サヨ運動は今でも角栄糾弾闘争を誇りにしている。その非、そのウソを暴いていこうと思う。なかなかこれが通用しないんだけれども、漬ける薬がないものだろうか。 そういう時、平野貞夫氏の「昭和天皇の『極秘指令』」(講談社、2004.4.10日初版)を手にした。れんだいこは、「ロッキード事件に果たした皇室のミスリード」と題してサイトアップした。kakuei/rokiido_koshitunoicoco.htm 昭和天皇が戦前のみならず戦後に於いてもかなり自身の嗜好を政局に反映させようとしていた形跡が見えてくる。れんだいこは、大正天皇論をサイトアップしている。daitoasenso/daitoasensootou_taisyotennoco.htm それによって見えてくるのは、昭和天皇の根っからの政治好きな面である。大正天皇は、戦争よりも内治主義を好み、その気風が政局に影響を与え大正デモクラシーを生んだ、と思える気配がある。平成天皇は、こちらの大正天皇に近い。してみれば、昭和天皇は、独特の個性を放っていたことになる。 それはともかく、小泉の暴政を止めるには何をすれば良いのだろう。国民の半分はまだ酔わされている。中国、韓国、北朝鮮には意気軒昂だが、イスラエル籍には弱いらしい。マスコミも及び腰で、当て逃げされたというのにいつものようには取り上げない。それが訝られない。もっとも、れんだいこはテレビを見ないのでそうではないかという推測だが、恐らく当たっているだろう。 2005.10.5日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)