「疑惑が報道される最中、右翼の青年が乗った飛行機が、児玉邸に突っ込むといった事件も起きた。小佐野賢治氏の名前が出たことから、田中先生にも疑いの目は向けられたが、田中事務所では田中先生が逮捕される事態になるなどとは、誰一人想像もしていなかった。
田中先生自身も『何で疑われなきゃいけないんだ』とたびたび不満を漏らしており、。『全日空の若狭なんてのは、俺にろくに挨拶もしなければ見送りにだって出てこない。そんなのとまともに付き合うわけがないだろう』などと、酒を飲みながら、事務所の連中を前に愚痴ったこともあった。
児玉氏が中心人物との報道が多かったこともあって、何かと児玉氏との関係が取り沙汰されていた中曽根康弘先生が大変なのではないかなどと、一部では噂していたくらいだった。それだけに、ほぼ無防備に近い状態で、田中事務所はガサ入れを受けることになったのだった」。 |
「そんな日々が続く中で、山田秘書を筆頭に目白の事務所のメンバーは、任意の参考人聴取という名目で、東京地検に順番に呼び出された。事情聴取が始まってまもなく、その事件は起きた。事情聴取の後行方が分からなくなっていた小原(笠原)運転手が、山中で遺体となって発見されたのだった。(中略)田中先生が逮捕された直後の参考人聴取は任意というのは言葉だけで、かなり厳しいものだった。早々に聴取を受けた山田秘書たちは、『完全に犯人扱いの事情聴取だ。何を言ってもウソをつくなだとか、こうに違いないだとか、決め込んでいる。話にならんよ』とぼやいていた。小原さんもかなり、しつこく迫られたらしい」。 |
「私が検察に呼び出されたのは、小原事件があった一週間ほど後だった。せいぜい2、3時間で終わるだろうと、軽く考えていたのだが、10時に東京地検に出頭、事情聴取は延々、夕方の6時近くまで続いた。質問はほとんど同じことの繰り返し。参考人を、これっぽっちも信用していないので、同じ事を何度も質問して、違った回答をしないか、2、3時間前に下質問と答えは同じかどうかを見ることで、相手の隙をつこうというものだった。
事情聴取の中心は、現金授受に少しでも関与しているのかどうかと、田中先生の一日の行動の確認だ。田中邸での行動を確認することで、丸紅の桧山会長らと現金授受の話がどう為されたかのストーリーを作ろうというものだったらしい。(中略)
『榎本さんはね、背の高い学生にダンボールを渡したって言っているのだよ。背の高い学生といったら君しかいないでしょう。じゃ榎本さんがウソつきかな』
『榎本さんはウソをつくような人じゃないですよ』
『じゃ君がウソをついているんだ』
『いえ、もう一つ可能性が有ります』
『何?』
『検事さんがウソをついている場合です』
『何だと君、バカにしているのか』
『いえ、検事さんが余りにしつこいので、正直に感想をいっただけです』」。 |
「保釈後の田中先生の言動や、その後の裁判を見るに付け、先生自身はロッキード社から裏金を貰ったはずがないと、信じていたように思えてならない。私も事務所を出て数年後に、裁判所から呼び出しを受けて、東京地検の証言台に立ったが、その前後に会った田中先生は、『俺は悪いことはしていない。だから裁判に負ける訳が無い』と確信している様子だった」。 |