あきれ返るばかりの猪瀬の傲慢なご都合主義、エゴイズムぶりだが、さらにこの一件で取材にうごいた週刊誌に対しても、その「性格」を遺憾なく、発揮した記事つぶしを執拗に画策したのだ。
猪瀬セクハラ金銭疑惑をキャッチして、取材に動いたのは、「週刊宝石」と「アサヒ芸能」の2誌。 だが、「週刊宝石」は取材開始早々にリタイア、こちらはお得意の「作家タブー」による単なる自粛とみられている。
そして本格的に始動したのが、「アサヒ芸能」だった。「あるテレビ局関係者の情報提供から取材をはじめたんです。もちろん、猪瀬のギャラ未払い、それとセクハラに関してです。これはいけるという感触もあり、かなり詳しく内容を詰める段階までいった」「アサ芸」関係者。ところが、この動きをいち早く察知した猪瀬は、さまざまな記事つぶし工作を開始する。その先制攻撃は、自分の息のかかった大手出版者幹部を使ってのものだった。 「猪瀬は真っ青になって、小学館の「週刊ポスト」S副編集長に「アサ芸」の様子を探らせたそうです。
S副編集は「アサ芸」の編集幹部としたしいからね。」(大手週刊誌編集部) 小学館といえば、猪瀬の出身母体であり、これまで猪瀬の代表作を数々手がけている出版社。しかも猪瀬は、小学館では最も大切な大先生なのだ。 「猪瀬には、編集部とは別枠で、相当な額のギャラを支払っているといわれるくらいですから。猪瀬のスキャンダルは小学館にとっても是が非でも阻止すべき問題なわけです。(小学館関係者) だが、猪瀬が記事差し止め画策を「命令」したのは実は小学館だけではなかった。大宅賞主催出版社の文芸春秋となぜか講談社までもが動員され、「アサ芸」そして、徳間書店幹部にまで 圧力をかけていたのだ。
「講談社のある関係者から、昨年の11月ごろ、突然電話がかかってきて徳間書店の松園光雄編集局長の自宅の連絡先を教えてくれ、と頼まれたんです。理由を聞いても、口を濁していて妙だなと思っていたんです。(あるジャーナリスト)
もちろん、これは猪瀬の意を受けた人物によるもの。 その後、「アサ芸」編集部には連日のように数人の出版関係者から 「猪瀬記事」掲載に関する要請が頻繁にあったという。
当然、猪瀬本人からも一日に何度も、しかも、連日のように編集部への泣き落とし、懐柔、恫喝といったさまざまな手法で記事ストップへの工作は続いた。
「猪瀬は松園編集局長にも電話で懇願したらしいよ。 当初は編集部に対しても、「お宅はよくがんばっているね。ちゃんと取材しているし、すごい雑誌だよ。俺は評価している」
なんてヨイショして、わけのわからないほめ方をしていましたよ。(アサ芸出入りのライター) だが、懐柔作戦が通じないとみると、今度は「こんなことやってただで済むと思うなよ」とすごい剣幕で恫喝し始める始末。
これがまがりなりにも言論をめしの種にしているノンフィクションライター、いや作家先生で、しかも常々ジャーナリズムというものは・・・」などとエラソーに説教をたれている御仁なのだから恐れ入る。
しかも猪瀬は「アサ芸」工作だけではなく、時を同じくして、 ひそかにM女史と接触していたのだ。「それまでM女史と代理人の弁護士に対して「知らぬ存ぜぬ」という態度だった猪瀬が態度をひるがえして接触を求めてきた。そして未払いギャラを支払うことを承諾したのです。」(M女史の友人) 要するに、スキャンダル発覚を恐れた猪瀬は、問題のギャラを支払うことにより、トラブルそのものをなくしてしまうという作戦にでたのだ。しかもこのとき、猪瀬はM女史に対しても、恫喝まがいの行動までおこしている。「猪瀬はある条件を出し、「これで手打ちしろ!そうでなかったら、お前がこの世界で生きられないようにしてやる!」と怒鳴ったそうです。M子は、そのあまりの横暴さと、もうこれ以上、猪瀬にかかわりたくないという、へきえきとした思いもあり、それを承諾したんです。」(前出友人) こんな恫喝をしてまでM女史に承諾させた条件とは、なんと未払いギャラ120万円を70万円に値切るというものだった。あまりのせこさについ笑ってしまいそうな話だが、事実である。さらに猪瀬は、その70万円から源泉徴収までして支払ったというから、これはもう爆笑もの。 そのうえ、この一連の件に関しては、「どこにもしゃべるなよ。しゃべったら、絶対にお前をつぶしてやる!」と駄目押しの恫喝までしたというのだ。
ともあれ、M女史への懐柔に成功した猪瀬はさらに政治力を駆使、徳間書店社長、徳間康快に直談判、それに前述の大手出版社からの圧力が効を奏し、結果、「アサ芸」の記事つぶしに成功したのだった。
まったくもってあきれるばかりだが、このきわめて政治的で、しかも陰湿とも思える今回の手法は、実は、これまでも猪瀬の最も得意とするところなのだ。たとえば、86年の大宅ノンフィクション賞受賞にしても、選考委員への露骨な事前根回しやヨイショはあまりにも有名である。本田靖春を自分が主催する勉強会に顧問として招へいし、また柳田邦男には膨大な手紙を出し、懐柔に走る。さらに書評を使って、他の選考委員をほめちぎるなど、当時からかなり話題になったほどだ。また、その後、朝日ジャーナル誌上で田中康夫に連続批判されたときも、朝日新聞社幹部に水面下で工作するなど、きわめて謀略的な人物なのは、業界では広く知れ渡っているところ。
いわば、こうした猪瀬の「性格の悪さ」が総結集して表面化したそれが今回のスキャンダルの全貌といえよう。