事件考諸論

 「帝国電網省國際會議場より」。

 ロッキード以後の日本社会 投稿者:書記長  投稿日: 3月28日(木)18時17分00秒

 あのロッキード事件は明らかにでっち上げであったことは今ならほとんどの知識人が認めるのではないだろうか?色々調べてみると田中角栄がロッキード社から航空機選定に介入するみかえりに金を受け取った事実自体がどうやらありそうにない。ロッキード裁判は手続き上いくつかの近代裁判の原則を踏みにじっており、かつ事実認定・法律解釈は常識や論理を無視したインチキ裁判であった。

 日本人はあのとき自らの社会システムを破壊してしまった。アメリカの支配者の意思と力が日本の検察・マスコミを動かし次々と社会に不必要な騒動を作り出していく。それまで誰もが知っていて広く行われていた常識や慣習がある日突然「犯罪」「問題行為・発言」となり、おそらくアメリカの都合で選ばれた特定の個人・集団がやりだまにあげられる。イメージだけのウワサ話やデッチアゲがそれに加わり大衆のヒステリーと無法なリンチを巻き起こす。やがて外資にとってもっともよいタイミングや総選挙に合わせて政治家・役人・企業幹部が逮捕される。

 最近の真紀子外相更迭、宗雄離党、辻元辞職は大きな違法行為の有無は別にして明らかに本人たちの日常の言動に問題があり、いつもの前述のパターンとは構造や力学も異なるものではある。しかしこの状況がロッキード以降日本社会がたどってきた政治の非論理化・幼稚化・集団ヒステリーリンチ化に汚染された社会土壌の上に咲いたくだらない迷惑な花であることには違いはない。

 私は法律というものは広く通用している社会慣習を基準にして解釈すべきだと思うし、破廉恥罪ではない些細なルール違反で政治が大きな影響を受けるような状況は好ましくないと思う。日本人は新しい時代がどうのという前にロッキードの頃にさかのぼって反省する点がたくさんあると思うのだが。(以下略)






(私論.私見)