新証言続々

 更新日/2021(平成31→5.1栄和元/栄和3).2.17日

角栄無罪論の新証言考 れんだいこ 2004/07/17
 木村喜助「田中角栄の真実」に続いて、小山健一氏の「私だけが知っている『田中角栄無罪論』」が出た。小山氏は、本書の中で重要な新証言をしている。概要「関係者が生きているうちにどうしても言い残しておきたかった」との思いで「ロッキード事件における田中氏は潔白であり、無罪であり、立派である。事件も逮捕も間違いだった」ことを主張している。その中のハイライト部分を書き付けておく。

1972(昭和47).10.24日の「田中-若狭会談」において、検察の論告文では、角栄が総理大臣としての権限利用によるロッキード社機購入を要請したとされているが、小山氏は、有り得ないことで、田中からそういう要請は無されず、若狭氏が一方的にロッキード社のトライスター機を購入したことの正当性を説明した会談であったに過ぎない、と云う。

 小山氏は何ゆえそういう言い切れるのか。それは、1972(昭和47).10.27日、小山氏が、三井物産の水上会長の意向を受け、全日空社長・若狭得治氏と約1時間半にわたる長電話をしており、その時の若狭氏の会話内容から判断できる、と云う。ちなみに小山氏と若狭氏は元運輸省仲間であり、誼の通ずる間柄とのことである。

 この時、若狭氏は、ロッキード社機購入の正当性を滔々と述べた。要約すれば、全日空の丸紅経由のロッキード社からのトライスター機購入は、純然として性能問題であった。三井物産が代理店のダグラス社のDC10は事故・故障が多すぎ買える状況でなかった。日商岩井が代理店のボーイング社のジャンボは、大きすぎて使えなかった。そういうわけで、技術的見地、安全性的見地からしてロッキード社のトライスター機を選択せざるを得なかった、というものであった。

 10.30日、全日空取締役会で、ロッキード社のトライスター機購入が決定された。小山氏は、この経緯を知るが故に、「角栄氏の航空機商戦肩入れによる5億円献金」は有り得ないこと、と述べている。

 第一審判決後の1982(昭和57).10.31日、小山氏は元興業銀行会長・中山素平と二人で田中事務所へ出向き、上記の件で証言できると伝えた。田中はこれを喜び、概要「君の証言によって真実が明らかになる。私はうれしい、ありがとう」と述べている。

 しかし、小山氏が証言台に立つことは無かった。担当裁判長が死亡し、1年後に再開された後も声がかからなかった。代わりに三菱重工の河野社長が証人出廷した。小山氏がなぜ証人出廷に呼ばれなかったのか、今も謎である、と云う。

 その他、P3C(対潜哨戒機)の方が胡散臭い。児玉-中曽根ラインの線が胡散臭い。コーチャンの嘱託尋問には問題がある。角栄逮捕二日目の産経新聞による「田中角栄、5億円受領認む」なる一面白抜きのデカデカ見出し記事は捏造であり、新聞社責任が問われるべし等々言及している。

さて、れんだいこが締める。今や世は、中曽根-小泉系の売国奴的タカ派政治に食傷しつつある。俄然、池田-角栄-大平政治の質の高さが見直されていくことになるであろう。この時、角栄を評する基準において、「5億円ぐらいのことで角栄を落としこめるのは国家的損失である。それ以上の政治をしたのが角栄である」論によりニュー角栄待望論が生まれる可能性がある。

 しかし、事はもっと深刻なのだ。角栄は断じて5億円授受していない。れっきとした冤罪で落とし込められ、政界から追放された。この観点から見直されるべきなのだ。角栄擁護論にも二系譜ある。れんだいこは後者の観点に立つ。

 ところで、角栄政界追放を急進主義的非妥協的に促進したのが、自民党内における旧福田、中曽根のタカ派ラインであり、野党では宮顕-不破系日共であり、定見を持たない社会党、労組運動であった。連中は、御用提灯ぶら下げての目白邸包囲なる胸糞の悪い悪行さえしている。

 それらのことを思えば、何としてでも角栄冤罪の無念を晴らさねばなるまい。日本の政治改革の第一番の関所は、角栄追討に向かった御仁たちの自己批判から始めることではなかろうか。れんだいこは、ここのケジメをしないような政治改革では何事も覚束ないと見る。

 ロッキード事件以降、我が国の政治が変調に陥り、遂にウルトラタワケの小泉政権を許していることを思えば。何としてでも角栄を復権させねばならない。れんだいこは痛切にそう思っている。とにかくあの辺りからおかしくなっている以上せめて禊せねばなるまい。

 2004.7.17日 れんだいこ拝

 2チャンネルの田中角栄スレッドに次のような反論が載っ
ていたので転載し、反論しておく。原文は次の通り。
888 :名無しさん@3周年:05/01/09 ID:/EVsAU+v
>>872kakuei/rokiido
_shinsyogenco.htm

やれやれ、何かと思ったらこの程度のことか・・・。
収賄罪の成立要件知ってるだろ?請託と賄賂の授受だけで十分なんだよ。田中が別に全日空に対してなんらアクションを起こさなくたって受託収賄罪は成立してしまうんだよ。「アクション有」というのは「補強証拠」になるだけ。 小山氏が「田中-若狭会談」の内容をどう証言しようとカンケーないのよ。 しかもこのページ、角栄が起訴されている丸紅ルートと起訴されていない全日空ルートをごっちゃにしているようですな。
 上記一文を投稿した「EVsAU+v」なるものは、れんだいこの「新証言続々」を批判せんが為に、無茶苦茶なことを云っている。
「やれやれ、何かと思ったらこの程度のことか・・・」と云う傲慢
不遜な物言いからして、かなりの知識者であるようだ。

 その自称知識者が、「収賄罪の成立要件知ってるだろ?請託と賄賂の授受だけで十分なんだよ」と薀蓄をひけらかす。では、れんだいこがお聞きする。「請託と賄賂の授受だけで十分」と云うが、それをどうやって立件するんだよ。当人同士が認めている場合はともかく、双方があるいは片方が否定した場合、ではどうなるんだ。結局、傍証も含めて因果関係を立証して行かねば判断できないだろうが。それがいらないとはとほほの法理論だな。

 「田中が別に全日空に対してなんらアクションを起こさなくたって受託収賄罪は成立してしまうんだよ」つうのは恐ろしい法匪ぶりだな。君の手にかかったら、何人も収賄罪で捕まってしまうだろうな。捕まえる側の者には感じないだろうが、捕まえられる側の身にもなってみぃや。

 「小山氏が『田中-若狭会談』の内容をどう証言しようとカンケーないのよ」となると極めつけだな。「始めに判決有りき」を地で行く暴言だな。お白州時代の裁判でもそうはひどくなかったと思うよ。

 「しかもこのページ、角栄が起訴されている丸紅ルートと起訴されていない全日空ルートをごっちゃにしているようですな」というのも薀蓄語りであるが、ならば少し教えてくれんか。どこがごっちゃになっているのか、聞かせてみてくれや。恐らく、この手合いが角栄を葬り、未だ悪乗りしているんだな。何となく臭うものがある。

 2005.1.10日 れんだいこ拝

 「★阿修羅♪ > 国際30」の「赤かぶ 日時 2021 年 3 月 09 日」投稿「私的権力、政府機関、ファシスト、カルト集団、そして犯罪組織(櫻井ジャーナル)」。
  私的権力、政府機関、ファシスト、カルト集団、そして犯罪組織
 https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103
080000/

 2021.03.09 櫻井ジャーナル

 日本に限らないが、犯罪が強く疑われていても警察、検察、あるいは国税が動かないというケースはある。広告会社、広域暴力団、芸能事務所、警察、マスコミなどが結びついた犯罪システムの存在が指摘されているが、ここにもメスは入らない。

 そうしたことは、個人的な犯罪でも見られる。前後不覚の状態になっている女性をホテルの一室へ連れ込み、性的行為に及んだ自称ジャーナリストも不問に付された。連れ込む様子をタクシーの運転手が証言しているほか、監視カメラにも映像が記録されていた、つまり証人や証拠があったことから所轄の高輪警察署は逮捕状を取り、2015年6月8日に成田空港でアメリカから帰国する男を逮捕しようとしたのだが、実行されていない。

 デイリー新潮によると、その日、担当の警部補とその上司を含めた複数の警察官が成田空港で被疑者となる人物を逮捕すべく待ち構えていたのだが、上層部から「逮捕は取りやめ!」と命令されたという。逮捕させないと「判断」したのは警視庁刑事部長だった中村格。この人物は2012年12月から菅義偉内閣官房長官の秘書官を務めた人物だ。(​​、下​​)

 広域暴力団と政府機関との関係も指摘されてきた。そもそも広域暴力団、いわゆるヤクザが出現するのは第2次世界大戦の後である。博徒やテキ屋の集団は存在したが、広域暴力団はなかったのだ。そうした集団が出現する切っ掛けは、1951年に法務総裁を務
めていた木村篤太郎の「反共抜刀隊」構想だ。この構想は実現しなかったが、博徒やテキ屋は組織化されている。

 この構想が出てきた背景には、1950年6月から始まった朝鮮戦争がある。左翼勢力を押さえ込むための暴力集団を作っておきたかったわけである。1949年の国鉄を舞台とした3つの怪事件で労働組合をはじめとする左翼勢力は大きなダメージを受けたが、弱体化したとはいうものの、十分とは考えていなかったのだろう。

 戦争では兵站が重要な意味を持つ。朝鮮戦争を含む東アジアでの軍事作戦で日本は軍事物資補給や整備などの拠点になる。物流が止まることは許されない。

 当時の物流は海運が中心。港でストライキが起こることは防がなければならない。そして1952年に創設されたのが「港湾荷役協議会」だ。会長に就任したのは山口組の田岡一雄組長。その後、山口組が神戸港の荷役を管理することになり、東の重要港である横浜港を担当することになったのが藤木企業の藤木幸太郎だ。

 溝口敦が書いた『山口組ドキュメント 山口組五代目』にはこんなことが書かれている:「山口組vs一和会抗争には終始警察の影がちらついた。一和会との分裂からして警察の策したものであった。」「竹中正久が射殺された吹田の『GSハイム第二江坂』の所在について、当初大阪府警は寝耳に水、竹中の愛人が住み、竹中が通っているとは、と驚いて見せたが、何のことはない、84年6月には地元吹田署が探知、府警本部に情報をあげていたと、「ヒットマン裁判」で担当の巡査部長が証言した。」

 溝口は「山口組最高幹部」の次のような話も紹介している:「関東勢は警察と深いらしいですわ。われわれ、警視庁の17階に何があるか知らしまへんけど、よく行くというてました。月に1回くらいは刑事部長や4課長と会ういうようなこと大っぴらに言いますな」

 竹中は1985年1月に殺されているが、その当時、山口組の内部で路線の対立が生じていたと言われている。警察、あるいは表の権力システムとの関係をどうするかということである。竹中はあくまでも一線を画するという立場だったが、組の中には違う考え方をする
人もいたようだ。

 世界的に見ると、犯罪組織は表の権力者と結びついていることが珍しくない。アメリカの情報機関はナチスの残党、カルト、そして犯罪組織を手先として利用してきた。

 例えば、海軍の情報機関ONI(対諜報部)はユダヤ系ギャングのメイヤー・ランスキーを介してイタリア系犯罪組織のラッキー・ルチアーノに接触、その紹介でシチリア島に君臨していた大ボスのカロージェロ・ビッツィーニと手を組んでいる。アメリカ軍とイギリス軍は1943年7月にシチリア島へ上陸しているが、その準備のためだった。米英軍はシチリア島上陸作戦を急いでいたのだが、これはすでに第2次世界大戦は決着がついていたからだ。

 ドイツ軍は1941年6月、約90万人を西側に残し、約300万人を東へ向かわせた。バルバロッサ作戦だ。その前の月にはアドルフ・ヒトラーの忠実な部下だったルドルフ・ヘスが単身飛行機でスコットランドへ渡っている。兵力を東と西、半々にするのが常識的で、実際、ドイツ軍の幹部はそう提案したが、ヒトラーに退けられたと言われている。

 兵力を東へ集中したドイツ軍は1942年8月にスターリングラードの市内へ突入、ソ連を制圧するかに見えたのだが、11月になるとソ連軍が猛反撃を始める。ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。

 それを見て慌てたのがイギリスとアメリカ。両国は1943年5月にワシントンDCで会談、7月にシチリア島へ上陸することにしたのだ。この際にマフィアの手を借りたのは、コミュニスト対策だった。西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたのはレジスタンスだけと言える状態で、その主力がコミュニストだったのだ。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 スターリングラードの戦いでドイツ軍が劣勢になると、ドイツのSS(ナチ親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、スイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。当時、ダレスは戦時情報機関OSSのSIB(秘密情報部)を率いていた。

 1944年になるとドイツ陸軍参謀本部第12課(ソ連を担当)の課長を務めていたラインハルト・ゲーレン准将もダレスに接触している。1945年初頭にダレスはSSの高官だったカール・ウルフに隠れ家を提供、北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談も行われた。サンライズ作戦だ。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

 イギリスとアメリカの情報機関はレジスタンス対策としてジェドバラというゲリラ部隊を編成した。戦争が終わった後、この人脈はアメリカ軍の特殊部隊や情報機関の秘密工作部隊になるが、ヨーロッパでも秘密組織を作り上げた。

 1948年頃、その秘密組織を指揮していたのは「西側連合秘密委員会(CCWUまたはWUCC)」。北大西洋条約が締結されてNATOが登場するとその中へ入り込み、1951年からはCPC(秘密計画委員会)というラベルの下で活動するようになった。1957年にはCPCの下部組織としてACC(連合軍秘密委員会)が創設された。NATO加盟国はソ連軍の侵攻に備えるという名目で秘密部隊が編成されたが、そのネットワークを動かしていたのがACCだ。

 そうした秘密部隊の中でも特に有名な存在がイタリアのグラディオ。直接的にはイタリアの情報機関が指揮、1960年代から80年代にかけて極左を装って爆弾テロを繰り返し、クーデターも計画していた。

 また、議員、政党幹部、労働組合指導者、政府職員、聖職者などを監視、そこにはローマ教皇やイタリアの大統領も含まれ、住居に盗聴器が仕掛けられるケースもあった。1960年代には少なくとも15万7000のファイルが作成されている。(Philip Willan, “Puppetmast
er,” Constable, 1991)

 グラディオが実行したテロ活動のひとつがフォンタナ広場の国立農業銀行が爆破された事件。これを含む事件の容疑者として起訴されたひとりが日本へ逃げ込んでいる。デルフォ・ゾルジ(波元路伊)だ。この人物の問題は日本の国会でも取り上げられている。決算行政監視委員会で政府側の参考人になった人物によると、ゾルジは1973年にベニス地裁から武器および爆発物の不法所持で有罪判決を受けている情報があるという。(2000年4月20日、決算行政監視委員会第1分科会)

 ところが、そうした経歴の持ち主が1979年から日本で生活し、80年に日本人女性と結婚、89年には日本国籍を取得している。(Takaaki Ishikawa, "Zorzi got citizenship despite criminal past", Mainichi Daily News, June 2 2000)

 2000年4月14日に開かれた法務委員会で、法務省の細川清民事局長は日本国籍の取得に関して「申請から許可の間に1年を優に超える期間があった」と答弁しているのだが、イタリアのジャーナリストはゾルジが数カ月という異例の速さで日本国籍を取得したとしている。

 また外務省の東郷和彦欧亜局長は2000年3月30日にイタリア政府から正式の引き渡し請求があり、政府部内で検討中と発言しているのだが、結局ゾルジは引き渡されなかった。(2000年4月14日、法務委員会)

 日本国籍を取得してから6年後、東京のイタリア大使館でゾルジはイタリア国籍を回復させ、旅券を手にするのだが、1997年に国際指名手配されると旅券を大使館に返納してイタリア国籍を抹消している。つまり1995年から97年にかけて2重国籍だったことになりそうだが、法務省は日本国籍を取得した段階でイタリア国籍は失っているから問題ないとしている。つまり、自国の国籍を持たない人物にイタリア政府は自国の旅券を出したと日本の法務省は主張しているわけだ。

 2001年6月にミラノ地裁は1969年の事件でカルロ・マリア・マッジとカルロ・ロニョーニと同様、ゾルジに終身刑を言い渡し、日本のマスコミは彼を「テロリスト」と表現したのだが、それに反発したゾルジは裁判に訴える。

 その裁判を担当した東京地裁の和田剛久判事は2003年6月、マスコミに対して合計300万円を支払うように命じた。「1審で有罪判決が出ても、上級審で変更される可能性があり、実行犯または主犯格だとは認められない」と主張されている。正論ではあるが、日本の裁判報道でこうした原則はない。

 アメリカは各国の軍人や警官を集め、訓練している。検察とも関係は深い。NATOに限らず、配下の国の情報機関をアメリカの情報機関は監視と工作の道具として使っている。

 かつて日本には田中角栄という絶大な影響力を持つ政治家がいた。その田中が1976年7月に受託収賄などの容疑で逮捕されている。その前に田中の逮捕を田中本人に警告していたジャーナリストがいた。ごく限られたエリートが購読しているアメリカの定期刊行物を読む機会があり、その情報を知ったのだという。ジャーナリストの話を聞いた田中は、警察も検察も押さえているので大丈夫だと答えたというが、実際は逮捕されている。





(私論.私見)