鬼頭判事補履歴考 |
更新日/2017(平成29).5.8日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、鬼頭判事補の履歴を確認しておく。 2009.1.30日 れんだいこ拝 |
【事件登場前の履歴】 | |
「ウィキペディア鬼頭史郎の経歴」は次のように記している。
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【事件登場】 |
8.4日、京都地方裁判所判事補の鬼頭史郎が、布施健検事総長を騙って三木首相に対し架電し、三木首相は気づかずロッキード事件捜査に関する打ち合わせを続け、この時の会話の録音テープを報道関係者に公開するという珍妙な事件が発生した。事件のその後につき、10.22日の項で検証する。 10.22日、読売新聞が、京都地裁の鬼頭史郎判事補が、8.4日、布施検事総長の名を騙って三木首相に電話をかけ、三木首相は気づかず応答し続け、「中曽根幹事長逮捕に対する指揮権発動を要請する」という事件を引き起こし、この時の会話の録音テープを報道関係者に公開するという珍妙な事件をスクープした。一般解説では「ロッキード事件捜査に関する指揮権発動を求め、三木の事件への政治介入の言質を聞き出そうとした」とされているが、これでは何のことか分からない。会話の中身が公開されていないので真相が掴めない。 鬼頭は、報道関係者に対し取材源秘匿という職業倫理を盾に自分の名前を出さないように要求したが、報道関係者は布施を名乗る人物の声が鬼頭に酷似していたため、検事総長を騙った鬼頭自身が電話した謀略事件であることを突き止め、取材源を秘匿にしたまま報道することは謀略事件に加担することになるとして、取材源が鬼頭であることを公開した上で謀略事件として報道した。報道によって鬼頭は謀略事件の主役として世間に晒されることになった。 |
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この事件も胡散臭い。だいたい、現役の司法職にある者が、「布施検事総長の名を騙って三木首相に電話をかけ続け、三木首相が長時間話しこんだ」という。しかも、角栄の時には逆指揮権を発動した三木政権が、窮地に陥った中曽根幹事長救済の為に指揮権発動するという件に関して話し込んでいたという。これはスキャンダルであろう。このスキャンダルがさほど追求されないまま有耶無耶にされたが、当時のマスコミ人の見識が疑われよう。 |
【事件後の履歴】 |
10.23日、最高裁事務総局が、鬼頭判事補から事情聴取。同判事補は、記者会見して「電話の主は別人」と主張。 10.25日、最高裁裁判会議、ニセ電話事件の想起解明を確認。東京地検が、ニセ電話事件を「官名詐称」の軽犯罪法違反容疑で捜査開始。 10.26日、参院ロッキード特別委が、鬼頭判事補の証人喚問を決定。 10.27日、参院ロッキード特別委事務局が、東京都内のホテルで、同判事補に出頭要求書を手渡す。同判事補は、心身疲労を理由に出頭できないとの上申書を渡す。 11.12日、鬼頭は参議院で証人喚問されるも、刑事訴追のおそれを理由として宣誓を拒絶する。 1977.2.2日、鬼頭は、議院証言法違反で告発され裁判官弾劾裁判所(裁判長・荒船 清十郎)に訴追される。3.21日、不起訴処分となる。 3.23日、、弾劾裁判所が、鬼頭本人が出席しないまま罷免判決を下す。これにより法曹資格を失う。鬼頭はこの事件で官職詐称の罪で起訴もされ、拘留29日の有罪判決を受ける。 6月、鬼頭は、第111回参議院議員通常選挙に全国区から出馬したが落選。街頭演説の際、聴衆の一人から暴行を受けた。 1979年、映画「白昼の死角」(監督/村上透)に弁護士役で出演し話題を呼ぶ。 1984年、鬼頭は、法曹資格回復裁判を弾劾裁判所に請求。1985年、鬼頭は、法曹資格を回復する。 複数の弁護士会に対して弁護士登録を申請したが、入会を拒絶される。(未だ登録されていない)鬼頭は、弁護士登録を認めなかった日本弁護士連合会(日弁連)の裁決を取り消すよう訴訟を起こす。 2004.6月、鬼頭は、古屋弁護士会(後の愛知県弁護士会)に4回目の登録を申請したが、拒否された。審査請求を受けた日弁連は、「弁護士会の信用を害するおそれがある」と退けた。鬼頭は他にも日本弁理士会への登録申請を巡る記事でプライバシーを侵害されたとして、産経新聞社に400万円の損害賠償を求めた訴訟を起こしたが、1・2審とも敗訴した。 2005.6.25日、1審の東京高裁判決で、房村精一裁判長は、「原告による刑事事件が、風化したとは認められない」と述べ、請求を棄却した。更に鬼頭に対し「政治問題への執着など、従来から指摘された思考や行動様式を保持しており、変化は認められない」とも判示した。鬼頭は同様の訴訟を3回起こし、いずれも敗訴している。 |
(私論.私見)