稲葉法相の逆指揮権発動考 |
(最新見直し2008.4.12日)
【はじめに】 | ||
「稲葉法相の逆指揮権発動考」サイトを設けることにしたのは、「2チャンネルニュース議論・政治版」の「田中角栄パート2」の次の見解を眼にしたことによる。次のように述べられている。
この論者の三木論は別に検討するとして、ここでは稲葉法相の逆指揮権評を考究することにする。 稲葉法相の逆指揮権については、現代政治研究会の「田中角栄 その栄光と挫折」で次のように記されている。
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【稲葉修の履歴】(1909−1992) |
明治42年(1909)、代々村上内藤藩の藩医を勤めた稲葉家の九男一女の末っ子として村上市堀片に生まれた。村上本町小学校から旧制村上中学校に進み、五年生のとき同盟休校主導の責任を取り退学、翌年旧制山形高等学校に進んだが、ここでも集団カンニング事件の責任をかぶり退学するなど武勇伝を残した。その後、中央大学に進み、昭和11年法学部卒。大学院で憲法、行政学を研究し、15年には講師に、20年には教授となる。 昭和24年、衆議院に初当選以来、約40年間に渡り、国政の場にあって戦後日本の復興と郷土発展に尽くし、その功績により春の叙勲で勲一等旭日大褒賞を受賞した。47年47年の田中内閣成立で文部、49年の三木内閣で法務大臣を務め、51年に発覚したロッキード事件では、真相解明のため検察への政治介入を許さず、稲葉法相の名を全国に高めた。その後も政界の浄化、世界連邦の建設を政治目標に天下のご意見番として政治活動に情熱を傾けた。 21年に政界入りを決意し、24年に3回目の挑戦で初当選する。多芸な趣味人としても知られ、剣道七段、囲碁六段、無頼の釣り好きで「日本の水をきれいにする会」の会長も務めた。また熱烈な相撲ファンで、昭和48年以来日本相撲協会の横綱審議委員を務め、相撲界の発展に貢献した。 平成4年(1992)8月15日、肺炎による心不全の為逝去。故山に還り、村上市宝光寺に眠る。 |
三木内閣の組閣では、三木(武夫)さんの案が一つ入れ替わったんだ。最初の案は、法務大臣が坂田(道太)、防衛庁長官が稲葉(修)だった。 その案を僕たち三役に見せられた時、僕は「坂田君を防衛庁長官にして、法務大臣を稲葉君にしたらどうですか。稲葉君は弁護士だし、法務大臣の方が座りがいいですよ」と言った。中曽根(康弘)も同調した。それで稲葉法相、坂田防衛庁長官になった。坂田は人柄がいい。嫌われないから使われやすかった。 ところが、これが後にロッキード事件が発覚し、稲葉は因縁の法務大臣になってしまうんだ。田中(角栄)と同じ新潟県だった。逆に坂田からはえらく感謝された。「松野、君のおかげで助かった。法務大臣じゃなくてよかった」と。彼は田中シンパだった。法務大臣になっていたらノイローゼになったかもしれんね。しかし、その時点でロッキード事件が起こるなんて夢にも思わなかった。稲葉は年寄り、坂田は若い。腰の曲がった防衛庁長官じゃあ、観閲式なんかで様にならないからね。それで入れ替えを提案したんだ。 三木さんは首相になると、「まず自民党から身を正して、その姿を国民に示す」と言って政治資金規正法の改正案を打ち上げた。僕が選挙制度調査会長の時、出す側の法人献金は資本金に応じた献金額にしたんだけど、三木さんは受け取る側の量を制限したんだ。個人献金は五十万円以下、法人献金は百万円以下。それまで個人献金の制限はなかったんだよ。それを「清潔政治のため制限する」と言い出し上限を設けた。抱き合わせで公職選挙法の改正案も出した。 当然、党内は猛反発だ。「自民党がつぶれる。選挙はできない」とか、「政党政治が崩壊する」とか。小派閥出身の三木さんが生意気という雰囲気だったね。三木首相を裁定した椎名(悦三郎)が真っ先に批判していたよ。 それがロッキード事件の田中逮捕を機に一気に噴き出した。福田(赳夫)と大平(正芳)が組んで挙党協(挙党体制確立協議会)を旗揚げした。代表は保利(茂)さん。党内の三分の二を占める大勢力になった。こっちは三木派と中曽根派で三分の一。 それでも僕たち三役が頑張って、衆院は何とか通過させた。ところが、与野党が伯仲していた参院は、党内から造反組が出て予断を許さなかった。 2004年5月4日朝刊掲載
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(私論.私見)
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六月十二日、ロッキード事件で最初の逮捕者が出た。丸紅専務の大久保利春と全日空幹部三人である。これを嚆矢として丸紅・全日空関係者が次々と逮捕された。六月二十九日には、児玉誉士夫の秘書・太刀川恒夫が逮捕された。
稲葉法相の「これまで逮捕した連中は相撲にたとえれば十両か前頭十三、四枚目。これからどんどん好取組がみられますよ」という発言が新聞に載り、世論を沸かせた。
これに先立ち、五月十四日には衆議院で、五月十九日には参議院で、ロッキード事件調査特別委員会が発足した。衆議院ロ特委委員長には元法相の田中伊佐次が就任したが、これまた硬骨で鳴る人だけに、自民党内の制止をはねのけて野党の要求を呑み、灰色高官の名を公表した。
田中角栄、二階堂進、佐々木秀世、加藤六月、福永一臣の五名である。
「やはり角栄がいた」と世論は沸き立ち、野党は証人喚問を要求した。自民党内の“三木おろし”の動きは、再び活発化してきた。
七月二十七日、田中角栄前首相が逮捕された。直接容疑は外為法違反。“ピーナツ”
“ピーシズ”と呼ばれた五億円は、首相当時の田中角栄に渡ったことを、丸紅の桧山社長が自供したのだ。稲葉法相流に言うならば、一気に横綱逮捕である。 「他の政権なら指揮権発動だったかも知れない」 「三木・稲葉コンビはよくやった」という投書が各紙の投書欄を埋めた。
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当時東京地検判事補。今から約30年前、三木首相と稲葉法相によって「ロッキード事件」の徹底的解明がなされ、田中角栄前首相が起訴されると言う前代未聞の事件に発展し世間が騒々しかった頃、当時の吉永検事総長の名をかたって三木首相に対し指揮権発動(田中を不問にせよとの要請)をしたのがこの男。普段から行状芳しからず、それ以前も職権を濫用して共産党の宮本議長の個人ファイルの閲覧に及んだこともあったが、彼が何のためにこの明白に嘘と分かる電話をかけたのか、今だもってなぞである。この後彼は弾劾裁判に掛けられ判事を免職された。今はもう時効になって弁護士登録できるはずであるが、その形跡はなく、彼が今どこで何をやっているのか、丸で聞こえてこない。以下は私の推測だが、この電話は当時のロッキード事件を混乱させ、田中角栄を世間の目から覆い隠すためのおとりなのではなかったか。そして右翼との密約通り「役割」を果たした彼は生活に不自由せずどこかの外国で優雅な余生を送っているのではなかろうか。 |