ロッキード事件に登場するCIA人脈考

 (最新見直し2009.5.16日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ロッキード事件に登場するCIA人脈を確認しておく。


【宇治芳雄氏の「水本事件 現代の謀略を追う」の貴重情報】
 思いがけぬところから情報が入った。宇治芳雄氏の「水本事件 現代の謀略を追う」の185Pを転載しておく。
 さらに忘れてならないのは、キャノン機関は昭和22年に旧岩崎邸に設置されたが、以後、この機関には日高機関、矢板機関、柿の木機関、阪田機関、児玉機関が吸収され、中国、ソ連、北朝鮮への謀略工作と国内の労働運動や左翼に対する謀略が行われてきた。

 今回のロッキード事件で児玉誉士夫、福田太郎、鬼俊良らがCIAの機関員であったことが暴露されたが、(GHQの)GⅡ部長ウィロビーと福田太郎は昭和28年4月に東西南北社という出版社から『赤色スパイ団の全貌 ゾルゲ事件』を出している。著者がウィロビーで、訳者が福田太郎である。

 この福田太郎は、臨床尋問でロッキード事件の核心を喋り始めて間もなく肝硬変で急死し、前後して児玉邸にはアメリカ帰りのポルノ映画俳優、前野光保が、突っ込んでいる。諜報機関の根源は人的繫がりである。時の経過で、その関係はより発展しても、理由なくして断ち切ることは許されないものだろう。むしろ、利用価値がなくなったり諜報機関から離れることは、秘密保持のために生命の危機すらある、といっても過言ではあるまい。

 例えばかってCIAの機関員であった松本政喜氏は、CIAから足を洗おうとして、脅迫、嫌がらせ、さらには息子が変死体になるなど悲惨な目にあっている。(以下略)」。

【福田太郎】
 福田太郎氏は、児玉の巣鴨時代に知り合い、以降その通訳として寄り添ってきた。満州電電、GHQを経由して1948年、福田渉外事務所開設して独立する。「赤色スパイ団の全貌 ゾルゲ事件」(福田太郎訳、東西南北社刊、1953年初版)等がある。後にジャパン・パブリック・リレイション社長という肩書きを持つようになる。この時期のPR会社のトップはGHQ、外務省、満州に関係のある人物ばかりである。企業や団体の広報活動というのが 諜報の世界と親和性があるといういいサンプルである。児玉秘書の太刀川恒夫と並んで黒子役としてロッキード社と児玉との秘密代理人契約に立会い、その後の活動の一部始終に暗躍していた貴重な人物であった。コーチャンの著書「ロッキード売込み作戦」によれば、頼りがいのある相談相手であると高く評価されている。児玉との会談をセットしたのも福田氏であり、契約料の値上げを要求してきたのも福田氏を通じてであったことを明らかにしている。

 ロッキード事件発覚3日後の51.2.8日より児玉と同じく東京女子医大に入院した。2月末より5月末まで東京地検の取調べが続けられ、3.9日第三回目の取調べで、「児玉名義の領収書は全部本物だ。17億円は児玉に渡った。私がその授受に立ち会った」なる証言を供述している。

 福田氏はロッキード事件が明るみにされてから4ヵ月後の、1976(昭和51).6.9日、60歳目前に東京女子医大で急死している。死因は肝硬変。56.6.10日付け朝日新聞は、「捜査に大きな影響 福田氏の死 動揺隠せぬ東京地検」という見出しで報じている。

【鬼俊良】
 神奈川県湘南中学校から東亞同文書院を卒業したというだけで経歴も住所もわかっていない。宇治芳雄氏の「水本事件 現代の謀略を追う」によれば、CIAの機関員ということになる。しかし、そうなればそれで、何故ロッキード日本支社支配人になっていたのかと云う問題になる。不思議なことに、鬼氏がいつどのような形で死亡したのか情報が無い。ネット情報に出てこない。






(私論.私見)