れんだいこの朴正煕論

 (最新見直し2012.8.20日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、れんだいこの朴正煕論を記しておく。

 2012.8.17日 れんだいこ拝


れんだいこのカンテラ時評bP061 投稿者:れんだいこ 投稿日:2012年 8月20日

 れんだいこの朴正煕論

 何を思ったか、急に朴正煕を確認してみたくなった。恐らく、2012年夏に発生した現韓国大統領イ・ミョンバクの突如の日本挑発的行為、言辞に対して、却って閃くものがあったのだろう、それが朴正煕へと向かわせたものと思われる。

 左派圏の朴正煕論は、左派運動徹底弾圧の悪しき権力者でしかない。仮に善政があったとしても、かの暴力的弾圧の数々の所業に照らせば何をかいわんやの心境である。それはそれで良い。れんだいこもそのように思ってきた。しかしながら今やこう問わねばならない。

 韓国にとって何の善政もしておらず、軽はずみの行為、言辞で日韓関係の対立を煽っているイ・ミョンバクが何故に御身安泰で、恐らく今後も安泰として、朴正煕は逆に妻を殺され自身も暗殺されたのか。これは偶然か。朴大統領暗殺は単なる権力闘争の末の内部対立による粛清劇だったのか。そう考えるならそれはそれで構わない。れんだいこは違う見解を持っている故、席を分かちたい、そういうことである。

 れんだいこの朴正煕論サイトは、田中角栄サイトのロッキード事件の中に格納した。なぜなら、朴正煕の暗殺が田中角栄のロッキード事件による失脚とダブって見えるからである。恐らく、背後勢力が一緒なのではないかと推理している。しかしながら、これを論証することはかなり難しい。なぜなら、歴史の真実解明に役立つ情報は巧妙に検閲され秘せられているからである。これを掘り出すには別の霊能的知恵がいる。これを働かせれば追々と資料が集まって来る。それまで少々時間がかるだろうが。しかし、これは、意志あるところ必ずできる。これまでもそうやって田中角栄論、宮顕論、不破論、中山みき論、イエス論、その他その他数え切れない論考をものしてきており、それ故にできる。

 さしあたって確認しておきたいことはこういうことである。2012年ロンドオリンピックのメダル数に於いて、中国は金38、銀27、銅23の88個で金順位2位、総合でも2位。韓国は金13、銀8、銅7の28個で金順位5位、総合で9位。日本は金7、銀14、銅17の38個で金順位11位、総合で6位。中国は既に別格として、韓国の金順位5位、総合で9位は極めて優秀な成績である。して、韓国は何時からこういう世界大国の仲間入りするようになったのだろうか。現大統領がイ・ミョンバクだからイ・ミョンバクの有能政治の賜物と云うのは子供並み以下の見解であろうからして別の根拠を探らねばならない。

 ここに朴正煕が出て来る。

 朴正煕が1961年の「5・16軍事クーデター」で政権を取り、1979年の「10.26朴正煕暗殺事件」で死亡するまでの4期17年の朴政権治世下で今日の韓国の礎が作られたのではなかろうか。それまでの韓国は、朴正煕が政権を掌握した1961年時点での国民1人あたりの所得は一月あたり80ドルで世界最貧国圏に位置していた。しかし、朴正煕が暗殺された1979年には1620ドル、30年弱で国民所得を約20倍にまで跳ね上げるという「漢江の奇跡」を成し遂げていた。韓国と北朝鮮の国力は朴正煕時代に逆転した。ドングリの背比べの「韓国、台湾、シンガポール、フィリピン、インドネシア」の中から韓国が雄飛したことが分かる。これを可能にさせる基盤を朴政権が準備したなら、総合的に見れば善政と評すべきではなかろうか。

 この間の施策で特筆すべきは日韓国交回復であろう。1965.6.22日、日韓両国は、それぞれの国内に於ける激しい反対闘争の中、日韓基本条約を結び国交を回復した。日本は、当時の外貨準備高が18億ドルにも拘わらず韓国に対し無償3億米ドル、有償2億米ドルの資金提供と民間融資3億米ドルの経済協力支援を行った。これが「漢江の奇跡」と云われる驚異的な韓国の経済成長に繋がる。

 この日韓国交回復交渉過程を今日の政治水準との比較で評する時、まさに当事国だけで外交的解決をしていることに気づく。例えば北朝鮮との国交回復交渉を思えば良い。米国、中国の後ろ盾なしには為し得ない六者会談の席に引きずり込まれている。してみれば、この時、日韓両国政府の主体的な能力に於いて交渉に漕ぎつけ局面打開していることがもっと高く評価されるべきだろう。それにしても、当時の左翼の反対闘争は何だったのか。韓国の反対理由と日本の反対理由の歯車が合っていたのだろうか。単なる反対の為の反対の域を出ないものだったのではなかろうか。

 1970年代、日本は韓国より激しい勢いで正成長していた。その政治は田中角栄―大平正芳の戦後保守系ハト派と呼ばれる当時の自民党主流派(戦後保守本流と云われる)が牽引していた。その勢いは、日本が近い将来に米国に肩を並べ追い越すほどの「ツモローイズbP」を見せていた。要するに昇り竜の日本だった。

 れんだいこが推理するのに、朴正煕は、戦後日本の奇跡的な復興と高度経済成長、その政治の推進主体にしてドンの田中角栄の異能を崇敬していたのではなかろうか。そういう意味で日本の成功を徹底研究し、その秘密を解析した。その上で学ぶべきものにして短期的なものは速戦的に、長期的なものは練成的にとする策を講じたのではなかろうか。そういう意味で、当時の日韓関係は肝胆相照らす政治関係にあったと見立てたい。

 しかし、歴史は暗転する。日本の名宰相・田中角栄は、1976.2.4日、米国上院外交委員会の多国籍企業小委員会(「通称チャーチ委員会」)が開かれ、いわゆるロッキード事件が勃発したのを境に運命が急落させられる。7.27日、ロッキード事件に伴う容疑で逮捕される。以降、田中角栄は公判の身となり、政治の表舞台で采配する機会が失われた。他方、朴正煕の身辺もきな臭い。既に1974.8.15日、日本植民地統治から解放されたことを記念する光復節の祝賀行儀に参加していたところ、在日韓国人・文世光に銃撃を受け、朴正煕自身は無事だったものの夫人の陸英修が頭部を撃たれて死亡した(文世光事件、陸英修大統領夫人暗殺)。事件から5年後の1979.10.26日、 側近の韓国中央情報部(KCIA、現在の国家情報院)の金載圭部長に射殺された(亨年61歳)。こうして、「田中角栄と朴正煕の時代」は強制終了させられた。

 その後の日本と韓国は明暗が分かれる。日本は高度経済成長を終息させられ、低成長時代へと転換させられ、次第に喘ぎ始める。韓国は、衰退する日本を尻目に順調に正成長して行くことになった。韓国では日本が捨てた角栄式日本列島改造案を下敷きに韓国版列島改造案を敷設して行った。その果てに今日の隆盛があると見立てる歴史観が欲しい。こうしてみれば、その元一日を作った朴正煕時代が評価されねばならないのは自明ではなかろうか。

 但し、韓国の明日が安泰と云う訳ではない。近現代史は世界各地で紛争するように裏コントロールされている。今後は、かくして隆盛化に成功した韓国が極東アジアで紛争盟主として利用されることが十分に考えられる。国際競争的にみて日本は既に始末された。日本の代わりに登板してきた韓国が始末される日が近付きつつあると読む。この役を担う者こそ、その刺客として送り込まれてきたのがイ・ミョンバク政権ではないのか。歴史はかように生のドラマを実演しつつある故に興味深い。

 このように絵解きすれば逆の真が見えてくる。日本が、いったん捨てさせられた角栄式日本列島改造論を引き戻し現代型バージョンに焼き直すこと、韓国が奢り高ぶることなく朴正煕式韓国改造論に邁進し続けること、これこそが時代の課題であり発展の方程式である。これを逆に行おうとする者、アジアの平和ではなく紛争を作りだす者、その流れこそ日韓人民大衆の共同の敵にして現代国際金融資本の走狗なのではあるまいか。この解析スタンスは当然、中国にも台湾にも香港にも当てはまる図式である。





(私論.私見)