角栄の国民的人気、世論調査に見る角栄評価考

 更新日/2017(平成29).5.8日

Re:れんだいこのカンテラ時評その40 れんだいこ 2005/04/25
 【世論調査に見る田中角栄】

 読売が今頃何の顔(かんばせ)ありてか分からないが、2005.4.23日付で「日本の発展、最大の功労者は田中角栄氏…読売世論調査」なる記事を掲載している。同社は、何の必要があってかは分からないが、あらゆる記事に「読売新聞 無断転載禁止」なる注意書きをしているので、無用なトラブルを避けるため転載しない。
 (http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050423it12.htm)

 それによれば、調査は9、10の両日に実施。「戦後60年」に関する全国世論調査(面接方式)で、戦後日本の発展の功労者を聞いたところ、「トップは田中元首相で、ほぼ5人に1人がその名を挙げた。2位は吉田元首相、3位は佐藤栄作元首相で、ベスト3の顔ぶれは1994年調査と同じだった」、「多くの国民が“人間ブルドーザー”“ワンマン”との異名をとった田中角栄、吉田茂両元首相ら力強い指導者を、改めて高く評価していることがわかった」とある。

 さて、これから先の分析がれんだいこの本領である。以下、記す。

 確かその昔の日経新聞調査でも同じような結果が出ている。これを見て、ロッキード事件勃発から公判闘争渦中の角栄が選挙のたびに史上未曾有の高得票を獲得し続けたのに対し、当時の自称インテリ族が「新潟3区県民の政治意識の低さ」を嘲笑したように、「政治意識の低さ」を論(あげつら)うべきだろうか。お調子者の野坂昭如が、識者のそういう語りを真に受けて立候補し、恥を晒したことに対し残念無念と云うべきだろうか。

 れんだいこは違う。思えばマルクスが、ヘーゲル哲学を左派的に吸収しつつフォイエルバッハ的転回を経てヘーゲル哲学批判者となった時、概要「ヘーゲル哲学の弁証法は頭で逆立ちしているそれである。我は、人は足で大地に立ち頭脳で考えている本来の姿に戻し思索する。そのことにより弁証法をもっと生き生きとしたものにする」と述べた如く対せねばならないのではなかろうか。

 自称インテリ達はそのこましゃくれた貧相な頭脳で、角栄批判を得意にしてきた。しかし、語らざる大衆は物事の本質を極めて正確に把握し続けている。戦後憲法秩序の成果然り、角栄然り、池田然り、吉田も然り、マッカーサー然り。大衆生活に恩恵を与えた者を正確に見抜き評している。それを思えば、自称インテリ達の何と恩知らずの愚昧であることか。

 へなちょこ理論の付け刃で政治語り、語れば語るほどその先は無責任になり、破産の挙句急遽転向し、そうなると今度は一瀉千里で既成権力ににじり寄り、栄耀栄華の蜜の味に群がろうとする。そういう手合いが多すぎる。そういう手合いがまことしやかに説教垂れ始める。何とかならんかと思うが、それが現実だから仕方ない。

 最近の規制強化の流れも然りであろう。何か事あるたびに取り締まり強化をアジり、当局の怠慢を突く。その結果、何の整合性もなき法律網が被せられつつあり、日本社会は窒息寸前の域に達しつつある。今では、あなたの名前はと聞いただけで、個人情報だから答える必要はないというところまで進みつつある。これらを押し進める輩が決まって自称インテリ達である。

 頭の良さは如何に規制せざるべきかに心血注ぐところ、自称インテリ達はいとも安易にやれこれが足りない、あれも規制がない、法律がないのはそれだけ野蛮の証だとしてタコ足配線の如く規制を生み出していく。それでいて、当局は上のほうへ行けば行くほど無規制で無礼講三昧だと云うからあきれてしまう。

 例えて云えば、小泉の如く自分は何でも許され、「人生いろいろ」で罷り通る。その癖、政敵となったら途端に「説明責任がある」となじり始める。国家機密費は掴み放題、政治資金規正法は自身には適用されずの便利な法の中で安住し続けられる。しかし、反目の者がそれを真似したら大変だ。ムネオの如くなる。

 そう云えば、角栄の時もムネオの時も、何で日共はこういう時になると熱心に訴追し始めるのだろう。どこかしら機密情報が流れ込み、それを手にかざしながら弾劾する。する方は格好良いのだろうけど、それで票を掠め取れると思ったら大間違いだぞ。我々は、手にかざしたお前の情報の出所元を注意深く見ているのだぞ。

 おぅ定番のここへオチがきた。これ以上書いてもダラダラ長くなるだけだからお終いにする。結論として、れんだいこは次のように結んでおきたい。角栄政界追放に手を染めた御仁たちの自己批判なき政治活動を認めない。その挙句が中曽根然り、小泉然りの脛に傷持つ売国首相を登場させ、日本企業を売り渡し、そのたびに構造改革が進んでいる証拠などと称して万歳させ、超巨大累積債務国家へ駆け足させられているのではないのか。我が社会は、元一日からの出直しなしには再生できまい。

 2005.4.25日 れんだいこ拝

【角栄の国民的人気】
 過日、れんだいこは、「角栄の国民的人気」を知る機会を得た。とあるカラオケパブで、一人の中年のおじさんが、角栄の声音で政治論評する芸を見せてくれた。その人は、角栄の実際の言を声帯模写しているのではなく、それは当然できようが、今現在のトピックスな政治課題について角栄なら云いそうなことを角栄の声音で語ってくれるのだ。これは傑作だった。もう半年ほど前の僅か1時間ほどの出会いだったので、その芸を充分に堪能することはできなかったが、痛快事であった。

 今思うのに、こうやって角栄人気は巷で引き継がれ語り継がれているのではなかろうか。それは、角栄が愛すべき対象であったことを物語っているのではなかろうか。一体、歴代の首相の中で、このような語り継がれする者がいただろうか。中曽根を語り継ぐ者がいるだろうか。小泉然り。

 2005.5.24日 れんだいこ拝




(私論.私見)