角栄執筆「日本列島改造論序文」と「日本列島改造論結び」 |
(最新見直し2012.6.19日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、日本列島改造論の角栄自著部分である序文と結びを確認する。 2012.6.19日 れんだいこ拝 |
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れんだいこのカンテラ時評bP048 投稿者:れんだいこ 投稿日:2012年 6月21日 |
【日本列島改造論、角栄自著の「序文と結び」の噛み締め考】 我々は、角栄の日本列島改造論の「序文」及び「結び」から何を窺うべきか。短文ではあるが貴重なメッセージが託されていることを知ることができよう。読めば分かり、敢えて記すことでもないのだが確認しておく。 既に、「今より丁度40年前のことになる。1970年代の政治の香りを嗅ぐことができる。それは同時に、この時代の政治を捨てた、と云うか真逆の現在の政治に対する穏やかにして実は鋭い批判を含んでいる。これを共に味わおう」と記した。以下、これに付加する。 角栄時代、頻りに国民総生産(GNP:Gross National Product))論が云われた。高度経済成長の波に乗っており、昨年対比幾らの成長率云々と云うことが当たり前のように確認されていた。数字が強かった角栄が時代をリードしていたことによる「上向時代の特徴」だったのかも知れない。今、この作風はない。なぜか。それは、国民総生産が伸び悩んでおり、そのことを隠したいと云う思惑によってであるとしか考えられない。この一事を見ても、角栄時代が正々堂々オープンを常としていたのに対し、今は逆の姑息な時代になっていることが分かる。 次に、日本列島改造論の目的が、「民族の活力と日本経済のたくましい余力を日本列島の全域に向けて展開すること」を通じて、その為に「工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速自動車道の建設、情報通信網のネットワークの形成などをテコにして」、「ふるさと再生、都市と農村、表日本と裏日本の格差是正」を期すことにあると詠っている。続いて「開かれた国際経済社会のなかで、日本が平和に生き、国際協調の道を歩き続けられるかどうかは、国内の産業構造と地域構造の積極的な改革にかかっていると云えよう」と述べており、こうした日本の理想の国づくりこそが日本が国際的に生き延びる道だとしている。 1970年代までの日本は、この方向に沿って国家プロジェクトが策定され実にうまく機能していた。この時代の特徴は、滅多に注目されていないがマルクス&エンゲルス共著の「共産主義者の宣言」の「プロレタリアと共産主義者」の項の「過渡的10政策処方箋」をモデルとして日本式に焼き直して政策化されていた感がある。 (jinsei/marxismco/marxism_genriron_gensyo_sengen2_2.htm) 読まぬ者には分からないだろうし、読んでも不正確な訳文では分からないだろうし、正確な訳文でも理解能力がなければ分からないだろう。れんだいこが読めばそういうことになる。よって戦後日本は相当に社会主義的な国であったことになる。それも在地土着型の焼き直しマルクス主義と云う理想的な創造的適用であったと云うことになる。教育、医療、年金、雇用、最低限生活が保障されていたのは、こういう事情によると思えば良い。 この政治が、中曽根政権登場とともに始まる1980年代以降、解体され強制終了させられ、代わりに真逆の政治を指針せしめ、これを定向進化させて今日に至っている。こう読むのがれんだいこ史観である。今のところ仲間が見当らないので独眼流である。角栄政治時代が1960年代から70年代までの20年間であったのに対し、中曽根政治時代はその倍の期間の40年間を越えている。角栄政治を是とすれば、その真逆の政治をこれほど長く続けると国が壊れるのも至極当然と云うべきではなかろうか。 もとへ。「むすび」で、「私が列島改造に取組み、実現しようと願っているのは、失われ、破壊され、衰退しつつある日本人の“郷里”を全国的に再建し、私たちの社会に落着きと潤いを取戻す為である」と述べている。日本列島改造論は、都市集中型に傾斜した高度経済成長路線に対する角栄式手直しの処方箋であり行動計画である云う。 曰く、「こうして、地方も大都市も、ともに人間らしい生活が送れる状態につくりかえられてこそ、人々は自分の住む町や村に誇りを持ち、連帯と協調の地域社会を実現できる。日本中どこに住んでも、同じ便益と発展の可能性を見出す限り、人々の郷土愛は確乎たるものとして自らを支え、祖国・日本への限りない結びつきが育っていくに違いない」、「日本列島改造の仕事は、けわしく、困難である。しかし、私たちが今後とも平和国家として生き抜き、日本経済のたくましい成長力を活用して、福祉と成長が両立する経済運営を行う限り、この世紀の大業に必要な資金と方策は必ず見つけ出すことができる」。 この処方箋、行動計画は極めて唯物論的具体的である。即ち、ふるさと再生も、日本が平和国家として生き抜く道も、「日本経済のたくましい成長力を活用」してこそ可能であるとしている。これが「福祉と成長が両立する方途である」としている。その為の「経済運営」を指針させ、「この世紀の大業に必要な資金と方策は必ず見つけ出すことができる」としている。愛郷心、愛国心、お国の防衛も、この道を通じて自ずともたらされるものであり、この客体を無視して徒に掛け声だけして良しとするような観念的な作法は微塵もない。角栄後に登場する中曽根式大国責任論は、この対極のものであろう。 角栄は最後にこう述べている。「私は政治家として25年、均衡が取れた住みよい日本の実現を目指して微力を尽くしてきた。私は残る自分の人生を、この仕事の総仕上げに捧げたい。そして、日本じゅうの家庭に団らんの笑い声かあふれ、年寄りが安らぎの余生を送り、青年の目に希望の光が輝く社会をつくりあげたいと思う」。事実、角栄はその後首相になり、この言葉通りに首相職を全うした。角栄政治がもう少し長く続いておれば、北朝鮮ともロシアとも現下の中国との交易の如く発展を見せていただろう。中小零細企業も逞しく自負の強い発展を遂げ、地方都市も理想的な発展を続けていたであろう。これを惜しめ。今は全てか逆である。 角栄のその後は、ロッキード事件にお見舞いされ、周知の通りの結末を迎える。一体、誰が、このような非道を、正義ぶりながら画策したのか。ここでは述べないが、これを押し進めた末裔どもが現代政治を牛耳っている。ここに政治の貧困があると云うべきではなかろうか。 そういう角栄政治の花粉を鼻孔に吸った小沢どんが、唯一かの政治の薫陶を思い出しながらリーダーシップを発揮しており、今や最後の決戦に向かおうとしているやに見受けられる。実に歴史は面白いと云うべきではなかろうか。 2012.6.21日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)