角栄政治の対極としての中曽根政治との抗争考 |
更新日/2023(平成31.5.1栄和元/栄和5).7.3日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、角栄政治の対極としての中曽根政治との抗争考を確認しておく。 2006.4.29日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評918 | れんだいこ | 2011/04/19 |
【角栄政治と中曽根政治、福田政治との差異考その1】 2011.3.11日の三陸巨大震災、特に福島原発事故が、れんだいこに田中角栄と中曽根康弘の政治の質の違いを炙り出させた。ここで角栄政治、中曽根政治について再考しておく。爾来、田中角栄については「田中角栄論」、中曽根康弘については「中曽根康弘論」でそれぞれ考察している。サイトの分量の差は、対象人物の質の差を表象している。ここで、この両者の天敵性について確認しておくことにする。 その昔、「2チャンネル」の「政治版」の「田中角栄part4 」の「名無しさん@3周年」氏の2006.4.28日付け投稿で次のような記述が為されている。これを転載する。 「角栄は権力を掴み取ることにかけては天下一品だったが、持続させる力は皆無だった。 中曽根は理念のない風見鶏だが、権力というものを知り尽くし、様々な形で利用しながら掌握していく手法は天下一品だった。 角は早々とポシャってしまったが、最後に笑ったのは中曽根であった」。 これが、角栄と中曽根を評する世間一般の見方なのだろうか。この見立てをどう評すべきか。れんだいこは異見を持つ。この論者は、角栄の政治能力より中曽根のそれの方が優ると云いたいのだろうが事実はどうか。れんだいこ史観によれば角栄の方が数段勝り、中曽根などは風見鶏であちこちするぐらいしか態を為さなかった。 その関係がロッキード事件を境に逆転する。なぜ角栄が失脚し、中曽根がその後の政局を握ったのか。これには秘密の要因がある。その扉をあけると、角栄が現代世界を牛耳る国際金融資本ユダヤに終始距離を置き、中曽根が身も心もサインアップしていたことが分かる。為に角栄が罠を仕掛けられ、中曽根は如何なる窮地でも救われた。国際金融資本ユダヤは角栄を恐れるあまり失脚せしめた。中曽根は手駒に使うのに按配が良かったので利用され、褒美として大勲位の称号が与えられた。それだけのことである。 中曽根芸は小泉に踏襲された。中曽根はレーガンと「ロン―ヤス」日米関係を取り持ち、小泉はブッシュと親密な関係を結んだ。これが小泉の歴代3位長期政権の秘密である。決して政治能力の為せる技ではない。中曽根よりもなお忠実に政策忠勤したことによってである。中曽根と小泉は何度も窮地を救われている。そのたびに云いつけられた通りのお仕事を命ぜられ売国奴してきた。それだけのことである。そう読み取ればよいだけのことである。こう読まない「名無しさん@3周年」氏の「角栄の政治能力より中曽根のそれの方が優った」論は何と愚昧なのだろう もとへ。田中角栄と福田赳夫の因縁の対決をもって「角福戦争」が云われる。確かに政治手法を廻って相容れざるものがあったので、「角福戦争論」には根拠がある。しかし、両者はハトタカ混交に特質を持つ戦後自民党政治の良き理解と実践者として土俵を同じくしており、その意味で「角福戦争」とは、同じ土俵上での同志的紐帯下での佐藤派相続争いのような観があり壮絶な権力闘争になった。しかし、例えて云えば、角栄と中曽根の関係との比較で言えば「近くて遠い」関係ではなかったか。このことを、越山会の金庫番・佐藤昭子女史は、著書「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」の中で、「角栄の角福戦争論」として次のように語らせている。 「福田君と私が総裁の座を争うようになったのは、時の状況がそうさせたんで、好んで争ったわけではない。保守本流論からすれば、福田派と田中派は別な河の流れじゃないんだ」。 田中角栄と福田赳夫の関係は上述の如く受け取るべきだろう。政治観そのものを廻ってもっと本質的な意味でことごとく角栄政治と対立しているのは中曽根康弘のそれではなかろうか。両者は奇しくも同じ大正7年生まれ同士である。余計ながられんだいこの親父も大正7年生まれである。だから、れんだいこは彼らの息子の世代となる。二人の政治は何から何まで見事なほど対比的であり、共に首相まで上り詰めた時代の双壁である。歴史は時にこういう演出をする。 この「角栄対中曽根の深層での政治的対立問題」は是非とも明らかにしておかねばならないと考える。ボンクラマスコミの不明の見識、愚昧さは「角福戦争」のみ語り、角栄と中曽根は一見相通じているかの描き方を通説としている。「田中曽根政権」なる標語を生み出して得々としている。そういうジャーナリズムを見させられてきたが、それは表層しか見ない凡庸な見解であり、実は、角栄と中曽根は本質的に相いれないものであり、始終地下で暗闘していた。当然、側近取り巻きも然りである。 戦前の大東亜戦争時代の兵役の肩書からして違う。角栄は新潟県生まれの陸軍上等兵、中曽根は群馬県生まれの海軍主計中尉。中曽根が戦地に赴いたことはなく、実際には女衒のようなことをしていたらしい。ちなみに兵役時代の上等兵的下位の肩書の者で首相になったものは角栄だけである。これが戦後民主主義の為せる技であった。角栄こそは戦後民主主義が生んだ蓮華であった。こう視座を据えるべきであろう。 興味深いことに、両者の政治の始発からして次のように違う。角栄は、東京大空襲で焼かれた廃墟に佇み、深く戦後復興を思念し、得手とする土木建設から手始めし、その通りの政治家人生を全うした。これに比して、中曽根は、広島原爆を四国の高松から見て、これからは原子力の時代だと直感し、原子力利用を思念し、その通りの政治家人生を全うしている。両者は奇しくも1947(昭和22).4.25日の第23回総選挙で衆議院議員として初当選している。この時の同期に鈴木善幸も居る。 両者健在の頃は、断然角栄が圧倒していた。角栄が戦後保守系ハト派に在籍しつつ順調に出世階段を昇って行ったのに比して、中曽根はタカ派に在籍しつつ常に傍流の悲哀をこぼしていた。角栄隆盛時代にあっては、中曽根は「三角大福」の中にも入れず、その後塵を拝しつつ軽挙妄動を繰り返していたに過ぎない。角栄は「中曽根君」と呼び、格下扱いしていた。これが史実である。 2011.4.19日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評919 | れんだいこ | 2011/04/19 |
【角栄政治と中曽根政治、福田政治との差異考その2】 ところが、「ロッキード事件」以来風向きが変わる。角栄が捕縛される度合いに応じて中曽根の台頭が著しくなり、遂には中曽根の方が「田中君云々」なる傲慢不遜な謂いを為すようになった。角栄の生前中は貫目の違いで無理であったが、角栄が政治能力を失うや、こう発言するようになった。角栄全盛時代の史実は、中曽根は角栄の前では子ども扱いされる風見鶏に過ぎなかったと云うのに。 1980年代前半、鈴木政権の後を受けた中曽根政権の登場により恐ろしいことが始まった。中曽根は日米の反動権力と結託して、「大国的国際責任論」、「戦後の総決算」を標榜しつつ、それまで営々と積み上げてきた世界史上未曽有の奇跡的復興を遂げ、その後の高度経済成長政策も成功裏に推移しつつあった戦後構造の見直しに着手した。 これにより、角栄の日本列島改造論に基づく諸計画の解体シナリオに手を染めていった。「日本列島改造論」に対することごとくその否定に向った。これが、その後の日本経済失速の要因であると思われる。この解体計画が小泉政治に色濃く継承され、2011年現在は菅政治に引き継がれ今日に至っている。延々30年近くの解体事業のお陰で、今や気息えんえんとする日本に変わり果てている。 この経緯に対し、今なお角栄を悪く云う者多い。対極的に中曽根が誉めそやされ続けている。こやつら、この歴史観に漬ける薬が欲しいと思う。一体、角栄政治のどこがオカシイと云うのか。れんだいこがことごとく論破して見せよう。一体、中曽根政治のどこがヨロシイと云うのか。れんだいこがことごとく論破して見せよう。 こたびの福島原発事故により、いつ果てるともしれない危難が日本経済を直撃している。この政策を敷いた中曽根、1970年時点で早くも代替エネルギーをも視野に入れていた角栄。この両者の政治能力をそれとして評価する歴史論が、今ほど望まれていることはない。その起点に助する為にこの一文を捧げる。 締めくくりとして、「角栄、福田、中曽根の寸評逸話」を確認しておこう。評論家の赤塚行雄氏は、著書「田中角栄の実践心理術」の中で歴代の首相田中角栄、福田赳夫、中曽根康弘の3人を比較する次のような寸評逸話を伝えている。 「中曽根首相時代、ある自民党福田派の政治家が入院した。この政治家は日頃、角栄に対して批判的言動を繰り返していた。この政治家の入院を聞きつけて真っ先にお見舞いに訪れたのは、角栄だった。『国政のためにも、自民党のためにも、一日も早く治って、戻ってきてくれ』。角栄はそう云うと、ベッドに寝ている政治家の足元にそっと紙袋を差し込んだ。そしてそのまま帰った。中を開けたら紙袋の中に300万円が入っていた。 次に、派閥のボス福田が見舞いに訪れた。一通りのお見舞いの言葉を述べた後、ぎごちない様子で、白地の封筒を取り出し、『こういう時だ。何かと不自由するだろう。これはほんの心ばかりのものだが』と云って差し出した。しかし、あまりにぎこちない福田の様子に、病人の方が恐縮し、『先生、お気遣いなく。私のことなら大丈夫ですよ』と礼儀として遠慮の言葉を述べたところ、『そうか、それならいいんだが』と、ホッとした様子で封筒を仕舞い込んだ。 次に、中曽根がやってきた。一応の見舞いの挨拶を述べると、中曽根首相はおもむろに茶色の事務封筒を取り出して、『これ』と差し出した。病人は、福田のときに遠慮して貰い損ねたので、今度はその封筒を掴んだ。ところが、中曽根が、差し出したその封筒をなかなか放さない。お互いに封筒の端を握ったままの状態となった。『この政局の難局にあってはねぇ、君。政治家として心せねばならない要諦は云々』。中曽根はそう云いながらもなお封筒を放さない。封筒の端と端とを握り合ったまま『政治家たるもの、いついかなる時に於いても、初心に戻って己の云々』。遂に、病人の方が根負けして手離した」。 この逸話は三者の性格を見事に描いている点で面白い。と云うか傑作であろう。これに匹敵するのが戦国武将の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のホトトギス譚であろう。これを確認しておく。江戸時代に松浦静山(まつらせいざん)が随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書いた言葉とのことである。 「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」が信長、「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」が秀吉、「鳴かぬなら鳴くまで待とう」が家康。これになぞらえれば、「要らぬでも、まぁ取っておけよ茶封筒」が角栄、「そうか要らぬのか、ならば返して貰おう茶封筒」が福田、「渡す前、説教づくめのただでは渡さぬ茶封筒」が中曽根ということになろうか。 2011.4.19日 れんだいこ拝 |
【ロッキード事件の歴史的意味考】 | |
「ロッキード事件」は我が社会にどういう意味を持っていたのか。この観点から「ロッキード事件」が考察されることが少ない。れんだいこに見えてくるものは次の通りである。要するに、我が社会はこの事件を通じて「角栄的なるもの」から「中曽根的なるもの」へ一切委細が転換したのではないのか。この過程は革命でもなくクーデーターでもなく新種の政変として行われた。今から思えば、「ロッキード事件」から「ロッキード裁判」、「角栄の幽閉から死亡」へ至る過程は、「中曽根的なるもの」へ至る喧騒であり禊の儀式であった。 2005年現在、「中曽根的なるもの」を偉大と評する論調がある。それについて、れんだいこはかく応える。「中曽根的なるもの」は卑大であって偉大なものでは決してない、むしろその政治思想は陳腐にして幼稚なものでしかない。この本質が、現代世界を牛耳るネオ・シオニズムに取り込まれ、上手にあやされている。中曽根政治を語る場合、ネオ・シオニズムとの親和性において露出的な面が有り、それが現下の小泉政治の先駆けとなっている。 その意味で、「中曽根的なるもの」を語る意義が大きいというに過ぎない。この「語る意義」は、偉大なるが故のものではない。真に偉大であったのは「角栄的なるもの」であり、それが払拭されていった過程の歴史的意味が大きい故に、入れ替わるようにして台頭してきた「中曽根的なるもの」の考察の意義が大きいというに過ぎない。 「ロッキード事件以降の一連の政治史検証」は、この構図に於いて貴重なのだ。それは、「中曽根的なるもの」が権力を恣(ほしいまま)にし始めて以来の日本の変態的変質化が、その後の我が国家の崩壊の下地を準備せしめたことを確認することになるだろう。それがネオ・シオニズムの日本溶解政策と奇妙なまでに一致していることを明らかにすることになるだろう。 新野哲也氏は、著書「角栄なら日本をどう変えるか」の中で次のように述べている。
新野哲也氏の「角栄なら日本をどう変えるか」はロッキード事件の非道さを衝く好著となり得ている。日本政界の生態変化についても的確に表現している。が、肝心かなめの「角栄的なるもの」と「中曽根的なるもの」との相克史観が無い。「角栄VS中曽根」の構造解析を避け、福田、竹下、宮沢の小粒ぶりをなじる方向へすり替えている。故意か偶然か不明だが、その分値打ちを下げている。 2003.7.22日、12.23日再編修 れんだいこ拝 |
【戦後日本の失われた帝王学考】 | |
「縄文と古代文明を探求しよう!」の「日本の帝王学〜各時代における支配者層の教育とは?〜7、戦後日本の失われた帝王学〜」転載。
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【角栄、福田、中曽根の寸評逸話】 | |
赤塚行雄氏の「田中角栄の実践心理術」で、歴代の首相田中角栄、福田赳夫、中曽根康弘の3人を比較する寸評逸話がまことしやかに伝えられている。
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【角栄、中曽根の寸評逸話】 | |
2019/11/30付け田中良紹氏の「中曽根康弘と田中角栄―その裏面史」の興味深い下りを転載しておく。文中、田中角栄と中曽根康弘を比較する寸評逸話が面白い。
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【石塚狂ニ氏の中曽根政治批判】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中曽根ほど悪いやつはいないと思っていたら、同様の観点の方が居られた。「石塚狂ニ氏の中曽根政治批判」がそれである。これは歴史的文書たる資格があると思えるのでこのサイトの内容を以下転載しておく。逐次れんだいこコメントもつけておく。
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(私論.私見)