れんだいこの角栄評、なぜ今角栄論なのか

 更新日/2018(平成30).11.22日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ネット検索で出くわした近藤正高氏の 「人の評価は棺を蓋うて定まると言うが、田中角栄の場合、死後もなお評価は賛否両論、真っ二つに分かれたままだ」を愚考する。以下、れんだいこは、田中角栄の政治履歴を「昭和の大国主の命的偉業」と評する立場から論述しておく。

 ※田中角栄の生涯と業績について総論的に振り返ったもので、現在も入手しやすいものとしては、保阪正康の『田中角栄の昭和』(2010年)と早野透『田中角栄』(2012年)がある。いずれも長年、田中本人も含め多数の関係者の取材を行なってきた著者だけに、エピソードも豊富である。

 2008.3.23日 れんだいこ拝


【れんだいこの道路財源問題考】
 道路財源問題が浮上しており、与野党の政界、マスコミ、学会が一致して道路特定財源の一般財源化合唱し始めている。れんだいこは、この流れを臭いと思う。ここで、道路特定財源制導入に獅子奮迅の活躍をした角栄政治、それを否定せんとして躍起となっている現下の売国政治を際立たせ、角栄政治再考の一石を投じたい。 

 そもそも角栄政治をどう評するべきか。れんだいこは、サヨ的反角栄論は、その座標の根本から狂っていると考える。分かり易く云うと、角栄政治履歴を通覧すれば、角栄政治が左派系のものであることが分かる。総裁選前に発表した日本列島改造案は、戦後政治が辿り着いた「日本版共生主義者の宣言」とでも評し得るもので、世界史上待望の世界に誇れる在地主義土着型左派政治運動の鑑であり羅針盤足り得ていた。同書の理念、思想、指針、政策提言の数々は今日に於いても未だ瑞々しい。今日、この偉業が意図的に全く無視され否定されている。

 この角栄政治を支えていたのが田中派であり大平派であった。それは、戦後政治史上、吉田茂を開祖とし池田隼人に継承され、佐藤栄作を拘束していた戦後憲法秩序内での経済的発展、平和的国際貢献政治に基いていた。これを仮にハト派政治と云う。戦後憲法秩序をプレ社会主義とみなせば、護憲は即プレ社会主義になる。角栄政治はこの範疇のものであるから、プレ社会主義政治ということになる。

 これに対して、今日我々が目にしている政治は対極のものである。与野党共々が現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義に拝跪しており、各党派が目先を変え、いろいろ理屈をつけて御用聞きタカ派政治に精勤しているに過ぎない。角栄政治と比較してみて隔世の感がある。現下政治の貧困はここに真因がある。

 戦後日本に咲いた真実左派系政治に対して、最も執拗に立ち向かったのが誰あろう日共であった。なぜこういうことが起こるのか。それは、日共が1955年時の六全協で、戦後共産運動を指導した徳球−伊藤律系党中央を排斥し、戦前以来の稀代の国際金融資本帝国主義スパイグループ野坂−宮顕派に党中央占拠を許したことにある。以来、共産党は「日共」と呼ばれるのが相応しいエセ共産党に変質した。以来、「共産党」と云う看板を掛けつつ本質的に相応しからざる国際金融資本帝国主義の裏方からの御用聞きタカ派政治に精励している。人民大衆の「日共」に対する不快感はここに真因がある。

 この偽装派が、角栄的な本物の土着系左派政治の台頭に対して、金切り声を挙げながら敵対し、ロッキード事件が勃発するや角栄の政界追放に遮二無二突進した。れんだいこは、その道中で撒き散らした有害無益な反角栄論に注目する。この「左」からの水銀中毒論が政治を汚染し、今日まで至っていると認識している。我々は一刻も早くこれから抜け出す必要があるのに、未だ縛られている気がする。

 2008.3.23日 れんだいこ拝

【れんだいこの角栄評価視座】
 「角栄は、戦後日本の設計士、兼管理監督、兼有能な政治家。結論として、最も偉大な指導者である」。角栄讃美派からこう評されている。これは正しい。現代政治を学ぶ者は須らくこの角栄から学ばねばならない。あろうことか、現代政治は、その角栄を悪し様に云うことが正義であるかのような倒錯に浸っている。その種の評論家が五万とたむろしている。普通、これをボンクラと云う。

 角栄亡き後、娘の真紀子が角栄政治を継承した。角栄に及ぶべくもないが角栄の薫陶を身近で受けた稀有の士である。現代政治は、角栄憎けりゃ真紀子まで憎いとばかりに真紀子を悪し様に言えば言うほど正義であるかのような倒錯が幅を利かせている。どこからこういう変態思考が発生しているのだろうか。その仕掛けを問わなければならない。

 宮顕−不破系日共党中央の「左からの長年の洗脳政策」を見て取ることは容易であるが、それに好んで冒され続ける方にも責任があろう。お粗末なサヨイストが正義清潔ぶることが左派であるかのような幻影に囚われ、自ら好んで被れているように見える。れんだいこの畢生の著作集を読めばこの迷妄から抜け出せられるはずであるが、頭から拒否して読もうとしない。従って漬ける薬がない。たとえ話をしておこう。自らが曲がった者が立ち木を見て曲がっていると判断し、何やら剪定作業に忙しくしている滑稽譚を思い廻らせば良い。必要なことは、手前の曲がりを治すことであり、決して立ち木のせいにしてはいけないふふふ。

 もう一つの観点を添えておく。角栄は史上稀に見る土着派革命家であった。この観点が共有される時代は来るだろうか。この観点の慧眼が評価される時が来るだろうか。そのような時代を持ちたい、そういう時節を迎えたい。この観点は、我がサイトで為し得た如くの宮顕論をものしたれんだいこならではのものかも知れない。あぁだがしかし我が社会は、はすっ葉な見解を悦ぶ。愚にもつかない商品の如くなコメントを次から次へと生産し費消している。

 しかし世の中は捨てたものでもなかろう。角栄さん、あなたの哀しみが分かる人間がここに一人居る。一人居るということは他にも生まれるということだ。いずれ寿命のある身、我らはそこで一堂に会して飲み直そうではないか。


 
我が社会の閉塞をつらつら眺めるに、今角栄を語ることがもっとも望まれている。戦後の良き時代は、吉田茂を開祖とする池田隼人―(佐藤)ー田中角栄―大平正芳ー鈴木善幸ラインのハト派が指導したことによりもたらされた時代であった。今思うに、この系譜は真性ハト派であった。中曽根が政権に登場してきた80年代以降、彼らが営々と敷設してきた戦後独特の日本システムを、内から外から壊すことに興じて今日まで至っている。

 戦後日本に生まれた史上最良の統治システムは今や急速且つ完全に崩壊過程に入った。このことを自覚する少数の者が居たとしても、為す術を持つ人士が政界からも財界からも出てこない。世の喧騒は反動的破壊狂を崇め追従する音頭ばかりである。

 2002年現在、我が社会のこういう構図こあって、れんだいこは、「船頭なき日本は何処へ向かうのだろうか」と自問している。改めて、「角栄問題」が、諸々の政治・社会情勢のある種矛盾の結節点に位置していることを強く思う。加えて、「角栄問題」ほど全ての矛盾が凝縮した格好例はなかったとも思う。


 
角栄さんよ、あなたはよく耐えた。被イジメの総本山にも位置しているとも思う。しかしやはり過重イジメはあなたをむしばんだ。オールドパー飲み続けなければやりきれなかったであろうよ。私は、これまで我がサイトで、「宮顕リンチ事件」、「新日和見主義事件」、「徳球党運動の復権」を手がけてきた。しかし、「角栄問題」はこれらの全てに増して事件の深層が深い。つまりやり甲斐があるということである。

 
だがしかし、角栄追放過程を検証し、その非を露見させることは今なお危険なことでもある。そういう理由によってでもあると思われるが、封印され続けている。このたび私が開封に向かう。なぜなら、もっとも相応しいポジションにいるからである。相応しいポジションとは、失う何ものも持っていないということと、年齢的にも「人生50年」を一応越してもはや我が人生に悔いがないことと、やはりある種の観点がいる等々による。私はその絶好の立場に位置した稀有な人士であることを今自覚している。というわけで、そうれっ!行ってみよう。

 2004.2.8日、2006.3.12日再編集 れんだいこ拝

【角栄論の共同研究の為に】
 れんだいこは、角栄論の共同研究の為にユニークな作業を試みようと思う。いわば共同作業で、どんどん内容を深めていきたいと思っている。その為にいよいよ「角栄研究掲示板」を用意した。それぞれの投稿文の中から、一応私のフィルターを通じて取り込みしていきたいと思う。ぜひ、ご協力を! 

 最新ニュースとして、「諸君」(2001年2月号)で田原総一朗氏による「田中角栄は『無罪』だった!」論文が掲載された。連続掲載のようである。新資料が大胆に放出されることになると思われる。本サイトはこれを同時追跡していきたいと思う。と思ったら、田原論文は尻切れトンボ。この御仁の日和見主義は根っからのもので、れんだいこは相手にしない。

 「新潮45」(2001.4月号)の天野論文は、国会喚問時の児玉病床監禁の様子を証言し、極めて価値の高いものであったが、連載とあるのに5月号には載っていない。角栄事件にはこういうことが多いので覚悟しているが、それにしてもなぁこう白昼のメディア・レイプを見せ付けられると気持ちが悪い。代わりに田中真紀子が外務大臣になったので退屈はしない。それにしても、田中真紀子の閣僚復活の史的重さを伝えるメディアはどこもない。つまり、メディアは既に歴史を批評できなくなるほど死んでいるということになろう。

 追伸、田原論文はその後継続し2001.9月号に「使える男・角栄誕生」論文が掲載されており、次のように述べている。
 「読者からは、励ましの言葉とともに、もっと詳しくやって欲しいという要望も寄せられた。しかし、25年間私に重い課題として押しかかっていた、ロッキード裁判についての憤懣(ふんまん)を晴らすこと、そして田中角栄を『国民の敵』に仕立て上げた世論及びマスメディアの『正義』に対する異議申し立ては、済ませたつもりである」。

 れんだいこはパチパチパチとしておこう。とはいえ、この日和見御仁は、小泉を名宰相と囃している。そったら辻褄の合わない話があるものかは。この御仁は狂っている。

 2005.1.31日再編集 れんだいこ拝

【通説が俗説である場合に定説を覆す眼を持て】
 戦後最大の異能的傑出政治家・田中角栄を評する視座が、「ホロコースト問題」と類似していることに気づいた。今、インターネット媒体を通じて、「アウシュヴィッツ収容所でのユダヤ人大量毒ガス殺に象徴されるホロコースト神話」の虚構が剥がれつつある。「ホロコースト問題」は、戦後反戦平和運動の始発的論拠であり、それが覆されるとなると衝撃は大きい。しかし、例え効能ある運動であろうとも、間違った論拠にに基づく定説は訂正されねばならない。そして、新たな反戦平和運動の論拠を生み出さねばならない。

 しかし、定説を覆すことは容易ではない。同じような常識に「諸悪の元凶角栄論」がある。多くの識者が今なおしたり顔して「そもそも角栄が生み出したものであり、角栄が悪い」と結ぶ説話を説き続けている。この虚構も撃たねばならない。間違った定説に依拠した運動論は、先へ進めば進むほどぬかるみ道へ入り込むことになるから。

 本稿の眼目はここにある。ウソの定説を打破し、近似値的に正解であろう観点から物事を組み立て直す一里塚三里塚として角栄論を見据え、角栄の復権と同時に日本左派運動を自閉的自縛から解放せねばならない。この願いから以下れんだいこ観点を書き付け、世に問うことにする。

 2005.8.10日 れんだいこ拝

【角栄はルネサンス派のチャンピオン】
 田中角栄を研究して見えてきたことがある。「角栄あなたは300年に一人の逸材だ。知れば知るほどそう思う」。これに匹敵する慧眼実践士をを挙げるとすれば、「500年に一人の織田信長」か、「1000年に一人の中山みき」か、「150年に一人の坂本竜馬」か。いずれも歴史に大いなる意義を刻んだ人達である。これが分からない手合いが黄色い嘴で正義ぶって批判する。

 角栄の史上物語の圧巻は、日中国交交渉の際に為した「毛沢東、周恩来らとの秘密会談」であっただろう。この時の様子は、正確な意味ではまだ明かされていない。恐らく、国家百年の計を廻る談義が為された。しかも、同志的雰囲気の下で為されたのだ! !  何ゆえか。何を隠そう、角栄−大平連合は戦後日本の左派運動であったからだ。これに対する反論もあろう。だから修正しておく。事の本質の最も奥深いところで、という意味だ。

 これに気づいていたのは、敵もさるもので、国際金融資本シオニストグループの奥の院であった。当時のカバン持ち頭脳キッシンジャー辺りは的確に察知していた。あぁこの史実がどこまで理解されるだろうか。

 別の言葉で一言でいえば、角栄は「戦後日本が生んだコジモ・ディ・メディチ」であった。その能力も理想も栄光も悲劇も恐ろしく似ている。むしろ角栄はメディチ家が何代にも渡って培ったものを一代でやり遂げようとしただけに、より凄まじかったかも知れない。ニーチェはかく語っている。「狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である」。角栄はこの狂気によって葬られた、とれんだいこは考えている。

 コジモ・ディ・メディチで分からない人には次のように言い換えてみたい。角栄は「和製ルネサンスの育ての親」であった。イタリアは自らが生んだルネサンスの「正」の面を識別できず、近世に入って没落した。我が社会も角栄の「正」の面を引き継ぎ得ていない。そして没落するだろう。しかし、今気づいたことが良い。気づきさえすれば半ば解答されたも同然だから。

 2003.10.3日再編集 れんだいこ拝

【角栄は戦後憲法秩序の申し子】
 2003.4.1日現在、我が国の政界のみならず社会状況をつらつら眺めるのに、実に情けない。これを漠然と悲嘆するぐらいなら誰でもできる。れんだいこは、こうした状況がいつから生まれたのかの社会学的分析をせずには納得しない。状況には必ず原因があるとの認識があるから。

 では、今日のアノミー的状況はどこに淵源を持つか。いわゆる右翼系は、敗戦による欧米軍の進駐によって日本が骨抜きにされた。戦後憲法秩序なるものは欧米軍勝利の凱歌文であり、これを改正するに如かず、と云う。れんだいこはこの説を採らない。

 むしろ、戦後憲法秩序は、戦前権力の解体によってもたらされた史上稀なる蓮華国家の生成を指針させており極めて評価に値する。れんだいこはそう考えている。しかし、戦後憲法秩序は憲法その他の下位法による法文規制しか持たなかった故に、つまり蓮華国家の良さを更に引き出そうとする権力に支えられなかった故に、まさに歴史の波間に放り込まれた観があり、それは別の表現で云えば「深窓の令嬢の理想」でしかなかった。

 問題は、この令嬢はその後どう生き抜こうとしたのか、にこそある。れんだいこは思う。この令嬢は細くともしなやかな肢体を持ち、初心(うぶ)と云えども能力高く共同精神豊かでかなり生活力もあった。何より、目線が高く少々のことではへこたれなかった。しかしやがて波間に弄ばれ始め次第にやつれていった。

 この「やつれ」の画期を為すのがロッキード事件とその狂騒であった。この経過で令嬢は床に伏すようになった。その後次第に細り、今は植物人間的となっているにつき、れんだいこには涙が禁じえない。

 さて、れんだいこがここに「なぜ今角栄論なのか」を問うのは、この「やつれ」の前の生体変化を明確にし、令嬢がどこに異変を為したのかを見据え、それは同時に我々が失ったものでありそのことを喚起したい為である。

 2003.4.1日 れんだいこ拝

【角栄的なるものと中曽根的なるもの考】
 「深窓の令嬢のやつれ」と対比的にその後の我が社会を汚染し始めたのは「中曽根的なるもの」であった。まことに「ロッキード事件」とは、「角栄的なるもの」から「中曽根的なるもの」への転換だった。あれから二十有余年、「中曽根的なるもの」は次第に威力を増し、このところの我が政界は中曽根亜流ないしその同輩系の小泉政治へと続いている。ご意見番として中曽根御大が控え水戸のご老公を気取らせている。仮に石原都知事が浮上してきたとして、これも中曽根亜流でしかない。

 「中曽根的なるもの」の汚染は政界だけではない。財界も、官界も、学会も、マスコミ界もその直系ないし亜流を登用させ続けてきた。その結果として、共通して風見鶏、カンナクズ的ペラペラ饒舌、裏利権、国士気取りのその返し技でネオ・シオニズム思想に染まっている。

 本来なら、ハト派がこれに抗すべきだが、「ロッキード事件」及びその後を通じて真性ハト派は解体ないしは蟄居を余儀なくされた。後釜に座ったのは裏切り派の竹下・金丸ラインで、今日までヌエ的ハト派として命脈を保っている。橋龍はそのなれの果てである。

 このハト派は 「中曽根的なるもの」との野合によって立つ術しか持ち合わせていない。この連合により、かっての大平派が冷や飯を食わされつづけている。公家集団が招いた悲哀ではあるが。何せ、リーダー宮沢というのが何とも覇気のない日和見御仁であるからしてどうにもならない。

 それやこれやで、我が政界ひいては社会は沈没しつつある。最新情報では、隣国北朝鮮との国交回復でさえ、米国、中国の仲介を得ねば何一つ外交できないというテイタラクだ。これを奇異に思わない感性が蔓延している。れんだいこには一目瞭然だが、これほど国際社会から馬鹿にされる話はない、という当たり前の認識ができない。怖いことだが、それだけ立てている当の米国が「中曽根的なるもの」を全く馬鹿にしきっているという構図がある。にも拘わらず、ますますネオ・シオニズム姿勢を強めつつある我が社会よ、汝は憐れなり。

 2003.4.23日 れんだいこ拝

【日共宮顕の濁眼、毛沢東の慧眼考】
 もう一つ指摘しておく。「中曽根的なるもの」と妙に親和しているのが宮顕−不破系日共運動である。宮顕−不破系日共運動は、戦後政治の財産であった一時期戦後保守本流を形成したハト派叩きにこそ異常性を帯びつつ夢中になる。その結果、1980年代の中曽根政権以降、二人三脚でハト派解体政策が推し進められた。その成れの果てが現小泉政権の登場である。

 しかし、こうなると奇妙なことになる。宮顕−不破系日共運動の犯罪性は別サイトで考察するとして、角栄は何ゆえにそれほどまでに排斥されたのか。角栄とはそも何ものぞ、という疑問が湧かざるを得ない。今、日本左派運動の中で、これに答えうる者がいるだろうか。

 れんだいこは明言する。日共党中央が共産党という党名を持った党の指導部でありながら、本質反共主義なのと比較して、角栄政治は自民党という党名を持った政府与党の一時期の最高権力者でありながら、本質左翼主義者である、ことに起因している。つまり、宮顕−不破系日共運動は、悪貨が良貨を駆逐する理で角栄追討戦に乗り出したことになる。そしてそれを今日でも誇っている。この虚妄を撃たないと真実が見えてこない。れんだいこはそう思う。

 この見解に確信を持たせたのは、「毛沢東―角栄会談秘話、角栄の悲劇性予見」によってであった。この会談の全貌は堅く秘されており詳細の遣り取りは未だ明らかでない。しかし、はっきりしていることがある。毛沢東は、角栄に極めて親近感を覚えており、長年来求めてきた真の友に出会ったかの如くの喜びで迎えている事実である。その毛沢東は、戦後日共運動の最初期を指導した徳球とも相好を崩している。しかし、宮顕に対してはいつも手厳しく、野坂に対しては毛嫌いしていた言が伝えられている。その毛沢東が、角栄に対して同志的誼を見せているのだ。れんだいこが、角栄を左派的に観る根拠の一つとなっている。

 当然というべきか、ニセ派左翼の老舗・宮顕−不破系日共党中央は、この角栄政治に真っ向から追突し、あらゆる悪罵を投げつけてきた。未だにその言に操られて、れんだいこのこの指摘を得ても反発する者が多いだろう。この連中とは、左翼の原理原点を廻ってあくことなく闘争する以外にない。

 補足すれば、毛沢東が田中角栄に対する並々ならぬ関心を持ち続け、その後も角栄の動向に慈愛を注いでいた様子が「田中角栄と毛沢東」で明らかにされている。概要次のように記されている。
 概要「1976(昭和51).2.4日、突如ロッキード事件が発覚した。この時既に毛は最後の闘病の日々を送っていた。その後日本の政界は未曾有の政治危機に直面していくことになった。同年7月、毛は中国を訪れたタイのククリット首相に、『私が実際に会って褒めた人は、国に帰るとみな災難に遭っている』と云いながら、ウォーターゲート事件に巻き込まれたニクソンと金脈追及で辞任した田中角栄の名を挙げた」。

 もう一つのエピソードが次のように明かされている。
 概要「毛は最晩年まで身辺から書籍を離そうとしなかった。病床にあっても意識はまだはっきりしていた。身辺の看護を担当していた愛人の張玉鳳は、毛が選んだ本を朗読することが日課になっていた。では、毛が人生の最後に接した書籍は何であったか。諸説有るが、三木武夫であったという説がある」。

 これは何を示唆しているのか。読み解くのに、毛は、田中角栄逮捕となった日本のロッキード事件に並々ならぬ関心を持ち、角栄訴追の急先鋒を勤める政治家三木の分析に向かおうとしていたのではなかろうか。青木氏の言をそのまま借りれば、「毛は田中をロッキード事件で追い詰めている三木という政治家の経歴や思想からロッキード事件それ自体の政治的構造を推理したかったのだろうか」ということになる。これが死の前日のエピソードであり、毛は翌日の1976.9.9日に生涯を閉じている。

 2004.11.30日 れんだいこ拝

新野哲也氏のジャーナル精神に拍手を
 新野哲也氏の「角栄なら日本をどう変えるか」(光人社、2003.12.6日初版)が出版された。れんだいこと観点がほぼ一致しており興味深い(追々取り込む予定)。新野氏は次のように述べている。
 概要「マスコミ紙上で角栄見直し論ができないのは、マスコミや文化人が、角栄潰し=官僚クーデターの共犯者だったからである」。

 全く同感である。次のようにも云う。
 概要「角栄潰し後、アメリカから怒涛のように圧力が押し寄せてきた。案の定、日本は妥協に妥協を重ね、プラザ合意、バブル崩壊、日米構造協議、グローバりーゼーションとより深くアメリカの属国構造へ押し込まれて行く」。

 なるほどと思う。

 2003.12.11日 れんだいこ拝

【れんだいこの角栄礼賛】
 今日、「角さんみたいなリーダはいないのか」と渇望されている。角栄を廻っては、礼賛論と悪玉論の両極が飛び交っており、今日でも真価が定まらない。「毀誉褒貶の十字架に立たされた政治家」とはけだし名言であろう。

 秘書の早坂茂三氏は、角栄逝去に際して次のように評している。
 「頼りになるオヤジが家庭からいなくなったように、政界からもオヤジが消えた。角栄さんがー、というだけではない。力を持ち、信頼できる政治家が存在しないということだ。指導者に求められるのは洞察力、決断力、実行力と情熱。そしてそれを支える人脈や情報力、専門知識、経験、気配りなどの要素だ。角栄さんはその全てを備えていた」。

 元参議院議長河野謙三氏は、角栄を評して次のように語っている。

 概要「百年に一人、出現するかしないかの政治家である、よくも悪しくも、よく先の見える、決断の早い逸材だったよ。ロッキード事件がああなって、あまり誉めるのもどうかと思うが、百年に二百年に一人といった男だったと思うよ」(「議長一代」)。

 保利茂元自民党幹事長は、「福田赳夫、大平正芳が束になってもかないっこない。指導力、政治力、いろんな意味でね」。

 推理作家の松本清張氏は、「田中角栄は現代史まれに見るきょう雄である。政界にこんな『天才』が現れるのは、五十年に一度あるなしかだろう。『金権政治』という単純なパターンで彼を裁ききることは出来ない」。長年苦楽を共にしてきた早坂茂三氏は、「角栄は戦後政治そのものである。敗戦後、アメリカンデモクラシーの洪水から出てきた戦後も民主主義の申し子だ。角抜きでは戦後は語れない」、「戦後議会主義の申し子とも云うべき内実の体現型実践者」と絶賛している。れんだいこもまた、「百年に一人出るかどうかの傑物、異能、鬼才」と評して相違ないように思っている。

 この角栄評価には一つの際立った特徴がある。角栄と実際に接した者ほど高く評価し、その政治的距離が離れる者ほど評価を貶め、「土建屋政治」として一蹴する。ところが、庶民大衆次元に至ると再び角栄が評価されるという現象がある。そのことはともかく、いわゆる「ロッキード事件」によって、角栄及び「角栄的なるもの」が掃討されて以来、その空隙を埋めたのが官僚システムとマスコミであった。角栄失脚以降権力の座に踊り出たこの両権力が、今や驚くべきレベルに達している。

 それまで「官」より優位にあった「政」は、以降使い走りの役どころしか持たぬことになった。かって政治家の中には、志を持ち、ある種の思想家としても天下国家を論じる党人たちがいた。官僚出身の政治家もそれらの素養を要求された。この両者が混ざり合うことにより独特の政治家としての器量の幅を広げていった。私は、これが戦後保守政治に底流していた「正の面」であったと考える。「角栄的なるもの」追討劇は、戦後培われつつあったこうした「良き伝統」をもろくも流産させたのではなかったか。角栄追放以降の政界は、政治は官僚が行い、政治家は政争にうつつを抜かすという世紀末的風景を出来させ、今日加速させているのではなかろうか。

 これら両権力の権限の拡大と反対側の萎縮が以降敷かれたのが我が社会の流れである。しかし権力には腐敗が付きまとう。この体制が続く限り、この両権力からの無頼漢的横柄さと犯罪が今後も続くであろう。官僚システムの特徴とは、「方向舵と羅針盤を欠いた規則主義であり、『お役所仕事』と云われる遅滞手続き主義、前例踏襲主義、稟議稀れ認可主義、縄張りセクト主義、仲間内庇い主義、御身大事保身主義」等々を云う。今日その綻びは述べるまでもない、自堕落と不正権益は目に余る。

 問題はマスコミ権力に対する注意が払われていないことにある。角栄政界放逐以降、マスコミに対する強迫観念が生まれ、その結果建前ばかりの横行が際限なく進みつつある。このことを今ほど強く認識されねばならない時代はないように思われる。マスコミは本来商業主義であることからして、それを権力とみなす筋合いのものではない。しかるに、近時の傾向は、超然第四権力として民意とはなれたミスリードを大手を振って鼓吹しつつある。このマスコミ各紙の間に争論が為されず、ほぼ同一論調に終始しているのが問題だ。日本人的サガとしてそうなっているのか、操作されているのかまでは分からないが。

 我々が失ったもの−それを仮に「角栄的なるもの」と呼ぶと、何事にも本音でぶつかり、体を張って仕事に処する作法による切磋琢磨で、自他力共存共栄社会を創っていくという伝統の継承と創造ではなかったか。そこには、懸命に努力すれば報われるという庶民の儚き夢があったのではなかったか。ここに戦後の経済成長を支える「正」なる精神があったのではなかろうか。「角栄的なるもの」掃討劇は、それを喪失せしめたのではなかったか。角栄が我々のヒーローで有り得たのは、学歴を持たぬ者が一国の首相の座へ単に上り詰めたという立身出世ストーリーによってではない。氏が纏っていた庶民感覚への共感と、氏がその土壌に立脚して獅子奮迅の働きで類稀なる能力を発揮した故ではなかったか。

 世に角栄本があまたある。批判本もあれば擁護本もある。全てに目を通した訳ではないが、擁護本ですら微妙に私と認識が違う。このたび私は、それら諸本の中から資料を頂き、全て私の観点によるフィルターで再構成することにした。これが実像であるかどうかは諸賢の判断に任せたい。

 それにしても、見えてくることは、角栄が如何に戦後民主主義の原理を深く踏まえていたかという政治姿勢である。現在の政治、政党の姑息なあり方とは大きく違う実践の軌跡を遺している。角栄には、確かに「金権」という纏いついた宿あがある。しかし、何度も云うが、金権は普通選挙制度そのものに胚胎しているのではなかろうか。「金権」を要しない普通選挙制度が生まれれば理想であろうが、私には原理的に考えられない。かといってこの「負の側面」を過大視して普通選挙制度を退けようとしてはならない。戦後の社会が獲得した民衆政治の起点として、人類史が到達した現在的最高の政治制度として擁護せねばならないと考える。「金権」を論ずるにこの原理から為さねばならず、この観点からの角栄評価を為すことが識見というものだろうと思われる。


 2003.10.3日再編集 れんだいこ拝

(私論.私見) 戦後民主主義考

 戦後民主主義を、「戦後の社会が獲得した民衆政治の起点として、人類史が到達した現在的最高の政治制度として擁護せねばならないと考える」につき、2018年現在、疑問を覚えだしている。理念的にはそうなのだが、実際的にはいつの世に於いても建前標語でしかなかったのではなかろうか。「戦後民主主義」的なものは表層的なところでは取り入れられているが、統治の根幹的なところでは飾りに過ぎず、その時々の支配者の思惑通りに事が運んでいるのが実相で、「戦後民主主義」的なものは、それを隠すイチジクの葉に過ぎないのではなかろうか。「戦後民主主義」を、この観点から検証し直してみたいと思う。

 2018.11.22日 れんだいこ拝


【角栄を廻るれんだいこの遣り取り】
 2005.1.9日、れんだいこ主宰の「左往来人生学院」に次のレターが舞い込んだ。
ロッキード事件 ももんが 2005/01/09
 こんにちわ。はじめまして。ロッキード事件を調べるうちにここに来てしましました。れんだいこさんのロッキード事件に対する批判は、大変参考になりました。あの事件、裁判が今の日本の低落の原因になったと思います。本当に知れば知るほど変な事件ですね。2chを見ても立花ファンは、アメリカ関与を否定しています。日本人は、純粋で真面目なんでしょう。「秘密のファイル」って本を読んでもCIAの対日工作の凄さがわかるのに。体に気をつけ頑張ってください。

 れんだいこは次のレスを返した。
Re:ロッキード事件 れんだいこ 2005/01/10
 ももんがさんちわぁ。田中角栄、ロッキード事件に対して観点を正しく持つことが必要です。田中角栄は、戦後憲法秩序の普通選挙と議院内閣制と三権分立制度下で生まれた怪物です。金権パワーも角栄が元凶なのではなく、体制の仕組みがそれを要求しており、角栄はよほど賢明で、その威力を巧みに利用したと考えております。その角栄を否定することは、本質的に戦後憲法秩序の否定派にならざるを得ない。安上がりの正義感で角栄を元凶視しても何の解決にもならないのです。ここの意味合いを本当に分かっている方が何人居られるのかどうか。

>  2chを見ても立花ファンは、アメリカ関与を否定しています。日本人は、純粋で真面目なんでしょう。「秘密のファイル」って本を読んでもCIAの対日工作の凄さがわかるのに。

 立花とか猪瀬は、現代世界を牛耳っている米英ユ同盟の意向を嗅ぎ取り、それに提灯することで出世階段登っていった実にくだらない御用派の評論家です。この二人を提灯するその他大勢はこれまた実にくだらない単に口真似師達でせう。

> 体に気をつけ頑張ってください。

 有難うございます。補足して述べておきます。角栄失脚事件で問われたものは実に、米英ユ同盟から観て言いなりにならない日本支配層を掃討し、代わりに御用聞き派を権力に就かせることでした。結果、「角栄的なるもの」が放擲され、「中曽根的なるもの」が台頭しました。中曽根の本質はここにあります。小泉は、更にはしゃいで「小泉的なるもの」時代へ突破しようとしております。こうなると売国奴丸出しで自ら嬉々としてポチ化しております。小泉は頭が悪いだけ正直に暴露しております。考えようによれば、事態を早く分からせてくれており、反面教師として役に立ちます。

 憲法改正も、軍事費増大も、自衛隊の海外派兵もいずれ武闘参戦も、米英ユ同盟の言いつけであり、云われるままにシナリオ通りを歩んでおります。天文学的財政悪化を放置して、為すことといえば大衆課税強化であり、外資の手に企業を売り渡すことであり、これらを称して構造改革と嘯いております。一連の民営化の流れも臭いものがあります。

 しかし今年は揺り戻しの年となるでせう。なぜなら、バランス感覚が働き、「嘘まみれの洗脳コントロール」から目がさめる時節に至っているから。2チャンネルで角栄が問われていること自体がその前触れのような気がします。目指すべきは、既成党派に代わる暮らしと民族の行く末に責任を持つ生活党派の創出であり、米英ユ同盟的ワンワールド国際主義ではない多元的国際主義ではないでせうか。その共同戦線党派が登場すれば、やんやの喝采でカンパが集まるでせう。その為の共同テーブルが一刻も早く望まれている。主体形成を待ち焦がれている広範な人民大衆が居る。れんだいこはそのように思っております。

Re:れんだいこのカンテラ時評190 れんだいこ 2006/07/26
 【保阪正康氏の最新の角栄論考】

 明日の7.27日は、田中角栄が、ロッキード事件関連での5億円贈収賄を本旨としながらそれが立件できぬままチンケな外為法違反容疑で逮捕された歴史日である。1976(昭和51).7・27日のことであったから丁度30年になる。

 先日読売新聞がロッキード事件の参考記事を書いていたが、かっての田中角栄有罪連日キャンペーンをどうにかして今なお得心したい魂胆が見え見えのものでしかなかった。ナベツネ牛耳るメディアはこういう悪あがきしか出来ない。

 お蔭で、角栄と対極に位置する中曽根やら小泉やらが我が世の春を謳歌して、丸投げ日本づくりへ一瀉千里に向う時代になった。国家累積債務率は天文学的世界一位を記録更新中であり、更に米英ユ同盟へのお供え路線が進行中である。田中角栄有罪連日キャンペーンを張った連中には、胸のすくような良き時代なのだろう。

 こうした折の7.26日、共同通信社系の地元新聞にノンフィクション作家・保阪正康氏の「ロッキード事件『田中逮捕』30年 上」寄稿文が掲載された。その文意は、一からのロッキード事件見直し、角栄再評価の視点を見せているので、これと対話してみる。

 保坂氏は、ロッキード事件及び田中角栄逮捕について次のように述べている。
 「いわゆるロッキード事件として歴史年表に刻まれている元首相の逮捕は『戦後最大の疑獄事件』ともいわれている。三十年を経てあらためて振り返ってみると、この事件を機に日本の政治が大きく変わったことが分かってくる」。

 (れんだいこ見解)
 保坂氏が、かく認識し始めたことは大いに評価できる。れんだいこ史観によれば、ロッキード事件勃発及び角栄逮捕は、戦後の転換点になった。戦後ルネサンスの崩壊の狼煙となった。国際金融資本ユダヤの勝利の凱歌があがり、以降続々易々と日本攻略に向うことになった。これに歯止めをかける政治家は角栄を措いて他は出ず、角栄ー大平同盟は、御大角栄が掣肘されてからはじり貧に向うことになった。

 このことは、戦後支配階級内部の最大政争であったハト派とタカ派の抗争と協調というやじろべえ的日本的政治の在り方が、ロッキード事件によって崩され、同事件によってそれまでのハト派優位からタカ派優位への転換点となったことを意味する。そういう意味で、ロッキード事件は史的に重要な意味を持っている。保坂氏が、かく認識した上で述べているのかどうかは分からないが、格別の問題意識を持ち始めたことは評価される。(ちなみに、ここでいうハト派とは、商業新聞的見方ではなく、よって三木は入らない。彼は、穏和主義的タカ派である)

 保坂氏は、田中角栄を次のように評し始めている。
 「逮捕から三十年、私はこの政治家を昭和史の中に正確に位置づけるべきだと思う。これまで刊行された元首相を描いた評伝でもその試みは行われているが、ロッキード事件にだけとらわれないで彼を分析することが必要になってくる。私の見るところ、昭和前期を代表する政治家は軍人だった東条英機、昭和中期の占領期は外交官出身の吉田茂、そして昭和後期は田中角栄ではないかと思う。彼は戦後社会の経済優先、物量優先を代弁した政治家であり、庶民の欲望肥大と充足のメカニズムを政策の骨子とした初めての政治家でもある。

 同時に、田中元首相は日中国交回復を現実化した先駆的な政治家である。近代日本は対中国政策を誤ったが故に自己解体していくが、それを立て直したのは彼だと云う評価は、昭和史の中でもっと重きをなしてもいい。あらためて当時の日中交渉の内実を検証してみる時ではないか。

 保守政治家としての元首相は、復古的な右派や硬直化した官僚的発想とは一線を画している。むしろ唯物的な発想や言動を主軸にした現実主義者、無意識の社会主義者という言い方をしてもいいのではないか。農村共同体を少年期に脱して東京で財を成し、そして政治の世界に入ると、一転して自らの農村共同体を大切にする。そのような軌跡の中に『利』を中心とする都市空間と『情』の農村共同体が合体しての政治的構想が生まれている。それが日本列島改造論ではなかったかと私には思えるのだ」。

 (れんだいこ見解)
 保坂氏の上述の謂いは、氏の精一杯の角栄見直し擁護論なのだろう。れんだいこ史観からすれば、保坂氏の文章には依然としてロッキード5億円収賄を検察側視点に立って事実と受け入れている節が窺え、冤罪とする視点を持ち合わせていない点で不満である。但し、角栄の唯物弁証法的思想と実践、社会主義的政策に注目していることが評価される。れんだいこがそう云っても無視されるが、保坂氏が云えば注目されることになるだろう。

 但し、保坂氏は相変わらず高み発言している。角栄を「無意識の社会主義者」と云い為している。敢えて「無意識の」という無用の修飾をつけるところが嫌らしい。お前は何様なのだ、角栄が「無意識」であったかどうかどうやって確かめているのだ。そういう風に敢えて評価を落としこめているところが気に食わない。

 れんだいこ史観によれば、角栄ほど「共産主義者の宣言」を読修精通して、日本的在地主義的社会主義の道へ踏み込もうとしていた政治家は居ない。角栄の社会主義者振りが粗野であったかどうか、そう簡単に決め付けられることではない。そうはいうものの、保坂氏が、現時点で比較的に見て角栄再評価の第一線に立とうとしており、角栄社会主義者論まで視野に入れようとしていることは評価してもよいと思う。

 保坂氏は、田中角栄の見直しを求めて次のように述べている。
 「昭和史の中に彼の位置を定めた時、この政治指導者が日本人の情や感性を見事に捉えて具現化したとの評価も生まれてくるだろう。元首相がつくりあげた権力の二重構造や以後の政界汚職は、単に田中政治の負の遺産というだけでなく、戦後社会の弱点が浮き彫りになったということだ。その責任のすべてを田中元首相に押し付けるのは不自然との感がしてくる。それが三十年を経ての実感でもある」。

 (れんだいこ見解)
 保坂氏が、ロッキード事件喧騒の渦中でどのような態度をとっていたのか分からないが、立花式の「諸悪の元凶角栄論」に与していたのなら、自己批判抜きには上述のように語ってはいけない。当時より、検察司法の行き過ぎを咎め、事件の背後になにやら不気味な政治的陰謀を嗅ぎ取っていたのならもっと堂々と云うべきだ。「責任のすべてを田中元首相に押し付けるのは不自然との感がしてくる。それが三十年を経ての実感でもある」は、良い感性の持主であることが分かる。

 しかし、それにしても、体制側政府与党政権を牛耳っていた角栄が表見的にはそう見せず、実は本物の社会主義者で、その角栄をことのほか糾弾した反体制側日共が表見的には左派で、実はニセモノの社会主義者だとは。子供には分からない政治の奥深さではある。

 こう見立てないウヨサヨの小児的政治見解が未だに支配しており、角栄といえば吐き気を覚え、条件反射的に悪口三昧するマインドコントロール被れ屋の精神が自由になるのはいつの日のことだろうか。これが落ちになる。

 2006.7.26日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評193 れんだいこ 2006/07/29
 【ロッキード事件に於ける真犯人児玉ー中曽根ラインが消され、角栄に狙いが絞られていった経緯について】

 2006.7.28日付け毎日新聞は、社会欄29面に、「ロッキード事件に於ける真犯人児玉ー中曽根ラインが消され、角栄に狙いが絞られていった経緯について」の貴重な記事を掲載した。本来なら1面トップを飾るべきであるが、政治的抑制を利かせているのだろう。まっ掲載されないよりは良いか。

 次のような内容である。
 「『戦後最大の疑獄』と呼ばれるロッキード事件で、76年2月の発覚当初から、ロ社が対潜哨戒機P3Cの導入を働き掛けた疑惑が『事件の核心』とも指摘されたが、東京地検特捜部が事件化を断念した経緯が、複数の捜査関係者の証言で判明した。

 特捜部は当初、防衛庁幹部らから事情聴取するなど、P3Cを廻る疑惑も捜査したが、同年4月に米国から届いた『政府高官名』を示す資料にP3C関連がほとんど無く、証拠上の理由でトライスター機売り込みにシフトしたという。田中角栄元首相逮捕から30年を経て、事件の謎の一つが説き明かされた」。
 「対潜哨戒機を巡っては72年2月、海上自衛隊の次期対潜哨戒機を国産化すると政府が閣議決定しながら、同10月の国防会議議員懇談会(議長・田中角栄首相)で白紙撤回。74年12月に輸入の方向が強まり、ロ社のP3C輸入につながった。丸紅は72年11月、ロ社とP3Cの売却手数料授受契約を結び、73年7月には児玉誉士夫・元ロ社代理人とロ社との間で、『50機の確定契約があった場合、ロ社は児玉に25億円を支払う』との誓約が結ばれた」。
 「当時の捜査関係者によると、76年2月の米議会での事件発覚直後、実際にP3C関連を専門に調べる検事が特捜部内におり、防衛庁関係者らを参考人聴取するなど、捜査を進めたという」。
 「同年4月、米証券取引委員会(SEC)から提出された全2860ページに及ぶ資料が日本の検察当局に届けられ、この中には『TanaKa』をはじめ政府高官名が記された人脈図などが含まれていたが、P3Cの対日工作を示す資料は見当たらなかったという」。
 「また、児玉代理人の脱税を巡る捜査でも、P3Cに関するロ社側からの資金提供を裏付ける証拠はなく、かなり早い段階で、トライスター機導入を巡る捜査に重点を置いていたという。1機当りの金額は当時、トライスター数十億円に対しP3Cは100億円前後と言われ、採用された場合の導入機数もP3Cの方が多く見積もられ、ロ社にとってP3Cの方が『うまみ』は格段に大きかった」。
 「このため、田中元首相への資金提供があれば、P3Cの受注工作資金との見方が当初あった。一方で、日米安保条約という国策も絡むP3C疑惑の立件見送りは『米国謀略説を裏付ける』などさまざまな憶測を呼んだうえ、『事件の本質に迫れなかった』などとロ事件の評価につながる議論の下地にもなっていた」。
(私論.私見)
 このスクープの意義は大きい。しかし、これを理解しない者も多いだろう。特に日本左派運動は、角栄評価の点でからきし落第点をとっているので、又もや無能振りを晒すだろう。そうダンマリを決め込むことになる。

 思えば、角栄が公判闘争で真に窮地に陥ったとき、角栄は新左翼系弁護士に期待し、幾人かを弁護団に引き入れた。しかし、特段の活躍を聞いていないので役に立たなかったのだろう。

 このことは、日共系が角栄糾弾の先鋒を務めているとき、新左翼がこれを逆糾弾すべく立ち向かえなかったことを意味する。そういう意味で、新左翼が日共ロジックを真に克服しえていないことを証している。これは新左翼系の致命的アキレス腱である。行動的には急進主義を採るが、思想的には案外日共ロジックに汚染され過ぎている。宮顕ー不破ラインによるエセ左派理論の悪影響を払拭しきれていない。

 それはともかく、こたびの毎日特報によると、ロッキード事件捜査は、「SEC(米連邦証券取引委員会)報告書」によりターゲットが決められ、そのシナリオに基づいて、司法当局が政治的に立ち回ったことになる。

 これにより、ロッキード事件は、自衛隊の対潜哨戒機P3C購入に伴う贈収賄事件が本筋のところ、全日空の民間機トライスターの購入に纏わる贈収賄事件へと無理矢理誘導されたことが判明する。

 こたびの記事の値打ちは、「事件発覚直後、実際にP3C関連を専門に調べる検事が特捜部内におり、防衛庁関係者らを参考人聴取するなど、捜査を進めた」ことを明らかにしたことに有る。れんだいこも知らなかった新事実である。これによると、東京地検特捜部は当初は、児玉ー中曽根ーナベツネー松野らが絡むP3C事件の方に関心を示していた。ところが、「SEC報告書」によりその方面の捜査を打ち切り、示唆されていた「TanaKa」即ち田中角栄逮捕へ向けて一瀉千里に走り出した、ということになる。これが「司法の独立」の実態実相である。

 こうなると、ロッキード事件の裏仕掛けが暴露されたことになる。堀田検事の美談は無論、時の検察、裁判所のお偉方の売国奴性が見えてくる。思えば、この時点から「アメリカつまりそのアメリカを支配するユダヤいいなり」になり、いいなりになった者達がどんどん出世し、日本を喰い者にし始めたたということになる。その挙句の果てに、地位利用インサイダー取引常用者が日銀総裁トップに座るという福井事件のようなぶざまなことが起こることになる。一国の現役首相がユダヤ教聖地の「嘆きの壁」でユダヤ帽被って神妙に祈念することになる。

 それを咎められないテイタラクを晒すようになる。自衛隊が撤退したと思いきや、海上自衛隊が戦闘区域で活動し始め、時の首相が「自衛隊の居るところが常に安全地域という理屈で文句有るか」との居直りが許容される。しかし、それにしても小泉はんは狂っている。その狂い振りを狂っていると云えないほうも狂っているからだろう。

 れんだいこは、これだけ自称インテリの多い時代にこういう痴態が罷り通るのが信じられない。勉強すればするほど狂うのか、勉強した振りして本当は勉強していないかのどっちかだろう。国際法の研究家は、イスラエルの万事免責をどうやって理屈つけるのだろう。聞いて見たいもんだ。連中の学問がぞっとするような貧困思想に支えられていることが判明するだろう。

 2006.7.29日 れんだいこ拝

れんだいこの血涙の自己批判
 「れんだいこの血涙の自己批判」というサイト名にしたが、人目を引きたいが為のものである。れんだいこの政治活動は、1970年からのものであり、丁度佐藤内閣打倒時に符合している。角栄が首相の座に上り詰め、日中国交回復交渉に向かうその過程ではむしろ地下サークル活動に潜り始めており、その後の田中内閣退陣頃は私事多忙となり政治の一線から身を引いていた。従って、「闇将軍」の過程、その後のロッキード事件の勃発と喧騒過程にはなんらタッチしていない。

 それを思えば、「胡散臭い角栄追放史」に手を染めておらず、「血涙の自己批判」というには及ばない。敢えてそう名づけたのは、人目を引く刺激的なタイトルにしたという意味と、「胡散臭い角栄追放史」に批判を逞しう為し得なかったことへのお詫びという意味であり、もう一つは「胡散臭い角栄追放史」に加担していった者達に対して「血涙の自己批判」を要求せんが為である。この三つの意味から「れんだいこの血涙の自己批判」というサイト名にした。

 今日、マスコミ人からの「角栄見直し」の声がちらほらと聞こえてくる。これについて言及する。「角栄見直し」は為されないよりはましとしても、れんだいこ的にはマスコミ人の気楽な稼業ぶり、俗に云う無責任夜郎自大ぶりが却って知らされ胸中複雑というか、否はっきり云おうむしろ怒りさえ覚える。何に対して怒るのか。それは「血涙の自己批判無き故」であろう。マスコミは既に第四権力であり、その権力を駆使して史上例の無い阿漕な反角栄キャンペーンを続けてきたというのに、その史実に対する「歴史的謝罪」無しに安穏な見解修正なぞ許されるべきだろうか。

 「マスコミが捜査、裁判を大々的に報じ、あおる結果になった面は否定しないが、それだけが、真実を遠ざけたとは、私は思わない。しかし、これだけの疑惑が残るからには、さらなる究明がマスコミの責任である」などとのほほんと云われると、このど阿呆めエエカゲンニセンカイと怒鳴りたくなる。

 その癖、よそ事の例えば戦前の軍部に対しては相変わらずの「歴史的謝罪要求論者」として立ち居振る舞いしているとすれば、手前勝手とご都合の虫が宜し過ぎよう。彼らはいつも正義気取りで人気を得ようとしている。世の中にはこういう処世術士の手合いが多い。まったく連中は結構な性分と身分であるわな。

 れんだいこは、こういう繰り言を云いたいのだと思う。但し、「角栄見直し」はされぬよりはされた方が良い訳だから、れんだいこの怒りも若干は割引せねばなるまい。他の「潔癖正義の社会修正主義的改良家」が未だに頑迷にも「諸悪の元凶角栄、ロッキードを思い出せ」なる論を採り続けていることを思えば。

 「角栄見直し論」派の双璧に田原総一朗と岩見隆夫が居る。悔い改めない人士に立花隆と猪瀬直樹が居る。この4名については、れんだいこは引き続きウオッチしていこうと思う。面白くも無いウオッチではあるが、「角栄見直し」の帰趨上必要なことだから。 

 2004.2.1日 れんだいこ拝

田中角栄の「無罪」論
 さし当り、岩見隆夫の次のような記事田中角栄の無罪論を紹介しておく。
 (れんだいこによる前略) ところで、これは決してこじつけではなく、スポーツであれ、何であれ、〈アメリカとの勝敗〉を耳にするたびに、政治記者の私には脳裏をよぎることが一つある。アメリカは一番好きな国ではあるが、あのことが、 〈アメリカにやられたのではないか……〉 という底深い不信として残っているからだ。

 四半世紀も前の一九七六年二月、春雷のように日本を直撃したロッキード疑獄である。いまの政治不信の淵源となる〈総理大臣の犯罪〉だった。主犯の田中角栄元首相は裁判途中の七年前に死去、公訴棄却となる。つまり、確定判決はない。

 田中さんが亡くなってから、政界の人たちはロ事件について、胸につかえていたことを少しずつしゃべりだした。事件がアメリカから持ち込まれた当時の三木内閣で重要閣僚をつとめた某氏と、私はそのころ酒席でロ事件問答をしたことがある。 田中さんに対する受託収賄罪の起訴状、核心部分の一つは五億円のワイロの受け渡し場面だ。

 〈一九七三年八月十日から七四年三月一日にかけ計四回、東京都千代田区一番町一番地の英国大使館裏側の道路などで、現金の入ったダンボール箱を丸紅の車のトランクから、田中家の車のトランクに移し替え、目白の田中邸に搬入した〉 という趣旨である。だれもが記憶している、生々しいダンボール箱のストーリーだ。事件発覚からすでに十年余が過ぎ去っていたが、私は某氏を相手に蒸し返してみた。

 「白昼に、天下の公道で、できますかねえ」。某氏は即座に答えた。「そんなことがあるわけないじゃないですか。できっこありませんよ」。「ほう、じゃ、あれは嘘ですか」。「そうだよ……」。

 酔いも手伝って、某氏もかねてからの疑惑を断定的に口にしたのかもしれない。だが、少なくともこの人は、事件の内側をかなり深く知り得る立場にいた。私はそれを聞いてがく然とした。あれは検事の作文ということになるのか。以来、何人かの実力者といわれる政治家からロ事件の感想をうかがう機会があったが、「角さんは五億円のことは知らなかったと思うよ」と言う人が多く、さらに事件の性格については、 〈アメリカが田中を失脚させるための追放劇だった〉 という見方でほぼ一致していた。

 アメリカの謀略? 究明が報道の責任

 この謀略説の裏は、〈資源外交説〉と〈中国説〉(日中接近に対する米保守派の反発)の二つがあったが、確証があるわけではない。ただ、中曽根康弘元首相は、著書『天地有情』のなかで、 〈田中君はヨーロッパやソ連で石油取得外交をやった。それがアメリカの琴線に触れたのではないかと思います。世界を支配している石油メジャーの力は絶大ですからね。のちにキッシンジャーは「ロッキード事件は間違いだった」と密かに私に言いました〉 と打ちあけている。一体、間違いだった、とは何を意味するのか。

 とにかく、私にとって、ロ事件はふっきれないまま世紀末に至っている。そんな折、『田中角栄の真実――弁護人から見たロッキード事件』という本が先日、出版された。著者の木村喜助さんは検事から弁護士に転じた方で、いま七十二歳、ロ事件では第一審から最高裁まで田中さんの弁護を担当した。

 なにはともあれ、読みたい本である。木村さんは、まず、 〈私も高齢者といわれる年齢になった。いまのうちに、この事件はマスコミが喧伝したような明々白々とした事件ではなく、一、二審で有罪判決は出たものの、田中先生は無罪であると確信しており、百歩譲っても限りなく不透明な事件で有罪にはできないことをどうしても明らかにしておく必要があると考えた……〉と筆をとった意図を記している。

 詳細を紹介する紙幅はないが、ダンボール箱ストーリーはどうなのか。木村さんは、〈いやしくも時の総理大臣に対する献金を路上などで本当に行なうものだろうか。人目につきにくい路上などあるのだろうか〉 と強い疑問を抱き、あらゆる調書などを点検した結論として、 〈(田中側の)運転手がつけていた運転日報と(ロ社側の)領収証の日付を付き合わせ、金を渡した日は領収証の日付に近接した日として、それに適当な場所を、取調べ検事が頭で考えて作り出したものであったのだ〉 と断定している。もし作文説が真実なら、これほど恐ろしい話はない。ほかにも検事の作文調書と言い切っている個所が、この本にはいくつもある。

 それはそうだろう。もし、木村さんの主張どおりなら、事件全体を作文で固めたことになるからで、すべてはフィクション、ということになってしまう。 事件に関係した検察幹部がのちに、「四回の金銭授受の裏付証拠が少ない。信ぴょう性に欠けていた」 と語ったという話も紹介されている。あとから言われても、と思う。 ロ事件がアメリカの謀略だったと仮定して、なぜ日本の検察、裁判所はそれに悪乗りすることになったのか、という疑念が残る。

 〈マスコミの煽動による世論にあおられて、知らず知らずのうちに、「田中角栄は悪い奴だ。早く葬らないと日本が滅びる」という妙な観念が固定してしまったのではないか〉と木村さんは書いているが、もしそうだとすれば、戦後政治最大の汚点というほかない。木村さんは、 〈マスコミによって作り上げられた巨大な世論に押しつぶされたようなロッキード裁判……〉 などと繰り返しマスコミ報道の罪悪を指摘した。

 マスコミが捜査、裁判を大々的に報じ、あおる結果になった面は否定しないが、それだけが、真実を遠ざけたとは、私は思わない。しかし、これだけの疑惑が残るからには、さらなる究明がマスコミの責任である。

【呪われるべし日共不破のお粗末見解】
 それにしても、日共不破の次の発言だけは許しがたい。「ロッキード事件に果たした日共の陰謀及び反動的立ち回り」で述べているが再掲する。1999.7.25日付け赤旗の「日本共産党創立77周年記念講演会 現代史のなかで日本共産党を考える」で、日共の不破幹部会委員長は、ロッキード事件に関して次のような見解を披瀝している。

 「それから、あれだけ国民が追及していた政治腐敗でしたが、それが途方もなく大きくなりました。私は、いまでも思うのですが、金権政治の元祖といわれた田中角栄氏は、国内で五億円の金を調達できないで、危険だとわかっていながらロッキードの献金に手をだして領収書を書いた。それがあの大事件になったわけでしょう。いま、五億円――物価が上がっているから、いまなら十億円、二十億円というお金に当たるのでしょうが、その程度の金は、自民党のどの派閥でも、どこからでも平気で生みだしてきます。

 田中角栄氏の後を継いだ金丸信氏などは、国が公共事業を発注するたびに、そのいくばくかは発注額に比例して自分のところに入ってくるという自動献金装置までつくって、逮捕されたときには金の延べ棒が金庫にざくざくでした。(笑い)」。

(私論.私見) 「日共不破の今日に於いてもかような見解」について
 何と、「金権政治の元祖といわれた田中角栄氏は、国内で五億円の金を調達できないで、危険だとわかっていながらロッキードの献金に手をだして領収書を書いた。それがあの大事件になった」と云う。この詐術に胸が悪くなるのはれんだいこだけだろうか。

 不破は、角栄の政治能力が健在の頃は頻りに「金権政治の元凶」として批判し続け、角栄が葬られるや「元祖」と少し表現を替え、「その元祖が落ちぶれて国内で五億円の金を調達できないで、危険だとわかっていながらロッキードの献金に手をだして領収書を書いたのがロッキード事件の真相だ」と云う。要するに「貧乏人角栄論」に転換している。聞き捨てならない無茶苦茶な観点を披瀝している訳だが、日共党員つうのは余程脳軟化症しているのだろう。この詐術と観点の歪みを問わないで(笑い)で応じている。こうなると、云う不破も聞く党員も一蓮托生の同じ穴の者と云うことになる。

 れんだいこはもはや言葉を失う。こんにちでさえこのテイタラクであるからして当時の日共の対応の変調さは推して知るべしであろう。宮顕ー不破系党中央は、検察司法のロッキード事件追求をあたかも正義の使者であるかの如く見立てて礼賛していった。更に、検察司法の手に負えない政治局面で、正義の使者を引き継ぐかのようにして議員辞職運動を組織していった。その例証は枚挙にいとまない。

 2005.6.6日再編集 れんだいこ拝





(私論.私見)