処世語録

 更新日/2020(平成31→5.1栄和元/栄和2).9.13日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「田中角栄政治語録」に続いて角栄の処世語録を確認する。噛み締めて味わいたい。今のところ順不同であるが、噛締めて味わいたい。下手にマルクス、レーニンに被れるよりよほど値打ちがあるのではないかと思っている。

 2004.11.30日 れんだいこ拝


【座右銘、モットー、家訓について】
 「俺は節を曲げてまで出世しようとは思わない」。
 「雪は金持ちの屋敷にも、貧乏人の庭にも、平等に降り積もる」。
 「私の座右銘の中で、一番好きで、モットーにしているのは、『石の上にも三年』と云うことだ。それにもう一つ、家訓としているのは、『和して流れず、明朗闊達』と云うことだ」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「どんな悲しいことにあっても、逆境にさらされて辛い思いをしても、天、地、人を恨んではいけない」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「肉親の死にあって、いつも、俺はこの肉親に何もしてやれなかったじゃあないかと悩んだ。そのたびに、人の為になろうと考えた」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「末ついに海となるべき山水も、しばし木の葉の下くぐるなり」(角栄が好んで色紙に書いた句)
 「俺は戦争には行ったが、自分の手で人を殺したことが一度もなかったことを一番幸せだと思っている」。

【人生訓、信条、人生哲学、理論と実践について】
 「人は実感したものを信用する。大事なことは経験則だ。田んぼに入ったこともない者がコメのことがわかるわけがない」。
 「結論が出たらすぐに実行するのが私の流儀だ。決断と実行を宗としている。念仏を百万遍唱えても実行、実現しなければ意味がない。その決断力は情報力によって支えられる。単なる直感だけでは見通しを誤る」。
 「籠(カゴ)に乗る人、かつぐ人、そのまた草鞋(ワラジ)を作る人」。
 「私は越後の生まれです。頼まれればどこにでも米搗きに雇われ、出稼ぎに行く」。
 「言って良い事、悪い事。言って良い時、悪い時。言って良い人、悪い人」。
 「奇妙なことで、奇妙な人に会う。それだから人生は面白いのかも知れない」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「真実を真実として認めないで、カラ車ばかり廻している生き方、夢ばかり追っている生き方を、人生から取り除くことだ」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「百両の馬にも難がある。(解説/名人、達者と云われる人にも、人間はオールマイティーにあらずで探せば必ず欠点の一つや二つはあるものだ。だから決して奢ってはいけない。もう一つ、人は欠点が必ずあるものだから、そことどううまく付き合って調整していくかが生き方のツボだ、と教えている)」。

【心理戦争について】
 
 「人間関係はすべて心理戦争にあることを知れ」。

【人との接し方について】
 「脇はほど良く甘く、懐(ふところ)深く。これが好かれる上司の条件だな」。
 「気取っている人間は嫌われる。膝を折って自ら酒を注ぎ、話をしてこそ人から喜ばれる、上辺(うわべ)の言葉は見抜かれる。頭(ず)を高くすることなく接せよ。作為と云うのは必ずどこかでボロが出る。誠心誠意、全力投球で人と向き合え」。
 「世の中には、会って話をし、付き合えば、その人間がよくわかるのに、知らないまま食わず嫌い、毛嫌いしている場合が多い。互いに自戒すべきことだよ。私が大切にしているのは、何よりも人との接し方だ。戦術や戦略じゃない。会って話をしていて安心感があるとか、自分のためになるとか、そういうことが人と人とを結びつけると思っている」。
 「(かって田中派を担当していた記者の、こんな話が残っている)私が初めて田中派を担当するために田中のもとに挨拶に行くと、こちらが差し出した名刺などはろくに見ず、デスクの端のほうへ押しやった。失礼だなと思っていると、こっちの顔をジッと見ながら、矢継ぎ早に三つか四つの質問をしてきて、『そうか、まぁ、がんばれ』と言って握手だった。こちらの手が痛くなるほどの力強い握手だった。なるほど、その握手の強さで、『何事も全力投球』の角さんが理解できた。後日、バッタリ会う機会があったが、向こうから『やぁ○○君。元気でやってるか』と声をかけてきたのに驚いた。名刺で名前を覚えるのではなく、顔を覚えることにまず重点を置いたということのようであった。名刺で名前をまず覚えるやり方では、こうした出会いにはならない。一度、見た相手の顔は忘れない。田中の記憶力の凄さと、人間関係構築の秘訣がよく分かったものです」(小林吉弥生「田中角栄名語録」)。

【約束した事を守ることについて】
 「約束したら、必ず責任を果たせ。できない約束はするな。ヘビの生殺しはするな。借りた金は忘れるな。貸した金は忘れろ」。
 「些細な約束こそ守れ。信用を得る第一歩だ。人脈につながる」。

【人脈形成の要諦について】
 「人脈形成の要諦は誠実さにあり」。
 「(野中広務述懐)角栄が戦後最年少39歳で郵政大臣に就任した直後、ある人の紹介で田中邸へ陳情に伺った。園部町の郵便局の改築融資が欲しかった。話半分、聞いていた角栄さんは『郵便局か、よし分かった』で、その場で傍らの秘書に『これをすが役所に届けろ』とメモを渡していた。翌年6月、角栄さんは内閣改造で郵政大臣を辞めていたが、ちゃんんと補正予算に入れてくれていた。加えて、改築の順番も角栄さんが裏でネジを巻いておいてくれたようで、早く改築ができ住民も喜んだ。この一事で、私は剛腕に映る角栄さんだが、実は誠実な人物であることを見抜いた。(野中は園部町町議から京都府議、やがて衆院議員になったが)角栄先生の下で仕事がしたかった。田中派入りは当然で、先生はロッキ-ド問題を抱えていたが、私に迷いは少しもなかった」。

【年齢の教え】
 「30歳になるまで他人の飯を食え、世間を見てこい。よく親父に言われた。実践苦労人になってから、ものを語るようにしろ。他人の苦しみや立場がわかるようになってから批判しろ」。
 「一度、死んだ気でやれば、人間、40歳までには何か大きいことができる」
 (戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「50歳を目安に、とにかく地道にひたすら勉強、努力するしかない。そういう中で、自然に風格も人脈もできてくる。ダメな奴はそこまで。上へ行く奴はそのあたりで決まるのだ」。

【学問について、暗記について】
 「個人にとっても、社会にとっても本当に必要なのは、学歴ではなくて、学問だよ。学歴と云うものは年が経っていけば、ただ過去の栄光みたいなものになつてしまう。学問は現在に生きている」。
 (戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)
 「語録や数字をよく覚えている―と云われるが、私はうろ覚え、生半可な覚え方はしないんだ。今覚えておかなければ、二度とふたたび見られないと思うと、いやがおうでも覚えられるものだ」、「丸暗記と云うと、人は軽蔑しがちだが、私はそうは思わないね。これが勉強の前提になるのだ」。
 (戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)

【長男的責任自覚について】
 角栄は、原日本人とでも云うべき感性と責任感の篤い人物であった。特に、冠婚葬祭を大事にしていた。次のように語っている。
 「オレは長男だ。弟や妹達を食わせにゃならん。屁理屈をいっている暇はない。理想をいってたんじや飢え死にする。きれいごとではない長男の責任を負っているんだ」。

【待ち合わせ時間について】
 「時間の守れん人間は、何をやってもダメだ、信用できない。信用の第一は、時間を守れる人物になることだ。時間にル-ズで大成した者はいない」。
 「昔、須田町の万惣(果物屋)の前でね、恋人とデートしたことがある。バンクチュアリ―(時間厳守)がモットーの私だが、恋人だけは、30分に限って待つことにしていた。その時も、きっかり30分待ったよ。すると向こうから、彼女らしい姿がトコトコ歩いて来た。だが時計を見ると30分を1分過ぎていた。私は、さっさとタクシーを拾って帰ってしまった。凡そ、タイムリミットのない仕事、人生なんていうものはあるもんじゃないよ」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。

 1970(昭和45)年、一期生代議士で駆け出し中の佐藤守良代議士(後の農水相)が、田中角栄に日商会頭の永野重雄を紹介、引き合わせて貰ったときの逸話。
 「六本木の料理屋。私が約束の時間ギリギリに座敷に入ったら、既にオヤジが来ていて憮然とした顔で坐っていた。親父より遅かった私は一言、『申し訳ありません』と畳に頭をこすりつけ、やがて永野さんが現われるまでついぞ頭を上げられなかった。オヤジのあの恐ろしい顔は、無言で私に世の中の筋というものを教えたと思っている。お前が先に来て、お客さんを待つのが筋じゃないかと。以後、時間の厳しさが私の人生哲学にもなった」。
 (小林吉弥「田中角栄処世の奥義」84P)

【仕事について】
 「小さな仕事でも手を抜くな。積み重ねが信用を生む。やがて大きな仕事が回って来る」。

【起業家へのまなざしについて】
 エスエス製薬を中心とした泰道グループの創業者・泰道照山氏の一周忌法要参列時の挨拶。
 「創業ということが、いかに難しいかは誰でも知っている。先達が作った会社を継承し、業績をあげるのは難しいことではない。初めて仕事を起こすときは、実績がないので銀行が金を貸してくれないし、友達も協力してくれない。創業者に敬意を払い、敬慕の情を持つのは、お互い当然のことである」。

【大局的なものの見方、総合判断力こそ真価が問われる】
 「髭の手入れに小さなハサミを使っちゃいかん。小さなハサミは部分的にはうまくできるが、左右が揃わないほど刈り込むことがある。だから大きなたちバサミを愛用している。人生も同じで、枝葉末節に拘ることなく、大局的なものの見方が必要だね」。
 「医者だって、ノミのキンタマばかり研究しおって医学博士になっても一人前とは言えん。全てのものを総合的に判断できて、正しい処方箋とならなきゃだめだ」。

【勝負勘】
 「攻めに入ったときこそ勝負勘が求められる。ここは絶対に譲るな。長年のワシの勘だ。いい加減なもんじゃないぞ」。

【間の大事さについて】
 「人生は『間』だよ。一本調子の猪みたいに直進しようとするだけでは何も前に進まない。相手との『間』が取れないようでどうする。イノシシのような一本調子では何事も前に進まない。相手にされない」。

【気配りについて】
 「バカになってでも、周りへの目配り、気配りを忘れるな。他人の意見に耳を傾けてやれ。我を通すだけが能じゃない」。
 「何事も相手に対して手を抜くな。誠心誠意、全力投球で向き合うことだ。それが最大の気配りということだ。真の信頼関係はそうした中から生まれる」。
 「相手の気持ちが分からずに、人に好かれるわけがない」。

【食事について】
 「メシ時になったら、しっかりメシを食え。シャバにはいいことは少ない。いやなことばっかりだ。それを苦にしてメシが食えないようではダメだ。腹が減っては、目が回って大事な戦はできん」。

【返事について】
 「必ず返事を出すんだ。結果が相手の希望通りでなくても『聞いてくれたんだ』となる。大切なことだよ」。

【器量、人物について】
 「人間誰しも、若いときはみな偉くなりたいと思うもんだが、簡単にはなれない。経験も知識も素養も無くてしゃべっているのは、バカ騒ぎを繰り広げているだけで、しまいには誰も相手にしなくなる」。
 「自分の物差しばかりでものを云っちゃいかんということだ。世の中には、人の為に働かないで、文句ばかり言う横着な人間が少なくない。こういうのはダメだ。使いものにならない」。
 「心せよ。一流の人物は、ひけらかすことがない」。

【教育について】
 「教育ということを間違えてはいかん。子供時代の教育こそが、人間をつくる」。

【勤労の重要性について】
 「人間は休養が必要だ。しかし、休んでから働くか、働いてから休むか。私は一貫して後者だった。母の教えを守り続けた。それで良かったのだと思っている。ちなみに、母の残した後の二つの言葉はこうだった。『悪いことをしなければ住めないようになったら、早くこつちへ帰ってくること』、『金を貸した人の名前は忘れても、借りた人の名前は忘れてはならない』。あの日の母の言葉を、絶対に忘れまいとしてここまで来た。それで良かったと思っている。母あっての私だった」。
 「勤労から学べることは多々ある。勤労から逃げる者は不幸だと思っている」。
 昭和48年の総理大臣時の全国勤労青少年会館の開館式での角栄の挨拶。
 「ただ単に、青少年時代を学生として、思うばかりはばたける、好きなことをし放題にできることが楽しいかと言うと、私は必ずしもそうではないと思っている。お互い一人一人、皆な生まれ育つ環境も違いますから、いろいろな社会にいろいろな生き方をして育ってくる訳でありますが、私はその中で勤労というものがいかに大切であるか、勤労と言うことを知らないで育った人は不幸だと思っています。本当に勤労をしながら育った人の中には、人生に対する思いやりももあるし、人生を素直に見つめる目もできてくるし、我が身に比べて人を見る立場にも成り得る訳でありまして、私はそれは大きな教育だと、また教育だったと考えている。本当に病気をしてみなければ病気の苦しみが分からないように、本当に貧乏なければ貧乏の苦しみは分からないと言う人がありますが、勤労しない人が勤労の価値を論ずることはできない。勤労をしない人が、どうして勤労の価値を評価することができるでしょうか。勤労は生きるための一つの手段でしかないという考え方が、このところ充満しつつあるような気がします。もしあるとすれば、それは政治の責任かなとも思います。

 私も、かっては勤労青年だった。朱きの『偶成』という詩に、『少年老いやすく学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、池とう春草の夢、階前の梧葉既に秋声』というのがあります。また、何人が詠んだ詩か知りませんが、『大仕事を遂げて死なまし、熱情の若き日はまた来はせじ』と、これらは皆、勤労少年の時自信を失う時には、国家や民族の危機と考える必要がある」。

【失敗、下積み苦労、我慢の重要性について】
 「失敗はできるだけしたほうがいい。イヤというほどしたほうがいい。そうすると骨身にしみる。判断力、分別ができてくる。人を見る目ができてくる。これが成長の正体だ踏まれても、踏まれても、ついて行きます下駄の雪ということだ。我慢、我慢ということだ」。
 「赤坂、柳橋、新橋でも、料亭の女将で店を大きくするのはどんな奴かわかるか。仲居上がり、女中頭あがりだ。芸者や板場を立てて、見事に大きくする。ダメなのは芸者上がり」。
 「無理は、しなければ、しないほうがいいんだよ。 苦労というものは、いい部分もあるが、悪い部分もある。 苦労はしてもいいけど、無駄な苦労はしないほうがいいんだ」。
 「ブレジネフ書記長は下から叩き上げてきた人だ。叩き上げた人は統率力もあるし、包容力もあるし、周りを大事にする。・・・ものごとを知っている人は怖さを知ってるわけだから、無茶なことはしないものだ」。
 「苦しくなって逃げ出すような奴は何をやってもダメだ。特に、政治の世界ではモノにならない。我慢強さ、ウロウロしない。すべからく、こうしたことが大事なのだ」。
 「踏まれても、踏まれても、ついて行きます下駄の音、ということだ。我慢は必ずプラスになる」。

【仕事について】
 「内閣は出来たときに最も力がある。会社の社長も、他のポストも同じだ。新しいポストについたとき、力のあるうち、注目されているうちに、できるだけ早く大きな仕事をやるべきだ。熟慮断行もヘチマもあるもんか」。(小林吉弥「田中角栄処世の奥義」210P)
 「自分が今のところまで来たのは、自分から求めるよりも、周りから支えられたものに忠実だったから―と云った方が当たっている。与えられた仕事に全力を尽くすことが、新しい場面を開く結果になるものだ」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「よく相手の人間を知ること。政治だけでなく、どんな仕事でも、これが基礎だ。それでなければ、本当の付き合いも、一緒の仕事もできない」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「僕は今日は今日、タイムリーにものを片づける。私にはいつまでも引きずっている余裕、時間などはない。物事は淡々と処理する。叱っても5分もすれば忘れている。トイレの水に流して終わりということだ。明日、来年でも同じ問題に対して別の解釈方法が出てきたら、そのとき初めて政策転換をすればいいんだ。だから、そういう意味での判断も非常に早い」。
 「設計図を描くときはいつも初めからぶっ書き、実線で行ったものだ。よく昔の名人が木の看板に向かったとき、一気に描いてしまって、下のほうが残ったら木のほうを切ったという話があるが、私の発想はすべてそれ式だ」。

【悪口について】
 「とにかく、人の悪口をいったり、自分が過去に犯した過ちを反省せずに、自分がすべて正しいとする考え方は、国のなかでも外でも通用しない。そういう考えの人には一人で山の中に住んでもらうことだよ」。

 昭和55.5月、社会党が、大平内閣に対する不信任案を出し、自民党の三木派、福田派の大勢が本会議採決を欠席、事実上の賛成に廻り、衆院が解散されたときの角栄の言葉。
 「私はかって、人の悪口を言ったことがあるか! 誰か私が一度でも他人の悪口を言っているのを聞いたことがるか!私は一度として他人の悪口を云ったことはない。しかし、今日だけは口に出して云わずにおれないッ」。

 角栄は、時間を守れない男は仕事ができないという持論だった。さらに悪口を言わないというのも持論だった。次のように述べている。
 「悪口を呑み込んだことで、やがて時期が来て互いの利害損得が一致したとき、再び手を握れる余地が生まれる。人脈は、こうして広げていく部分もある。まぁ、他人のことをとやかく言う前に、まずは自分の頭の上のハエを追ったらどうだということだ。自分に問題はないのかと反省してみることだな」。
 「いいか、一人の悪口を言えば、十人の敵をつくる。よほど信用している相手でも「君だけには言っておくが、じつはあいつは……」と実名で批判すれば、一日経たないうちに知らぬ者なしとなる。それが政界、社会もまた同じだ。プラスになることは一つもない。どうしても悪口を言いたければ、一人でトイレの中でやれ」。

【批判、不満、不平について】
 「君達ね、自分の置かれている立場を有難てぇことだと思わんとダメですよ。 寝言を言ったり不満ばかり言っている奴は、人生終わるまで不満を抱き続ける人間になるぞ。 社会が悪い、政治が悪いなんて言って、一体なにがあるんだ。人に貢献できるようになってから言うべきじゃ」。
 「まず、身内(の派閥)を知ることに神経を使え。身内のこともよく知らないで、一人前の口をきいてはいけない。『自分の物差し』ばかりでものを言っちゃいかんということだ。世の中には人の為に働かないで文句ばかり言う横着な人間が少なくない。こういうのはダメだ。使いものにならない。自分の物差しは引っ込めて黙って汗を流せ。いいところは人に譲ってやれ。損して得取れだ。そうすれば物事は却ってうまく運ぶことが多い。人にも好かれる」。
 「人間誰しも、若い時はみな偉くなりたいと思うもんだが簡単にはなれない。経験も知識も素養もなくてしゃべっているのは、バカ騒ぎを繰り広げているだけで、しまいには誰も相手にしなくなる」。
 「他人のことをとやかく言う前に、まず自分の頭の上のハエを追ったらどうだ。自分に問題はないのかということだな」。

【早稲田大学のサークルの学生達のインタビューを受けたときの言葉】
 1982.2月、早稲田大学の人物研究会なるサークル学生達のインタビューを受けたときの言葉。
 「君達ね、自分の置かれている立場を有り難てェことだと思わんとダメですよ。寝言を言ったり不満ばかり言っている奴は、人生終わるまで不満を抱き続ける人間になるぞ。社会が悪い、政治が悪い、田中が悪いなんて言って、テメエ、一体何があるんだ。人に貢献できるようになってから言うべきじゃ。わしが云うんじゃないですよ。(中略)

 子供が十人おるから羊羹を均等に切る。そんな社会主義や共産主義みたいなバカなこと云わん。君、自由主義は別なんだよ。羊羹をチョンチョンと切ってね、一番ちっちゃい奴にね、一番デッカイ羊羹をやるわけ。そこが違う。分配のやり方が違うんだ。大きな奴には少しぐらい我慢しろと云えるけどね。生まれて3、4歳のはおさまらんよ。そうでしょう。それが自由経済云々」。(小林吉弥「田中角栄処世の奥義」117P)

【公私の分別について】
 角栄が、フランスの諺の「ノーブレス・オブリージ(noblesse oblige)を踏まえていたことが分かる。
 「政治家は51%は公に奉ずべきだ。私情というものは、49%にとどめておくのが政治家だ。自分の為だけにあらゆることをして、テンとして恥じることの無い者は、これは断固、排除せざるをえないッ。日本を誤らせるような行動は絶対に許せん。我々のグループだけは、このことだけは守ろうではないか!

 こうなれば、もはや個人の問題ではない。私もかっては、日本を代表する立場にあったんだ。が、疑いを受け、生命を絶たなければならないと思ったこともあった。しかし、生きながらえた以上、果たさなければならんこともある。また、迷惑をかけた諸君にも詫びなければならないが、いつかいったことは必ず果たしたいと思っている。全員当選してくるんだ!参院の連中にはできるだけのことはするッ-」。

【理想と現実の処世法】
 「頑固な私の総括」に次の逸話が披露されている。れんだいこ風に意訳して照会しておく。
 概要「角栄は、歌手・村田英雄の『やると思えば、どこまでやるさ、これが男の命じゃないか』で知られる人生劇場を好んだ。山下元利元防衛庁長官に『元、人生劇場をやろう』をよく歌わせた」。

【田中政治の無理について】
 田中角栄の秘書を勤め、76年12月に田中の支援を受けて国会議員となった鳩山邦夫氏の回想弁。  「2チャンネル田中角栄№4」より転載する。
 778 :名無しさん@3周年:2006/10/25  
 ある日、ポツンと田中事務所に鳩山邦夫ひとりでいると、ふらりと首相の田中が入ってきた。 末席の私設秘書である鳩山は、官邸の主である田中とめったに会うことはなかった。 鳩山は驚いて椅子から立ち上がった。 「まあまあ、いいから座んなさい」。田中はそう言うと、隣の椅子に腰をかけた。鳩山が、何事なのか緊張していると、田中がしみじみとした口調で言った。
 「いま、たしかに田中内閣の支持率は高い。しかし、邦夫君、きみが本当に第一線で活躍するのは21世紀になるかならないかのときだろうな。そういう将来のことを考えれば、いまの田中政治というものを大いに勉強してほしいけれども、それを押しつけようとはまったく思わない。田中政治を継承しろとも思わない。時代は変わる。きみとおれとではタイプが違う。したがって、田中政治の教師たる部分は大いに吸収してもらいたいが、むしろ反面教師の部分もあるだろうから、それは批判精神をもっておれの政治を見ておってくれ」。

 田中はなかば眼を閉じ、天井を見上げた。
 「おれは、ここまでくるのに無理をした。無理をしなければここまでこれなかった。でも、きみは鳩山一郎さんの孫だ。無理をする必要がない。無理は、しなければ、しないほうがいいんだよ。苦労というものは、いい部分もあるが、悪い部分もある。苦労はしてもいいけど無駄な苦労はしないほうがいいんだ」 。

 田中はそう言うと、さっと事務所から出ていった。

 同じ話が次のように云いかえられている。
 「田中先生が『今太閤・庶民宰相』として任期絶頂だった頃、『お前は苦労していないボンボンだ。それが欠点だという人もいるが、そこがお前のいいところだ』といわれたんです。田中先生は、苦労した、ものすごい無理をしてきた。だから、無理が祟ってこれからいろんなことが起きるかも知れない.....。『鳩山一郎(元首相)さんの孫なんだから、無理をしなくていい部分があれば無理をしない方がいい。田中政治をあまり見習うな』とおっしゃった。さらに、『お前が政治の表舞台に出るのは21世紀になるかならないかという時期だろう。恐らくその頃は、田中政治は反面教師になっている』」。

【自己分析について】
 1970.9月、角栄は、政治評論家・戸川猪佐武のインタビューに答え、次のように語っている。週刊大衆10.8日号に掲載された。(小林吉弥「角栄がゆく」、徳間書店、1983.6.30日初版より)
 「私はね、理想がないわけじゃないが、理想を求めて果てしない旅を続けていく性分じゃない。今日は今日、いわゆるその日にタイムリーにものを片付けるんです。明日でも来年でも、同じ問題に対して別な解決方法が出てきたら、政策の転換をすればいい。だから、判断は非常に早いんだ。

 手紙一つでも、私は、拝啓、謹啓、敬具というのは少ないですよ。僕はね、例えば『一、お申し込みの件、調査の結果、解決策は三案しかありません。この三案はの利害得失は左の通りであります。何れを選ぶかはご自由であります』。折り返しナニガシとは云わないでね、『何月何日までに本件に関してご返答をわずらわせたい』と、まァ、非常に事務的なんですナ

 これは恋文でもそうですね。『僕は君を愛してる』とか『夜眠れない』とかは書かない。それは会ってから云えばいいんだもの。『何月何日、何時から何時まで会いたい』ですよ、その時間以外は用事があって会えないんだもの。備考には『B案ならば、夜分は十時ごろまでおつき合いできます』というように、味も素っ気もないものでね」。

【クヨクヨするな】
 「嫌なことは、その日のうちに忘れろ。自分でどうにもならんのにクヨクヨするのは阿呆だ」。
 「嫌な事は、食って、寝て、忘れることが一番」(早坂茂三著書より)。

【褒め方叱り方について】
 
 「名指しで非難せず、叱る時はサシでやる。褒める時は大勢の前で褒めることだ」(2016.2.2日付日刊ゲンダイの田中京「父、角栄をおもえば」)。
 「世の中は真理戦争の渦の中にある。俺は性格もあるが、若い奴にネチネチとやるのは大嫌いだ。叱る時でも、次の人に会った時はも忘れている。ションベンに行ってきたら、忘れている。水に流してしまう、ということだ。人との関わりは全て心理の読み合い、駆け引き、その辺が分からずにどんな人間関係だってスムーズに行く訳がないじゃないか」(小林吉弥「田中角栄処世の奥義」31P)。

【イエスノーについて】
 「一体引き受けてくれるのかくれないのか、イエスノーのない奴が少なくない。頼んだ方は結論を急いでいる。うまいことを言って、中途半端、曖昧にするのが一番いけない。自信が無ければ、はっきりとノーと言え。ノーと言うのは確かに勇気がいる。しかし、長い目で見れば信用されることが多い。ノーで信頼度が高まる場合もある」(小林吉弥「田中角栄処世の奥義」42P)。
 「確かに、ノーと言うのは勇気のいる事だ。しかし、逆に信頼度がノーで高まる事もある。出来ないものは、ノーとハッキリ言った方が、長い目で見れば信頼される」。

【青春について】
 「青春というものは、常にたくさんの可能性を持っている。しかし、そのどれもが叶えられずに、思いもよらなかった人生を送ることになる。私が政治家になっているのも、思いもよらなかったことだ」、「しかし、青春時代の努力によって、良い方向に、人間の運命が開拓されていくことも確かだ」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「若い時代は、相当暴れても、暴れ過ぎるということはない。云いたいことは云い、したいことをするのも結構だ。だが、後になって考えると、恥じ入るようなこともある。人生半ば過ぎて、恥ずかしいことをしたと思わないように、自分を戒めた上で、行動することだ」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。

【ロマンスについて】
 「ロマンスが一度もない男性生なんて、この世の中にいるだろうかね」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。

【結婚式、葬式について】
 「結婚式は呼ばれないと行けないが、葬式なら呼ばれなくても行ける」。
 意訳概要「結婚式は欠席しても後でいくらでもおつきあいができるが、葬式は長いあいだお世話になった人との最後のお別れなんだ。冠婚なんてお祝いは、いつでもできる。死んだほうは待ったなしだ。今日死んだら、明日は葬式。どんなことがあっても、自分と関わりのあった人に対しては冥福を祈る。そんなことがわからんで、お前たち政治家の事務所が勤まるのか」。
 「冠婚葬祭、重視したいのは葬儀だ。人が一番辛いときに心を配って当然。結婚式は皆が喜んでいるのだから後で良い」。
 「人間は親の葬儀を経験して初めて一人前になる」。

【浪花節について】
 「浪花節―――あれはいいよ。ペーソスがあつて、義理と人情があって、やはり日本人の体質には、ぴったりくるものがあるんだろうな」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。

【日本社会論】
 「日本社会は義理、因縁、情実、不公正が複雑に入り混じった嫉妬の大海である。何とはなしに位階、序列が決まっている大中小の車座集団だ。跳ねっ返りは排除される。分相応に目立たず万事控え目、その職分を誠実にこなしていれば登竜門が開く」。

【助け合い、人助けについて】
 「自分一人では何事も成り難い。周りにいる人々が、支えていてくれるのだ。それがあって、初めて自分が生きていける」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「自分だけ安泰な生活ができたら、それでいいと思ってはいけない。不幸な人々か居るのだから、自分の力を捧げなくてはならない」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「遠くの親類よりも近くの他人が大切だ。自分だけが金持ちになっても、近所隣が貧乏では、結局、やっていけない。裕福になってもらうことだ。そのためには金を持っている奴が金を出して、まわりを助けてあげなくてはならない。みんながよくなれば、自分もまた、よくなる」。
 「身内のことを知りなさい。身内のことも知らないで一人前の口をきくな。そして身内のために汗を流せ。損して得を取れ。手柄は先輩や仲間に譲れ。そうすればお前、めんこがられて、好かれるぞ」。
 「男が恥を忍んで頭を下げてきたら、できるだけのことはしてやるものだ」。

【男論女論】
 「一般論で言えば、男は信用できないヤツが多い。選挙でもそうだ。。カネを渡し、酒を飲ませると、すぐ転ぶ。そこへいくと女は別だ。一度、この男と決めればテコでも動かない。浮気はしない。むしろあちこちで宣伝に努めてくれる。近所の奥さんに売り込んでくれる。『歩く広告塔』になって支持を取りつけてくれるのだ。女性の支持ほどありがたいものはない」。
 「俺は旅の泥足をタライで洗ってくれるような女がいい。女房は家のことをしつかり守り、俺に外で存分に仕事をさせるような女が好きだ」。

【運について】
 「功は焦らなくても良い。自分に実力がありさえすれば、運は必ず回って来る」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「僕は運だけでここまで来た。人間の一生というのは、結局、運だ。実力があり、いくら自分が自負してもダメなものはダメ。結局、努力、努力。努力と根気と勉強だ。こういったものが、運をとらえるキッカケになる。そのうえで、運を変えて見せるという気概も不可欠だ」。
 「皆、僕のことを逆境に強いと言うが、必ずしもそうでない。ただ、逃げ出すことはしないということだ。じっとしていて、吹雪のときはしばし待つ。雪は人間を全部、運命論者に変える」。
 「腐った橋でも、橋はワシが渡ったあとに落ちる。ワシはつくづく、運の強い男だと思っている」。

【倫理について】
 「倫理というのは、私もよく知っている。神さん、仏さんに手を合わせて、今日一日、やましいところがなかったかどうか振り返ってみる。それが倫理ですよ。人を責めたり、人の前に穴を掘ったりするものではない。倫理というものは」。

【ひとかどの者になる為には】
 「人間誰しも、若いときはみんな偉くなりたいと思うものだ。しかし、そう簡単になれるもんじゃない。ひとかどの作家になる為には、ある意味で錯乱、狂気の人でなければならない。地獄の底まで覗いて、人の世の裏、表、人間の素晴らしさとおぞましさを見、体験し、知っていなければ、多くの人を感動させ、後世に残るようなものを書くことはできないよ」。(「田中角栄語録」)

【勉強について】
 「人間の脳は数多いモーターの集まりである。普通の人間はその中の10個か15個のモーターを回していれば生きていける。しかし、努力すれば、モーターは何百個、何千個と動かすことが可能だ。それには勉強、勉強しかない」。(田中角栄の恩師の草間道之輔の教え)

【トップの椅子を占めるには】
 「『オヤジが早く社長を辞めてくれれば』と思っている息子もいるが、オヤジの社長は『あれはまだ若い』と云ってなかなか辞めないものだ。それに取引先の銀行が『息子よりオヤジの方が担保力がある』と社長の交代に賛成しないことだってある。『天の時、地の利、人の和』と云うが、トップの椅子を占めるにはね、風雪を凌ぎ、人間を叩き上げ、衆望自ずから定まり、多数に一致して推されると云うのでなければ難しい。ただ『なりたい、なりたい』だけではダメなんだ」。(「田中角栄語録」)

【子供は3人】
 「子供は3人つくりなさい。二人だと、親の膝にいつでも座れる。でも3人になればそうはいかない。生存競争に目覚め、反射神経が身についてくる。これが後に子供たちを助ける」。

【映画好き】
 「田中の映画好きは昭和29年頃のまだ副幹事長時代からで、『政界一の映画好き』の声もあった。田中自身から高峰秀子の『二十四の瞳』を観て、涙が止まらなかったとも聞いている。蔵相時代でも、ちょっと時間ができると、よく記者や秘書官に『おい、みんなヒマか。映画へ行こう』と声を掛けていた。有楽町や日比谷にはよく出かけた。そんな時のいでたちは、お忍びのつもりか大きなマスクをかけソフト帽を目深に被ってたから、かえって目についたものです。時には、どこからかフィルムを借りてきて大臣室の隣の部屋で、皆で、映画鑑賞会をやったこともある。その時は、『局長を全部呼べッ』と『号令』を掛けていましたね。下駄ばき、ナニワ節の田中のイメージとは異なり、特にロマンチックな映画が好きだった」。(週刊実話2016.10.27日号、
小林吉弥生「田中角栄 侠の処世」№40)

【初当選を果たした小沢一郎に贈った親心言葉】
 1969(昭和44)年12月の総選挙で、初当選を果たした小沢一郎に、角栄はこう語った。
 いいか、まず身内(派閥のこと)を知ることに神経を使え。身内の人間のことも分からんで、一人前の口をきいてはいけない。自分の物差しばかりでものを言うなということだ。こういうのは使い物にならない。黙って汗を流せ。いいところは人に譲ってやれ。損して得取れだ。そうすれば人に好かれ、物事はうまく運ぶ。

【早坂茂三の角栄式処世訓】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK103」の「みちばたの蝶」氏の投稿「早坂茂三の言葉 ~田中角栄と共に闘ったオヤジの遺言~」を転載する。
 早坂茂三の言葉 ~田中角栄と共に闘ったオヤジの遺言~

 「今太閤」と呼ばれた立身出世の人から、汚職事件の罪人へ。政界の頂点から犯罪の奈落に一気に叩き落とされた故・田中角栄の元秘書として、その人柄を知り尽くす早坂茂三氏が若い人を対象に書いた「おやじ説教集」。この世の酸いも甘いも噛み分けたおやじ様の言葉に耳をかたむけて。

 捨てる神に拾う神 もっと無器用に生きてみないか (集英社文庫)

 § 早坂茂三の言葉

 『若い者はしくじる。右も左も分からないのだから、失敗は当たり前だ。老人の跋扈は国を滅ぼす。しかし、青年の失敗は国を滅ぼさない。私はそう思う。だから、若い者はやりたいことをやったらいい。ウジウジして、周りに気兼ねする必要はない。そして、どつかれ、こづかれ、けつまずき、ひっくり返り、糞小便を浴び、人に裏切られ、だまされ、カスをつかみ、「われ誤れり」と歯ぎしりをする。それを繰り返しやって、たくましい、しなやかな知恵を身に付けることができる。この修羅の巷で生きていけるようになる。出来上がりのワンセット、ワンパッケージの知恵など、この世には存在しない』

 悪評を恐れることはない。人の口に戸は立てられない。世の中はやきもちの大海だ。目立つやつは目障りになる。態度のでかいやつには風当たりが強い。ところがまた、この世間の悪評ほど移ろいやすいものはない。一匹のいぬが吠えれば、ほかの万匹の犬が、わけも分からずにいっせいに吠えたてる。日本はそういう国だ。そして風向きが変われば、犬の鳴き声は一気にとまる。世間は手のひらを返す。世評、何ぞ気にすることあらん。顔を上げて吾が道を行く。頑固でもいい。妥協せず、自ら恃むところさえあれば、自分の本心だけは譲らないという気構えでやれば、何とかやれる。そうして私は生きてきた。

 国乱れて忠臣現れ、家貧しくして孝子現る。

 失敗はイヤというほど、したほうがいい。死にさえ至らなければ、何回も繰り返しひどい目に遇ったほうがいい。やけどもしたほうがいい。五針も十針も縫うような大怪我をしたほうがいい。そうするとバカでないかぎり、骨身にしみる。次回から不必要なリスクを避けるためにどうしたらいいか、反射神経が身についてくる。判断力、分別ができてくる。これが成長の正体だ。人間にとって一番大切なのは情だ。世の中には志を果たせない人、運が悪くてチャンスに乗れない、つかめないという人が溢れ返っている。こういう人たちに対して、本当にいたわり、優しさ、侍でいえば『惻隠の情』が持てるかどうか、これで人間の上等と下等とが分かれる。

 人はどういう話に感動するのだろうか。嘘はダメだ。作り事の話をしても、人はすぐ嘘を見破る。世の中はそれほどバカばかりではない。やはり、自分の実体験を下敷きにして、そこから話を進めたらいい。理屈をあまりくどくど言わないことだ。抽象的な話は整合性があり、起承転結もきちんとしている場合が多い。後で速記録を取り寄せてみても、非のうちどころが少ない。そういう話は確かに存在する。だが、それを言葉として聞く時、聞くほうはなかなか大変だ。たとえ話の筋道が整っていても、理屈というものは左の耳から右の耳に流れていく。感性に響いてこない。心に訴えるものがない。なるほど、はい、わかりました。話が終わって、ヨイショと立ちあがり、たまっていた小便を便所でシャーっとやって、ドアを開けて建物の外に出ると、九割は忘れている。

 人をとらえる話は、そうした性質のものではない。自分はこういうことでトチったという失敗談とか、こういうことを誰かに教えてもらった、そして、それは真実であったというエピソード、事実を中心にして話す。そうすると相手はとても覚えやすい。記憶のひだのどこかに止まりやすい。自分が胸打たれた話を家や職場に土産として持ちかえる。家族や仲間に伝えて、一緒に感動を反芻する。いい話、本当の雄弁とは、もともと、そうしたものだ。

 「宮沢喜一に衆議院の予算委員会で質問する。すると、彼はあの小さな身体をチョコマカ動かして出てくる。答弁席に両手をつき、噛んで含めるように答えてくれる。役所の資料を一切、見ないで、面倒な法律でも数字でも自在にこなし、こともなげに答弁する。ニコニコしながらね。聞きながらオレは、この人は何とできる人かと思う。この人は何でもかんでも実によく知っている。オレはこの人に比べたらいかに不勉強で、いかにボンクラで、いかに至らないか、いやというほど思い知らされる」。

 ただ、自分も代表質問を終わって、自席に戻り、そして彼の顔を見てつくづく思うことがあるという。「おい、宮さん。今夜十時ごろ、オレの知っている小さな赤提灯の店に来ないか。おかみは懇意にしているし、口も固い。おかみの部屋が二階にある。布団が置いてあるようなところだ。あそこじゃ、どんなことをしゃべったって、絶対に大丈夫だ。あそこで今晩、二人で上着を脱いで、ネクタイをはずして、時間を気にせず、とことん話そうや。自民党をどうするか。社会党をどうするか。本当の話を徹底的にしゃべろう。宮さん、都合をつけてくれ――。だが、こういう電話をかける気には絶対にならない相手だ」

 私は、それが宮沢氏の責任だとは思わない。相手にそういう印象を与えるということが、宮沢喜一の罪咎とは思わない。しかし、相手も感情を持った人間だ。質疑応答していれば、当然、何かを感じるし、この感じることがいけないとは言えない。とすれば、相手にそういう思いを抱かせるということは、やはり、その人にどこか至らない面があるという証明ではないか。

 この世には、他人に対して無遠慮に聞いてはいけないことがある。「出身校はどこか」、「今、どこで何をして働いているのか」――この二つがいい例だ。学校に行きたくても事情があって進学できなかった。胸を張って「勤め先はここだ」と言えず、肩身の狭い思いで毎日、必死に働いている。そういう人たちが日本にたくさんいる。

 どんな小さな会社でも、いい仕事をしていれば生きていける。良質で、値段が安く、長持ちして、後の面倒見のいい商品を作りさえすれば、あるいは、同じようなサービスを提供することができれば、お客は必ずつく。これが資本の論理というものだ。意地を張っていると言われるかもしれないが、意地というのは、人間が生きていくうえでの背骨だ。背骨があるから頭が支えられている。背骨があるから、血液のもとになる骨髄液が、日夜不断に再生産されていく。意地というものを人間から取れば、それは背骨なし、つまり、クラゲになってしまう。クラゲは潮の流れに身を任せて漂うだけだ。

 世の中は、いつでもどこでも利口千人バカ千人である。本当はバカ十万人がひしめいている。だから、万事、多数決の社会では、一時は受け入れられない。しかし、今、身のこなしが軽やかで、何もかも分かっているような顔をして、人の顔色を見ては達者にスイスイ動き回っている若い人たちがたくさんいる。そういう背骨のないクラゲが群れている。その種の若者を私は好まない。

 佐藤栄作は竹下登にこう語った。「政治家の世界は100メートル競争ではない。マラソンだ。最初から優勝しようと思うな。自分のペースで走れ。自分の身柄に合った早さで、自分の心臓の強さに合わせて走れ。トップランナーは、子供の投げたバナナの皮にすべって転ぶ。二番手と三番手は、あまりに競い合って、コーナーを曲がる時に身体がぶつかり、二人でひっくり返って、アキレス腱を切る。四番目の走者は下痢になって、テープの100メートル前で、もれそうになってしゃがんでしまう。そうすると、竹下君、十番目、二十番目では困るが、五番目くらいのところにぴったりつけていけば、最後に君が勝つことになる」

 田中角栄が私にこう言ったことがある。「頂上を極めるために、いちばん大事なことは何だと思うか」「むろん、味方を作ることです」。「それはちがう。無理をして味方を作ろうと思えば、どうしても借りを作ることになる。相手に愛想笑いをする。腰を引いてしまう。揉み手をする。すり足になる。そうしてできた味方は頼りにできるのか。できない。無理して作った味方は、いったん、世の中の風向きが変われば、アッという間に逃げ出していく。そうしたシロモノがほとんどだ。だから無理をして味方を作るな。敵を減らすことだ。自分に好意を寄せてくれる人たちを気長に増やしていくしかない。その中からしだいに味方ができる。そのためには、他人、とくに目下の人をかわいがることだ。誰にも長所がある。それを引き出すことだ。いばるな、どなるな、言えば分かる。手のひらを返すような仕打ちをするな。いつでも平らに人と接することだ」。

 『人には馬鹿にされていろ』

 人の口に戸は立てられない。人間は三人寄れば、そこにいない人の悪口を言う。バカにする。欠席裁判をする。あるいは、仲間内みんなで集まって酒の肴にする。とかく、そういう具合になりがちだ。弱い人間の最大の楽しみは、他人の悪口を言い合うことだ。上司の悪口、あの社長、部長、課長、ぶっ叩いてやる。あいつは偉そうなことを言ってるけれども、薄皮一枚ひんむけば、こんなことだ。そんなこともふくめて、欠席裁判をすることが世間にはとても多い。それは人間の本性の一つだ。

 私がここで思うのは、人にバカにされてもいちいちカッカするな――ということだ。相手だって、こっちをぶち殺してやる、社会的に葬ってやるというやつを除けば、心底、ひきずりおろすために悪口を言ってるわけではない。楽しみ半分だ。それにいちいち目くじらを立てていたのでは胃を壊す。欠席裁判にされているのではないかと思ったら、一日中、悪口を言いそうなやつの側にへばりついていなければならない。そんなことは無駄なことである。

 田中角栄師匠が、私に言ったことがある。「商売も政治も結局、同じことだ。大勢の人に集まってもらわなければ、話にならない。大勢の人の気持ち、お心を頂戴できなければ、吾が思いを遂げることはできない。自分だけがオレは東京帝国大学出身だ、東大だ、オレは一番賢いんだ、ほかのやつはバカだ、オレのところに寄ってこないのは、そいつらがバカだからだ。これを銀座4丁目で空に向かって叫んだところで、どうなるか。カラスが飛んできて、その開けた口の中に糞をたれて、アホウ、アホウと言って飛んでいくだけのことだ」。

 人は誰でも世にスタートしたときは、右も左もろくに分からない。だが、風雪の歳月を経て経験を積み、百石もの汗を流した甲斐あって才能も花開き、時流にも恵まれて、世間が丁重に迎えるということになると、人間は普通、鼻が下を向かないで上を向くようになる。目線が高くなる。そうなれば本人の行く手に黄色の信号がチカチカ点滅する。いばりくさって世の中は渡れない。そのうち誰も相手にしなくなる。

 若い者は粗相する。だが、それは当たり前だ。経験が浅いのだから、何かにつけて失敗する。しかし、経験が浅い者の失敗に、いちいち目くじらを立てることはない。自分だってそれ以上に失敗の連続だったじゃないか。叱る時には、誰もいないところでガッチリやったらいい。どんなささやかなことでも、褒めるときには、大勢のいる前でドンと褒めてやることだ。そうすれば若者は奮起する。いつか必ず知遇に応えてくれる。

 田中角栄という人は、人の顔を見れば、「おい、メシは食ったか」と言っていた。口癖である。表現は乱暴だが、相手は春風のように聞いた。「メシは食ったか」。初心忘れず、この言葉は角栄の体験から発した。すきっ腹のつらさ、切なさを知っていたからである。「おい、角さん、おれが昼飯も食えないほど貧乏してると思ってバカにするのか」。こう言って怒った人は一人もいない。よほどのひねくれものでもなければ、「メシまで心配してくれるのか、うれしい。ありがたいことだ」――そう思う。この世の中は一皮剥けば義理と因縁と情実と不公正の寄席細工だ。もちろん、四つの要素がすべてではない。しかし、世間の実態はそういうものだということを、腹にしっかりたたみこんでおいたほうがいい。





(私論.私見)