田中角栄逸話

 更新日/2017(平成29).11.16日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、角栄の逸話エピソードを確認する。

 2010.11.20日 れんだいこ拝


【「盗聴されるのもいいものだ!」】
 田中がソ連に訪れる折、秘書から盗聴されるから気をつけるようにと忠告を受けた。しかし、田中は発想を転換してこの盗聴を利用し、「石鹸が悪い、トイレットペーパーが悪い」と大声で怒鳴ると、翌日には上等のものに変わっていた。帰国後、「盗聴されるのもいいものだ!」と笑って語った。

【郵政省改革】
 郵政大臣に就任した直後視察すると、昼休みとはいえ麻雀にふけったり、机の上に足を投げ出したりと弛んでいた。調査したところ、省内が二大派閥に割れており、これが綱紀を緩ませていた。二大派閥のボス同士を次の人事異動で勇退(更迭)させ、これで省内の雰囲気もよくなったと云う。

【大蔵省改革】
 角栄は、日本の官僚を極めて高く評価し、曰く「歩く肥大した図書館」であると評していた。彼らに取り入るため以下のことを行った。大蔵大臣時代予算編成で休日返上で不眠不休で頑張っている彼らに、「大臣室に来てくれ」と一人ずつ呼び、「いつもご苦労様。感謝している。これでタオルでも買ってくれ」と現金の入った封筒を渡した。驚く官僚に対して、「こんなことで影響をうけたりしないだろう?」、「お前たちは日本最高のエリートだ。この程度で俺に配慮するはずないだろう?」、「俺も見返りなど要求はしない。俺の気持ちだ受け取ってくれ」と云い、その話術と胆力で度肝を抜いた。ボーナスの時期になるとポケットマネーで課長以上の人間に総額2千万以上もの金を使いボーナスを渡していたと云う。

【角栄の議論力】
 相手を説得させる時は極力一対一で会い、一対一での説得ならば誰にも負けないと豪語した。盟友の大平正芳は「田中とは一対一で会わずに複数で会うこと。一対一で会えば、必ず言うことを聞かされてしまう」と述べていた。福田も田中の意見に流されるのを嫌って一対一で会うことは極力避けていた。

【辞めた秘書に対する思いやり】
 秘書の一人が小佐野と佐藤昭子を切るように辞職覚悟で忠告した。角栄は前者は了解したが後者は無理だと言い、秘書は辞職した。後にその元秘書が心筋梗塞で倒れた時、田中は病院へ急行。当時総理は辞していたが、病院は大騒ぎとなった。田中は元秘書の担当医を見つけるといきなり土下座の格好で「彼を助けてくれ」と懇願し、病院側はその迫力に背筋が凍ったという。手付けに100万円渡し、集中治療室の元秘書を励ました。元秘書は頷き、田中が去った後涙した。

【陳情処理要諦】
 陳情等は1件約3分でテキパキこなし決断が非常に早かった。できることはできると断言し、その案件は100%実行され、それゆえに信頼された。それに対して、できないことはできないとはっきり言った。ちなみに「できないと断ることは勇気がいること」とよく言っており、また「善処する」といった蛇の生殺しのような曖昧な言い方を嫌った。

年賀葉書に対する気配り
 全盛期、年賀葉書は七~八千枚届いていたとされ、もちろん差出人は名も知れない選挙民が大半であるが、これらに全て目を通し、一枚一枚の葉書にも気を配っていた。

【政敵を褒める】
 新幹線のグリーン車に乗っている時、批判的なある社会党の議員と支援の労組幹部と鉢合わせとなったが、田中は「いやー君にはまいったよ」と賞賛し、直後に支援の幹部に「彼が自民党にいたらとっくに大臣もしくは三役になっている」とおだてた。この話が労組に知れ渡り、「あの先生は本当にできる人なんだ」という噂がたち、その議員は株を大きく上げた。この手の話法を政敵を取り込む際によく使っていた。

【後援会に代理出席し盛り上げる】
 幹事長時代には、木村俊夫の選挙運動の際に木村の後援会の宴会が催されたが木村自身がどうしても出席できず、木村の秘書が田中に支援を要請。田中は快諾し宴会で天保水滸伝、杉野兵曹長の妻をうたい、大盛り上げをした。結局木村は当選。田中派になった(但し、表面的には無所属)。

【官僚のミスを庇う】
 大蔵大臣時代、所得税法改正の審議の際、官僚のミスで誤った税率表を使うという信じがたいミスを犯した。審議中な為に訂正は不可能の上、肝の部分が違っており作成した役人達は青くなった。大臣の首も飛ぶことも予想され、作成した役人、その上司の首が確実に飛ぶ出来事である。これをマスコミや他の党が黙っているはずがないのだが、このことを辞表を忍ばせ田中の元に訪れると、笑いながら「そんなことで辞表は出さなくていい」と改定表を持ち、堂々と「先日提出の表には間違いがございます」と何食わぬ顔で訂正した。野党もマスコミも沈黙したまま。もちろん田中が裏で手を回したのはいうまでもない。こういった責任をかぶるということをためらわずし、アイデアがない時は想像もできないアイデアを出す為(例えば道路関係の法律。建設省は田中には頭が上がらなかった)、田中を慕った官僚は非常に多い。

【抜群の記憶力】
 田中は驚異的な記憶力の持ち主であることは、衆目の一致するところであり、名も知れない有権者にあっても即座に名前(はともかく)、その人の家族の年齢、悩み、仕事などが瞬時に思い出し、これらに関しては曰く「まあ美人の顔を覚えるようなものだ」。それでもどうしても思い出せない時は「あなた誰だっけ?」と聞いて、相手が苗字で返すと「そうじゃない! 苗字は知っているが、名前を聞いているんだ」と少なくとも苗字は知っていたかのように装っていた。

【下の者を労り思いやる】
 田中は下の者ほど大切にした。秘書に対してもわざわざ毎晩労いの言葉をかけたり、守衛の人間にも毎日労いの言葉をかけたり、自分の運転手にまで立派な医者を当てるなどしていて、感動させていた。

【角栄の名によるイジメ】
 田中が自民党幹事長を務めていた時、彼にあやかって「角栄」と名付けられた田中姓の少年がいた。ところが、後に田中がロッキード事件で逮捕されると、彼にあやかって「角栄」と名付けられた田中姓の少年は学校で“いじめ”を受けるようになり、その少年は最終的に「角栄の名が与えられた精神的苦痛は大きい」として、家庭裁判所で改名を認められている(昭和58年3月30日・神戸家庭裁判所)。










(私論.私見)