増田悦佐氏の逆さ読み角栄考 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和元/栄和3).8.22日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、増田悦佐なる御仁の角栄批判を確認しておく。かなり粗脳かオツムがヤラレていることが分かろう。 2010.10.25日 れんだいこ拝 |
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Re:れんだいこのカンテラ時評その18 | れんだいこ | 2005/02/19 | |
【再びれんだいこの角栄論、増田悦佐氏の角栄批判を批判する】 れんだいこは、「れんだいこのカンテラ時評その17」で、増田悦佐氏の著書「高度経済成長は復活できる」の田中角栄観に付き「論旨が非常に屈折している」と評した。しかし、この観点では云い足りないためもう少し言及する。 増田悦佐(マスダエツサ)のプロフィールは次の通り。「経済人 1950. HSBC証券シニア・アナリスト。建設・不動産分野に強いアナリスト。ニューヨーク州立大助教授を経てアナリストに、一橋大卒」。 れんだいこと同じ年生まれの、角栄を廻ってまったく反対の観点の持主ということになる。れんだいこに云わせれば、その観点は、シオニズム受け狙いのお調子もんでしかない。まっそうだからもてはやされようとしているのだろう。「高度経済成長は復活できる」の発行元は「文春新書」である。ということは、立花二世として育成されつつあるということか。 その内容たるや、「日本経済はどこで間違ってしまったか」→「誰が高度成長経済を殺したのか」→「実行犯は田中角栄」→「『弱者』をふやしたがる『黒幕』たち」→「『弱者』のための利権連合がつくった世界」→「高度成長は復活できる」という論旨展開になっているらしい。思うに、高度成長経済路線を好評価しつつ、角栄の日本列島改造案思想を真っ向から否定し、高度成長経済路線を殺したのは角栄なりとして、「立花流『諸悪の元凶角栄』史観」をリバイバルさせようとしている。 しかし、それは全く転倒錯綜した史観でしかなかろう。今我々が為すべきは、立花流ないしは日共流に歪められた「諸悪の元凶角栄」史観から抜け出し、「角栄の日本列島改造案思想」を再度学ぶことである。そういう意味で、下手糞ゲテモノ本を読むよりは角栄の「日本列島改造論」そのものを読み直すほうが良い。どっかの社が再販すればよい。必ずベストセラーになるだろう。「政治圧力」なしにそれができるかどうか、それが問題だ。 ところで、同書紹介の「アマゾン・コム」に載っている書評がこれまたひどい。いわゆるヤラセになっている。角栄批判、「朝日新聞をはじめとする進歩的なマスコミ」批判、官僚批判という定食メニューを書き付けている。そしてしまいにはこうなる。
つまり、日本の現在の過膨張公的債務路線の敷設者が角栄であったと決めつけている。れんだいこは、れんだいこ論文集の「国債論」の中で、そのウソを暴いている。戦後初の国債の発行者は佐藤内閣時の福田蔵相であり、三木が推進し、中曽根が加速させ、以降とめどない垂れ流しのまま今日まで迎えている。この間いわゆる真性ハト派の角栄、大平、鈴木の三代に限り赤字国債発行体質を止めさせようとして懸命に漕いだ、という史実こそが確認されねばならない。付け足せば、佐藤の前の池田時代は国債を頑として発行していない。この時、角栄は大蔵大臣の任にあった。 それが史実なのに、なぜ逆さに描くのだろうか。立花然り、この増田然り。角栄を叩くが、角栄が地下で暗闘したタカ派、それもネオシオニズムに取り込まれた国際主義派=国債主義派に対しては大甘という構図になっている。それはペテンの類の論法だ。 滑稽なことに、増田史観は、角栄を叩くあまりに角栄=体制内革命推進革命家論を展開しており、こっちの方の見解が好評という皮肉なことになっている。 それにしても、「クラウンプリンス福田赴夫の首相就任を阻止しながら行われた党中党建設、派中派建設は、革共同・革マル派もうらやむ手際の良さだった」と記しているとのことだが、何でここに「革共同・革マル派」が出てくるのだろう。いかにも唐突だ。胡散臭い。 角栄と〃日農〃を指導していた当時の三宅正一社会党代議士との関わり、つまり社会党系急進農民運動との関わりを指摘している。案外知られていないがその通りである。ちなみに、角栄歿後、後援会の「越山会」票がどこに流れたのか追跡調査したところ、何と社会党へ向かっていたとのリサーチが為されている。これについては「角栄の左派資質と傾向について」tmの【「角栄票はどこに流れたのか」追跡調査考】に記した。 kakuei/zinnmiyaku_sahakisitu.h 田中角栄の秘書であり越山会の統括責任者であった佐藤昭の弁「毛首席には周恩来同志がいましたが、田中には周恩来さんがいなかった」(新潟日報報道部、「宰相田中角栄の真実」、講談社刊、1994年初版)の指摘も興味深い。二階堂がその任にあったが役不足だった。しかし、二階堂はこれまた良い政治家だった。 これは初耳だが、当時の北朝鮮国家元首・金日成が、「世界中にたったひとりだったかもしれないが、一九七二年という早い時期から田中角栄政権誕生の本質を『革命家』による政権奪取と見抜いていた社会主義国指導者がいた」との指摘は面白い。 増田氏の著書「高度経済成長は復活できる」はこういうところの記述にのみ値打ちがある。思えば、皮肉なことである。しかし、読めば読むほど頭がヤラレルこういういかがわしい観点が次から次へと量産されていることになる。これに抗する逆攻勢をかけねばならぬ。どこの出版社がやってくれるのだろうか。 2005.2.19日 れんだいこ拝 |
【増田悦佐の知能狂人論法考】 | ||
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK98」の韃靼人氏の2010.10.24日付け投稿「当時当代一の文芸批評家であった小林秀雄が政治家田中角栄の文を絶賛!「角栄の文章能力評」 れんだいこのカンテラ時評833」のコメントに次のような一文が寄せられている。
ネット検索で出くわした「田中角栄って・・・」にも次のような一文がある。
これにコメントしておく。れんだいこの知らないところで、増田悦佐の反角栄論が受けているらしい。手前の頭で判断できない者に限って増田氏の「高度経済成長は復活できる」を頼りに相変わらずの反角栄論で悦に入っている様子が分かる。しかしながら、れんだいこがこれから述べるように増田氏が狂人だったとしたらどうなるか。狂人説をまともに受け入れている者は恥じるのだろうか、狂人同士でウマが合うのだろうか。 増田氏の狂人ぶりがどこで分かるか。それは、恥ずかしげもなく著作をものにしているぐらいだから、それなりの知識と教養があるだろうことは推測できる。しかしながら、知識とか教養は物事を正しく見る為に必要なものであって、逆に見るのに資するものではない。知識とか教養を増して本来の結論に至らないどころかますます遠ざかるとしたら尋常ではない。知識と教養を備え然る後に物事を逆さに見る名人となると知能狂人でしかないと云うべきではなかろうか。では、どこが知能狂人なのか。これに答えておく。 角栄は、実は戦後復興期から屋台骨を背負って立った稀有な戦後政治家であった。その流れで池田政権以来の高度経済成長をも支え抜いた。「コンピュータ付きブルドーザー」とあだ名されたが、この時代の獅子奮迅の働きを例えている。高度経済成長時代は池田政権から佐藤政権へと続く。角栄は、この時代の名リーダーであった。ところが、佐藤政権時代、佐藤栄作首相「佐藤無策」と形容されるほど「待ちの政治」に徹し、新時代への展望を欠いていた。角栄は、この時代を継承し、佐藤政権下での淀みに対して内治、外治両面にわたって果敢に局面打開に向かった。内治は日本列島改造論で、外治は日中国交回復で切り開いた。高度経済成長政策のツケであったインフレの波、オイルショックの波を被りながらも、懸命賢明に「国家百年の大計」を敷きつつあった。その最中、国際金融資本帝国主義仕込みの金権訴追運動のゴングが鳴った。立花隆の「田中角栄−その金脈と人脈」、児玉隆也の「寂しき越山会の女王」が掲載された「文芸春秋1974.11月号」が狼煙となった。続く「外人記者クラブでの執拗な金権追及会見」が後押しした。田中政権は退陣を余儀なくされ、追ってロッキード事件でハガイジメされ、かの世界史的見ても有能な角栄頭脳を宝の持ち腐れにさせてしまうことになる。 この日本政治の痛恨事に対して、これを逆さに描き、角栄が居なければ日本の高度経済成長はなお続いていたと云わんばかりの角栄をして「高度経済成長の終焉者」と描くのが増田悦佐史観である。マスコミメディアに巣くう自称インテリらは、立花隆史観、増田悦佐史観を好むが、れんだいこに云わせれば白を黒と云い含める典型的な詐術詭弁である。この連中は特殊なイデオロギーに被れた共同幻覚者達である。これぐらい断じても一向に差し支えないと思う。 この詐術詭弁をそうと知りながら身すぎ世過ぎの為に売文売弁するのならともかくも、増田悦佐なる者は本気で転倒理論を唱えている節がある。角栄を知れば知るほどあらゆる兆候が角栄の有能過ぎる社会主義者ぶりを示す。それに気づかないのならともかくも、気づいて然る後に角栄が有能な社会主義者故に断固として批判すると云う芸当はとてもマトモではない。それを著作にしてまで熱心に説くとしたら狂人以外に有り得ないのではなかろうか。れんだいこが、知能狂人と断ずる所以である。こう書いた以上、この立論の確かさを確認する為に読みたくもない「高度経済成長は復活できる」を読まねばなるまいか。他にも読むのがたくさんあるので先になりそうだが。 最後に。「都市に人口が流入する事で経済が活性化していた日本を 地域の活性化と称してバラマキやったせいで人口過少地に予算がばら撒かれ経済効率が悪化した訳です」なる論を平気で開陳して違和感を持たない者に告ぐ。「都市に人口が流入する事で経済が活性化していた日本」なる言が正しければ、過密過疎を押し進めれば良いと云うことになる。頭は確かか。「人口過少地に予算がばら撒かれ経済効率が悪化した」なる論を平気で開陳して違和感を持たない者に告ぐ。人口過少地に予算を回さなければ経済効率が良くなると云うことになる。気は確かか。 2010.10.25日 れんだいこ拝 |
【増田悦佐並の知能狂人論法考】 | ||||||||||||||||||||||||
「日本を守るのに右も左もない」の2013年02月05日付けブログ「米国の圧力と戦後日本史16〜「角栄=反米」という幻想からの脱却!」が、増田悦佐式の知能狂人ぶりで角栄を論評している。こういうものが通説にされると困るので叩いておく。
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(私論.私見)