「愚昧派市井の田中角栄考」考 |
(最新見直し2017.1.21日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ネット検索で「田中角栄考」に出くわした。目次の文言から推測するのに、意図的故意の角栄批判サイトのようである。折角のご縁なのでこれを確認しておくことにする。ところが、コピー転載しようにもできない仕掛けにしてある。手の込んだ細工ではある。例の連中の臭いがすることこの上ない。幸いコピー印刷ができたので、これを手元に読み解くことにする。 という訳で読み進めてみたが、やっちもないという表現が適切な粗雑文でしかなかった。立花隆の角栄論の如く露骨に何でも角栄批判に結び付けていないが、要所要所で悪質論法を駆使した逆さ見解を持ち出しており噴飯ものでしかなかった。今度機会があれば読み直してみようと思う。逐条批判しても良いが、それにも当たらない拙文であるので論評にも値しない。これを結論とする。 2009.9.10日 れんだいこ拝 |
【市井の角栄論の水準考】 | |||||||
れんだいこのブログに対して、韃靼人氏が「阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK94」 の2010.9.5日付け投稿「菅は雄弁な小沢の引立役 菅を選べば民主党はオワ 「2010民主党代表選中盤戦考」れんだいこのカンテラ時評801」してくださったところ、幾人かのコメントが寄せられている。これを批評しておく。市井の角栄論の水準が分かるからである。 「天橋立の愚痴人間」氏が次のように述べている。
れんだいこが意見すれば、何の論証もなく「田中が敷いた官僚と政治屋共の関係が今日の官僚支配の大元になっている」ことを認めよと云うこと自体が無茶な話で、云い得云い勝ちの悪論法であろう。「官僚と政治屋共の関係」ははるか昔からのものであり、角栄がどう独特の「官僚と政治屋共の関係」を築いたのか、その質の是非を問わなければなるまい。 次のようにも述べている。
この文章で、「天橋立の愚痴人間」氏がかなり無茶なことを云う人であることを暴露している。「奴は、箱物、道路造りのみに熱中」とあるが、箱物、道路造りに尽力したのは事実であるが、それ「のみ」に熱中したとするのは暴論であろう。彼は彼の時代に必要な仕事をしたのであり、後の時代の者が彼ほど仕事ができないことにより様々な問題が軋轢しているのではなかろうか。これを弁証法的見方と云う。「天橋立の愚痴人間」氏は弁証法的見方ができない難癖御仁であることを自己暴露している。「そんな彼を、名宰相と思うこと自体、己の洞察力は中学生並ということだ」と、れんだいこを罵倒するが、どちらが「中学生以下の見解」を恥ずかしげもなくぶっているのかは自明であろう。 「氏名不詳」氏が次のように述べている。
れんだいこ見解に同意してくれる者がいることが分かりうれしいことである。 「別の氏名不詳」が次のように述べている。
この説によると、角栄政治のバイブル「日本列島改造論」が諸悪の根源らしい。云うのは勝手だが、この「別の氏名不詳」氏は「日本列島改造論」を読んでいるのだろうか。読んで云っているのなら相当の脳悪で、読まずに云っているのなら相当の無責任と云うことになろう。れんだいこ見解によれば、「日本列島改造論」は既に40年も前に書かれているが未だに瑞々しい日本の進路を指し示すカンテラとなっている。政官財が様々の構造改革論を述べ遣り繰りしているが、どれもこれも上手く行かない。角栄の「日本列島改造論」が指し示す針路と反対のことばかりしているからである。こういう値打ちを持つのが「日本列島改造論」である。「別の氏名不詳」氏にはぜひご一読を願う。 「別の氏名不詳」が次のように述べている。
この理解が正しいと思う。 「天橋立の愚痴人間」氏が、04、05ツイッタ―に対して次のように述べている。
れんだいこの批判は繰り返さない。問題は末尾の「こいつ。何にも解っちゃいないなと。まあ、庶民感覚程度ならケチもつけないが」である。この発言は手前に云われるべきものである。それを相手に投げ返していることになる。相当狂っているのか質が悪いのかのどちらかであろう。 「又別の氏名不詳」が次のように述べている。
この御仁も未だに立花隆史観に汚染されていることが分かる。角栄を「拝金思想の権化」と思うのは勝手だが、角栄は財界からのヒモ突き献金を嫌う自力調達型の政治家であった。カネをあちこちに配ったのは事実だが、それは相対的なもので、あの時代の権力闘争には一般的なものであった。事後的に批判して足りるとするのは歴史を評する態度としては片手落ちであろう。最近、こういう事後的批判のみならず遡及的責任論までが流行っている。恐ろしいことと云わねばなるまい。 2010.9.6日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評bP246 投稿者:れんだいこ 投稿日:2015年 1月20日 |
為にする田中角栄悪評論を斬り捨てておく れんだいこブログの中で「田中角栄の妻及び愛人との絆考」が人気記事ランキング第1位であり最も評価が高いようである。これに比して、角栄に対する為にする悪評が為されている。本稿でこれを質し斬り捨てておく。ネット検索で「政治家愛人伝説 政敵の愛人店を乗っ取った田中角栄」、「竹田恒泰の田中角栄は三木武夫の愛人も世話をしていた」に出くわす。それらが、れんだいこの「田中角栄の妻及び愛人との絆考」以前のものなら許せるが、以降のものであれば容赦する必要はなかろう。 「政治家愛人伝説 政敵の愛人店を乗っ取った田中角栄」が発表されたのは2012年10月10日頃の週刊FLASH10月23日号である。政治評論家の小林吉弥氏の言として次のような文章が記載されている。「クリーンな印象の三木武夫元首相にすら愛人はいました。ただ、その愛人が銀座にクラブを開店させたとき、それを聞きつけた田中角栄が『そりゃ、めでたい』と通い常連になってしまった。そうなると竹下登や小渕恵三など田中派の若手も飲みに来る。いつしかその店は田中派に乗っ取られていたんです。田中と三木の怨恨は知られるところ。政敵の店をまんまと…ですね」。 この文の内容の真偽を確認しておきたい。問題は、角栄が政敵である三木の愛人が経営するクラブの通い常連になり仕舞いには田中派常連の店にするようなことが本当にあったのか。「小林吉弥発言」としているが小林吉弥は本当にそのように発言しているのか、これを質したい。れんだいこは、角栄が「クラブへの通い常連」になること自体があり得ないと断言しておく。角栄が飲食接待に顔出しするのは奇妙なほどに料亭でありクラブへの出入り履歴を知らない。 角栄はなるほど洋酒ウイスキーとしてはオールドパーを愛飲していたがクラブ、スナックに神出鬼没していたとは聞かない。逆に和風料亭出入りなら履歴を相当に残している。それを、「小林吉弥発言」は、1、角栄が三木の愛人の経営する店だと承知しておりながら、2、常連になり、3、田中派行きつけの店にしたと云う。角栄式義理人情論を踏まえればありえない。要するに為にする角栄悪評である。これを垂れ流す「週刊FLASH10月23日号」の執筆者は伏せられている。卑怯姑息なことよと指弾しておく。なお、小林吉弥が実際に「小林吉弥発言」をしていたとしたら説明責任がある。何を根拠にしているのか明らかにせよ。 次に、「明治天皇の玄孫」を売りにしている竹田恒泰の「田中角栄は三木武夫の愛人も世話をしていた」を確認しておく。これによると、発表されたのは2014年2月4日頃で、竹田が YouTube上で 「田中角栄元総理は5人の愛人を囲っていたのにもかかわらず三木武夫元首相の愛人の世話もしていたそうです」と伝聞発言している。竹田の論拠は分からないが、「小林吉弥発言」を唯一の根拠にしていたとしたら評論能力のお粗末さを示している。人を評するのに、擁護せねばならぬ者を批判し愚弄する癖がある御仁であると見立てておく。こんな評論で高給暮らしなぞあってたまるものかわ。それなられんだいこの評論能力は億万長者に値しようぞ。世の中大いに間違っとるわい。 ところで、こういう為にする角栄悪評はどこから生まれるのだろうか。本来なら角栄は近現代史を彩る世界史的な傑物政治家としての日本が誇るべき人物である。それを悪し様に評し立花−日共式に「金権腐敗政治元凶論」で罵り、返す刀で中曽根名宰相論を唱える。こういう見解を生み出す黒幕が国際ユダ屋である。連中はあらゆる方面にテキストを作成しており、これを上手に口パクすれば出世する道が敷かれている。この門を潜ると学んでますます馬鹿になる。こういう自称インテリが多いが、連中が大人しければまだしも力むとなると相手にせずそっとしておく一手である。角栄好評の我々は連中に背を向け、我々の空間を広げつつ語り部になる努力をすべきであろう。 |
(私論.私見)