鳩山由紀夫が学究の徒から政界入りを決意した時、父親の故威一郎(元外相・参院議員)は困惑し、所属派閥の田中角栄に相談を持ちかけた。さすがの田中も 「うーん」 とうなったという。いかに名門とはいえ、弟の邦夫(元文相)と親子3人が同時に国会議員、というのは聞いたことがなかったからだ。約16年前のことである。
一時期、田中は威一郎に派閥を譲ろうと考えたらしい。当然、<威一郎首相>を念頭に置いていた。それは果たされなかったが、田中と鳩山家はなにかと因縁深く、異質でもある。田中が首相の座についた時、母親のウメが、「総理大臣がなんぼ偉かろうが、あれは出稼ぎでござんしてね」と言ったのは有名な話で、今太閤ブームのもとにもなった。鳩山一族はその対極にある。
さて、田中が首相に上りつめたのは54歳、いま鳩山が53歳。この2人を比べてみたい衝動にかられる。首相の適格性とは何か。森喜朗首相は先の総選挙で、野党から<首相の資質>を問われたが、野党第1党党首の鳩山も、<首相候補>として吟味されだした。それだけ政権が近づいたからでもある。
民主党は来月の党大会で鳩山代表の無投票再選を決めるが、対抗馬がいないのは、さびしいことだ。田中が自民党総裁に選ばれた時は、福田赳夫、大平正芳、三木武夫の3人が立ち、争った。田中は、しゃにむに多数派工作を進めて勝ち残り、敗れた対抗馬の福田は、のちに、 <私は、総理・総裁というポストは天下の大勢の赴くところ、水の低きにつくが如く話し合いで決まるのが理想であって、ましてや金銭の力でもぎ取るようなことは断じてあってはならない、と信じていた。争うべきではなく、推されてなるものと心していたからだ。しかし、当時、私は67歳だった。戦わざるをえない状況になっていた>(著書『回顧九十年』)と振り返っている。福田の表現は古風だが、いまの鳩山をみていると、田中型というよりは福田型に近い。
田中のがむしゃらさが鳩山には乏しい。国民はリーダーの個性を闘いぶりのなかにみる。角栄ブームは起きたが、福田は終始地味に映り、人気も鈍かった。どちらがリーダーにふさわしいかは、時代、時代の求めや好みもあって、一概にいえない。田中の盟友、大平正芳は、「角はせっかちだから失敗した。路傍によけることを知らないんだから」と田中の失脚後に悔やんだが、そういう面もある。
ところで、民主党は女性の支持が低い。なぜか、と同党幹部に問うたところ、「それは、鳩山さんにセックスアピールがないからでしょ」と答えた。セックスアピールは、政治指導者の場合、個人の色気とか女性好みの雰囲気だけでなく、強さ、頼りがいのほうが大きいと思われる。
最近の鳩山発言を聞いていると、反省癖ばかりが目立つ。「鳩山らしさが全然ない、弱々しい、と言われ、強さを強調しなければと思って、強い言葉を使ったり、厳しい顔をしてみたが、そんなうわべのことではいけない。自分らしさを取り戻さないと大変なことになるぞと思っている。かつて『政治は愛だ』と言って仰天されたが、やはり原点に戻る勇気が大事だ」(27日朝の民放テレビで)などと言う。
率直さは買うが、自分の<らしさ>とか、パフォーマンスの悩みを語られても、国民の側はしらけるのではないか。弱々しく映る。映像の時代、リーダーにとって演出は大切だ。しかし、それはすべて結果次第であって、内側をさらすことはない。さらすとアピール度が激減する。親しみは持てても、頼もしくない。リーダーにはなにがしかの神秘性も求められるのである。
鳩山だけではない。自民党の実力者群をみていると、機関車のような田中の迫力がなつかしい。田中は20世紀型で、鳩山は21世紀型のようにも思えるが、<強いリーダー>への願望は、時代を超えているのではないか。(敬称略)
(毎日新聞東京本社版2000年8月29日朝刊から)
|