指導者(リーダーシップ)論

 更新日/2020(平成31→5.1栄和元/栄和2).9.13日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、田中角栄の指導者(リーダーシップ)論を採り上げる。

 2004.11.30日、2010.06.13日再編集 れんだいこ拝


【情報収集の大切さについて】
 角栄は、常日頃の情報収集の大事さを心得ていた。新聞代に対する次のようなコメントを残している。
 「決断力は、情報力によって支えられる。単なる直感だけでは、見通しを誤る。新聞代が月2、3千円というのは安い。あれだけの情報が詰まっているのだから、1万円でも安いものだ」。

【経験と統計の重要性について】
 角栄は、経験と統計を重視していた。次のようなコメントを残している。
 「やっぱり経験というものは大事です。しかし、普通は経験だけでものを云うからダメなんだ。私はそうじゃなくて、経験のほかに統計とか、そういうものを非常に重視している」(1983.7月号「月刊プレイボーイ」より)

【角栄の経済合理主義について】
 角栄は、各社の望みをよく聞き、その実現に努めた。全員の希望通りにならなくても、ここはA社に泣いてもらい、B社にも我慢してもらい……ときて、最後のE社を決して切り捨てることがなかった。このことを角栄は次のように表現している。
 「子供が十人おるから羊かんを均等に切る、そんな杜会主義者や共産主義者みたいなバカなこと言わん。キミ、自由主義は別なんだよ。羊羮《ようかん》をちょんちょんと切って、いちばん小さい子に、いちばんでっかい羊羮をあげる。そこが違う。分配のやり方が違うんだ。大きい奴には"少しぐらい我慢しろ"と言えるけどね、生まれて三、四歳のは納まらないよ。そうでしょう。……それが自由経済というものだ」 (「安広よしのり編著、『田中角栄・悪の語録』、1983年、日新報道刊」参照)。

【エサを獲ることの意味について】
 「肉食獣は自らエサが獲れなくなると、死を意味するんだ。人間も、エサを獲らないでいいとなると、痴呆状態になる」

【本腰論、本音の信頼を目指せ論】
 「人生は、小手先ではいけない。何ごとも本腰で勝負するものだ」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「ウソはつくな。すぐばれる。気の利いたことは云うな。後が続かなくなる。そして何より、自分の言葉でしゃべることだ」。

 ある時、早坂秘書に対して次のように語っている。

 「若い君が本当に思っていることを話せばよい。借り物はダメだ。百姓を侮ってはいけない。小理屈で人間は動かないことを知れ」。
 「苦しいことがあるのは、人生、当たり前のことである。が、それにめげてはだめだ。乗り切る為に頑張るんだ。それで人間には力がつく。人間が成長して行く」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「何事も誠心誠意でやることだ。些細なことでも手抜きはダメだ。率先垂範、全力投球、勝負は最後まで捨てない。物事は最後までどうなるか分かるものか。山より大きなイノシシが出るもんか。怖いものはない。志を持ったら断固やるべしじゃ。闘争心のない奴はモノにならない」。

【人の面倒み哲学について】
 「自ら逃げていくものはしょうがないが、自分がひとたび面倒を見たものは、最後まで面倒を見続けるというのが俺の人生観なんだ」。

【用件の伝え方について】
  角栄式用件の伝え方は次の通り。
 「余計な前置きは不要。用件は便箋1枚に大きい字で書け。結論を初めに言え。理由は3つまでだ。この世に3つでまとめきれない大事はない。それを便箋で書いておくように」。
 「大切なことは皆な難しい言葉ではなく、誰にでも分かる平易な言葉で書かれている。真理とは長たらしい言葉ではない。もし長くて説明が難しい場合には、どこかにウソがあると思った方が良い」。

【会議、用件の打ち合わせについて】
 「僕は、会議も時間通りにピシャッと片付ける。田中派の会議なら、最後は僕が一票入れて決める。リーダーなら、それくらいの見識がなくてどうする。その上で、僕の一票で決めたんだから、一週間ほど塩漬けにしておく。その間、異議が無かったら決定となる。当たり前のことだろう」(小林吉弥「田中角栄処世の奥義」44P)。
 「会議の長さは出席者数の二乗に比例し、会議の成果は出席者数の二乗に反比例する」。
 「だいたい日本人は無駄な挨拶が長すぎるね。時候の挨拶から始まって世間話をダラダラとしないと失礼だと思っている。そして、その後でこれこれの要件で参りましたと云って、又その不必要ないきさつについてまで話してから初めて本題に入る。これは、お互いの時間が損すると思うね。挨拶は『今日は』だけでいい。そして、今日の要件はこれこれですと話すだけでいいんじゃないかね。そうすれば私もその場で、できるとかできないとか結論を出す。これでお互いに気持ち良く用が足りるのだ」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。
 「電話は、用件だけでいいんだ。馬鹿ほど長電話をするんだ」。
 「話をしたいなら初めに結論を言え。理由は三つに限定しろ。世の中、三つほどの理由を挙げれば、大方の説明はつく。どんな話でも、ポイントは結局ひとつだ。そこを見抜ければ物事は3分あれば片づく」。
 「オヤジの話というのは、簡潔、平易、明快が特徴だ。話に起承転結などはない。ズバッとまず結論から入る。筋道が立っているから、どう結論が出ても誰もが納得するようになっている。一度、若い政治家の相談が終わったあとにオヤジに聞いたんだ。『もう少し、ジックリ聞いてやればいいじゃないですか』と。オヤジ曰く、『どんな話でも、結局はポイントは一つだ。そこを見抜ければ、物事は三分あれば片づく。あとは結局ムダ話だ。大体、忙しいワシがムダ話をしている余裕はない。長話は奴らだって辟易するだろう』だった。真理は常に簡明であるということだな。(補足/「われ思う。故にわれあり」で知られるフランスの哲学者デカルトの言葉は「よく考え抜かれたことは、きわめて明晰な表現をとる」)」(秘書・早坂茂三の弁)。

【上に立つ者の仕事と人気について】
 「上に立つ者が仕事をすれば、批判、反対の声があって当然だ。何もやらなければ、叱る声も出ない。私の人気が悪くなってきたら、ああ田中は仕事をしているんだと、マァこう思っていただきたい」(小林吉弥「田中角栄処世の奥義」52P)。
 「僕のような若い社長がふんぞりかえっていたら、恐らく誰もついてはこなかったろう。僕は社長などと云う肩書を無視して、朝は早くから出社し、掃除したり机を拭いたりした。従業員たちと一緒に働き、一緒に遊び、苦楽を共にすると云う生き方だった。この僕の心意気に感じて、彼らは喜んで張り切って仕事をしてくれた。むろんこうして実績が上がり、収入が増えれば、よそよりも二倍、三倍も給料を払うことにした。事業が発展するかしないかのコツは、人間を動かせるか、動かせないかであることが、おぼろげながら分かって来たのはその頃のことだ」(戸川猪佐武「田中角栄猛語録」)。

【人と会うこと、接し方、気配りについて】
 「人と会うのが醍醐味になってこそ本物」(小林吉弥「田中角栄処世の奥義」78P)。
 「私が大切にしているのは、何よりも人との接し方だ。戦術や戦略じゃない。会って話をしていて安心感があるとか、自分のためになるとか、そういうことが人と人とを結びつける」。
 「世の中には、会って話をし、付き合えば、その人間がよくわかるのに、知らないまま食わず嫌い、毛嫌いしてる場合が多い。互いに自戒すべきことだよ」。
 「何事も相手に対して手を抜くな。誠心誠意、全力投球で向き合うことだ。それが最大の気配りということだ。真の信頼関係はそうした中から生まれる」。

【部下の指導、上司の能力】
 「物事を察してやることができなくてどうする。部下の心中を察してこそ上司だ」(小林吉弥「田中角栄処世訓」82P)。
 「公平感を保て。部下の信頼が生まれる」
 (小林吉弥「田中角栄処世訓」)。
 「下問を恥じず。恥を恐れず、部下と向き合え。年下の若い者の話を聞き、教えられることを恥ずかしいと思うな」。
 (小林吉弥「田中角栄処世訓」)

【人の叱り方、褒め方について】
 「人を叱るときはサシでやれ。褒めるときは人前でやれ」。
 (二宮尊徳の教訓歌は、「かわいくば 五つ教えて 三つ褒め 二つ叱って 良き人とせよ」)

【最近の議員の資質について】
 最近の議員の資質について次のように述べている。
 「最近の議員の資質はなかなかの優等生だが、独創性、エネルギー、統率力といったものが欠けている。内外の情勢は教授会のような議論は許さないんだが」。

【決断の要諦】
 「決断の要諦は、細心にして大胆、迅速の二つ。ワシは決断したら一瀉千里だ。自信があるね。実行に手間取っていると、決断に対する異論が出てくる。細心の準備でかかっているから、異論はゼロということだな」。

【人材登用の要諦】
 「優れたリーダーは、人の好き嫌いをしない。能力を見分けて、適材適所に配置する。問われるのは、大事を任せられる人物を見分けられる目があるかどうか」。
 死線を共に潜り抜けて来た仲間を登用すべし。誰よりも信頼できる側近になる。強い絆と信頼が、組織の地盤を強固にする。

【説得の要諦】
 「話し合いはいつも全力投球、真剣勝負だ。説得とは、これに尽きる」。

 角栄の説得力が次のように語られている。
 「田中角栄は勝負にかかると目に殺気が出る。とりわけ、真髄はサシでの話し合いだつた。眼光は鋭く、迫力満点となる。角福総裁選を争った福田赳夫をして、『角さんには押しまくられるから、二人で会うのはイヤだなぁ』と言わせたこともある」。

【勝負勘】
 「攻めに入ったときこそ勝負勘が求められる。ここは絶対に譲るな。長年のワシの勘だ。いい加減なもんじゃないぞ」。

【目配り、気配り論】
 「バカになってでも、周りへの目配り、気配りを忘れるな。他人の意見に耳を傾けてやれ。我を通すだけが能じゃない」。

【時間厳守】
 「信用の第一は時間を守れる人物であることだ。時間にルーズで大成した者はいない」。

 昭和40年代半ば、後に農水相をやることになる、当時田中派の1年生だった佐藤守良(もりよし)の言は次の通り。
 「私が経済界とのパイプが乏しかったことから、オヤジさんに六本木の料亭で、当時の日本商工会議所会頭だった永野重雄さんを紹介していただくことになった。私が約束の時間ギリギリに座敷に入ったら、既にオヤジさんが憮然とした顔で座っている。オヤジさんより遅かった私は『申し訳ありません』と畳に額をこすりつけ、そのまま永野さんが現れるまでついぞ頭を上げられなかった。オヤジさんのあの時の恐ろしい顔は、無言で私に世の中の『筋』というものを教えたと思っている。若いお前が先に来てお客さんを待つのが当たり前だろうと。以後、時間に対する厳しさは私の人生哲学になった」。

【リーダー論】
 「リーダーにも誤りはある。素直に謝った不ほうがいい。その上で、約束を果たすことだ」。

 「趣味は田中角栄」と云って憚らなかった田中派最高幹部にして自民党副総裁も務めた二階堂進が次のように述べている。
 「昭和38年、私が衆院の商工委員長のとき、田中さんは大蔵大臣だった。日本貿易機構(ジェトロ)会長から5億円の政府予算を頼まれ、田中蔵相のところへ頼みに行ったんです。田中さんは二つ返事で、『よしっ、出そう。これが男の約束だ』と言った。ところが、いざ予算案を見ると、これが入っていない。私は大蔵大臣室に乗り込み、『おかしいじゃぁないですか』と詰め寄った。すると、田中さん『おっ、入っていないか。すまん』と言うと、その場で大蔵省の幹部を呼びつけ、政府と党に出す印刷物を刷り直させてくれた。まぁ、男の約束を果たしてくれたわけだが、これこそが信頼に足りる人物として、以来『趣味』になってしまったんだ」。

【政治人生は50歳までで勝負が決まる論】
 秘書の早坂茂三が次のように述べている。
 「田中自身は50歳を目標に自分の政治人生が決まると、その為にあらゆる努力、泥水を呑んだ。異例の44歳という大蔵大臣に就任したとき、50歳での目標がぼんやり見えてきた天下取りだ。そして54歳で目標点に達したというわけだ。田中は若手議員によく言っていた。『何の為に政治をやっているのか。軽々しく‘総理になりたい’などと、間違っても口にするな。50歳を目標に、とにかく地道にひたすら勉強、努力するっきゃない。そういう中で、自然に風格も人脈もできてくる。ダメな奴は、そこまで。上へ行く奴は、その辺りで決まるのだ』と」。

【運】
 「まぁ、人の一生はやはり『運』かも知れない。結局、努力、勉強だ、こういったものが、運を捉えるきっかけになる。その上で、運を変えてみせるという気概も不可欠だ。私は、『腐った橋を渡っても、橋は自分が渡ったあと落ちる』と信じて来た部分がある」。

【野心、思惑のコントロールについて】
 「野心、思惑は誰にもある。問題は、それをどうコントロールできるかだ。お前は野心、思惑がモロに出ている。そんなことで先輩議員に可愛がってもらえると思っているのか。それを、表に出さずどうコントロールしていくかが、まったくできていない。人脈なぞできるわけがない。人に可愛がってもらえるわけがない」。

【間(ま)】
 「相手との『間』(ま)が取れないでどうする。イノシシのような一本調子では何事も前に進まない。相手にされない」。





(私論.私見)